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青ブタ ☆第七・八話より「本当の自分って?」

参考サイト http://anicobin.ldblog.jp/archives/54454114.html
参考サイト http://anicobin.ldblog.jp/archives/54488849.html
(虚空)
この2週は別の自分が出現してしまう、という現象でした。どちらが本当の自分なのか、当人同士でも分からない状態。
これもそういった思春期症候群が実際にあるか否かではなく、普通に現代人が遭遇している心の問題をそういった形で描いているということなのでしょうね。
ここ数年「本当の自分探し」とか「本当の自分にあった学校、仕事」ということが盛んに言われています。解剖学者の養老孟子さんなどは、そういった風潮に対して早くから危惧を表面しています。「本当の自分」なんて言い出されるようになってますます若者の悩みは増えて行き詰まっていると。
上原輝男氏は「自分自分なんていうけど、そんなものどこにあるのか?」ということまで言っています。「本当の自分」なんていっても、無意識の領域にそれこそ様々な自分が隠れている。どんなに掘り起こしたところで、まだまだ隠れている。それは広大な地下水脈からちょっとやそっと水を汲み上げてもどんどん新たな水が湧き出るようなものです。
「他人に対して合わせている」「周囲に受け入れられる自分を演じている」意識が強い場合などは特に「今の自分は偽者」と思い込みがちですが、優れた演者が何かの役に成り切ったとしても、やはりその演者らしさが残って、それが魅力となるように、偽者の自分というのも、やはり本当の自分のある側面と考えた方がいいのではないでしょうか?
古来からの日本人の発想はもっと極端です。この現世の肉体は「器」ですから、違った魂を次々と呼び込んで、肉体に憑依させることができる。別人格を幾通りにも使い分ける。
そうした様々な自分を統括している何かが「自分」というえば自分なのでしょう。
「自己同一性」「アイデンティティの確立」・・・そんなことが大人になっていくことである、という発想は少なくとも少し前までの日本人はとっていなかったと思います。
ユングがアフリカを旅した時に、ヨーロッパであれば「精神的な病理」とされてしまうような人たちが、ごく普通に暮らしているのをみて衝撃を受けたという話をきいたことがあります。もしユングがかつての日本に来たら、アフリカ以上に驚いたかもしれませんね。
「思い通りにならない自分は自分ではない」という意識を持ち続ける限り、精神は制御不能になるくらい分離してしまうでしょう。「いろんな面があるから人生多様に生きられるんだ」くらいの気持ちで異なる自分と向かい合えば、今回の女性のように「一つの肉体」に戻ったかのような生き様ができるのではないでしょうか。
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