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アニマエール  第五話感想 

参考サイト http://anicobin.ldblog.jp/archives/54392827.html

(諷虹)

チアを全く知らなかったのでアームモーションは初めて知りましたが、上手く話に組み込めていたと思います。このような基礎知識を持っていると、実際にその競技などを見た時に「あ、これが○○か」と思えるのでまっさらな状態よりも入ってきやすいものです。
今回の掛け声がかかるとアームモーションを笑顔とセットで行うという場面、料理のおいしさで笑顔になってアームモーションがでる場面なんかは今後のこのアニメを見る時はもちろん、実際にチアを見た時にそれこそ条件反射でこの話を思い出すようないい基礎知識の導入だったのではと思います。

(虚空)

昭和のおじさんからの余計な一言なのかもしれませんが・・・主人公の子に(悪気はないのは分かっていますが)どうしても忠告したくなる場面が時折できています。
今回特に感じたのは「呼び方」のところ。相手が嫌がっているという態度を出しているのに、その方が自分はいいからとその呼び方を何度も押し付けているような姿勢。
時として相手の気持ちに対して鈍感な人間の立ち居振る舞いが、それまでのこだわりをふっきるきっかけになる事があるのも事実です。でも場合によっては知らず知らずのうちに相手をより深く傷つけてしまうことは普通にありえます。
このアニメの趣旨からいえば、そういった展開になることもなく、「気にすることなんてなかったんだ」という方向に進むのでしょうが、日常生活ではそうなるとは限りません。
「地雷を踏む」という言葉があります。地雷はどこに埋まっているか分かりません。普通の人にとっては全く問題のない言葉であっても、ある人にとっては特別な意味を持っていて、それにふれられると心が過剰反応する(破裂する)から地雷。「何でそんなことぐらいで怒るの?」なんて逆に非難されることもありますが、それは本人にとってはどうしようもないくらいの過去があったととらえるべきで、他人の基準でとやかく言う問題ではありません。
やっかいなのは、本当はものすごく嫌なのに、それをそのまま出さない場合もあること。時には「笑顔をみせる」ということもあります。(よくみればそれは不自然なほどの笑顔だったりするんですがね。いつも以上に明るくハイだった・・・なんていう子がある日突然自殺する、なんていうのはそういう状況です)
何が地雷かは分からない以上、それを最初から回避するのは困難です。だからこそ、直接の人間同士のやりとりが本当は大切なんです。
相手の顔も見えない、生の言葉の響きが伝わらない・・・間に情報端末を介入させたコミュニケーション・・・は、どれだけ毎日膨大な時間を費やしてやりとりしていても真のコミュニケーションになり得ないというのはそういったこともあるわけです。
今回のアニメではかなりはっきりと名前に対して拒否反応を示していました。でも自分の基準を自分の楽しさを優先させて押し付けているように私には見えました。
微妙な表情の陰りや、逆にいつもよりハイな態度・・・そういったことに気づけてあげられるのが本当の優しさとか思いやりだと思います。
それが苦手だから・わずらわしいから電話やラインという考えもあるようですが、人間である以上、それを避け続けるわけにはいきません。成長のどこかの段階で必ず逃げられない壁にぶつかります。
壁を回避するというより、その方が本当の意味でお互いに気持ちよく時と場を共有できる・・・楽しめる・・・というのを手に入れるためなんです。
グループの多数が楽しむために特定の誰かをいじって(犠牲にして)というのも、バラエティー番組でよく使われる手法なためか、若い人たちの間で当然のようになっている風潮がありますが、これもどうしてもおじさんは危惧してしまいます。
「自分は気をつかいたくないけど、自分は気を使われない」という自覚あっての態度は単なる我が侭・・・ただ、自覚がなくても、いつのまにか自分はそういった態度をとっていないかどうかを時折振り返ることは、ある程度の年齢になったら必要でしょうね。
このアニメの主人公も、傷つかないように日頃から親友にはだいぶ気をつかってもらっているんですから。
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