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☆「この人生、夢か幻か・・・」 2019年7月16日のダンデリオンツイッター記事より

19日に駿煌会ラインで紹介したダンデリオンツイッター記事。それをきっかけのやりとりです。

実は20日の夜には、諷虹・虚空の二人が、この記事と、公開されたばかりの新海誠監督作品「天気の子」とを結びつけて・・・様々なアニメの話題も交えながら4時間半あまりやりとりしています。

ただ、「天気の子」のネタバレ満載なので、このやりとりのブログアップは、後日にします。


最近、何度も引用している「このはな綺譚」の一部を記事の最後に再び載せています。
是非合わせてお読みください。


またその中の最後の部分のやりとりは、京アニ放火事件等々、昨今の容易く人の生命を殺めてしまう犯罪行為に走ってしまう人たちとの関連でも重要だと思います。



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2019年 7月16日 ダンデリオンツイッターより

(荘子 逍遥遊篇第一―7)
昔者(むかし)、荘周、夢に胡蝶と為る。
栩栩(くく)然(ぜん)として胡蝶なり。
自ら喩(たのし)みて志に適うか、周なることを知らざるなり。
俄然として覚むれば、則ち??(きょきょ)然(ぜん)として周なり。
知らず、周の夢に胡蝶と為るか、胡蝶の夢に周と為るか。
周と胡蝶とは、必ず分あらん。
此(こ)れをこれ物化と謂う。


【大体の意味内容】
むかし、荘周(荘子)は自分が蝶になった夢を見た。
くっきりとした体感をもって、蝶であった。
楽しく飛び回り、のびやかな心のままにふるまうことができて、自分が荘周であるとは自覚できないでいた。
そうしているうちにふと目覚めてみれば、はっと我に返り、荘周であった。
しかしよく考えてみるとわからないではないか、荘周が、夢で蝶となったのか、それとも蝶が見ている夢で、今この荘周が存在しているのか。
(現実に生きているのが荘周であるという保証は、どこにもないからだ)。
荘周と胡蝶とは、必ずや区別はあるだろうと、我々は考えてしまう。
しかしどちらが原因でどちらが結果なのかは、誰にも判定できない。
今、荘周を「本当の自分」だと信じ込んでいることは、「物化」すなわち便宜上、荘周の方を「実物」とみなしているにすぎないのである。
(怒りに任せて人を殴っておきながら、「これは愛のムチだ」と言い張ることを、暴力の「美化」というのと同じことである。)


【お話】
有名な故事成語「胡蝶の夢」の原典です。「自分」と思っているものは、現実の存在か夢幻(ゆめまぼろし)か、確定はできない。
現実と思いこんでもいつかは必ず死んでいなくなるのだから、やはり夢といえばそうともとれるわけです。

ですが荘子の考えは、そうした「永久不変のものはないからすべては夢『のようだ』」と言いたいわけでは、どうもなさそうです。

蝶と自分とをはっきり区別しようとするのは、片方を「物化」しているにすぎないと断ずるのです。本当の本気で、自分自身を「夢に過ぎない」と考えてみている。存在世界の相対性、我々が生きていると信じ込んでいる「この世」とは、ほかにもいくつもある世界〔宇宙〕の内のひとつに過ぎない。
別次元の宇宙があるのではないかという発見を吐露しているようです。

現代では「相対性理論」とか「人間原理」とかの着想で想定されている宇宙観、またSFで描かれる多次元的宇宙観を、二千年以上前の荘子が既に着想していることにも驚きますが、そんな風に驚くこと自体が現代人の思い上がりで、昔のほうがレベルが低いはずと考える非礼に過ぎないわけです。

むしろ現代人のほうが、「これまでの常識がぶっ壊される」ことについて、臆病です。

これまで自分が正しいと信じ込んでいた常識が破壊されたり否定されたりして、それを受け入れてしまうと、「自分がなくなってしまうようで怖い」という決まり文句で及び腰になり、新しい発想や逆転の発想を拒否してしまいがちです。

荘子はむしろ、「胡蝶の夢」で、「自分がなくなってしまう可能性」を、嬉々(きき)として受け入れたわけです。

「自分自身が『存在する』と思いこんだり、『生きている』と信じ込んでいたことが、実は錯覚なのかもしれない、そりゃあ面白い!」と。

いまの自分は蝶によって見られている夢なのかもしれない、
その意味で、蝶によってほんの一時(いっとき)、生かされているだけなのかもしれない。
ならばそのほんの一時(いっとき)を、精一杯夢見られていればいいではないか。
蝶が夢から覚めたとき、「ああ、いい夢を見た」とご機嫌になってもらえるような、素敵な夢であればいいではないか。

きっとそう考えたのだろうな、と勝手に思いました。
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22:28 ヒマワリ
私も「天気の子」観てきました!
つくばで観てきたのですが、向かうときは雨が降っていて、帰りは青空が見えるほど晴れていました!

ダンデリオンのお話、ステキ。
こんな感じの話を今月の上旬に我が家でやった地元バーベキューのとき、姉ちゃんとかと喋ってた内容に近いなーと思いました。

なんでそんな話になったか詳しく覚えてないんだけど、
私が「『自分』ってなんなの?って考えだすと止まんなくなって怖くない?」って言ったら、
姉ちゃんが「分かる!ってゆうか死ぬって怖くない?死ぬの考えると怖いから考えない」みたいなこと言ったんだ。

うちのばあちゃんが死ぬときって皆んなで看取ったよねとか、あっちばあちゃんが死んだときはパパが棺桶に六文銭を入れたのを姉ちゃんよく覚えてるって言ってたりして。
三途の川を渡るのに必要なんだってゆうとこから。

そんな話してるときに、どっちが現実で、どっちが夢かなんて分からないよって言ったりしたんだ。
死ぬってきっと眠りにつくみたいじゃないかなーって。
死んで、あっちの世界に行って、目覚めたら、あっちが現実かもしれないよって。
こっちで生きてきた出来事を、あぁ私は長い夢を見ていたんだなって思うかもしれないね!って、ワクワクしながら話した。
それ聞いて姉ちゃんも「おぉ?」ってリアクションしてた!

2019.07.20 土曜日
06:17 虚空
そういう感覚ってかなり前からありましたね・・・・。
最初に強烈に感じたのは、やはり予備校生時代に、大好きだった祖母が目の前で臨終したとき。(祖母に意識はなかったですが)
祖母が「人間からモノ」になっていく。
体調がどうにも悪いというので救急車で病院に連れて行って数時間後のできごと。私が知らせを聞いて東京から到着して1時間後くらい。
真っ先に感じたのは「祖母は自分が死んだのを分かっているのかな?」って。
魂があったとしても宙に浮かんで天井当たりから不思議そうに見下ろしているのかな・・・とか。
だから叔母たちが号泣しているとき、自分は妙に冷静になって(感情が切り離された状態 スピ用語でいう離魂状態?)いて、天井を見上げていました。姿はみえないけど、目があっているかな・・・なんて思いながら。

もし魂がなかったとしたら、眠っている間にそうやって他界したら、もう意識はそれっきり・・・永遠に起きることもないんだな、どころか起きるという感覚すらこの世からなくなるんだなと。
魂があるのかないのか・・・そのうち分かるんだと思いますが・・・でもなかったら気が付けないか(苦笑)

そんなことからいっても、京アニのような身勝手な人間によって、かけがえのない生が奪われるなんていうのはね・・・・

事件報道のあった日の翌未明・・・いつも録画している温かい雰囲気のアニメをみながら「こういうアニメをみることができるというのは当たり前のことではない世の中になってしまっているんだな」と思ったら、妙に悲しくなりました。

で、明るくなってからの天気の子・・・
朝の情報番組で新海監督ナマ出演のを夜になってみましたが、冒頭、京アニのことを悲痛に語っていて・・・

天気の子の具体的な感想だとネタバレになってしまうでしょうから、もしよかったら個人ラインとかメールで聞かせてくださいね。
(他に観た方々も同様にお願い致します。少しすれば駿煌会の方でみんなでやりとりできると思いますが、今はまだね・・・)

(20日、夜 諷虹・虚空 このツイッター記事と「天気の子」とを関連頭けての様々なやりとりが4時間半あまり。ネタバレ満載なので今回は記載しません)
7月21日
07:00 ソルティ
 おはようございます。
「蝶」のお話。。。見るならこのような夢をみてみたいな。と思う。楽しく飛び回り、「 のびやかな心のままにふるまうことができる。」 ってとても豊かなことだなと想像する。折角この世に生をうけているのだから、あの世にお出かけする前に、この世でこの心境になれる経験をいっぱいしたいな~と思う。 このところ とんと夢をみなくなってしまった。見た夢を覚えられない位、記憶力が低下してるのかな? 嫌な事だけさっさと忘れ去って いい思い出だけ残ってくれるといいな~と思う。
現実は しがらみだらけで結構重いので何か良い手を考えてみよう!!

13:49 コバルト
序破急スタイルって以前から出ていましたけど、まさか核心のあたりの事に繋がるとは思いませんでしたね。

泡となって消えて行くもの。
稀に消えずに広がっていくものがある点にしても量子論的だし序破急になるんですもんね。
すぐに核心(正解)を立てる必要はないと思っています。
沢山のシチュエーションを持つことが大切なんです。
それが行き詰まってしまえば自分の中から勝手に消えていくだけなんですから。

15:13 虚空
 逆にいえば「これだ」と分かったつもりになって、満足してしまう方がコワイかもね。
思考停止・・・未知の領域は永遠に分からない・・・だから諦めるんじゃなくて、どこまで迫れるかという気持ちかな・・・

上原先生が既に分かったことにはこだわらず、すぐにそれは「もう終わった」として自分の過去から「消去」し、「さあ、次!」という姿勢をみせていたのもそういうことかもね。
どうしても「分かった」ということに安住したら、事実上生きていないのと同じになってしまうから。
だから古代日本人の「禊」の知恵はすごいことだと思います。

かなり前(社会人クラスの頃)にそうした話をしましたが、古来からの日本人の発想からすれば「著作権」という概念も「商標登録」という概念も多分なかった。そうしたアイデアもすべて、あちらの世界から頂いたものという発想があったから、個人が独占すべきものではないと。個人の業績というのはそもそも存在しない。

名を残す、とか 名誉 云々は中国などから入ってきた外来思想。そこに西洋的な「個々人の権利」という考えがはいってきてなおさら強化。

だって、和歌の本歌どりなどもそうだし、芝居もそうだけど、現代風な言い方をすればある意味では日本の文化は「パクリの文化」。ただ、それを「自分だったらこうする」とアレンジする。それを互いにやりあっていた。

過去の形のままで、それにしがみついていつまでも地位ア名誉は収入を頼るのは恥ずべきことと考えていたようです。
むしろ、誰もパクッてくれなかったら、土台にする価値もないもの、という証と受け止めていたんじゃないかな。

それも泡の思想かもね。
*国産みに最初に失敗した時に生まれた子の一人は「淡島」・・・アワなんですね
参考 1)
現象にとらわれて、現象を主体に考えると、そこから生み出されるものは「泡のようにすぐ消え去ってしまうもの」ということを示唆している・・・というのが虚空の父の解説です。


参考 2)
ダンデリオンツイッターの今回の内容、これをアニメ(コミック)で端的に示したようなものの一つが、最近も何度も引用している「このはな綺譚」

紹介している内容での最後の柚と少女とのやりとり・・・あのような事件(京アニ放火)の犯人もそうですが、昨今のなるふり構わないような凶行に及んでしまう人たちは、そういった出会いをする機会を自ら断ってしまって生きてきてしまったのかもしれません。

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このはな綺譚 第一巻 アニメ4話後半
『花嫁御寮』
*柚を人違いしているおばあさん 人形を本当の娘だと思って話しかけている。
桐 柚、あんたは人間に育てられたんだったわね。じゃあこんな話知ってる?
若くして亡くなった娘の代わりに人形に花嫁衣裳を着せる風習があるんですって。
娘があの世でお嫁入するために…。
柚、あんたはどう思う?ここに居ない人たちと過ごすあのご婦人を可哀そうだと思う?
柚 それをお客様が望まれたのなら、お客様の見る世界が真実です。
だってお客様は神様ですから。
*人形が人間化して現れている娘、桐に向かって
娘 お母さんを化かすのはやめてちょうだい。・・・いつまでお母さんをこんなところに閉じ込めておく気!?
早くここから出して!!
桐 それはできかねます。お母さまは自ら望んで此花亭ののれんをくぐって来られました。
私達仲居にできることはお客様をおもてなしすることだけ。追い返すことはできません。
あなただってなんの因果かもう一度産まれて来れたんですから、ここでの時間を楽しまれればいいじゃございませんか。
娘 できるわけないじゃない。
どうせこんなの夢なんだから。
覚めたら余計に悲しませるだけじゃない。
桐 でもねえ、お嬢さん。
あんた方人間様の一生も、ここ(此花亭)でみる束の間の夢も、あたりら狐にゃたいして変わりませんよ?
「ああ、いい夢だった」それじゃいけませんか?
少なくともお母さまはそれ(夢)でも構わないんですよ。
(娘、泣き出しながら)
娘 わたし、ここであなたたちに恥ずかしいところばかりみられているわ。
桐 人が成長するってのはそういうことでございましょう?
たくさん恥をかいて何度も後悔して、どうか素敵なひと(女性)になってくださいね。
(娘 白無垢姿に)
お婆さん 今日はいい日ね。よく晴れた暖かな春の空。まるであなたが産まれた日のような。
娘 お母さん
お婆さん 子どもはすぐに死んでしまうから、七歳までは神様の子だとされていたの。
娘 あなたはわたしのことを神様の子だと言うけれど、わたしはずうっとあなたの娘でした。
本当に夢みたいに幸せな一生でした。
ありがとう、お母さん。
(消えていく)
お婆さん みんな、行ってしまったわ。また、ひとりになってしまったわね。
仲居さん、本当にありがとう。あなたたちのお陰で、幸せな時間を過ごすことができたわ。
本当に夢のような・・・
桐 夢ではございません。これからはずうっと娘さんとご一緒にいられますわ。共に過ごすことの叶わなかった数十年より長く…。
お婆さん ああーっ、本当に今日はなんていい日なんでしょう…。
(柚が部屋にくる)
柚 お客様、ご昼食をお持ちしました。
(室内は桐だけになっていた)
桐 お客様ならもう旅立たれたわよ。娘さんのところへ…。
柚 (寂しげに)そうですか…きっとお急ぎだったのですね。お見送りできなかったのは少し残念です。
桐 そういえばお礼を言われたわよ。
あんたたちのお陰で夢のように日々だった、って。
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このはな綺譚 第二巻  アニメ 八話前半
『潮騒』
砂浜に漂着していた少女に出合う柚。少女は柚に「自分の船が遭難した」とか「自分は人魚」とかいう。柚は大真面目に信じて何とか力になってあげようとする。
少女 ・・・ちなみに人魚っていうのも嘘。
柚 嘘なのですか!?
少女 仲間を探しているのも嘘。あたし友達いないから。だってみんな嘘つきのあたしが嫌いだもん。親も学校の子たちも。
みんなの陰口 「いつもそんな子どもみたいな嘘ばっかり」「人の気を惹きたいだけでしょ?」
少女 あんまり嘘ばっかりつくから最近はもうなにを言っても無視される。
誰も話を聞いてくれないから、嘘をつかなくなるとさ、現実って残酷なくらい変わり映えしないんだよね。
柚 そうですか。私はお宿で仲居の仕事をしておりますが、色んなお客様がいらしゃって毎日わくわくします。
少女 それは柚ちゃんがやりたい仕事をしているからだよ。
あたしは趣味とか将来の夢とかないから、毎日ただ学校に行っていつか大人になったら毎日仕事に行って、これからずっと毎日毎日その繰り返しで。
なんだか未来(さき)が見えちゃったんだよね。
騙してごめんね、狐ちゃん。あたしそろそろ行くわ。

柚 騙されてなどおりませんよ?だってお姉さんはおまんじゅうを返してくれました!
騙すというのはそれでなにかを盗ったりひとを傷つけたりすることです。
お姉さんの作る「お話」は楽しいです。だって私は今日一日で、遭難者と迷子の人魚とあなたに会えました。とても楽しかったです。
少女 楽しい?
(過去回想 聞いて聞いて!いまそこで宇宙人見たの!!ほんとうだって、ほら!今UFOがいた!)

少女 子どものころは嘘でも構わないからわくわくした。
答えの分かり切った代わり映えのしない「現実」
妄想も空想もぜんぶ含めて「現実」なのにね。
アンタみたいな子があたしの傍にもいれば良かったのに。そしたらあたしはあたしを否定しなくて済んだ。

柚 いらっしゃいますよ。きっとまで出会っていないだけです。
わたしが今の仲間たちと出会うまで「仲間」を知らなかったように。
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