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☆「百谷の王」⑤  諷虹・虚空やりとり(16日夜)-2 「情と報酬」

虚空 今さ、この有給っていうのに意識がひっかかったのはさ、この前「えんどろ~」へのコメントで
「”勇者”とはかっこいい者と思われているが、結局は”傭兵”である事に代わりは無い。だから金などの報酬次第で動くだけなの存在なのである。」
って。
正義感とかではなく金品目的が本来なんだ、って。そういう観点からいえば今季アニメでの「盾の勇者の成り上がり」なんていうのはそういったセリフがバンバン出てきてるよ。
諷虹 人情と傭兵としてとのせめぎあいもね・・・。あの手の作品って「金」を悪・・・「金ならいくらでもやる」と命乞いをするなんていうセリフを言う人間に対してのは否定的。
虚空 今風の勇者のイメージだとね、金に細かい場面ばかり出てきたら受け入れられない
諷虹 金をもらって働く以上「者」なんですよね。私情をはさまない
虚空 「勇者」だからね。「者」の字が入ってる。「医者」でそれを描くとブラックジャック。
勇者のお金の部分をきちんと描き過ぎると支持されなくなりそうだけど、「このすば」くらいに思い切ってやると受け入れちゃう。
諷虹 ゲームデザインによるんですよね「勇者」の設定も。血筋で勇者になるというのもあるし、クエストシステムとか。選択権がこちらにある。お金に困ったらやらざるを得ないけど、お金に余裕があれば・・・・。
虚空 非情であるようで、実はそうではないということで大人気が出たのが「木枯らし紋次郎」。
ブラックジャックも時折そういう部分をみせる。「盾の勇者」もね。
諷虹 このはな綺譚でもありましたよね。「賽銭を入れない奴は~」みたいにお金にこだわっているようでも、そうではないちっちゃい子の願い事もこっそりきいてしまうとか。
虚空 だいたい、神様の世界にはお金なんていう価値観はないわけだから、お賽銭の金額云々じゃないわけだよね。出す時の心そのものをみている。
お釈迦様がさ、飢饉の時ほど托鉢をせよ、って言ったなんていう言い伝えがあるけど、その感覚だよね。あるから寄付じゃなくて、ないけど寄付の方がずっと貴い。
諷虹 「身銭を切る」「自腹を切る」・・・それだって考えてみれば切腹ですよね
自分の体のどのくらいなのか、っていうことですよね。
でも、報酬とかではなくて「江戸っ子」っぽいというか心意気で仕事を引き受けるっていうキャラもいまして・・・・・アヤツグ・アシハラ https://gamebiz.jp/?p=222567
虚空 なんだかんだいって、自分はそっちのタイプに近いかな・・・。
まあ紋次郎だってブラックジャックだって盾の勇者だって、本当の本当の心の底では「情に厚い」って感じさせてくれるから人気キャラになるわけだけどさ。
あとね、役目に従って情を捨ててというので強烈だったのは「地獄少女」だよね。どんなに理不尽であっても、手順を踏んだ者の願い通りに地獄に流す。明らかに善人であって、依頼者が歪んでいても、いうことをきいて善人を地獄に流してしまう、っていう場面が2期や3期ではバンバンあったからね。
でも後味はものすごく悪かった。
そのあたりにこだわってしまうのは、やっぱり人間だからだね。
「約束事」だけで生きているんじゃない存在。スパッと割り切れないから人間。
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☆「百谷の王」④  諷虹・虚空やりとり(16日夜)-1 「者」 

☆2019年2月16日 諷虹・虚空

到着時、ラインをチェック
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コバルトブルーライン文と、それに対しての虚空文
16:35  者について、また1つ思い出したモノが在って、殺人を犯してしまった彼女を検察官という立場になっってしまった以上、平等に裁判にかけて有罪にしていかなくてはいけないという葛藤を描いた物語を思い出しました。
どうにかしてあげたいという部分と、どうにかしてはいけない部分がきっとあるんですね。
だから者になるっていうことは、例え家族であろうとも、私情に流されず平等に物事を動かす事が必要になってくるんですよね。
身近にいる政治家みたいに、給食センターを作ってその食品、食材を保管する冷蔵庫施設を身内の人間にやらせて財をなすように、
自分達に利益が回ってくる、また還ってくる構造にしていってしまう人間がいるのはちょっと情けない気がします
19:52 虚空
今諷虹宅に到着。朝からいわき遠出でちょっとボーッとしてる。
基準をどこに置くのかというのが本気でどうなのか・・・例えば宮崎アニメのドキュメントでもスタッフに対して厳しく叱っている場面がありますが、「俺の顔をつぶす気か」という意味で厳しいのではなく、もっとも厳しい観客である子ども達に絶対的な基準をおくからゆえの厳しさ。

家族ももちろん大事だけど、それでえこひいきをしていると周囲に思われたら、本当に大事なことを見失う、という葛藤だからドラマになるんでしょうね。
でもドラマではなくて実生活だと、本当に迷う事ばかり・・・・
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このやりとりから、諷虹がネットで「者」という漢字について調べる
https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%80%85
諷虹 「人ならざる者」って言葉は、『者』は『人』ではなくて『者』ってニュアンスなのかなって。人≠者・・・「ならず者」なんかともつながるのかな・・・
虚空 「者」の自覚って上原先生が嘆いていたけど、本当にないよね・・・・自分も怪しいものだけど。
「諸君らは 教育者 になるんだ。教師・教員ではないんだ」というのは何度も講義で学生に話していた。
そして「教育者 は 世捨て人 なんですからね。 世俗から離れなければできないんですよ」って。
諷虹 「人」であり「物」でもある・・・意味的には「人」の「者」じゃないですか。でも「音」的には「物」の「もの」
人のことを「こいつ」「あいつ」ではなくて「これ」「あれ」って呼ぶ感覚に近いのかな、って。
虚空 マア自分は使い捨てカイロ扱い・・・経済動物以下に扱われてきたからね・・・。役立たずの「ごみ」扱い。
でも今の世の中ってそうだよね。高齢者がお荷物扱いされているけどさ、働ける時には大いに日本のためにもがむしゃらに働いて貢献してきた世代。でも高齢者になったとたん税金泥棒扱い。そんな風に年寄りを批判している世代だって、自分たちが高齢者になって「役立たず扱い」された時に「はいその通りです」っていって潔く身をひくのかね・・・。楢山節考にようにさ。
諷虹 この前の「渚」の話もね・・・「者」にサンズイをつけたら渚になるんだな、って思ったんですけど、どっちにしても「境界領域」
*さらに「者」について調べ
諷虹 「者」って「煮る」の元字なんですね。
虚空 音声言語のイメージからいうと「煮る」は「似る」だって上原先生は言っていたよ。ぐつぐつと煮込めば煮込むほど区別がなくなって一体化する、って。
諷虹 生命のスープですね
虚空 人類補完計画。(エヴァ、旧劇場版 他人同士を隔てている皮膚がはじけて生命のスープ状態として究極の一体感を得る、というはなし)
大鍋でぐつぐつというイメージが協和音から不協和音からすべてをとりこんで一体化させる。
でもエヴァでこだわっていたのは、境界がなくなっての一体化ではなくて、境界はあるけど一体化、っていうことだよね。反対の合一
「者」と「物」のことだって、昔から宗教的には「肉体としての人間」と「霊的な人間」両方がそろってこの世で生きる人間だ、って。
玉川の小原國芳先生は「真・善・美・聖 の絶対価値 と 健・富 の手段価値」って分けていたけどね。どちらも必要だ、って。
諷虹 もとは昨日も出てきた「コトブキ」で、性善説のようなものが出てきていたじゃないですか。性善説と性悪説・・・どっちなのか、って。
でもそれを一つに決める必要があるのかな、って。結局どっちの人もいるんじゃないのかな、って。
さっきのエヴァの人類補完計画で、シンジが人間のいいところも悪いところも見た上で、最終的に悪い部分があるから一体化したくないという潔癖な感じと、でも悪いものいいものを混ぜて結果てきにいいものになればいいか・・・「似る」の感覚で・・・隠し味にあえて逆のものを入れることで引き出す部分もあるじゃないですか。潔癖で全部排除排除ってなると「それまで」というような・・・。
たしかに完成された世界ではあるんでしょうけど「添加」されていない集合。
最終的に何がいいたいのかよくまとまらないんですけど・・・悪いものを全部排除すれば良いものなのか・・・箱入り娘がいいのか・・・結果的にいいものになるためには悪いものも必要なのかな、って
虚空 そこでまたそもそも「いい」「悪い」って何なのかということになってしまうんだけど、そこに深入りすると出てこれなくなりそうだから、一応一般的な「いい」「悪い」ということで考えるとさ、しばらく前にラインでソルティさんと日本神話の黄泉の国から逃げてきて大岩をドーンと置いた場所でのやりとりの話になったことがあるじゃない。黄泉の国の住人になってしまったイザナミがあなたの国の者を毎日1000人殺す に対して イザナギがそれなら1500人産む っていうようなあの問答。
物質世界の創造原理ってこういうことだと。現象世界成立にはどちらも必要だけど、単なるプラスマイナスだとゼロになってしまう。プラスが主導権を持つ、あるいは上回ることで創造が行われる。
それを最先端の物理っぽくいえば「自発的対称性の破れ」なのかな????
諷虹 なんかのアニメで正義が存在するには悪が必要的な台詞ありましたよね
⇒Fate/stay night 言峰綺礼「喜べ少年。君の望みはようやく叶う。明確な悪がいなければ君の望みは叶わない。例えそれが君にとって容認しえぬものであろうと、正義の味方には倒すべき悪が必要だ。」
虚空 やなせさんはバイキンマンのアイデアを自画自賛していたけど、それにも通じるよね。だからバイキンマンはやっつけられない。滅びない。毎週ちゃんと元気に出てくる。
ちょうどさっき50年玉君とも話していたんだけど、時代とか状況によって善悪なんて簡単にひっくり返る、って。戦争中だったら敵を山ほど殺せば殺すほど英雄になるわけだしね。
人間を器として考えるとさ、その時の周囲の人間にとっていいもので満たされれば「いい人間」ってなる・・・ただ、それだけ。
だいたいさ、教師や親によって「いい子」「期待する子」の基準はかなり隔たりがあるよ。
それはそれで仕方のない部分なんだけど、問題はその判定基準が心の底から今目の前にいる子を考えた上での判定なのか。自分の指導力を誇ったり、支配欲を満たしたい、なんていう心が隠れている場合だって案外あるからね。
諷虹 (小林さんちのメイドラゴン コミックエピソードから)結局今の自分にとってどっちなのか・・・
虚空 (小林さんはトールの危機にどこまでしてくれるか)「有給」か。さぼるんじゃないんだね。
諷虹 親ではなく親代わりの友達どまり・・・。

☆「百谷の王」③  諷虹・虚空やりとりー2 「夢の実現」

虚空 だから「夢」の実現。夢を夢で終わらせない。
「あり得ないことだ」って最初から諦めたら夢で終わってしまう。
現代の教育は幼い頃から「夢の実現」じゃなくて、一部のエリートを育てるために大多数に「諦めを勧める」教育だからね、実質。
昔さ、東京オリンピックの記録映画で市川崑監督がラストに出した皮肉たっぷりの字幕。道徳の授業でも何度か使ったけど・・・

「人類は4年ごとに夢を見る。この創られた平和を、夢で終わらせていいのであろうか」

冒頭からして
「オリンピックとは人類の持っている夢のあらわれである」

だったからね。
あるサイトでの解説
http://www.tamakimasayuki.com/sport/bn_123.htm
諷虹 競馬でも「夢の第11レース」ってありましたよね。
https://www.youtube.com/watch?v=kcv3D26GjWA
「夢の第11レース」・・・実況書き起こし 『』内は字幕
1枠1番..悲運の伝説となった馬番に、サイレンススズカが再び入ります
となりにメジロマックイーン、ウオッカはダービーと同じ馬番です
トウカイテイオー、スペシャルウィーク、テイエムオペラオーがいます
アグネスタキオン、芦毛の怪物オグリキャップ、エルコンドルパサー..
時代を超えた名馬たちが続々とゲートに向かいます
無敗の三冠馬シンボリルドルフ、なじみのシャドーロールでナリタブライアン、
キングカメハメハ、鬼の末脚ミスターシービー、
日本競馬の至宝ディープインパクト..
さらに歴代の女王たち..エアグルーヴ、ブエナビスタ、ダイワスカーレット、
大外18番、世紀の暴れん坊オルフェーヴルです
『あの馬を見ていた頃、わたしは恋をしていた
あの馬が勝った日、僕は故郷を離れた
あの馬の引退の日、私は花嫁の父になった』
さあ、時代を超えて集った歴代の名馬たち..ゲートに収まって..
(がしゃーん)スタートしました!
先頭はサイレンススズカ、後続と5馬身、
2番手にダイワスカーレット、それをマークするようにメジロマックイーン、
『忘れられないものを 思い出と呼んで』
シンボリルドルフは中団で動きません!
『それは美しかったり、悲しかったりする。』
スペシャルウィーク、父の後ろにブエナビスタがつけました!
オルフェーヴル早めにジワリと上がっていく!
『積み重ねてきたことを 人生と呼ぶなら』
ミスターシービー、ディープインパクトは未だ後方!
『思い出はすべて どこか愛おしい。』
夢の第11レース、数々の伝説が駆け抜けていく!!
勝負の行方はまだわかりません!
『weekend memories』
さあ第4コーナーから最後の直線!
いくつもの思い出が横一線に並んで! これはわからない!
⇒動画説明文(公式)
あの馬が勝った日、あの馬が負けた日、あの馬が引退した日…。競馬の思い出は、週末ごとに少しずつ積み重ねられていきます。同時にそれは、自分自身の人生の思い出と、どこかでつながっていたりします。
競馬で、昔のことを覚えている。あの頃のことを思い出すと、その時の競馬も思い出す。
積み重ねられる思い出、「競馬」と「自分」の繋がり。
その味わいを、歴代の名馬たちの姿を重ね合わせることで表現したスペシャルCMです。
競馬に触れたことがある人ならだれでも一度は想像してしまう夢のレース。
思い出を積み重ねたことで浮かび上がった、幻のレース。
レースシーンは各競走馬の特徴を考慮した位置取りやレース展開で構成されています。
どれが勝者かはわかりません。なぜなら、それぞれがかけがえのない思い出だからです。
虚空 ここでいう「競馬の思い出」は単に賭け事として儲かった、損をした、なんていう思い出とは違う世界だよね。
「ウマ娘」なんていうのはそこを大真面目に描いていたから途中から競走馬ファンにもあれだけ支持されたんだろうからね。

あり得ないことだって、「意識世界」の中ではいくらでも実現できる。
だから時代の違う馬、不幸にして安楽死処分になった馬も、同じレースができる。
それこそ自分の中にいくつものパラレルワールドを作ることだって自由だし。
で、それを本気で思えば思うほど「パーソナリティ」の感覚になって、それこそ過去の偉人のようにあり得ないことを実現させてしまえる。
今って、昔ほど「伝記」が読まれていないような気がするんだけど、じいちゃんとかばあちゃんとかに寝床で話された昔の人たちの話なんかも、ものすごい教育力があったと思うんだよね。偉人というような大きな実績がなくても、名もなき人たちが素晴らしい生き様をしていたという語りは。
幼い頃からそういった発想になじんでいたら、夢の実現率もかなり違ってくる。
ことわざにしても中国の故事にしても、今は下手すると「テスト対策として暗記」という対象にしかなっていない。でもお年寄りなどからの「語り」で聴かせられていたのは、全く別物として脳は格納していたと思うし、それこそ知識として覚えているというよりは、心意伝承的に無意識にあるものと「共鳴しあう」形で感情にゆさぶりをかけていたんだと思うよ。
この前グリーンチャンネルでゴールドシップの特集をやていたけどさ、それこそ期待を裏切り続けたり期待以上の働きをしたり・・・でもそのすべてをひっくりめてゴールドシップ。さっきの癖の強さからいえば武豊のインタビューでもあったけど自分を大きく育ててくれた馬は、人間に順応しやすい馬ではなくて扱いにくいけどすごい能力を持った馬。
メジロマックイーンとかさ。
諷虹 ガルパンだと素人のくせ者をどうまとめていくかですけど、コトブキではそれぞれがその分野でのくせ者。高度な能力を持っている。そういう意味ではSHIROBAKOに近いかな。
虚空 監督も同じだしね。水島さんはどっちも描いているといえるね。素人集団Verとプロ集団Ver・・・どちらの場合も。
諷虹 「個性」・・・「キャラクター」ですよね。
虚空 どれがいいか悪いかっていうのは超越してるよね。SHIROBAKOでも太郎なんていい加減にしか見えないキャラをちゃんと位置付けて描いているわけだしね。後半見せ場もつくってる。
諷虹 水島さんの作品のセリフってキャラが・・・
虚空 それこそさ、言葉は伝達の道具ではなくて「人そのものを表す」っていう言語観だよね。母国語の本来の発想。本当によくセリフが練られているよね。
この前の「城下町のダンデライオン」の話でいえばさ、コトブキのくせ者メンバーがそれぞれ重ね合わされて「一つの人格」っていう見方もできるじゃない。
諷虹 ガルパンのキャラソンに出てくるお決まりの言葉で「戦車は一人じゃ動かせないから」っていうのがあるんですよね。それぞれがそれぞれの役割を分担して戦車が動いている、っていう。戦車一台の中でも共同体。個性の強い何人かが一つになっての。
虚空 そういった戦車がさらに何台も集まってチーム。
諷虹 まさに混沌。一つの色もいろんな色が集まっての色
虚空 そこに学校ごとの癖というかカラーが反映されてて・・・しかも劇場版ではそれが即興の大洗チームとなった。
最初はみほが普通の隊長として統率しようとしてのが裏目になったけどね。各自の持ち味を自由に発揮してもらうという意味でみほが表向きはリーダーシップを封印した方が想定外の力を発揮した。
諷虹 スラムダンクに藤真っていたじゃないですか。翔陽高校の。監督としての藤真と選手としての藤真は全く別人格。
最後の最後でみほの戦車が残るというのは、他の戦車がいなくなってしまったから隊長としての「みほ」ではなくて「一選手」としての「みほ」に思い切ってなれるということなんでしょうね。
何台あっても一選手であるのが「吶喊」(知波単学園・・・隊長自らも)
うまくはまれば強い・・・まさに背水の陣だとうまくいくこともあるんでしょうけど。
虚空 アンチョビさんなんかはチーム戦の時は一歩ひいた立場からちゃんと指令を出しているけど、劇場版で一台だけの参戦では独自の判断でガンガン動いてチビ戦車にしか出来ない活躍をしていたからね。黒森峰とかプラウダの戦車だったらジェットコースターのコースなんて走れないじゃない。あの巨大砲をやっつけたのもチビ戦車ばかりだったしね。

こういう描写って水島さんは大好きだよね。勝って当たり前のところが勝っても面白くない。たまにそういうチームが勝つことも描いているけど、本心ではそっちじゃないよね・・・

「百谷の王」という言葉は使っていなくても、そうした構えこそが重要だ、っていろんなアニメを通して描き続けていると言えるかな・・・。

☆「百谷の王」②  諷虹・虚空やりとりー1 「異なる意見などを取り込む」

「道」と「自然(じねん)」⑥ http://syunkoukai.edoblog.net/Entry/223/での諷虹・虚空やりとり記録の続きです。一部重複して載せます。
諷虹 振幅っていうことでいうと「波の合成波」っていう部分と「波の打ち消し合い」という要素も同時に持っている。さっきの「不協空間」っていうのも「共鳴」と裏腹。噛み合うか噛み合わないか・・・同じ波が存在していても、全く結果が違ってしまう。
それを日本語では「波長が合う」って言ったわけですよね。
虚空 いいこと言うじゃん。
それを合わせて行けるかどうかが個々人の意識次第・・・構えの問題

諷虹 位相をつくれるかどうか・・・自分から歩み寄っていって合成波の感じにするか、全く歩み寄らないで喧々諤々になって、打ち消し合って何も生まれないのとの違い。互いに自分を譲らない。
ネット上ではまあ譲らない雰囲気ですよね。面と向かっての直接やりとりだと少しは相手の雰囲気を察して譲ろうという気も起きることがあるんでしょうけど。
虚空 この前のダンデリオンさんのツイッターの事なんかも、ここがポイントなんだろうね。
諷虹 コバルトさんが貼りつけている「泣いて馬謖を斬る」っていうのもね
虚空 だいたいさ、コバルト君の「不協和音」の話は「光の混沌」からの流れだったわけだけどさ、さっきの不協和音のやりとりから「共鳴」「歩み寄り」に話が発展して、「百(ひゃっ)谷(こく)の王」に通じる内容にそれこそ自然になってきた。
諷虹 今回のコトブキ(今季アニメ 荒野のコトブキ飛行隊)でも「一心不乱のレオナ」って。隊長の時には本来のスタイルではなくて、教科書通りの攻撃方法に切り替えている、っていう・・・それともつながりますよね。まさに「百谷の王」の振る舞い。
虚空 とかくそういう姿勢を貫く人をみると「ポリシーがないのか!」と頭ごなしに批判する人がいるよね。どんな状況であっても信念を貫くのが自分らしく生きる事だ、って。
確かに場当たり的に優柔不断であればそうとも言えるんだろうけど、考えに考え抜いた末に今はモードを切り替えるのが適切と判断したら、躊躇することなく自分を封印できるのも大事なこと。
こうした生き様っていうのは、凡人にはなかなか理解できないのは仕方ないんだろうね・・・自分も凡人だけどさ。
諷虹 ちょっと話が戻りますけど、廃材アートとか・・・今回のこのはな綺譚の古い着物を羽織にかえるというエピソードも・・・最後の最後にはぼろ切れを雑巾に変える・・・モードをかえる。
フォームチェンジ。
⇒ネット解説)変身した上でさらに他の形態に変身すること。(レインボーマンなどがもと)
プラスのものを転じてさらにプラスのものにする。
さっきのレオナの話だと「一心不乱のレオナ」でも優秀なパイロットだけど、チームで戦う際には隊長としてモードを切り替えることによって、状況に合わせた最適解
虚空 隊長っていうのは個人で戦うというよりはチームそれぞれの力を引き出して、かけ算的に全体の能力を飛躍されるのが大事だ、っていうことだからね
諷虹 劇場版のガルパンでカチューシャを残そうとしたプラウダの面々なんかも、隊長としてのカチューシャを残した方が、この戦いの上では重要だと判断したからでしょうしね。
虚空 スラムダンクでもリアルでも、井上さんの発想というか哲学はそこだよね。
個人技だけではない、しかも足し算としてのチームではなくてかけ算として・・・想定外の化学変化を相互作用で起こしてくれるかどうか。個々人の技量では絶対的な差のある相手でもそれによって打ち勝ってしまう。
ガルパンも同じライン。
諷虹 スラムダンクで1年生対上級生で、三井が桜木を封印してしまうのがあったじゃないですか。運動能力としては桜木の方が上でも、俯瞰視点でバスケ全体のことがよく分かっている三井には封印されてしまう。
なのはA’sまでのクロノもそうですよね。魔力量ではなのは達にかなわないけれど、状況に合わせた使い方などでは一枚上。まっしくフォームチェンジの発想。
虚空 そういうことから言うとさ、今回の「えんどろ~」のローナ姫なんかは自分のペースを押しとおすタイプかもしれないけど、今後あのメンバーとのやりとりを通して「百谷の王」としての振る舞いも会得していくような雰囲気はにじませていたと思うんだよね。
諷虹 「知恵の輪」ってよく出来ていると思いますよね。外すという意味では「力」であっても「力」一辺倒では外せない。頭も使う。
虚空 それによって新展開を引き寄せる。「論理・知識」を新たなイマジネーションの世界へのツールにする。
諷虹 ふれこみでは「スターライトブレイカー」(リリカルなのは)は知恵と戦術の最後の切り札・・・それで特殊な魔法なのかと思えば、一周まわって最高効率の力技のバカ魔法。
あれはたまらないですね。
虚空 それこそ廃材アート・・・使われないでまき散らされた魔法力をかき集めて「ドカン!」だもんね。
諷虹 ドラゴンボールの元気玉・・・原作での悟空の最大攻撃・・・これも、みんなから元気をちょっとずつ分けてもらって、それを放つ。細かい設定になりますが怒りに身をまかせているスーパーサイヤ人の時には撃てない、っていう設定があったと思うんですが・・・・
ネット解説 「善人にしか使えない」という設定。
最終決戦では地球のみんなからギリギリまで元気をもらって最大火力で撃つ。しかもこれを撃ったあと、スーパーサイヤ人モードになって最後の一押しをする。
同時に存在しえないものの夢の競演・・・禁断の・・・それをやったら強すぎるから普段はできなかったのが。それで原作の最後を〆ている。
スラムダンクだって最後の最後に流川にパスをして、流川からパスをもらって、っていう原作でずっとやってこなかったことを最後にやる・・・カタルシスみたいなもんですよね。
虚空 これも構えからすれば「百谷の王」への道だよね。個人的な想いやわだかまりを超越しての行動。
諷虹 ついでに言うとさっきのドラゴンボールで地球のみんなから元気を受け取る時に今まで救ってきた人たちや、戦った敵なんかからも貰う場面が出てきて、最終回特有の全員出演・・・走馬燈のようになるんですよ。
虚空 まさに不協和音を包み込む
諷虹 すべての要素を包み込む。不協和音だけじゃなくて協和音も全部。添加。
さっきの「夢の競演」っていうのも部分集合を持たない集合・・・・完全に独立した複数の集合が重なり合っていく。

☆「百谷の王」①  元となったツイッター記事紹介 & ラインやりとり

学修塾ダンデリオン 2月11日の記事
(老子道徳経 下編徳経66)江海(こうかい)の能(よ)く百谷(ひゃっこく)の王たる所以(ゆえん)の者は、 其の善(よ)くこれに下るを以て、故に能く百谷の王たり。 是を以て民に上(かみ)たらんと欲すれば、必ず言を以てこれに下り、 民に先んぜんと欲すれば、必ず身を以てこれに後(おく)る。
是(ここ)を以て聖人は、上(かみ)に処(お)るも而(しか)も民は重しとせず、 前に処るも而も民は害とせず。 是を以て天下は推(お)すことを楽しんで厭(いと)わず。その争わざるを以て、故に天下に能く之と争う莫(な)し。
【大体の意味内容】 大河や海は、数百以上の谷川が注ぎ込むことで豊かに湛(たた)えられたもので、いわば「百(ひゃっ)谷(こく)の王」ともいうべき存在である。それは、いかなる流れよりも最も低くへりくだっているからこそ、すべてを呑(の)み込む「百(ひゃっ)谷(こく)の王」たりうるのである。
もしも人民の上に立つ統治者となりたければ、必ず自分の言動を慎(つつし)んで万人に対してへりくだるべきだ。 人々の先導者となりたければ、必ず自分の振る舞いを慎(つつ)ましくして、万人の殿(しんがり)を務めようとすることだ。
こうすることで、聖人たるものは、人民の上に君臨してはいても、人々はそれを重荷とは思わないでいられる。リーダーとして先頭に立っていても、人々は彼を邪魔な障碍物(しょうがいぶつ)とは感じない。
こうなると天下万民、すすんで彼を君主として推戴(すいたい)し、その薫陶(くんとう)を受けることを楽しんで嫌がらないのだ。さらに聖人は、人と争うこともしないから、世界中の人々も彼と争う理由がなくなってしまうのである。
【お話】 「自分は総理大臣だから森羅万象(しんらばんしょう)を担当しているのでありまして…」などとむなしい大言壮語(たいげんそうご)をなさるどこぞの御仁とは全く対極にある話です。
いったい、今の世界においてリーダーの立場にある人々のどれ程が、この「百谷の王」者としての覚悟を以てその任を務めているでしょうか。そう言える立派な人々もいます。が一国のリーダーである人々に、そのような存在が見当たらないような気がします。

この『老子』で「百谷の王たる所以の者」と書いてあるように、「者」のつく存在に着目してみましょう。 医者、学者、役者、教育者、芸者、武者(むしゃ)、求道者(ぐどうしゃ)、忍者(にんじゃ)、先導者、統治者…かつて恩師から以下のように教わりました。

「者」のつく彼らはいずれも特殊な職能や霊格を備えた、異郷・異界的な存在とみなされる。 彼らは特別な地位や役割を担う代わりに、この世的な常識にフォローされたり安住したりしていてはいけない存在でもある。

「医者」は、今目の前に、自分の愛する家族と、自分と敵対する者とが瀕死(ひんし)の重傷を負って横たわっていた場合、どちらを優先的に救わなければならないか? 当然、敵のほうだ。 「医者」である限りにおいて、自然な人情や常識に従ってしまってはいけないのだ。

ほかの「者」もすべて同じだ。「者」になった以上、自分は「非常識な」人(にん)非人(ぴにん)、制外者(にんがいもの)として生きる覚悟を決めなければならない。それができないなら、「教育者」になど、なるな!

「教育者」である恩師から、同じく「教育者」になろうとしていた私たちは厳しく命じられました。 今でも、そんな覚悟を自分は本当にできているか、備わっているか、自問自答し続けています。ただ少なくとも、師の言葉がずっと呪縛となり杭(くい)となって、心にグサッと刺さっています。

「大臣」とは「大」いなる「臣」、つまり「大きな臣(おみ・けらい)」ということで、それこそ老子の言う「百谷の王」である海のような、すべてのものの下位にあって総(すべ)てを呑み込める、器(うつわ)の大きな臣僕でなければならないはずです。それでこそ「総理大臣」であるはずです。
☆2019.02.15 金曜日
12:01 コバルト
https://biz.trans-suite.jp/5856
12:08 虚空
その心は?(執筆中かな?)
12:16コバルト
「将たる(者)は私情を捨てて大義を守る」者についての感想です。
12:20 虚空
「偉大なバカ」という言い方もできる生き様ですよね。もののけ姫流にいえば「バカには勝てぬ」
実際にそういった生き方を貫こうとすると現実世界的には理不尽な想いばかりをして周囲から「だから正直者は馬鹿をみる、っていったろ」と嘲笑されることもあります。
12:33 コバルト
損得勘定よりも、道理を重んじるんですよね。
12:44 虚空
実際に自分にとって明らかに不利になることがわかっていても実行に移すというのは勇気もいるしね・・・きれいごとばかりで世の中は動いていないから・・・。
馬鹿をみて身を滅ぼしても、という覚悟がいります。