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NHK プロフェッショナル 発明家・道脇裕  感想①

常識を超え、独創を極めよ 発明家・道脇裕 2016年11月14日 NHK プロフェッショナル 仕事の流儀 の動画 https://www.youtube.com/watch?v=aYtfGpcz_nY
を観ての感想、その①です。

(この番組の要点を文章で解説しているサイトもありました。https://keieikanrikaikei.com/nhk-professional-20161114 

「諷虹」「虚空のエストラーダ」の分です。

☆「諷虹」感想

とりあえず見てみました。恐らく引っ掛かったポイント自体は同じかもしれませんが…以下箇条書きで
・何百億人、何兆人の人たちが織り成している常識は膨大だけど有限
→少し前に個人的に巨大数論(組み合わせ爆発等にも関連)をちょっとだけ調べた時に感じた感覚に似ているかなと。話したかどうか怪しいのでメモ的に少し補足しておきます。
まず、小学校前で習う最大の単位であり、日本の国家予算等でギリギリ生活の中で現れる「兆」という数字を見ると巨大だと感じる人がほとんど。少し踏み込んだ知識をもっていたら「無量大数」という単位を使う人もいます。そういった人は「兆」と「無量大数」の間がどの程度開いているか、他にどんな単位があるかは興味がなく、とりあえずメジャーでかつ最終的な単位である(っぽい)「無量大数」だけを覚えている人が大半だと思います。(指数で書くと10^12(兆)→10^68(無量大数)でこうすると割と対した差でないようにも感じます)
私も巨大数について調べるまでは、無量大数の上にも単位がある、無限(∞)の方が遥かに大きい…程度の認識でした。
簡単に言うと巨大数論は無限に逃げずに、単純に大きな数を作ってみようというだけのものなのですが、それによって実数よりも遥かに小さい集合である自然数の奥行き、「兆」→「無量大数」の差よりも「無量大数」→「∞」の差がどれだけ大きく、そのギャップの中に引くぐらい大きな数が大量に存在している…ということを考えて衝撃を受けたのを思い出しました。
話を戻して絡めると、常識が「無限」であるように錯覚し、思考停止してしまう所を敢えて「膨大だが有限」とすることで一種の空白部分が生まれて、そこから何かを探り出そうとするインスピレーションに繋がるのかなと。これは巨大数を作るのに似ているのではないかと思った次第です。


・頭を動かしている原動力は心。頭は心の道具
→「自分に嘘つかない」、本当に自分が好きだと思うことが~の件。
あと、脳が司令塔ではなく~という話と繋がりそうかなと。


・紙の面が何面あるか?入れ歯を外したお婆ちゃんに目も外してみてと言ったエピソード等々
→これもいわゆる添加ですよね。
紙の横も細いけど面→じゃあ繊維一本一本もさらに細いけど面
歯が取れる→じゃあ目も取れる?
新たな要素を添加せずとも、現状の集合の中にどれだけ多くの要素が隠れているかを想像し発見する事もある意味添加なのかなと思いました。(空白部分の発想)
要素と要素の間が如何に近くとも、隙間がある・空白部分であると感じる事でそこに新たな要素を想像する。
前述した「無量大数」→「無限」もイメージと実際にあるギャップには大きなズレがあるという例なのかなと。


全体を通して
今まで発明家という事について真剣に考えたことはありませんでしたが、様々なアイディアを出して、自分の中の定義・約束事で成り立っているイメージ世界を、現実世界に投影・体現させる職業なんだなと。
そしてこれってまさしく「とあるシリーズ」のパーソナル・リアリティと能力発動そのものなのでは?
あと余談ですが私も午後の紅茶のレモンティーの愛飲家です。

巨大数の話に没頭しすぎて書き忘れましたが、「何百億人、何兆人の人たちが織り成している常識は膨大だけど有限」の件は、現代人がネット上にこの世の全ての情報・常識が存在しているように錯覚しているけど、ネット上も膨大だが有限で、未知の領域はそこかしこに存在しているということを気づかせてくれるのではないかと思います。

☆虚空のエストラーダ 感想

諷虹君の感想とほぼ同様のものは省略
・「不可能が証明されたのかと・・・不可能が証明されていないものを不可能とは言えないだろう」
 「従来の常識の外側に答えがある。人類が積み上げてきたもの。膨大だけど有限。それが織りなしているのが現代の常識」
番組では「それだけ多くの人たちが検証してきてそこには答えがないということになったのだから、答えは他にあるだろう」という趣旨のことでまとめられていました。
これは重要な指摘ですが、もしかすると「検証してきた事柄」と狭くとらえてしまうこともあるのかな・・・と。
私なりにそこに加えるとすれば、個々人の受け止め方はそれまでの蓄積によってかなり偏りがあり、個々人にとっての当たり前に支配されています。なので「多くの人たちが検証してきた事柄」について、別の角度から切り込んだ・違う角度からみてみた・違う発想を取り入れた上で再検討した・・・・ということも「外側」には含まれる、と思います。
*諷虹君が感想の中で「添加」という用語を使いました。
これは「数学ガール」(結城浩著)というシリーズの中で知って、以後盛んにこのメンバーの中で人間力の向上の上で大切なキーワードとして使っている言葉です。
極めて大事な言葉として使っているので、後日駿煌会ホームページの方できちんと取り上げたいと考えています。
数学ガールシリーズからは「まっとうな教育」や「人間の成長」などについて多くのことを示唆されています。
私たちがどんな風に影響されているかということについても今後積極的に紹介していきたいと思っています。
「添加」がなされた状態で同じことを見つめると、それまでとは違った見え方がしてきます。だから私たちは「アッ、これは新たな添加が起きたな」と感じた時に、これまで何度も語り合ってきたアニメの話をとりだしてきて再検討をします。
これの繰り返し・・・それは同じアニメの話をくりかえしているようで、決して同じところをグルグル回っているわけではありません。例えて言えば「螺旋階段」を昇り続けている感覚です。
「分かっている」「それがあたり前」と思ってしまったら、もうこの螺旋階段を上昇することを自ら放棄してしまったようなもの。だから「当たり前」と信じて疑わなくなっていることほど、意図的に「本当にそうだろうか?」と疑い再検討するようにしています。
ちなみに「コバルトブルー」君や「ひまわりふくろう」さんは小学生の頃からこうした姿勢の持ち主でした。
宮崎アニメ「もののけ姫」にあった「曇りなきまなこで」という境地です。
もっともご本人たちは「大人になって、随分と常識にとらわれてしまうようになった」と反省していますが、顔を合わせてやりとりしていると、ちゃんのモードが従来のモードに切り替わります。


・紙のクイズ
「次元」とか「目に見える世界・見えない世界」について私がよく使う例では「地上からどんどん上昇していったら」という思考実験があります。部屋の中、周囲の人々・・・そういった3次元の目にみえていたものが次々と見えなくなっていきます。
巨大だと思われる立体の世界が消えていく・・・やがて地球も「点」にしか見えなくなる。次元が圧縮されていきます。
そしてさらに遠くにいけば地球は全く見えなくなります。では見えないから存在しなくなったのかといえばそうではない。
これは極大の例ですが、極小だってそうです。空気という気体を構成する分子は目には見えません。でも「ない」わけではない。
こうした次元を圧縮したり解放したりする発想は、多分日本人は古来から自然にとってきた発想です。
私の持論ですが、数式などを用いてはいなくても、生活の中である意味非常に数学的な感覚を生かして古代から生きてきたのが日本民族といえるのではないかと。

以前やはりNHKで放送された「神の数式」という番組で「超ひも理論」をさらに推し進めた「M理論」についてとりあげられていました。数式云々の部分は正直さっぱりなのですが、でもその理論のきっかけになった次元の考え方は、まさにこうした発想と通じると思いました。
(これについても今後繰り返しとりあげたいと思っています。単に理数という分野には限定していません。こうした理数の話題をアニメや民俗学について語り合う時に、どんどん持ち込むのが、この駿煌会メンバーの大きな特徴です。


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