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☆上原輝男先生の命日 から「知性と構え」

先生の命日にブラックホール撮影のニュースが合いまったことからのやりとりです。

人間が「知性」「論理性」を進化の過程で獲得したというのも、ありのままを捉えていく際に正面からとりあげる必要のある部分です。

一般的には「理系・文系」の仕分け発想の根底にあるように、「人間らしい感情・想像力」と「知性・論理性」は相反することとされてしまいがちですよね。数学者は頭がガチガチである代名詞のように。
でも歴史的にみてもホンモノの数学者ほど非常に人間くさいというか純粋だったようです。「美的センス」なども大切な要素だという人さえ少なからずいます。

上原先生が「論理性の発達」「感情やイメージと切り離された言葉の世界があることに気づかせる」ということを盛んに強調されていたのは、単に昨今のように正確にやりとりするためのコミュニケーションの基礎として、という面だけではないと考えています。

もちろんそうした面についても「言語操作性」として探求されていましたが、本当に大事にしようとしていたのが、今の自分の枠を突破するために、という位置づけ。そしてその具体的なある一つの理想の姿を「英才児」に見た・・・そういうことだったんだろうと考えます。

そうしたことから上原先生が盛んに主張されていた「小学校は学級担任制」ということについてもやりとりされています。


10:35 虚空
ブログにアップした記事の駿煌会ツイッター記事転載です。
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昨日のブラックホールのニュースとの関連というわけではないのですが、6日の諷虹・虚空のやりとりは最新の宇宙論からの自由な発想で、ブログ記事のタイトルは『科学雑誌「Newton」と古来日本人の発想』としています。
http://syunkoukai.edoblog.net/Entry/288/ 

理数が苦手、という方々ほど、専門家や詳しい人達のように科学的な常識に囚われずに、大胆で自由な発想が出来るんだ、という想いで想像を膨らませてみてください。後半には、この雑誌での特集のポイントとなっている言葉も入れています。例「宇宙空間は”ホログラム”でできた幻かもしれない」

今回のやりとりの中では特にほりさげていませんが、上原先生の命日前日にブラックホールのニュースがというのも、偶然ではない何かを感じてしまいます。かつてイメージ研究の大家である藤岡先生との共同研究でのテーマは「穴と留守番」。子どもの「穴」イメージの探求だったわけですから。

私が担当した「おうち意識」のことにしても、駿煌会でしばしば使われる「添加」ということも、「虚数世界」「時間・空間・ジンカン」などの「間」意識のことも、ブラックホール研究にはヒントになることがきっと多々あるんだという予感はあります。この世の始まりを解く鍵もブラックホールにあるとか…

もう一つ、ブログにアップしたやりとりは、先日載せきれなかった4月5日のやりとり記録です。主な内容は「天と地」「龍と鯉」・・・ここから最後には「シンデレラ」「魔法少女」と上原先生や折口先生の心意伝承の世界に踏み込んでいます。(犠牲論・貴種流離)   http://syunkoukai.edoblog.net/Entry/289/
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11:59 コバルト
有も無もない、ブラックホール(究極の死)(地球を角砂糖の大きさにしてしまえばブラックホールになるみたい)が宇宙を高速で移動している。
こう考えると、当たり前に思っていた生と死なんて存在していないのかもしれないですね。
きっと生と死の境界線なんてないんですね。
濃いか薄いかの違いのような。


13:32 虚空
普通の物理法則が存在しなくなる境界線というのがブラックホールに近づくとあるようですね。
また本来なら吸い込むばかりで絶対に何も脱出できない、とされていたブラックホールからも不確定性原理だか何だかでわずかずつ外に出ているとかいうことをホーキングが予言したとか・・・。
あとは超重力によって、時間などが極端に相対的になるとか・・・・
まさに「超現実の世界」が実在する場のようですね。


15:38 コバルト
桜井章一が語る「運」も目に見えない超現実の世界のものですよね。
運があるんじゃないかと実感できている時点で運というものは存在している僅かな証拠なんだと思います。
また知識=実力とはならないんですね。
ここ何十年の教育の中身の結果として流石に認めざるえないと思います。
それなりの学歴を培ってきた人材が大手企業を荒廃させてしまっていますし。
代表的なのは大塚家具の久美子社長(経済学)の盛大な大失敗だって数字、方法、戦略ばかりになってしまってお客から運まで見放されてしまいましたから。
令和の時代は正に本物の実力を身につける時代の予感がします。
というかそうじゃないと、この国そのものが滅んでしまうと思う。
滅ぶというのは日本人というDNAが消滅してしまうこと。
 https://youtu.be/m5fE-Ld56z8
 桜井章一が語っているように、堅さからは何も生まれない、柔らかさから何か生まれる可能性を孕んでいる。
これもブラックホールでも言えると思うんですよ。
少なくとも星という物体のままでは、変化は起こせない。
でも形を無くしてしまえばどんな物にもなれる可能性が無限大にあるということ。


16:41 虚空
「思考」「知識」を発想の柔らかさに出来るかどうかのカギが「添加」という「構え」だと思っています。それがないと「縛り」「囚われ」になる。


聖徳の子たちが、単なる頭でっかちの点取り訓練生と決定的に違うのがそこ。

上原先生の言葉でいえば
英才児は「うんち作文」のようなものも豊かに書ける
あるいは
(葛西先生からの英才児についての発表「潜在意識世界に生きる姿勢を崩さない子ども達である」「トランスフォーメーションが活発な子どもほど英才児」との後で)
 簡単に言うと英才児の条件というのはさ、それはもう絶対的に『素直』じゃなくちゃ。素直さのないようなのは、英才児からはずれてしまっている。根本的な条件が整っていないと思うな。
                (平成七年合宿)


18:22 虚空
最初の方の動画、やっとみました。
細かく書いている気力・体力が残っていないので(苦笑)とりあえず二つだけ
頭で考えないで感覚で・・・ということに修練してもらおうと思ってやってもらっていたのが「イメージ作文」「本音作文」そして「クラス全員での大縄跳び」です。
人生のどの段階になっても大切な時ほど頭を使わないように揺さぶりをかけるのが「古式日本流の占い」・・・だから「偶然」が入り込む余地ばかりです。
上原先生の師匠である折口先生が「らいふいんできす」(生命の指標)と呼んだものも、理屈を超えて(思考や知識や常識をこえて)という境地(世界)に誘ってくれるもの。
でもそれは盲目的に従うというのとはちょっと違うかなとも思っています。
自分の無意識世界にあるものとの「共振・共鳴」・・・それをまさに「感じて」動いていく。
ちなみに「運」の実感が「坊主めくり」・・・・もっとも時として威力がありすぎた体験なので、小学生を必要以上に落ち込ませてしまうこともあり、(特にコバルト君の2年生のクラス)その後はやる時前に「つく」ということについて慎重に前置きするようにしましたが。
ついていても調子に乗ったら神様はすぐに離れる
ついていなくても、精一杯尽くす生き様をしていると、そちらの方が神様は喜ぶ
(犠牲論的には)見込みがあるという人間ほど、神様は敢えて味方をしないで、自力で乗り越えることを期待する
というようなことを「宗教教育」と思われてしまわないような言い方で・・・・

2019.04.12 金曜日
00:11虚空
今、駿煌会ツイッター記事にも書いたのですが、10日に発表されたブラックホール画像が撮影されるまでのドキュメントを描いたNHK番組が上原先生の命日である11日にさっそくBSで放送されていたというのは、単に天文学の問題以上に何かありそうな予感があります。
体調は今一つなのですが、夕方から休憩をとりつつ、以前録画しておいた宇宙関連番組での「ダークエネルギー」と「ダークマター」に関する物を少しずつ観直しています。まだ途中ですが、両者は相反するようなものなのですが、それが見えない世界の中に、あるいは究極の真空の中にある、由来する・・・そうしたことも、やっぱり大きな秘密が隠れていそう。
ニュートンなどもそうだったようですが、現代以上に、そういった天文とか物理とかの真理の探究は神や精神世界の真実とリンクしているという発想・・・・それが何故か結び付けて考えるのは非科学的とされるようになったわけですが・・・そういった発想を、日本人がもともと抱いていた構えで再起動できれば、忘れられた大切なものがいろいろ見えてきそう・・・・
そんな予感を得られた、今年の上原先生の命日です。


08:18虚空
 2番目の動画も観ました。

守り
うちのオヤジが「得意な教科の先生にはなるな」と言っていたことなんて、そういうことだったんでしょうね。変に自負心・・・自分は分かっている・・・と思っていると、崩れるのを恐れてしまうから余計に守りに入る。
主体性と客体性
主体性というのはもちろん大事なことだけど、それは同時に相手の主体性も認め合ってのこと。これが今の世の中は「自分」「自分」「自分」・・・・。でもそんな自分なんていうのは、表層に現れた影にすぎない。それこそよく紹介する上原・藤岡先生の「無意識からいくらでも出てくる」というようなもの。だからこそ今の表面を常に捨てて、自分を大きな器にしていく心がけが大事なんだろうと。
自然
自然というのを単に「ありのまま」と捉えて何もしなくていいんだ、という人が時々いますが、あれって「自ずから然り」ということをしっかりと考えてみると、そうではないように思います。

自他ともにのことをしっかりと踏まえながら創意工夫したまっとうな生き方をしていれば、一番ふさわしい結果にたどりついていく・・・仮にそれが人間の常識からするとマイナスのようなことであっても、人知を超えた観点ではやっぱりそれが一番いい結果というような。
「なるようにしかならない」⇒「なるようになる」という感じかな?
 小学校高学年からの教科担任制導入議論が本格化だそうですが、それも「教師は教えなければならない」という大前提だからなんでしょうね。小学校の免許を持っていても、全教科が得意な人はそうそういない・・・きちんと教えられない・・・だからそれぞれの得意教科を教えるシステムにしよう・・・と。

でもやっぱい小学生の段階で一番大事なのは「丸ごと全体」を見守ってくれて寄り添ってくれる人間の存在。
稚児に付き添う「庇護者」。
上原先生が
小学校の先生のことをかつては「訓導」と呼んでいた。それが「教師」なんていう呼び方になったからおかしくなった
という趣旨の発言をされたことがあるのですが、そういったことも思い出しました。
(導く、といっても私の解釈では 共に寄り添って進む という感覚での導くですがね。無理やり引っ張っていくというのではなくて)

だからこそ、小学校の先生ほど、専門教科が詳しい、云々よりも、「人間そのもの」「世界の内的関連をどう感じ取っていくか(共鳴しあっていけるか)」という生活を日々送っていることが不可欠なんだと思います。

*ちなみに「内的関連」というキーワードは私が卒論でテーマにした幼稚園の創始者「フレーベル」が盛んに強調していた言葉です。
そうしたことを見抜き、感じ取っていく能力が「類化性能」ということ。
その土台がどう育っているのかを見極めて見守っていく段階に関わるのだから、やっぱり小学校の先生は全教科領域に渡って一人一人の子どもをみていくことが最優先。
そうした力が自然に獲得できていれば、中学校以降に教科担任にガンガン鍛えてもらっても、単なる知識バカにはならないで、ちゃんと自分の力で総合的に世の中を結び付けて面白がって生きられるようになると思います。
(無論、中学生以降の先生にだって、そうした他の教科の授業の時にはそれぞれの生徒がどうなのかという観点学級担任の発想は大事。
自分が家庭教師として特定の教科を定めないでやってきたというのは、学級担任の発想を中高生以上に持ち込んだということです)
そもそも教科担任導入の本格化のきっかけの一つは小学校での「英語」の導入らしいですが、英語教育の本格導入という前提がそもそもおかしいのですから、話になりません。


09:39コバルト
専門性の否定が重要なキーワードだと感じます。
ある程度極めた所で、あえてそれを手放す。
宮本武蔵なら剣を(桜井章一なら麻雀を)(静かなるドンみたいに暴力団なら暴力を)、塾生は剣を習いに来ているのに、全く剣を握らせてくれないから、内心「早くこんな無駄な事はいいから剣を握らせて必殺技を教えてくれ」とどうしても先走ってしまいがちです。
だけど関係なさそうだった修練が実は重要な過程だったとかよくあること。
体が出来ているから自然に技が出る、逆にいうと頭や思考が出来ているから問題がすんなりと解けていく感じでしょうか。
そもそもそういう土台作りが出来るような人間はけっこう極端な人達が多いですからね。
普通に教師をやっている人からみたら目の上のタンコブですよ。
構造が守・破・離になっていましたね。


13:53 虚空
いろいろな話題から展開していっても、やはりそこに行きつく・・・
ならば、もういろいろな角度からの考察がいらないのかと言ったらそうではないというのが大事なのに、今は変に合理化の名のもとに肝腎なことをバッサリと切り落としてしまう。
同じ真理にたどりついたとしても、実際の生活を通して「感じる」「模索する」ということがなかったら、それは「知識」「思考」レベルに陥ってしまうということなんでしょうね。
いろいろと考えてみて・・・「やっぱり~になっていく」というらせん構造のような生き方ということかな????

だから「麻雀」の話題から一旦離れて、様々なことがらに結び付けて考察し、感じ・・・その繰り返しの中で捨てたり得たりを繰り返す・・・まさにそうしたやりとりが展開されているという点で、やっぱりここでのやりとりは長すぎて読みにくくなってしまっても、できるだけそのまま残しておきたいんです。



15:08コバルト
 https://youtu.be/tF0VgknYDbw
無ってすごいこと。
答えは「不思議」。
麻雀の流れのテーマなのに、結局最後まで麻雀をやらずに終わった。


17:02 虚空
ちょっと今、片頭痛がまた起き始めているので動画のほんの出だしの部分しか観る事ができないかったのですが・・・この人が言っている「流れ」って「循環」とかだけではなくて「波動」のようなものもすべて含めての事で言っているのかな???・
(インタビューしている側の男性が一所懸命に桜井さんの話に合わせようと努力しているのは分かりますが、実際には「麻雀」にとらわれた現実思考でとまっているので結構ちぐはぐになりますね・・・もっともそうだから一般人目線になれていてのやりとりになっているんだろうけどね。同じような境地の人同士の語り合いだったら、雲の上のようなやりとりになってしまうんでしょうね)
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