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のんのんびより 第4話 感想 虚空版

ヒマワリフクロウさんのに刺激されて、ちょっと私も幼い頃の思い出を交えて書いてみました。
れんげの夏の一コマ。私は父親の実家に行ってい側で、そこで地元の近くの子達と知り合って虫取りしたり、用水路でザリガニやドジョウをとったり・・・。
ドジョウは時折このあたりのスーパーで売っているのとは比べ物にならないくらい、とっても太くて大きかったのですが、それをおばあちゃんが天ぷらとかドジョウ汁にして夕飯にでてきて。
じいちゃんがうまそうに天ぷらを食べてくれていたっけ・・・。
ドジョウ汁は私も好きでしたが、ただ調理の前に鍋の中で元気に泳いでいたドジョウたちがフタをしめられ加熱され・・・できあがってフタをとった時に変わり果てたお姿になっているのは、幼心に罪の意識は感じていました。
そういう体験も「いただきます」が、作ってくれた人への感謝だけではなくて、食材になったもの(植物も含めて)への「お命をいただきます」ということの実感につながっていると思います。
だからこの歳になっても、食材はなるべく綺麗に食べる・・・魚も小骨などで食べられる部分はすべて美味しく頂く、という習慣になって残っています。(だからうちは生ごみは少ないです)
野菜も皮まで食べられるものはむかなし、最近はピーマンも種をとらない方が美味しいと思うようになって、そのままざく切りにして調理しています。
そんな田舎の日々ですが、自分にとっては自分の普段の生活の同級生たちの多くは「いじめてくる」連中だったのに対して、田舎の男の子たちは私が運動が苦手とかそういったことには一切関知しないで(いじめられっこだったことも知らないし)全く普通の男の子同士という感じで接してくれていたというのにはかなり救われていました。
 
で夏の終わりにはお別れの挨拶もできないまま帰る。次に田舎へいっても再会できないことが多かったですね・・・(互いに家に行き来していたわけではないから、田んぼなどのあたりをうろうろしていれば会えるという風だったから)
 
また会えると思っていたのに帰られてしまっていた時の、あのれんげの沈黙がズーッと続くのがね・・・・・私のことをそう思われていたかどうかは分かりませんが、やはりちょっと心がうずいてしまうシーンです。
(虚空のエストラーダ)
 
 
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