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☆ダンデリオンツイッター記事 から 「ふるさと」意識へ

「宇宙との一体感」という壮大なテーマの記事を受けてのやりとりです。

最近のやりとりでよく出てくる観点が「身近な体感を伴うイメージだからこそ、宇宙との一体感等々と共鳴しあっていく」ということ。
今回は「ふるさと」意識を中心にそれがどう広がっていくのかについてやりとりされています。

また、最近テレビやネットで話題になっているという別居している両親と、人生の間にどのくらい同じ時を過ごせるのか、ということに関してもやりとりしています。

また、かつてヒマワリフクロウさんとの家庭教師時に二人がしばしば体験した心霊現象(?)についても振り返っています。
2019.06.11 火曜日
07:25 虚空
ちょっと前に諷虹君との間で「暦」や「イチロー」の話になったのですが、昨日ダンデリオンツイッターにアップされていた記事は、そうしたことや、このところの駿煌会やりとりをふまえて書いてくださっているように思えます。(というか、毎回そんな感じですね)
原文⇒意味内容⇒お話の順に紹介します。

☆2019年6月10日 ダンデリオンツイッター
(荘子 逍遥遊篇第一―3)
列子は風に御(ぎょ)して行き、冷然として善し。
旬(じゅん)有(ゆう)五(ご)にして然る後に反(かえ)る。
彼福を致す者に於いて未だ数数(さくさく)然(ぜん)たらず、
此れ行に免ると雖(いえど)も、猶(なお)待つ所の者あるなり。
若(も)し夫れ天地の正に乗じて六気の弁に御し、以て無窮に遊ぶ者は、
彼れ且(は)た悪(なに)をか待たんや。
故に曰く、至人は己なく、神人は功なく、聖人は名無しと。

【大体の意味内容】
列子という人は、風に吹かれて自由気ままに逍遥(しょうよう)し、その生き様はクールでかっこいい。
風が変わる十五日ごとに帰ってくる。彼は幸福をもたらすものをがつがつとむさぼり求めるようなことはしない。
このことは、無理な行動を取ろうとする我執からは解放されているといえるが、まだ頼みとするものを残している、
つまり吹く風に頼っているのである。そもそも天地の真正な働きに乗じて、「陰陽(いんよう)風雨(ふうう)晦(かい)明(めい)」六気の天候変化と融合する。
そうして限界のない、無限無窮の世界に遊ぶ者は、何かに頼るということがあろうか、
いや何も頼まず自由でいるのだ。
よって、「最高の境地に至る者には利己的な私心がなく、
神人(しんじん)は俗世間で褒(ほ)められるような功績とは無縁で、
聖人には俗人が求めるような名誉がない」
といわれている。

【お話】
「風が変わる十五日」とは、中国の戦国時代(紀元前403年~紀元前221年)に生じた「二十四(にじゅうし)節気(せっき)」の考え方に基づいています。
一年を春夏秋冬の四季に分け、さらに一つの季節を六つに分けて、6×4=24の「季節」に分けました。
これを「二十四節気」といいます。

そうすると「一気」とは365÷24=15,2083(・)で、ほぼ十五日ということになります。これはちょうど月の満ち欠けにも対応しており、新月から満月に十五日、満月から新月に十五日、というサイクルともリンクしていますね。
月の運航と気候の変化とがこんな風に一致しているわけです。

二十四という数字は、一日の二十四時間とも一致しますが、こちらは月の満ち欠け三〇日を一つの周期として、それが十二回で一年になるという事実から、
一日の昼を十二時間、夜を十二時間で表現し、合計二十四時間になったとのこと。

私たちの生活のリズムを示す様々な数字は、決して人間が勝手に決め付けた数字ではなく自然が示してくれたものであるわけです。こうした自然のリズムに即した生き方が、「天地の正に乗じて六気(自然界の六つの元気)の弁(変遷)に御し(融合し)」たものであり、「無窮(の宇宙)に遊ぶ」ことになるのだと、古人は直感していたのです。

これは風の運びの様な何かを「待つ」ことでもなく、ことさら主体的に「行(ぎょう)」を行使することでもない、

つまり受動的消極的他力本願でもなく、能動的積極的自力本願でもない、こうした二項対立以前の未分化な宇宙の摂理そのもの、「道」そのものだということなのでしょう。柳(やぎ)生新(ゅうしん)陰流(かげりゅう)兵法(へいほう)の「懸待(けんたい)一如(いちにょ)」という言葉を思いだしました。

「懸(けん)」とは「懸(か)かる」つまり攻撃することで、「待(たい)」とは静かに待つことです。身体は「懸」、心は「待」で、敵に「先」つまり先制攻撃させることでかえってこちらが勝つ極意だとか。

これは元メジャーリーガーのイチローのバッティングの極意「手を出すのは最後」ということとも通じるのでしょう。

『荘子』のここの文章のテーマが「懸待一如」だとしたら、それは「敵に勝つ」とか「ヒットを打つ」とかの目的を持たない、宇宙との一体を言うものなのだろうと思います。
「至人は己なく、神人は功なく、聖人は名無し」にそれがあらわれているようです。

そのような境地に到達できたとして、「それが一体何になるのか」といってしまえばそれまでですが、人間存在のありようがどこまで拡大拡張し得(う)るものか、
試してみたり努力してみたり、そのこと自体を楽しんでみれば、何か新しい知恵や可能性も生じるのではないでしょうか。

役に立つかどうかは別としても、退屈な人生ではなくなるでしょう。
08:30 ソルティ
身体は「懸」( 攻撃すること )心は「待」 ( 静かに待つ ) 何だかいい感じ。 攻撃とあるけど、何か行動を起こしてみるというように解釈して、 その時に、こころはいつも冷静に状況を判断する。というようにとらえてみました。そして 次は逆に、うちに入って、体を 待 にして 心を 懸 動かして っていうか、動く(いた)心をみつめてみる。というようにしたらいいのかな?と思いました。



12:42 虚空
最も大切なのは、「荘子様の教え」をこのようにあれこれと違った角度から解釈してみて、いろいろと試すことかもしれないですね。そして「どれにすべきだ」というのではなくて、臨機応変に対応できる知恵を蓄積しておく・・・。

「母国語教育」を重視する立場でいながらも、家庭教師としては中高生に英語を教えることもずっとやってきましたが、それが「母国語教育」をより深く扱うために役立っていると思い当たることもありますから。

 普段考えていること、信じている事、当たり前と思っている事・・・それとは違うことや真逆のことを時折ちょっと試してみるとかも、たまーにやってきました。

それで全く想定外の世界が取り込まれた・・・なんていうことの大きな一つが今風のアニメを観るようになったことですね。数年前までは拒絶すらしていたのに(笑)

23:45 ヒマワリ
ダンデリオンのこうゆう話、好きだな。

まえ数字の本コンビニでパラパラ読みしたことあったときの話したじゃん。
0は永遠に0なのだ、0が1になったり、2になったりしないって。
その本の中に、12ってゆう数字のことも書いてあった。
時計の針が指す時間も12、1年も12ヶ月、干支も12、あと昔の時代の十二単とか。
我々は12とゆう数字に守られてるだかなんだか守られてるじゃなかったかな?なんかまあそうゆう人生に関わってるてきなこと書いてあって「ほぉたしかに!」と思った記憶があるのだ。

誰が決めたんだか言い伝えだか知らんが、そういうものってここ最近の駿煌会やり取りの中でほんと宇宙やら自然やらから来たもんだと思う。

むかーし何かで「畳のヘリを踏むな、神様がいるから」って小さい頃おばあちゃんに言われた。それは畳が痛むからっていう理由なだけだったけど、自分の中に積もっていくものなんだよね。
ってゆうセリフがなんか思い出された。

誰が見てるとかじゃないけど、自分の中に積もるもの。
お天道様は見てるんやでってゆうのだよねって思った。




2019.06.12 水曜日
08:13 虚空
読んでいていろんなことが思い出されました。

これまで印象的に心に残っている日の出や夕日の思い出をはじめとして、数字にゲンをかついだような時のこと、それからばあちゃんに幼い頃に聞かされたいろいろな話。
そういった蓄積が今の自分の全てになっているわけだよね。


最初に勤めていた小学校時代に「国際教育研究協力指定校」になって国際教育に携わった時、上原先生に相談したら「おうち」「ふるさと」「世界」という題名での作文と共に、それぞれの言葉で思いつく漫画や物語やアニメなどを書きだしてもらうような調査をするといいのでは、という助言を頂いたことがあります。

どちらの調査も全校児童でやったのですが、アニメなどの調査の集計は時間がなくてできませんでした。

ただ、こういう調査を何故上原先生が提案したのか、というのもこの数年アニメでのやりとりをしている中ですごい視点だったんだなと思います。
あの時の調査・・・我が家の書庫の腐海の森の中に今でもうもれているハズなんですが・・・・
 昨日たまたまテレビをつけたら「別居している場合、自分の両親とあとどのくらい直接会う時間が過ごせるのか」という特集の途中でした。それに関してホームページの方に書いた文を、転載しておきます。(最近いろんな番組でとりあげられて話題になっているそうですね)

自分の場合は両親ともいなくなっているので、知り合いと会える時間、という意識になります。
参考サイトの一つ
https://j-town.net/tokyo/column/allprefcolumn/289907.html?p=all

私などは特に退職した平成8年以降、こうしたことを意識するようになりましたね。担任後の教え子などのことを通して。ほとんどの場合は先ず顔を合わせることはありません。クラス会だのというのも私の場合はなかったし。(小学校時代のクラス会というのは一般的にもほとんどないですからね)家庭教師をするようになっても、縁あってその後も年に数回会う事ができることがあっても、それは例外中の例外。

また会える場合といっても回数にしたら「あと数回?」・・・ましてや今回話題になっているように、回数ではなくて日数に換算したら、ほとんどの場合は私の残された生涯の中で一日にもならないと思います。

そうしたことを非常に強く意識していたから「おもてなし」の精神を磨き上げた「茶の湯」の世界では「一期一会」ということを大切にしていたんでしょうね。

私のように何度も「命の危険がある」なんていわれたことがある場合もですが、年齢を重ねるごとに「あとどのくらいこの人とやりとりできるのかな」とか、家庭教師の仕事で進学や卒業に伴って教えるのが終わりになったときには「もう会う事はないんだろうな」ということはかなりの現実感を伴って考えてしまいます。

ましてや年配者の方々などはシビアな問題ですね。

そうなってくると「回数」や「トータルの時間」ということだけでなく「時間の濃さ」が重要なポイントになってくるのかもしれません。たとえ時間的には短くても、そのときに共にすごした時間が「意識世界に残り続ける」ような感覚になれること。

今の自分は、時間的には家庭教師の時間もほとんどなくなっていますが、単に点数指導というだけではない、「いい時間」を過ごせています。また昨年結成したグループ同士でも「濃い時間」を時折持つことができています。それが残りどのくらいの時間になるかといえば、それほどにはならないんだと思いますが、でもそれが物理的な時間以上の意味をもってくれていることは確かです。

09:20 ソルティ
*「 ふるさと 」で思いだした。次の詩
確か?高校生の時に御習いしたと思うのだけれど。。。
*ふるさとは遠きにありて---室生犀星*
 ふるさとは遠きにありて思ふもの
 そして悲しくうたふもの
 よしや
 うらぶれて異土の乞食となるとても
 帰るところにあるまじや
              
 ひとり都のゆふぐれに
 ふるさとおもひ涙ぐむ
 そのこころもて
 遠きみやこにかへらばや
 遠きみやこにかへらばや
         [小景異情ーその二] より
実は最後の二行の解釈がいまだにわからないんですよ。これって どのように訳すのですか?


・・・・・(改めて実家にかえって)父の魂を弔いたいと思う。まあ姿はなくなっているけれど、魂はお盆に戻ってくると思っているのでね。そういう意味では、いつでも会えるのだろうけれど。しかし、一言でもいいから感謝の気持ちをのべておけばよかったな~とは思う。
・・・・・


16:20 ヒマワリ
私のママの実家は秋田県で遠いので、やはり数年に一度しか帰れません。
秋田に行きたがる孫の私と姉ちゃんとは違って、娘であるママはそんなに実家に帰りたがらないとゆうか…。
ママがまえにポロッと「秋田に帰るとさ、あぁこれが最後かな…って思っちゃうのよ」って言ったことがありました。
そんな気持ちがあったのかと…。
あまり秋田には帰れませんが、姉ちゃんの子ども達の写真はよく送るので、そのときに私も手紙を書いてます。
ママも一言メッセージを添えたりして。
秋田のばぁに「ヒマワリちゃんだけよ、孫で手紙をくれるのは。」って言われたのが嬉しかったなー。
ひ孫が生まれて、私の孫としての存在薄くなってる気がしてましたが(笑)うひひ。
これからも手紙を書くのだ。


16:22虚空
(ソルティさんの質問に対して)
フト思い出したのが、宮崎駿監督が「脚本」を担当したアニメ「耳をすませば」の挿入歌「カントリーロード」の歌詞です。
このサイトに原曲とアニメでの歌詞の根本的な違いについて考察されています。
特にポイントとなるのがこの部分
どんな挫けそうな時だって
決して 涙は見せないで
心なしか 歩調が速くなっていく
思い出 消すため 

カントリー・ロード
この道 故郷へつづいても
僕は 行かないさ
行けない カントリー・ロード
カントリー・ロード
明日は いつもの僕さ
帰りたい 帰れない
さよなら カントリー・ロード 

「現実・非現実」 ⇒ 「超現実」、とか、本来エネルギーを蓄えて飛躍するのが「お籠り」だったのが、「引き籠り」では真逆のことになってしまっている、等々のことと「ふるさと」意識のあれこれがつながって感じれました。

⇒wiki
日本語訳詞を手掛けたのは鈴木敏夫の娘の鈴木麻実子で、宮崎駿がそれに補訳している。鈴木が「ひとりで生きると 何も持たずに まちを飛びだした」と訳したのを宮崎が「ひとりぼっち おそれずに 生きようと 夢見ていた」と変更案を出し、鈴木の訳を支持した監督近藤喜文と宮崎は対立したという[2]。



16:29 虚空
「引き籠り」とかとの関連でもう一つ。
ゆうべ放送されたNHKプロフェッショナル 「笑顔に、笑顔は集まる~メイド・hitomi」 を先ほど視聴したのですが、先日のカリスマ美容師とは違った意味で、非常に含蓄ある内容・・・その仕事に限らず、多くの現代人にとって示唆されるような内容がいっぱいでした。

この番組もカリスマ美容師の時のように文字起こししようと思っていますが・・・・



16:30 コバルト
率直に感じたことは現実的(肉体)には故郷に行けなくても、せめて心(精神、魂、多分生き霊に近い種類)だけでも故郷に帰ろうって感じがしました。
またよく昔は虫の知らせとか聞きましたけど、臨終間際の方々にはそういったメッセージを送る事もきっと出来るのだと思います。
スピリチュアルメッセージですね。



16:39 虚空
秋田のことへのお母さまの心情も、手紙をかいているあなたの気持ちも・・・どちらもグッと胸に響いてきます。
私の父などは、退職後すぐに出家してしまって、ほとんどこちらには居場所を知られない生活。数年に一度、向こうから一方的に手紙はきましたが・・・・。基本的には、目に見える存在としての自分には頼るな・・・内なる自分と対話していけ・・・という考えに徹していたということです。
だから母が他界したあと、本当に久しぶりに父から電話がかかってきた時にはビックリです。もう生きているうちに話ができるとは思っていませんでしたから。あといよいよ危ないという時に、お世話をしてくれていた方の一存で知らせを受けて、病院にお見舞いにいったときも、もう二度と会えないと思っていたので・・・・

ただ、気管切開されていたし、ほとんど体が動かせない状態だったので会話も筆談もできませんでしたが・・・・でもこちらの顔をみて私の思いがけない出現にビックリした表情をみせたあと、涙をこぼしてくれていました。
それが生きていた時にみた父の姿の最後。
16:58 コバルト
https://youtu.be/dFO3auZeP5g


17:02 虚空
こういうこともあるんですね・・・

観ながらフト思い出したのが通称「聖良さん」のことです。
ヒマワリフクロウさんの家庭教師の時間に、ある期間・・・ずっと参加していたとしか思えないことが多々ありましたから・・・



17:51 ヒマワリ
じぃとばぁを、こっちに連れてきて一緒に暮らせばええやんと言ったときもありました。
それこそ元気でいられなくなるってママに言われました。
(ずっと暮らしていた土地の)海が家の目の前にあって、じぃは88歳になった今も船に乗って海へ漁に出ているし、ばぁも網にかかったサザエ取ったり、仕事してます。
それでこそ元気でいてくれるんだなって。
同じ空の下、元気で生きていてくれることを願うばかりですね。
このラインを打ちながら、より一層じぃとばぁを想いました。
先生がお父さんと最後に会ったとき、手を握りながら話したって言ってましたよね。
先生の言葉への反応が感触であったり…とゆう。
小さい頃は、なんの恥ずかしげもなく手を繋いで抱きつけた父親に、あと何回触れることができるだろうと、ふと思うときあります。

1ヶ月くらいまえに、パパの耳掃除してあげました。
パパ耳かきしてあげるよって言ったら「ぇえ??」って感じでしたが、終わったあと、「人に耳かきしてもらったのなんか何年振りかなぁ…」って言ってたので、またチャンスを伺ってやってあげたくなりました。



17:52 ヒマワリ
聖良さん、今ごろ何してますかね。



17:54 虚空
きっと次の段階にのぼっていると思います・・・そういう意味では、あの時、何度もあの授業に参加していた中で、この世に残していた未練を断ち切れたのかもしれないですね。



17:56ヒマワリ
それは嬉しい限りですね。
目に見えないもの、私たちの想像でしかないもの、それでもこの世にきちんと在るものですし。
令和ですな。



17:56 虚空
よく諷虹君との間で話題になる漫画で「自分として生きる」とはどういうことなのかを問われる内容のがあります。
そういう点から考えても、基本的には地元で生きることを尊重できるうちは尊重したいもの、ということなのでしょうね。
 教え子とかで他界してしまった子が何人もいるわけですが・・・聖良さんは未練が一番強かったのかもしれません。
でもその未練を断ち切る場として、例えばあの当時は多くの家庭教師の時間をもっていたけど、ヒマワリフクロウさんとの授業の場を選んでくれていたというのがね・・・・。


18:02 ヒマワリ
(生前の)聖良さんのことはまったく知りませんでした。
記憶ないですね、うん。
先生から聞いた話でしか記憶ないですし。
選んでいただけて光栄ですね。
別に全然怖いとかなかったですし、むしろ面白いくらいタイミングよくラップ現象するんで楽しい記憶しかないです。



18:08 虚空
本当にあのラップのあいづちはすごかった・・・二人で「鳴るよね」って顔を合わせた瞬間「パチッ」いうことも何度もあったしね。

あと、どこも開いていないのに違う温度の風が吹いてきたり、私のすぐわきに違う温度の塊のエリアがでてきたこともありましたよね。
それであなたが温度の境目のところを手で確認していったら・・・・なんて。

本当に「怖い」思い出ではなくて「一所にすごせていた楽しい思い出」

「怖がらせたら申し訳ない」という想いはあったでしょうから・・・この二人なら怖がらずに、目に見えていた存在の頃と全く変わらずに普通に受け入れてくれると思ってくれたんでしょうね!


2019.06.13 木曜日
07:33 ソルティ
ヒマワリちゃん、コメントありがとうございます。ヒマワリちゃんのお母さん、おやさしいですね。だからヒマワリちゃんがやさしいんだな~と思いました。
おじいちゃんやおばあちゃんも生きがい(お仕事)があっていいな~と思いました。天職を得るっていいね。

コバルト君、コメントありがとうございました。
率直に感じたことは現実的(肉体)には故郷に行けなくても、せめて心(精神、魂、多分生き霊に近い種類)だけでも故郷に帰ろうって感じがしました。
・・・なるほど、心は自由ですからね。色々な解釈ができるのだな~と思いました。
 解釈って 色々できるんですね。再びあちこち(犀星さんを語る)サイトを覗いてみて 昔の自分のひっかかり(この詩に関する)とふるさとへの想いなんぞを確かめてみたいな~と思いました。

話は カントリーロードの解釈にも関わりますが、「 うつろな愛 」という外国の曲があって、それを日本語で歌った人がいて、懐かしいな~と思って英訳をみたらげろげろと驚くような内容だったことがあって、和訳したひとはすごい!それから、外人さんはよくこんな歌うたうな~と思ったことがありました。


08:20 虚空
言語と日本語の訳の違いって歌なんかでは相当あるようですね。
西城秀樹のヤングマンもけっこう違うというのを聞いたことがあります。
08:21 ソルティ
和訳をしたひとは、すごいな~と思ったよ(NHKで歌われていた)
 ご参考までに
https://ladysatin.exblog.jp/30425488/


 これって 前も書いたっけ?「うつろ」「虚」というという言葉の意味から。。。


 何回もくりかえしていたらごめんしてください。ただ今 昔の自分を掘り起こして N(ニュートラル) → ZERO にする作業をしています。



08:41 虚空
現在、体調の関係でちっちゃい字を読むのがかなり困難なので、丁寧に読むことはできませんでしたが、最近諷虹君と話題になっているアニメとの関連があって「片目で」という部分に意識が向きました。

例えとしてとらえた時にも「片目」と「両目」での違い

「夢かうつつかまぼろしか・・・」なんていう観点も「うつろ」「虚」というのと関係は深いだろうし・・・

ZEROにするというのも、先日のNanba先生をまじえてのやりとりで諷虹君も再度強調していました。



08:47ソルティ
ZEROはね、HOの目指している所で、記憶を消してZEROになった時に、神聖なる存在から光がおりてくるらしいので。。。ならば やってみようじゃないの~とは思いますが。。。
現実はなかなかね。ニュートラルにすることさえ難しいわ。



08:50 虚空
自分を「うつろ」「虚ろ」「虚」にする・・・が神話的な言い方だと「黄泉の国」(世見の国)を通過することで、現実的なことをふんだんに経験をし、その上で「禊」をしてすべて捨て去って、体を洗い清め「目」を洗った際に天照大神たちが生まれた・・・

「器化」だと思っています。

ポイントは「黄泉の国の段階を通過」っていうところなんでしょうね。現実的な(目に見える世界のもろもろ)で、一旦は自分を一杯にした上で、空にする。

最初の国産みでも「うまくいかないかもしれない」とチラッと思っても、まずはやってみる。で、失敗の体験をして、そこから原点に立ち返る・・・というように描かれている。

純粋を大事にするというのは、「純粋培養」のように汚れた経験を一切しないで、綺麗なものだけを自分に取り込もうというのとは根本的に違う。

父の言葉の受け売りですが、それは日々私達が食べ物をとっているのと同じことだと。栄養素だけをとっているんじゃなくて、栄養素以外のものをたくさん含んだものを食べ、それを消化(元形を消し去って)、自分の中で必要なものとそうでないものを分離して、吸収・排泄をする

よくコバルトブルー君が使う「蓮の花が泥の中から咲く」もそうでしょうね。「泥」と呼ばれているものから吸収して「美しい花を咲かせる」

駿煌会で、ジブリなどの高尚なアニメ以外のを積極的に話題にするのも、上原先生が歌舞伎を素材にするのも同じ構えだと思っています。



09:16 ソルティ
泥の中から 蓮。 どろどろの、混とんとした世界で右往左往することこそ大事なんですね。 だんだん やさしさ っていうものに近づけたらいいな~と個人的には思う。
歌舞伎は 今は 高尚な世界のように思えるけどね。一度は観に行ってみたいとかいいながら出かけていないな。



2019.06.14 金曜日
23:54 虚空
今日の諷虹君とのやりとりで後半に「ふるさと」「おうち意識」の話になりました。
やりとりのごく一部です。
諷虹 ラインでソルティさんが「ふるさと」のことを話題にしていたじゃないですか。で、あの「ふるさと」の歌の出だしも
「うさぎ追いしかの山 小鮒つりしかの川」
虚空 「山」と「川」だね。咲の麻雀の話が最初に出た時から話題になっていたことだよね。
「ふるさと」歌詞
兎(うさぎ)追いし かの山
小鮒(こぶな)釣りし かの川
夢は今も めぐりて、
忘れがたき 故郷(ふるさと)
如何(いか)に在(い)ます 父母
恙(つつが)なしや 友がき
雨に風に つけても
思い出(い)ずる 故郷
志(こころざし)を はたして
いつの日にか 帰らん
山は青き 故郷
水は清き 故郷
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