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☆「百谷の王」⑤  諷虹・虚空やりとり(16日夜)-2 「情と報酬」

虚空 今さ、この有給っていうのに意識がひっかかったのはさ、この前「えんどろ~」へのコメントで
「”勇者”とはかっこいい者と思われているが、結局は”傭兵”である事に代わりは無い。だから金などの報酬次第で動くだけなの存在なのである。」
って。
正義感とかではなく金品目的が本来なんだ、って。そういう観点からいえば今季アニメでの「盾の勇者の成り上がり」なんていうのはそういったセリフがバンバン出てきてるよ。
諷虹 人情と傭兵としてとのせめぎあいもね・・・。あの手の作品って「金」を悪・・・「金ならいくらでもやる」と命乞いをするなんていうセリフを言う人間に対してのは否定的。
虚空 今風の勇者のイメージだとね、金に細かい場面ばかり出てきたら受け入れられない
諷虹 金をもらって働く以上「者」なんですよね。私情をはさまない
虚空 「勇者」だからね。「者」の字が入ってる。「医者」でそれを描くとブラックジャック。
勇者のお金の部分をきちんと描き過ぎると支持されなくなりそうだけど、「このすば」くらいに思い切ってやると受け入れちゃう。
諷虹 ゲームデザインによるんですよね「勇者」の設定も。血筋で勇者になるというのもあるし、クエストシステムとか。選択権がこちらにある。お金に困ったらやらざるを得ないけど、お金に余裕があれば・・・・。
虚空 非情であるようで、実はそうではないということで大人気が出たのが「木枯らし紋次郎」。
ブラックジャックも時折そういう部分をみせる。「盾の勇者」もね。
諷虹 このはな綺譚でもありましたよね。「賽銭を入れない奴は~」みたいにお金にこだわっているようでも、そうではないちっちゃい子の願い事もこっそりきいてしまうとか。
虚空 だいたい、神様の世界にはお金なんていう価値観はないわけだから、お賽銭の金額云々じゃないわけだよね。出す時の心そのものをみている。
お釈迦様がさ、飢饉の時ほど托鉢をせよ、って言ったなんていう言い伝えがあるけど、その感覚だよね。あるから寄付じゃなくて、ないけど寄付の方がずっと貴い。
諷虹 「身銭を切る」「自腹を切る」・・・それだって考えてみれば切腹ですよね
自分の体のどのくらいなのか、っていうことですよね。
でも、報酬とかではなくて「江戸っ子」っぽいというか心意気で仕事を引き受けるっていうキャラもいまして・・・・・アヤツグ・アシハラ https://gamebiz.jp/?p=222567
虚空 なんだかんだいって、自分はそっちのタイプに近いかな・・・。
まあ紋次郎だってブラックジャックだって盾の勇者だって、本当の本当の心の底では「情に厚い」って感じさせてくれるから人気キャラになるわけだけどさ。
あとね、役目に従って情を捨ててというので強烈だったのは「地獄少女」だよね。どんなに理不尽であっても、手順を踏んだ者の願い通りに地獄に流す。明らかに善人であって、依頼者が歪んでいても、いうことをきいて善人を地獄に流してしまう、っていう場面が2期や3期ではバンバンあったからね。
でも後味はものすごく悪かった。
そのあたりにこだわってしまうのは、やっぱり人間だからだね。
「約束事」だけで生きているんじゃない存在。スパッと割り切れないから人間。
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☆「百谷の王」①  元となったツイッター記事紹介 & ラインやりとり

学修塾ダンデリオン 2月11日の記事
(老子道徳経 下編徳経66)江海(こうかい)の能(よ)く百谷(ひゃっこく)の王たる所以(ゆえん)の者は、 其の善(よ)くこれに下るを以て、故に能く百谷の王たり。 是を以て民に上(かみ)たらんと欲すれば、必ず言を以てこれに下り、 民に先んぜんと欲すれば、必ず身を以てこれに後(おく)る。
是(ここ)を以て聖人は、上(かみ)に処(お)るも而(しか)も民は重しとせず、 前に処るも而も民は害とせず。 是を以て天下は推(お)すことを楽しんで厭(いと)わず。その争わざるを以て、故に天下に能く之と争う莫(な)し。
【大体の意味内容】 大河や海は、数百以上の谷川が注ぎ込むことで豊かに湛(たた)えられたもので、いわば「百(ひゃっ)谷(こく)の王」ともいうべき存在である。それは、いかなる流れよりも最も低くへりくだっているからこそ、すべてを呑(の)み込む「百(ひゃっ)谷(こく)の王」たりうるのである。
もしも人民の上に立つ統治者となりたければ、必ず自分の言動を慎(つつし)んで万人に対してへりくだるべきだ。 人々の先導者となりたければ、必ず自分の振る舞いを慎(つつ)ましくして、万人の殿(しんがり)を務めようとすることだ。
こうすることで、聖人たるものは、人民の上に君臨してはいても、人々はそれを重荷とは思わないでいられる。リーダーとして先頭に立っていても、人々は彼を邪魔な障碍物(しょうがいぶつ)とは感じない。
こうなると天下万民、すすんで彼を君主として推戴(すいたい)し、その薫陶(くんとう)を受けることを楽しんで嫌がらないのだ。さらに聖人は、人と争うこともしないから、世界中の人々も彼と争う理由がなくなってしまうのである。
【お話】 「自分は総理大臣だから森羅万象(しんらばんしょう)を担当しているのでありまして…」などとむなしい大言壮語(たいげんそうご)をなさるどこぞの御仁とは全く対極にある話です。
いったい、今の世界においてリーダーの立場にある人々のどれ程が、この「百谷の王」者としての覚悟を以てその任を務めているでしょうか。そう言える立派な人々もいます。が一国のリーダーである人々に、そのような存在が見当たらないような気がします。

この『老子』で「百谷の王たる所以の者」と書いてあるように、「者」のつく存在に着目してみましょう。 医者、学者、役者、教育者、芸者、武者(むしゃ)、求道者(ぐどうしゃ)、忍者(にんじゃ)、先導者、統治者…かつて恩師から以下のように教わりました。

「者」のつく彼らはいずれも特殊な職能や霊格を備えた、異郷・異界的な存在とみなされる。 彼らは特別な地位や役割を担う代わりに、この世的な常識にフォローされたり安住したりしていてはいけない存在でもある。

「医者」は、今目の前に、自分の愛する家族と、自分と敵対する者とが瀕死(ひんし)の重傷を負って横たわっていた場合、どちらを優先的に救わなければならないか? 当然、敵のほうだ。 「医者」である限りにおいて、自然な人情や常識に従ってしまってはいけないのだ。

ほかの「者」もすべて同じだ。「者」になった以上、自分は「非常識な」人(にん)非人(ぴにん)、制外者(にんがいもの)として生きる覚悟を決めなければならない。それができないなら、「教育者」になど、なるな!

「教育者」である恩師から、同じく「教育者」になろうとしていた私たちは厳しく命じられました。 今でも、そんな覚悟を自分は本当にできているか、備わっているか、自問自答し続けています。ただ少なくとも、師の言葉がずっと呪縛となり杭(くい)となって、心にグサッと刺さっています。

「大臣」とは「大」いなる「臣」、つまり「大きな臣(おみ・けらい)」ということで、それこそ老子の言う「百谷の王」である海のような、すべてのものの下位にあって総(すべ)てを呑み込める、器(うつわ)の大きな臣僕でなければならないはずです。それでこそ「総理大臣」であるはずです。
☆2019.02.15 金曜日
12:01 コバルト
https://biz.trans-suite.jp/5856
12:08 虚空
その心は?(執筆中かな?)
12:16コバルト
「将たる(者)は私情を捨てて大義を守る」者についての感想です。
12:20 虚空
「偉大なバカ」という言い方もできる生き様ですよね。もののけ姫流にいえば「バカには勝てぬ」
実際にそういった生き方を貫こうとすると現実世界的には理不尽な想いばかりをして周囲から「だから正直者は馬鹿をみる、っていったろ」と嘲笑されることもあります。
12:33 コバルト
損得勘定よりも、道理を重んじるんですよね。
12:44 虚空
実際に自分にとって明らかに不利になることがわかっていても実行に移すというのは勇気もいるしね・・・きれいごとばかりで世の中は動いていないから・・・。
馬鹿をみて身を滅ぼしても、という覚悟がいります。

☆「道」と「自然(じねん)」⑤ ラインやりとり

「学習塾ダンデリオン」ツイッター記事:  http://syunkoukai.edoblog.net/Entry/212/ に関するライン上でのやりとり記録です。
2019.02.09 土曜日
08:17 虚空
 この記事とつながるゆうべの諷虹・虚空のやりとりをブログにアップしました。ツイッターに紹介している概略に目を通してからブログにとんだ方が分かりやすいと思います。
今回は「歌」が重要なポイントをしめています。おなじみの歌が劇場版エヴァンゲリオンで使われているものなどもリンクをはってあるので、是非エヴァ版のも聴いてみながら読んでみてください。
あと、中学生時代のコバルトブルー君も交えた発言記録もちょっと載っています。
(②~④諷虹・虚空のやりとり記録 http://syunkoukai.edoblog.net/Entry/213/ ~ http://syunkoukai.edoblog.net/Entry/215/)
09:24 コバルト
 http://www.geocities.jp/ohmu2rko/porco/zimaku3.html
人生は日々の上書き保存の上塗り積み重ね‥ではなく日々のデリート(洗い流す)の連続の方が上手くいくことが多いんですよね。
少なくとも後者の方が笑える事が圧倒的に多くなるのは確かだと思います。
10:16 虚空
自分の中でのそれぞれの体験同士も共鳴しあっている、という側面もあるでしょうね。
それと並行してのそぎ落とし(禊)・・・かな?
11:05 コバルト
そぎ落とすものと、残るもの。
ダイヤモンドみたいに透き通った美しさみたいな感じでしょうか。
また光の三原色みたいに重ねていくと白に近づくみたいな感じですかね。
積み重ねではなく、重ね合わせなんでしょうかね?
11:38 虚空
重ね合わせと言う方が混ざる感じが伴うかな。積み重ねだと単なる足し算(あるいは足し算的かけざん)
共鳴という発想を入れると「累乗的なかけざん」(指数 あの  といち計算  のような)
12:00 虚空
なるほど!そうですね、溶け合って混ざり合う感じ、カオス(混沌)的発想ですね。
言うならば光のカオス理論って感じですかね。
16:38 虚空
「光のカオス理論」等々、駿煌会的造語・・・これがどんどん増えるのも面白い!
18:09 コバルト
 https://goo.gl/images/t5Ao44
18:22 虚空
現在諷虹宅でラインをみています
 諷虹♪ あーかい あかーい 赤い仮面のV3・・・
19:15 コバルト
 https://mojim.com/jpy113737x2x1.htm
v3の歌詞に赤、青、白がありました。
19:25 虚空
初代仮面ライダーとか原点回帰として作られた仮面ライダーブラック は「黒」。
それが出発点だったというのも興味深い
☆2019.02.11 月曜日
10:46 ソルティ
 おはようございます。お久しぶりです。日々なんかかんか気ぜわしいです。
 1、ヴェルカさんの 映像二つ。エバンゲリオンっていうアニメでしょうか?一つ目の映像は進化っていうのかな?気をため込んで爆発する感じ、爆発するとどでかい怪物に変身していて一体どれくらいの力をもってるのか計り知れないほどの、
⇒ これって 一人の人間の中でも起こりうることだと思う。占い的にみると、大運天中殺、とか天中殺とかいうことと関連して、自分でもわからないほどに化けるという印象がある。
それが世界や地球のためになるのかは時代の流れの中で考えていかないとわからないと思うけれどね。
コバルトブルー君の、 「人生は日々の上書き保存の上塗り積み重ね‥ではなく日々のデリート(洗い流す)の連続の方が上手くいくことが多いんですよね。少なくとも後者の方が笑える事が圧倒的に多くなるのは確かだと思います。} 
⇒ ヒーリングをお習いした時や、動画で他のヒーラーのお話しを聞くと、このデリートということがまさに使われていると思う。精神的な病いに関して、「笑う」ということも大事なポイントになっているみたいだし。
ただ今 挑戦している、ハワイの秘宝といわれている、ホ・オポノポノ。前にも書きましたけど、まさにこのデリートキーを使うんですよ。 自分自身の記憶を「無」にしていく作業をずっと継続していく。座標軸の ゼロ地点に戻る?( それじゃあ ベクトル 進まないんじゃあないの?って感じ ) いつもゼロ=無に戻せば、そこに光がおりてくる。。。ということのようで。。。むむ、わけわからんこと書いとりますな。
自分のインナーチャイルドとかも 4つの言葉で癒していくことによって、幸せがひろがっていくと。。。まあそんな感じなんだと思いますが。。。
11:53 虚空
ブログにさらに追記しました。現実的にはもっと追いつめられていたハズのかつての日本人が、現代人よりも強く生きていた秘密の一つに「△△とは世を忍ぶ仮の姿 実は〇〇」という二重構造があったのではないかという内容です。http://syunkoukai.edoblog.net/Entry/221/
15:49 コバルト
仮面ライダーブラックから黒について考えているとまず、白と黒、表と裏、プラスとマイナス、光と影は表裏一体なんだと感じました。
これは振り子と同じような関係なんじゃないかと思いますね。
真夏になれば心は冬を求めるし、逆に真夏になれば冬を求めるように、振り子作用が働くんじゃないかと思います。
天国があるなら地獄もあるように。
実感の中にそういう幅があればそれは宇宙と似た空間が出来上がるんですよ。
また「悪銭身につかず」と聞きますが、なぜ身につかないかなんです。
これにはやはり金と自分の距離感が分からず共鳴、共振が出来ないからなんですね。
光の混沌と闇の混沌があるんですよね。
光でも、もっと突き抜けた光もあれば、闇よりずっと深い闇もある。
光にも色んな色が重なって出来ているわけだから。
また音で考えると分かりやすいかも
高音、低音、和音だったり組み合わせでまったく質が変わってくるから。
音も超低音、超高音で感じ取れない領域もあるわけだし、光と闇にしても強すぎてしまえばどちらも見えなくなりますからね。
15:51 コバルト
https://youtu.be/kE0pwJ5PMDg
この有名な曲は100%不協和音しか使われていないのですが、それが美しく聞こえてしまうのは、光の混沌によるものだと感じます。
18:41 虚空
・仮面ライダーブラックでは、当時正義の方が「黒」、そして悪の組織の大神官たちが「白」という対極構造も話題になっていました。
・振り子のたとえが当てはまる場面ってたくさんありますね。暑さ寒さならまだいいですが、身勝手な態度を振り子のようにというのは本当に困ったものです。(他人が体調が悪くても「何よそのくらいでだらしない」とボロクソ言うくせに、自分がちょっとでも調子が悪いと周囲から特別扱いで大事にしてほしがる、等々)
・音で感じ取れないハズの領域なんだからカットしてもかわわない・・・というのでかつて話題になったのがCDが売り出された頃でした。急速にアナログレコードが衰退したのですが、「CDの音は固い。豊かなふくらみがない」とよく言われていましたね。音として意識できない領域をも無意識にキャッチしているんでしょうね。
これは人工の味付けやバーチャル等々にもいえると思います。
・有名な曲といっても初めてでしたが(苦笑)主旋律がきちんと主導権をにぎっているから不協和音をも世界構築のために取り込んでしまっている、という感じなのでしょうかね???
19:02 コバルト
http://aqua01.jugem.jp/?eid=633
春夏秋冬の感覚は日本人には染みついていますが、タイ人の方は一年中夏なので、夏の感覚しかないんですね。
そこに冬を加えるとタイ人にとっては不協和音になってしまうという感じですかね。
19:15 虚空
そういった季節感というのは心の形成にとってかなり大きいでしょうね。
ほとんど一年中かわらないとか、雨季と乾季という二極分化タイプとは違ってより複雑な(心地よさも心地悪さも様々取り込んで一つの世界 という発想が自然に身につく)
それが戦後教育とか、目先の価値観ばかりを追求する風潮によって、失われつつあるというのは本当に怖いことです。
水戸の外側の地域はそういった現代の中では、かつての精神世界の良い部分が地域社会の残っていた方で、その中で皆さんが成長してきたというのはラッキーだったとも言えると思います。(「添加」が生活の中でできているという点でも)

☆「江戸庶民の発想」から② ラインやりとり-2「混沌」「雌雄同体」(2019,02,05~)

2019.02.05 火曜日
07:32 虚空
土曜日に「主体と客体」の転換、さらには自由に入れ替えて発想できる・・・という話もでました。(http://syunkoukai.edoblog.net/Entry/211/ より記録)
以前社会人クラスでも話題にしたことがある(心理学で有名な)「図と地」の問題とも多分からみそう。・・・「壺」か「向かい合った顔」か

土曜日にはアニメ「ヲタクに恋は難しい」に出てきたBL好きの女性同士の「攻め・受け」論争が「主体」と「客体」の逆転の例として出ました。
これまで社会人クラスの頃も含めて話題になった項目をざっとあげると
・「雌雄同体」・・・カタツムリに関しての上原先生の疑問 戦車のイメージも雌雄同体?

・「日本人はハリウッド的なマッチョは好みではない・・・中性的・病弱なのに強い が好み 沖田総司 バガボンドでの小次郎 吉岡清十郎」(ジャニーズ系。韓流スター) 

・アニメ等々にみる稚児への意識の名残りや「BL・百合」 江戸の「恋」意識
など・・・
どちらが主体でどちらが客体なのかが未確定、あるいはコロコロと変化している状態が「混沌」とも言えるかな?
*この問題と「第三項理論」や「江戸庶民の発想法」(多次元構造の同時進行)・・・それらの関連が「宇宙との共鳴」の基礎の一つとなるんじゃないかと
09:10コバルト
スゴイ??色々繋がってきましたね!
塾考してみます。
11:10コバルト
とても曖昧(カオス的)な事があるというを認める事って、一般的に言っても難しいところですね。
だからスタートラインまでに立つ所まで果たしてができるのか??
だけどそれを理論化や数式化する試みは面白いですね。
人間思い込みで勝手に自滅していく人がいるのも事実、いつまでも残像を絶対視して真実を見ようともしない事ばかり、だからこの曖昧さというのは、あながち真理なのかもしれないですね。
安全安心安定(幻想、幻覚、幻影)(得体の知れないもの)を求めてしまっている現代では、なかなかこの感覚には抵抗があるんだと思いますが、やはり世の中は荒れた環境であって不安定なんだと認識する視野はあった方がいいのかなと感じます
特に選挙なんかは、それの表れで選挙中と選挙後では大概の人間は変わってしまいますから。
21:22 虚空
行動の仕方の是非はともかく、幕末の若者も学生運動が盛んだった頃の若者も「自分も世の中を変える責任をになっているんだ!」という気位を抱き行動に移していたわけですよね。歴史として名が残っていなくても、そんな若者が山ほどいた。
政治家も命がけの責任と覚悟をもって取り組む人が今よりずっといた。
それがどうして今の世の中のようになったのか・・・それを嘆いてもしかたない・・・少数でも行動に移す・・・
「ブレがない」というのもいい面悪い面両方あるわけですが、態度を変える基準が「自分の利害」にあるのか、本当の意味で世の中にあるのか(その場合の世の中っていうのは、自分とも一体感を伴っての世の中)にあるかで、だいぶ違ってくるようにも思います。

☆「江戸庶民の発想」から① ラインやりとり-1「”自分”が複数混在」(2019,02,03~)

2019年2月3日 日
09:09 虚空
T・K先生からのメールの中に、「江戸研究」などでも知られる田中裕子先生の話題がありました。(江戸時代の「色恋」意識の著作は私も持っています)
江戸庶民の発想を「自分の中の複数のアバター」という観点から考察されています。

アバターって数年前に話題になった「サマーウォーズ」でも出てくるネット社会では一般的な用語なのでしょうが・・・ちゃんとした意味を調べたことはありませんでした。
⇒「化身」という意味で、ネットワーク上の仮想空間でのユーザーの分身のこと。
以下メールの転載(部分)です
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
1月11日の朝日の記事が目にとまりました。
法政大学の田中優子総長の朝日教育会議における基調講演、記事の見出しに「自分の多様性 社会を変える」
「江戸時代 文化を深めた『複数の私』」とあります。
 法政大学は「ダイバーシティ宣言」を掲げた。多様性を認め合う社会。そこへ向かっていくための一助として
「複数の個人」、すなわち「アバター」というものの存在に注目してほしい。
 本日は「江戸文化とアバター」と題し、江戸時代を現代世界へ通じる社会としてとらえ、未来を考えたたい。
そして、アバターの具体例がいくつも出てくるのですが、
 最たるものは落語だ。落語家は一人で何役も演じる。例えば「粗忽長屋」。
熊五郎が行き倒れた「自分の死体」を抱き上げ、「抱かれているのは確かに俺だが、
抱いている俺はいったい誰だろう」。奇妙な落語だが、人が簡単に分裂しても平気な世界。
江戸らしい。
 
とあります。・・・・・
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
この記事内容をみて郡司先生の江戸庶民の認識法・・・私が勝手に「多次元構造の同時進行」と名付けた・・・を思い出しました。
ああいった観点からすると、当たり前に複数の人格を同時に進行させることができたような、あるいは「パラレルワールド」を意識世界で同時に並べていく・・・というような5次元以上の(?)発想法を普通にとれていた日本人と、第三項理論との関連は興味深いです。
郡司正勝 遺稿集
P73  [江戸の発想]
 歌舞伎の作品を補綴(ほてい)したり演出しだしてから、もう十本ほどになる。
 私がどうも腑におちないのは、必ずといっていいほどに、劇評に、筋がよく分からないとか、テーマに明解を欠くとか、わかり難いという評が焦点になっていることである。・・・
 いったい、どうして江戸時代の庶民が創り出した大衆劇である歌舞伎が、今日の最高学府を出たインテリにわからないのであろうかということである。・・・こういうとき、私は、あなたは教養があり教育がありすぎて解らないのでしょうということにした。
 
 歌舞伎狂言の構成は、仕組むといって、いくつもの世界を、時代の違う世界を、同時に組み合わせて綯い交ぜ(ないまぜ)にして作劇する。江戸時代の奇才鶴屋南北などになると、四つも五つも世界を組み込んで「筋からみあって新しい」と評されるほどである。まァいってみればTVのチャンネルを何分かごとに切り替えて見るようなもので、これに有機的関連性をもたせ、最後には一つに纒(まと)まって決着がつくこうしたのを上々とする。 
 こうした構造を芸術の基準としている、その構造が理解できなければ、おそらく絶対にわからないであろう。近代の学校教育は、西欧的理念と方法によったものだから、はなはだ合理的科学的で、そうした教育がすっかり身についているインテリにとって、こうした江戸の文化の構造や発想様式は、習いもしないし、生活にもないとすると、もう体質的に受け入れられなくなっているのである。日本人も、まったく西欧人なみの頭脳になっていて、すでに江戸人とは異質の人種になっているのではないか。
 江戸人の目は、いくつもの世界を、同時に一緒にみることの能力があった。トンボの眼のように、複眼的構造は、同時に、いくつもの事象をうつしとることができる。あるいは、それは封建時代に生きる者の生活の知恵であった。右か左かを分明しては生きてゆかれなかったこともあろう。なまじい教育のある者にとっては矛盾として受け入れられないものを、おもしろしとして、そこに見るべきものを見た世界構造。それが歌舞伎の構成であった。
 江戸歌舞伎は、テーマを四つも五つも一つの作品に盛り込み、鵜匠の手綱のように、その捌き方の技術を、ほれぼれと舞台で鑑賞するような、そんな生活基盤の美的基準がもうなくなってしまったのかと考えこまざるを得ない。
13:03 諷虹
粗忽長屋は演目名は聞いたことありましたが、実際どんな話なのか知らなかったのでこれを機会にいくつか聞いてみました
 https://www.youtube.com/watch?v=rgeluktyNQo
 今貼ったのは個人的に波長の合う落語家さんのものです(42分とありますが、実際は24分です。)
このようなそそっかしい人間が勘違いして、勘違いして・・・といつの間にかとんでもないことになっていってしまうという話の作りが「村の英雄」っぽいなと思いました。
枕で「オレオレ詐欺」なんかを例に出していますが、思い込み・・・一種の錯覚のような感覚、その人の中で「そうなのかなぁ」→「そうなのかも」→「そうに違いない!」となってしまっていると全貌が見えなくなっていってしまう。簡単なことでさえ気づかなくなってしまう
しかし、それを客観的にみると(語り手視点・視聴者視点)滑稽に見える・・・というところがここ数日話題にしている「主体からみた客体」なんかにつながるのかなぁ・・・って感じです
この手の話だと「主体が捉えた客体」(勘違いしている人がとらえている状況)がいかに狭い領域になってしまっているのか、狭まってしまっているのかというのを面白がっているということなんでしょうかね
そして、村の英雄はそんな風に狭まって狭まって・・・いったものが一気に解放され伝説として語り継がれていったという結末につながった?(圧縮と解放)
この「粗忽長屋」は自分はいったいどんな状況なんだ?と当人が当人を客観視するという次元の変化が起きたところをオチとしているので非常に哲学的というか、「これだけ粗忽な熊ならどんな風に状況を飲み込むんだろう」という広がりを想像させるようなオチなのかなと思います
18:32 虚空
ここで「村の英雄」が再浮上ですね!
落語の動画も観ました。
確かに「私」ってなんだろうという・・・。
夢の中の自分と、そういう夢をみている自分とが割と区別されている場合と、されていない場合があったりして・・・

子どもなんかは尚更でしょうが、自分も子どもの頃から今でも、生涯の中で最も何度もみる夢は「火葬場」そして「葬儀」に関する夢だということは何度かみなさんにもお話している通りです。
自分が火葬される夢、自分の葬儀の夢も何度もみているし。
葬儀のお手伝いをしていてハッと気が付いたらそれは自分の葬儀だったという夢もみているし。
そんな時に、夢の中であっても、この落語と同じような感覚に陥っていることはありますね。
2019.02.04 月曜日
07:41 コバルト
この動画を見て思ったのが、人間のも持つ一番古い記憶にしても大体3、4歳かららしいのですが、脳の成長など科学的な部分を抜きにして、そもそもそういう自我の確立はどうやって発生するのかが気になります。
混沌の中にいる(ウルトラマンのタイトル)みたいな感じ?
https://youtu.be/hSgBCi-1yQE
07:45 虚空
混沌をそのまま認める」かどうかも違いとして現れるんでしょうね。
自我の確立 なんていう立場からすると混沌状態はダメ となってしまうんでしょうけどね・・・
ウルトラマン本放送でこのOPと出会ったのは幼稚園の年少組の頃ですが、その頃から強烈に印象に残っています。
当時はモノクロテレビでみていたので、それこそ墨流しのような混沌から文字が浮かび上がってくる感覚。
余談ですが、ウルトラマンの先行番組としての「ウルトラQ」のOPがカラーとして使われて、そこから「ウルトラマン」と出るというのが今考えてみると面白い流れだった気がします。
さらに余談ですが字幕に「金城哲夫」と出たのも感慨深いものがあります。もちろん会ったことはないですが、上原先生の愛弟子であり、円谷英二氏に彼を紹介したのが上原先生だ、という因果・・・まさかあの幼児期にみていたシリーズの生みの親の師匠と出会って・・・なんて思いもよりませんでしたから。
この主題歌の歌詞って東京一作詞とありますが、円谷英二のお子様でウルトラマンシリーズのメイン監督だった円谷一さんの作詞家ペンネーム。

多分金城哲夫さんと一緒に作詞プランをねったと思うのですが、金城哲夫さんが学生時代に上原先生を通して学んだ折口先生の発想がとっても色濃く反映しています。
一番は「まれびと論」・・・救いの神が異界からやってきて幸をもたらす(なまはげ・お正月様⇒サンタクロースや水戸黄門)
二番は「ライフインデキス(生命の指標)
っていうような感じです。
13:44 コバルト
ウルトラマンは命を2つもっているんでしたっけ?
混沌をふまえると自我ってそもそもとても曖昧なものかもしれないです。
夢の世界って自分以外にもなれるし、それに自我を保ったまま好きな夢をみるという事を何度もチャレンジしましたが、夢を見ている最中に夢を見ている事を自覚したことは、ほとんどない気がします。
精神にある程度の衝撃(プレッシャー)を与えれば自我なんてすぐ吹っ飛んでしまうでしょうし。
ゾーン(超集中)に入っている時なんて自分が自分じゃない感じでもあるから。
16:42 虚空
光の国から迎えにきたゾフィーが命を二つ持ってきていて、その片方をハヤタに与えます。(この頃はウルトラ兄弟という設定がなかったので、ウルトラマンとゾフィーとは初対面という感じでした)
ここで興味深いのは「命」と「魂」とは別々にされているということです。
新たな命を与えられたハヤタはウルトラマンとして戦っていた期間の記憶はなくなったものの、それ以前の記憶はあるわけですから。
日本人の魂は入れ替わる・・・という折口先生の発想の大前提でも「肉体は器」だから魂は入れ替え自由だと。
このあたりも日本人が考えてきた「自分」ということを考察する手掛かりになるかもしれませんね。