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☆令和を迎えてのラインやりとり 「令和の課題」

令和になってからの駿煌会ラインやりとりです。

「昭和⇒平成⇒令和」という流れの中で「受け継ぎ発展させていくもの」「負の遺産として断ち切るべき課題」というようなやりとりが中心です。

その中で松下幸之助氏の言葉も紹介しています。

また補足として虚空が別のサイトに掲載した文章も転載しています。
先のブログ記事(http://syunkoukai.edoblog.net/Entry/309/)でも紹介しましたが、平成最後の日の朝に「火葬場」の夢を見た虚空・・・令和になってどのような転換が起きるのかということへの予感がいっぱいのスタートです。

2019,05,01 水曜日
00:25 虚空
夕方6時35分頃から始まった諷虹君宅での平成のしめくくりとしての家庭教師授業・・・11時35分くらいに終了し、先ほど帰宅しました。
かなりの密度の内容で・・・とても「偶然」とは言えないことも重なって・・・まさに「平成」から「令和」にふさわしい5時間でした。

これからすぐに寝て、明るくなってからブログアップしたいと思っています。
http://syunkoukai.edoblog.net/Entry/310/ ~ 313

*虚空が別のサイトに書いた記事の転載
(令和元年5月1日 午前0時半頃)
令和元年の幕開けです。私は諷虹君宅から帰宅する途中の車の中で新時代を迎えました。実はこの授業は予定されていなくて、30日の午前中に受信したメールで先週キャンセルになったのを突然だけど出来ないか、ということで急遽決まったものでした。夕方6時半頃、到着したのですが、間もなく彼のもとに宅配便が・・・。ちょうど注文していたある漫画の画集が届いたと。(私もよく知っている作品です)
その漫画のタイトルが「棺担ぎのクロ」・・・・未明に火葬場の夢をみていただけにかなりドキッとしましたね。もうこれは偶然ではなく必然、という感覚。そこからかなり密度のあるやりとりが11時35分頃まで続きました。まさに「平成」から「令和」へのバトンタッチにふさわしい、平成最後の授業でした。
ちなみに新時代最初の家庭教師の授業は今度の金曜日・・・やっぱり諷虹君宅の予定です。

09:18 虚空
先ほど地元の神社に令和の初詣しました。
普段は無人で社の扉はしめられているのですが、今朝は開けられていました。

*虚空が別のサイトに書いた記事の転載
先ほど地元の神社に行ってきました。それまでどんよりと曇っていたのですが、玄関を出て歩き始めると、ちょっと薄日がさしてきました。(すぐにまた雲が厚くかかってしまいましたが)
令和の初詣ということで。いつもは無人で社の扉も閉められているのですが、今朝は開けられていました。

今朝の情報番組などではカウントダウンのお祭り騒ぎが紹介されていましたね。これは天皇陛下が在位中に交替ということならではの祝福ムードなんでしょうね。
平成の時にはまず昭和天皇崩御のニュースが午前中にかけめぐり、午後には新元号が発表という流れ。何だかよく分からないままに午前0時を迎えてわけです。
しかも昭和天皇の容態が悪化した前年の秋以降、列島には「自粛ムード」というのがありましたから・・・。昭和天皇が崩御されてまだ丸一日もたっていない時間での元号切り替わりでは、とても今回のようなお祭りムードというわけにはいかない状態で平成を迎えたわけです。

大勢の若者達も令和コールで盛り上がっているのはいいのですが・・・インタビューに答える中には「俺が令和で一番の幸せになってやる!」と叫んでいた青年がいて・・・ちょっとため息をついてしまいました。それでも少し後に答えていた若い女性は「みんなが幸せになる時代になってほしい」というようなコメント。神様がどちらの方につくのかは明らかでしすよね。

さて、月初め恒例の万葉集占い・・・令和始めでもあるわけですが・・・巡り合った和歌は・・・

我が背子に 恋ふれば苦し 暇あらば 拾ひて行かむ 恋忘れ貝 (964番)

口語訳)あの人に恋すると苦しい 暇があったら拾っていこう 恋忘れ貝を 

ちょうどゆうべの諷虹君とのやりとりでも音的には「令和」が「零和」とか「霊和」とかの意味合いもあるのではないか、ということを話していました。

目に見える世界での成果とか比べっこなどで人間が大切なものを見失った側面もあった平成。「零からのスタート」だからこそ無限の可能性を生みだすというような事をインフレ―ション宇宙論から考えたり、見えない世界にこそ本体があるという日本古来の発想と「ダークエネルギー」「ダークマター」という宇宙論との関連についても考えました。

日本人が古来から大事にしていた「最も大切な物」「自分をささえてくれたもの」「自分を包み込んでくれていた地位や名誉のような外価値」そういうものを一切投げ捨てて、目などを洗い清めたときに新たなる三神が生まれた・・・というのが禊の場面の大事なポイント。ゆうべの話でいえば「令和」とは、みんながしがみついている情報とかネットとか成果とか、そういった物事から一度本気で解放されて「零」の状態からのスタートしなおすことが問われる時代なのかな、と。。

そういう観点からすると、この和歌も過去や現代の自分のこだわりを忘れてしまおう、という意味合いが感じられます。




12:57 コバルト
http://news.livedoor.com/lite/article_detail/16398094/
「働いたら負けかなと…」ニートの名言が平成の現実にぴったりに


15:01 虚空
読んでみてちょっと複雑な心境になりました。
自分が生まれた時期は高度経済成長がピークになっていった頃。
それこそ戦後復興を通り越して家電や車が世界のトップになっていく時代。
そして次には半導体産業でも・・・・
それだけの復興をするには、言葉では言い尽くされないほどの努力を戦争で生き残った社会人たちががむしゃらに働いたから。
そしてそれは彼らの生活を豊かにしたというだけではなく、その後の・・・平成でみなんなが自由というよりは自分勝手なことをあれだけやる風潮になっても・・・また働かなくても生活していけるような、社会の土台を作ってくれたともいえるわけです。

それはやはり戦争の反省もあったでしょう。
自分達の子孫には、もう絶対あんな戦争のような体験はしてほしくない・・・自分達が味わえなかったような豊かな暮らしをしてほしい・・・そんな願いで会社や世の中のために働き続けた・・・という側面もあると思います。
同じ会社のために働け、といっても平成のブラック企業とかとの大きな違いがある、というのも見逃せない点です。
多くの昭和の企業は、きちんと生活や老後も保証するというのを担保にしていた部分があります。
でも今は、単なる道具・部品としてしか社員を扱わない場合がうんと多い。
それは例えば今の私がさんざん都合よくこき使われても、体を壊してあの人物の要求通りに動けなくなったら使い捨てカイロのようにポイ捨て、という感覚と似ています。
自分だけの利害のために他人を利用するという感覚だけでこき使う今の少なからぬ企業の姿勢では、働いたら負け云々というのももっともらしく聞こえますが、本当はさらにその背後にある「はたらく」っていうことの本質を問い直さなければならないと率直に思いますね。
本当に人間にとって「はたらく」というjことがどういう意味をもっていたのか・・・それが本来の姿になればなるほど、逆に働いたら負けという発想にはなり得ないと率直に思いました。
15:26 コバルト
http://news.livedoor.com/lite/article_detail/16395011/
「何かに躓き貧困に苦しむ東京の女性 いずれは中年男性にシフト?」
これまで当たり前になっていた、与えられた選択肢(学校の進路相談、ハローワークで仕事を選ぶ)ではないんですね。
主体性のない面接者なんて会社からしても、ブレブレ過ぎてとてもじゃないけど重要な要職を与えることが出来ない、ただのそこそこ替えのきく人材部品としか使えないんですね。
極端に言うと現状にあるレールの上では蟻地獄か蜘蛛の巣しかないと思います。
重要なのは今までの自身との「関連性」をどれだけ意識してこれたかがモノを言うと思うんですね。
関連性という部分で「ちはやふる」というマンガのシーンで主人公が競技かるた部がない中学だったのですが、仕方なく陸上部の短距離走をやっていても、ヨーイドン!は競技かるたと一緒なので、例え陸上をやっていても競技かるたの世界が中心だった。と言う部分に共鳴を感じました。
やっと高校から就職活動、仕事を意識し始めるのは遅すぎるんです。関連性を見出せないまま、モヤモヤしたまま働いても、その大切な仕事の意義を見失ってしまんです。
会社でもそうです、入札制度というもので、条件に一番近い会社が仕事を請け負うのですから、もはや誰でもいいわけです。
そんな人間関係を取っ払った仕事になんて、やり甲斐なんて湧きませんよ。
またCMを流したり、広告サイトに掲載、ビラを配って宣伝なんて薄っぺらい事をしても、結局は消費者から見ても必要としなければ使い捨て感覚でしかないんですから。重要な存在ではないんです。用がすめば、それっきりです。
ZOZOTOWNなんてその象徴。メッキがボロボロ剥がれてる。
20:20 虚空
昭和を美化するわけではないですが、企業でも政治家でも「循環」の意識が相当薄れていると思います。
例えば野菜であれば、上手く循環すれば消費者も生産者も販売店も誰もが笑顔になれる。
でもヘタすると今は、販売店が生産者にとんでもなく安い値段で仕入れさせ、自分の懐ばかりが潤うようにしてしまう。
政治でもね・・・
税金が適正に使われない仕組みがガチッとできていて、それを誰も変えようとしない。
ヘタをすると命を狙われるでしょうからね・・・自分や家族の。
災害復興や高齢者対策の予算はないないといいながら、オリンピックなどがからむとどこからお金が湧いてきたのといわんばかりに湯水のように投入される。誘致段階から。
もちろん私腹を肥やす者は昔からいたけれど、今よりは「偉大な馬鹿」と呼べるような商人や政治家がいたと思います。
マア、そんなことを嘆いてばかりいてもしょうがない。誰かが負の連鎖を断ち切ってくれるのを待っていても仕方ない。
やれるところを微力でもやるしかない。
教育界に関してもそんな風には思っています。
どんなに微力でも、少なくとも自分が関わっている子や、駿煌会のサイトをみてくれているような人からほんのわずかでも何かできたら・・・全くやらなければ何も起きようがないけど・・・それこそバタフライエフェクトのように思いがけない何かにいつかつながるかもしれないというかすかな望みを抱きつつ・・・
かろうじて動ける部分でブログ投稿などあがいています。
加速度的に衰えているし、ネット接続だっていつまでできるか分からない・・・
無理してでも、今やっておかなければすごい後悔をしそうだから・・・・(苦笑)
15:55 虚空
先日録画しておいたミニ番組を観たら、コバルトブルー君とやりとりしたことと深く関係ある・・・というか、様々な「平成⇒令和」の課題を考えるヒントになりそうだったので、テープ起こししてみました。
あの人に会いたい NHK 映像ファイル #50 松下幸之助
字幕
松下電器創業者(現パナソニック) 松下幸之助 平成元年 94歳 没)
対談 1976年(昭和51年) 81歳の時の映像 聞き手 鈴木健二
司会 一番松下さんにお目にかかって聞きたいなと思ったことは「統率力」ということですが
松下 まあその統率力というのは事業をする上において非常に大事なものでね、自分で会得しないとしょうがないな。こうすればいい、ああすればいいというのはね、聞いて参考にするのはよろしいけどね、本当にそれを身に着けるのはね、自分で体験して悟らなしょうがないですわな。
山岡荘八さんの徳川家康っていうのが流行ったんですよ。もう十何年も前。みんな読んでるんですよ、大阪の商人は。
そんでね「君、読んだか?」「いや僕、読めへん」「読んだらおもしろいぞ」と・・・。
おもしろかったら読むけど、僕は参考にはならんと思った。ワシ、家康とは違うから。家康やったらできるかどもね。家康でない僕が家康のことしたら失敗する。あなたはあなたの生き方、わたしは私の生き方というものがおのずとあっていいわけです。
それに同化するというのは危ないですな。自分というのをしっかりにぎっていないと。自分はこうだと。
しかし、こういうことも参考に頭に入れておこうと
そうするとそれがね、なんか自分のもんになるわけですな。そして自分のものして出すと。
司会 例えば部下の方が失敗したらどうしましょう。怒りましたか?
松下 失敗の内容によります。部下は非常に失敗します。そうするとね僕は怒らなかったね。どっちかというと慰めだったわけですよ。
そう心配するな、と。ただ、もういっぺんしっかりとね、やればいいと。そうすれば成功するかもしれないから、マアしっかりやってくれ、と。決して叱らなかったですよ。
それは本人は失敗したことを苦に病んでるんですよ。それを叱ったらやる気がなくなってしまうでしょ。
その時は力をつけてやらなきゃいかんでしょ。
「君、心配しなくてええ。それで会社つぶれへん」と。だいたいそういう調子です。
じゃあ社員を叱らなかったかというとね、小さな失敗ではよく叱ったもんですよ。こんなのも分からんのかと叱ったりもしますけどな、しかしね、大きな失敗をしたらむしろこっちがそれを引き受けないといかんですよ。
社長に心配をかけずにやろうということはよく言いますけどね、社長にしてみれば一番の心配は社長がせにゃかんのですよ。それが仕事なんでねすわ。社長が心配するのが嫌やったら社長を辞めたらええ。どんどん心配になってくる。うるさいことみんな起こってくると。
これが社長の生きがいだ、これがこうであればこそ、自分が社長をしている意義があるんだ・・・というようにならないと苦労が増えますな。
ナレ 松下は分け隔てなく社員と付き合い、社内をまとめることに心をくだきました。日本でいち早く週休二日制を取り入れ、日本人の勤労意識に大きな影響を与えました。
松下 私はね、小さい個人経営の10人や20人の時からね、個人経営ですわな・・・でも店の会計と奥の会計はぴちっとやったよ。毎月決算して、みんなを呼んで「今月はこれだけもうかった」と。「どうもありがとう」と。
そりゃそれをみんなにあげるわけはないんだけど・・・自分の懐に入るけど・・・でもみんな喜んでくれはりますもん。
そういうものはね、やっぱりね、無形の報酬ですな。精神的報酬ですな。
そういうのを分配せにゃあかんのです。喜びを分配するわけですな。
司会 企業で一番大切なんことは生き残るというのは一番大切ですよね。
その生き残ることの基本は何かというと一つは「儲かる、儲ける」ということですね。それともう一つは人間関係がいいと。
松下 けどね、もうけと言うのが先に立つと、やっぱりね、ことが汚くなりますよ
司会 ああ、そうですか。
松下 だからね、もうけは一番あとの精算ですな。だから奉仕を一番先にもってこなきゃあかんですよ。
で、結果がもうかると・・・そういうことですな。
政治かやったら「先憂後楽(せんゆうこうらく)」ですわな。商売人でもやっぱそれですわ。
先憂後楽ということは何にでも通用しますわな。その志のない者は上には立てまへんな。
ナレ 昭和50年代。松下は「これからの日本はもっと混迷するだろう」と予測しました。
昭和54年。私財70億円を投じて松下政経塾を設立。将来の日本のために新しい考え方で社会を動かす人材を育てたいと思ったのです。
また、研究や文化活動へも松下は惜しみなく援助を行いました。
松下 今まではね、泡沫(うたかた)の繁栄だったわけですわな。だいたい戦後30年というものはね、高度成長にね、経済が発展してきましたわな。復興といいますかね。それは外国の援助というものでね、やったわけですわな。
だからね、日本のね国民の自力によって戦後の復興をしたんやないんですわね。
僕が考えるにね、3年も4年も戦争をして負けたと。普通、昔であればね、民族が奴隷になったり、あるいは非常にね苦しみを味わいますわな。
ところが戦争に負けたその日からね、救済されているでしょ。早くいえば。
「技術もあげましょう」と。「食べ物をひとつ援助しましょう」と。「政治の方も教えましょう」と。
そういう結構な負け方というのはね、ないですよ。
そこにそもそも甘えがあったわけですな。その甘えがつもりつもってね、今日(こんにち)そのツケ払いをせにゃかくあんったわけですな。
物資は豊かだが、精神的には貧困であると。戦後30年にしてね、ようやく日本はね、精神的な敗北をしたんですな。
日本のね持てる精神ですな・・・日本人の古来のね・・・そういう良いものがあるとするならね、ここらでね、精神復興せにゃいかんのですよ。

精神復興、即それは本当の日本の復興でんな。

2019.05.03 金曜日
13:10 コバルト
現代の日本人は短絡的になってしまっているんですよ。
いつの間にか悪魔に魂を簡単に売ってしまっている、そして良き理解者の仮面の内側を知った時は、時すでに遅し‥
絵図を書かれた事に、見事にハマってしまっているんですよ。
それも国民全体レベルで。
正しいと思っていることなんて、時代と場所が変わればいくらでもコロコロ変わってしまうんですから。

オレオレ詐欺で沢山の人を騙せば、そのグループの中では英雄扱い。
戦争で人を殺せば英雄になる。
こういった事なんて自分の国が戦争に勝った場合と変わりないんですよ。
結局は誰かを泣かせているのですから。

松下幸之助の勝ち(価値)は、やはり泣く者がいない所じゃないでしょう。
これは桜井章一でいう「あたたかさは万能なり」という所になると思います。


13:38 虚空
昨日、ある番組をみてしみじみ思ったんですが・・・やっぱり皆さんが生まれ育ったような地域で人生を積み重ねてきたような若い人達にこれからの時代を担ってほしいという気持ちです。
昭和生まれの昭和育ちでなくても、そうした頃のいい部分を実体験できているから。


もちろん日本の地域社会には、今でもよく「田舎暮らしにあこがれて住んでみたらとんでもない目にあった」と話題になるようなことは多々あるでしょう。地域の慣例に理屈抜きで従わなければいけない・・・都会から来た人にすれば首をかしげたくなるような慣習も。
でもだからといって都会の基準だけで古い因習と決めつけるのは早合点だと思っています。

「人は先に 自分はあとに」という校訓が、少なくとも私が居た頃までは本気で実践されていたし、PTAの方々にもそうした気持ちでの学校に対する多大なバックアップ。子どもが通っていない世帯の方々まであんなにも、というのは、本当に驚いたものです。
そりゃこの点に関しても、通っている子供もいないのに・・・いたとしても・・・休日などのたびにPTAや地域活動の動員を求められるのは大変な負担だったと思います。

でもそういう中で「地域の子ども達だから」ということでという「地域の教育力」・・・これは他人をみたら敵と思え・・・知らない人は犯罪者、という社会の中で成長してきた若者達や現在成長中の子ども達には、残念ながら想像もつかない世界です。(もちろんそれだけの危険な社会になっているからやむを得ないのですが)

校則の問題にしても、企業の勤務体制にしても、都会だけでそれがあたり前に育ってきてしまった人間には、やはりそれを変えるパワーはないでしょうね・・・そういうものだと諦めきっている人間にとって「憧れ」すらも起きないから。

だからこそ皆さんに本気で期待です・・・変なプレッシャーは感じなくていいですが・・・今まで通りの「普通」が大事!!!
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