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☆「教育は感染作用」(折口信夫)ということとゲーム「黒猫のウィズ」、そして再び「テレビ作家の教育力」

2019年3月17日  諷虹・虚空④
アニメやゲームの中には歌舞伎などと同様に「名ゼリフ」とされているものが多々あります。
もちろん名ゼリフといわれていなくても、放送時などにたった一回聞いただけなのに何年も意識の中にひっかかっているものもあります。
それは4~5歳の幼児期にみた番組などでもあります。

そうした言葉が人生観や世界観に大きな影響を生涯に渡って及ぼしていることって、丁寧にふりかえると想像以上にあると思います。
まさにテレビ作家やゲーム作家の教育力ですね。

★もちろんよくない発想や構えとつながってしまうセリフや場面が多々あることも事実ですが。

虚空 当時の歌舞伎なんかは伝統文化なんていう位置づけじゃなくて、あんなくだらない馬鹿馬鹿しいものはない、っていうものだった・・・だから明治維新で外国人が入ってきた時にあんなみっともない芝居は見せられない、って著名人たちが嘆いていたらしいよ。
でもそこにこそ心意伝承の最も生々しい痕跡が残っている、ということで上原先生は資料としてとりあげている。庶民の愛好していた、最も低俗な扱いを受けていたものだからこその資料的価値とか、心への教育力。
だからそれを今の時代に置き換えたら、アニメやゲームだろうって・・・低俗な代表のような言い方になってしまって悪いけど・・・。
でも実際に今日だって、黒猫のなんとかというゲームのほんの一部だけでもハッとする言葉がたくさん出てきたじゃない

諷虹 ハッとする部分を選んで抜粋したというのもありますが(笑)

虚空 でも心へのインパクトを教育力というのであれば、まさにゆさぶられ続けたよ。
折口先生の「教育は感染作用」っていうのが、今日の話でいえば「音の共鳴」っていうことなんだろうしね。「注入作用」とかじゃなくて「感染」

諷虹 中に出てくる男なんですが、それを音楽教師という設定にしたのも面白いところなんですよね。しかも吸血鬼なんです。
血を吸うというよりは音を食らう魔族なんですけどね。
設定的には人の音を食らって自分の魔力を強化してきた「吸血鬼」の一族の末裔なんですが、何代か前からそういった行為は一族の中でも禁止され普通に人間と変わらない生活をしてきた。ましてや自分の娘が音を食われたことから、そういった人の音を奪うという行為には断固拒否の姿勢を見せていますが、娘の音を取り戻すために吸血鬼の力を使うことを最近始めた・・・という感じです。

虚空 鬼子母神みたいだね。

ネット解説「鬼子母神」
訶梨帝母(からていも)ともいいます。もとは鬼神王・般闍迦(はんじゃか)の妻であり鬼女でした。500人の子供を持つ母でありながら、その子らを育てるために人間の子供をさらい食べていたのです。そのため釈迦はその末子を隠し、我が子を失う悲しさと命の大切さを説きました。改心した鬼子母神は全ての子供達と釈迦の教えをまもることを誓い、子育てや安産、子供を守護する善神となります。

虚空 仏教徒とかになって鬼子母神信仰を知らなければこういう発想になれない、っていうんじゃないだろ。このゲームを通して、鬼子母神信仰のようなことと響きあえる、とも言えるわけじゃない。鬼子母神っていうことを全く知らないまま人生を送ったとしてもね。
上原先生もよく言っていたけど「心意伝承なんていうのは誰の無意識の中にだってあるんだから、俺の考えたことでも何でもないんだよ」って。さっきも上原先生の犠牲論っていう言い方をしたけど、本当は「日本人がもともと考えていた犠牲ということは」っていうことなんだもん。

鬼子母神とか釈迦とかの固有名詞がくっついていると、自分は仏教徒じゃないから、とかで関係ないってシャットアウトする風潮があるけどね、そんなのは本当は関係ないんだよ。
アニメのセリフだってゲームのセリフだって、いいものはいい。ハッとするものにはハッとする。何も立派などっかの先生が書いた著書だとか、名作の小説でないと人生を考えたり学んだりしちゃいけない、なんていうことはないんだからさ。
*ギターの音色に乗せることでバラバラの力を一つに

虚空 音だけの共鳴なんだろうけど・・・ちょうど今日観ていた「刀使ノ巫女」の再放送で「足し算」と「かけ算」っていう言葉が出てきた。
やっぱり「共鳴」は「かけ算」・・・しかも「累乗的」な方。
ヒマワリフクロウさんが来ていた時にもそんな話になったじゃない。

諷虹 「つぐもも」っていう作品でも、付喪神なんかの話でも、付喪神を単なる「物」とするのかどうなのか・・・なんていうのがよく出ていて・・・。単純に足し算ではむしろ全体の能力は減るというような・・・マイナスのものでも「絶対値」をとって足せばプラスにはなるけど、そのまま足したら引き算になってしまう・・・
(心を持った機械 とからむキャラ)

虚空 付喪神っていう扱いではなかったけど、自分らの世代で「機械が心」っていう感覚を獲得するきっかけになった一つが「魔法使いサリー」のD51のエピソードだったと思う。ゴミ捨て場に捨てられた道具たちが愚痴をこぼし合う場面があって・・・。
再放送で何度かみているけど、でも初めてみた時からこのシーンは頭にずっと残っている。アニメとかの印象的なシーンって何年たってもずっと残っているだろ。

諷虹 何回みても入って来ないものは入って来ないですよね。

虚空 それこそまさに教育力だよ。ウルトラマンとかウルトラセブンで幼稚園の時にみた初回の時点で意識にひっかかっていたエピソードっていうのは、深いところは理解できていなくてもさ、大きくなって観たときにすごく深いメッセージが隠されていた、なんていうのがほとんどだよ。
ウルトラセブンの「ノンマルトの使者」なんてまさにそれ。金城哲夫さんのシナリオで沖縄問題が隠されていた、なんていうのを知ったのは大人になってからだけど、あの話は幼児の時からずっとひっかかっていた。
それだけ本気で作られていた・・・子ども向きだからいい加減じゃなくて、子ども向きだから本気だった。

諷虹 ここで話題にするものも小さい頃からの印象のあるものだったり、多くの人が気に留めていること、ステレオタイプのようなものを大事にしているというのはありますね。それがまさに心意伝承なんでしょうけど。
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☆「大嘗祭」と「セーラームーン(セーラーサターンのエピソード)」との接点

2019年3月17日  諷虹・虚空③
ここでダンデリオンさんのダイレクトメールについてのことになりました。
そこから天皇の交替に際して行われる「大嘗祭」と「セーラームーン」との接点の話となりました。
(ここでのセーラームーンはテレビ版よりも原作の方がきちんと接点が分かるように描かれています)
ダンデリオンさんのダイレクトメール
『一通り拝読しました。「オポノポノ」興味深いですね。

ちょうど手元に青い瓶(花瓶にしていたもの)があるのでクエン酸で洗浄中です。ブルーソーラー・ウォーター飲んでみます。

『心意伝承』でも力説しましたが、ハワイは、日本、東アジア、東南アジア、オセアニア、ミクロネシアポリネシア、南米北米、ロシア東部の環太平洋人たちの中心にある「天皇島」だと思っています。

海民たちの指標であるポラリス(北極星=天皇星)を祀る人々の聖地。縄文期ごろの環太平洋人たちは定期的にハワイに集まってマウナケア山頂で降霊(ふら)ダンスを舞っていたのではないか、勝手に妄想しています。』

虚空 ハワイのやりとりに共鳴してダンデリオンさんなりに書いてくれたことなわけだけど、それでヒマワリフクロウさんが真っ先に「てっ…天皇島…」って反応したのは、実はゆうべ個人ラインの方で大嘗祭についてやりとりしていたからなんだよね。天皇霊のことだとか。
そんなことを知らないハズのダンデリオンさんが、ハワイの話から「天皇」という言葉を出してきた、っていうのが驚きだったんだと思うよ。だって自分もそうだもん。これはやっぱり偶然ではなくて必然、っていうように。
もっといえばね、ゆうべ50円玉君や、彼のお母さんとセーラームーンと大嘗祭との関連についての雑談になっていて・・・だから余計にビックリだった。
(外部太陽系戦士の持つそれぞれのアイテムが 「鏡」「刀」「玉」であり、その3つが揃って共鳴しあう時に「滅びの神」であるセーラーサターンが甦る。セーラーサターンのイメージは「死神」。復活すると必ず「沈黙の鎌」を振り下ろす。それは世界の滅亡を意味する。これまでをリセットしてしまうのがセーラーサターンの使命・・・・)
大嘗祭で元号が変わるというのは、単に昭和が平成になりました、今度平成が終わります・・・そんな名称の問題じゃないわけだよ、世界が転換する。

その時に3種の神器の継承がなされる。
「人間は伝承体でしかあり得ない」は上原先生の口癖だったけど、じゃあどうやって「伝承」というのが成されるのが本当だったのか・・・それを「大嘗祭」と「芸能での襲名」とかとからめて話している記録を読み返しているんだけどね・・・・

☆『ゲーム作家の教育力』として「心の音を食われて心が動かなくなる」という内容のゲーム 

2019年3月17日  諷虹・虚空②
ここで諷虹君があるゲームのことを紹介。
先に行われた児言態50周年の公開授業テーマとも密接に関連するような内容と感じ、いろいろと彼からゲームの内容について教えてもらいました。

駿煌会のやりとりは今風のアニメの話題が中心で、アニメを知らない方々からは何を話しているのか全く理解できないという声をよく頂きます。その点に関しては本当に心苦しい限りです。
実際に私も先生が調査旅行から帰ってきて「曽我兄弟についてこういうことが分かった」と嬉しそうに語っていても「曽我兄弟って何もの?」という感じでした。「心意伝承の研究」や「かぶき十話」などでそもそも知らない芝居を例にとりあげられているとさっぱり。
皆さんもそういった感じになっているんだろうなというのは容易に想像できます。

それでも直接アニメやゲームの内容から「こういうことがいえるかな」という感じでまとめている部分だけでも目を通して頂けると、何か通じてくれるのではないかとは思っています。

実際に諷虹君がとりあげるアニメは私が未見であることは結構あります。また諷虹君とコバルトブルー君が少年漫画などについてやりとりしている時にはほとんど内容は分かりません。
でも「分からない」ということを逆に強みとして、知っている人とは違う切り込みを、という感じで話に加わろうとしています。
また他のメンバーもそうです。基本的に諷虹・虚空の二人が観ているアニメは他のメンバーは観ていません。

だからこそ、観ている二人が思いもよらないような観点での意見にハッとさせられることが多々あります。

今回話題になったゲームも、やはり上原先生の「テレビ作家の教育力」と通じる部分・・・「ゲーム作家の教育力」と言えます。
このゲームを楽しんでいる人たちは、いつのまにか「感情」「共振・共鳴」について新たな観点を添加しているんだと思いますから。  

諷虹 ノリと勢いっていうのは多分あるんですよね。
「黒猫のウィズ」の最新のイベント・・・ごくごく簡単にいうと、振幅とかの言葉が出てくるんですよ。「心の音色」って呼ばれているんですけど。それを共振しあうことで高め合う・・・。

虚空 これはアニメとかじゃなくてゲームなんでしょ?

諷虹 そうなんですよ。
PV https://www.youtube.com/watch?v=XCMshcu8ol0

諷虹 日本が舞台になっているというのも、河童や唐傘お化けなんかの妖怪も妖精っていう設定になっていて、東京がそういったものが大量に存在する特異点になっている

虚空 「この フェアリーコードが聞こえるの? っていうセリフなんだけど・・・っこれが聞こえるかどうかが犠牲論でいう「資格者」っていうことなのかね???
なのはがユーノ君の声を聞けたということから魔法資質の発動につながってああいった運命に突き進んでいったみたいな・・・。セーラームーンもルナとコンタクトがとれたということで上原先生流の犠牲者。まどマギもね。

ゲームの本編動画(ファンの編集)⇒https://www.youtube.com/watch?v=DRb5AWmcGtA

諷虹 こうして見ると序盤の展開は魔法少女もののテンプレみたいな部分はありますね。
いったんやられると元の妖精に戻れるんですけど、行き過ぎると元には戻れない、悪魔になってしまう。そうならないように主人公が頑張る。まどマギの魔女のようなものですかね。絶望をためすぎると魔女になってしまう、というような。

虚空 自分なんかはもう手遅れかもね。もうとっくに臨界点を突破してる自覚はある。
音色のことだけど、自分勝手な人間って、周囲の声なき声を敢えてキャッチしようとしない。鈍感であればあるほど、他人がどんなに苦しんでも罪の意識を感じないで踏み台にできるから。
本編『妖精は人間の倫理や論理は関係ない。憎いという気持ちが高ぶれば命を奪うことだってざらにある。』

虚空 自分勝手な人間の場合は「自分の都合よく動かない人間は役立たずな邪魔者」っていう受け止め方・・・役立たずだから人生や命を奪うことだって平気・・・っていうことだよね。
本編『好きという気持ちが他のすべてをかき消している』

虚空 これはどういうこと?

諷虹 歪んだ愛憎の昼ドラ・・・ストーカーの身勝手な論理。

虚空 ファンだからっていうのがあったじゃない

諷虹 逆に殺しちゃう

虚空 親愛と殺戮の関係だよね・・・ちょうどゆうべ、折口先生がそれに言及している論文をみていたんだけど・・・。
(「髯籠の話」の話 本文 https://www.aozora.gr.jp/cards/000933/files/18393_22337.html
5節にその文がある)

本編『あたしたち妖精はみんな音から生まれた存在だから。』

虚空 音=波 って考えれば人間も現象世界のすべても波から生まれているよね。素粒子とかひも理論とか

諷虹 このゲームの世界は海から生まれたというようなことに近いかな。音がすべてを支配している世界。
妖精に音を奪われて一切の感情を失っている娘、なんていうのも出てきます。
クラスメートも感情を失っているとか・・・心の音を食われて心が動かなくなっている。妖精のイタズラで。

本編『犯人をみつけて音を取り戻そう。』
リレイがギターを弾くようになった件(書き起こし)
ーー小さいころ、リレイは悩んでいた
フェアリーコードーー”場に流れる旋律”が聞こえるのだと友達に言っても、そんなわけがないと馬鹿にされ、笑われていたせいで。
嘘つき。
人気者になりたくて調子に乗ってる。
頭おかしいんじゃないの?
そんな風に言われ、落ち込み、泣きながら父に相談すると、父は笑顔でこう言った。
タケル(父)「お前の言う音は、俺にも聞こえない。たぶん、他のみんなにも。
でも、その音は、きっと確かにあるはずなんだ。
人の気持ちは、音色なんだ。俺なんか、それを形にしたくってギターを弾いているようなもんさ。
すどいことだぞ、リレイ。俺が苦労して再現しようとしている音色が、お前にはばっちり聞こえているんだから。マジで羨ましい。
もちろん、お前の心だって音を奏でている。周囲の音なんて気にすることないさ。うまく合わせて、ノリこなしちまえ。」
そして、ギターの弾き方を教えてくれた。自分の心に流れる音を表現する方法を。
周囲の音に相乗りし、乗りこなす方法を。
以来、リレイはそれで悩むことはなくなった
人の心や場の音色が聞こえてくることを長所と捉え、人の気持ちや場の状況に、”乗って”、”うまいことやっていく”すべを見出した

虚空 さっきの親戚のことを世界定めと結び付けていくとさ、自分の意識世界の中では他人の無念な感情とかが全てないことになっているわけだよね。知らんぷりをして。絶対キャッチしようとしない。我が侭を貫くのに罪の意識なんてちょっとでも感じたら邪魔になるから。

それがこのゲームでいう「妖精が音を食う」っていうことに置き換えられるんじゃないかね。音を食ってしまったから、あの親戚の頭の中では周囲の人間は何の感情も持たないで自分の都合のいい道具と成り切れている。実際には負の感情がますます増大しているのに。
全く身勝手で都合のいい「世界定め」。

☆上原先生「テレビ作家の教育力」発言 元は「古典芸能の教育力」

2019年3月17日  諷虹・虚空①
*大洗でのイベントの話題から先日紹介した上原先生の言葉「テレビ作家の教育力」に関わるやりとりです。

上原先生の教育の発想は、いわゆる「学校教育」が出発点でないことに大きな特徴があります。
民俗学の「心意伝承」や「古典芸能」「儀礼文化」等々、非常に幅広い分野からの発想を重ね合わせての「人間探求」・・・その中に位置づけられる教育学です。

学校教育制度が整っていなかった時代の庶民教育は旅芸人などによる芸能によって行われていた部分が大だったということなのですが・・・これはまた、現代人が「(神話を含む)古典を学ぶ意義」にも直結する問題です。様々な時代を生き抜いてきた・・・様々な時代の人たちが「これは残そう」と思うだけの普遍的な価値があるから残ってきたのが古典・・・その中に秘められているものは、現代人にこそ「大きな教育力を持つもの」と言えましょう。

そして、案外アニメなどの中には、古典や神話に通じるものが沢山あるんです。

駿煌会がアニメをとっかかりにして様々なやりとりをしているのも、それに沿った発想。
だから「アニメの話」という枠に縛られずに、様々な分野と共鳴しうる内容を語り合い、楽しんでいるわけです。

諷虹 ・・・大洗でのガルパンイベントもかれこれ8年。今日は6万人だって公式発表されていました。あんこう祭の12万人の半分程度ですが・・・

虚空 半分だって6万人っていうのはすごいことだよ。
これもさ、この前T・K先生から紹介された上原先生の言葉を裏づけるよね。

『子どもはいつでも夢を見ている。その中に先生だから入れるということでなければ、(ならない)。
ガンダムの世界、子どもの世界、夢の世界に働きかけている。(これが、)テレビ作家たちの仕事、教育力ということから言えばテレビ作家たちの方が優っている。
教育の世界に(は)、子どもの世界に触れるものがない。
9月例会 1992(平成4年)9.15 』

学校の教材でこんなに世代を超えていろんな人に印象付けて、何年も大勢の人たちを突き動かしていく力を持っているものってある?アイドルだってコミケだってそうだけどさ・・・・

諷虹 ほとんどないですね。

虚空 ガルパンで大洗が盛り上がるのはこの先だって当分続くでしょ。
よくよく振り返ってみればね、上原先生が日本教育史の話として古典芸能のことをよく言っていたよ。江戸時代はかなり寺子屋の制度とかが整ってきたんだろうけど、それよりずっと前の時代。
特に「生き方」というような人間の根源に関する教育。その大きな力になっていたのが、熊野なんかを出身にした修験者とか、平家物語を語って聞かせた琵琶法師・・・旅人。それが地方の村々を渡り歩いて語って聞かせたことが、人間性とか宗教の教育になっていたと。
そういった今でいう古典芸能が持つ教育力。
それが頭にあったから玉川の教育学科で「国文学」の講義というのを自分が開講していたことに自負があったんだろうね。教育学科で国文学の講義が用意されている大学はそうそうないって。でもそれが自分が履修した年が最後。来年からは国文学も児童言語の研究もすべてなくされた。国語教材研究だってほとんどの学生が教育方法学の若い先生の方にながれていってしまって、先生の居場所はなくなっていった。
でも、日本の教育史からみれば、今のような学校教育制度になってからの方がまだまだ歴史が浅いし、戦後教育になってからはそれこそ歴史がないよ。で、本当の意味で成果があがっていればまだいいんだけど、本当の人間が育っているかというとそうは見えない。
上原先生流にいえば、それがまさに「心に届かないことばかりを今の学校はやっている」ということなんだろうけど、もっといえば日本の教育の中核を本当に担っていたのが「旅の芸能集団」だったと。その代表的なものが「説経」であり、説教師とよばれる人々が村々をまわって語り聞かせることで大きな教育を担っていた。
だからそれを国文学の題材として講義していた・・・そういうことだったんだろうね。「説経は説教ではない」という文字の違いについても言っていたよ・「経」だって。縦筋なんだと。普遍的なことを説いているのもだと。
どうしても学校の先生は学校でのカリキュラムこそが教育として絶対のものであって、アニメやゲームなんかは勉強の邪魔としか扱わない。
でも、日本教育史の観点からいえば、芸能・・・今の時代に当てはめればテレビ作家の用意していることの方が、本当の教育に通じる・・・っていうことだよね。
上原先生の退職後の論文も直接教育云々っていうのはほとんどない。やっぱり心意伝承とか「人間そのもの」の幅広い探求。その中に教育を位置付けていたわけだ。
そのスタンスそのものを受け継いでいかないと、っていう想いがあるから余計に駿煌会のやりとりなんかを、きちんと文字に残しておきたい、っていうのはある。
自分もいつまで動けるか分からないっていうのがいよいよ現実味を帯びてきているから。

諷虹 震災があってこそというのもありましたからね。もちろん多くの犠牲はあった上でのことですが。

虚空 そのあたりが上原先生の犠牲論ともつながるわけだけど・・・犠牲論って一つ間違えるとえらい誤解をされるような危険な内容といえば危険な内容だからね。
大洗の若者が中心になってガルパンを盛り上げたんじゃない部分・・・それまでアニメに縁がなかったようなオジサンとか年配者が頑張ってこその草の根的なことがある。そういう動きのでき
る人たちだったから・・・っていうのがね。
それを「特殊能力者」とか「資格者」といっているわけだよ。
単に地元を舞台にアニメ化してくれないかな・・・という姿勢だけでは、聖地としてこんなに盛り上がり続けはしない。それは他の聖地をみてもわかる。

諷虹 老兵・・・SHIROBAKOでいうと杉江さんとか・・・・技術が高くてもだんだん熱量がさがってしまう。でもそれが何かのきっかけに燃え上がれば・・・。
ベテランたちがっていう意味で言うと、アンデスチャキーなんかも。
最後の輝き・・・普段冷静な老兵であっても死ぬ瞬間は冷静でなくなるよなって・・・燃え上がって最後の輝き、今までの中で最高潮の状態に達する。

虚空 自分ももうひと踏ん張りしたいところだけどね・・・・。心は崩壊しかかっているまま。例の親戚がらみのことで怒りだけはしょっちゅう爆発させているけどね。
今日も胸糞悪い電話がかかってきて大爆発して電話を切っちゃったんだけど・・・。でもそれでますます現実を追いつめられてしまう部分もあって・・・だからガルパンの6月のだって、ちゃんと観られる状態になっているか本当に分からない。
正常な状態で気持ちが盛り上がって、ラストに向かっていくならいいんだけど、それも出来ないままで終わりを迎えるというのが今日の一件でまた現実に近づいた。

諷虹 (ネット検索)これは西洋の考え方ですかね・・・

ダグラス・マッカーサー「老兵 は死なず、ただ消え去るのみ(Old soldiers never die; they just fade away)」
⇒その意味は「自分はこれで表舞台を降りる」といったことを表します。

虚空 日本でも姥捨て伝説のように「年老いた=役立たず」っていう発想・・・現代なんかはまさにそうだろうけどね・・・でも本来は年配者は神にもっとも近い存在・・・
もっともうちの親戚みたいに年老いて人生を達観する境地でなくて、他人を他人とも思わないまんまというのが多いから、年配者を尊敬しようという気になれないのも仕方ないけどね。
もうすぐうちの母親の推定命日だから余計にそう思っちゃうんだけどね。体調が悪化したおに誰にも連絡することなくそれこそひっそりと朽果てて一か月後に発見されたわけだから。
それだけに今日は我慢ができなくなって爆発。

諷虹 (ネット検索 アニメキャラ等々のカッコイイ死に方)
弁慶なんかもそうなんですね・・・

虚空 本人がそれをかっこいいと意識していたかどうかは別にして、日本人がどういった死にざまを賞賛したのかというのは、さっきの犠牲論がらみもあって重要な問題だよ。

諷虹 活路を開く・・・いい意味の吶喊をするキャラ。自分が自爆することで・・・。
弁慶は盾になる。槍か盾になる・・・・

虚空 ちょうど今日、以前録画していた坂東玉三郎の古典芸能の解説をみていて、仮名手本忠臣蔵のおかるのことをやっていて・・・自分を投げ捨てて行ったことがすべて無駄だったということを本人に伝えるか伝えないかの場面についてやっていたけどね。
槍にも盾にもなれないで無駄死にするようなことがアニメやドラマだけじゃなくて現実にもある。うちの母親なんかまさにそうだったし、そんな母親が命にかえて守ってくれた自分も、今理不尽なことで葬られようとしている。一体なんのために自分も母も人生を滅茶苦茶にされたのか・・・・(愚痴まくる)
杉江さんの復活と同じようなことが大洗でも起きたわけだよね。その秘密

☆諷虹・虚空やりとり 「日本企業衰退」「独占欲」

2019年3月15日 諷虹・虚空のやりとり記録です
最初はNHKの知恵泉という番組で先日放送されたソニー創業者の話などをからめての日企業衰退の話題。
そして、アニメやアイドルで元からのファンで新たなファン層が広がることを受け入れられない心境についての話。
どちらも「企業」「アニメ」「アイドル」ということを抜きにして、身近な問題とあてはめながら読んで頂けると幸いです。


参考・・・そのうち文字起こしもしたいのですが、体調の関係で実現できるか分からないので・・・
先人たちの底力 知恵泉「最強チームで未来を切り開け~ソニー創業者・井深大~」
ソニーの創業者・井深大。ウォークマンなど革新的な製品を送り出してきた実業家だ。その原動力になったのは、最強の開発チーム。仕事はできるが一癖も二癖もあるはみ出し技術者たちだった。
井深は彼らのやる気をどのように引き出し、イノベーションを巻き起こしたのか!?知恵に挑むのは今爆発的な人気を集めているアート集団・チームラボの猪子寿之さん。最強チームの運営術を巡り、新旧の革命児がぶつかりあう。
動画 https://www.youtube.com/watch?v=30akOM1EcgQ

*日本企業の衰退の話題
諷虹 アニメでもなんでも素人がどんどん上手くなっている。でもこれがずっと続くと逆にクリエイターの分母が減ってくるんじゃないか、って。

虚空 二次元の模写で上手になったっていうだけでは基本的なデッサンも何も抜け落ちているから、プロとしてというと絶対ボロがでるよ。
でも残念ながらそうした下積みをきちんと積んでまで、っていう若者がどの程度いるか。
自分で自由に描く、誰にも口出しさせたくない・・・なんていうことでネット投稿に走っている人だって残念ながらいる。でもそれはやっぱりプロにはなれないと思うよ。

諷虹 選択肢が広がるのが面倒っていうのもあるかもしれません。何でもできるっていうのは逆に不便なんですよね。

虚空 だからこそ「重ね合わせ」っていう「和合」の精神が発達したんじゃないの?古来から日本では。補い合う・・・異なる持ち味のみんなで一つの人格になるような感覚。
それが競争原理とか成果主義なんかの横行ですたれているんじゃないかな。手柄の横取りとか著作権とかの利益がからむから。

諷虹 学校の授業なんかも・・・幅広く学びすぎて大学でも専門を決意する前にダメになる。興味関心を沸かすことができない。

虚空 それがソニーのもともとの精神では、若いくせ者ぞろいの技術者たちがやる気を出す環境づくりに注がれていたようなんだけど・・・。
やっぱり最後は「構え」っていうことかな。
木も森も同時にみていく感覚・・・それが今日更新したブログでの「万年時計」への追記でも書いたことなんだけど・・・江戸庶民の発想「多次元構造の同時進行」
使う人がいないから機能をどんどんカットしたソニー製品と同じで、今のカレンダーだって旧暦だとか二十四節季だとかを気にする人がいないから「無駄」ってとらえるか・・・でも万年時計ではそれを同時に一つの時計に組み込んだ。
「世界定め」

諷虹 技術者側がする判断ではないことをしている・・・本来は消費者が判断しなければならないのに。
でもそれは消費者にも責任もあると思うんですよね。ブランド物にこだわっている人ほど、本当におしゃれを考えないで、その名前だけで買ってしまっている。
そうすると「買ってくれているんだからこれでいいんだ」って

虚空 悪循環だよね。

諷虹 コラボカフェのメニューなんかにもそれは言えますよね。みんな買うからあんな高い値段でも出してしまう。

虚空 信者のようなファンがたくさんつくと何でも堕落傾向がでるよね。


*今季アニメあれこれ
諷虹 (わたてん)松本さんが大好きなみやこからもらったクッキーを妹にあげてる場面・・・あれ原作にはなかったんですが、あれが良かったと思うんですよね

虚空 そうだよね。ついどうしても自分で全部食べたくなるじゃない。それを妹にもあげているのは、みやこの良さを妹にも知ってもらいたい、っていうのがあると思うんだよ。
アイドルのファンでもいるじゃない。初期からのファンが新たなファンが増えるのを嫌がることって。でも新しいファンが増えると「この良さが分かってくれた」って自然に喜べる。独占したいのか、広げたいのか・・・・本当にその相手が好きならば、良さを分かってくれる人が増えるのは嬉しいハズなんだけど、そこが人間の難しいところ。
独占の方に突っ走るとどんどん歪ませてしまう。
それはアイドルとかアニメとかに限らずいろんな場面であるよ。