忍者ブログ

☆「本当の出会い と 別れ」③ 「セーラーサターン」「チームラボ&トトロ」 等々

再びセーラーサターンの話題です。セーラームーンの原作等々を知らなくても、農耕民族としてのDNAを受け継いでいる我々であれば農耕神の本質を直観することはきっとできます。「わかりっこない話題」だとスイッチを切らないでお読みください。

2019.03.24 日曜日
23:08ヒマワリ
このラインを読む前のことです、私と電話していた相手との会話の中で、私「三種の神器」とゆう言葉を言ったんです。
このライン読む前のことで、ポッと口をでた例えの言葉が今先生のラインにあって、
このあいだの天皇島もそうですけど、ありゃま?って感じでした。
今からブログ読みます。
*補足 この書き込みのこと
☆ダンデリオン様からのダイレクトメールから「大嘗祭」の話になりました。それとセーラームーンのあるエピソードとの接点です。外部太陽系戦士の持つ3つのアイテムが「三種の神器」と同じで、それが揃い共鳴した時に「滅びの神が生まれ大転換が起きる」という内容です。  http://syunkoukai.edoblog.net/Entry/265/ 

「別れ」や「身を引く」とゆうことが私自身にも人生の大きなこととして直面しているところです。
心がざわついています。
ダンデリオンの出会いと別れのお話は、この日のための前触れだったんだなぁとも思っているところです。


2019.03.25 月曜日
08:49虚空
 普通の会話の中に登場する頻度が高い言葉だったら、こういうことがあってもただの偶然(というか偶然とすら思わないでしょうね)なんでしょうけど、「三種の神器」なんていう言葉は先ず飛び出さないからね・・・。
「平成の時代が終わる」ということ。いよいよカウントダウンというこの時期に、この前から50円玉君へのことをきっかけにラインでも「セーラーサターン」の話になったわけですが・・・
「死への案内人」「破滅の神」「死の淵よりの使者」などと呼ばれて、一般的な「死神」のイメージが強調されていたセーラーサターンが、ムーンの力で復活して以降は、「「破滅と誕生の戦士」で「誕生」というのがより強調されるようになった・・・もともとは三種のj神器が共鳴し合って出現した際には即世界を滅亡させるという役割だったのが、ずっと他の戦士たちと行動を共にできるようになった・・・世の中を破滅というよりは、その後の希望的発展に寄与する存在・・・

「死神」が本来は「農耕神」であり刈り取ることが新たな作付けや次の実りを約束するというお役目の神であったのと同様のことが起きた、と解釈できます。
新たな力を得たというのではなく、より根源に目覚める事ができた、というのが重要なポイントなんじゃないかと思っています。
ダンデリオンさんの「出会い」「別れ」という背景にある「人間同士の深いつながり」というのが、こうした「より本来の状態」に遡っていくためのカギになるのかもね。

09:07 コバルト
チームラボ https://www.team-lab.com/news/athletics

09:18 虚空
知恵泉のソニー創業者回のゲストがこのチームラボの代表の方だったわけですが、興味深い内容が解説されているサイトですね。
改めて感じたのは江戸庶民の基本的は発想法や古来日本人の教育観との共通性です。
当時の日本人はこうした「脳科学」などの知識はなかったハズなのに「体感」「直観」をたよりにして、ちゃんとまっとうで根源的なことに迫ることができていた。まさに折口先生が重視した「実感実証」ということ。
理屈でも理論でもない・・・そうなんだからそうだろ・・・というような。
これが下手に知恵を身に着けた人間は自分の狭い経験や知識からの「当たり前」を絶対基準にしてしまい、それに合わないものを無視、あるいは排除しようとします。
上原先生が「生態研究」とした姿勢は、「理論にあてはめて子どもをみる」ではなくて、「常に子ども達をみながら柔軟にこちらの当たり前をかえていく」・・・だからこそ子どもは「稚児」・・・大人や社会にとってのライフインデキス(生命の指標)という位置づけだったのでしょうしね。
それが極端な形になると「皇太子への教育」ということになるのかな・・・・それが以前ここでも話題になった「教育は感染作用」という折口先生の発想になりそう。

この施設のようなものは全国的にもほとんどないのでしょうが・・・でもかつての子ども達の日常生活にはこれに匹敵する世界があちこちにあったんでしょうね。しかもバーチャルリアリティーではなくて、それこそ「五感+第六感」を総合的に刺激するようなリアル世界。
そんな日常生活をアニメにすると「となりのトトロ」になるんでしょうね。
それこそ自然だけではなくて建物の構造も含めて。トトロには出てこなかったけど「ボットン便所」も宮崎監督はとっても重視していた発言もあるし。
そういうことから「共鳴し合っての生活」・・・「時間・空間・人間(ジンカン)」という間の共鳴・・・それがどんどん広がって「超ミクロな世界」「超広大な宇宙」「見えないあちら側の世界」「互いに認識はできない並行世界(パラレルワールド)などと響き合える・・・。
そんな感覚が、あの50周年の公開授業の最後に子ども達に語りながら浮かんできました。
となりのトトロ・・・近いうちに改めて観返してみようかな・・・

09:29コバルト
学びの構造の捉え方(次元)がすごいですね。
まるでオリオン座を正面だったり真横から見たりして
構造を捉えていくみたいな。
ちょっと衝撃的でした。
こういう事をしてみたくなりますね。
しかしやってみたいだけでプロジェクター500台も買える熱量はさすがとしかいいようがないです(笑)

09:35虚空
逆に言えばそれだけの膨大なお金をかけたシステムに匹敵する以上の生活空間が身の回りにゴロゴロしていたのが日本人の生活だったというのがもっとすごいと思います。
それを江戸時代の絵画もそうですが、西洋文化との出会いによって、すべて「遅れたもの」として引け目を抱き、排除していってしまった。その結果が今の日本。
こうした最先端の施設で刺激を受けた子ども(大人もそうですが)が、再び身近な生活の中で真の豊かさをみつけ、生き生きとしていけるか・・・そんなことのお手伝いもしたいと思ってはいるんですがね・・・・・
以前、コバルトブルー君の長男が小学校に入学した頃に「若いお父さん同士のネットワークをつくって地元に根差した遊び生活を復活させるような定期的な場を作ったら」なんて提案したことがありますが、こういった地域でトトロのような子ども時代を過ごせた若い人達が、今動かなかったらという危機感はあります。

みなさんの世代でも相当ゲーム機を使って室内で遊ぶというのは入り込んでいましたが、それでもまだ体全体を使っての体験は豊富にしていたと思います。
でも最近は農村部を車で走っていても、野外で遊んでいる子どもの姿はまず見ませんよね。ここ何年もの間、正月に凧揚げをしている姿なんていうのも観ていません。
(ちなみに自分は東京の郊外でしたが、正月は近くの広場で大勢の子ども達が凧揚げをしていました)
豊かな自然に囲まれていても、実際の生活空間が室内だけでは、大都会で生活している子ども達と変わりませんから
PR