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青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない  第五話感想

http://anicobin.ldblog.jp/archives/54387651.html
虚空

みんなから浮かないようにと必死な古賀朋絵さんの姿・・・携帯電話が普及し、メル友の数が人間性とイコールであるかのようになった頃、知り合いの娘さんたちにも同様な子がたくさんいました。メールの返事は明るい文面なのに、送信してすぐにまたメールが返ってくるたびに悲壮な顔をしている・・・メールにすぐに返信しないと嫌われるからと片時も携帯を話さない・・・夜も安眠できない・・・。




今ではラインの普及によって、1対1のやりとりではなく、グループの会話の中に帰宅後もずっと居続けなければならないから、そこに乗り遅れたらあっというまに仲間外れになってしまう・・・そうした恐怖感はメールの時以上かもしれませんね。




私自身は幼い頃からいじめられて仲間外れだったので、どちらかといえばこのアニメの男性主人公のように携帯もスマホも持たないで別にいいじゃない、という感覚に近い人生を半世紀以上送ってきました。




私はともかく周囲のみんなも携帯やメールもなく常に連絡をとりあっていなくても深い友情をはぐくんでいました。




「時代が違うんだ」と言われそうですが、では果たして「友達」「友情」って何?ということが素朴な疑問としてどうしてもあります。先ほどのメル友の数が話題になったころ、ある番組で毎日100人以上のメル友とやりとりしていると誇らしげに語っている女の子が紹介されていました。リポーターに「そんなに毎日メールのやりとりしている時間をよく作れますね」と感心されていましたが、友達がそれだけ沢山いるということで苦にはならない、と答えてはいました。




では無意識でも本当に友達がたくさんいて苦にならないと思っているのか?・・・まあ人それぞれなのでしょうし、「友達」という意味の使い方の違いにもよりましょう。




ただ、昭和世代のおじさんの素朴な意見としては、ちょっとメールの返事が遅れたり、みんなの話題についてこられなかったくらいで仲間外れにするような人たちだったら、それは単なる「友達ごっこ」の部品のひとつとしか思われていない・・・友達とは最初から思われていないと思った方がいい・・・それくらいで去っていく人たちを気に掛ける必要はないと、割り切った方が無難な気がします。




それこそこのアニメ内でも似たようなことが言われていましたが「一人でも本当に分かってくれる人がいれば十分じゃないか」くらいの感覚。




「僕は友達が少ない」でも小学校入学時などによく歌われる「1年生になったら・・・友達100人できるかな」の歌によってプレッシャーを受けたという想いが語られていましたが、私もそうでした。

自分は遊び友達がいないということで母親は大変に心配し、友達を作って家に呼んで来いと盛んに言います。でもそんな友達はできない・・・そうすると「そんなことじゃダメ」といつも母に叱られる・・・その繰り返し。同じ歳のいとこが人望もあり友達もいて常にみんなの先頭をきっているという勉強もスポーツも万能タイプだったので、常に母からも親戚たちからも比べられて馬鹿にされて・・・


だから私もあの歌は嫌でしたね。




スマホ依存症などと言われてしまう若者たちも、どこかあの歌に心を縛られているのかもしれません(今でも学校で歌われているのかどうかは分かりませんが)




たまたま最近NHKで放送されている「人間ってナンだ?超AI入門」 第1回「会話する」の内容は非常に興味深いものがありました。「真の人間としての会話」とは何か?ということと先ほどからのメールやラインのやりとりが「本当の友達としてのやりとりになっているのか?」という点でまさに重なります。




動画 https://www.youtube.com/watch?v=y0LuPUkHEBY




ごく簡単に内容を紹介しているブログの一つ


https://kamomelog.exblog.jp/27962193/





全部が全部そうではないと思いますが、少なくとも今回の青ブタで扱われているようなラインのやりとりなどは、現時点での人工知能による「疑似的会話」のレベルにとどまっているような気がします。




もちろんそういったやりとりに時間を使ってはいけない、などとまで言う気はありませんから誤解のないように。




ただ、そういった場をキープするために悲壮感いっぱいになったり、うまくついていけないからといって自分を否定してしまうことだけはさけてほしい・・・私のような自己否定感いっぱいの人生を送らないために、という想いです。




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