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☆ 「現実」との真のおりあいとは? ~個々人の「世界定め」と「認め合い」~

先にアップした ことりのおやつ君参加時の前後でのラインやりとり記録です。

「夢」の世界をベースに生きていた幼少期から、4年生前後に「現実」をベースにした生き方に一度転換する・・・ということは発達心理学でも指摘されていたことですが、上原輝男先生はそれを積極的に「転換させる」方向にと主張されていました。

それの一つが中学年での「論理思考」の訓練であり、あるいは「ボケとツッコミ」の授業だったわけです。
そうしたことが、人間としての成長にどういった意義があるのか・・・そこがこの数日のやりとりの核心部分です。

「量子論」の・・・特に「量子もつれ」のこともからんできますが、我々も特に専門的にきちんと理解しているわけではなく直感でやりとりしているので、難しく考えずにお読みください。

昨今の「迷惑動画」等々のことに関しても言及しています。現実と夢の世界(歪んだ遊びの世界)との区別をつける能力が未発達な事例だと思うので。


2019.06.29 土曜日
13:21 コバルト
風が起きるということは分母と分子がひっくり返えるから起きるという事じゃなくて、分母と分子が回転するから風が起きるんだと今思いました。


13:25 虚空
この「回転」を自由自在に起こせるようになるというのが、おそらくひっくり返ったあとの段階。
5~6年生や中学生・高校生・・・

この回転を通してどんどん「超現実」だとか「俯瞰・鳥瞰」だとか「大自然・大宇宙」や「極微の世界」「見えない世界」・・・「並行世界」等々と共鳴し合っていく・・・そんな感じになるのではと思っています。

そこに量子論・・・特に今気にしている「量子もつれ」のことがどう絡んでくるか?????


15:01 コバルト
https://youtu.be/pS6P0FyW7mE
 量子のもつれこそ、意識の発生に繋がるということですかね‥
デジタル(方法など)でどこまで高性能にすれば意識は発生するのかでなくて‥
量子もつれこそ意識そのもの?



15:54 虚空
紹介してくれた動画は「モーガンフフリーマン」のシリーズの一つですね。
いろいろと興味深いトピックに満ちた番組で、大量に録画していますが、丁寧に全部みてはいないで、ただ円盤に焼いただけというのもあります。

この番組でも量子論や宇宙論はいろんな形で登場しています
例えば「ダークマターの正体は未知なる素粒子ではないか」とか、「超ひもの振動によって素粒子が誕生・・・振動が違えば違う素粒子・・・この世界とは違う素粒子で出来た世界も理論的にはともでもなく存在しうる」等々の考えに、「量子もつれ」を添加すると、従来「非科学的」「迷信」と言われていたことが、案外科学的に説明できるかも・・・ということで、この所量子論に新たな視点を得ています。

(以前は「重ね合わせ」「相補性」という側面が中心だったんですが)


その考察のとっかかりの、一つが現在公開中の「青春ブタ野郎」も含めての、あのブタ野郎シリーズ。
2019.06.30 日曜日

13:30 虚空
ゆうべの ことりのおやつ君 の、精神の病のいろいろな話を踏まえて読み返すと、さらに大切なことがみえてくるような気がしました。
17:22 コバルト
ことり君の(妄想の世界が自分にとって現実なんだ)というのが印象的でしたね。


19:07 虚空
児言態の雑誌18号の原稿に書いた「意識世界」(世界定め)の内容そのままという感じでしたね。

それと昨日も言ったけど「青ブタ」の量子論的なことからくる「真の存在」の意味とか。
諷虹君とよく話題にする「このはな綺譚」・・・もし機会があったら彼に観てもらってもいいかもしれません。ああいった感覚が普通に展開されているアニメや漫画などもあるんだと、知ってもらう事は。
単に私の持論というのではなくて、そういった見方も広がりつつあるんだと知ってもらうためにも。
19:33 ヒマワリ
読んだ。このはな綺譚読んでから、昨日のやりとり読み返した。
なんだかなぁ…ほんと、その人の目に映るのもが本当(現実)なんだから、それでいいじゃないかって。
今なら言ってあげられるのにね。

 私も昔よく、植物見ると、顔に見えてくることよくあったよ。
葉っぱとか、木目とか。

友達にあれが目で、これが鼻に見えない?って聞いたりしても、う?ん?みたいなリアクションだったし、自分的にもさほど気にしてなかったけど、そういうもんじゃんね。
私にはそう見える、友達にはそう見えない、ただそれだけなのに。
病名つけたり、オカシイとか、なんなんだろうかこの世の中はと思ってきた。



19:39 虚空
そうなんだよね。
そもそもどんな人間でも、自分のフィルターを通して知覚して、世界をつくりあげる。
(18号の記事も読み返してみらえると分かりやすいかな???)
あとはそれを互いに尊重しあうことだと思います。
みんな違っていいんだけど、それが好き勝手にバラバラで自分勝手でいいだろうじゃなくて、それらをきちんと受け止めて、認め合い、そして重ね合わせて「独りではなしえない新たで豊かな世界を一緒に作っていく」・・・
自分独自の世界でいい・・・というのは決して孤立への道ではなくて、互いに刺激し合ってどんどん世界を広げ深めていく・・・「響き合い共鳴しあっている実感 からの喜び」とでもいうようなね。
このはな綺譚のビデオを前にみてもらったけど、そうしたことを認め合えたから、花嫁御寮では、娘も年老いた母も幸せ気分で成仏できたわけだし、嘘つき少女だって、元の世界で息を吹き返した時に、本当に分かってくれる友達と出会えたわけだし・・・


 病名をつけるのが必要なことだってあるんだけどさ・・・でも近年は、本当に当事者のためではなくて、昨日も話したように「大人の責任逃れ」の口実のために、っていうのがみえみえの場合がある。これが困ったもの。



2019.07.01 月曜日
22:58 虚空
駿煌会ブログアップです。ツイッター記事転載
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☆小学生以降にも小学校教材 「ごんぎつね」 + そこからのあれこれ
Nanba先生のツイッターにあった記事をきっかけにしてのラインやりとりです。私も中学生以降の段階で「ごんぎつね」はよく使いました。
話は「みんな同じになるのが協調性なのか?」にも言及です
  http://syunkoukai.edoblog.net/Entry/355/ 
☆ 妻が願った「最後の七日間」 からのラインやりとりをブログアップです  http://syunkoukai.edoblog.net/Entry/356/ 
たまたま朝の情報番組で知ったこの歌のことから「アニメのラストシーン」で海外に受け入れられないもの等々から「日本人の悲劇性に対する独特な見方」ということへ話が発展していきます。

最後の方で簡単に触れているのですが、悲劇をさける風潮が一部で広まっていて、例えば「ごんぎつね」のラストでごんが死んで可哀そうと感想を書いた子が厳しく叱られるとか、「かちかち山」でハッピーエンドとか、いろいろあるようです。でも果たしてそれが本当にいいのかは検証が必要だと思います

悲劇性をあるいみで好む・・・美化する風潮・・・は一つ間違えると、軍国主義者等々に歪んだ利用をされてしまう発想です。
でも本当に大事なのは、古来から日本人が目に見えない世界を本体とし、そこからどんな人生観を得て、現実的には大変な日々の暮らしを生き抜いてきたのか、という点だと思います
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23:35 ヒマワリ
ブログアップお疲れさまです!
 文字を打つのってほんと大変ですな。
ただ打つのももちろん、人の言葉を聞きながら指も動かすっつーのは大変。


23:47 虚空
大変だけど、残すだけの価値があると思うし、その価値はあとになればなるほど、大事になってくるかな、っていう予感があるのでね・・。

本当に駿煌会のやりとりでみなさんの意識にひっかかってきて、話題にしていることや発言している内容って、あちらからの信号とか、宇宙等々との共鳴などがいい意味で錯綜していると大真面目に思っています。
2019.07.02 火曜日
00:08 虚空
ことりのおやつ君から次々と質問がでて、無我夢中で答えたあたりはほとんど同時記録はとれていないけど、一応録音はあるんだよね。でもそれを聞きながら起こしていくのも、大事なんだけど、今優先は番組アップの方かなとも思っています。
「青ブタ」の量子論関連の記述も、やっぱり関係が深そうなので、こちらも早くやりたいところ。


08:05 虚空
今朝、別のサイトに載せた記事です。
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連日のように、朝の情報番組では問題動画の投稿に関して世間が批判をしているということがとりあげられています。どんなに批判されても本人たちは「受け狙いの遊び感覚」なのでしょうから、ネットで閲覧者が多数とか拡散したというだけではなく「テレビでも騒がれたぞ」というのは勲章なのかもしれません。
それであとからあとから迷惑動画が投稿され、内容もエスカレート。
ビルの上から爆竹を道路に投げ落とすとか、サッカーボールで破壊活動をするとか・・・もう遊びや冗談では済まされない犯罪行為です。
昨日は「警察官をおちょくる動画」、今朝は「電車のドアにわざと挟まれてみる女子高生」・・・・警官の場合は怒り出すまで踊ってみようという呼びかけもあって、それに応じての行為がエスカレートしているようです。
このようなノリでしばらく前にもありましたが、気に入らない教師をしつこく挑発して怒らせ、それを仲間に隠し撮りさせて、ネットにアップというようなことがますます横行するでしょうね。例の子供虐待禁止の法律の流れなどもありますから、わざと大人を怒らせる(挑発する)そして、厳しくしかられると「パワハラとして訴える」。
もちろん間違ったパワハラや虐待は論外ですが、無法者の行為に対して毅然とした態度でビシッと叱るという行為が日常から完全に消える・・・迷惑行為をしたって叱る方が悪者という意識に国家がお墨付きを与えてくれたような間違った優越感・・・一体どんな世の中になってしまうのでしょうね。
こうした迷惑行為が後をたたずにエスカレートすれば、当然のことながら「規制」とか「厳罰化」というながれがきます。今度は国家が国民を縛り付ける風潮にお墨付きを与え、ハッと気が付いた時にはものすごく不自由な日々が待っているとも言えるでしょう。
法などで規制される前に、本当に自分の存在を日々模索することを大事にしてほしいものです。そしてそれには時間だってかかります。面倒だからパッと目立てるように、ということで今のようなことをしていたら、結局寂しい想いをして生きて人生を終えるのは誰でもないご自身ですから。
(別の話題に移って)
このところ諷虹君たちと量子論から発展していろいろな考察をしているのですが、その中に高い山の上で人知れず咲いている花の存在 というようなことも出てきます。それを思い起こしました。

混沌としていて、絶望的というか嫌な事ばかりの日々ですが、その見えない部分にある、真実の美しさ等々を見出したい・・・そのためのとっかかりというか、道しるべを切望している・・・そんな今の気持ちを代弁してくれているような歌だと感じました。



19:26 ヒマワリ
最近はそんな動画がアップされてたんだねー。
なんなんだろうね?こういうことする高校生。
いいね欲しさなのかな?
こういうバカなのはほんと世の中の一部の一部の一部であって、普通の人がほとんどな世の中であってほしい。


23:37 虚空
先ほどの高3の授業・・・完全に物理や化学の観点からのエネルギーの話がずっと続いて・・・そこから「感情」に切り込みました。

やっぱりどこぞの宇宙生物ではないですが、感情は「喜怒哀楽」ではなくて「一種のエネルギー」と考えた方が、上原先生の発想との相性がいいです。
「イメージ運動」なんて言っているくらいだし・・・最近の量子論のことをふまえても、ますますね・・・・
(枠を超越してしまうエネルギー)



2019.07.03 水曜日
10:20 虚空
やっと28日のやりとり記録をブログアップです。

ツイッター記事転載
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* 6月28日の諷虹 虚空のやりとりをブログアップです。
タイトルからして「量子論」という言葉が冒頭にあり、内容も例の如くほとんど一般に知られていないアニメを通してですから閲覧は敬遠されそうですね。
でも、そういう部分は読み飛ばして結構ですので是非目を通してみてください!

*量子論からみる「心の考察」①  ダンデリオンツイッター「高山植物」からアニメ「ブタ野郎シリーズ」:  http://syunkoukai.edoblog.net/Entry/357/ 
もしかすると現代社会の心の問題を考える鍵になるのではと大真面目に考えています。「雲海」「高山植物」というのは美しいと共に、とっても量子論的な気がします

*量子論からみる「心の考察」②  「異形の存在」と「運命の先導者」:  http://syunkoukai.edoblog.net/Entry/358/ 
天狗とか七福神などの異形な部分を持つ顔の存在が、先導者の立ち位置・・・といおうことが、量子論での「観測者による確定」の方向性と関わるのではないかという内容です。

*量子論からみる「心の考察」③ 「名前」の先導作用 から 老荘思想の「道」へ:  http://syunkoukai.edoblog.net/Entry/359/ 
先の「先導者」ということと「名前の持つ力」ということから、ダンデリオンツイッター記事の老荘思想からみる「道の考察」へつながっていきました。「通り名」と「道」の関連も含めてです

*量子論からみる「心の考察」④ 量子論と上原輝男流「遊び意識」⇒真床覆衾としての「おうち意識」:  http://syunkoukai.edoblog.net/Entry/360/ 
量子論での相反することが混在している「場」と、上原輝男先生が説く「遊び」が成立している「場」の問題、それを「おうち・真床覆衾」につなげています
*量子論からみる「心の考察」⑤ 先験的イメージとの関連を経て、再び「名前と存在」の考察へ:  http://syunkoukai.edoblog.net/Entry/361/ 
やりとりは自然な流れとして「先験的イメージ研究」での「四つの仮説」と関わっていきました。(特に「邂逅性」)
それを経ると前半の「名前」に関する考察がより深まりました

*量子論からみる「心の考察」⑥ 相反するものの重ね合わせ・共存:  http://syunkoukai.edoblog.net/Entry/362/ 
最近NHKプロフェッショナルで紹介された「腰痛専門のすご腕ドクター」の「問診がすべて」という基本姿勢からの発展です。
医療に限らず、教育現場でも日常生活でも、こうした「ナマのやりとり」は大切!

*実はこうしたやりとりの次の日、長く精神科を受診しているという若者(ことりのおやつ君)が駿煌会の会合に参加、赤裸々にいろいろ語ってくれました。その内容が、非常にこれらのやりとりと関係の深いものでした。
御本人の了解を得て、近くそれもブログアップの予定です。
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2019.07.04 木曜日
05:29 虚空
今朝みつけた記事

2歳児の1割超がもう「スマホ依存」 母親2000人の調査で判明 専門家「リスクは未解明、ほどほどに」 
https://news.goo.ne.jp/article/sukusuku/life/sukusuku-17630.html
身体への影響もさることながら、きっともっと深刻な影響が後々出てくるのは次の記述のあたりでしょうね。
ナマのふれあいからしかうまれない「共振・共鳴」の力が未発達になってしまいそう。

もちろんお母さんが追いつめられている状況も、単に「母親としての自覚を」などという精神的な一般論だけでは全く解決しないだろうし、それを単に批判だけしていたら、親子共倒れになってしまうという可能性も高まってしまいます。

⇒母親の育児ストレスが影響
 調査からは、母親と子どものスマホ依存傾向には相関関係があり、さらに、母親の育児ストレスが高いほど、子どもと過ごしていてもスマホをいじってしまう傾向が高くなることも明らかになりました。

 橋元教授は「母親自身がスマホ以外のストレス発散法を見つけてほしい。また、知育面では読書、脳の発達には外遊びは重要。母親が一人で抱え込まないよう、父親がサポートを」とアドバイスします。そして、「子どもと目を合わせること(アイコンタクト)が、子どもの共感性や安心感の醸成には欠かせない」と力を込めます。

 調査全体を通して、橋元教授は「幼い子どもがスマホを使うことの影響は現時点でははっきり分かっていない。親の使用も、子どもに使わせるのもほどほどに」と呼び掛けています。



2019.07.05 金曜日
20:36 コバルト
TwitterのNanba先生のどうすればゴンキツネは殺されずにすんだかという考察は面白いですね。

ちょっと路線は違いますけど、キツネや蚊みたいな害獣や害虫(害人もある)とされていますが(ましてキツネは現代でも駆除の対象になっていて、罠だったり鉄砲で撃たれたりとしている)

害があるものに対して人間が攻撃的になり殺さないですむ方法って一体どんな方法なんだろうと‥
それは感情があっての事なのか、それとも無感情であるからなのか‥?
現代人は果たしてナウシカみたいに害虫達にも心を通わせられるようになれるのだろうか?
これからの季節、蚊が大量発生しますが、きっと私は血を吸いにやってきた蚊が領域内に入ってきたら反射的に殺虫剤などで殺してしまうと思います。
益虫と害虫とかありますが、ゴンの場合は害獣が実は益獣だった事もあるわけで、これにも両義性があるんですよね。
もっと広げると蚊だって植物の媒介者であって、世界で一番人間を殺している人口の調節者でもあるわけで、自然視点で見れば益虫であるんですよね。
少なくともまったく違う角度からの恩恵は受けているはずなんです。
視点を増やすと見え方というか受け止め方が変わってきますね。
今度丁寧にゴン狐にやってみたいですね。



21:24 虚空
ちょうど今、諷虹君宅で「純粋経験」と「仏教の相反することを一つに」(先日こころの時代という番組でロボット工学の学者が語っていた内容。これもできれば文字起こしをしたいと思っているけど、いつになることやら)

そして、それに諷虹君が数学の「重み付グラフ」の話が加わって・・・という真っ最中です。

実際にNanba先生がどういうようにされたのかは企業秘密だとしても、虚空がやったことを元にしてさらにあれこれ考えるのは大いにやってほしいところです。



21:35 Nanba先生
yes!



22:17 虚空
ちなみに、今諷虹君と語り合ったばかりのやりとりです。
今季アニメの略称「うちの娘。」という(元のタイトルは30文字以上)ことをきっかけの内容です。

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虚空 あれなんてみるとね、今の社会が忘れているような・・・かつての・・・幼い魂を愛しむとか、守ってやりたいっていう本能のようなものを描いている・・・今の社会に対して、それに目覚めようよ、といっているようなね。決して幼女趣味なんていう歪んだ観点じゃなくて、かなり大真面目に描いていた。

諷虹 今は守ってやりたいじゃなくて、守られたいですからね。大人になっても。
(バブみ)
⇒年下の女性へ求める母性、あるいは年下の女性から感じる母性。(ピクシブ百科)
注)ネット上などではどんどん意味が変化してしまっている
虚空 そう考えるとね、自分達とかいわゆる普通の家庭で育っている子たちとは、全く違う意識世界が出来上がっていると思うんだよね。そういう虐待とか受けている子たちは。
そうした結果、「みんな」と称せられる社会の型からはみ出ていると、精神に異常があるというレッテルをはられてしまう。

学校でもいろんな精神の歪みに対して名称がつけられているけど、それの功罪っていうのもあると思うよ。

自分が教師をしていた頃だって、今だったらそういう病名がつくようなケースはあったのかもしれないけど、知らぬが仏というか、そんなことを全く気にしないで対等に接していたから、周囲が驚くような変化が起きることだって珍しくなかったからね。


2019.07.06 土曜日

07:14  ソルティ
Nanba先生のツイッターがどこにあるのかがわからないんですけど、どうすれば殺されずにすんだのか?という発想がまず私にはなかったな。そんな方法があるんだったら是非ともきいてみたいな~と思う。

私はまるまるがきんちょの部分があって、物語や映画は いつでもハッピーエンドが好き!なんですよ。自分がくら~~くなってしまうような映画などは積極的にはみないようにしている。だって気分が悪くなる。

虫。。。大の苦手。実はマイルームのベランダにうじ虫がやってきた。おとなりさん(スポーツをやっている人)のシューズが発生の場所だったんだけど、必死で歩いているその姿にはお気の毒とは思ったけれど、あの手この手で殺してしまった。いのちを奪うという行為が どうにも気まずかったので、「 南無阿弥陀仏 」と唱えながら送った。

蚊も ぱちんとやる。これは痒みという私にとっては実害をうけるので、まあそれはいいかな~と思う。刺されるひととさされない人がいるのはなぜか?とか右足だけさされるのはなぜか?
( 学童にて) スピリチュアル的な意味もあるみたいなのでそのあたりも考えてみるとおもいsろいかな?と思う。

またTVで、妹が蚊にさされて可愛そうだというので、なぜか?ということをずっと研究していた男の子( 中学生だったか高校生だったか?)が 足の裏をしっかり石鹸で洗うことによって刺されることが減った。というような発表をしていたように記憶している。(ちょっと怪しい記憶)はえにしても、蚊にしても 清潔にしておくことはいいんだろうな~と思う。


2019.07.07 日曜日
07:23 虚空
今朝の別サイトに載せた記事です。
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今日は新暦の七夕ですが、夜中から強まった風がそのまま吹き荒れています。とても星などみることができるよな天候ではありません。
ゆうべは中学生と天の川がみえるような星空について話しました。まだ天の川はみたことがないというのですが、実はわたしが天の川ってあれか、とちゃんとみることができたのは、教師をやめて以降です。

近年「夕日」もみたことがない・・・日の出などは早起きしないので尚更・・・という若い世代とか子ども達がますます増加中ということですが、もしかするとネットとかで観ているからもう観た気になってしまっているというのもあるかもしれませんね。絶対にナマでしか感じられないこと、ってあるんですけどね。

だから小学校の段階で電子機器を導入することにはもっと慎重になるべきです。電子黒板も含めて。

宇宙論研究などで世界最先端の科学者が登場する番組をよく観ていますが、そうした方々がインタビューを受けている大学の研究室などではほとんど例外なく、大きな黒板にビッシリとチョークで数式が書かれています。
これってとっても大事なことを示してくれていると思うんですよね。

「その時その時の旬の最前線は、アナログでなければ記録できない」とか、「全体構造をとらえつつ、部分もみていく・・・木も森も同時にみていく」ということ・・・・等々。

だから大学生までは、やっぱり紙の辞書や百科事典を使わせるべきだとも思っています。特に英語なんていうのはそうですね。電子辞書ではもっとも大切な部分が伝わりません。確かに音声再生機能付きという紙の辞書にはできない芸当もありますけど、全体を貫いているものを会得する、様々な情報の根底に流れているみえない部分をキャッチする、そういう能力は低下するばかりです。

人生を有意義に感じ取っているということに結び付ければ、天の川がバッチリとみえるような満天の星空のもとで、寝そべって一人ぼんやりと眺める、なんていう経験があるのとないのとでは随分違いますね。私がそれを体験したのはかなり年齢が過ぎた時ですが、それでもその後は変わった部分がありました。子どもの頃から是非体験してほしいものです。
22:12 ?たぬき先生 ジャガー横田さんと小児科医の対談、

高橋 ちょっとしたことで来ていただきたいんですよ。多くの場合はそんなに心配しなくていいことばかりなんですね。それをお母さんに来ていただいて、お子さんの前で安心してください、と。「風邪です。早くおうちに帰って寝ましょう」と。
そうするとお母さんが安心するでしょう。それを観ているお子さんが安心するでしょう。そうすると病気は半分治ったも同じですね。
で、以前あるお母さんがこぼしていた愚痴を思い出しました。


心配だから夜間に時間帯に子どもをつれていくと「こんなことくらいでつれてくるんじゃない。もっと緊急の子ども達がたくさんいるんだから」と叱られた。
しばらくして、今度は違うことで様子がおかしいと思ったが、またこんなことでと叱られそうなので、朝になって連れいったら「なんですぐに擦れてこなかったんだ!もう少しで手遅れになるところだったぞ!!!」と厳しく叱られた挙句に、母親失格であるかのように言われ方までしたと。同じ医師に。
たいしたことないのか、重大なのか、その判断が素人にはできないからプロの医師にみてもらうのに、その重要な判断を親にさせようとしているこの医師は、プロとはいえないなと感じました。


この前の私の主治医交替の際のこと(公立病院としての定期人事異動)や、腰痛専門医の「問診」のこと・・・そしてこの前のことりさんからの精神科のあきれた実態・・・そういうことをふまえて、この小児科医の話をきくとね・・・・・。
これも小児科医に限らず、親や教師や、あるいは職場の上司・・・あらゆることの基本だと思います。

さらにいえば今の政治なんかもね・・・・支持者かどうかとは関係なく、国民全体、世界各国、地球問題・・・すべてに責任があり、すべてに信頼されようと努力するのが本当の政治家という立場だと思うんですがね・・・目先の権力・自分の利害にばかりで。
幕末の若者たちの爪のあかを煎じて飲ませたいくらいです


22:55コバルト
医者でも政治家でもベースになければいけない心(じん?仁? ジン・ニ ニン・ひと

1.《名・造》おもいやり。いつくしみ。特に、儒教の根本理念として、自他のへだてをおかず、一切のものに対して、親しみ、いつくしみ、なさけぶかくある、思いやりの心。)が身についていなければいけないんでしょうね。
仁が「徳」生んでいくんですね。

https://konosuke-matsushita.com/column/cat71/post-109.php



23:02 虚空
違った分野の方の言葉でも、自分とか他の分野に積極的につなげて考えようとするかしないか・・・添加の意識・構え・・・が問われますね。

まさにこの記事の〆の「学び」にあった言葉 
「徳を高めるには、自分で悟るしかない。」
悟ろうとするためには何でもヒントにしようという気持ちをどれだけエネルギーとして持てるか・・・かな

2019.07.08 月曜日
00:04 コバルト
おこがましいですけどもしかしたら松下政経塾でもなんだか駿煌会みたいな事をやっていたかもしれないですね。
徳がある所に人は寄ってくるようになっているんでしょうね。
それが病院でもなんでも。
困ったときは千利休に聞けみたいですね。
まさに徳があった証ですね。
最高権力者さえも畏れる存在であった事が裏付けられます。
そして秀吉に切腹を命じられて亡くなった後でも茶道という形で400年以上現代まで残っているというのもすごいですね。
これも徳が起こしたものかもしれません。
逆をいうと「徳」がなければ滅んでしまうんです。
これらを踏まえ考えると、ごん狐にしても「徳」というものが一つの鍵になってくるんじゃないかと感じます。
まさにこうやって今自分がやっていることもリアルタイムで悟りを起こしているんだと感じています。


05:53 虚空
昨日紹介した小児科医の「代弁者」っていうスタンスは、上原先生が「子どもの言葉の交通整理が教育者の役目」と言っていたこととほとんど同じだと受け止めています。
ユング流のカウンセリングも基本姿勢もおそらくこれだと。

身近にそういうスタンスで話を聞いてくれたり、やりとりをしてくれる人がいるかいないかは大きい
(自分の場合、幼い時はそれが父方の祖母がそういった存在でいてくれたということになると思います)


07:41 ソルティ
< ワタシの場合 > どんなだったかな?を考えてみた!
子供のころ(から)の、独りぼっち感( っていうか。。。一人でいるほうがみんなと一緒にいるより好き )はなぜだったのか?は、のちのち占い(算)を学んでから理解可能となった。

小学生のころの私にとっての救いは隣のおうちだった。この”よそさまのおうち”が私にとっての大事なシェルターで、自分が、もう一人の本当に近い自分でいられるありがたい空間だった。そこでは自分がとても自由になれて、自己解放することができたと思う。そこに住んでいるおばあさんは、何を聞くでも、何を話すでもなかったように記憶しているが、そこでいただいた、カルピスのようなドリンクやしゃこのゆでたものなどが記憶に残っている。
また、そこで飼われていたねこちゃんたちがとても可愛かったのを覚えている。

他方、自宅では、拾ってきた犬を 「 早く捨ててこい!」と父に怒られたことがあって、多分そこから 犬が嫌いになったと思う。→ 恥ずかしながら いい大人になって、突然吠え付かれた犬に向かって、どなり返したことがある。その頃私は イライラしながら暮らしていた。( いわゆる 八つ当たりですね。防衛機制 消化か? )

また、そこのおうちでやっていた 内職( 果物をいれる 紙袋はり )をするのがとても楽しかったのを思いだす。今考えると そういう居場所があったことは本当にありがたいことだったなぁ~と思う。

 上ちゃんの 「 君は一人でやっていなさい。」のお言葉は 的を得ていたと思う。すごい先生だ。



09:19 虚空
よく「お前は〇〇が苦手なんだから、得意な・・・で頑張ればいい」という言い方を世間ではよくしますが・・・でも、その最も苦手なことこそが自分の認識を大きくかえたり、支えたりしてくれるパワーの源になるのかもしれない・・・って思い始めたのが、あんなに苦手だった運動系の卓球部に高校で入学したり、いじめ等々で最も嫌だった場である子ども同士の関係(学童保育や地域の子供会等々)に関わった事あたりから・・・。

で、教師になるなら「一番嫌いな教科・苦手な教科でなればいい。得意な教科で教師になってもろくなことはない」と父に言われて、実際になってから、教え子たちにそれを逆に教えられて・・・

世間的に認められるような結果が出せなくても、失敗だらけでも・・・・究極の自己満足レベルで「少し変わった」と思えることがあったら、それが大きな影響を広げていく・・・まさにバタフライエフェクト。

やっぱり得意なことができるのはある意味であたりまえのことだからわが身への感動が薄いんでしょうね。嬉しいには違いないですが。
嬉しいというのと、感動ってちょっと違う気がします。

犬嫌いで怒鳴り返した・・・なんていう過去があれば、最初から犬が大好きという人が犬を飼って可愛がる以上の大きなことがありますよね・・・その後犬と交流できるようになった時に・・・


2019.07.09 火曜日
16:07 ソルティ
ワンちゃん。。。もう目の中に入れても痛くないほど、めちゃくちゃ可愛い。小学生の時に泣く泣く捨てに行ったわんちゃんは種類は違えど、実はこんな感じ(色と大きさ)だったよな~と思える。あの世から 父が「申し訳なかった。」と言って 私にプレゼントしてくれたんだというように今は思えるよ。サンキュー??



16:10 虚空
前紹介した番組でも扱っていましたけど、多くのペットの中で犬は特別に人間との共感(共振)能力を獲得しているんだとか・・・
私は犬も猫も飼ったことがないから分かりませんが、犬を飼っている教え子は多いので、なるほどとは思います。


16:19 ソルティ
 犬を飼って間もないころだったか?、わんちゃん散歩の奥さんたちに尋ねたことがありましたっけ。「子供さんとわんちゃんとどちらが可愛いですか?」って言ったら 5人が5人とも 「わんちゃん。」と答えました。当時はびっくりしたけど、今は (全くそうですよね~)と思える。



16:29 虚空
子よりも孫が可愛いという年配者の心境ともどこか通じるかな???
独り身ゆえにそれも分からないままきてしまっていますが(苦笑)


2019.07.10 水曜日
08:10 虚空
改めて学生時代にフト抱いた疑問・・・それがずっと今でも課題としてあるわけですが・・・・あれだけ心意伝承の観点から「先験的イメージ」と始めとする「純粋なイメージ世界」や「感情教育」ということを 教育の根本 として大切に考えていた上原先生が、その一方で「中学年では絶対論理思考の訓練」「感情とはきりはなされた言葉の世界があることに気づかせる」「感情と切り離した言葉のやりとりも修練させる」という、一見相反することも強調されていたのか・・・。


そのうえで「夢」と「現実」を自由自在にと・・・ではその「夢の世界」は、幼少期の時の「夢の世界」が単にそのまま復活するだけなのか、それとも次元なり無意識世界の中の出所に変化があっての「夢の世界」なのか・・・
そんなことへの示唆がここ数週間のやりとりに隠されているようにと感じています。
(虚空 補足)
最後の方のやりとりでの「自分の好きな事」「得意なこと」とは真逆のことほど、正面から向かい合って、ほんの少しでも自分が変容できたという自覚があると、膨大な影響へと響いていくのではないか・・・というのが、「現実との真のおりあい」の要の一つなのではないかと考えています。

低学年の自然に湧き上がってくるイマジネーションの世界が大切なのは、全くその通りであるわけですが、それとは違った無意識世界が自分の中の「深層」にはいくらでもあるし、ユングの説であれば、それが人類共通の元型・・・はては宇宙意識とも連なっていく・・・

そういう深い所の先験的イマジネーションの世界を掘り起こすためには、どうしても中学年での「論理」「感情やイメージと切り離した言葉の世界」という段階を経て、「現実の世界」と「夢の世界」をグルグルと回転させ、重ね合わせていくことが大事になっていくのではないか・・・そんな仮説をたてているわけです。
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