忍者ブログ

☆「生徒」の反対は「死徒」(老子の言葉から)② 「自分だけの幸せ」なんてあり得るのか?

「固い生き方」の典型は「他人を受け入れない」・・・「自己中心的な生き方」ということにもなります。

「競争原理」「成果主義」が非常に良い事のように主張されたのが「平成の世」の大きな流れでしたが、はたして本当にそれは幸せな社会の実現になるのか?

「競争することでより良いものだけが勝ち残っていく。だからいい世の中につながる」という主張でしたが、本当にそうなっていますかね????

長文の記事になってしまいましたが、途中で切らずに一気にラインやりとりを載せます。


2019.04.16 火曜日
13:55 コバルト
世界は向こう側からやってくる。
そういうメッセージを受け取るには、どうしても柔軟性が必要になってくる。
拒絶と受容の違いでしょうか。
そういう世界から出るメッセージは波と一緒でまったく同じ現象(シチュエーション)は起きないんですね。
色んな事が複雑に絡み合ってますから大雑把な確立や方程式があまりあてにならないんです。
そしてこういうのは常に過程の連続で答えという終着点が存在しないんですね。
強張ってしまえば共鳴共振が起こせずに、それらしい勝手な思い込みだけで突っ走ってしまうんですね。
そして結果として自滅となってしまうんです。


14:33 虚空
現代人の大きな錯覚の中に、自分を曲げない、相手の異なる発言に耳を貸さないという姿勢が「自分らしく信念を貫いた生き方」というのがあると思います。
異なる意見を取り入れる・・・場合によっては相手の言葉に耳を傾ける・・・ただそれだけで「自分は負けた」という感覚。
*もっとも現代人に限ったことではないですがね・・・私の人生を滅茶苦茶にしてきた例の人物などはそうしたガチガチの塊。異なる意見には「そういうもんじゃない」と偉そうに完全否定するくせに、自分の意見はこの世の絶対基準であるように他人に従わせようとする。
早い話が、そういう人間は信念でも何でもなくて、ただ自分の我がままを通したいだけのガキ。(駄々っ子でしかない、と言ったら子ども達に失礼か)
「本当に生きている」っていうのはどういうことなのか?
マア、そういう自分なども、トラウマを刺激されるようなアニメなどは頭から拒絶する傾向が強いですから、決して柔らかい生き方などをしているとは言えない、という自覚はあります。



2019.04.17 水曜日
07:00 ソルティ
おはようございます。
*死徒 ⇒ この言葉初めて聞きました。ネットで調べたら何だかアニメが出てきました。キリスト教の使徒を思いだしました。ノートルダム寺院はどうして焼けたのでしょうね。ちょっとショック。
* タンポポ ⇒ いいね~。そういう人になってみたいが。。。どちらかというと竹をわったような性格。白・黒はっきりつけたい人(私)だな。まあここにきて少しは人の意見もきくようになったが。。。そうするとね、迷いがでてくるわね。そういう時は虚空さんに教えてもらった 豆ふりもどきをやってどちらの道へ進むかきめることにしている。それでも選べない場合は、ぎりぎりのところで決める。そうすると何となく 納得!みたいになる。
* 信念をつらぬいた生き方 VS めちゃくちゃ頑固な生き方、他の人からみた時の見え方のような気もする。 赤の他人からみたら信念をつらぬいて素敵な生き方だったよね~と言われるかも知れないが、例えば家族の誰かは その一徹さ、頑固さに振り回される人もいるんじゃあなかろうか?
*賽の河原の石積。。。実際に 鬼に蹴飛ばされて壊されたら やっぱりむかつくな~ワタシは。このやろう~とか こんちくしょう とか思いそう。一応口には出さないとは思うけれどね(現世での話)
「7転び8起き」 的なイメージだけど、転んだあと ちょっと ふてくされたり、愚痴ったりしつつ そのうち しゃあない、またやろか~と起き上がる感じかな~。まあ そうこうしているうちに 今生での目的が見えてきそうにも思うね。
さすがに鬼を呼んでくる元気はないなと思う。 そういうことをきっぱり言い切れるダンデリオンさんって 上原先生が気に入ってたわけだな~と思った。
最近のワタシはですね、ちょろちょろ生きるということを目標にしているんですよ。


08:14 虚空
自分としてもやっぱり鬼を呼んでくる元気はないですね・・・自分がレベルアップするために「神よ、さらなる試練を与えたまえ」というよりは「魂が磨かれなくていいから、もうそっとしておいて・・・」という感じ。(これは社会人の頃に次々と職場いじめにあっていた頃に、精神世界にはまっていたある人に「それはあなたがまだまだなんだ、もっと磨かれる必要があるんだ、ということで神様が与えて下さっているんですよ」と言われた時に、口から出た言葉です)
だから今私の身に次々と降りかかってくることに関しても、とてもプラスにはとらえられないというのが本音。ましてやあのような身勝手な連中に対して「自分の魂を向上させてくれるありがたい存在として感謝」なんていう気持ちにはとてもなれません。父はそういった境地にまで達していたようですが・・・・。
ただ、「ふざけるな!」という日々の怨念というか憎悪が湧いてくる状態を、先日から一部で話題にしている「エネルギー」としてつかまえるという感覚はあります。普段一人で怒りにとらわれていない時には、気力があれだけ低下して生きる屍のようになっている自分に、怒りがこみあげてきて運転中などにひとりで怒鳴り散らしている時には「まだこれだけ怒鳴りまくれる自分もいるんだ」と思えていますから。
あわよくば、それがいつのまにか相転移する・・・・そんなことへのヒントとして、ずっと「犠牲論」とか「恨み論」とかを実感実証しようとしているこの数十年のような気がしています。


08:14 コバルト
 「心を鬼にする」という言葉がありますけど、折角築き上げたものを、ぶち壊す、子供は破壊神(破壊衝動そにものが鬼)(こっちが望んでなくても衝動という世界そのものが向こう側からやってくる)
小説家が原稿を破り捨てる感じ?
賽の河原での石で積み上げることじたい最初から間違ってる訳だから、歪的になってしまって最終的にはぶち壊してしまうんじゃないでしょうか?(レゴブロック?)
渡る世間鬼ばかりでも、鬼や地獄は人や現世そのものであるわけですから。


08:42 虚空
そうした子どもの行為を単なる破壊者ではなくて既存の枠組みをぶち壊して想定外の方向へ指し示してくれると大真面目に考えたから「稚児」という見方・・・トランスフォーメーションへの引き金をひいてくれる存在としてみていたのでしょうね。
大人の事情を全く関知しない「乳児」なんていうのはその最たる存在・・・・サマーウォーズのように人が臨終していようが何だろうが泣く時には泣く。
ただ、絶対自分に基準を置いて・・・なんていうことに凝り固まっていると、そういう子どもの行動が「邪魔者」・・・自分の生活への本当の破壊者・・・としか思えないから、絶対言う事をきかせようとして虐待したり、あるいは亡き者にしてしまう。
相手が乳幼児でなくても、言う事をきかない人間、気に入らない人間、自分の役に立たない人間は排除ということを本気で実行に移す・・・・そうした感情はいつの時代にも人間にはあったと思いますが、実行に移すということが、本当に普通に多くの人たちが、ためらいもなく極端な形で行われるという今のようなレベルでの風潮は日本の歴史の中でも特異なのではないでしょうかね。
地獄も極楽も「あの世」ではなく「この世」そのものにある・・・意識世界の主体として個々人にゆだなられている・・・そんな発想をはっきりと自覚したのは「エースを狙え!」の原作最終巻にある仏教の経典内容を紹介している内容からでした。
そういうことからいえば、今の私は自ら地獄を作り上げているといえるんですよね・・・・
(地獄にはでっかい皿にご馳走が持って合ってながーい箸がついている。それが長すぎて食べ物が口に入らないから亡者たちはいつも飢えて世界中を呪っている。
極楽にも同じものがある。でもこちらでは互いに「お先にどうぞ」と向かい合う相手の口に長い箸で入れてやるから満ち足りた日々を送っている・・・という内容)


10:23 コバルト
https://xn--u9jv84l7ea468b.com/kaidan/398wa.html
⇒アウシュヴィッツのように一部の人間(国をあげて)の勝手な欲望から人生を奪われてしまう地獄もあるんですね。
あそこのは地獄も鬼もたしかにあったはずです。
自分もしくは自分達だけの幸せ、楽園、天国を作ってしまえば、必ず比例した地獄も生みだしでしまうんでしょうね。
もののけ姫みたいに、文明と自然は相容れないように。住処を失ってしまって滅んでしまうものが出る。
動物が絶滅してしまっている原因は人間が大きく占めている。
自分の幸せは誰(人間じゃなくても)かの犠牲のうえで成り立っているんですね。


17:29 虚空
 他人とのつながりを無視して「人間」としての極楽がはたして存在するのか・・・という問題もあると思います。
毎年正月での初詣中継で多額のお賽銭をして自分だけの幸せのことを願ったというようにインタビューに答えている人がいますが・・・ホンモノの神様がそういった願いをかねてくれるわけがない。
もしかなえてくれたというのなら、それは神様はもうそこにはいなくて、代わりにヨイショしてからドーンと奈落に突き落として面白がるような低級霊や悪魔の使いのような精霊がいるんじゃないかな????
自分だけの極楽を作ろうとすれば、踏み台にされた不幸な人間が同時に作られてしまう・・・作用反作用の法則のように。
「共存共栄」という極楽を作ろうとすれば、そういった法則を超越できるんだと思います・・・神の発想の領域だから人知をこえて。
というような言い方をすると、宗教じみてきてしまいますが・・・最新の宇宙論なんていうのをみていると「人知を超えた領域・世界」も確かにあるということは明らかになってきているようで・・・・。
「科学的」ということに妙にこだわる人たちは、近世以降の科学万能論の盲信者なのかもしれません。


18:17 ヒマワリ
漫画の絵、覚えてる。
家庭教師してもらってるとき見たの覚えてるなぁ。
ひとを先に、自分はあとに
だよね?



18:22 虚空
覚えていてくれたんですね!
どうしても今の時代は「そんな甘いことを言っていたら競争に打ち勝てない」ということで、あの校訓などのようなことは否定されがちですが・・・結局そんなことをしていたら「勝者」っていなくて、すべてが自滅するんだと思っています。


18:30 ヒマワリ
うん、ほんと覚えてる。
これは結構衝撃だった。
奪い合えば足らぬ、譲り合えば余る…ってほんとそうじゃんねって納得する部分もちろんあるんだけど、じゃあ自分はどうなの?っつったら全然。
ガンガン荒地の魔女気質だし、死んで欲しいと思う人間だって心の中にいるし。
今更ダンデリオンにリプライしますが、死徒?生徒 にはビックリしました!
「シシ神は命そのものだからね、生と死と、ふたつとも持っているんだよ」のアシタカのセリフも、
音だけで聞いたら「生徒・死徒、ふたつとも持っているんだよ。」と、
脳内再生されました(笑)
ダンデリオン読んで、そのあとのラインのやりとりも読んで、あー私も現代に染まってんなって反省した。
ちょっとね!ちょーっとだけ反省した!笑
邪魔者いるのが当たり前だよねー。
人間だもの。相田みつを。
邪魔者は消えてくれたら一番だけど、しゃーないよね、邪魔者と思うのは私基準だし。
宇宙から見ればま?ずしっかしくっだらねぇことであーだこーだ騒いどるわ人間どもは!ってくらいゴミみたいなことと思うよね(笑)
だけど嫌いなものは嫌い!
どうあっても嫌いな奴は許さないし、許さなくていい嫌いな奴を心の中で呪う自分を許してあげることにした。
いいの!邪悪な気持ちがあっても私は私!
自分のいる空間に、嫌いな奴がいても、それを排除しようとはしないけど、でもそいつは無視して過ごしてく。
これは私的、平和主義。


18:58 虚空
卓見ですね・・・・。
基準はまさにひとそれぞれ・・・(個人的な事例が入りました)


19:37 ヒマワリ
卓見!意味調べたわい!
そう言われてやっとホッとするよ?。
やっぱり自分の意見や考えに自信なんてないから、人の言葉に耳を傾けて、右往左往する心から、答えを見つけるようと思うけども。
ラインにもあった「現代人の自分の意見曲げないイコール志を貫く」ってゆうのはマジで勘違いだと思うなぁ。
光の三原色もあったもんじゃねぇわ、重なんめよ!って。笑
(ここに虚空の個人的事情に対してのコメントがあったのですが非公開とします)
もーほんとイヤ。
自分の目に映るものが全て、
自分は正しい間違ってない、
人の粗探し、足の引っ張り合いに一生懸命。
バカバカしいし、くっだらなくてやんなる。
可哀想な奴らだなって。
令和のスローガン(?)どうすんねん無理やん


20:10 虚空
今の自分にせめてできること・・・・あんな風に人を踏み台にするような生き方が「上手な生き方だ」なんていう連中のようにはならないように心がける事・・・・


20:53ヒマワリ
なんて表したらいい気持ちなんでしょうね。
怒りや憎しみを超えた悔しさや悲しさからの、もぅあきらめみたいな気持ちになる感じ。
はぁーあ、もう知らねってなる。
虚空さんはそうならないよ、つか、なれないね。


20:53 ソルティ
こんばんは~ アウシュビッツは だ、だめだ~。なぜかとてもおっかない。実際にあったこと(らしいので)なおのこと怖い。一度 広島の?原爆資料館内?だっけ?写真展に行ったような?かすかな記憶が。。。こ、こわい。

小さいころ 毎晩 骸骨に追いかけられる夢をみて真夜中に目が覚めて怖かった記憶がある。前世で 人殺しでもやらかしたんじゃあなかろうか?とか思う。
さて 戦争のさなかでも、こんな国もあったんですね~。憧れの国をご紹介させてくださいな。っていうか。。。みなさんご存知でしょうけれど。

https://blog.goo.ne.jp/nichii-bunka-kouryuukai/e/908c455e113fceba694ada8b7134cde1
 
第二次世界大戦中に、人口の3倍以上の 10万人の避難民を受け入れました。というところがすごいな~と思うんだ。



21:24 ヒマワリ
読み始めて、途中で私もギブアップ。
辛いことから目を背けました。
何も悪いことしてないのに。
もし仮に何か多かれ少なかれ悪いことしたとしても、罰のレベルじゃない。ひどいよ。
1930年?とか、今から約90年前かって考えたらすごく最近の話に思った…怖い…
そんなことされて死んでった人たちの恨みや悲しみは、死んだからといって無くなるものだとは思えないな。
今こうして何不自由なく暮らしてる自分も恨まれる対象になる気がしてきた。


21:39 虚空
程度の差とか関係なく、例えば沖縄戦の犠牲者や、生き残っている家族の方々の奥底には本土の人間には分からないような想いがあるでしょうね・・・。
よくそういう時に「ユダヤ人はもっとひどい目にあったんだから、まだマシ」という理屈をこねる人がいます。
また例の愚痴になるけど、私がいろいろなっことで苦しんでいる時にも例の人物は「何よそのくらい、私なんてね・・・」とか「あんあたのなんて苦しみのうちに入らないんだから」とか・・・。
そのくせ自分にちょっとでも何かあると大騒ぎして周囲を巻き込む
それが人間の性といえば性なのでしょうが・・・・(具体的な話が入ったのですがカット)
もっと悲惨な人、私より苦しんでいる人が大勢いらっしゃることは、それはそれで事実なのは承知しているつもりです。でもだからといってそれを私だとか沖縄の生き残った方々(広島、その他もそうです。戦争でなくても災害等々あらゆる場面で)不幸の比べっこなんてしても反発か絶望かを生むだけの場合が多い・・・・
そう言われて「そうだな、自分なんかまだ幸せなんだ」と切り替えられる人は、それで頑張ればいいんだけどね・・・。
本心からそうなれない自分がよく分かっているから、私の場合は「自己嫌悪」「自己否定」に突っ走ってしまいます。
いじめの自殺などでも「そのくらいでなんで死ぬの」なんていう人が時々いるけど・・・実際にやられた内容はそれほど問題ではない場合だってある・・・特にネット社会で得体のしれない恐怖・・・見えない相手・・・世界のすべてが敵になってしまうような恐怖感・・・それは例え意識世界がつくりあげてしまう部分であっても、だからこそ本人には現実なのに、周囲には全く理解されない・・・かっきりとしたいじめ事実が明るみになっていないという段階では特に・・・・
いじめ調査だって世間が思うほど学校では簡単にはできないと思うしね。仮に疑いのある生徒に事情をきいたって本人はとぼけるだろうし、被害者には報復があるだろうし、事情を聴いただけでそれらの親からは怒鳴りこまれるだろうし・・・・。


2019.04.18 木曜日
07:38 虚空
朝から非常に重たい内容で恐縮なのですが・・・・なので読み飛ばして下さって結構です。

・・・自分だけが視聴中のアニメ「盾の勇者の成り上がり」・・・・例の人物たちを思い起こさせるような身勝手極まりないキャラが出てくるので普通だったら絶対観ない内容なのですが、ここに出てくるヒロインの姿に光を見出せる感覚があって、観続けています。ゆうべの放送回では悲惨な過去や現実が描かれていて・・・直接的な状況は違うものの、自分のここ数十年のこととあまりにかぶる部分が多くて・・・。
そのヒロインがむごたらし現実に直面して、いつもの優しさを失い、怨念や絶望の塊になりかかり、復讐の鬼のような心象になってしまうところなどとは共鳴しまくってしまいました。(具体的な内容の愚痴・・・カット)
私と大きく違うのは、最終的には友達などとの思い出によって、辛すぎる出来事を他人への優しさにできていたという自分を思い出せたこと・・・そして浄化の方向へという生き方が甦ってきたこと。
アニメ前半のような復讐の鬼のような心境に向かって暴走するのか、それともアニメの最後の場面のように人間として踏みとどまれるのか・・・そんな今の自分に対して、あちらの世界からもたらされたのではないかと思えるような気持ちでいます。
(今回のアニメのあらすじが分かるサイトがさっそく更新されているのですが・・・アドレスをはることはやめました。決して幸せな気分にはなれない内容なので)


08:21 ヒマワリ
あらすじのわかるサイト、私個人のラインに送っていただけますか?


08:24 コバルト
盾という繋がりで護るというワードがずっと引っかかっていたので、引用します。
「どんなに強い守りでも、まもりである限り本質的にモロい。」
社会人になると保守的になります。
行動を選択する時にそこから生じるメリット、デメリットにばかり目が向きます。
マイナスなことはしないでおこう、卒なくいこう。
そんな考えになります。
それはわきまえとしては必要ですが、本当の意味で「生きてる」とも「活きてる」とも言いがたい。
桜井さんは「守る」ではなく「護る」ことが万能の言葉だと言っています。
守る行為に「攻める」が含まれると「護る」になる。
家族を護る
自分の生活を護る。
護るために現状維持ではなく、果敢に「攻める」
ブログを始める前と今との違いですが、
沢山のことを学べました。
その中で、「変化」を願わない生き方は安全かもしれないけど、
そこには新しい「発展」は生まれにくい。
今までと違うことをするという「攻め」があることで自分だけじゃない大切なものを護れる力が身につくのではないだろうか
そう感じました。
「添加」というのは新たなものを受け容れる事ですから、チャレンジ精神が必須であり、攻めの心構えが必要なのだと思います。
全く出来ないこと、やりたくないことをやるって訳じゃなくて、自身にとって可能性が在るものを見出してみる事がまずは大切なのだと思います。
ほとんどの人達は終わりと悟って、やっと大切なことを見出す訳ですけどね。
だからここでは普段の生き方(生き様)から目を凝らして光を見出すことが出来ればと思っています。
アウシュビッツの件にしてもあの惨状を知れという訳じゃなく、あの地獄のような場所でもユダヤ人達はみんなで励まし合って(江戸のウナギ絵の鰻屋さんの前でウナギ親子の娘を大丈夫だよってなだめていたような絵のように)最後の最後まで「笑え笑え」って生きることへの希望を絶やさず懸命に生きたという事実があったことが重要だったんです。

ちょっと「盾と勇者の成り上がり」のあらすじを読みましたが、守りしかない勇者に、勇者の剣として成り代わった者達が添加されていくような感じなのかな?と思いました。


13:52 コバルト
https://www.cinematoday.jp/news/N0090020
のぶ この記事の中抜きです。
まるでおとぎ話のように思えた。なぜならあの恐ろしい時代の中、父親が子供を笑わせて、人生を生きやすくさせていた。僕はあの映画を意味がないとか、つまらないとか思わない。今は、ホロコーストの生存者の観点から映画を見直す必要があると思う」と語った。ホロコーストを題材にした作品は、さまざまな議論の余地があるようだ。

16:47 虚空
あのアニメの場合、本人の意志とは全く関係なくいきなり異世界に召喚させられた上に、最初から「盾」という宿命を背負わされてそこから逃れられないという設定になっています。自分の意志としては闘いたいにも関わらず、それすら出来ない呪いのような宿命。
だから代わりに闘う誰かが必要で・・・・それこそ「陰陽一元論」というような日本古来の発想になっているようにとらえています。
好きで守りの構えになりたいわけではない・・・抵抗することもできない・・・理不尽なぬれぎぬなどを着せられて、どんどん悪者とされていってしまう・・・・。
胸糞悪い王族一派が私を滅茶苦茶にしてきた例の人物たちに重なって・・・。
今回は、いつもは主人公の心を温めていたヒロインが、絶望的な状況によって笑顔を忘れてしまう、という点でいつも以上に重たい内容だったわけです。
(どのサイトであらすじを観たのか知りませんが・・・
 
「笑い」というのも大切なテーマですよね。
あまりに絶望的だから笑うしかないということもあるわけで・・・。
有名な絵本の中に「ベロだしチョンマ」なんていうのがありますが、あのクライマックスの様子なんていうのは「笑い」=「楽しいこと」と決めつけている人には理解不能なんでしょうね・・・・
いじめ自殺などでも、クラスメートが「いや、普通にみんなと笑ってすごしてた」とケロっとした態度でインタビューを受けているのを何度もみたことがありますが・・・笑顔をみせているからこそ極限で絶望的になってきているというのもあり得ます。
今回のアニメでの場合は絶望的な状況でも「笑顔」がトランスフォーメーションをおこす引き金になるという側面で描いていましたが・・・


2019.04.19 金曜日
07:45 ソルティ
 おはようございます。
ちょっと前の ヒマワリフクロウさんのコメント 「。。。だけど嫌いなものは嫌い!どうあっても嫌いな奴は許さないし、許さなくていい嫌いな奴を心の中で呪う自分を許してあげることにした。いいの!邪悪な気持ちがあっても私は私!」
を読んで。。。それって ヒーリングの世界で大事にされていることだと思う。自分の中の色々な自分をまずは自分が認めてあげることが重要だと思う。で一連のお話しの流れの中で思いついた動画がユーチューブにあるのでその動画を紹介させてください。
このお二人は夫婦で、その掛け合いが素人の私にも面白いしわかりやすい。以前お習いしたヒーリングと重なるところもあるので、役立つ部分もあるんじゃないのかな?と思う。笑顔とか笑いって大事らしく、波動をあげていく有効なツールだと思う。なんでも男のほうの人は 消滅した?ウサギ星から地球にやってきたらしい。(なんじゃそれ?)の世界でもあるけど、そういうことか~と思える動画もあるので、よかったらみてください。
https://www.youtube.com/watch?v=gQHmOFv4k1w


09:08 コバルト
薄気味悪さの感じさせる笑い方。
自分を奮い立たせるような笑い?(武者震い)
これは笑いの向こう側にある「喜び」というものになってくるんだと思う。
太陽のように笑っている人って、攻撃の対象にはならないじゃん。跳ね返されちゃう。(これは重要だと思う)
攻撃の対象ってやっぱり「魔女」?
まどマギの穢れの浄化は魔女が魔女を穢して魂を浄化してたよね?
現に世界では魔女狩りという惨たらしい事が起きていた訳だし。
魔女ってなんだろう?
https://world-note.com/witch-hunt/

09:31 ソルティ
魔女狩り当時の魔女の定義が今一つ理解できていないんだ。例えば霊能力を持った人たちで、病気を治したりなにがしかの予言ができた人々?のこと?だとしたら普通じゃあ考えられないから ある意味こわくなって告発ということもありかも?と思ってしまった。
*なんじゃそれ?の話 実は今日ご紹介した 曽我朋代さんという人は、前世で 裏霊界の魔女だったという話が動画の中にある。裏霊界と表霊界、天国と地獄などという座標軸もあるらしく、なんじゃそれ話となって ただ今の私の中に存在している動画です。


09:43 コバルト
(自分に非難の矛先が来そうになった時に、第三の立場の悪者を仕立てる・・・ということの実例が入りましたが、一般公開は控えます)


10:03 ソルティ
ふ~~ん、そっか~。責任転嫁という感じなのかな?
ふと思いついたんだけど、魔女狩りって、ちょっと前におやじ狩りってあったでしょ。自分のストレスを解消するために、自分より弱い立場の全然関係ない人をターゲットにして殴るけるとか そういうイメージととらえていいのかな?と思った。
いずれにせよ、多勢に無勢の 数の少ないほう(&弱いほう)は生きるのがしんどいと思う。


10:15 コバルト
本物の魔女は狩られていた側より狩っていた方が魔女である気がしてきた。


10:32 虚空
今回の盾の勇者のアニメでもそうですが・・・・「神」の名を語って魔女などの弾圧をする人間はとかくいつの間にか自分が弾圧に値する人間に成り下がってしまいがちですね。
うちの父が戦時中に、「天皇陛下の命により」といって威張り散らし、庶民に犬の真似をさせようとした将校に向かって「天皇陛下がそのような命令をするはずがない」と言って、大変な目にあったというのをチラッと聞いたことがありますが・・・。
だいたい、自分の思い通りに周囲を屈服させたいという自己中の人間ほど、都合のいい時ばかり「正義」や「法」や「道理」や「神」などの権威を振りかざします。
ホンモノか偽物かを見分けるポイントの一つは「他人に厳しく自分に優しく」していたら偽者ということじゃないかな???


11:01 虚空
14日の諷虹・虚空やりとりをブログにアップしました。
ツイッター記事の転載です。
:::::::::::::::::::::::
中学生に季語について授業した時のことをきっかけに「旬の感覚・生命の発露」についてやりとりした内容をブログにアップです。上原先生はこの問題についても非常に重視されていました。そうしたことが日本人の共通感覚から抜け落ちているというのは大きな危機だと思います  http://syunkoukai.edoblog.net/Entry/297/ 

このブログ記事の最後に、参考資料として上原先生が著書「かぶき十話」の中で、「となりのトトロ」について言及している部分も抜歯して載せています。
こうした季節感に限らず、心意伝承と接触度合いが強いアニメなどには、この前から話題にしているような「テレビ作家の教育力」を強く感じます。


14:38 コバルト
他人に厳しく自分に優しくっていうのも、やはり「黒」より「白」の方が怖いんですね。
「まっ黒くなった雑巾とずっと白いままの雑巾」みたいな感じでしょうか、まどマギのキュウベエみたいなやつですね。
仮にですけど、ジャイヤン(黒)みたいないじめっ子よりデキスギ君(白)タイプのいじめっ子の方がおそろしいんですよね。


15:32 虚空
自分はどちらのタイプからもいじめられましたが・・・より巧妙で卑怯なのは白タイプだったですね。

今、私を滅茶苦茶にしようとしている人物たちも「知能犯」だから白タイプ


2019.04.20 土曜日
14:23 コバルト
https://tocana.jp/2017/05/post_13238_entry.html
全ての要素が含まれている「無」それがカオス(虚空)(柔)。
量子力学のエネルギーとしての考え方では、見られたり、観察されると全く違う性質に変化してしまう。
遠くからの車の音でさえもビンカンに反応してしまい、性質を変えてしまう。
訳が分かりませんが、なんだかダークエネルギーやダークマターに結びつきそうな予感がします。


15:23 虚空
この前観てもらったダークエネルギーの話は宇宙開闢の際のインフレーション理論と密接につながると思っています。そこには「虚数時間」がからんでいるという説もあるし・・・(ホーキング)

様々な宇宙論の発想が、これまで考え続けてきたことや、心意伝承や、日本人古来の発想とからみあってきそうな予感があります。
学問的にこれらをきちんと理解しようというのは厳しいものがあるので・・・あくまでもそれらのざっくりとした解説を読んで、大胆に様々なことと結び付けていく「直観(直感)」を働かせていく・・・それをひたすら繰り返し、紹介しあう。
そこにまどマギとかなのはとか・・・様々なアニメもヒントになると大真面目に考えています



⇒4月19日・20日の諷虹・虚空やりとりはこれらの内容から宇宙論へと発展していきます。近いうちにブログに掲載します。
PR

☆「生徒」の反対は「死徒」(老子の言葉から)①

4月14日のダンデリオンツイッター記事の内容は、日常の感覚に対してハッとさせられる観点が示されていて、「日常」から「宇宙論」にまで及ぶようなやりとりが多様に深まりました。まさに「身近」なことから「宇宙との共振・共鳴」です。
まずは記事の転載です。
 

2019.04.16 火曜日
07:47 虚空
14日のダンデリオンツイッター記事です。先日アップした駿煌会やりとりの内容とも密接にかかわる内容だと感じています。
「意味内容」⇒「お話」⇒「原文」の順に紹介します

:::::::::::::::::::::::::::::::
【大体の意味内容】(老子道徳経 下編徳経76)
人が生まれるときは柔らかで嫋(たお)やかなありさまだが、死んでしまった後の体は堅く強ばってしまう。
これは万物に通じることでもある。草や樹木も柔らかく脆(もろ)いものとして芽を出し、枯れ干からび、朽ち果て、死ぬ。
だから、堅く強ばったものは「死徒」つまり死のなかまである。柔らかで嫋(たお)やかなものは「生徒」すなわち生のなかまである。
それゆえ、たとえば兵力というものは強ければ強いほど木(こ)っ端(ぱ)みじんに粉砕されやすく、最終的には勝てないものだ。木も頑丈なものほど、大風にさらされた時には折れて倒れてしまう。
物事はすべて、強大なものほどレベルが低く、柔弱なものほどレベルが高い。
【お話】
「生徒」の反対は「先生」ではなく、「教師」でもなく、「死徒」だったんだ!

ここで初めて知りました。確かにこの方が合理的で筋の通った二項対立です。
私たち大人は、自分は「生徒」の反対だと考えたらとんでもない阿呆(あほう)なわけです。これは肝に銘ずべき箴言(しんげん)です。可能な限りいつまでも「生徒」であり続けた方がよいわけです。

そのためには身体も心も、頭も柔らかでなければならない。年齢を重ねれば誰しも老化していきますが、そのこと自体は悪いことでもなんでもなく、むしろ熟練した素晴らしい「生徒」として輝けるでしょう。

好ましくないのは「死徒」化してゆくこと。身体や心や頭が堅く強ばってゆくと、いずれ木っ端みじんに砕けたり折れたりしてしまう。これは年齢の少(わか)い高いに関係ないことです。

「大木は倒れてもタンポポは斃(たお)れない」何かで読んだ名言です。しなやかに風を受け流すたんぽぽ(ダンデリオン)は、一時(いっとき)倒れてもやがて起き上がって種をつけ風に乗せて飛ばします。

自分自身は踏みにじられてもちぎられても、根は残るから復活します。そうやって何度でも再生して滅びないのです。

「賽(さい)の河原(かわら)の子どもたち」のように生きること。そんな心得というか覚悟が必要と思いました。「賽(さい)の河原(かわら)」とは、幼くして死んでしまった子どもたちが成仏させてもらえずに集められるところ。そこで石を積んで父母を供養(くよう)する塔を作らされますが、あともう少しで完成、というところで鬼が来て破壊され、永久にやり直しをさせられるという俗説です。

わたしたちも、多少歳月を重ねてくると、自分が何か築き上げたように思い込みがちですが、実はそう思い込むことが「死徒」化を進行させてしまうのだと思います。

鬼がいなかったら、自分で鬼を呼び寄せてでも、「自分が築き上げたもの」を破壊し、何度でもゼロからやり直すことが大事なのでしょう。


【原文】
人の生まるるや柔弱(じゅうじゃく)、其の死するや堅強なり。
万物草木の生まるるや柔脆(じゅうぜい)、其の死するや枯槁(ここう)なり。
故に堅強なる者は死の徒にして、柔弱なるものは生の徒なり。
是を以て兵は強ければ則ち勝たず、木は強ければ則ち折る。
強大なるは下に処(お)り、柔弱なるは上に処(お)る。

☆上原輝男先生の命日 から「知性と構え」

先生の命日にブラックホール撮影のニュースが合いまったことからのやりとりです。

人間が「知性」「論理性」を進化の過程で獲得したというのも、ありのままを捉えていく際に正面からとりあげる必要のある部分です。

一般的には「理系・文系」の仕分け発想の根底にあるように、「人間らしい感情・想像力」と「知性・論理性」は相反することとされてしまいがちですよね。数学者は頭がガチガチである代名詞のように。
でも歴史的にみてもホンモノの数学者ほど非常に人間くさいというか純粋だったようです。「美的センス」なども大切な要素だという人さえ少なからずいます。

上原先生が「論理性の発達」「感情やイメージと切り離された言葉の世界があることに気づかせる」ということを盛んに強調されていたのは、単に昨今のように正確にやりとりするためのコミュニケーションの基礎として、という面だけではないと考えています。

もちろんそうした面についても「言語操作性」として探求されていましたが、本当に大事にしようとしていたのが、今の自分の枠を突破するために、という位置づけ。そしてその具体的なある一つの理想の姿を「英才児」に見た・・・そういうことだったんだろうと考えます。

そうしたことから上原先生が盛んに主張されていた「小学校は学級担任制」ということについてもやりとりされています。


10:35 虚空
ブログにアップした記事の駿煌会ツイッター記事転載です。
::::::::::::::::::::::
昨日のブラックホールのニュースとの関連というわけではないのですが、6日の諷虹・虚空のやりとりは最新の宇宙論からの自由な発想で、ブログ記事のタイトルは『科学雑誌「Newton」と古来日本人の発想』としています。
http://syunkoukai.edoblog.net/Entry/288/ 

理数が苦手、という方々ほど、専門家や詳しい人達のように科学的な常識に囚われずに、大胆で自由な発想が出来るんだ、という想いで想像を膨らませてみてください。後半には、この雑誌での特集のポイントとなっている言葉も入れています。例「宇宙空間は”ホログラム”でできた幻かもしれない」

今回のやりとりの中では特にほりさげていませんが、上原先生の命日前日にブラックホールのニュースがというのも、偶然ではない何かを感じてしまいます。かつてイメージ研究の大家である藤岡先生との共同研究でのテーマは「穴と留守番」。子どもの「穴」イメージの探求だったわけですから。

私が担当した「おうち意識」のことにしても、駿煌会でしばしば使われる「添加」ということも、「虚数世界」「時間・空間・ジンカン」などの「間」意識のことも、ブラックホール研究にはヒントになることがきっと多々あるんだという予感はあります。この世の始まりを解く鍵もブラックホールにあるとか…

もう一つ、ブログにアップしたやりとりは、先日載せきれなかった4月5日のやりとり記録です。主な内容は「天と地」「龍と鯉」・・・ここから最後には「シンデレラ」「魔法少女」と上原先生や折口先生の心意伝承の世界に踏み込んでいます。(犠牲論・貴種流離)   http://syunkoukai.edoblog.net/Entry/289/
:::::::::::::::::::::::::::



11:59 コバルト
有も無もない、ブラックホール(究極の死)(地球を角砂糖の大きさにしてしまえばブラックホールになるみたい)が宇宙を高速で移動している。
こう考えると、当たり前に思っていた生と死なんて存在していないのかもしれないですね。
きっと生と死の境界線なんてないんですね。
濃いか薄いかの違いのような。


13:32 虚空
普通の物理法則が存在しなくなる境界線というのがブラックホールに近づくとあるようですね。
また本来なら吸い込むばかりで絶対に何も脱出できない、とされていたブラックホールからも不確定性原理だか何だかでわずかずつ外に出ているとかいうことをホーキングが予言したとか・・・。
あとは超重力によって、時間などが極端に相対的になるとか・・・・
まさに「超現実の世界」が実在する場のようですね。


15:38 コバルト
桜井章一が語る「運」も目に見えない超現実の世界のものですよね。
運があるんじゃないかと実感できている時点で運というものは存在している僅かな証拠なんだと思います。
また知識=実力とはならないんですね。
ここ何十年の教育の中身の結果として流石に認めざるえないと思います。
それなりの学歴を培ってきた人材が大手企業を荒廃させてしまっていますし。
代表的なのは大塚家具の久美子社長(経済学)の盛大な大失敗だって数字、方法、戦略ばかりになってしまってお客から運まで見放されてしまいましたから。
令和の時代は正に本物の実力を身につける時代の予感がします。
というかそうじゃないと、この国そのものが滅んでしまうと思う。
滅ぶというのは日本人というDNAが消滅してしまうこと。
 https://youtu.be/m5fE-Ld56z8
 桜井章一が語っているように、堅さからは何も生まれない、柔らかさから何か生まれる可能性を孕んでいる。
これもブラックホールでも言えると思うんですよ。
少なくとも星という物体のままでは、変化は起こせない。
でも形を無くしてしまえばどんな物にもなれる可能性が無限大にあるということ。


16:41 虚空
「思考」「知識」を発想の柔らかさに出来るかどうかのカギが「添加」という「構え」だと思っています。それがないと「縛り」「囚われ」になる。


聖徳の子たちが、単なる頭でっかちの点取り訓練生と決定的に違うのがそこ。

上原先生の言葉でいえば
英才児は「うんち作文」のようなものも豊かに書ける
あるいは
(葛西先生からの英才児についての発表「潜在意識世界に生きる姿勢を崩さない子ども達である」「トランスフォーメーションが活発な子どもほど英才児」との後で)
 簡単に言うと英才児の条件というのはさ、それはもう絶対的に『素直』じゃなくちゃ。素直さのないようなのは、英才児からはずれてしまっている。根本的な条件が整っていないと思うな。
                (平成七年合宿)


18:22 虚空
最初の方の動画、やっとみました。
細かく書いている気力・体力が残っていないので(苦笑)とりあえず二つだけ
頭で考えないで感覚で・・・ということに修練してもらおうと思ってやってもらっていたのが「イメージ作文」「本音作文」そして「クラス全員での大縄跳び」です。
人生のどの段階になっても大切な時ほど頭を使わないように揺さぶりをかけるのが「古式日本流の占い」・・・だから「偶然」が入り込む余地ばかりです。
上原先生の師匠である折口先生が「らいふいんできす」(生命の指標)と呼んだものも、理屈を超えて(思考や知識や常識をこえて)という境地(世界)に誘ってくれるもの。
でもそれは盲目的に従うというのとはちょっと違うかなとも思っています。
自分の無意識世界にあるものとの「共振・共鳴」・・・それをまさに「感じて」動いていく。
ちなみに「運」の実感が「坊主めくり」・・・・もっとも時として威力がありすぎた体験なので、小学生を必要以上に落ち込ませてしまうこともあり、(特にコバルト君の2年生のクラス)その後はやる時前に「つく」ということについて慎重に前置きするようにしましたが。
ついていても調子に乗ったら神様はすぐに離れる
ついていなくても、精一杯尽くす生き様をしていると、そちらの方が神様は喜ぶ
(犠牲論的には)見込みがあるという人間ほど、神様は敢えて味方をしないで、自力で乗り越えることを期待する
というようなことを「宗教教育」と思われてしまわないような言い方で・・・・

2019.04.12 金曜日
00:11虚空
今、駿煌会ツイッター記事にも書いたのですが、10日に発表されたブラックホール画像が撮影されるまでのドキュメントを描いたNHK番組が上原先生の命日である11日にさっそくBSで放送されていたというのは、単に天文学の問題以上に何かありそうな予感があります。
体調は今一つなのですが、夕方から休憩をとりつつ、以前録画しておいた宇宙関連番組での「ダークエネルギー」と「ダークマター」に関する物を少しずつ観直しています。まだ途中ですが、両者は相反するようなものなのですが、それが見えない世界の中に、あるいは究極の真空の中にある、由来する・・・そうしたことも、やっぱり大きな秘密が隠れていそう。
ニュートンなどもそうだったようですが、現代以上に、そういった天文とか物理とかの真理の探究は神や精神世界の真実とリンクしているという発想・・・・それが何故か結び付けて考えるのは非科学的とされるようになったわけですが・・・そういった発想を、日本人がもともと抱いていた構えで再起動できれば、忘れられた大切なものがいろいろ見えてきそう・・・・
そんな予感を得られた、今年の上原先生の命日です。


08:18虚空
 2番目の動画も観ました。

守り
うちのオヤジが「得意な教科の先生にはなるな」と言っていたことなんて、そういうことだったんでしょうね。変に自負心・・・自分は分かっている・・・と思っていると、崩れるのを恐れてしまうから余計に守りに入る。
主体性と客体性
主体性というのはもちろん大事なことだけど、それは同時に相手の主体性も認め合ってのこと。これが今の世の中は「自分」「自分」「自分」・・・・。でもそんな自分なんていうのは、表層に現れた影にすぎない。それこそよく紹介する上原・藤岡先生の「無意識からいくらでも出てくる」というようなもの。だからこそ今の表面を常に捨てて、自分を大きな器にしていく心がけが大事なんだろうと。
自然
自然というのを単に「ありのまま」と捉えて何もしなくていいんだ、という人が時々いますが、あれって「自ずから然り」ということをしっかりと考えてみると、そうではないように思います。

自他ともにのことをしっかりと踏まえながら創意工夫したまっとうな生き方をしていれば、一番ふさわしい結果にたどりついていく・・・仮にそれが人間の常識からするとマイナスのようなことであっても、人知を超えた観点ではやっぱりそれが一番いい結果というような。
「なるようにしかならない」⇒「なるようになる」という感じかな?
 小学校高学年からの教科担任制導入議論が本格化だそうですが、それも「教師は教えなければならない」という大前提だからなんでしょうね。小学校の免許を持っていても、全教科が得意な人はそうそういない・・・きちんと教えられない・・・だからそれぞれの得意教科を教えるシステムにしよう・・・と。

でもやっぱい小学生の段階で一番大事なのは「丸ごと全体」を見守ってくれて寄り添ってくれる人間の存在。
稚児に付き添う「庇護者」。
上原先生が
小学校の先生のことをかつては「訓導」と呼んでいた。それが「教師」なんていう呼び方になったからおかしくなった
という趣旨の発言をされたことがあるのですが、そういったことも思い出しました。
(導く、といっても私の解釈では 共に寄り添って進む という感覚での導くですがね。無理やり引っ張っていくというのではなくて)

だからこそ、小学校の先生ほど、専門教科が詳しい、云々よりも、「人間そのもの」「世界の内的関連をどう感じ取っていくか(共鳴しあっていけるか)」という生活を日々送っていることが不可欠なんだと思います。

*ちなみに「内的関連」というキーワードは私が卒論でテーマにした幼稚園の創始者「フレーベル」が盛んに強調していた言葉です。
そうしたことを見抜き、感じ取っていく能力が「類化性能」ということ。
その土台がどう育っているのかを見極めて見守っていく段階に関わるのだから、やっぱり小学校の先生は全教科領域に渡って一人一人の子どもをみていくことが最優先。
そうした力が自然に獲得できていれば、中学校以降に教科担任にガンガン鍛えてもらっても、単なる知識バカにはならないで、ちゃんと自分の力で総合的に世の中を結び付けて面白がって生きられるようになると思います。
(無論、中学生以降の先生にだって、そうした他の教科の授業の時にはそれぞれの生徒がどうなのかという観点学級担任の発想は大事。
自分が家庭教師として特定の教科を定めないでやってきたというのは、学級担任の発想を中高生以上に持ち込んだということです)
そもそも教科担任導入の本格化のきっかけの一つは小学校での「英語」の導入らしいですが、英語教育の本格導入という前提がそもそもおかしいのですから、話になりません。


09:39コバルト
専門性の否定が重要なキーワードだと感じます。
ある程度極めた所で、あえてそれを手放す。
宮本武蔵なら剣を(桜井章一なら麻雀を)(静かなるドンみたいに暴力団なら暴力を)、塾生は剣を習いに来ているのに、全く剣を握らせてくれないから、内心「早くこんな無駄な事はいいから剣を握らせて必殺技を教えてくれ」とどうしても先走ってしまいがちです。
だけど関係なさそうだった修練が実は重要な過程だったとかよくあること。
体が出来ているから自然に技が出る、逆にいうと頭や思考が出来ているから問題がすんなりと解けていく感じでしょうか。
そもそもそういう土台作りが出来るような人間はけっこう極端な人達が多いですからね。
普通に教師をやっている人からみたら目の上のタンコブですよ。
構造が守・破・離になっていましたね。


13:53 虚空
いろいろな話題から展開していっても、やはりそこに行きつく・・・
ならば、もういろいろな角度からの考察がいらないのかと言ったらそうではないというのが大事なのに、今は変に合理化の名のもとに肝腎なことをバッサリと切り落としてしまう。
同じ真理にたどりついたとしても、実際の生活を通して「感じる」「模索する」ということがなかったら、それは「知識」「思考」レベルに陥ってしまうということなんでしょうね。
いろいろと考えてみて・・・「やっぱり~になっていく」というらせん構造のような生き方ということかな????

だから「麻雀」の話題から一旦離れて、様々なことがらに結び付けて考察し、感じ・・・その繰り返しの中で捨てたり得たりを繰り返す・・・まさにそうしたやりとりが展開されているという点で、やっぱりここでのやりとりは長すぎて読みにくくなってしまっても、できるだけそのまま残しておきたいんです。



15:08コバルト
 https://youtu.be/tF0VgknYDbw
無ってすごいこと。
答えは「不思議」。
麻雀の流れのテーマなのに、結局最後まで麻雀をやらずに終わった。


17:02 虚空
ちょっと今、片頭痛がまた起き始めているので動画のほんの出だしの部分しか観る事ができないかったのですが・・・この人が言っている「流れ」って「循環」とかだけではなくて「波動」のようなものもすべて含めての事で言っているのかな???・
(インタビューしている側の男性が一所懸命に桜井さんの話に合わせようと努力しているのは分かりますが、実際には「麻雀」にとらわれた現実思考でとまっているので結構ちぐはぐになりますね・・・もっともそうだから一般人目線になれていてのやりとりになっているんだろうけどね。同じような境地の人同士の語り合いだったら、雲の上のようなやりとりになってしまうんでしょうね)

☆上原輝男先生の命日 から「ありのままの人間」

ラインやりとりでは先の「人間をまるごと全体」としてつかまえる、ということが続いています。
そこに「感覚」「体感」「実感」をどう直結させていくのか。
それを抜きにして知性や思考だけで向かっていってしまっては、どんなに立派な学説が構築できても個々の人間の心には響かないものになってしまうのではないでしょうか。


2019.04.11 木曜日
00:00 虚空
今日、4月11日は上原輝男先生の命日です。
ついさっきまで、今季アニメでの新番組を観ていたのですが・・・・日常の現実対応の中で病んで真黒くなっていく心が神の使いによって浄化されるという内容だったのですが・・・やたらと父方や母方の祖母を思い出してしまうアニメでした。
自分も相当心が汚染されているからな・・・・・・・・
転倒しかけて足腰や肩や手首も痛いわ、激しい咳で眠れないわ、堰のしすぎで筋肉痛だわ・・・そこに今日は片頭痛も加わって咳き込むたびにえらい苦しみ・・・・それがすべての痛みや苦しみが怨念のような形で東北方面に向かっている自覚はあるので、余計に複雑な心境で観ていました。
(ちょうど鬼太郎の怨念話も観たばかりだったし・・・。あちらは最後には何とか浄化されましたがね)
犠牲論、恨み論・・・・そういったことを知識ではなくという感じで何年も追いかけていますが・・・「実感実証の学」ということの「実感」を得る部分には事欠かないことだらけ・・・・
でも「学」となるような「理性」のコントロールがますます出来ない方向に突き進んでいますね。というよりも、コントロールをすることを阻止しようとする方が本音になっていると言った方が正解かも。
上原先生の命日にこんなことを書いているのも罰当たりですが・・・


03:35 虚空
学修塾ダンデリオン ツイッターに更新されていた記事です。

:::::::::::::::::::::
平成8年4月11日。恩師上原輝男博士のご命日です。様々な教えを賜りました。「虚空にさらされて生きろ」。最もインパクトあり。M87銀河ブラックホール撮影成功の報。ウルトラマンの故郷M87星雲光の国原作者金城哲夫は上原先生の愛弟子。人知れず現世界を創り出した先生はこれからどこへ向かうだろう。
:::::::::::::::::::::


08:46 ソルティ
 おはようございます。今日は上原先生のご命日ですね。上原先生には、昔「君は一人でやっていなさい。」と言われたこともあるのですが、その一人でやっていなさい。の意味は未だにわからないのだけれど、自分の心が躍る方へ進みたいと思うのですよ。
とにかくあっという間に10年・20年はすぎさっていくので、もうこの先は自分のやりたいこと(&やりたかったこと)を中心に据えて生き、棺桶に入る時には( ア~いい人生だったな~)と言えるような生活をしたいな~と思うのです。
誠にずううずうしい事だとは思いますが、この駿煌会に時々よせていただいてお喋りさせていただけるとありがたいです。
そしてね、上ちゃんの願っていたであろう 「平和」 のことだけはいつも心のどこかにとどめておいて、毎日の生活を送っていきたいなと思っています。皆さまこれからもよろしくお願いいたします。



08:55虚空
 それは私も同様です。
自分の余力は先生の「人間探求」という方向や、先生の幅広いところをどう後世に伝えていくかということに使いたいんです。
この駿煌会でのやりとりは、お互いに専門外のことに対しても自由に発言をしあっている、というのが駿煌会の一番の特色だと思います。
今、更新準備をしているブログ記事の冒頭にも書いたのですが、「知らない」ということは「縛られない」という点で、よく知っているという人よりも「自由」なんだと思うので・・・・


09:19 コバルト
 https://youtu.be/5yzp7i1OEoM
 感覚じゃなくテクニックを覚えてしまうと、ズルくなっちゃう。
確立や法則に縛られずに感覚で打つというのは、今の駿煌会の目指している姿勢に近いかもしれないです。


09:34 虚空
先にも書いたけど・・・平成の世の中は「感覚じゃなくてテクニック」という方向に暴走してしまった感があります。
高学年で教科担任制の導入を本格的に検討しはじめたというニュースもありましたが、子どもの成長を分かっていない人の安易な発想。
むしろ中学生や高校生にだって「学級担任制」のメリットを何らかの形で導入すべきだと私などは考えているんですがね。
かつて人体をバラバラにしかみないということで批判されてきた西洋医学だって、最近では体まるごと全体でみる、というのが重視されてきているのにね。


09:34 ソルティ
 ={知らない」 「縛られない」 のお話し = 
占(算命学)の話になりますが、うちの校長先生が、「 算命学を学ぶのがいいような悪いような。。」というような発言をしていた事があったように記憶しています。 
何か事を起こすときに 今それをやるとどうなるのか?という事が経験豊かな鑑定師だとある程度予測がたつわけで、(何かの運を犠牲にする場合がある)
例えば、がっぽりお金もうけができたとしても、それによって家庭が崩壊していくとかそういったことが予測できるわけです。(←わたしゃ無理だよ)でもそんなこと知らなければ、自分がやってみようと思ったことを思いっきりできるわけでしょ。
下手にそのあたりを知っていると( 生兵法=ワタシ )ホント動きが取れなくなる。特に家族を持っているとそう言う感じ。

コバルトブルー君・・・出ました!桜井さん、今から見てくるね。好きだわ、この人。本気で生きてきた人ってどこか違うな~と思う。


09:36 虚空
そう考えると「知らぬが仏」なんていうことわざには、深い深い意味というか「知恵」がありそうですね


09:36 ソルティ
 いや~ホントそう思う
 気づけば 仕事にいく時間になっていた。桜井さんは夜にでも。では行っまいりま~す。


09:44 虚空
以前にもお話したと思いますが、古来からの日本人って陰陽師等々でそういった知識なども非常に気にしていながらも、いかにそれを「超越するのか」という方向に意識を向けていたんだと思います。
その背景にはもしかすると日本と中国の「魂観」の決定的な違いがあるのかもしれません。
「肉体は器」「魂は入れ替わる」(憑依で他の種と重なり合って新たなことに目覚める)
「新たなこと」とは言っても本当に大切なことは他から入れるのではない・・・すべて自分の内なる世界に持っている
上原流言い方・・・心意伝承
自分の父の言い方(神道)・・・誰もが天御中主神を内在している
フレーベルの言い方・・・神性を宿している
仏教(そうでない宗派もありますが)・・・仏性を宿している
ユング・・・集合的無意識の世界に「元型」をもち、究極的には「宇宙意識」ともつながっている・・・・そういった
等々


09:52 ソルティ
HO(ハワイ先住民族の知恵「ホ・オポノポノ」のこと)の考え方も そういう感じ(どういう感じ?)。的確に表現できないもどかしさ。仕事から帰ってゆっくり考えるね。ってか ちょっとその後も家庭の用事があった。いずれまた!


09:56 虚空
 「的確に表現できない」というのも大事なメリットかもしれません。具体的に分かりやすい表現ほど逆に「限定」「決めつけ」「縛り」になってしまう・・・公式病に囚われて伸び悩む子ども達なんてまさにそれ。
「あいまいさ」「抽象的」なことほど、様々な応用がきくという普遍性を帯びている。
短歌や俳句の素晴らしさも、あの文字数では細かく説明できない・・・だから逆に読み手のイマジネーションが広がる。
能の舞台などもそうでしょうね。極端に制約をつけたり、型に凝縮させている。
まさに「数学の生活化」!

☆「日々の迷いに向かい合って」②  ラインやりとり

「ゲゲゲの鬼太郎」などのことを通して人間の負の部分等々についてのやりとりが中心でした。

上原先生も折口先生も「心意伝承」がらみでは人間のそうした部分も含めて「ナマ」の意識や感情を正面から取り上げているというのが大きな特徴です。とかく学問の世界ではそういった人間の屈折した部分などは、敬遠されがちですから(きちんと取り扱っているのは犯罪心理学などくらいではないでしょうか)

人間を「まるごと全体」としてとらえなければそれは本当に人間をつかまえようとしていることにはならない・・・そんな当たり前のことが「科学」の名のもとにゆがめられてきたのが現代社会ではないでしょうか。教育でも医学でも・・・

「人間そのものの探求」に強い関心を抱かれていた上原先生。
「ボクは自分を教育学者だと言ったことはない」と言われていたこともあります。

人間全体を考える・・・その中に初等教育・・・言葉(国語)・・・を位置付けられていた・・・そうした位置関係をあいまいにしてしまうと、やはり教育についての考察が「木をみて森を見ず」ということになってしまうんだと思います。

そのためには人間の負の部分と片付けられがちな心・・・屈折したようにみえる部分にも果敢に向かい合っていく必要があります。

2019年4月9日
10:14 コバルト
勇敢さとは息(意気)も詰まる状況でさえもしっかりとした自意を持った行動をとれるか。
人間追い詰められれば、なんのあてにもならないものでも手をのばしてしまいます。
(それ)っぽければその場に限っては構わないと思ってしまうんです。
あるサイトからの引用
せっぱつまったときには、頼りにならないものでも頼りにすることのたとえ。溺?(おぼ)?れる者は藁をもつかむ。「藁にも縋る思い」
現代的にいうと切迫つまった時の闇金融って言ったところでしょうか。あと切迫つまった時の覚せい剤とか。
死中にこそ活があり!なんですよね。死中に主導権を握るのは、弱い方の自分か、強い方の自分か。
また逃げることが(死)に繋がることもあるんですよね。

10:20 虚空
判断の基準を目に見える価値にだけ置いてしまうと・・・と頭で分かっていてもそれをついつい無視してしまうのが人間の愚かなところでもありますよね。
だからこそ「偉大な馬鹿」とか「馬鹿には勝てぬ」ということも・・・。
あのもののけ姫のジコ坊は現代人の代表といえば代表ですよね。
ゲゲゲの鬼太郎でいえば「ねずみ男」が同じポジション。
彼らの言動に対して眉をひそめつつ、でも実は自分達だって五十歩百歩ではないかと宮崎駿や水木しげるの両人から問いかけられているようです。

10:23 コバルト
なるほど、面白い。

10:24 虚空
観るのが追い付けないでいた6期鬼太郎の49話「雪女」と50話「皿小僧」の話を今朝、続けて観たのですが、まさにこういうことを象徴しているような内容でした。
動画でなないですが、画面とセリフがあるのでだいたいの内容はつかめると思います。
両極端な内容なのも興味深いです。
☆第40話 感想 皿小僧
参考サイトhttp://anicobin.ldblog.jp/archives/54763720.html
☆第39話 感想 雪女
参考サイト http://anicobin.ldblog.jp/archives/54730354.html
 読むなら 39話 ⇒ 40話 の順がいいと思います

10:27 コバルト
そもそもゲゲゲの鬼太郎が始まっていたのも、令和への序章だったのかもしれないですね。

10:31虚空
この二つは今年1月になっての2連発でした。
このアニメが作られた時点では、まだ「令和」は発表されていませんが、「平成」の世の歪んでしまった側面を新しい時代になる前にきちんと問うておこうという製作側の意図は明確に感じます。
そういう意味ではまさに序章ですね。
6期鬼太郎のテーマの一つには「妖怪と人間の距離感」があるということなのですから余計に「令和」への序章・・・そう思います。

10:34 コバルト
(雪女の方)彼氏が切迫つまった時にねずみ男に相談を持ち込むのも、先ほど話した事にしっかり結びついてるし(笑)

10:38 虚空
 切羽つまった時にサタンは誰よりも理解者であるような顔をして近寄ってきて・・・もちあげるだけ持ち上げてから・・・ドンと突き落とす。
現世的はご利益があると人気のある神社などでは、本物の神様はもうどこかけ行ってしまって、からかい趣味の低級霊が居座っていて、どん底落差を楽しむという・・・まるでまどマギのQべえのようなのが居て・・・得意の絶頂から突き落とすことをして面白がっている。
そんな餌食になっている現代人を、両極端な側面から描いているのが、この二つ

11:11 コバルト
そうですね。
人の夢や希望は利用できてお金にもなりますから、ディズニーとか学校ビジネスなどは正にその典型で、たとえば声優学校を卒業できたら、みんな声優の仕事にありつけられるのか?なんですよ。
また芸能スクールとかで、元NHKアナウンサーの講師から御教授を受けたからって、みんな似た製品化してしまうだけで、人気がでるアナウンサーになれる訳でもない。
そもそも成りたいとおもったら、声優の花江夏樹(東京グールの主役)みたいにまず声優学校から、ではなく直接大元に自分の声を売りに行くぐらいじゃなきゃいけないんですね。
頼り方の構えというのが、現代では大きく間違っているのかもしれないです。

13:32 虚空
 根本的に本当に自分に力をつけて夢をかなえよう・・・ではなくて、何とかして安易に夢をかなえる手段だけを手に入れて、早く(無駄なく?)結果を出そう・・・それがやはり平成時代の「成果主義」「競争原理」が加速させた風潮。
もちろん昔からそういった構えの人間はそれなりにいましたが、かつては身の回りに何十年も努力して神業的な能力を獲得した、努力した、という人たちが沢山いましたからね。
だから安易に結果だけを求めるマニュアル的な発想が、単なる幻想だということに気が付けるチャンスが今よりはずっとあった。
本当に優れた師匠に弟子入りしたとしても、教えを乞う側の構え次第では、優れた教えも本当に魂の向上にはならない・・・むしろ堕落させてしまうことになる・・・・
今度の木曜日は上原先生の命日なのですが・・・どうしても合宿での研究授業指導案作成で悩んだ時に会員のみんなが先生の発言を期待してしまうことがよくありました。そういう時に「僕がいると君らはすぐに僕に頼ってばかりいる」といって、不機嫌になって別室に寝にいってしまいました。
結果的には上原先生の脳溢血による突然の死というのは、別室で寝るどころではない、究極の別行動になってしまったとも言えます。
これは勉強でもなんでもそうですが・・・問題の解き方をただ教えてほしい、という人ほど、実質的には伸びません。これは事実です。
 
声優でいえば、昭和からの大御所といわれる人たち・・・今も現役では野沢雅子さん・・・はみんな舞台などの出身の役者さんたち。だいたい「声優」なんていうジャンルはなかったわけですからね。ナマの観客相手の舞台演技もしっかりした人たちです。
今、声優の専門学校でも体を使った演技のレッスンもあるそうですが、中には「自分がやりたいのは声優なんですが」という若者もいるらしいですね。仮に納得の上でレッスンを受けたとしても、専門学校の授業で受けたトータル時間なんてたかがしれています。
第一、本当に役者を成長させてくれる ナマの観客 を相手にした場数を踏んでいない。
でも、そうしたことから下積みをしていって、本格的な声優になろうという覚悟の人はどの程度いらっしゃるんでしょうね


18:25虚空
テレビ作家の教育力ということに関して
録画しておいてなかなか観られないでいた鬼太郎6期をさらにいくつか観ました。
救いのないような話もあったりして・・・http://anicobin.ldblog.jp/archives/54865941.html
6期も2年目に突入なのですが、それに関しての記事に、かつて幼い頃観ていた円谷プロの姿勢と似たようなことが書いてあったので紹介します。

:::::::::::::::::::::::::::::
「ゲゲゲの鬼太郎」は日曜朝の子供向けアニメではあるが、朝から重い……と感じることもある。子供には難しいのでは?という声もある。しかし、“アクセル全開”でチャレンジしてきた。
 「水木プロの方から『朝だから見られますね。夜、見たら怖い』と言われたこともありました。それが『鬼太郎』なのかもしれません。ありがたいことですが、フジテレビさんからも『アクセル全開でかまわない』とおっしゃっていただいています。子供は理解できないことが多いと思いがちですが、大人が思っている以上に子供には文脈や行間を読む力があります。今の放送事情を過剰に考え過ぎず、面白いものをやろう!とフルスイングで作っています。シナリオ会議がすごいんですよ。エネルギーを使いますね」
:::::::::::::::::::::::::::
全文はこちら https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190405-00000040-mantan-ent&p=1

この記事の中で6期新シリーズで描こうとしている鬼太郎の揺れが、先に紹介したダンデリオンツイッターの内容とも関わると思っています。
「揺れ」「ブレ」というのが、最近諷虹君とのやりとりでも話題になっている「無からの宇宙の始まり」のきっかけが「ゆらぎ」ということとも相まって。

2019.04.10 水曜日
15:16 コバルト
心の揺らげば迷いが生まれる(新たな選択肢が増える)。迷ったら、予感(導かれる方へ)がする方へ歩みを進めて行けばいいだけ。
ジブリの「一緒に迷子になろうよ」みたいですね。
「揺らぎ」と「揺さぶり」
揺さぶるで思ったことが、赤ん坊が不安定になる時って、変化がない状態なんですね。
静寂がとても不安で怖ろしいんです。
だから抱いて揺さぶってあげたり、また車の揺さぶりに安心感を感じているんだと思います。
いないいないばあでも、そうですね。
ビックリが面白がれるんですね。
まさに子供は刺激に対する好奇心の塊みたいなものですね。
まず自分的にも、「ゆらぎ」というワードには最初はチンプンカンプンでしたが、やはり予感のする方に暗闇の中で模索していくうちに、微かに?めそうな物が湧いてくるんですね。
それに対して波長に合うもの(引き寄せ合うものシンパシー)と照らし合わせていって世界を出来上がっていく感じでしょうか。
それも「ゆらぎ」なんだと思います。


16:02 虚空
大人だってそうだよね・・・電車に乗っている時のウトウトの心地よさ!
心地の良い眠りから、次への力が湧いてくる・・・・宗教学者の山折哲雄さん風に言えば「安らかな死」であり、だからこその「甦り」・・・かな?
今の自分にはそういった安眠がないから余計に不安定・・・・まあ化学的に言えば「不安定」=「エネルギーが大」だからトランスフォーメーションなどをはじめとしての変化が起こせる可能性も大。
また鬼太郎の話ですみませんが、3月は「人間も妖怪も共に滅んでしまえ!」という強烈な怨念の塊の妖怪のエピソード。ネットを駆使して憎悪の連鎖をあおり・・・という内容。
憎悪部分などは、他人ごとではない感覚で観ていました・・・かなりきついものがありました・・・正直いって・・・。