忍者ブログ

参考資料 対談 ジャガー横田さん & 小児科医

ことり君とのやりとりに関する参考資料です。

「小児科医」という立場を超えて、子どもと関わる・・・あるいはもっと一般化して、普通に人間同士がやりとりする基本中の基本が、この医師の言葉の中に示されていると思います。


対談 現役女子プロレスラー ジャガー横田 × 慶応大学医学部小児科教授 高橋孝雄 (小児科一般 小児神経 日本小児科学会会長)


横田 一番最初にお聞きしたいのは「小児科医」というのは一般的に熱が出たらとか連れて行くこととかが多いと思うんですけど、どういったお仕事?
高橋 一番大事なことは「代弁者」であるということ・・・この間お話を伺っていてプロのアスリート・・・観客たちの代弁者になっているんですねと僕は思ったんですね。

小児科医だと主に病気の子ですけれど、病気でなくても「子どもの気持ち」をくみとって、それを大人の分かりやすい言葉にして本人に返す・・・これが代弁者。

例えば泣いている子がいた時に「泣いてるね」でもなく、「泣くんじゃない」でもなく、あるいは「喉が痛くて泣いているんだね」でもなくですね、本当はお母さんがここにいてくれないのが寂しくて泣いているのかもしれないじゃないですか。
本当の思いってあるんですね。特に病気で苦しんでいる子ども達には「伝えにくい」「うまく表現できない」苦しみや悲しみや寂しさがあるんですよ。それをくみ取るのが小児科医の仕事。

その次に今度は「お母さんの代弁者」にならなければいけないんですね。うまく病状を説明できない。子どもが泣いている時に、お腹が痛いのか喉が痛いのか、あるいはおなかがすているのかな眠いのか・・・そういうことをお母さんがなかなかくみ取れない。
で、そうやって悩んでいるお母さんに寄り添って、お母さんの悩みも代弁する。
(中略)

横田 お母さんの治療っていうのは・・・
高橋 いろいろありますけど、医者が知識とか診断を押しつけるのではなくて、結局「お母さんから聞いたことを、そのまま医者言葉にして返す」そうするとお母さんは安心するんです。
お母さんと関わるというのはそういうことで、病気で連れてきたお母さん、場合によってはお父さん・・・お父さんやお母さんが大事な治療の対象になるんですね。

(信頼関係の話になる)

高橋 小児科医はその信頼関係を築くのが仕事なので・・・裏をかえすと「一生面倒をみます」と。あなたの人生は責任をもってみます、という気持ちでやっておりますので、結果として10歳で治ればそれでいいですし、それが先送りになった場合にはただ見送るのではなく、必要に応じて寄り添っていく。それが小児科医の仕事です。
(中略)


ナレ 小児科医としてスタートをきった高橋。3年目医師としての根本を見つめ直す出来事があった。
高橋 一番最初の頃に経験したんですけど、まだ六ヶ月くらいの可愛い盛りの赤ちゃんがですね、息をしていない、って運ばれてきたんですね。お母さんに抱っこされて。
ただ、病院に着いた頃にはすっかり元気になっていて、いろいろと検査したけど何も原因が分からなかったんで・・・若いお母さんで。

入院したときに今でも覚えているのはここにキスマークがあったんですよ、首に。「へー」っと思ってみていたんです。1週間くらい入院して頂いて結局原因不明で「突然死のニアミス」ということが起こるんで「ニアミスだったんでしょう」ということで退院させたんですね。

翌日お母さん、その子の首を絞めて殺しました。お母さんも首を吊りました。最初から病院に連れてきた時に、子どもを殺しきれなくて・・・キスマークじゃなかったんですよ。自分の首吊った跡だったんですよ。顔がパンパンに腫れていて紫っぽい顔をしていたのが日に日に色白で可愛いお母さんになっていったんです。

そういうことを見ていても、僕は何も感じなかったわけ。おかしいって思わなかったんです・・・今から30年以上前のことなんで、産後の「鬱状態」で育児ができなくて子どもを殺す状態を全く想定していないんです。

お母さんは命が助かったんです。警察の方がみえて「実は殺しました」と。「お母さんもまた自殺をはかりました」と。


それは忘れられないですね。すなわち、これほどの誤診はないです。


検査して、心臓・肺に異常がない、っていって帰した翌日に死んでいるんですから。
それは多分今の僕であればすぐに見ぬいたと思うんですね。様子が変だ、おかしいと。絶対家には帰さないし、お母さんに寄り添ったと思うんです。

横田 そこの部分では患者さんに異常がない、ということから考えたら誤診ではないけれども、その背景まで読んであげなければいけないということなんですね。

高橋 背景が本当の医療で、息を吹き返した子がそこにいて正常だというのは、医療でも何でもないです。

さらに僕が「アッ」と思ったのが、警察の方が僕のところに事情を聴きに来て「先生はお母さんにこれからどうなって欲しいと思いますか?」って聞いてきたんですよ。

いろんな答えがあると思います。「子どもを殺すなんてひどい話だから重い罪だ、罰を与えるべきだ」というのもあると思うんですが、私は「一日も早く元気になって生きて頂きたい。」って言ったんですよ。そうしたらその警察の方が、本当に心底から「そうですね」って言ったんですね。

それは非常に僕は責められていると思いました。すなわち、「母親の気持ちをくみとらず、家に帰したお前が加害者」だと。「被害者はこの子どもと2回も首を吊った母親だ」と僕は言われたように・・・。

警察の方も事件として扱いながらも、それはとても温かい気持ちで、(警察官は)加害者であるお母さんの代弁者になっている。


ですから新米の小児科医よりもよく社会の事、子どもの事、お母さんの事を分かっていたと思うんですよね。
(中略)


横田 あとですね、今も目先に心配なのはですね、うちの息子は4月から中学生になるんですけど、思春期も重なってこのあとどんどん難しくなっていくだろうと想定されるわけですよ。私は4人姉妹の末っ子で女所帯で、あとは女子プロレスで女の子だらけのところにズーッといますので、男という動物が分からない。

どういう風に対処していったらいいでしょうか?


高橋 そんなに深く悩む必要はないと思うんですよね。自律神経にしてもホルモンバランスにしても大幅に乱れてその結果として、あるいはそれとは別に頭の中のものの考え方も・・・それは社会人に変わるたけに当たり前に起こる嵐なので・・・その嵐につきそう必要はないと思うんですね。

ですから(子どもと)距離を置くのも良いし、あまりの仕草に怒ってもいいし。


横田 怒っちゃうんですよ。本当に態度悪いし、口のきき方悪くて。「誰に向かって言ってるんじゃい!」って言ってしまいますけど。


高橋 それはそれで僕はしょうがないと思います。
ただその結果として、この荒れている時期の息子をなんとかしようと思う必要はない、と思います。

入院するような子ども達・・・思春期の・・・例えば「拒食症」とか「自殺しようとする」とか・・・そういう子たちに共通していえるのは、母親にも父親にも「本当の言葉をなげかけられない」っていう・・・これはみんな共通しています。
ですから「悪態をつく」「甘える」・・・それを非常にいいサイン。絶対に必要です。
:::::::::::::::::::::::::::
横田 これからの時代って「子育て」ってどうあるべきだと思いますか?どういう風に育てていくべきか。
高橋 あのう、日本においてということで申し上げると、大きな流れとして止める事ができないもので「少子化」っていうものがありますね。

次を担うのはみんなこの子たちだから、「数も作れ」と。で、「その子ども達を大事に育てろ」って・・・ある意味でいいことではあるんですけど、そういう風潮になっていますよね。
そうすると育てにくい・・・ある意味で子育てに時間がとりにくい社会構造になっていると同時に、少ない子どもを大事に育てろという風潮も同時にきていますから、これはどうなるかっていうと、お母さん中心に親に対するプレッシャーがものすごいんだと思います。

それは社会全体として考えたときには「無責任」だと思います。

やっぱり社会全体が子供を育てる、子どもに目を向ける、子どもに強い関心をもつというふうに、社会をかえていかないといけない、と思うんですね。
で、もしかするとそれがうまくできたら、少子化に対する歯止めになる可能性があるし、もし歯止めがかかるとしたら、それしか僕はないと思います。
PR

色づく世界の明日から ☆第十三話最終回感想

参考サイトhttp://anicobin.ldblog.jp/archives/54661180.html


(虚空)


主人公を魔法の力で未来に返すという場面が冒頭にありましたが、やはりそのポイントは若き頃の祖母の魔法力ではなくて、主人公自身の無意識での呪縛が解けるかどうかが、過去にどれだけ留まれるかのタイムリミットであった、という点なのでしょう。


この前からこだわっている「真床覆衾(まどこおぶすま)」という点でいえば、まさに「機が熟した」「その場で経験すべきことは成就した。」だから「次のステップに移行した」という、この目に見える世界の理でそうなった、ということなのでしょう。


「脱皮」とか「蛹から蝶が羽ばたく」というあの感覚。


スピリチュアルの世界では「この世は魂が向上するための修行の場」というような言い方をするときがありますが、そういう見方からすれば「一つのことが授受した」ということで「めでたしめでたし」となり、何もないおだやかな日々がずっと続くというのは、この世に留まる意味がなくなることを意味するとか・・・。一時的な休息でおだやかな日々が訪れたといっても、また時がくれば「さあ、次!」という感じ。


朝の連続テレビ小説のような展開ですね。


未来に戻った主人公のところにタイムカプセルということで過去と新たな現在である未来とがつながったわけですが、きっとまた時期がくれば何かの壁にぶつかるんでしょう。


でも過去に戻っての体験によって「構え」が変革した主人公は「困り方」そのものがどこか変化していているかもしれません。過去の思い出を「逃げ場所」とするのではなくて、それを足掛かりにして自分の中から突破する力を湧き上がらせながら生きていくんだろうなと期待したいところです。


いずれ魔法使いといえでも祖母とのお別れも待っているんでしょうから。




(諷虹)


非常にきれいにまとまった作品になったなと思わせる最終回でした。未来に帰ってからあれこれと説明せずにキャラデザやキャラ同士のやりとりの様子だけであれやこれやを視聴者に想像させる・・・今期アニメではリリスパもちょうどそんな感じでしたね。


この作品の感想で何回か触れたと思いますが、台詞や描写等に個人的にものすごいセンスを感じます。最終回で気になったのは冒頭に出てきた「鈍色(にびいろ)」というワードと、色が戻るときの描写の2点です。ラストの絵本の件も非常に良かったのですが先にあげた2点についてのみ触れていきたいと思います。


今まで白黒・モノクロ・灰色なんかは使われていましたが「鈍色」というワードは今回初めて出てきたと思います(間違ってたらゴメンナサイ)。ゲームに疎い人や世代でない人はあまり聞きなれないかもしれませんが、私を含め大体20~40代くらいの世代の人のほとんどはポケモンを連想・思い出したのではないかと思います。


知らない方のために少し解説をするとポケモンシリーズ初代のゲーム及びアニメの1つ目の町(主人公の故郷・最初で最後の町を除く)がニビシティといい、そこのリーダーに勝つとグレーバッジというバッジがもらえます。このバッジを8つ集めることがポケモンというゲームの一つの大きな目標になるのですが、初代は町とバッジがすべて色モチーフになっています(ニビ<グレー>・ハナダ<ブルー>・クチバ<オレンジ>・タマムシ<レインボー>・セキチク<ピンク>・ヤマブキ<ゴールド>・グレン<クリムゾン>・トキワ<グリーン>の8つ。ちなみに主人公の故郷の名前がマサラタウンで「まっしろ」)


さて、そんな感じで知らず知らずのうちにマイナーな色が大体どんな色味かという英才教育がなされている(?)訳ですが、鈍色はポケモンの作中では「石の色」と言われています。調べてみると平安時代には喪服の色にも使われていた色のようです。灰色というのもどちらかというとマイナスなイメージですが、鈍色というとそれが更に強まるような印象です。しかも作中では「寂しげな鈍色」と言っていました。音的にも「わび・さび」に近いところがあります。非常に考察しがいのある深い一言だと思います。(第1作目のしかも初っ端にそれを持ってくるポケモンのセンスもやはり凄まじいところ)


次に色が戻るときの描写について。新世紀エヴァンゲリオンのTV版26話のラスト(「おめでとう」のくだりに入るところ)をめちゃくちゃ丁寧に描写するとあんな感じだったりするのかなぁとかも思いましたが、気になったところは黒いところがどんどん剥がれ落ちていくような演出でした。


私の中で五本指に入る漫画家にきゆづきさとこさんという方が居るのですが、その方も色に関する様々な作品を描いています。他の感想ややりとりでちょくちょく出てくる「棺担ぎのクロ」もその一つで、主人公の体がどんどん黒く蝕まれていく死の呪いを解くために旅をするお話です。また、GAという作品の中で「白は、この世で最も明るい色。黒は、この世で最も暗い色。」と表現していました(検索しても出てこなかったのでおそらく作者オリジナル)。


それからもう一つ、10年程前に流行った東方の同人音楽で「BadApple!!」という曲があります(歌詞参考→https://www43.atwiki.jp/sagararyou/pages/18.html


※東方project及び東方アレンジ・独自設定が苦手な方は読み流してください


ここからは私の解釈ですが、やはりこの曲の一番のキーワードは繰り返し登場するサビ部分、特に「もし私から動くのならば すべて変えるのなら黒にする」と「こんな私も変われるのなら もし変われるのなら 白になる」かなと思います。”黒→自分から染める・染まる”に対して”白→自分からは不可”ととれるのではないかと思いました。


さて、長々と様々な作品の考察を挟んでしまって申し訳ありませんが結論として、


白→黒(プラス→マイナス・幸→不幸等)は不可逆反応と思いこみがちになってしまうのではないかということです。確かに黒く染める事は簡単に出来ても、一度黒く染めたところを白くすることは出来ません。(絵画ではなく習字などをイメージしてもらえると分かりやすいかと)


瞳美は過去の回想でも母親と自分の間を黒く染め、魔法及び世界に対してモノクロのフィルターをかけていたのだと思います。そして最終回にてそれを克服するとき、黒い部分が剥がれ落ちるという演出になっていました。


黒の上に何も書けないのならば一旦黒を解放する・・・自分でかけた鍵・しがらみ・縛りを、解放する。禊の感覚が近いでしょうか?(ちなみに棺担ぎのラストもそんな感じです。)


正月で、インフルエンザで引き籠っているのもあっていつも以上に長文になってしまいました。しかしそれだけでなく、流行物や熱狂的ファンがついているものの根底には白黒の発想や鈍色・モノクロの発想が隠れているのだと思います。


そして、これだけたくさんの事を引き出してくれた「色づく世界の明日から」も紛うことなき名作なのだと思います。

 

青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない ☆第十三話感想

参考サイトhttp://anicobin.ldblog.jp/archives/54665858.html


(虚空)


とっても複雑な心境で観終わりました。原作を読んでいないので、続きの部分は劇場公開までというのも「エッ!そんなに待たせるの」という感じです。体調云々のこともあるんで。


妹さんにしてみれば記憶が元に戻ったということでめでたしめでたしというところなのでしょうが、周囲の気持ちも痛いほど分かる部分もあります。


そして、それに周囲がこだわればこだわるほど、記憶の甦った妹さんにしてみれば全人格を否定されたような気持ちになるでしょうしね。


EDでは空白の別人格の自分も受け入れた上での再出発というように描かれていましたが、周囲は気持ちの整理をつけるまでそりゃ大変でしょう。


思春期症候群ということを抜きにすると今回のエピソードは我々日常のどういったこととつながるんだろうな・・・と考えているのですが、まだピンときていません。


観返せばいいんでしょうが・・・どうしてもあの日記帳を読み上げる場面が切なすぎてちょっと勘弁です。


最終回の感想なのでもう少し総括したことでまとめたかったのですが・・・無理無理無理でした。

RELEASE THE SPYCE ☆第十二話最終回感想 『伝えたい想いのひとつ』 ~罪を憎んで人を憎まず~

参考サイトhttp://anicobin.ldblog.jp/archives/54637916.html
(虚空)
やはり二重スパイだったんですね。とりあえずはホッとしました。みなさん生きていたし、元敵さんでも利用されていたような方々は新たな居場所をみつけたようだし。あのムキムキさんやカナリアも含めて。「罪を憎んで人を憎まず」という精神を垣間見た気分です。
こうした処遇の仕方を描いている世界観のアニメで真っ先に思い出すのが「魔法少女リリカルなのは」シリーズです。もともとは無印劇場版公開時に諷虹君に紹介されて・・・ドツボにはまりました。フェイトに激しく感情移入して。
幼い頃からいじめられ仲間外れにされ、また常に優秀な同い年の親戚と比べられ失敗作呼ばわりされ「自分は生まれてきてはいけなかったんだ」と思い込みながらの人生でしたから。小中学生の頃はこの世を去ることもかなり真面目に思い描きながらということもありました。なのでフェイトの姿は単なるアニメキャラというのではないレベルでいたたまれない気持ちで観ていました。(あんな戦闘能力のような特技を私は持っていませんでしたが)
次のシリーズでは八神はやて。フェイトもはやても利用されたり勝手に闇の書との縁があったりで、最終的には罪人として時空管理局に逮捕されるような身になってしまいますが、ここからがこのシリーズの特異なところ。これまでのことを改めて今度は正しい道を歩んでいきたいという者にはちゃんと道を用意してくれます。
成長した彼女たちはミッドチルダという時空を越えた様々な世界を統括している場所の管理局勤務になり、今の制度でいうとフェイトは「検事」、はやては「自衛隊の特殊部隊の隊長」というような任務につきますから。
第三部では敵の数が一気に増えますが、最後に逮捕された面々も、その後を選ぶ自由がそれなりに与えられて、比較的罪の軽い女性たちでも収監されることを選ぶ者もいれば、正義に協力することを選び、一定の保護観察期間を経た後には、やはり虚空管理局で貢献する、というような役割についている・・・という様子が描かれていました。
そんな世界観をリリスパでも最終的には感じられたのは良かったです。
後半は師匠と弟子の別れを描いていました。師匠のつきかげ時代の記憶を消す弾を弟子が撃つ・・・ネットではいよいよ撃つ時に設定画面に70%と表示されていることから効力を落としているのではないかという意見もありましたが、師匠が渡す時点でそうなっており、それは人生の記憶をすべて消し去るのではなく、師匠のセリフ通りつきかげで活動するようになってからの記憶という意味であったようです。
でも最後のすれ違いの場面のチラッとみせた笑み。
二重スパイのノリなのかもしれませんね。つきかげ卒業の二択で「記憶を消して生きていく」というのは、事実上弟子に対して「師匠はもういなくなった」と思わせる道というような。背後支援として存在し続けるか、無き者として振舞うか・・・どちらの方がいいのかが弟子のタイプによって違うから、それは師匠自らが判断して決める、というような。
このアニメの中心テーマは「師匠と弟子の絆」「人から人に受け継がれていくもの」でしたが、この受け継ぎというのは上原輝男氏が常に強調していた「人間は伝承体としてしか在り得ない」という事に通じています。本当の単独個人などいないということ。
単に「組織の存続」という意味合いではなく、そうした側面からもこのアニメを通して考察することも大事なんだろうなと思っています。
(諷虹)
完全決着&ネタバラシのAパートとその後の日々を描いたBパート。
今までの敗戦ムードが一転、一気に決着まで駆け抜けた疾走感を感じました。反面、文鳥の女との決着がやや弱く感じてしまいました。まぁ、今までは物量で押したり、人質とったり、弱い方を狙ってかばったところを討ったりとダーティな戦い方だったから強かっただけで、一騎打ちになると大したことない・・・とでもすれば納得できますが。でもどうせなら12話丸々使っての決戦、13話でその後の日常パートみたいな感じでも良かったかなと。やはりこの作品の一番惜しいところは尺でしたかね・・・

Bパートでは、虚空さんも言っているようになのはシリーズでお馴染みの敵であっても再就職の模様が描かれていましたね。そして記憶を消してしまった師匠でしたが、モモとすれ違った時のあの笑みは色んな展開が予想ができるいい意味での投げっぱなしだったかなと思います。

Aパートで駆け付けた味方達もそうでしたがやはりスパイ・影の存在としての暗躍がかなりベースにあると思います。記憶を消したと味方も思い込んでいるからこその活躍、暗躍の機会があるのかもしれません。師匠曰く商店街の梅子おばあさんも記憶を消したタイプのツキカゲらしいですが、その話を知ったうえでBパート始めの新聞を読む梅子おばあさんの表情も師匠と同じニュアンスのように感じられたりもします・・・といった具合に色んな展開が予想できますね。余談ですがスパイスも料理の中で隠し味として暗躍する存在ですよね。

全編通してみるとアクションあり、ピリッとした山場あり、百合ありの爽快スパイものだったのかなと。続編やOVA等の展開も自然に考えられるいい作品だったなと心から思います。

アニマエール ☆第十二話最終回感想 『異なるみんなで一つの世界を』

参考サイトhttp://anicobin.ldblog.jp/archives/54634767.html
(虚空)
フッと思い出したのが「スラムダンク」でした。主人公の姿と桜木花道の姿が重なって・・・。
これを拡大解釈すると社会というか世の中全体の中でどう生きていくかということにも通じますよね。
「競争原理」や「成果主義」、ちょっと古くは「立身出世」・・・トップに立つ、権威を持つ、裕福になる・・・そういったことが実現しないと「意味がない」「負け組になる」という風潮が強まり過ぎています。
「縁の下の力持ち」ということに意義が見いだせない世の中。だから下請けとか専業主婦とか、本来だったら大きな仕事や成功の土台になっている最大の後継者の方々(仕事)が生きがいを見いだせない、報われないと感じてしまうというのはひどい風潮です。
やはりそれは「陰」ということへの意識が超鈍感になってしまったからでもあるでしょうね。ゲゲゲの鬼太郎ではありませんが「見えない世界がある」・・・日本人の感覚でいえば「見えない世界こそ本体」という発想がとれない。だから形として成果があげられるかどうかと人間の価値が正比例しているかのようにみんなが錯覚しています。

各都道府県の上にたつ人たちが学力テストの数字だけで右往左往し、学校や教師を非難し、「公立学校であってもエリート教育をすべきだ」とか「結果を出せない学校は潰れればいい」というような発言を平気で行う。
そういった方々は自分の体が「心臓」「脳」などのような重要と考えられている臓器単独で生きていけるとでも考えているんですかね?????
昨年NHKの放送された新たな「人体」シリーズは体全体のネットワークというのが中心テーマでした。これまで大きな役割をはたしていないと考えられていた部位にも非常に大きな役割があることが分かってきたと。これまでの「脳」という司令塔の指示に従っている下部組織なんていう位置づけではなくて、本当に健康な体として生きていくためには、すべてが大切な役割を持っていて、そのバランスが崩れたら能さえも正常に働けなくなるという内容でした。

スラムダンクの作者である井上雄彦さんの観方も同じだと思います。現在の独自の持ち味を精一杯発揮する・・・全体が一つとして互いに補い合っている。
物理学でいえば「相補性の原理」ですかね。
「みんなでチア」ということを極めるとそういった世界観・人生観がみえてきます。
(諷虹)
初めて他のチアの演技を見て、チアの凄さを感じたり、自分たちは場違いなんじゃないかと不安を感じたりと様々ないい刺激を与えられた大会出場だったのかなと思いました。
途中出てきた「頑張っている人を応援するのがチアの理念」という言葉、それから予選落ちしたという結果の件でふと「響け!ユーフォニアム」を思い出しました。
「響け!ユーフォニアム」は吹奏楽部を題材にしたアニメですが、全国を目指して本気を出す部員も居れば単純に楽器を演奏するのが好きな部員も居たり、初心者も居たり、ただただ適当に日々を過ごすだけの部員も居る(居た)。そんな部に新しい顧問が来て、一番最初に"全国大会出場を目指す"か"楽しく過ごす部活動にする"かを問います。
この2択はどちらも存在しうるからこその2択なんだと思います。ただただ全国を目指すのも一つの道ですし、楽しく付き合うのも一つの道です。「スラムダンク」の赤木(と小暮・三井)と他の同級生部員の2択、「ガールズ&パンツァー」の生徒会と他の戦車道履修者の2択なんかもそれにあたると思います。
今回の「頑張っている人を応援するのがチアの理念」というのは本質的なところなのだと思います。全国を目指している高校でも神ノ木高校チアリーディング部でも誰かを応援するという前提であるのは間違いないのだと思います。
そういう視点で見るとチアの演技を極めることしか見えていなかったひづめと、ひづめのことしか見えていなかった花和が、初心者のこはね達をサポートする・応援することでチアの理念に立ち返った・・・なんで見方もできるのかなと思いました。
総じて全体的にキャラとドラマ、ギャグのバランスがいい作品だったなーと思います。