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☆クイーンの歌 からのあれこれ③ 「おうち意識」⇒「愛」 2018,12,16~ラインやりとり

最近、幼い子ども達が、最も頼りになるべき親による虐待・・・一番安心できる場所であるハズの おうち が 最も危険な場所 となってしまっていることが少なくない・・・。


仮に事件性のレベルに達していなくても、いろいろな意味で「おうち」が本来の機能を失っていることは多々あります。


むろん、各家庭、各親御さんたちによって他人には推し量れないような事情がある場合があるというのも分かりますが・・・・・・

やりとりは後半、「おうち」からどんどん広がっていきます。




2018.12.16 日曜日
07:56虚空
この歌のことや「中2病」のことや・・・ゆうべも話が多岐に渡ったのですが・・・・
先ほど、新たに紹介された和訳つきの動画をみましたが、新たに意識にひっかかってきたのがこの部分
『明日の今頃になって 僕が戻らなくても
今のままで生きていって、まるで何事も無かったかのように』
例えば東日本大震災が起きてしばらくの間、各放送局が特別番組&公共広告機構のCMばかりであった時に、真っ先に子供向け番組を通常放送に戻したテレビ東京のことが話題になっていましたが、あの感覚と通じる部分。
おうち意識を児言態雑誌15号にまとめた際に「意識の残像 イメージの連続化」ということが非常に大きな意味を持っているということを書いたのですが、それが思い出されました。


08:20 虚空 原稿の抜粋です

『おふくろの世界 「おうち」「におい」作文に見る時間と空間』内 4、深層意識空間 意識の残像(イメージの連続化)

家から離れている間も家は変わらぬ姿である、という意識をベースに持って外出していた子どもは、帰宅した時に自分のイメージとして残っている「出かけた時の家の様子」と「帰った時の様子」との照らし合わせを意識的にせよ無意識的にせよ行う。

 これが一致することで、外出前と外出後のイメージの世界はつながり、分の中では連続したものになる。一致しない場合は不安な気持ちがわきあがってしまう。

* 夏に秋田に行く。何日もとまって帰ってくる。「何にも変わってないかな?」と毎年思う。うちについた。いつもテレビをみるへやにいく。へんな感じが少しする。(小3年女子)
* おうちに帰ると別なにおいがしてくさいことがある。だから、だれかが入ったのかもしれないと思った。あとできいたら、るすのとき、おばあちゃんがうちの中にはいってた。(小3年女子)
* わたしは、おでかけから帰って、まず自分のへやにいって、ぬいぐるみとかを一つずつ見ていって「あー、やっぱりおうちだな1.」となぜか思った。それから、かべのポスターに「ただいまー」と言う。(小3年女子)
* 私が帰ると、自分のへやが朝ちらかした服があってまくらがベッドから落ちてて、つくえの上に時計があってぬいぐるみがいっぱいおいてある。それから台所へいくとコップやおさらがおいてあって、お父さんが朝読む新聞が台の上においてある。おぜんの上に朝食の残りが時々ある。ベランダにはせんたく物がほしてある。(小4年女子)
⇒ この「ベランダにはせんたく物がほしてある。」という記述は「出かけた時」とは違っていても、子どもにとっては「いつもと変わらぬ母の仕事」の残像なのであろう。
* 帰ってきてドアを開けたしゅんかん。なつかしいなーと思う。そして、自分のへやに行くとやっぱり自分のへやだなーと思う。(小3年女子)
⇒ イメージの残像としての家に再び巡り合う事ができたという実感が「なつかしなー」という言葉になったのだと考えられる。



09:15コバルト
たしかなんかの和歌に「君が今何しているか分かる気がするよ、常に月や太陽を見ていなくても今頃あの位置にあるということが分かるように。」みたいな内容のものを思い出しました。
また突然震災で大切な人が津波で流されて行方不明になってしまったら、絶対生きているんだ、生きていてくれ!っと生存を強く願うと思います、そしてずっと会えなくて会えなくて、もうきっと会えないかも知れないと思った瞬間に、「願いからいのり」になるんだろうな。
今ごろ君は幸せそうな顔をして、きっとこうしているんじゃないか、ああしているんじゃないか、というふうに。
いのる‥いのりが自分自身も相手も幸せを導いてくれると古来の日本人は知っていたんですね。
いつまでも会いたい会いたいと追い求めて探し続けていたら、きっと自分自身も相手も不幸になってしまうんですから。
ああしなきゃいけない、こうでなきゃいけないという精神の果てには崩壊しかないんですね。
自分の中に「愛」があるか、ないかが大きいんじゃないかな。
それは見守る(いのる)ということが出来るのは、「愛」がなきゃできないからです。
自分のなかに愛がなければ、やはり実体があるものを追い求めてしまうからです。それが本物っぽければいい(まさに顔無し)
愛があれば実体なんていらないんですね。
気持ちが入っているものであれば泥団子でも嬉しいはずです。
だから結局は「愛」に行き着くんです。


「いのり」に感情が入ってしまえば、それは「願い」になってしまうんでしょう。


11:39 虚空 非常に興味深い見解ですね!


11:50 諷虹
 https://youtu.be/fRHz2z9NeJE
 「祈り」と「願い」でふと思ったシーンです
そして「他人のため」「自分のため」「自業自得」なんて言葉はステラのまほうの元部長を思わせますね

 https://www49.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/40161.html
↑ステラのまほうの解説がwikiなどより少し踏み込んでいるサイト見つけました


12:02 虚空
これらのサイトもやりとり記録の中に入れておきますね。
 まどマギのこの場面は数年ぶりに観たのかな・・・・親戚のことや児言態の会議のことなどがいろいろとあった今の観点で観ると、やはりまた違った見え方がしてきますね。
元部長と杏子やさやかとの共通点や相違点なんかも考えてみるといいのかもしれない・・・


19:30 ヒマワリ
この世界から人が一人死んでも世界はなんら変わらないってことだよね?。
ニュースとか見ててさ、どこどこで人が殺されましたー言うても、へー怖いねーで終わり。
自分が死んだとしても、周りの数名が悲しんでくれるだけで世界は何も変わらずに、生きてくしかないよねー。


19:31ヒマワリ
(あの原稿の中に)姉ちゃんの作文入ってる?笑


19:39 ヒマワリ
死んだじいちゃんや死んだペットを想って、今頃天国で幸せに…なんてのも祈りかな。
供養ってのが思い出すことだったり。
一瞬が永遠になるとかさ。
なんか一昨日話してた水の流れから考える時の流れとかさ、自分の気持ちとかさ、全部自分を慰めて正当化したいだけなんじゃないかって。どーしても卑屈に考えてしまう。
愛ってなんですかー



20:14 虚空
この歌の若者は
Carry on, carry on, as if nothing really matters
今のままで生きていって、まるで何事も無かったかのように
って言っていて・・・早い話が命令文。
「自分がいなくなっても何も変わらないのさ」
ではなくて
「いつもいた時と変わらないようにこれからも生きていってくれ」
と呼びかけているようです。
だからもしかすると、肉体の自分は消えても、生きているのと何ら変わらないようにママにいてほしい・・・それで自分は消えていても、いなくなったのではなくてママのところで生き続けていることになれるから・・・そんな気持ちのように解釈しました。
様々な考え方・・・特に視点をかえると同じものも違ってみえてくるという話の中で、でもそれは自分を正当化していることになってしまうのでは、という想いを払拭できない、というのは実は私も同様です。

だから安易に「プラス思考」だとか「前向きに考えなくちゃ」という風潮には乗れない・・・自分の本音が納得できないから。

今も[もがいているのが正直なところ・・・だって、マイナス思考どころか、例の親戚たちに対しての荒れている自分の精神状態はかなり危険なところにきている実感がありますから。
だからこそ自分は学問ということではなしに、実感を追い続けるために上原先生の「無意識」のことや「犠牲論」「恨み論」などを追いかけ続けていると思います。
アニメ感想もそういう観点からのに特に力が入ってしまう。
自分の中では未解決だらけ・・・来世に生まれ変わる時の課題持ち越しになってしまいそうです(苦笑)

「自分を慰めて」ということも書いてありましたが、これそのものは大事な心の働きだと思います。完全に壊れてしまったらそれこそ大変だし。
でもそれが自分を正当化しているだけではないかという危惧を抱くこともきちんとできているというのが、逆に人間としていいんじゃないかと思いますよ。

以前にもはなしたことがありますが、だって、例の親戚たちなんてみると分かるけど、どんなに自分達が悪くても、他人からそれを指摘されても、改善どころか身勝手な理屈で自分を正当化し、相手を完全に悪者にして・・・そうやっているうちに、幼い子が空想と現実の区別がつかなくなるように、本当に最初からそれが真実だったかのように本人たちの頭の中では成立してしまっている。

だから悩みやストレスがたまるということもない・・・全部それは歯向かってこないような相手に八つ当たりして発散しているから。

それを「生き方が上手」と言う人もいるかもしれませんが、自分は「馬鹿正直で損ばっかりしている」と幼い頃から言われ続けているけど、あんな醜い生き様にはなりたくないと幼い頃から素直に思ってきました。



20:54 コバルト
愛は理屈の中には存在できないのかも、愛って言ってしまえば損な事ばかりしかないから。
要は端からみたら馬鹿なんです。
愛と勇気だけが友達なアンパンマンみたいに他人の為に頭を差し出せる?
好きな人が変わり果てた姿になっても見捨てず最後までオムツ交換やら何もかも献身的に世話はできるのか?
理屈、合理的になってしまえば愛はそこに共存出来ないんです。
愛は破滅的でもあるんです。
故の犠牲論なんですね。
自分より他人を優先にできるのか?
本物の愛に見返りはないんです、(無償の愛)
でも手放したくないもの、それを手放すぐらいなら死を選ぶ方がマシだと思えるほどのもの
きっと現代社会では普通この発想は出ないと思います。


 https://youtu.be/-d8u0fm0GPg


23:11 虚空
動画、観ましたが仕事を始める話のあとああなってしまって・・・正直よくわかりませんでした。
自分は誰かとお付き合いしたこともないし、圧倒的に独り暮らしが長かったから「愛」という感情にはピンとこないものがありますね。

教師をやっていたから「教育愛はわかるだろう」と言われても「わかります」なんてとても言える境地でないままだったと思うしね。
理屈っぽくなるけど、小学6年生を担任していた時に「恋と愛の違い」をクラスで問いかけてみたことがあります。

(これは家庭教師の時にもふれたことがあるかもしれませんが・・・「愛」は「合い」、「恋」は「乞い」(乞う))
あと、クラスのみんなが驚いていたのは「愛」を漢和辞典などでひくと分かるけど「アイ」とカタカナ表記。音読みであって、和語ではない。

じゃあ、古来からの日本人にとって「愛」に代わる大和言葉(本当の日本語)は何だったのか・・・いくつかありますが、こうした観点からしか今の私は考えが進められません。


2018.12.17 月曜日
04:22 コバルト
えっ??愛ってないんですね!
たしかに‥それで理解と謎が深まりました!
愛とよんでいるものって無常を知った本物の「いのり」の状態(虚空)。
追い求めない、願わない、唯物論からの解放。
集約化ができないんですね。ましてしちゃいけないんです。
だから言葉には出来ないのかもしれません。
ただ感じるものなのかな?
囚われるほど愛を見失ってしまうから、きっと文字にしてしまうと囚われになってしまう、言葉にしちゃいけないんですかね?
ややこしい動画だったのでここに貼るのは場違いでした??



04:56 ソルティ
動画ワタシも観ました。コバルトブルー君は どういう意味(意図)でこの動画をアップしたのかな~と知りたい気持ちになりました。

*”好きな人が変わり果てた姿になっても見捨てず最後までオムツ交換やら何もかも献身的に世話はできるのか”。。。うん、微妙だ。

 上のほうの動画。。。佐倉杏子の”奇跡はただじゃない”この動画はとても深い感じがした。私は今、スピリチュアルに関心があるので、それとここで言われている魔法とどこか共通する部分があると思うので興味深かった。

まあ、この動画にもあるように、足を突っ込むと 超危険な部分も深く広く広がっていると思うので、ほどほどにしとかなくちゃとは思う。例の占いでいくと、私の役目は 墓守りなんだけど、成仏してない魂は沢山いると思っていて、まあ自分の父や祖母、まあそのあたりまでなら何とかしなくちゃあと思うけど、顔もみたことないようなその上、またその上となると、冗談じゃあないわよ。(知ったこっちゃない)と思う。


ワタシの考えでは、マリア様に限りなく近い 存在の方( インドのアンマさん )方は 無償の愛を人々に与えることのできる方だと思う。裏とか表とかもなくて ひたすら、タダタダ与え続ける愛って感じがする。別にこの宗教に入りませんか?もないし、浄財を!でもない。でもね、ハグしてもらうと、ほのぼのするんですよ。あの 地球を抱える聖母のイメージだな。スピリチュアル仲間のお友達によると、オーラが広がる(満たされる)らしい。私は鈍いのでよくはわからないんですけどね。ただしあわせ~な感じになる。



07:08 虚空
私にとっては実感の伴わない発言が続いてしまいますが・・・「愛」=「合い」だから、本当の愛は「自他の区別がない一体感」というのは、よく言われることですよね。

だから「同情」云々では、まだ本当の「愛」とは言えない。「相手の為に何かしてやろう」では自他を区別してしまっているから・・・と。

一体感になればなるほど、相手の為ではなくて、自分の為にという境地で、そういった行為を具現化できる、と。

ものすごく理屈っぽくなるけど、キリスト教で「隣人愛」「汝の敵を愛せよ」というのも、自他は別物という前提があるから、「合わせる」という言葉が生まれてきたともいえるわけで、バラバラな存在として生まれてきた人間が、人間同士や他の生き物、自然、宇宙・・・と一体感をレベルアップさせていくのが、この世に生まれ出た究極の課題、というところなのでしょうか。

だから杏子の言葉は「家族愛」といいながらも「自分」ということに非常にこだわっているから「後悔」「もう自分のために」という意識に向かってしまっているんでしょうね。

宮崎監督は千尋では「小学4年生段階の恋愛感情を描く」という発言もしていましたが、世間的な常識ではなく、古来の日本人の感覚での10歳あたり、ということなのでしょう。


またエヴァはテレビ版で謎のままに残った「人類補完計画」というのが劇場版(古い方)で明らかにされて、クライマックスでは自他の区別がなくなる(皮膚がはじけて全人類の体液が一つになる、原始の海のように混然一体のスープ状態になる、という場面がありました。


区別があるから各種の人間関係の問題・・・対立・喧嘩・闘争・戦争・・・が起きるのだから、それがなくなれば真の平和・幸福が得られると信じた老人たちが起こした秘密計画。
でも、それが本当に人間にとっての幸せなのか、という問いかけでしたね。
12:54 コバルト
(日本でいう月はいのりの象徴?)
(愛に台本はない、旬そのもの)青春?というと季節感?
麻雀で、というか勝負事で(スポーツなど)自分が肝にしている事があるんですが、それは本物の敵は自分自身にあるという事です。
勝ち負けだけじゃないんです。
取り巻く恐怖心に打ち勝つ事こそ鍛錬にしているのですね。
つっぱる、傾くなんです。
それとエヴァンゲリオンの「人類保管計画」は願いであって、少なくとも祈りにはなっていないんですね。

ちょっと説明させて頂くと、あの動画のファイナルファンタジー7ので主人公クラウドと言います。
口癖は「興味ないね」といいながらも、なんだかんだ手を貸してしまう。
人体実験で2人は超人にされてしまって、クラウドは耐えきれず廃人になってしまいました、そこで親友のザックスが隙をみて脱出に成功しましたが、兵器なみに恐ろしい力をもった2人を組織はほったらしにはしません、もちろん抹殺作戦が立てられました。
2人はただ自由を望んでいただけなのに。
やがて追いつかれて親友が殺されてしまっても、クラウドは復讐の鬼になっていたりはしないんですよね。
ただ親友のザックスと望んでいた、何でも屋をやっているだけ。
風来坊みたいで、鬼太郎みたいなかんじです!


 http://karapaia.com/archives/52268743.html
 
16:05 虚空
情報を得るためのツールではなくて、人間同士のやりとりも間に情報端末を介してというのが圧倒的に多くなっていたり、何でもかんでもスマホできてしまう⇒スマホでないと出来ないシステムが主流になる
という流れからの一極集中が大問題だと思っています。その片鱗がでたのがこの前のau(?)不具合。
どうして親友が殺されても復讐に走らななかったの????(何でも屋を続けたことで割り切れた????)
18:33 ソルティ
コバルトブルー君。。。朝まで麻雀か~元気だね。そういえば大学の時、木造の男女混合下宿に住んでいて、男性の先輩から麻雀誘われたことがありました。(体育会系下宿、一回生はパシリをやる)今考えるとやっとけばよかったな~と思うけど、くっそ真面目だったものでね、お習いしなかった。

学童で、ケアセンターのおじいちゃん・おばあちゃんたちを訪問する機会があったのだけれど、そこに麻雀グループがあって、そのおじいちゃんおばあちゃんたちは元気いっぱい。目がうつろで反応がまるでない方々に比べるとお幸せなんじゃあなかろうか?と思う。何か好きで没頭するものがあるってことは老若男女を問わず幸せなんだな~と今頃思うよ。

勉強もいいけど、片手には絶対自分だけのものを持っておかないと崩壊すると思う。

 クラウドもザックスも 何だかかわいそう。
 *バラバラな存在として生まれてきた人間が、人間同士や他の生き物、自然、宇宙・・・と一体感をレベルアップさせていくのが、この世に生まれ出た究極の課題。。。これって ワンネスとかいうのですよね。だけど、苦手でどちらかというと嫌いな人がいたとして、その人と自分が一つなわけないっしょ。と思う。



19:17コバルト
クラウドの記憶に障害があるという部分もあるのですが、でも復讐心に刈られて修羅の道を選ぶ事より(滅びの道)、本来の約束していた2人でやるはずだった、あるがままの日常を送る方がザックスの供養にもなるんですね、修羅の道にはザックスと語った未来からかけ離れてしまう、もはや私怨なんですね。
これが一体感からの離脱‥その道を突き進めば突き進むほど孤立してしまうんでしょう。
そういえば尊い道とは、中道なんですね。
クラウドは尊い生き方を選んでいたんですね。
クラウドはクラウドであってクラウドではない。
クラウドにとってザックスは虚数単位(i)なんですね。
2018.12.18 火曜日
00:39 虚空
自分の駿煌会用の名前「虚空のエストラーダ」って直訳すると「虚空の道」(虚空への道)ということなんですよね・・・

「虚空」というのは「虚数世界」とも通じるものがあり・・・・でも、今の自分は現実対応意識でグチャグチャだから「虚空」とか「虚数」とかとはかけ離れていますね。
2018,12,19 水曜日
21:22 ヒマワリ
今日ボヘミアンラプソディーを映画館で観てきました!
人が結構入ってて、人気なんだな?と。
私Queenのことは何も知らなかったので、なんの先入観もなく映画の世界に入り込みました!
映画を見た上で、あの歌詞をまた考えると、当然のごとく捉え方が変わりました。
Queenとゆう無名のバンドが世界中の人々から愛されていくサクセスストーリーのよう…でも人気が出て、光を浴びれば浴びるほど、その分影も大きくなる…抱える闇や孤独感…光と陰は表裏一体とゆうことだなぁ?と。
また集まる機会があったとき話したいと思います(えへへ)
2018.12.20 木曜日
04:51 虚空
そういった形で「人生の光と影」描いている内容なんですね。
たしかに光が強くなればなるほど影も濃くなるというのは何の不思議でもない自然界の出来事ですからね・・・この目に見える世界に生きる人生にそいった側面が出てくるのも、自然の理(ことわり)。
浜崎あゆみが大ブレイクした時に、自分が二つに切り裂かれたような感覚になっていたというのもそういったことに感覚・感情が追い付けなかったのかもしれないですね。
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