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色づく世界の明日から  第四話感想

(諷虹)

若かりし頃のおばあちゃんが出てくる作品は多かれど、同じ学年・同じクラスになるという展開はなかなか斬新だと思いました。しかも過去にタイムスリップしてではなく、主人公が60年後からタイムスリップしてきて現代の学校で描かれているから尚更です。

さて、今回の屋上での
「モノクロ写真って水墨画と同じで、色彩がないぶん見ている人のイメージが広がるような気がする。色が少ないほうが、大事なものがよくわかるのかもしれない」
というセリフはなかなか面白いところだと思います。

確かに、色鮮やかな絵や写真を見るとイメージが広がるというのはもちろんだと思うのですが、モノクロ、水墨画を見た時にもイメージを広げてくれる事もあると思います。所謂「趣」「情緒」といったところでしょうか

以前、水墨画を遊び(?)で描いたことがあるのですが、思ったよりも濃淡で色を表現できるんだなと感じた記憶があります。また、例えば絵の具で紫を作るときなんかは赤を増やしたり青を増やすことで調整できる可逆性があるのですが、墨だと黒くする方向にしか原則できない不可逆性があるので、この今の濃さで塗っておきたいところはどこだろう?と完成形をイメージした記憶があります。作品を見る側だけでなく、作り手側のイメージにも刺激を与えるのではないかななんて思います。

(虚空)

おばあちゃんの若かりし頃ということでは、劇場版「若おかみは小学生!」にもそんなシーンがありましたが、今回の若かりし頃はお年寄りにさせてしまうのがもったいない(?)くらいのキャラデザでしたね。
もっともそんなないものねだりにこだわると日本人が大切にしてきた「老いてなお違った美しさがでる」という境地からどんどん離れていってしまいますが・・・。
諷虹君が触れていることですが、色に限らず漫画やアニメもそうですよね。見た目に分かりやすくなる、魅力的になる・・・それはそれで大事なことだし、私もそれでアニメや漫画を(特にこの数年は)楽しんでいます。
その一方で、とくに文字の原作ものの場合は、自分なりの想像の世界に強い制約を与えるということになります。アニメ化・漫画化が良く出来ていれば出来ているほどそうです。
自分なりに想像を膨らませる余地がなくなるから。
駿煌会でのやりとりで、最近よく出てくる言葉に「空白」「余白」というのがあります。今の世の中は「空白」は必要のない部分、無駄な部分、として切り捨てられがちですが、そこにこそ進歩や独自性へのカギが隠されている。
自分はかつて若い頃に映画監督になりたいと思っていたのですが、好んでみていた名作はほとんどがモノクロ映画でした。特に心理描写などはカラー映画などかなわないと今でも思っています。
もちろん色が感じられないという主人公はとっても辛いとは思います。思いますが・・・世の中の普通の人には絶対気が付けないところにも気が付けることも事実。
いつか色を感じ取れる時がくるまでは、今しかできない時期を過ごす・・・今を嘆いて貴重な体験をマイナスのことにしか出来ないのは悲しすぎますから。(と、私自身に言い聞かせています)
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