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☆ダンデリオンツイッター記事 から 「ふるさと」意識へ

「宇宙との一体感」という壮大なテーマの記事を受けてのやりとりです。

最近のやりとりでよく出てくる観点が「身近な体感を伴うイメージだからこそ、宇宙との一体感等々と共鳴しあっていく」ということ。
今回は「ふるさと」意識を中心にそれがどう広がっていくのかについてやりとりされています。

また、最近テレビやネットで話題になっているという別居している両親と、人生の間にどのくらい同じ時を過ごせるのか、ということに関してもやりとりしています。

また、かつてヒマワリフクロウさんとの家庭教師時に二人がしばしば体験した心霊現象(?)についても振り返っています。
2019.06.11 火曜日
07:25 虚空
ちょっと前に諷虹君との間で「暦」や「イチロー」の話になったのですが、昨日ダンデリオンツイッターにアップされていた記事は、そうしたことや、このところの駿煌会やりとりをふまえて書いてくださっているように思えます。(というか、毎回そんな感じですね)
原文⇒意味内容⇒お話の順に紹介します。

☆2019年6月10日 ダンデリオンツイッター
(荘子 逍遥遊篇第一―3)
列子は風に御(ぎょ)して行き、冷然として善し。
旬(じゅん)有(ゆう)五(ご)にして然る後に反(かえ)る。
彼福を致す者に於いて未だ数数(さくさく)然(ぜん)たらず、
此れ行に免ると雖(いえど)も、猶(なお)待つ所の者あるなり。
若(も)し夫れ天地の正に乗じて六気の弁に御し、以て無窮に遊ぶ者は、
彼れ且(は)た悪(なに)をか待たんや。
故に曰く、至人は己なく、神人は功なく、聖人は名無しと。

【大体の意味内容】
列子という人は、風に吹かれて自由気ままに逍遥(しょうよう)し、その生き様はクールでかっこいい。
風が変わる十五日ごとに帰ってくる。彼は幸福をもたらすものをがつがつとむさぼり求めるようなことはしない。
このことは、無理な行動を取ろうとする我執からは解放されているといえるが、まだ頼みとするものを残している、
つまり吹く風に頼っているのである。そもそも天地の真正な働きに乗じて、「陰陽(いんよう)風雨(ふうう)晦(かい)明(めい)」六気の天候変化と融合する。
そうして限界のない、無限無窮の世界に遊ぶ者は、何かに頼るということがあろうか、
いや何も頼まず自由でいるのだ。
よって、「最高の境地に至る者には利己的な私心がなく、
神人(しんじん)は俗世間で褒(ほ)められるような功績とは無縁で、
聖人には俗人が求めるような名誉がない」
といわれている。

【お話】
「風が変わる十五日」とは、中国の戦国時代(紀元前403年~紀元前221年)に生じた「二十四(にじゅうし)節気(せっき)」の考え方に基づいています。
一年を春夏秋冬の四季に分け、さらに一つの季節を六つに分けて、6×4=24の「季節」に分けました。
これを「二十四節気」といいます。

そうすると「一気」とは365÷24=15,2083(・)で、ほぼ十五日ということになります。これはちょうど月の満ち欠けにも対応しており、新月から満月に十五日、満月から新月に十五日、というサイクルともリンクしていますね。
月の運航と気候の変化とがこんな風に一致しているわけです。

二十四という数字は、一日の二十四時間とも一致しますが、こちらは月の満ち欠け三〇日を一つの周期として、それが十二回で一年になるという事実から、
一日の昼を十二時間、夜を十二時間で表現し、合計二十四時間になったとのこと。

私たちの生活のリズムを示す様々な数字は、決して人間が勝手に決め付けた数字ではなく自然が示してくれたものであるわけです。こうした自然のリズムに即した生き方が、「天地の正に乗じて六気(自然界の六つの元気)の弁(変遷)に御し(融合し)」たものであり、「無窮(の宇宙)に遊ぶ」ことになるのだと、古人は直感していたのです。

これは風の運びの様な何かを「待つ」ことでもなく、ことさら主体的に「行(ぎょう)」を行使することでもない、

つまり受動的消極的他力本願でもなく、能動的積極的自力本願でもない、こうした二項対立以前の未分化な宇宙の摂理そのもの、「道」そのものだということなのでしょう。柳(やぎ)生新(ゅうしん)陰流(かげりゅう)兵法(へいほう)の「懸待(けんたい)一如(いちにょ)」という言葉を思いだしました。

「懸(けん)」とは「懸(か)かる」つまり攻撃することで、「待(たい)」とは静かに待つことです。身体は「懸」、心は「待」で、敵に「先」つまり先制攻撃させることでかえってこちらが勝つ極意だとか。

これは元メジャーリーガーのイチローのバッティングの極意「手を出すのは最後」ということとも通じるのでしょう。

『荘子』のここの文章のテーマが「懸待一如」だとしたら、それは「敵に勝つ」とか「ヒットを打つ」とかの目的を持たない、宇宙との一体を言うものなのだろうと思います。
「至人は己なく、神人は功なく、聖人は名無し」にそれがあらわれているようです。

そのような境地に到達できたとして、「それが一体何になるのか」といってしまえばそれまでですが、人間存在のありようがどこまで拡大拡張し得(う)るものか、
試してみたり努力してみたり、そのこと自体を楽しんでみれば、何か新しい知恵や可能性も生じるのではないでしょうか。

役に立つかどうかは別としても、退屈な人生ではなくなるでしょう。
08:30 ソルティ
身体は「懸」( 攻撃すること )心は「待」 ( 静かに待つ ) 何だかいい感じ。 攻撃とあるけど、何か行動を起こしてみるというように解釈して、 その時に、こころはいつも冷静に状況を判断する。というようにとらえてみました。そして 次は逆に、うちに入って、体を 待 にして 心を 懸 動かして っていうか、動く(いた)心をみつめてみる。というようにしたらいいのかな?と思いました。



12:42 虚空
最も大切なのは、「荘子様の教え」をこのようにあれこれと違った角度から解釈してみて、いろいろと試すことかもしれないですね。そして「どれにすべきだ」というのではなくて、臨機応変に対応できる知恵を蓄積しておく・・・。

「母国語教育」を重視する立場でいながらも、家庭教師としては中高生に英語を教えることもずっとやってきましたが、それが「母国語教育」をより深く扱うために役立っていると思い当たることもありますから。

 普段考えていること、信じている事、当たり前と思っている事・・・それとは違うことや真逆のことを時折ちょっと試してみるとかも、たまーにやってきました。

それで全く想定外の世界が取り込まれた・・・なんていうことの大きな一つが今風のアニメを観るようになったことですね。数年前までは拒絶すらしていたのに(笑)

23:45 ヒマワリ
ダンデリオンのこうゆう話、好きだな。

まえ数字の本コンビニでパラパラ読みしたことあったときの話したじゃん。
0は永遠に0なのだ、0が1になったり、2になったりしないって。
その本の中に、12ってゆう数字のことも書いてあった。
時計の針が指す時間も12、1年も12ヶ月、干支も12、あと昔の時代の十二単とか。
我々は12とゆう数字に守られてるだかなんだか守られてるじゃなかったかな?なんかまあそうゆう人生に関わってるてきなこと書いてあって「ほぉたしかに!」と思った記憶があるのだ。

誰が決めたんだか言い伝えだか知らんが、そういうものってここ最近の駿煌会やり取りの中でほんと宇宙やら自然やらから来たもんだと思う。

むかーし何かで「畳のヘリを踏むな、神様がいるから」って小さい頃おばあちゃんに言われた。それは畳が痛むからっていう理由なだけだったけど、自分の中に積もっていくものなんだよね。
ってゆうセリフがなんか思い出された。

誰が見てるとかじゃないけど、自分の中に積もるもの。
お天道様は見てるんやでってゆうのだよねって思った。




2019.06.12 水曜日
08:13 虚空
読んでいていろんなことが思い出されました。

これまで印象的に心に残っている日の出や夕日の思い出をはじめとして、数字にゲンをかついだような時のこと、それからばあちゃんに幼い頃に聞かされたいろいろな話。
そういった蓄積が今の自分の全てになっているわけだよね。


最初に勤めていた小学校時代に「国際教育研究協力指定校」になって国際教育に携わった時、上原先生に相談したら「おうち」「ふるさと」「世界」という題名での作文と共に、それぞれの言葉で思いつく漫画や物語やアニメなどを書きだしてもらうような調査をするといいのでは、という助言を頂いたことがあります。

どちらの調査も全校児童でやったのですが、アニメなどの調査の集計は時間がなくてできませんでした。

ただ、こういう調査を何故上原先生が提案したのか、というのもこの数年アニメでのやりとりをしている中ですごい視点だったんだなと思います。
あの時の調査・・・我が家の書庫の腐海の森の中に今でもうもれているハズなんですが・・・・
 昨日たまたまテレビをつけたら「別居している場合、自分の両親とあとどのくらい直接会う時間が過ごせるのか」という特集の途中でした。それに関してホームページの方に書いた文を、転載しておきます。(最近いろんな番組でとりあげられて話題になっているそうですね)

自分の場合は両親ともいなくなっているので、知り合いと会える時間、という意識になります。
参考サイトの一つ
https://j-town.net/tokyo/column/allprefcolumn/289907.html?p=all

私などは特に退職した平成8年以降、こうしたことを意識するようになりましたね。担任後の教え子などのことを通して。ほとんどの場合は先ず顔を合わせることはありません。クラス会だのというのも私の場合はなかったし。(小学校時代のクラス会というのは一般的にもほとんどないですからね)家庭教師をするようになっても、縁あってその後も年に数回会う事ができることがあっても、それは例外中の例外。

また会える場合といっても回数にしたら「あと数回?」・・・ましてや今回話題になっているように、回数ではなくて日数に換算したら、ほとんどの場合は私の残された生涯の中で一日にもならないと思います。

そうしたことを非常に強く意識していたから「おもてなし」の精神を磨き上げた「茶の湯」の世界では「一期一会」ということを大切にしていたんでしょうね。

私のように何度も「命の危険がある」なんていわれたことがある場合もですが、年齢を重ねるごとに「あとどのくらいこの人とやりとりできるのかな」とか、家庭教師の仕事で進学や卒業に伴って教えるのが終わりになったときには「もう会う事はないんだろうな」ということはかなりの現実感を伴って考えてしまいます。

ましてや年配者の方々などはシビアな問題ですね。

そうなってくると「回数」や「トータルの時間」ということだけでなく「時間の濃さ」が重要なポイントになってくるのかもしれません。たとえ時間的には短くても、そのときに共にすごした時間が「意識世界に残り続ける」ような感覚になれること。

今の自分は、時間的には家庭教師の時間もほとんどなくなっていますが、単に点数指導というだけではない、「いい時間」を過ごせています。また昨年結成したグループ同士でも「濃い時間」を時折持つことができています。それが残りどのくらいの時間になるかといえば、それほどにはならないんだと思いますが、でもそれが物理的な時間以上の意味をもってくれていることは確かです。

09:20 ソルティ
*「 ふるさと 」で思いだした。次の詩
確か?高校生の時に御習いしたと思うのだけれど。。。
*ふるさとは遠きにありて---室生犀星*
 ふるさとは遠きにありて思ふもの
 そして悲しくうたふもの
 よしや
 うらぶれて異土の乞食となるとても
 帰るところにあるまじや
              
 ひとり都のゆふぐれに
 ふるさとおもひ涙ぐむ
 そのこころもて
 遠きみやこにかへらばや
 遠きみやこにかへらばや
         [小景異情ーその二] より
実は最後の二行の解釈がいまだにわからないんですよ。これって どのように訳すのですか?


・・・・・(改めて実家にかえって)父の魂を弔いたいと思う。まあ姿はなくなっているけれど、魂はお盆に戻ってくると思っているのでね。そういう意味では、いつでも会えるのだろうけれど。しかし、一言でもいいから感謝の気持ちをのべておけばよかったな~とは思う。
・・・・・


16:20 ヒマワリ
私のママの実家は秋田県で遠いので、やはり数年に一度しか帰れません。
秋田に行きたがる孫の私と姉ちゃんとは違って、娘であるママはそんなに実家に帰りたがらないとゆうか…。
ママがまえにポロッと「秋田に帰るとさ、あぁこれが最後かな…って思っちゃうのよ」って言ったことがありました。
そんな気持ちがあったのかと…。
あまり秋田には帰れませんが、姉ちゃんの子ども達の写真はよく送るので、そのときに私も手紙を書いてます。
ママも一言メッセージを添えたりして。
秋田のばぁに「ヒマワリちゃんだけよ、孫で手紙をくれるのは。」って言われたのが嬉しかったなー。
ひ孫が生まれて、私の孫としての存在薄くなってる気がしてましたが(笑)うひひ。
これからも手紙を書くのだ。


16:22虚空
(ソルティさんの質問に対して)
フト思い出したのが、宮崎駿監督が「脚本」を担当したアニメ「耳をすませば」の挿入歌「カントリーロード」の歌詞です。
このサイトに原曲とアニメでの歌詞の根本的な違いについて考察されています。
特にポイントとなるのがこの部分
どんな挫けそうな時だって
決して 涙は見せないで
心なしか 歩調が速くなっていく
思い出 消すため 

カントリー・ロード
この道 故郷へつづいても
僕は 行かないさ
行けない カントリー・ロード
カントリー・ロード
明日は いつもの僕さ
帰りたい 帰れない
さよなら カントリー・ロード 

「現実・非現実」 ⇒ 「超現実」、とか、本来エネルギーを蓄えて飛躍するのが「お籠り」だったのが、「引き籠り」では真逆のことになってしまっている、等々のことと「ふるさと」意識のあれこれがつながって感じれました。

⇒wiki
日本語訳詞を手掛けたのは鈴木敏夫の娘の鈴木麻実子で、宮崎駿がそれに補訳している。鈴木が「ひとりで生きると 何も持たずに まちを飛びだした」と訳したのを宮崎が「ひとりぼっち おそれずに 生きようと 夢見ていた」と変更案を出し、鈴木の訳を支持した監督近藤喜文と宮崎は対立したという[2]。



16:29 虚空
「引き籠り」とかとの関連でもう一つ。
ゆうべ放送されたNHKプロフェッショナル 「笑顔に、笑顔は集まる~メイド・hitomi」 を先ほど視聴したのですが、先日のカリスマ美容師とは違った意味で、非常に含蓄ある内容・・・その仕事に限らず、多くの現代人にとって示唆されるような内容がいっぱいでした。

この番組もカリスマ美容師の時のように文字起こししようと思っていますが・・・・



16:30 コバルト
率直に感じたことは現実的(肉体)には故郷に行けなくても、せめて心(精神、魂、多分生き霊に近い種類)だけでも故郷に帰ろうって感じがしました。
またよく昔は虫の知らせとか聞きましたけど、臨終間際の方々にはそういったメッセージを送る事もきっと出来るのだと思います。
スピリチュアルメッセージですね。



16:39 虚空
秋田のことへのお母さまの心情も、手紙をかいているあなたの気持ちも・・・どちらもグッと胸に響いてきます。
私の父などは、退職後すぐに出家してしまって、ほとんどこちらには居場所を知られない生活。数年に一度、向こうから一方的に手紙はきましたが・・・・。基本的には、目に見える存在としての自分には頼るな・・・内なる自分と対話していけ・・・という考えに徹していたということです。
だから母が他界したあと、本当に久しぶりに父から電話がかかってきた時にはビックリです。もう生きているうちに話ができるとは思っていませんでしたから。あといよいよ危ないという時に、お世話をしてくれていた方の一存で知らせを受けて、病院にお見舞いにいったときも、もう二度と会えないと思っていたので・・・・

ただ、気管切開されていたし、ほとんど体が動かせない状態だったので会話も筆談もできませんでしたが・・・・でもこちらの顔をみて私の思いがけない出現にビックリした表情をみせたあと、涙をこぼしてくれていました。
それが生きていた時にみた父の姿の最後。
16:58 コバルト
https://youtu.be/dFO3auZeP5g


17:02 虚空
こういうこともあるんですね・・・

観ながらフト思い出したのが通称「聖良さん」のことです。
ヒマワリフクロウさんの家庭教師の時間に、ある期間・・・ずっと参加していたとしか思えないことが多々ありましたから・・・



17:51 ヒマワリ
じぃとばぁを、こっちに連れてきて一緒に暮らせばええやんと言ったときもありました。
それこそ元気でいられなくなるってママに言われました。
(ずっと暮らしていた土地の)海が家の目の前にあって、じぃは88歳になった今も船に乗って海へ漁に出ているし、ばぁも網にかかったサザエ取ったり、仕事してます。
それでこそ元気でいてくれるんだなって。
同じ空の下、元気で生きていてくれることを願うばかりですね。
このラインを打ちながら、より一層じぃとばぁを想いました。
先生がお父さんと最後に会ったとき、手を握りながら話したって言ってましたよね。
先生の言葉への反応が感触であったり…とゆう。
小さい頃は、なんの恥ずかしげもなく手を繋いで抱きつけた父親に、あと何回触れることができるだろうと、ふと思うときあります。

1ヶ月くらいまえに、パパの耳掃除してあげました。
パパ耳かきしてあげるよって言ったら「ぇえ??」って感じでしたが、終わったあと、「人に耳かきしてもらったのなんか何年振りかなぁ…」って言ってたので、またチャンスを伺ってやってあげたくなりました。



17:52 ヒマワリ
聖良さん、今ごろ何してますかね。



17:54 虚空
きっと次の段階にのぼっていると思います・・・そういう意味では、あの時、何度もあの授業に参加していた中で、この世に残していた未練を断ち切れたのかもしれないですね。



17:56ヒマワリ
それは嬉しい限りですね。
目に見えないもの、私たちの想像でしかないもの、それでもこの世にきちんと在るものですし。
令和ですな。



17:56 虚空
よく諷虹君との間で話題になる漫画で「自分として生きる」とはどういうことなのかを問われる内容のがあります。
そういう点から考えても、基本的には地元で生きることを尊重できるうちは尊重したいもの、ということなのでしょうね。
 教え子とかで他界してしまった子が何人もいるわけですが・・・聖良さんは未練が一番強かったのかもしれません。
でもその未練を断ち切る場として、例えばあの当時は多くの家庭教師の時間をもっていたけど、ヒマワリフクロウさんとの授業の場を選んでくれていたというのがね・・・・。


18:02 ヒマワリ
(生前の)聖良さんのことはまったく知りませんでした。
記憶ないですね、うん。
先生から聞いた話でしか記憶ないですし。
選んでいただけて光栄ですね。
別に全然怖いとかなかったですし、むしろ面白いくらいタイミングよくラップ現象するんで楽しい記憶しかないです。



18:08 虚空
本当にあのラップのあいづちはすごかった・・・二人で「鳴るよね」って顔を合わせた瞬間「パチッ」いうことも何度もあったしね。

あと、どこも開いていないのに違う温度の風が吹いてきたり、私のすぐわきに違う温度の塊のエリアがでてきたこともありましたよね。
それであなたが温度の境目のところを手で確認していったら・・・・なんて。

本当に「怖い」思い出ではなくて「一所にすごせていた楽しい思い出」

「怖がらせたら申し訳ない」という想いはあったでしょうから・・・この二人なら怖がらずに、目に見えていた存在の頃と全く変わらずに普通に受け入れてくれると思ってくれたんでしょうね!


2019.06.13 木曜日
07:33 ソルティ
ヒマワリちゃん、コメントありがとうございます。ヒマワリちゃんのお母さん、おやさしいですね。だからヒマワリちゃんがやさしいんだな~と思いました。
おじいちゃんやおばあちゃんも生きがい(お仕事)があっていいな~と思いました。天職を得るっていいね。

コバルト君、コメントありがとうございました。
率直に感じたことは現実的(肉体)には故郷に行けなくても、せめて心(精神、魂、多分生き霊に近い種類)だけでも故郷に帰ろうって感じがしました。
・・・なるほど、心は自由ですからね。色々な解釈ができるのだな~と思いました。
 解釈って 色々できるんですね。再びあちこち(犀星さんを語る)サイトを覗いてみて 昔の自分のひっかかり(この詩に関する)とふるさとへの想いなんぞを確かめてみたいな~と思いました。

話は カントリーロードの解釈にも関わりますが、「 うつろな愛 」という外国の曲があって、それを日本語で歌った人がいて、懐かしいな~と思って英訳をみたらげろげろと驚くような内容だったことがあって、和訳したひとはすごい!それから、外人さんはよくこんな歌うたうな~と思ったことがありました。


08:20 虚空
言語と日本語の訳の違いって歌なんかでは相当あるようですね。
西城秀樹のヤングマンもけっこう違うというのを聞いたことがあります。
08:21 ソルティ
和訳をしたひとは、すごいな~と思ったよ(NHKで歌われていた)
 ご参考までに
https://ladysatin.exblog.jp/30425488/


 これって 前も書いたっけ?「うつろ」「虚」というという言葉の意味から。。。


 何回もくりかえしていたらごめんしてください。ただ今 昔の自分を掘り起こして N(ニュートラル) → ZERO にする作業をしています。



08:41 虚空
現在、体調の関係でちっちゃい字を読むのがかなり困難なので、丁寧に読むことはできませんでしたが、最近諷虹君と話題になっているアニメとの関連があって「片目で」という部分に意識が向きました。

例えとしてとらえた時にも「片目」と「両目」での違い

「夢かうつつかまぼろしか・・・」なんていう観点も「うつろ」「虚」というのと関係は深いだろうし・・・

ZEROにするというのも、先日のNanba先生をまじえてのやりとりで諷虹君も再度強調していました。



08:47ソルティ
ZEROはね、HOの目指している所で、記憶を消してZEROになった時に、神聖なる存在から光がおりてくるらしいので。。。ならば やってみようじゃないの~とは思いますが。。。
現実はなかなかね。ニュートラルにすることさえ難しいわ。



08:50 虚空
自分を「うつろ」「虚ろ」「虚」にする・・・が神話的な言い方だと「黄泉の国」(世見の国)を通過することで、現実的なことをふんだんに経験をし、その上で「禊」をしてすべて捨て去って、体を洗い清め「目」を洗った際に天照大神たちが生まれた・・・

「器化」だと思っています。

ポイントは「黄泉の国の段階を通過」っていうところなんでしょうね。現実的な(目に見える世界のもろもろ)で、一旦は自分を一杯にした上で、空にする。

最初の国産みでも「うまくいかないかもしれない」とチラッと思っても、まずはやってみる。で、失敗の体験をして、そこから原点に立ち返る・・・というように描かれている。

純粋を大事にするというのは、「純粋培養」のように汚れた経験を一切しないで、綺麗なものだけを自分に取り込もうというのとは根本的に違う。

父の言葉の受け売りですが、それは日々私達が食べ物をとっているのと同じことだと。栄養素だけをとっているんじゃなくて、栄養素以外のものをたくさん含んだものを食べ、それを消化(元形を消し去って)、自分の中で必要なものとそうでないものを分離して、吸収・排泄をする

よくコバルトブルー君が使う「蓮の花が泥の中から咲く」もそうでしょうね。「泥」と呼ばれているものから吸収して「美しい花を咲かせる」

駿煌会で、ジブリなどの高尚なアニメ以外のを積極的に話題にするのも、上原先生が歌舞伎を素材にするのも同じ構えだと思っています。



09:16 ソルティ
泥の中から 蓮。 どろどろの、混とんとした世界で右往左往することこそ大事なんですね。 だんだん やさしさ っていうものに近づけたらいいな~と個人的には思う。
歌舞伎は 今は 高尚な世界のように思えるけどね。一度は観に行ってみたいとかいいながら出かけていないな。



2019.06.14 金曜日
23:54 虚空
今日の諷虹君とのやりとりで後半に「ふるさと」「おうち意識」の話になりました。
やりとりのごく一部です。
諷虹 ラインでソルティさんが「ふるさと」のことを話題にしていたじゃないですか。で、あの「ふるさと」の歌の出だしも
「うさぎ追いしかの山 小鮒つりしかの川」
虚空 「山」と「川」だね。咲の麻雀の話が最初に出た時から話題になっていたことだよね。
「ふるさと」歌詞
兎(うさぎ)追いし かの山
小鮒(こぶな)釣りし かの川
夢は今も めぐりて、
忘れがたき 故郷(ふるさと)
如何(いか)に在(い)ます 父母
恙(つつが)なしや 友がき
雨に風に つけても
思い出(い)ずる 故郷
志(こころざし)を はたして
いつの日にか 帰らん
山は青き 故郷
水は清き 故郷
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☆児言態50周年の時の駿煌会メンバー発言記録 & それに関してのラインやりとり

昨年10月27日の集まりでの全体会記録のうち、駿煌会メンバーが発言した部分のテープ起こし記録とそれに関してのラインやりとりです。


こうした発言の場があるというのは当初予定されていなかったので、いきなりマイクを持たされて若者メンバーはかなり緊張しつつも、興味深い内容の発言をしてくれました。
(固有名詞は駿煌会ニックネームにかえています)
2019.06.11 火曜日
18:44 虚空
昨年10月27日の児言態50周年での全体会で駿煌会面々が発言した部分の文字起こし&加筆訂正版ができあがりました。
その後のいろいろなやりとりを踏まえて読み返すと、あの時とはまた違った趣で受け止めることができる内容だと思います。
新たに読み返して感じた事とか、さらに考えて観た事がありましたら、自分の部分に限らずこのラインにお寄せください。



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★虚空
 あ,すみません,私の関係者で,せっかくちょっとこう立って…,さらし者にするわけではないんですが・・・。彼は免許が中学・高校の数学しか持ってないので,数学の専攻,去年,聖徳の授業を数学の授業を見せていただいたのですけれども,でも今日の会に是非出てみたいと,懇親会にも出れると思うので是非,つっついてほしいなと思います。


あと今一人を呼びにいったほうが,彼のほうはまったく教師と関係なく,私が小学校2年生,3年生のときに担任して,それから中学校とか社会人になってから家庭教師とかいうことでいまだに関わっている男なんですけど、彼はまったく教育,関係ないですから,建築業ですから。でもやっぱり好きなのです,こういう話が,児言態の話,それで今日,やっぱり懇親会に。


それからトイレにいっているという女の子も教育ではなくて福祉関係なのです、本当は。でも本当に児言態というか心意伝承の話をするのが大好きで、,それでこの夏休み,駿煌会(シュンコウカイ)という怪しげな団体を立ち上げてアニメを通じてやろうと。


19本号の原稿の最後のところに駿煌会の紹介がありますから,もしよろしかったらアクセスを。まだアニメの感想ばかりなのです。でも若い人的にやっぱり上原先生とか,こういう心意伝承の世界を知ってほしいということで・・・


★諷虹
 今,ご紹介にあずかりましたように私は中学校1年生のときから虚空先生に家庭教師として,もう25歳なので12~13年間教わっております。

それで本当に,最初のほうはそれこそ学校の数学の授業をやったりだとか英語とかあったのですが,私はドンドン専門のほうに進んでいきまして,高専のほうに進学してからは,大体,数学の,何て言うか,教えてもらえるということがなかなかできなくなってしまって,それと二人で一緒に考えるというような時間がすごく長くて,それで今も週2回,家庭教師の時間というのはあるのですが,そうなったらやっぱり,何でしょう,常に教わる,教わらないというか,教え合うようなそんな関係性になっていて,それでその中で児言態の用語だったりとかを授業の中ですごく言われたりとかして,それでそこの毎週のやり取りが何か児言態の論文のほうに何か引用されたり,いつの間にか首を突っ込んでいたというようなそんな感じなのです。

それで,そうですね,今日,Nanba先生のお話なんかを聞いて,本当に自分が今までやってきたことが俯瞰(ふかん)的に見えるというか,どういうふうな位置付けにあるのかというのがすごく理解できて,今日がスタート地点ということがありましたけれど,本当に何か今日からまた違った視点で考えていけるのかなというふうに思っています。

そしてあと今日の授業なんかも,Nanba先生のお言葉で失敗が起こると成功だというふうにありましたけれども,やっぱり考えて考えて考え抜いた想定を超えた,だから想定外が出たら授業は成功なのだなとかそういうふうに思ってですね。それで私は最近,教員のほうに進もうとかと思ったけど,ちょっと悩み中なのですが,そういうふうに今後どういう道をたどるにしても何か今日,学んだことだったりとか,今まで学んできたことを実践していけたらなと思っております。
 ★コバルトブルー・・・(  )内の補足は本人によるもの
虚空先生の教え子のコバルトブルーと申します。

今日の授業を参観して・・・どんどん自分も発言したかったです。絵とかを出された時も、夕日の絵とかも出ていましたけど、自分はもう・・・(瞬間的に見た姿として)現象的には夕日と朝日とは(見え方は)一緒なわけですから(立ち位置、時間帯が違うだけ)立場をかえていったらどうなるんだろうな、(要はあの絵は朝日の風景に見ることが出来るし、夕日の風景という重なった状態で見る事が出来る)とか。一つ一つ感想は(ノートに)書いてあるんですけど、いろんな言い方をしていて・・・子ども達のがっちりした位置づけを壊していく発言をしてみたかったな、と思いました。(絶対正しいを破壊して、一人一人の意識に疑問「可能性」を持たせる)
自分は先生という立場では全くないので、「生徒」としての立ち位置でみていたんですが、こういう風に掘り下げて掘り下げていくこういうい瞬間がいいんだろうなと。そういう瞬間って、自分はあの世的(0か1ではなく0と1どちらでもある状態、重ね合わせ)なところにという感覚があるんで、そういう感覚に包まれていて・・・まあ、死んでも後悔はないな、と(笑)
そういう体験もしてるんで、こういうのが広まっていけばいいなと思いました。

★ヒマワリフクロウ
ヒマワリフクロウです。今日はこのイベントに参加させて頂きありがとうございます。

午前中の授業は私も生徒と一緒に参加しているようで、すごく引き込まれる授業でした。私が育った学校も聖徳のように自分が自由にだせる世界だったので、懐かしい気持ちと共に見ていました。

虚空先生とは私、学校で教わったことがなくて、家庭教師で一対一だったので、聖徳の子たちに私も交じって「たくさんの生徒 対 虚空先生」の授業も受けてみたかったなーっていうのも感じました。

(授業者の)先生の質問に私も生徒の一員になって考えようとしていて、「共鳴」は私も熟語では出なかったですけど、コバルトさんが「『垣間見る』じゃない?」って言ったり、私も「『凪』じゃない?」って言ったり、あれこれ考えたりして・・・風とかが止まる瞬間とか、古池や蛙飛び込む水の音みたいにシーンとなった瞬間に趣きを感じるのかなーと・・・そんなことを考えたりしていて楽しかったです。ありがとうございました。



2019.06.09 日曜日
23:57 コバルト http://sho-washizu.info/sunrise-set/
 一応それらしいサイトがあったので送ります。


2019.06.10 月曜日
07:08 虚空さっそくありがとうございました。
このサイトの方もふれていましたが、光線の成分としては同じものが、朝と夕方の大気の状態によって人間の知覚には違うように見えてしまう・・・・そんなところも「感覚の差による意識世界の違い=世界定めは個々人によって違う・・・ということの一つの例といえるでしょうね。
2019/06/10 (月) 16:17  
ヒマワリ
いやぁ…あのときは緊張もあって、全然喋れてないなーと、こうして読み返して思いました。
伝えたいことの1割も伝わってねぇだろこれじゃって思いました。

虚空先生やNanba先生はしっかり傾聴してくれますが(他にもそんな構えの先生が居たら失礼)、小中コンビに伝えるにはもっと分かりやすく噛み砕かねばダメではなかろうかと後悔。
富士山エピソードを改めて読み返す中で、自分の中にあったものを再確認できて嬉しく思います。
13:08  虚空 
少し前に諷虹君と話題にしたインフレーション宇宙論・・・完全な「真空」だったからこそ、この大宇宙が生まれた・・・というような事を踏まえた上で、この感想を読むと、「止まる瞬間」「シーンとなった瞬間」というのには、単に「趣き」を超えることが隠されているような気がしました。

完全な「静止」ではなく、動いていたものが止まる瞬間、っていう感覚に秘められた秘密。
23:30 ヒマワリ
そうなんだ、朝日と夕日。
光線の世界か。
こっちの世界には情が入ってくるからなー、単に色の違いとかだけじゃないよね。
登ってくるものに何を感じて、沈むものに何を思うか…みたいな。

君の名は。のカタワレ時とかもさ!日が沈む瞬間…
あー、表裏一体てきな。
あの瞬間はやっぱ瀧くんとみつはが重なったんかな、X軸とY軸が交わったみたいなあの錯綜感。

上も下も朝日も夕日も関係ないのか。ぐるぐる。

☆「咲」やりとり から 「子どもは 現実の向こうに神をみている」

先日アップした会合やりとりからちょっと時間が遡っての「ラインやりとり記録」その③です。

英才児の話や、上原先生の息子さんから寄せられた先生の言葉などを通して、「子ども」が大人たちや世の中に対しての「ライフインデキス(生命の指標)」にどうして成り得るのかということに関するやりとりになっています。

2019.06.07 金曜日
23:01 虚空
 それに関してですが、まさについ先ほど諷虹君が英才児に関して発言したことのやりとりです。

諷虹 そういう意味で英才児って、小さい子が知識がなくて自由にイメージすることで時に深いところに到達するんじゃなくて、知識を持った上で、その持ってる知識とか学問ではどうにもできないような深い領域に直接イメージでショートカットするような感じ・・・
大人の学者とかではセオリーに囚われすぎて到達しきれないような領域まで深く進んでいけるような・・・若さみたいなのも同時に兼ねそろえている・・・英才”児”だけに

虚空 まさに「超現実」の生き方だね。

諷虹 めちゃくちゃ現実的なプランを組んでいて、どうしても実現不可能なところだけはドラえもんの秘密道具を使って・・・みたいな荒唐無稽というか、突然非現実を織り込んでくるような

虚空 これって、やっぱり大前提として「潜在世界を手放していない」からだよね。手放していたら「そんなの在り得ない」「みえることだけが現実」ってなっちゃうから。常識に縛られるのはその典型。

でも、古の日本人のように、そうでないところに真の世界を見出している・・・それが直感できるから、知識や学問で網羅できない深い部分にもイマジネーションの力でどんどん踏み入っていくんだろうね。



23:14 ヒマワリ
イメージ力…夢の世界…

若い時に比べるとさぁ、ほんっと囚われてる。
つまんない人間になってってしまう。。

妄想しないもん、想像もしなくなった。
頭の中で考えることが現実的なの、悲しい。
四次元、五次元に頭が飛ばなくなっちゃったなぁ



23:18虚空
 そこなんだよね・・・そんな時期があるからこそ、本当の意味で超現実に飛躍できるのではないか・・・妄想も想像もできない時が、真の「お籠り」・・・それを突き抜けた先に「甦りが来る」それが神話にもあらわれていると・・・。それが今日の諷虹君との柱になっていると思います。



23:19 ヒマワリ
 ほぉ…深けぇ…



23:20 虚空
こんなやりとりもありました。

 諷虹 神性と野生でしたっけ・・・分母分子のここらへんで・・・さっきの山の奥地とか、宇宙の果てとか、人知が及ばない部分っていっても、人知が及んでいる部分がはっきりわかるから、及んでいない部分が分かる。
虚空 それもさ、黄泉の国を突き抜けての禊、とか、熊野の六道図のような構造とかと関係ありそうだね。現実を十分に踏まえてこそ突き抜ける境地。
(この続きが先ほど紹介した英才児の話につながっていきました)



23:23 虚空
つまりは、頭の中で考えることが現実的なの・・・と悲観していることを自覚できている時点で、復活の時は近い!
っていうか、駿煌会のラインややりとりの時には、ちゃんと復活しているもんね、とっくの昔に。
それを土曜日にはNanba先生も感じて下さったんだと思います。
まさかヒマワリフクロウさんだけ「現実思考」で一人だけ浮いていたとでも思ってますか(笑)


23:28 ヒマワリ
そっか!!!嬉しい!!!
いやそうなんだよね、この場で現実思考だとかどうこう考えたこともなかった、素だわ。
たしかに土曜日も浮いてるなんて一瞬たりとも思わなかった(笑)
むしろ溶け込んでたわい(笑)
現実的思考だろうと非現実的思考だろうと私は私なんだけども。
むむーーー行き来。

天と地、行ったり来たり。
構えのギアチェンかー



23:40 虚空
それこそさ、駿煌会でのこうしたやりとりとかではこんな私でも、一人でいる時には現実に押しつぶされる寸前の陥落状態であることは、この前もさらけ出してしまっているよね。
日々の大半の時間は、やはり私も夢も希望もない現実モードですから(苦笑)
2019.06.08 土曜日
09:50 虚空
 上原先生の息子さんが、駿煌会ツイッターをフォローしてくださったのですが、このようなコメントを寄せてくださいました。
楠木には宿る神がいる。
…と言いながら孫を膝に乗せて「となりのトトロ」を
飽きるほどに何回も
観て感心していました。

『子どもたちには幻が見える、それは大人にとっては幻だが子どもたちにして神の存在の現実に他ならない。』

『大人はこの世界が現実だと思うが…』



 2019年6月6日
10:28 虚空
 このところ諷虹・虚空のやりとりは「量子論からみた 咲 」のことばかりですが・・・その発端となった5月3週目のやりとりをブログにアップしました。

「量子論」の話から何故これが飛び出してきて、何故二人がここまでこだわっているのかについて、分かると思います。
もちろん例のごとく、読むのは大変な分量ですが・・・・
ツイッター記事
・このところ諷虹・虚空の二人は顔を合わせれば女子高生たちを主人公にした麻雀漫画(アニメ)である「咲 -Saki-」を通して、様々なことを考察しています。これを紹介してくれたのは麻雀にも詳しい諷虹君。
ちなみに私(虚空)は全くといっていいほど無知です。
このきっかけはなんと「量子論」です!
・そもそもはNHK番組での「量子論」を視聴しながらの5月24日のやりとりからでした。ブログアップその①は、量子論と上原先生の師匠である郡司正勝先生の説く 「江戸庶民的発想」との共通性についてです。これがこの先、ずっと根底にあるとお考え下さい。  http://syunkoukai.edoblog.net/Entry/341/ 
・「量子論」からのやりとり② ここで「麻雀漫画(アニメ) 咲 -Saki-」初話題です。どういう点で量子論との接点があるかという話題とともに、「真剣に遊ぶ」ということを上原輝男先生の語録「遊び」の本義から考察しています。麻雀だけでなくすべてに通じる事として  http://syunkoukai.edoblog.net/Entry/342/ 
・量子論やりとり③ ここからは26日になってのやりとり記録です。「咲」の事を通して日本人はもともと「二極構造以上をつかまえる」ことを得意としてきたことなどが語られています。「二極」といっても焦点になるのは2つの点ではなく、両極の間をつなぐ「無限」です。  http://syunkoukai.edoblog.net/Entry/343/ 
・量子論やりとり④は 「咲」の外伝作品にみる「鳥瞰視点」「ぼんやり時間」。ここでのポイントは、単に岡目八目のように状況を客観視するという意味での鳥瞰(俯瞰)ではなく、むしろ高い視野から一見関係なさそうなものが沢山みえることが突破口になるという事です。  http://syunkoukai.edoblog.net/Entry/344/ 
・「咲」についてはその後もずっと再検討や考察が続いていますが、これも決して麻雀とかの興味でしているわけではありません。
上原先生が関心を寄せていたような視点での「人間理解」「世界認識」等々の、非常に分かりやすい素材となるうると考えてのやりとりです。
勿論作品そのものも面白いですが。



2019.06.09 日曜日
00:54 虚空
 量子論の番組の残り、やっと諷虹宅で視聴完了。今回みた部分のキーワードは「量子もつれ」
こんな学者の言葉があるのですが、二人ですぐにあのアニメを思い出しました。

コンピュータ―の中で使われている量子ビットがもつれると宇宙が生まれるという
「量子ビットを1本の糸だとすると、それが量子もつれによって複雑に織り合わさり、時空という布が出来上がるといういうイメージです」

04:51 コバルト
 https://singoutunilife.info/blog/?p=284


フラワーオブライフのもととなった蓮の花
フラワーオブライフは図形だけの意味で見ると、『円を等しい感覚で、7つ以上重ねて描き、調和とバランスが取れた、黄金分割の幾何学的な図形』


06:29 虚空
面白い(興味深い)サイトですね。
ピタゴラス学派の図形の性質に対する神秘性は有名ですが、こうした数学的な真理と「神」を結び付ける感覚は人類が古代から抱いていた心意伝承(元型)の一つなのでしょう。
そしてその抽象性を音声にまで拡張させたのが日本人の言霊信仰なのかな・・・なんていうことも思います。

この前のNanba先生の令和の話とつなげてみても、現代にまで脈々とつながってきている感覚。
なんだかんだ言っても、今でも「家紋」を大事にする生活を捨てていないというのもね。

以前、「古池や・・・」の切れ字について話に出たことがあると思いますが、あれが「古池に かわずとびこむ 水の音」だったら、かなり印象が違ってきます。外国人にとっては「同じ意味じゃないか」と思われてしまいそうですが。

そこが単なる意味情報の伝達ツールという側面以上の言語である日本語の大きな特徴であり、「響き合い」がちょっとした言い回しや話す時の語感によって極端に変わり得る難しさであり、面白さなんだろうなと。

だから面と向かってのやりとりが大事だし、そのような状態での母国語のやりとりが人間性を大きくさゆうする。



06:44虚空
 ということを改めて感じたのは、ゆうべの諷虹君とのやりとりで、ちょっと気になることがあって、咲の決勝戦、天江衣と宮永咲の対決シーンを4時頃からずっと観返していました。アニメと実写劇場版を見比べながら。

同じ原作だからだいたいセリフも似通っているのですが、ほんのちょっとしてセリフの言い回し、語尾、動作の手順で、かなり印象が違っている・・・それで先のようなことを書いた次第です。

 乳幼児の頃から英語教材ビデオ漬けにしているというのは、やっぱり怖いかな・・・・・

*ある研究では、生の人間が相手をした場合と、教材ビデオで勉強した場合とでは、言語の習得率が格段に違うという結果が出たんだとかいうのを以前テレビでみたことがあります。(録画しているのがどっかにあるはず)
今の風潮を喜んでいるのは業者ばかり・・・一番の被害者は子ども達。

07:31 ソルティ
 「 フラワー オブ ライフ 」 子どものころそれを書いて美しいな~と思った記憶がある。この円が二つだけのもの → ヴィシカパイシスって 高校の数学の教科書に載っていたと思うのだけど、Q何を学んだ時のものでしたっけ?

*魚の形って 手相を見る時にこれが出てくると吉みたいなこと この前手相を見る?さんがTVで言ってた。

*今年の 24時間TVのチャりTシャツ 嵐の大野君がデザインしたらしいのだけど、繋いだ手の上に色々なものが描かれている。その上に 蓮の花が描かれている。
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2019/06/08/gazo/20190608s00041000413000p.html
 赤ちゃんを守る 麻のはのデザインも ちょっと似てません?


08:45 コバルト
 只今我が家の周りでは沢山のカエルが鳴いています。
こうやって震え、振動がメッセージになっているのなら、もはやこれも言語でもあると感じている次第です。
また閑かさ、無言も一つのメッセージである事もあるので、振動ってかなり大事な部分ですね。
「嵐の前の静けさ」
暴風雨が襲来する前に辺りが一時静まり返るところから、変事が起こる前の不気味な静けさをいう。
あと津波の前のとか。
やはり「ふるえ」と「もつれ」が密接に関係しているんだと思います。
震え方一つでで形態が変わってしまうのですから。



10:04 虚空
 そうしたことがあるのは、やはり「生命力」が何らかの形で活動しているから・・・というのを痛感したのが、東日本大震災があった年の夏ですよね。

田んぼに水がはれなかったために、カエルが全く鳴いていなかった。あの時の飯塚地区などは家庭教師で出かけた時・・・特に夜だったので・・・本当に異様な感じを受けましたよね。

今は楓子君宅などに行くとカエルがにぎやかに大合唱しているので心からホッとします。

 算数や数学で図形をやる時にも、こうしたデザインの作図をいろいろと自由に考えて遊ばせる・・・なんていう活動をたっぷりとやってから行うと随分違うでしょうね。
テスト的な内容を学ばされても、きっと図形の性質を通して「神秘」と共鳴できる。

案外、学校でのそれまでの算数や数学が超苦手とか大嫌いとかいう子の方が、そうした本質的な共振を起せるように思います・・・これまでの経験から。
今の世の中、何でも狭い意味にかんがえすぎて、意識世界を広げるんじゃなくて、狭める(縛る)ため知識を学んでしまっているようです。



10:24 コバルト
視野を狭めてしまう【絶対正しい。】っていうのはもはや宗教なんですね。
教祖は絶対正しい。
神の経典は絶対正しい。
●●教の教えは絶対!
と言ってる信者と同じなんですよ。
これはものすごく知性がないんですね。



10:32 虚空
そこなんですよね・・・まさに。
そして「絶対正しい」と思っている人から見ると、それをさらに発展させようとすることすら「背信行為」と受け取ってしまう。
これは本当に愚かなことなんですがね・・・。

伝統を極めて重んじていると言われている日本ですが、あんがい「マンネリを神は喜ばない」という信仰も、もう一方では持っているというのが興味深いところです。

だから「守破離」なんてことばもあったわけですからね。
「絶対」と思って「固定」させたら、それはもう(言葉や物であっても)「生命感」を失っている状態!



10:55 コバルト
 まず絶対正しいがあるうちは共鳴共振は起きない。



11:49 虚空
 認める・受け入れる(添加する)そして「飛躍する」・・・かな????



16:46 コバルト
 ニュートラルの状態が大前提だと思います。
何にでもなれる状態って言うんですかね。
もっというと固定でもあってモヤモヤの状態でもある。
「守」ではなく攻撃の要素がある「護」。
と言うとエヴァでいうラミエルですね。
 https://youtu.be/4-q0q7cjQyw



18:55 虚空
この流れでラミエルが登場ね!
*超個人的な好みの意見ですが、ヤシマ作戦のシーンはテレビ版の方が自分は波長があいました。
たしかに劇場版は絵柄も演出も非常に凝っていますが(笑)
「攻撃は最大の防御」とは言っても、防御がしっかりしていなければ、穴のあいたバケツと同じだと私は考えています。



2019.06.10 月曜日
08:54 虚空
 あの土曜日の前夜に諷虹宅で行われたコバルトブルー君も交えてのやりとり記録をブログアップです。
あとなるべく早く、咲に関連したラインのやりとりもアップして・・・土曜日のやりとり記録のアップへとつなげたいと考えています。
まだ一行も文字起こしを始められないでいますが(苦笑)

☆「咲」やりとり から 「富士山擬人化意識」と「自ら生きる力」

先日アップした会合やりとりからちょっと時間が遡っての「ラインやりとり記録」その②です。

ヒマワリフクロウさんの高校1年生の時の「富士山」について語った記録が見つかり、それらも紹介しています。

そこから浮かび上がってくるのは「自ら生きる力に目覚めていくために大切なこと」
教育論として考えてもいいし、人生論として考えてもいいと思います。


2019.06.07 金曜日
18:18 虚空
忘れないためのメモ書き
*外伝主人公(穏乃)が修験道の山の中で自分の能力に目覚める場面・・・コミック・アニメ版
・「修験者が修行のために歩いた深山路、そこを修行ではなく庭のようにかけまわっていたという。」
「女の子が山を?」
「その幽邃(ゆうすい=景色などが奥深く静かなこと。また、?そのさま。)の地でひとり、しずのは何を感じ取ったのか」

・穏乃(あの頃――山の中で一人でいる事が多かった――
  だからこそ自分自身と言うものをハッキリと感じることが出来たし色々考える時間が出来た気がする
  いつか意識は自然の中に溶け込んで――深い山のすべてと一体化しているような。そんな気分になったんだ。
  今、牌の山も対戦相手も、あの頃の山のように感じる!!)
アニメではなかった劇場版の先生のセリフ 大将戦に向かう穏乃に
「シズ、10年前の阿知賀はこの準決勝をもえられなかった。
私にはこえられなかった山なんだ。
だから細かいアドバイスは出来ても、もうこの先の道のりを私は知らない。
ここからは私が導くんじゃなくて、みんなが歩いていく道。
山頂まで登ることがすべてではないし、山歩きにもいろんな楽しみ方がある。シズも無理せず楽しんできて。」
劇場版、穏乃悟りのセリフ
「子ども麻雀クラブのみんながバラバラになったあと、山の中で一人でいることが多かった。だからこそ自分自身というものをはっきりと感じとることができた。
深い山の全てと一体化しているような気分になったんだ。
それはきっと今まで出会った人たち、今目の前にいるこの人たちも一緒。
触れるほど私の力になってくれる。
そう、あの深い山々と同じで。」
先生(対戦をモニター観戦しながら)
「そっか、シズ。目の前にいるのは敵じゃないんだね。私がずっと恐れていた準決勝という山に・・・」



21:10 コバルト
 先ほどのサイトからの引用です。
特にお客さんへの応対、接客、商談、プレゼンなどの場面では、一生懸命ではなく「一瞬懸命」の方が大事だと思います。なぜなら、お客さんは購入するかどうか? 取引するかどうか? を一瞬で判断するからです。広告やチラシ、WEBサイトなどを見て自分にとって必要かどうか? を一瞬で判断するからです。
ビジネスや麻雀でもそうですが、基本的に決断は一瞬です。一瞬懸命です。
変化がはげしい波や波動の中いかにしてチャンスの波に乗られるのかです。
だからあのAI発言をしっかりとキャッチして子供達の世界と周波数を合わせられたじゃないですか、あの一瞬で場をひっくり返した、まさに一瞬懸命だったわけです。
はじめてあの時、波に乗れたわけです。
良い波が来たら拾い上げる、ただそれだけでいいんです。
いつかは無いんです。



21:16虚空
 今、諷虹宅で「咲」をみながらあれこれしていますが、この子どもの発言をつかまえる云々のところでのことと、先日の難波先生との話で出ていた教師の構えの問題。

それがさっき紹介した、先生のセリフの特に
「だから細かいアドバイスは出来ても、もうこの先の道のりを私は知らない。
ここからは私が導くんじゃなくて、みんなが歩いていく道。」
に象徴されているような気がします。

教師なんだからアドバイスもする、道も指し示す・・・なんていうことに囚われていたら「教える」意識になりきってしまって、子どももみえなくなるし、自分の枠内に子どもをおしとどめようとしてしまう。
それがない先生だと思った次第。



21:36 コバルト
 先生にしても麻雀にしてもやっていることは交通整理ですから、同じ事を言えますね。
いかに牌の声を聴けるか、子供達の声を聴けるかですね。
それをカリキュラム(方法)が殺してしまっているんです。
たしかに方法に従うのって楽だからいいのですけど、そのぶん感覚はOffになってしまうので声は聴けなくなってしまうんです。



21:39虚空
 どうしても学校教育とか、受験も想定した塾・家庭教師ではカリキュラム的なことを完全に無視するわけにはいかないけど、でも教育者としての意識・・・それをしっかりと持っていれば、全体としては決められた授業内容でも、瞬間をつかまえて深めることは可能。
物理的な時間には比例しない。



21:47 コバルト
 そうですね。
授業と言わずどんな状況の中でも深めていける瞬間は存在していますもんね。
こうやって日常の中でも発見を深めている訳ですし。



21:52 虚空
 やっとヒマワリフクロウさんの高校1年の記録が出てきました。
ちょっと長いですが、こうして最近のことを踏まえて読み直すと大変興味深いものがあります。(名前は駿煌会版に書きかえました)

虚空  あなた、富士山ってどういうイメージ?

ヒマワリ 青い、デカイ・・・

虚空  あなたがさっき「今、悩んでいることがある」って言ってたよね。それでもしトボトボ歩いていて、フッと顔をあげたら目の前に富士山がみえて、その瞬間、富士山があなたに何かを語ってくれたとしたらどんなことを言ってくれるような気がする?

ヒマワリ (沈黙のあと)何を言ってくれるんだろう・・・。・・・何を言ってくれるんだろう・・・。
・・・・なんかアドバイスしてくれるにしても、結局それは自分が「あっ、富士山はこういってくれているのかな」って自分が自分にアドバイスしてるみたいな・・・。(注 かつてライフインデキスなどが自分の内面の投影・移りというような内容の塾便りを読んでいることが影響してる発言?)

虚空  マアそういうことなんだけど、じゃあどんな内容になると思う?具体的な中身はともかく。


ヒマワリ とりあえずあれか・・・「悩むだけ悩め」と言ってくれるのか、それとも「こうだよ」みたいなことを言ってくれるのか・・・・えっ、どっちだろう?知らねェって!・・・何を言ってくれるのかな・・・山だしね、偉大だし・・何かためになる事というか・・きっとそんな無駄なことは絶対言わないだろうし・・・。


虚空  無駄なこと?例えばどんなことが無駄なこと?


ヒマワリ 何で悩んでんの?みたいな事は言わないじゃん・・ぜってぇ(絶対)。普通になんかこうこっちが「ねえ、富士山。今日こんなことがありまして」みたいなこと話しかけなくても、「もう分かっておる」みたいな・・・だからこう「富士山」みたいなことをやったら「ああ、そうか」ってみたいな感じで、ただ話を聞いてくれるっていうのは、もう分かっているっていう感じだから、富士山は・・・もうなんかアドバイスしてくれるか・・・

アッ、違うな・・・「おのれで!」みたいな。


虚空  じゃあアドバイスしてくれるとしたらどんなアドバイスになりそうだと思う?


ヒマワリ そうだな、具体的に言ってくれるんじゃなくて、自分でこう「道」・・・自分の中から答えを見つけ出せるようなヒント的な・・・タヌキみたいな!?・・・事を言ってくれると思う。(真面目に発言しているのだが、タヌキとは虚空をさす) 


虚空  ハア、そこでタヌキと富士山を重ねてくれましたか。

ヒマワリ うん。

虚空  何と畏れおおい!

ヒマワリ ハハハ!


虚空  じゃあ、富士山のかわりに樹齢何百年とか何千年とかの木があったら?

ヒマワリ そりゃもう寄りかかっちゃうかな・・・というより抱きついちゃう。ここに木があったら(自分の後ろ)こんなんとか。(体育すわりでよりかかる)・・・それかもうコテッみたいな(脇に木があって寄りかかって寝るような姿勢をとり)とりあえず「支えて」っていうか「助けて」的みたいな。「どうしたらいいの」って感じてコテッって。で、しばらくこう、またそん中でいろいろ葛藤したりなんだり・・・・なんかそんな感じで、きっとスッキリしたりするのかね。で、そんで「ありがとう」って言って「また来るよ」みたいな感じかな。
やっぱ、富士山と木って言われたら木を選んじゃうと思う。

虚空  どういう感じで。

ヒマワリ 何か、身近?木の方が。

虚空  富士山は身近じゃないか。

ヒマワリ 茨城にあるわけじゃないじゃん。富士山って「スゲエ」みたいなイメージはあるけど、やっぱもう・・・どういうイメージだろう・・・「神」っていうか「天」っぽい感じするんだよね。

虚空  どういうところで?

ヒマワリ 雲!雲の上に出ているじゃない。それにやっぱり青とか白とか・・そいう色っていうか・・・何か遠くに感じる。で、木はスゲエこう「先輩」って言うか、何でも分かっている」「何でも知ってる」的な・・・そうすると富士山もそうじゃんってなっちゃうんだけど、何か木の方が好き。・・・・緑っていうのも・・・太い!太いっていうのも好きなのかな・・・何かよくない?木って。根っことか超こうなってるのが、超よくねぇ?そこに何かね・・・手を広げているっていうか。

富士山だと寄りかかっている感じがしないと思う。どっから富士山みたいになっちゃうし。・・・でもどっちも偉大な人って感じ。人?言ってることは同じような気がするけど・・・違うか。もし由佳が悩んでいるとしたらかけてくれる言葉は一緒なのかな・・違うか。木はちょっと休める感じがする。・・・・(しばらくブツブツと自問自答が続く)

ヒマワリ 山が身近にないからね・・だから遠くに感じる部分があるんじゃない。由佳は富士山を軽蔑しているわけじゃないんだけど、やっぱり木がいい。木とか花みたいな・・・。
(木や花についての雑談後)

虚空  ねずみは米が好きの主人公がトボトボ歩いていた時に富士山が助言したらどんな助言をするんだろうね。

ヒマワリ でも、あれじゃん、やっぱ・・富士山は(と言いかけて)いいや、意味わかんね。

虚空  わかんないままでいいから。

ヒマワリ ・・・・富士山はマジ、めっちゃこう「人生なみにやべえ」って時に相談に行く感じだから、恋愛っていうの・・

虚空  初恋系?

ヒマワリ 初恋系は身近なこの花とかに「あのさあ」みたいな方がいい感じのノリで多分言ってくれると思う。富士山って・・そこまでなんかデカクないからみたいな・・そんな感じしない?「マジ、男の子にチョコあげようか、どうしたらいいかな、富士山」みたいなこと言っても「富士山、困っちゃう」みたいな。その辺のチョウチョだったら「そうね」って返してくれそうな気がするけど・・・富士山はマジ、本当に困った時に言って、後はこの辺の金のなる木あたりに言っておこうみたいな感じがすげえした。



21:53 ?虚空
Nanba先生、大変だとは思いますが、この長い文、かつて児言態で紹介した時に女性陣も面白がってくれたやりとりです。



22:05 Nanba先生
読みました。イマジネーションが爆発してる笑



22:09 虚空
さっそく読んでくださってありがとうございます。
現在、諷虹君とやりとりしている真っ最中のことをちょっと紹介しておきます。
未掲載のがたまっていて、本格的にブログ掲載するのは来週以降になりそうなので・・・

 諷虹 富士山って「海でも宇宙」とかでも通じる・・・相対的スケールみたいなものかな。
自分の悩んでいるスケールとか富士山とか宇宙とかと比べれば相対的な尺度になれるっていうのかな

虚空 うちの例の親戚がね、自分のことだとささいなことでも大騒ぎするくせに、他人が悩んでいたり病気で苦しんでいると、決まって「何よそのくらいで!大袈裟な!!!私なんかね、もっと大変だったのよ」なんてケチつけまくる・・・若い頃から身近な人に対してはね。
相対的っていっても、そっちの方へ突っ走ると、余計に相手を追いつめてしまうことだってある。
でもヒマワリフクロウさんの感じているのは、単に「お前(人間)の悩みなんてちっぽけだ」と見下すっていうのとは違う視点だよね。
それこそ心意伝承的・・・。神道とか仏教とかキリスト教の浪漫主義なんかにみられるような「神性(仏性)を誰もが宿している」というような、絶対的な肯定感。
極端な言い方をすると「人知を超えた部分がちゃんとお前にもあるんだぞ。」ってスケールアップを期待している。

諷虹 今みえていることとか、今までにあったことの中に正解があるんじゃなく、もっと奥地・・・それこそ山の奥とか海の向こうとか宇宙の果て・・・そういった人知の及んでいないところ・・・

虚空 それが「咲」の中にもあちこち出てくるよね。

22:37 ヒマワリ
 笑った。
これ私、高1だったのか。
なんつーアホみたいな喋り方。
いや今もそうか。苦笑
木のことどうのこうの言った記憶すっぽり抜けてた!
小6の国語の授業で、教科書に「森へ」ってゆうのあったんだよな。



22:38 虚空
表現方法はともかく・・・話している中身について、今振り返るとどうですか?
土曜日のやりとりなんかもふまえると、あの頃とはまた一味ちがったものを私は感じていますが・・・



22:48 ヒマワリ
 いや素直に驚きました。
正真正銘、私の中から出てきた言葉ですから尚更。
土曜日のやりとりの記憶がなんか今蘇らないので重ねらんないんですけど、先生のこのラインと凄く重なってます。

自分自身というものをハッキリと…以下の言葉。
私が富士山に対して思ったことってこういう感じだっていうか。

自然と宇宙との共鳴ですよね。
溶け込んじゃう。混沌。
自分の心との対話というか。
「おのれで!」っつーのが、対話の中から、自分自身の中から出てくる見えてくるみたいな感じで。
 山頂まで登ることが全てではない というところも救われる言葉ですね。
「道」なんて発言もあったことにさっき読んで驚きましたが。
先生からもらったものってこういうものですね。
険しい道のり、高い壁にぶつかったときの「越えられる力」みたいな。
「方法」とかそういう薄っぺらいもんじゃなくて、「あなたの中にあるのよ」ってゆう感じ。



22:56 虚空
「絶対的信頼感」だと思うんだよね。根底にあるのは。
だから正確には「先生からもらった」っていうのは微妙に違うかな(笑)



23:00 ヒマワリ
絶対的信頼感。絶対的肯定感。
これまた造語が出来上がった?笑
もらったもんじゃなかったら、見つけたのか?見えたのか?むむ?
見えないものこそ本物…
霊和やなー

☆「咲」やりとり からのラインやりとり 「山」そして「ダンデリオンツイッター記事 大宇宙をかけめぐる意識」へ 

先日アップした会合やりとりからちょっと時間が遡っての「ラインやりとり記録」その①です。

「咲 Saki」に関しての考察が中心ですが、例のごとくそこから大きなスケールの話に発展しています。
(表面的なことに関するやりとりは大幅にカットしています)
2019,05,27 月曜日  ラインやりとり

08:18 虚空
 ちなみに、まだブログアップは先になると思いますが、先週の諷虹君宅での2回では、「量子論」に関するNHKの番組を少しずつ見ています。それをきっかけに諷虹君がちょっと変わった麻雀漫画とそのアニメを紹介してくれて・・・。

そこからかなりいろいろなやりとりが飛び出しています。2回目の時などは8時15分頃からはじまって、終わったのが午前1時近くになったくらい。

「咲」という作品・・・麻雀が国民的娯楽になっているという想定の世の中で、女子高生を中心とした超能力もからんでの麻雀の全国大会等々を描いているものです。
ちなみに私は麻雀のルールも用語も全くといっていいほど知らないので、競技シーンなどは「??????」という連続。でも「麻雀のことなど分からないから観ても分かりっこない 楽しめるわけない 参考になることなどない」等々の気持ちをオフにして向かい合ったら、風が吹き込んできています。



08:31 ソルティ
 麻雀漫画ですね。咲 ですね。見てみましょう。

笑われると思うけど、お嬢様学校卒。オンボロ下宿住まう。真上の住人 真夜中近く麻雀始める。眠れない。頭にくる。 → ただ今 桜井さん 憧れ。
それにね、なんでもやっとけばよかったと思うのですよ。麻雀しっていれは 恐らく子供たちの ドンジャラ?参加できるでしょ。



2019.05.30 木曜日
07:14 虚空
咲をレンタルしてきて夜中に「微熱」までみました。
金曜・日曜に話題にまだなっていなかったことで、興味深かったのは「素人」のエピソード。あのメガネの子の膨大な蓄積データがかえって邪魔をしてしまったという部分。
オッドアイの設定や、うさみみの子の両極性も。あの両極性と英才児の関係なんてね!
2019.05.31 金曜日
05:32虚空
 ちょうど1週間前に諷虹君から紹介された「咲」のアニメ1期・・・全25話のうち、20話あたりまでみましたが、これも「麻雀」としてのかけひきは全く分かりませんが、各キャラのエピソードを通して多くの興味深い切り口があるので、面白がっているからの一気見です。
もちろん「おうち」に関することもいっぱいあるし・・・

「令和」になったこの初めの月である5月に最初に出合ったこのアニメ・・・大きな風を吹かせてくれています。



08:05 コバルト
一応、咲はアニメではなく単行本で見てましたね。
麻雀をやって行く中で「今」とこれからやってくるであろう「流れ」(未来)を引き寄せる「力」がよく描かれているので自分的には面白いと思います。



08:09 虚空
この前、諷虹君のところで見せてもらった原作はスピンオフ作品のものだった(と記憶しています)ので、アニメのどの部分は原作にもあるとか、ここはアニメオリジナル部分だとかは全く分からないのですが、「青春ブタ野郎・・・」シリーズの思春期の病理から来る不思議現象とも通じるようなキャラのエピソードなんか、心の奥底を考えさせられます。(通称 ステルス桃 と呼ばれているキャラ)

私自身のこととも結構かぶっていたりするので



08:22 コバルト
 https://colormell.jp/spaces/mito/
6月3日 ライン
05:34 虚空
楓子君・・・この前「咲 全国編の次回から気に入っているキャラがでてくる」と言っていましたが、どの高校のどの子でしょうか(名前と顔は一致しないので、名前と特徴・能力を教えてくださいな)


15:18 諷虹
大阪代表の姫松高校・中堅の愛宕洋榎です。
特に特殊能力はありません。こてこての大阪人のようなお調子者なビッグマウスで、かませキャラなのかな?と思わせておいて滅茶苦茶(普通の)麻雀が上手いというキャラです。
先週の金曜日にコバルトさんと話題になった重心を残したまま避ける、いわゆる「回し打ち」(完全に降りるのではなく、相手の当たり牌以外だけを切りながら別の形の手に仕上げていく打ち方)が得意なキャラです。
少し麻雀色が強い話になってしまいますが、たいていの人が一度降りようと思った瞬間から、まだ出ていない牌のほとんどが危険牌のように思えてしまう一種の錯覚のような恐怖感にとらわれてしまいがちだと思います。回し打ちというのは、相手の手をしっかりと読んで、ここがきっと当たり牌だなという自分の予想を最後まで信じられる強い意志というか、自信が必須のように感じます。回し打ちは私はまだまだ出来ていない課題なので、それが得意なキャラという点も惹かれるポイントなのかなって思います。(でも普通にキャラと容姿も好きですが)


 画像
 https://dic.pixiv.net/a/%E6%84%9B%E5%AE%95%E6%B4%8B%E6%A6%8E
19:48 虚空
詳しい解説、ありがとうございます。
あのいきのいい関西弁姉妹のお姉さんの方ですね・・・推薦で入ったというようなやりとりを妹としていた。
麻雀の打ち方の特性は分かりませんが、確かに人間味があるかけひきをしていたと感じていたキャラです。
2019.06.06 木曜日
04:46 虚空
 ほぼ徹夜で「咲 阿知賀編 16話」まで観終わりました。これでアニメ化されているものは全部かな????

「山」についての意識も改めて深めたいものです。

「山」をテーマにした授業をしようかと随分前に児言態で話がでたことがありました・・・・結局別のテーマになりましたが。

あの当時ヒマワリフクロウさんから出た「富士山」についての発言などが、さっき16話を観ながら思い出されました。


07:12 コバルト
 山、三角、ピラミッド、麻雀卓も四角のテーブルに面を足せばピラミッドみたいな形になる?
そういえばエヴァにもピラミッドみたいな基地だったし、富士山??も天然のピラミッドみたいなもの。



08:07 ヒマワリ
 懐かしいね富士山(笑)
あの頃の児言態だったからこそ、私の言葉に笑ってもらえたんだろうなぁ。
嬉しかったなあ。

富士山に20歳越えて登ったことあるけど、頂上まで登りきれなかったよ。
山は甘くねぇ…笑



08:23 虚空
⇒コバルトブルー君
この類化性能を突き進めること、大きなカギをにぎるかも・・・
そもそもあの形にどんな誘因性があるのか????
⇒ヒマワリフクロウさん
そうなんですよね・・・ヤマノススメで富士山登頂に失敗したキャラのエピソードがありましたが、酸素の問題も含めて別世界なんでしょうね。テレビ番組などで富士山の御来光、なんていう映像からは全く伝わってこない部分

 折口先生の、まれびと(来訪神)は、海の彼方や山の上の方からやってくる・・・という発想と、「咲」がつながってきています。

(なまはげ への認識が大転換した・・・まれびと信仰について真面目に向かい合った・・・きっかけって、ヒマワリフクロウさんの描いた秋田のなまはげの様子のイラストからでしたよね。 あの中のなまはげの言葉で「あれっ? 鬼 っていうけど、これじゃあ神様みたいな役割じゃない?」って思って・・・・

そのあと筑波学園都市の割と専門書が揃っている古本屋に何か参考資料はないかなと探しにいって「春来る鬼」という論文ものっている折口先生の本をみつけたわけですから。



14:01 虚空
 諷虹君・・・阿知賀編の原作に、予選前、山に行って暗くなってしまうエピソードってある???



15:45 コバルト
なんだか山は登ってから山を知るみたいな。
定義もやりとりがあった中を振り返ってみてから、それを定義とする。
例えば子供の誕生日会にしても、いつかガラクタになってしまうようなプレゼント一つで集約してしまうより、みんなで祝って頂いた空間そのものが定義となる、決してプレゼントそのものが定義となるわけではないんですね。
プレゼントがその象徴になるだけなんです。
麻雀でもそうです、定義と言える場合というのはアガれた場合の、役になった時のみです。
究極の完成形が定義と言えるんですね。
要はやりとり(過程)そのものを楽しもうとすればいいだけなんですね。



19:55 虚空
「アガれた場合の、役になった時」ということも何が何だかさっぱり分からない(分かろうとしていない)レベルなのですが・・・「過程そのものを楽しもうとすればいいだけなんですね」という言葉から言いたいことは伝わってきていると思っています。

山登りにしてみれば、本当に山の好きな人にとっては、ケーブルカーやロープウェイで筑波山のほぼ山頂近くまで行くことすら邪道なんでしょうけどね。

高尾山なんかだと地元の年配者でほとんど毎日ケーブルカーを使わないで山頂の神社にお参りに通っているという方々がテレビで紹介されていましたが・・・やはり目的は神社そのものよりも過程なのかな・・・

だから修験道でも(高尾山も修験道の山ですが)歩き回ることが大切にされている???



20:20 コバルト
 漫画の赤木でいう完成=死みたいな感じですかね。



20:25 虚空
 赤木が安楽死を選んだというところの周囲との温度差には考えさせられるものがありますよね。
記憶を失ってでもいいから生き続けてほしいという周囲と、それでは自分が自分として生きていることにならないというのと・・。

難しい問題です。
「自分」へのこだわり・・・それを捨てる意味・・・もしかしたら捨てる事で縛りから解放されて、ということがある、と頭では分かっていて、人にはそう勧めても、さて自分のこととなったときに、本当にそうできるか????

「咲 阿知賀編」でもドラ(?)が捨てられないキャラが最終局面で捨てて、なんていう場面があったけど・・・・



2019.06.07 金曜日
05:51 虚空 このような画像とともにダンデリオンツイッターに更新されていた文が、昨日の話の流れに関係が深そうです。

画像
05:53虚空
 お話 ⇒ 原文・だいたいの意味内容の順に紹介します。そのあとにはリツイートの記事も・・・
【お話】
ここも雄大なスケールを感じさせるところでとても好きなくだりでした。もちろん、短い命の存在たちも精一杯、生命を燃焼させているのですから、それだけで優劣を付けられるものではないことは、荘子だってわかりきっていることでしょう。

前に「老子」を読みながらも思ったのですが、二千年以上も前の時代であっても、現代と同様の成果主義はあったのだと思います。

それも可及的(かきゅうてき)速(すみ)やかに結果を出すことを強要されるような。
そのような短気で視野の狭い風潮に対しての反骨精神が、こうした文章に表れているのでしょう。
すぐには結果が出なくとも、また自分が生きている間には成し遂げられなくても、もっともっと長く大きなスケールで物事を構想し、のちの時代の人々へも引き継ぎながら進めていくべきことを、主張している気がします。

また、こうも考えられます。
地球上のあらゆる領域や歴史や季節などの情報を入手でき、宇宙の果てについても膨大な量の知識を得ることができる今日でも、そうした「量」とは無関係に、何か本質的な別ものがあることに、私たちはまだ気がついていないかもしれません。

短命な存在を憐れんでいる私たち自身が、その背後から誰かに哀れまれているかもしれません。
私たちこそセミのようなものとして、別の世界、別の宇宙にも、思いをはせてみるべきかも。


(荘子 逍遥遊篇第一―2)
小知は大知に及ばず、小年は大年に及ばず。
朝(ちょう)菌(きん)は晦朔(かいさく)を知らず、恵蛄(けいこ)は春秋を知らず。
此れ小年なり。
楚の南に冥(めい)霊(れい)なる者あり、
五百歳を以て春と為し五百歳を以て秋と為す。
上古に大椿(おおつばき)あり、
八千歳を以て春と為し八千歳を秋と為す。
これ大年なり。

【大体の意味内容】
視野の狭い知恵は、視野の広い知恵に適わない。
短小な時間意識では、長大な時間意識で思考することができない。
たとえて言うならば、「朝(ちょう)菌(きん)」は、朝から暮れまでの命で、夜や明け方を知らない。
蝉(せみ)は夏だけの命で、秋、冬、春を知らない。
つまり自分が生活している以外の時間世界を知らないままである。
これが小年である。
楚の国の南方に冥(めい)霊(れい)という木がある。五百年間が、生長繁茂する春で、五百年間が落葉の秋である。
大昔には大椿(おおつばき)があった。
八千年間をもって春となし、八千年間を秋とした。
これが大年である。


☆駿煌会さんが学修塾ダンデリオンをリツイートしました
上原輝男先生が生きておられた時の最後の夏合宿の授業検討の中で「木の寿命」について先生が語られていたのを思い出しました。同時に「夜のくすのき」や、私個人が勤務した分校が廃校になる際に小3に行った最終授業で「すずかけ写真館」をした時などのことも。
生命の大きな流れに乗りたいものです

10:11 コバルト
 またダイレクトな内容ですね。
永遠は時間の長さではなく、在るとすれば一瞬(刹那)の中にある。
そう考えると「一生懸命」という言葉より「一瞬懸命」の方がしっくり感じます。
誰だってずっとは頑張れない、でも一瞬だけだったらなんとか頑張れる、そして一瞬を積み重ねればやがてそれが一生懸命になっているように。



14:22 虚空
 確認なんですけど、この「一瞬懸命」って言葉はコバルトブルー君の造語ですか?それとも誰かが言っていた言葉ですか?



16:44 コバルト 
思いつきです。
調べたら同じ言葉を先に使っている人がいました。https://www.mag2.com/p/news/298078


16:57 虚空
人をハッとさせるような言語感覚があるということですね!
高校時代のヒマワリフクロウさんのエピソードでいえば「微分的人生観」と「積分的人生観」の重ね合わせかな。

どっちも大事だけど、現代人は「積分的」な方をつい忘れがち・・・私も自分のこととなるとそうです。



18:12 ヒマワリ
一瞬懸命いい言葉だね!
でも実際そうだよね、一瞬でもキラッとする瞬間があればいいんだと思うし。
私が言い出した微分・積分なんだけど、自分でもざっくりした記憶しかなくて実際あんま覚えてないんだよね(笑)
今の教育とかも、微分的にしか見てないってことでええんかな?
英語漬け教育とかもさ。