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☆孔子のお言葉 (論語陽貨八)② 本物の勉強・学問する姿勢、「いただきます」の心

紹介されていた孔子様の言葉を通してのラインやりとりです。
平成の初期の頃は「興味関心を育て、自ら学ぶ姿勢を」「生きた学力」という事が文部科学省からの通達でも盛んにあり、教師主導ではなく、子ども達が主体の教育、という姿勢を教師にも常に求められていました。
そして例えば指導案の記述の仕方でも「~させる」という指示的な文言ではなく「~しようとするように支援する」というような文言にするように求められました。
それが学力テストなどの得点結果が一人歩きを始めて、都道府県や学校やクラスごとに比較・競争させるような風潮によって、教師主導で有無を言わさずに叩き込む・・・中身が分からなくてもいいから、とにかく答案を埋められれるように訓練する・・・ということが教師や学校の評価基準となってしまいました。平均点が他より低いと、議会などで教育長が首長や議員から追求され、その教育長が校長を追求し、その校長が教師を追求する、という連鎖です。そこにまたかなり身勝手な意見も含めて、公教育にそぐわないような圧力が保護者から学校にもくる。
そんな状況の中で教育がかなりゆがめられたのが平成という時代だったのではないでしょうか?
ラインやりとりの最後には「いただきます」に関する世間の意識変化についてもありましたが、これも「権利」ばかりを主張して「感謝の心」を忘れている・・・結果として互いにつぶし合うような世の中になった一つの表われだと思います。


2019.04.25 木曜日
08:31 コバルト
ユニゾン(「1つの音」の意味。2つ以上の音が同時に重なった場合をいう。)というのも、シンクロ率が肝ですですし、前にも出した量子論の電子機器よりも寸分の狂いのない情報伝達(繋がっているからもはや情報共有?)みたいなもの。
そしてその性質もパッと変わってしまうのも面白い所。
孔子の語る学の立ち位置は積み上げる事ではなくて、あえて崩す事になっているんじゃないですか?
学びは守破離にあるってことか。


12:49ヒマワリ
どうして勉強しなくちゃならないの?って聞かれたら、こうゆうことだよって言えるね


13:17 虚空
 孔子の一つ一つの言葉をじっくりと読んでいくと、やはり大事なポイントを射抜いていますよね。
だから「丸暗記」だけのテスト対策勉強なんていうのは「学問」とはならない・・・・「学び問う」の部分の「問う」がないから。
諷虹君とのやりとりの時に世界的な宇宙物理学者である村山斉さんの言葉も踏まえながらだったのですが・・・・ブログアップの記事には前後の部分も含めてまた改めて載せますが・・・こんな言葉があります。
(手前味噌ですが、自分もこうしたスタンスでやっていました。
逆に法則化なんかの先生にこのような態度をとったら大変・・・・実際にうちのクラスのあと、そんな先生に担任された連中は激しい迫害の日々でしたから)

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村山
自分の学生でも基本的に盾ついてくる学生の方が私は好きですね。例えば 「こういう問題やったら?」って言ったら「そんな簡単なこと やらないよ」って蹴飛ばす学生もいました。それから 「こうなんじゃないの?」って言ったら「それ 絶対違う!」って反論してくる学生もいました。
そういう学生の方が一緒にやっててはるかに楽しいです。

13:44 コバルト
「学」が手紙(メッセージ)で「問」が手紙を読んだこと。
問いがないということは、読まれていない手紙と一緒のモノ。
フォルダーに溜まりまくった未読のメールと一緒ですね。


14:10虚空
世の中には「知っている」というだけで自分がその知識の発信源であるかのような錯覚をする人がいますからね。
孔子様もいっているようなことからすれば、学歴や地位をひけらかす人(エリート意識の塊)・・・ましてやそれで特権意識をもって他人を見下すような評価をし、決めつけ・・・あるいは平気で踏み台にし・・・人間としての道をはずしまくっているのに、最も自分こそが偉い人間だと思っているのは始末が悪いものです。
東大の祝辞などは、男女差別のことを訴えているようで、実は「そういった歪んだエリート意識を持つな」と新入生にくぎを刺しているとも言えるかもね。(露骨に言ったら学生は頭からエリート意識のプライドを傷つけられてくくみみを持たないでしょうから。磐城高校出身ということをふりかざさないと威張れない私のいとこと同じで)


15:40ヒマワリ
私のママが学生のときバスケ仲間の子の結婚式か何かのときに、監督が「この子は偉くはないけど、賢い子です」って言った言葉がずっと印象的で残ってるの。と、ママが言っていたのを私も心に刻まれた。
なんかそうゆう感覚と似てるなって思った!
偉そうにしたりしない、福沢諭吉の言葉だっけ?学問のすゝめのあの?、人は人の上にも下にも人を作んないみたいな話。
実るほど頭を垂れる稲穂かな、みたいな感じで、上に行けば行くほど、謙虚になるってゆう人ステキだよね。


18:36 虚空
やっぱり大事なのは純粋な知的好奇心。
謙虚さがない人というのは「自分を偉くみせる為の道具」としてしか学問内容をみていない。
だから探求などもしないで、より上の人の権威だけを頂いて、周囲にひけらかす。賢い人間にもなっていないのにね。
学問として純粋に探求している人は、学問内容が人知を超えた壮大なものだという実感があるから、「分かったつもりになどならない」で自然に謙虚になってしまうんじゃないかな?
現実的な利害にからむ学問分野があること、またそれも人間の一つの側面であることは、否定できないけど・・・・大きな事を視野にいれてホンモノを極めていたら、結果として現実的なこともくっついてきたというならいいんだと思う。
それが本来のものでない方が主眼になると歪む。
英才児たちって、本来は前者。そんな子たちに、世間的な進学塾っぽいことをさせたら歪むと思います。
*あの小学校の子たち(コバルト・ヒマワリ母校)は、好奇心が純粋な子が断トツでした。
エネルギー量が半端じゃない。・・・・だから本人の意識しだいで極端にかわるわけですが・・・


22:37 コバルト
最近子供の授業参観に行って、相変わらず馬鹿製造工場みたいなことやっていたので、愚痴ります(笑)
今のところずっと大部分の学校でやっていることはただのクイズ王選手権なんですよね。
そのクイズの得点力が学年の順位、全体の偏差値としてレッテルを貼る。
これって一体なんの為にやっているんですかね?(笑)
大人達が一目で子供達を仕分けできるようにしか思えないし、普通に人間性を歪めさせるものにしか思えないです。
ここが子供達に区別ではなくて、歪んだ差別という意識を植え付けてしまっていると感じます。
教育界(親も同じ目線)そのものが人の上下に人を作ってしまっている。
先生も授業というよりは作業をしている感じ。
授業中の質問は基本煙たがれる。ただ生徒が気を利かせた質問にはご満悦で答えるだけ。
ただ教科書を覚えて知っているというだけで、称賛される世界。
逆に知らない、分からないは見下されたり、馬鹿にされたりする訳だし。
そして自分自身より下を見つけては馬鹿にして見下してはホッとする。
クイズなんてほぼ脳内スキャンだけのものなので、感覚が必要ないんですよ。
だからこそ、あの小学校2年間での虚空学級は救いでしたね。
美学でしたから、先生からの指示がなく迷ったとしてもあたたかいと感じた方に行動すればいいだけでしたし、そこをしっかり汲み取ってくれるから何処のクラスより活き活きしていた気がします。
逆にねずみ男みたいな薄汚い言動、行動には厳しかった訳ですけど。


2019.04.26 金曜日
06:57 虚空
社会に出れば「ねずみ男」のような存在も含めての世界となるのは仕方のないことだし、原作者の水木先生はむしろねずみ男を積極的に(肯定的に?)受け止めていたわけだし・・・その点ではバイキンマンを好意的にみていたやなせさんとも通じるかな?
でも、そうした生き方を小学生の時からというのは・・・という想いがあって教室内ではビシッとしていました。
担任されたことがあるメンバーなら分かると思うけど、よく言われるような「子供らの好き勝手にさせていた」「勉強と関係ないことで遊ばせてばかりいた」「忘れ物でも掃除ざぼりも許していた」・・・というのとは、違う面での厳しさがあったと思います。
「出会った教師の中で一番面白かったのも、一番怖かったのも、先生」と評する子が少なからずというのはその表れ。
家庭教師での姿しか知らないメンバーには、どちらかといえばビシッとしていた場面の方が多かった私のことは想像できないでしょうけどね。
今の社会の中では、本物の教育をしようとすればするほど、親からも政治的立場の人からも批判されがちです。
そして「馬鹿製造工場」「クイズ王選手権」のような授業を見事にやっている教師の方が、絶賛される。
教師も生活がかかっていますから、自分の人生を犠牲にしてまでホンモノを貫こうとはさすがに出来ない。
玉川に入学して一番初めの講義が上原輝男先生で「教育者は世捨て人なんだ!その覚悟がなければ教育者になどなろうとするな!!」とビシビシ語られていたことが思い出されます。
今でも学校の先生でも中にはホンモノの人はいると思いますがなかなか出会うのは難しいでしょうね。
我が子のことを本当に思うのなら、それこそエジソンの母親のように自衛手段を本気で実行するしかないでしょうね。


08:20 ソルティ
コバルト君。。。ナウシカのテト → そういう流れだったのですね,ぺろぺろは。一番最初の部分の ??? 「 怖くない。」の前って何て言ってるのですかね? 
この声優さんの声、映画をみたわけじゃあないけど この人物にぴったりの落ち着いた感じがする。
諷虹さん。。。エヴァで「瞬間、心、重ねて」 の動画みました。あのバレエ音楽のようなBGMにまず驚き。ロボットたち(?)に新体操のような動きを取り入れていることにも驚き。


08:48 虚空
余談ですが・・・エヴァの「瞬間、心、重ねて」の前半で一度二人がやられて地面にのめりこんでいる情けないお姿は、庵野監督が若い時に大きな影響をうけたという市川崑監督の「犬神家の一族」からのというのは有名な話。エヴァのOPだって市川崑調だし・・・。
そんな市川監督が世界的に有名になったのが、記録映画「東京オリンピック」だったわけですが、最近フト録画しておいたのを改めて観て、やっぱりすごい映画だな・・・と。教師の頃は閉会式シーンで道徳の授業を何度もしたけど・・・。
あの映画を撮った時の市川監督って、まだ40代。人生を日々生きる濃さが違うな・・・上原先生だって今の私よりもずっと若い時に、あの難解な「芸談の研究」を執筆されているし。


08:51 ソルティ
ダンデリオンさんのお話し。。。「 人に人格があるように、その表の人格とは異なったさらに奥深い精神や魂、さらには、祖先たち死者たちの霊界とのかかわり方さえも示すような、「霊(れい)格(かく)」というモノも、私たちにはあるような気がしています。『史記』という書物を読むと、孔子が、老子に面会してわずかな時間ながら教えを受けた後、老子のことを「あの人は竜のような人だ」と弟子たちに言ったそうです。
霊格の話 と 龍のような人だというところに大いに興味がわきました。 文格を問う、と言われると学問にはあまり興味がないので困ったちゃんになりますが、わかりやすい話ができる人になりないな~ということは思います。諷虹さんは、私のつたない質問に答えてくださるときに、非常にわかりやすいので 嬉しいし、また尊敬もしています。

40代の上原先生
まあそれは 幽体離脱がすでにできていた方ですからね。藤原先生もそうでしょ?特別な方々だと思いますよ。想像だけれど、それこそ高い霊格にあり、上からメッセージをいただいて執筆していたりするんじゃあないでしょうか?
自分が作っているわけではなく、かかされているとか?そういったふうなんだろうな~と思いま

「 東京オリンピック 」実はちょっと悲しい(個人的に)出来事があった時なので 良い思い出として残っていないんですよ。その録画をいつか見せていただきたいものです。悲しい記憶は何とかして上書きしていきたいものだと思うのですよ。

コバルト君の学校への愚痴 「 最近子供の授業参観に行って、相変わらず馬鹿製造工場みたいなことやっていたので、愚痴ります(笑) 」
学童で 食事前に「いただきます」をしていた時、 挨拶もせずにだ~らだ~らしている感がこのところ日増しにつよくなってきたので、きちんと合掌してご挨拶をしましょう!てきなことを言ったら、小学校のほうで、「 合掌はしなくてよい。」的な発言があったそうで。。。話には聞いていたけれど、びっくりです。
虚空さん~ 合掌の意味って どう考えますか? 虚空さんだったらどんなお話をしてあげますか?
私は そう言われれば 合掌の意味を知らないのだという事に気づきました。お腹が ぺこぺこだったりすると 「いただきます。」と自然に動作にも言葉にも出てきますけど、自分だって、時間がなくてバタバタとご挨拶もしないで立ち食いしてるときもあるな~なんて反省もするけど。


17:55 虚空
何年も前に話題にしたことがありますが、学校で「いただきます」を言わせることに対して保護者からのクレームが新聞投書にありました。給食費をきちんと払っているのに作った人への感謝で「いただきます」と言わせるのはおかしいという趣旨の発言だったのですが・・・・いただきますと言う事が「義務」とか「権利」とかの対立でしか考えられなくなっている世の中なんだな、と感じました。
また知人たちの批判になりますが、どちらも病院とか施設とか商店の人たちに対して、そういう人たちは仕事でやっているんだから、何も感謝したりお礼を言ったりする必要はないんだ・・・こちらの言う通りにするのが当然なんだから・・・ということを常々主張してきました。
もっともらしく聞こえますが、自分が幼い頃からそんな知人たちを観ていて感じていたことは「まったく最近の親は感謝することも知らない」、「全く、客だからって図々しいのが多すぎる」といつも批判していたこと。
そして「エビで鯛をつる」が口癖だった二人は、何か相手にしてあげるのは見返りが期待できるという事が大前提なので、期待していたよりも見返りがなかった時には散々陰口をいっていたこと。
結局ただ身勝手なだけなんだな・・・と私は小学生の頃から感じていました。
本来は「お命、頂きます」という食材に対しての言葉という意味もあったわけですが・・・そういう方々にはたとえそういうことを言っても、「経済動物なんだから当然」「人間は万物の霊長なんだ」なんていう反論しかかえってきそうにないですね。
合掌というのも、もしかすると学校とか教育委員会に「宗教教育にあたるのではないか」という抗議があったのかもしれません。そんな世の中ですから。
ますます互いにつぶし合うだけの世の中に突っ走っていきそうですが・・・だからこそ、人間にとって大事な心をキープできている人たちが、そういったことに染まらないようにしないとですね。


2019.04.27 土曜日
06:45 ソルティ
お答えありがとうございました。 いのちをいただいているのだ。とか、人様が、例えばそれを育ててくれたのだとか、運んできてくれたのだ、とか作ってくれたのだ、といったような事を、まあ少なくとも自分は頭の片隅において、感謝の気持ちを忘れないようにしたいものだと思いました。


06:47 虚空
忘れてはならない心をしっかりとキープして、そういった波を広げていけることに、駿煌会ブログも貢献できればいいですよね!


09:59 コバルト
食べ物でもやはり源流にある源泉にまで、たどれているのかですよね。
田舎では土作り(無から有を作る、母胎、虚空)がもっとも重要で、そこから種から育てる訳ですから、やはり食べ物に対する奥行きが全く違うんだと思います。
頂きますを言えない人は、自身との関係性が見いだせないからなんだと思います。
また日頃仏壇や神棚に手を合わすことで、自身がどれ程かわからないけども、ずっと祖先から繋がれてきた命なんだと認識できるように奥行きを感じて、感謝の念が生まれてくるんだと思います。
こういう事が普段できているかで、ありがとう(感謝)が言えるんだと思います。
だって「ありがとう」の対義語は「当たり前」なんですから。
当たり前のことだと思っていることに感謝の念なんて生まれませんよ。


10:06 虚空
作物でいえば「土づくり」に関する部分が本当に軽視されていますね、今の教育でも社会システムでも、すべてが。
そういう土づくりのようなことは「無駄」とされて「合理化」の名のもとに削減されてしまう。
そして、結果として実がならなくてもいいから、発芽とある程度の時期までは伸びてくれればいい。ヒョロヒョロと細長く伸びるだけでもいいから、長くなりさえすればいい。
ゆうべの諷虹・虚空のやりとりは「喰種」・・・人を喰う存在・・・のアニメ&原作 が中心でした。
そこから最終的には「食べる」という観点で教育や人間についてまとめています。
現在、ラインやりとりと共に、ブログアップの準備作業中です。

23:20 虚空
昼には全部アップする予定だったのですが・・・無理でした。もう寝ます。朝のうちにはアップできるかな・・・
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