忍者ブログ

☆共振・共鳴からみた「語彙」の意義① 児言態K先生との語り合いから

こうしたラインのやりとりがなされている途中(19日昼間)、児言態K先生との語り合いがはいりました。
そこで出てきた「共振・共鳴」という観点からみた「語彙の意義」等々が入り乱れて「百谷の王」からはじまったラインやりとりがさらに複雑になっていきました。
::::::::::::::::::::
☆19日 児言態 K先生を交えてのやりとり記録 抜粋
高学年以降に対して人間の 思考・感情・イメージ運動・精神構造 等々に関する 用語を学習させる意義についての考察がありました。
K先生 僕が言葉にすることをずっとこだわっていたでしょ。イメージ世界の言葉で言っていいようなことを子ども達の発言の中で既にある。僕はそれを言葉にすることにこだわりすぎるくらいこだわってんだよね、授業の中でね。
虚空 数学的な感覚でいうと、それなんだよね。
諷虹 「定義づけ
虚空 先に概念があって、もう概念が育っていたら「君らが言っているのは数学でいうとこの概念なんだよ」って言う風に言葉を・・・
K先生 今「定義」って言ったでしょ。それなの。それを上原先生に僕は言われたと思っているの。
虚空 そうすると、その言葉っていうのは「縛り」じゃなくて「ライフインデキス」になる・・・低学年だったらね、何もそこまで言葉にする必要はないかもしれないけど、でもあの段階の子たちだったら・・・
K先生 あの5年6年の子ども達だから・・・。
そういう言い方ではないけど、上原先生に何の授業だかで言われたんだよ。「大人はそれをこういうんだよ。こういう言葉で大人は呼ぶんだよ」って。「そういう風な言い方をしてやればいいんだ」って。5年6年だから「大人は」っていう言い方はしなかったんだけども。「これは共振だんだ。今日はそういうことを考えていたんだ」っていう言い方をしたんだけれども。
諷虹 変な話なんですけど、中2・・・だいたい14歳くらいなんですけど、そういう難しい言葉だとか、自分の知っている中でも難しい言葉を敢えて使うというような時期の時に、そういう一回自分で言葉にした概念であれば使いやすくなって・・・実感が伴ってというか・・・
(補足 ネット用語でいう 中二病)
虚空 むしろそういう難しい言葉を取り込みたいというかね。もう中学年の頃から気どって漢語を使いだすとか・・・だからそういう気持ちにどんどん乗っけてあげる。
諷虹 語彙の獲得
虚空 だから実際に駿煌会のやりとりでもそれぞれの関心で・・・特にコバルト君なんかはサイトからいろんなことをもってきてみんなに投げかけるじゃない。
コバルト その定義づけなんですよね。
K先生 単に資料をとるだけだったら、それでもいいのかもしれないけど・・・「なんていう言葉であなたはこれをつかまえるの?」って問い詰めなくてもいいのかも分からないけど。でもそれを僕はやってきたんだよね。
虚空 これっていうのは「こういう言葉に集約されるのか」っていうことが自覚されるから「通性」が子供たちにも見えてきて、「子供ら同士のやりとり」がふくらむ、っていうのかな・・・。
駿煌会がまさにそうだよね。全然違う話題がポンって放り込まれることばっかりだけど、「ああ、それってこれでつながるのか」ってみんなが同じ土俵に乗れる。
(補足 「類化性能」を発揮するためのカギの一つ。この概念が抽象的であればあるほど、普遍性を持つ。上原先生が「漢語」にこだわったのも「和語には感情やイメージがべったりとくっついてしまっているから」という趣旨の発言。さらにそれを進めると「記号化」「図式化」「様式化」という日本の様式文化となっていくし、それが高校生までの段階で「数学」を学ぶ本当の意義・・・参考 「数学ガール」数学は異なる世界を結び付けるかけはしになる。
コバルト こっちも当てずっぽではなくて「これをぶつければ化学反応があるんじゃないか」って仮定があって、ぶつけるわけですから。
虚空 それを意図して違う話題をいつもぶつけてくるものね。
コバルト それが外れたら外れたで別にね
虚空 それがやっぱりね、聖徳のっていうんじゃなくて、高学年の子とか中学生・高校生の子には必要なんだろうな、って。
コバルト 一昨日あたりのラインもすごかったですよね。
虚空 ヱヴァンゲリヲンね。でもさ、あれも「通性」みたいなのがなかったら「好き勝手にバラバラにしゃべるだけ」になってしまって「共鳴」は起きないじゃない。
やっぱりね、「宇宙と響き合う」っていうことと「クラスの仲間と深い部分で響き合う」という事が、同じ事になるんだということの自覚が必要・・・それを別の言葉で「添加」って・・・他の人の言葉を自分の意識世界の集合にどんどん取り込んでいく。

そういう意味では「教師対子ども」じゃなくて、「子ども同士で」という形で公開授業でも出たじゃないですか。誰かがAIなんて言い出したらそれに対してポーンと反応して。ああいう連鎖反応。
それが一問一答式のように教師対子どもだったらあんな風にふくらんではいかないじゃないですか。

でもそういう「共鳴しあう」・・・「共鳴しあっていったら本当に宇宙とつながり得るんだ」っていう形にね・・・予感としてはっきりと出てきたから、だから子ども達も「このまんま続けたかった」とか「夜まで続けてもいい」とかね。あんな非情に興奮した状態で授業後に隣の部屋にいた。
駿煌会メンバーにしたってそうだったよね、昼食をとっているとき。一緒に授業を受けて発言したかった、って。
コバルト あそこでぶつけてみたかったんですよね。
虚空 化学反応の中に自分達もまじりたかったわけでしょ。そういう空気が確実にあの時には出来ていたというのがね。
事前にあれだけ知的な要素が強い作文を書いていた子ども達でもその気になればスッと変われるんだよ・・・もう「文系」も「理系」もない・・・それがやっぱり「人間の行きつく先」・・・児童後の見通しとしてね。

でも今の学校教育では、特に中学校や高校では「理系・文系」って「統合」ではなくて「分ける方向」にばっかり行っているということに危機感をもっているし、それじゃそもそも面白くないだろう、って。
:::::::::::::::::::::::::
20:19 ヒマワリ
昨日のコバルト邸授業は「光の三原色現象」が起こりまくって、自分の中に風がスーッと通った感すごいあった。

(補足)
絵具などの三原色と違って、光の三原色は混ぜていくと白色になっていく・・・という事からの発想で、現実思考・物質中心思考を目に見える世界での絵の具の三原色に置き換えると、「様々な事柄を受け入れれば受け入れるほど 濁ってくる」だから異なるものは排除 という現代風の発想になってしまう。
それにしたして心などの波動だけで成り立っている精神世界を光の世界と置き換えれば、異なるものを取り込んで重ね合わせていけばいくほど「白」(ピュアなもの、純粋なもの)に近づいていく  というように考えられる。
古来の日本人は後者の発想が大前提。同様に上原先生や駿煌会等々も、これが大前提。
でも絵の具の三原色のような発想が「常識」となっている現代の風潮からみると、全くわけのわからない主張にしかみられないだろう・・・というようなやりとりが19日夜にコバルト邸でありました。
K先生茨城町上陸に始まり、同じく「定義」って言葉は私もハッとしたとこある。
んでその定義ってゆう言葉のニュアンスはさ、座標みたいな捉え方でいいんかな?
座標とはまた違う?
20:20 虚空
数学的に言えば「座標を確定させる」ということになるのかな????
諷虹君の見解は如何でしょうね?
もう少し丁寧にいうと「自分としての座標軸を確定させる」+「座標軸の数を増やす」・・・かな?
数学的な意味での「座標軸」というのとはちょっと違ってくると思いますが
PR