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「心意伝承の体感」 児言態50周年 帰宅後のラインやりとり

10月27日に東京で行われた児童の言語生態研究会50周年の集まり後の懇親会で健康上飲めない私以外は普通にお酒を飲んでそれぞれ帰宅したのですが、真夜中に酔った状態でラインやりとりを若者たちはしていました。
(酔った勢いでの差支えあるような発言は除いています)
またやりとりの中で上原輝男氏のことを気安く「上ちゃん」と呼んでいますが、ご容赦ください。(私個人としては、没後20年以上たっているのに、こうして若者たちが身近な存在として感じて話題にしてくれているということが、とってもすごいことだと感じています。仮に私がポックリ逝ったとして、20年以上たった時にこんな風に語り合いの中で登場するなんていうことはないでしょうから)
2018.10.28 日曜日
00:29 コバルト
(銀河鉄道999主題歌 歌詞を載せて)
歌詞は今日の出来事と結びついたものだと思ったのでのせました!
00:32 ヒマワリ
皆様本日はお疲れさまでした!無事に帰宅致しました☆
00:37 諷虹
お疲れ様です!
00:41 コバルト
授業などもそうですけど、どんな厳密に計画案を練ったとしても結局はプロフェッショナルであるほど想定外を40%も想定に入れなきゃいけないんだと思いました。
00:48 ヒマワリ
(銀河鉄道の)歌詞の中の、「新しい風」「古い夢は置いて行くがいい」でいろいろ考えました。
「ふたたび始まる…君を遠くで見つめてる」ここなんかまさに児言態を見つめている上ちゃん(上原輝男氏)のことですよね。
「君は気づいてしまった、やすらぎよりも素晴らしいものに」
帰りの電車の中でここの歌詞に繋がるアニメのシーンを話し始めた為に、(コバルトブルーが)この歌詞を調べて読んでたら…あれ?これって今日のことと上ちゃんのことだよね?ってなって、こりゃ偶然じゃなくて必然だなって笑いました
「地平線に消える〜別れも愛のひとつだと」これもまさに上ちゃんのことかと(笑)
児言態50周年とゆう記念すべき節目に私らが参加したことも、歌詞冒頭の「新しい風」。
それをあの世から上ちゃんが歓迎してくれたんじゃないかと思いました。
充実した良い1日でした( *ˊᵕˋ)✩︎‧₊
01:00 コバルト
 「地平線(水平線)に消える瞳にはいつしか眩しい男の光」
上ちゃんやモアイ像も連想してました!
01:51 コバルト
いつかは学問の町水戸と呼ばれて松下村塾の原型を作った弘道館で児言態をやってやりたいですね!
いつも歴史の影に埋もれてしまうけど、歴史の始まりは結構茨城からなんですよね!
桜田門外の変とか!
(編者注 そういった貸し出しは弘道館ではやっていません。)
02:01 コバルト
サイト紹介  ピカソが『天才』と呼ばれる5つの理由 - NAVER まとめ http://nav.cx/2RCfzm3
02:03 コバルト
U字論の言いたかったことってこういうことかなとおもいました。
ピカソとか楷書から行書から草書みたいな考え方!
☆朝になってラインをみた虚空、ビックリ。
09:18 虚空
お酒を飲んでいた状態でみなさん夜中に活発にやりとりされていたんですね。
11:52 虚空
この歌詞は劇場版銀河鉄道999のでしたが、みんな観たことがあったんですね???これまでの集まりで話題にはでたことなかったと思いますが・・・
12:06 コバルト
 自分はざっとは見たことあります!
2018.10.30 火曜日
17:50虚空
印象が薄れないうちに語り合いたいとゆうべ電話がかかってきて、今、諷虹君宅にきています。
そこで書きかけの単元設定についての文や、あの時のメモ書きなどを見せてもらっているのですが、やはりどれも重要な内容を含んでいて・・・。
飲み会での難波先生たちとの語り合いの内容にも大事なことがいっぱいあったと思います。
それを今文章などの形にしておかないと、ただの酔っぱらいのおしゃべりとして消え去ってしまう。
あまりにも勿体ないものですね。
19:31 ヒマワリ
単元設定については3回くらいしみじみ読んでみて、なんとなく分かる気がしてきた、だけどまとまんない。
言ってることは分かる、うんうん、で?みたいな。
早よみんなで集まって語り合いたいのぉ( ・3・ )
20:10 コバルト
出来れば今週集まりたいですね!
20:36 ヒマワリ
3日の夜はどう? 土曜日の夜☆
諷虹
了解です。寒くなってきたからうちの2階でやりましょう。
20:41虚空
単元設定についての一言
この文を読んで理解できる、というか理解しようという人が、教育の専門家や小学校の先生にはたしてどの程度いるのか?
長年小学校で教えていたというベテランや国語教育をずっとやってきた人ほどもしかすると読みもしないで拒絶やスルーしてしまうかもしれません。
テーマからして「思考と感情」を一つにしている時点で。

私だって正直にいえば分かっているわけではない。だから授業の形で子ども達に投げかけて、子ども達から教わろうとしているんですから。
そういう意味では単元設定に書いてある様々な事が、自分たちの日常や過去のことや、駿煌会で語り合ったあのこととつながるかも・・・そのような形でどんどん切り込んでのやりとりが土曜日にはできればいいと思っています。
完全に分からない部分は「分からない」でいいし・・・でもやりとりの中で何か自分との接点を見出して・・・できればそれを「添加」したらこんな発想が浮かんだ、こんな世界が広がった・・・なんていう具合に。
21:07 ヒマワリ
うける、そんな難しいものを3回読んだだけでちょっと分かる気がする〜と言ってる自分が、大丈夫か?お前ほんとになんとなくでも分かってんのか?って気分になってきた(笑)
でもしゃーないやん、なんか分かるんだもん(笑)
それこそ心意伝承よりもっと深い言語以前、了解不能の領域で理解してんのかもしんないもんww
余白にバシバシ書いてるよ、最初っからそのスタイル。
みんながどんなこと書いてんのかすごく楽しみ
早くそっから添加されてブワーッて世界が広がる感じを味わいたくてウズってんねん
⇒このヒマワリフクロウさんの言葉、ものすごく大切なことを含んでいると思います。
今の学校教育の姿勢とか、以前流行った「評価基準の設定」などの観点からみても。
そしてまた、今回の50周年全体で前提にされていた根本もこの言葉にある意味で集約されていると思います。
教師が教えた通りに再現できれば「理解させることが出来た」とし、そこを到達目標として意識させてしまう。
子ども達がそれぞれなりに考えると厳しく怒る教師すらいます。
「基礎基本はきちんと身につけなければならない。だから勝手は許されない」ともっともらしい事を言いますが、はたしてそれで本当に基礎基本が身に着いたと言えるのか????
虚空個人としては「型」に対する意識が歪んでいることにも大きな原因があると思っています。芸事の世界が身近なものではなく、高尚な芸術鑑賞のようになってしまった結果でもあるのでしょう。
「型」をきちんと身に着けることは、その後の「型破り」の為にも大切であることは確かです。
でも今の教育は「型」を器としてではなくて、その中身まで全部教師の好みで決めてしまう。そしてあたかもそこで盛り込まれたことが一生涯普遍であるかのように思い込ませてしまう。
違うと思います。
指導者をはるかに超えた存在として成長するためには「型」でしかない・・・・例えば古典芸能の世界の知り合いに聞いた話ですが、神仏や精霊を演じる時に、西洋演劇のような「役の気持ちを考える」ましてや「役になりきる」なんていうことは成立しないんだと。
だから「型」しか扱えない。で、型が身に着いたという瞬間、あたかも何ものかが憑依してきた感覚になれるんだと。
上原輝男氏の初期の頃の著書「芸談の研究 心意伝承考」(早稲田大学出版部)は非常に難解な内容ですが、その最も最初の項目が「移り」「成る」という内容です。
これがずっと私の頭の中に引っ掛かり続けています。
このヒマワリフクロウさんの言葉は、どこかそれと通じるものがありそうな直感がするんです。
生活を通して内なる自分と対話をする習慣がついていれば「誤った解釈」「身勝手で独りよがりな受け止め方」などがあったとしても、それをすぐにリフレッシュしていける。
学校で学んだことなども、それが「絶対・不変」なものではなく、常に「リフレッシュ(再生)」しながら解釈が広まり深まっていくんだ・・・そんな意識を芽生えさせるというのが「指導が必要」ということならば「必要な指導」なのでしょう。

でも、最終的な主体は相手にあるし、教師(大人)自身もまた常にリフレッシュしていく柔軟さが必要だと思います。(駿煌会用語でいう「添加」です)
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