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メルクトーリア ☆第五話感想

参考サイト http://anicobin.ldblog.jp/archives/54414119.html

(虚空)

生まれた時に絶対正しいと村人たちに信じられている予言者に「災いをもたらす星を持っている」と言われ、人々から隔離されて育ってきたお姫様が今回の中心人物。そうした宿命を打破するための手段を求めてこっそりと抜け出して・・・というお話でした。
一話完結だったので、ちょっと話が急展開(兄やお付きの若者の件もからんだので余計に)すぎて・・・この前のように前後編で描けばもっと内容の深いものになったのにと率直に思いました。
「宿命」が絶対であるのか、そんなことは馬鹿げているというのか、信じる度合いは人それぞれですね。私はそういったことを耳にしてしまうとかなりそれに支配されてしまい、特にマイナス的な内容に対しては自己暗示によって宿命以上に自分をがんじがらめに縛ってしまう傾向が強いという自覚が若い頃からあります。
そんな私なので「プラス思考で前向きに生きないとダメ」なんて言われても、それは思考レベルであり、本心は全くそう思えていないことが自分でも分かり・・・それによってますます「自己嫌悪」「自己否定」に突っ走ってしまいます。
今回の後半、実は自分と同じように兄が「宿命」を宣告されて自分を追い詰めてこれまで生きてきたことを知った妹の言動は、「絶対正しいを超越する道があり得る」というのを示唆しているように思えました。
一言でいえば「人間同士のつながりが宿命を超越させる」ということですが・・・上原輝男氏の言葉を使えばそうした人間関係を通して「世界定めの軸」に変化が起これば、意識も世界も転換する(トランスフォーメーションを起こす)ということ。
日本人は古来から、「お告げ」や「占い」をかなり信じつつも、それを超越する道を具体的に模索し続けてきた民族という歴史があります。なのに現代では私を含めて、そうした縛りがますます絶望感へとつながる傾向が強まっています。
今回のアニメもそうですが、最近ネット上で話題になった「劇場版 若おかみは小学生」も含めて、そういった「宿命によって固定されたかのような人生」(「運命」と違って自分では変えられないとされる部分)さえも超越できるというような発想のアニメはたくさんありますね。
かなりきつい描写が話題になりましたが「ひぐらしのなく頃に」の「解」までのシリーズなどは登場人物たちがその道を探るプロセスがかなり丁寧に描かれていました。「リリカルなのは」のシリーズもそうだし、セーラームーンシリーズもそうだし・・・あげていったら本当にいくつもありますが、そういったアニメなどの背景には日本人古来のDNAが(心意伝承的に)宿っていると言えるのかもしれません。

*第六話は一つの話の前編になっているので次回分とまとめて書きます。
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