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となりの吸血鬼さん ☆第十二話最終回感想 『共に歩む』 共存共栄の進化論

参考サイトhttp://anicobin.ldblog.jp/archives/54633809.html
(諷虹)
今期やっていた「うちのメイドがウザすぎる!」の最終回がシリアスの中にギャグを入れてくるとしたら、こちらはギャグの中にシリアスが埋め込まれているのかなと思いました。深読みしすぎかもしれませんが
例えばAパートは唯一の食糧である血液が手に入らなくなってしまい、飢えている状態であっても友達の灯を食料と見たくない、対等な立場でいたいというものでした。他にもエリーに献血ルームの血は献血用であり、吸血鬼のものではないと諭すシーンも人間という種族との共存するという思いがあるのかなと感じました。
そしてBパートでは街中を散歩しながらこれまでかかわってきた人達と会話を交わし、最後に出会った森でもう一度初めて出会った時と同じやりとりをし、今までの総集編のEDが流れ、そして二人で歩いて帰る・・・という一連の流れが非常に最終回らしく素晴らしい流れだったと思います。
2人で飛ばずに歩いて帰っていくところも、人生を過ごすという意味での”歩み(あゆみ)”の意味合いもあるのかなと思いました。きっとこれからも人間と吸血鬼という種族の隔たりを超えて過ごしていくのだろうなという希望を感じさせてくれるラストでした。
(虚空)
進化論で有名なのは「自然淘汰(自然選択)説」でしょうね。実際には様々な進化論がある中で、一般的には進化論といえばこれ、というくらいに刷り込まれている概念かもしれません。
そしてそれはまさに現代社会の隅々にまではびこっています。強きものが生き残り、弱きものは捨てられていく・・・競争原理こそが理想の世の中にしていく最高の原理なんだ、という考えに盲従しているからこその経済界・教育界・企業の原理への発想の適応。
弱者切り捨て、福祉政策にまわす予算など無駄使い・・・そんな風潮すらあります。公立学校でありながら学力テストの成果が出ていない学校には予算をまわすな、潰してしまえ、なんていうことを法律関係の仕事をしていた方々が声高に叫び実行に移すことが良いとされるんですからね。(あの時の首長が元弁護士、その部下として動いていた教育長は元判事だったと記憶しています)

児童の言語生態研究会の基礎をかためる上で大変お世話になったという方にイメージ研究の第一人者であった藤岡喜愛先生の師匠は今西 錦司という先生。その先生の提唱された進化論は「棲み分け進化論」と呼ばれています。学問の世界ではマイナー扱いされているということなのですが、「共存共栄」という精神からいっても、こちらの進化論の方が大宇宙の理に近いと感じています。
アニマエールの感想の方にも書きましたが、一部の優れたとされるだけの存在で全体がうまくまわっていくほど世の中は単純には出来ていません。
「だから下の者は上の命令に全面的に従うべきなのだ」という主張もありますが、それもどうでしょうね・・・詳しくここには書けませんが、例えば古武術の世界などでは、そういった「脳が指令を出し、順々に神経で命令が伝達され、筋肉がそれに従って動き、現実に対応する」という西洋的な常識とは全く違う原理で探求されていているようです。
どの臓器が上でどれが下・・・ではなく表面に出ている役割には違いはあっても、究極的には対等。それをつなぐネットワークこそがカギだと。命令伝達系統云々ではなく、すべてがワッと感応し、適切に動く。

人間社会でそのつながりの根底にあるのが主従関係ではなくて信頼関係なのでしょうね。
「亜人ちゃんは語りたい」でも吸血鬼などと一般人との共存が描かれていましたが、異なる種であっても信頼で結ばれて、諷虹君の言うように地に足をつけてしっかりと共に歩んでいく姿勢。古代日本人が大切にしてきた姿勢。
その復活を願いたいものだと感じながら視聴した最終回でした。  
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青ブタ ☆第十二話感想  『世界定め と 真床覆衾』

参考サイトhttp://anicobin.ldblog.jp/archives/54628857.html
(虚空)
今回他のアニメ「うちのメイド・・・」や「色づく世界・・・」感想欄でも取り上げている「真床覆衾(まどこおぶすま)」ということなのですが、是非そちらの方を読んで頂いた上でこの感想も読んで頂けるとありがたいです。

元々は「夜具(布団)にくるまれて寝ている間に新たな霊・魂等々が憑依し、新生する」と言う意味合いの言葉で、上原輝男氏の師匠である折口信夫先生が大嘗祭の考察で主張したことです。大嘗祭の儀式との関連では否定的な意見もあるのですが、真実は謎のままのようです。

ただ、今回、「うちのメイド」感想を通して「夜具」⇒「包み込む閉じた空間」というようにまず拡大してかんがえてみました。そして「色づく世界」では対スリップという形で別世界から放り込まれた「ある限られた時間」という方向でも拡大してみました。

それと似た感じで、思春期症候群というものをいろいろな形で描いている本作品ですが、(現実にそういった症状が本当にあるのかどうかは別にして)「それらの症状が発症している期間」というのも「真床覆衾(まどこおぶすま)」の発想で考えてみようということです。

そういった「時間」「空間」という「間」、さらにはどのアニメでも言えることですが、そこにこれまでの自分とは違ったタイプの「人間に囲まれての生活」、これも「間」ですね。
そのような特定の「間」にある期間入り込んでしまうことで、新たな自分に生まれ変わる感覚です。子宮に戻って出直すといってもいいでしょう。初詣もそれにあたりということは先の文でも書きました。
☆「霊」とか「魂」というのを発想に持ち込みたくない、という方々もいらっしゃるでしょうね。そういった場合は「世界定め」という考え方をされてみることをお勧めします。もともとは江戸時代などの歌舞伎の世界から出てきた言葉のようですが、これを人間の成長にとっての大切なキーワードとしたのは上原輝男氏であり児童の言語生態研究会です。
(その解説は駿煌会ホームページにきちんと載せていきたいと思っています。)
*上原語録より
・脚本でも芝居でも『時』と『場所』と『人』を設定することで世界を作る。場面を変えるのは、この三つの設定を変えていくこと。
・その人の持っている時間観・空間観によってその人の人間(ジンカン)が知れるんだよ。逆に言えばジンカンを知ることによってその人の時間観・空間観が分かるということよ。三つが重なり合えるということなんだ。
これらの軸の設定(自分のイメージ)が変化すれば世界のつかまえ方というか、個々人にとっての現実世界の見え方が変わる、生き方も大きく変わる・・・それが周囲からすれば「人が変わった」=「魂が入れ替わった」 と感じられる、という具合です。
今回の妹さんの場合は、別人格になっている自分がそれぞれ完全独立しているということが大きな特色ですね。原作を読んでいないので次回の最終回にどうおさまるのか分かりませんが、これまでのエピソードでも、ケリのつくきっかけとなる出来事があって元に戻るというパターンでした。そして元に戻るとはいっても、単純にスタートに戻るというのではなく、やはり新たに甦った感覚になっています。
今回は記憶の状態としては元の時点にそのまま戻ったという場面で終わっていますが、自分の部屋も兄の少し成長した姿も、また来週は自分の周囲の「時間・空間・人間(ジンカン)」が変化していくことを受け止めるしかないということになるのでしょう。また、パンダ好で桜島麻衣さんたちとも交流していた等々の入れ替わり期間中の自分が消えても、周囲のみんなの記憶からは消えていないという点で、やはり完全に元に戻ることは不可能。
そのあたりがどう決着しての最終回になるのでしょうね????

色づく世界の明日から ☆第十二話感想 『ある時間という枠』

参考サイトhttp://anicobin.ldblog.jp/archives/54645069.html
(諷虹)
前回いかにも最終回っぽいタイトルが次回予告で出たのでてっきり12話が最終回だと思っていました(13話のタイトルがさらに最終回っぽいですね)
各シーンで色々思うところがありました。楽しそうに魔法を使う瞳美、皆で記念撮影をするシーンからの荷物を置いていくというシーン、あさぎの成長が感じられるシーン、1話冒頭と同じくモノクロの花火、幸せを感じることで色が戻るシーン・・・特に台詞がなくとも各キャラクターの動きや表情でそれぞれの立ち位置の変化などが感じられました。
おそらく次回その辺りを使うのではないかと思うのですが未来→過去だと戻った先に痕跡や記録が残っていませんが、過去→未来だと今まで何とも思わなかった情報であっても実は自分と関わりが強いものだった・・・的な救いはあります。例えば「君の名は。」の三葉の名前を見つけたシーンなんかもそれにあたると思います。よく小学校でタイムカプセルを埋めるなんていうことありますが、未来に遺す手段はいろいろあります。
次週どんな結末になるのでしょうか(決まり文句)
(虚空)
「うちのメイドがウザすぎる!」の今回の感想にも書いた折口学のキーワードの一つである「真床覆衾(まどこおぶすま)」ですが、閉じた世界というのは、今の自分の意識によって形作られている「個々人にとっての現実世界」にも当てはまるのではないかと考えます。そしてそのあたりが児童の言語生態研究会でも研究対象となっていた「穴」や「壺」に代表される意識世界の根底にあるものではないかと。(極めれば 母体=子宮 ということになるのですが)
夢の世界に入り込むイベントにみんなが強く惹かれたというのだって、単にアトラクションを楽しむという以上の深層心理が働いていると思うし、だからこそ主人公も恋する相手の青年も、互いの夢の世界の奥底にあるものに初めて踏み込まれた時には強い拒否反応を示していたのだろうと。

スピリチュアルの世界には夢には2種類あるというような言い方をします。現実生活の印象が現れるタイプの「思い癖の夢」と「寝ている間に魂が肉体を離れてあちらの世界に誘われてリフレッシュするための夢」。不規則な生活などで後者の夢が不足すると精神的に不安定になるとか、あちらの世界の知恵の恩恵に授かれなくなる、等々言われています。
そのように考えていくと、寝ている間の夢、あるいは自分の内なる夢の世界が具現化したものである絵画や写真や文章等々の作品の世界、ある時期を過ごしている自分を取り囲んでいる世界・・・・すべての次への再生(甦り)のための「真床覆衾(まどこおぶすま)」といえるのでしょう。

*もうじき元旦を迎えるわけですが初詣だって願い事をするためという以前に、あの聖域である境内に入り込んで、お参りして出てくるという構造自体が「真床覆衾(まどこおぶすま)」だと言えましょう。鳥居という入り口(墓穴) から入り 参道(産道)を通って本殿(お宮)=子宮 に立ち返り、再び 参道(産道)を通って 鳥居から出る (出産)  という流れですから。
祖母の魔法で過去に飛ばされた瞳美さんが本当に戻ることになるのか、違ったラストが用意されているのかは分かりませんが、どちらにしても元の瞳美さんではないことだけは確実に言えますよね。(今回の内容は今回の「青ブタ」との関連も深いと思います)

うちのメイドがウザすぎる! ☆第十二話最終回感想 『お籠りの本義』~真床覆衾(まどこおぶすま)~

参考サイトhttp://anicobin.ldblog.jp/archives/54628095.html
(諷虹)
作中ずっと明かされなかったつばめの過去の話、ミーシャが怒った理由等これまでの話で踏み込みそうで踏み込まなかった核心の部分が語られ、そして関係が一段深まるといった最終回でした。
途中、天井から食料を届けたり、二人のメッセンジャーとして動いた鵜飼元二尉は文字通り橋渡し役としてギャグもシリアスも担当する三面六臂の大活躍だったかなと思います。
途中のミーシャが打ち明けた心境は現代の不謹慎・自粛ムードといったところに通じるところがあるのかもしれませんね。確かにそのような気持ちも大事ではありますが、いつまでも自粛し続けるというのも問題なのだと思います。

去年NHKで「千原ジュニアがゆく 聞いてけろ おもしぇ~話」という番組が放送されました。私はこの番組自体は見ていませんでしたがジュニアさんがトークライブでその話をしていて知ったのですが、この番組は東日本大震災の被災地に赴いて、地元の人から笑い話をたくさん聞いて回るという内容です。このご時世に放送したNHKの凄さを感じると共に、やはりこのような悲しい出来事があったからこそより強く笑いとばす・・・江戸の鯰絵等に通じる活力なのかなと思います。
この作品中では忘れるのではなく親離れ・成長という風にまとめていましたが、そういう側面もあるのだと思います。

部屋から光とともに出てくるミーシャはまるで天照のようでした。天照ではありませんが天照が引き籠る原因となったスサノオも、ミーシャやつばめと同じく、死んだ親に会いたいという気持ちを乗り越えて、最終的に立派な神様になっていきました。

悲しみ・失敗・バッドエンドといった負の感情を乗り越えて正の方向に転換することで大きな成長が見られるのだと思います。(最終的につばめが真っ当な人間になったかどうかはさておき)
(虚空)
折口先生の民俗学のキーワードの一つに「真床覆衾(まどこおぶすま)」というのがあります。天皇の代送りでの重要な儀式「大嘗祭」がその例としてあげられています。これに関しては否定的な意見が多数をしめているようですが、その真偽はともかく、一般的に我々の感覚からすれば、共感できる考えだと思っています。

ものすごく単純化していえば「布団にくるまって寝ることで新たな自分に生まれ変わっていく」ということになりましょうか。布団の中を「子宮」と考えればいいんだと思います。

諷虹君が日本神話で「天岩戸」を感想の中で述べてくれていますが、「布団」というのを「閉じた空間」というように考えれば、まさに天照大神は一時的に岩戸の中に籠ったことでさらにレベルアップして再び姿を現した、ということになると思います。


「困る」作文分析を行った際に、上原輝男氏は「困る」というのは中国の発想では枠に囲まれて木がそれ以上成長できない状態というように、考えやイメージがそれ以上進めなくなっている状態、と説明してくれました。「囚」の漢字も同様のイメージです。しかし日本人が古来感じ取っていた「こまる」は「籠る」だったと。閉じた空間に身をおき、新たな生命力を充填する大切な時間。それを経て生まれ変われる・・・。その時に「真床覆衾」という言葉は出されませんでしたが、そいういうことなのでしょうね。
だから「引き籠り」というのも、部屋の中での過ごし方次第では転生する大きなチャンスとなり得ます。ひと頃流行った「萌え」という言葉だって、元来は新たな新芽が芽吹くという意味ですから。だから古来から修行の場面では「寺に籠る」「お堂入り」というお籠りが不可欠なのでしょう。これまでの自分をオフにする。比叡山の有名な千日回峰行では開始する際に生きた身のまま葬儀を行うそうですから。籠るとは「死」の疑似体験と通じます。

部屋に引き籠るという形をとらなくても、毎晩布団の中で寝ることだってそいういう意味合いがあるわけです。寝る前にお風呂に入る時に「ああ極楽極楽」なんて気分になるのだって、寝るという事が単なる休息ではなくて「別世界に旅立つ」という意識の表われ。ぐっすり眠ることを「死んだように眠る」といいますが、鴨居さんがミーシャの寝ている姿を「電池の切れたように」と評していた時の無意識にはそういったイメージもあったかもしれません。
鴨井さんの毎朝の至福のひと時としてミーシャの寝顔をじっくりと見つめた後で起こす、というのがありましたが、これも単に寝顔好きというのではなく、深い部分では「今日はどんな風にお嬢様が生まれ変わるんだろう」というワクワクドキドキ感がいっぱいなのではないでしょうか。

そういったことがあるから、ミーシャ自身がいつのまにか思っていた自分と違う自分になってきている、という心境の変化をこれまでにもフト感じる場面が多々描かれていました。その最たるものが今回の「お母さんの死に対する心境の変化」に自分がはっきりと気づいてしまったことなのでしょう。鴨居自身もミーシャを見かけた時から生まれ変わった感覚になったように・・・・
「閉じた空間」に身を置く・・・意識世界で考えれば見た目には閉じた空間に入らなくても心の中で一旦他と自分を切り離す・・・上原輝男氏の言葉で言えば「論理性の獲得により、言葉と感情・イメージを切り離す」「裁断と継続」「死と再生」・・・それらすべてが未知なる自分との出会い・・・本当の自分というのは当たらないと思っています。これまでの自分もその時々の自分の姿なわけですから。
ちなみに「色づく世界の明日から」の感想でも・・・ある時点での「時間・空間・人間(ジンカン)」の軸設定で生きている自分にとっての現実世界も広い意味での「真床覆衾(まどこおぶすま)」になるのではないか、という考察を書いています。
その時々の自分をすべて素直に認めて受け入れる。そして他との関りとも相まって自然にまた変化したらそれも受け入れる(添加する)・・・そんな瞬間瞬間の繰り返し・積み重ね。
⇒ヒマワリフクロウさんがつい最近「微分・積分」という用語を使って生き様について考察していました。そういうワンセットの意識が大きなポイントなのでしょうね。
過去・現在・そしてこれから・・・それらをすべてを重ね合わせてこの世を去る時に「自分っていうのは」と振り返ることができるのかもしれません。
これからも「うざいメイドとの生活」は続くわけですが、毎日毎日再生を繰り返す中でミーシャちゃんも鴨井さんも互いに影響しあいながらどんな自分と出合っていくのでしょうね?

アニマエール ☆第十一話感想「個々に異なる意識世界」

参考サイトhttp://anicobin.ldblog.jp/archives/54600531.html
(虚空)
久しぶりにあった双子姉妹にさんざんな言われようでしたが、それだけの言われ方をされても仕方のない日々を送っていたのは事実のようですね。
今回の話を観ながらフト思い出したのが「ごんぎつね」でした。
小学校の教材にも長年入っていますが、あの結末で「兵十はひどい!あんなにごんが一生懸命にクリヤまつたけを届けているのに・・・何で分かってあげないで撃ってしまったの?」という感想を持つ子ども達が少なくありません。
でも、それはあの作品がごん視点でほとんど書かれているのに対して、最後の場面は兵十視点になっているという事になかなか気が付けない。(そこに教材としての意味もあるわけですが)
兵十の意識世界の中にあるごんはいたずらギツネであり、ウナギを盗もうとしたということしかないのですから、最後の場面でごんが家の中に入っていくのを目撃した時に、またいたずらをしに来たな、ということで鉄砲を持って・・・というのは、ごく自然な流れ。
それと同様に、久しぶりに会ったあの双子姉妹には、その後のひづめさんの変化は分からないのは当然。同じ学校に通っていた牛久さんだって、ひずめさんにあれだけ好意を持っていながら(好意を持っていたからこそ?)その変化をなかなか受け入れられなかったわけですから。
新たな仲間との出会いによって「構えが変革した」という事実を是非みせてあげて、認識を新たにしてもらいたいものです。
(諷虹)
猫姉妹が登場しましたね。最初は嫌な感じのキャラなのかなと身構えてしまいましたが、割とすんなり受け入れられました。(最初に嫌なイメージを持つとなかなか受け入れられないので)
アニマエールはそれぞれのキャラのモチーフの動物を上手く生かしたキャラ付けがよくできているなぁと思います。今回の根古屋姉妹もズバズバと本音を言うキャラでしたが、その本音は客観的な感想といった感じで根底は「まぁ、自分はどうでもいいけど」といった感じの猫の魅力を上手く使って中和していたように感じました。
私はどちらかというと犬派ですが、世間的には猫派が主流なように感じます。猫の人気の理由はいくつもあると思いますが、やはり自由奔放・唯我独尊な所が大きいのではないかと思います。前述した以外でも、双子の二人だけしかあってないチア、自分の欲に忠実(チームのメインになれたので戻ってきてほしくない云々)、人懐こさ・・・等々数分間の出番でしたが猫っぽいイメージがよく出ていたいいキャラなのではと思いました。