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うちのメイドがウザすぎる! ☆第十二話最終回感想 『お籠りの本義』~真床覆衾(まどこおぶすま)~

参考サイトhttp://anicobin.ldblog.jp/archives/54628095.html
(諷虹)
作中ずっと明かされなかったつばめの過去の話、ミーシャが怒った理由等これまでの話で踏み込みそうで踏み込まなかった核心の部分が語られ、そして関係が一段深まるといった最終回でした。
途中、天井から食料を届けたり、二人のメッセンジャーとして動いた鵜飼元二尉は文字通り橋渡し役としてギャグもシリアスも担当する三面六臂の大活躍だったかなと思います。
途中のミーシャが打ち明けた心境は現代の不謹慎・自粛ムードといったところに通じるところがあるのかもしれませんね。確かにそのような気持ちも大事ではありますが、いつまでも自粛し続けるというのも問題なのだと思います。

去年NHKで「千原ジュニアがゆく 聞いてけろ おもしぇ~話」という番組が放送されました。私はこの番組自体は見ていませんでしたがジュニアさんがトークライブでその話をしていて知ったのですが、この番組は東日本大震災の被災地に赴いて、地元の人から笑い話をたくさん聞いて回るという内容です。このご時世に放送したNHKの凄さを感じると共に、やはりこのような悲しい出来事があったからこそより強く笑いとばす・・・江戸の鯰絵等に通じる活力なのかなと思います。
この作品中では忘れるのではなく親離れ・成長という風にまとめていましたが、そういう側面もあるのだと思います。

部屋から光とともに出てくるミーシャはまるで天照のようでした。天照ではありませんが天照が引き籠る原因となったスサノオも、ミーシャやつばめと同じく、死んだ親に会いたいという気持ちを乗り越えて、最終的に立派な神様になっていきました。

悲しみ・失敗・バッドエンドといった負の感情を乗り越えて正の方向に転換することで大きな成長が見られるのだと思います。(最終的につばめが真っ当な人間になったかどうかはさておき)
(虚空)
折口先生の民俗学のキーワードの一つに「真床覆衾(まどこおぶすま)」というのがあります。天皇の代送りでの重要な儀式「大嘗祭」がその例としてあげられています。これに関しては否定的な意見が多数をしめているようですが、その真偽はともかく、一般的に我々の感覚からすれば、共感できる考えだと思っています。

ものすごく単純化していえば「布団にくるまって寝ることで新たな自分に生まれ変わっていく」ということになりましょうか。布団の中を「子宮」と考えればいいんだと思います。

諷虹君が日本神話で「天岩戸」を感想の中で述べてくれていますが、「布団」というのを「閉じた空間」というように考えれば、まさに天照大神は一時的に岩戸の中に籠ったことでさらにレベルアップして再び姿を現した、ということになると思います。


「困る」作文分析を行った際に、上原輝男氏は「困る」というのは中国の発想では枠に囲まれて木がそれ以上成長できない状態というように、考えやイメージがそれ以上進めなくなっている状態、と説明してくれました。「囚」の漢字も同様のイメージです。しかし日本人が古来感じ取っていた「こまる」は「籠る」だったと。閉じた空間に身をおき、新たな生命力を充填する大切な時間。それを経て生まれ変われる・・・。その時に「真床覆衾」という言葉は出されませんでしたが、そいういうことなのでしょうね。
だから「引き籠り」というのも、部屋の中での過ごし方次第では転生する大きなチャンスとなり得ます。ひと頃流行った「萌え」という言葉だって、元来は新たな新芽が芽吹くという意味ですから。だから古来から修行の場面では「寺に籠る」「お堂入り」というお籠りが不可欠なのでしょう。これまでの自分をオフにする。比叡山の有名な千日回峰行では開始する際に生きた身のまま葬儀を行うそうですから。籠るとは「死」の疑似体験と通じます。

部屋に引き籠るという形をとらなくても、毎晩布団の中で寝ることだってそいういう意味合いがあるわけです。寝る前にお風呂に入る時に「ああ極楽極楽」なんて気分になるのだって、寝るという事が単なる休息ではなくて「別世界に旅立つ」という意識の表われ。ぐっすり眠ることを「死んだように眠る」といいますが、鴨居さんがミーシャの寝ている姿を「電池の切れたように」と評していた時の無意識にはそういったイメージもあったかもしれません。
鴨井さんの毎朝の至福のひと時としてミーシャの寝顔をじっくりと見つめた後で起こす、というのがありましたが、これも単に寝顔好きというのではなく、深い部分では「今日はどんな風にお嬢様が生まれ変わるんだろう」というワクワクドキドキ感がいっぱいなのではないでしょうか。

そういったことがあるから、ミーシャ自身がいつのまにか思っていた自分と違う自分になってきている、という心境の変化をこれまでにもフト感じる場面が多々描かれていました。その最たるものが今回の「お母さんの死に対する心境の変化」に自分がはっきりと気づいてしまったことなのでしょう。鴨居自身もミーシャを見かけた時から生まれ変わった感覚になったように・・・・
「閉じた空間」に身を置く・・・意識世界で考えれば見た目には閉じた空間に入らなくても心の中で一旦他と自分を切り離す・・・上原輝男氏の言葉で言えば「論理性の獲得により、言葉と感情・イメージを切り離す」「裁断と継続」「死と再生」・・・それらすべてが未知なる自分との出会い・・・本当の自分というのは当たらないと思っています。これまでの自分もその時々の自分の姿なわけですから。
ちなみに「色づく世界の明日から」の感想でも・・・ある時点での「時間・空間・人間(ジンカン)」の軸設定で生きている自分にとっての現実世界も広い意味での「真床覆衾(まどこおぶすま)」になるのではないか、という考察を書いています。
その時々の自分をすべて素直に認めて受け入れる。そして他との関りとも相まって自然にまた変化したらそれも受け入れる(添加する)・・・そんな瞬間瞬間の繰り返し・積み重ね。
⇒ヒマワリフクロウさんがつい最近「微分・積分」という用語を使って生き様について考察していました。そういうワンセットの意識が大きなポイントなのでしょうね。
過去・現在・そしてこれから・・・それらをすべてを重ね合わせてこの世を去る時に「自分っていうのは」と振り返ることができるのかもしれません。
これからも「うざいメイドとの生活」は続くわけですが、毎日毎日再生を繰り返す中でミーシャちゃんも鴨井さんも互いに影響しあいながらどんな自分と出合っていくのでしょうね?
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