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☆新元号「令和」に関するやりとり①

新元号「令和」が発表された日の午後からのラインやりとりです。
発表直後、テレビ放送での皆さんへのインタビューでは皆さん好意的なコメントばかりでしたが、ほとんどの方が「和」という文字についてばかりで、「令」という文字の方には言及していませんでしたね。
ライン上での駿煌会メンバーのやりとりでは「令」についても率直な感想が飛び交いました。
(ネットでもテレビでも時間が経つにつれて「令」に関しての正直なコメントが増えていったようですね)

個人的には「万葉集から」ということ、それも万葉集という歌集の特色として「身分の違いに関係なく」ということが強調されて紹介されていたことは大歓迎です。

これは歴史の授業とかで万葉集を習ってもほとんど強調されていないことなので。

それこそ海外からみれば古来日本人の特異な部分・・・誇っていい部分だと思っています。




*2019.04.01 月曜日
12:57 虚空
新元号が発表されましたが・・・皆様の率直な感想は?????


14:03 ソルティ
新元号 出先でしりました。 令の字って どういう意味があるんですか? 和のほうは 昭和の和と一緒でそこそこ好きですが どうにも 令に違和感があるな~。
これって 命令のレイとは違うんですか?それとも一緒? 
ゼロ地点にもどるという意味だとすると 新しくうまれかわろう!みたいな感じに思えますけど。 
礼和のほうがすきかも?
あと そうだな~、らりるれろ は 何となく違和感があるな。
。。。。ではみなさん ごきげんよう。明日またきます。皆さんの意見がとても楽しみ。


14:51 コバルト
なんだかネーミングセンスが酷いと感じました。
はっきり言って文字の印象も良くないです。
国民を自分達にとって都合良くコントロールしていくようなイメージを持ってしまいます。


16:08諷虹
率直な感想としては、シュッとしてるような、スタイリッシュな感じを受けました。暖色系か寒色系かでいうと寒色系。
「れい」がどうしても「冷」や「零」の印象からクールな印象を引き起こしているような気がします。
それを「和」によってある程度は中和しているのかなーって、感じです。しかし、零の和(0+0+…=0)なんかも連想してしまいます。いつまでも何も詰み上がらない…ような寂しい感じ
反面、「礼」や「霊」と結び付けるとそういった冷たさや寂しさが一転して「神秘性」に繋がるような気もしました。
儀式等のしんとした雰囲気と考えると、寂しさよりも洗練された感じの印象を受けます。
さらにいうと、0の和も実軸(この世的)に考えると0ですが、虚軸(あの世)も考えると、果たして本当に0で何も積み上げていないとは言い切れない、というように思います。
現実的な視点だけだとどうもマイナスな印象に捉えがちになりそうですが、夢世界・非現実的な視点も踏まえた超現実的な視点で見るとそう言い切れない…絶対値的であり、大小のない複素数的な見方だとマイナスだから良い・悪いではないような気がします。
初めて万葉集から持ってきた国産の元号的には、最初にこういった含みのある言葉が選ばれたというのは歴史的にも大きいのかなと思います。
総合すると、段々と(↑の文章打っていくうちにも)愛着が持てていく、良い元号なのかなと私は思います。


16:16 虚空
元号について自分がとりあえず考えたことはお昼に別のサイトの方に書いているのですが、まだ敢えて自分が感じたことは伏せておきますね。


19:18ヒマワリ
新年号の話題について予想していたのが「和」とゆう漢字が入ることでした。
まんまとその「和」とゆう漢字が入ったことは素直に驚きでした(笑)
年号って音にした時に聞き取りやすさが大事だとゆうことをチラッと人から聞いたのと、明治・大正・昭和・平成のM.T.S.Hに被らないところも含めて、
(明治生まれの方はもういないとゆうところでMはもう使っていいかもね、なんてゆう言葉も聞きましたが)
かきくけこのKから始まるものになるかな?なんて思ってました!
がしかしまさかの令和のR。
はじめ聞いたときはなんじゃそれキラキラネーム入ってねぇかなんて思いましたが、
万葉集からとったとゆうところは先生が昔から万葉集占いを毎月1日にしていたところもあって、ほぉ?ん、いいとこ見てんじゃん?と思いました。誰目線やねん(笑)
「令和」の意味を見たときも、素直に良い意味だと思いました。
「人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ」ってゆう。
ハウルの動く城てきな、お互いを受け入れ合うようになってくれるといいですよね。
ネットでの誹謗中傷や、自分と違う意見の者は排除しようとする傾向などではなく。

「美しく心を寄せ合う」ことで、共振・共鳴が生まれて、良い文化になっていく…みたいな。
もちろん「美しく」とゆうものも、初めからキレイとゆう意味ではなく、昨日のダイヤの原石を見つけるような話も含めて、石ころも全部全部悪いものも混ざり合って見つかるものってゆう感じで。


19:30コバルト
厳しい寒さを越えないと桜は花を咲かすことが出来ないっていうことかな。
それに令には梅の意味も入っているから、茨城県の象徴の花だね。
美しさはどこから引き出されていくかが面白い所ですね。
凛とする‥ですか
凛とする
読み方:りんとする
冴えて、引き締まっている様子などを表す表現。容姿や態度、物腰などが、清らで勇ましく、美しいさま。凛々しいさま。多く「凛とした」と形容詞的に用いる。


22:26 虚空
発表直後に書いた文です。


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先ほど新元号が「令和」と発表されましたが・・・私が観ていた範囲では番組内で紹介されている感想のほとんどは「和」という文字に関してばかりで「令」についてはあまりないようです。「共存共栄」「和合」の象徴としての「和」は直観的に分かりやすいというのは当然あるのでしょうね。
「令」の方ですが、発表の音声を聞いた時にパッと浮かんだ漢字は「霊」でした。現代人にとっては「不吉な漢字」と思ってしまう方もいらっしゃると思いますが、日本人の精神世界にとってはこれも大切なキーワードです。もうひとつ「レイ」という音で馴染みの深いものには「0(零)」もありますね。
ヨーロッパなどでも数学の世界に「0」が導入されたのは近世になってからだそうです。「何もないものに数の名称はいらない」ということだったようです。「ないものはない」という発想。
でも日本人は古来から「物質世界・現象世界」こそ影の世界であり、本質的な実態はないのだと・・・目に見えない世界こそが本体であると考えてきました。その上になりたっての宗教感覚であり文化であり精神世界でした。
そういった根本的な発想がゆらぎ、目に見える部分が「成果主義」「競争原理」で絶対視されてきたのが昭和後期から平成の大きな流れの一面です。
そういった目にみえない存在(世界)とも「和合していく生活」の復活という時代という意味合いを私は感じています。
発表された新元号の発案理由の中には、そんなことは含まれていませんが、もしかするとそういう隠れた意図もあったりして・・・なんて想像してしまいました。
(中略)
たまたま今朝、ゆうべ録画されていたNHK、サイエンスゼロの本田宗一郎が推奨していた無駄な発明をする社内コンクールの特集の出だしを観ていたのですが、この世的には何の役にも立たない、無駄である、ということに当時毎年5億円の社内予算をつぎこんでいたそうです。そしてそのコンクールを毎年開催し続けるためにも車をどんどん売るようにとゲキをとばしていたとか。(だいたいこの番組名にも ゼロ という言葉が・・・)
(後略)


22:29 諷虹
ここ数日の流れではないですが、今日バイトに行くときに最初に流れてくる曲はなんなのかなぁと思ってカーステレオをかけたところ、この曲でした
https://www.youtube.com/watch?v=NjcJJo6HBus


22:32 虚空
だんご大家族・・・久しぶり!
まさに「和」の歌
わたてん の 天使ミュージカルといい・・・幅広い和合の時代


22:34 諷虹
見た目(実軸)はみんな同じ丸→〇(≒零)の団子、でも内面(虚軸)がそれぞれちょっと違う
それが集まって世界を作り、大きな輪になる(和になる)
そして最後の嬉しい事、悲しいことも全部丸めてっていうのも究極のバッドエンドとハッピーエンドの融合
”令和”やここまでの話流れが怖いくらいに一致しているような気がしますね・・・


22:35 虚空
ゾクッとするほどにね!
ついでに言えば、「えんどろ~」最終回も人間界と異界の悪の親玉との和合・・・霊的存在・・・竜による魂の浄化


*2019.04.02 火曜日
14:18 コバルト
元号からの綾波レイ、また浄化と言えば振動からの共鳴、音からの導き(鐘の音は浄化の音)。


15:41 虚空
今、「劇場版若おかみは小学生!」と「劇場版のんのんびより」を一気に観終わりました。
若おかみは虚空流解釈の「令和」の物語という感じがあらためて・・・・
のんのん の方は この前のやりとりがあるので 足元にもこれまで以上に意識がひっかかって・・・
どちらも個人的には涙腺が緩みっぱなしになってしまいました
「共鳴による浄化」・・・・毎日ドロドロとした感情に染まっていく・・・汚れていくソウルジェムのように・・・小まめに浄化を続けないと・・・


18:44 ソルティ
 皆さん 色々な意見を聞かせてくださってありがとう!感心しながら読ませていただきました。令の字に込められている意味、万葉集の美しい歌、全く異なったイメージの世界が広がったので、そちらに意識を向けて行きたいと思いました。
ご紹介 ⇒ 時々 出かける スピのブログ。 お時間の許す方はどうぞ!
http://tukioyobu.air-nifty.com/

22:16虚空
開運ブログ、読んでみました。
目に見える世界に基準を置くことをはじめとして、日本人が古来から大切にしてきたこととは真逆のことが「当たり前」のこととして、固定されていく方向になってしまったのが「平成」というつかまえかたもできるということなのでしょうね。
そうした固定化されたものに振動を与えていく・・・内側からの共鳴で柔軟な発想になっていく・・・そんな方向に動いて行って欲しいものです。
昼間鑑賞した劇場版の「わかおかみ」も「のんのん」も、「超現実」な和合の世界という方向を指し示しているという意味では、昨年公開されていたことに深い意義を感じます。
(そうした予兆としてはガルパン、なのは、まどマギ、君の名は・・・・・いくつもありますね)


*2019.04.03 水曜日
08:43 コバルト
そもそも、年号そのものが時代を決める訳じゃありませんからね。
人がそれぞれ、どう捉えて行動して築き上げたかで、その時代は創られていくんですから。
そう考えると年号は器に過ぎないんですね。


08:58虚空
 「令」という漢字から「命令」 そして 「和 みんなのために」=「お国のため」 と連想し、表向きはいいことを言っているようで、本年は軍国主義的な国家主導の精神を表している、という解釈もしようと思えばできます。
万葉集の歌では「令月」がいいことをするのに絶好の好機を表す・・・国民主体、みなそれぞれが和への行動に移す象徴、という解説などもなされていますが、文字はいろいろな意味を複合的にもっていますから・・・・
漢字が一人歩きしていくことは普通に考えられますよね。
平成だって、平和な状態が続く という願いがあっても、 固定化されたことで他人をけん制する、調和を乱さないように画一的に染める・・・そういった方向に動いた時代だったという側面があったことも事実ではあるしね。

やっぱり「元号」ものをどういった「器」としてとらえて、どう盛り付けていくのかは個々人の主体性だと思います。
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☆いじめ問題に関するラインやりとり・・・靴隠しのことから

靴隠しに関してのやりとりから、コバルトブルー君が「いじめ」についての仮説を述べ、それに対して虚空が幼い頃からのいじめ体験を紹介しています。


2019.04.01 月曜日
15:56 コバルト
イジメに関して考えているのですが、イジメとはやはり他人が他人をイジメルというより、本人が自身をイジメているように感じます。
端からみたらイジメられているのに、本人がそれをイジメと認識していなくてノホホンとしていれば、それはイジメにはなっていかないと思うんですね。

それとよく世間でイジメの標的になってしまう人の要因は「キャラが立たない人間」なんですね。もっと言うと「自分を持っていなくて主張しない人」、こう捉えるとイジメって「揺さぶり」なんですよ。
「おい!!おまえは一体誰なんだ!?」「どういう人間なんだ!?」「何者だ?」というふうに。
御神輿の揺さぶりとかがそれに近いかも。
人間が恐怖心、懐疑心を抱いてしまうのは「知らないこと」「理解出来ないこと」「得体の知れない物」なんですから。
テレビでも司会者などにいじられて、どんどんキャラを引き出していって、世間にキャラを確立していくじゃないですか。
そうやって居場所を確立していく。
それも一つの産みなんですね。
また「あらしのよるに」というオオカミとヤギの映画があったと思うんですけど、オオカミがただのエサだと思っていたヤギのことをどんどん知っていくうち、食べられなくなるっていうのを思い出しました。


16:05 虚空
卵が先かニワトリが先か、ではないですが・・・自分がいじめられはじめたのは(今のいじめとはちょっと違うかもですが)低学年の頃からだったんで、はたしてキャラがたっていたかどうかは分からないですね。
ただ、抵抗をしないようなタイプ・・・・黙ってグッとこらえてしまうタイプではありました。

中学校になってもいじめは続きましたが、いじめてくる連中は大別して2つありました。
一つは昭和っぽい言い方をすれば「不良グループ」「ぐれかけていたグループ」・・・これは弱い者いじめで面白がって。
もう一つは親や教師の前では優等生連中・・・勉強とかいい子を演じることへのストレスを教師などにいいつけそうにない私をいじめることで憂さ晴らしをしていた・・・こちらの方が陰湿でしたね。
職場でのいじめは、逆にキャラがたっていたからかもね。出る杭は打たれる。あるいはクラスのみんなが自発的に動いていることへのヤキモチや嫉妬。・・・・・(具体的なやりとりが続きますが、そこは一応割愛します)
これは大人だけにより陰湿でしたね。

16:14 虚空
打っているうちに感情がこみあげてきてしまって、書きだしの文章とつながらなくなってしまいましたね。
キャラがたっていないからいじめられるのか、いじめられて人間性が封印されたり絶望的になってしまい結果としてキャラがたっていないような人間にみえるのか・・・どちらかははっきりしない・・・あるいはどちらの場合もある、って書こうと思っていたんです。
現代風のいじめであっても、多分要因はいろいろ。
ヘタすれば「理由なんてどうでもいい。スカッとできれば」というのもあるだろうしね。
神様のゆっさぶりということもあり得るけど、下手をするとその理屈は「いじめられる側にも問題がある」という方向へ行って、いじめる連中を余計に調子づかせることにもなります。
(私がいじめられている頃はそうした風潮が強かった時代。だから困って担任に相談した時には、母にひどく叱られました。告げ口は卑怯者のすることだ、って。いじめられて苦しんでいる自分が全部悪いかのように。

だからそれいこう(小学5年)は、担任にもいじめられていることを知られないようにするために、休み時間は外で遊んでいると思わせるために体育館の裏や校庭の隅のニワトリ小屋の陰で毎日隠れるようにすごしていました。
そして6年生の頃は学校帰りは、いつも自殺の仕方を考えながら一人で帰っていましたね。

16:28 コバルト
桜の季節ですが、桜で思わされるのは「生きることは表現する事」だということ。
誰の為でもなく自分自身のためだけに咲く。
自分はここにいる。ここで生きている。ただそれだけでいいんだ。
ていう感じに思えます。
桜は人から綺麗に見られたいから綺麗に咲く訳じゃありませんから。

16:29 虚空
誰かを喜ばせようと思ってさいているわけではないということ・・・だからこそそんな桜に「感情移入」するということかな???


16:36 コバルト
https://youtu.be/x2WP1ZSQVlQ
桜と上杉達也が重なります。
上杉達也はマウンド上でバッターの対決ではなく、亡くなった弟と勝負をしている所が、生き様=咲く表現というところに惹きつけられるんですね。

16:50 虚空
タッチは放送当時かな周囲は話題にしていましたが、完全ノーチェックでしたね。
このビデオ内をみた範囲内での想像ですが・・・想定外の強さが発揮されるというのは自分一人だけではできないということ。
味方・ライバル・恋人・家族・・・・
自分の場合はそれが担任していたクラスのみんなだったということ。
余談ですが、よく諷虹君と話題にしていることで・・・最近のアニメって、昭和の頃に定番だった「恋人のためなら頑張れる」というのがうんと減っているというのはどうしてなんだろうと。同性のため、あるいは同性のずっと年下の子のため・・・というのが受けている風潮。
それを現代的な解釈ではなくて、心意伝承的な視点で考え続けています。

☆「天使」と「血」のイメージ② + 「靴」「足」・・・ラインやりとりから

30日の諷虹宅のやりとりはまだ続くのですが、先にその後のラインでのやりとりを紹介します。
「天使と血」の問題、「八墓村」の話題が飛び交う中、のんのんびよりのOPのことから「靴」や「足」にまつわる話題などが錯綜します。
「靴」の問題は「いじめ」についての話にもつながっていくのですが、それは次の記事でとりあげます。


2019.03.30 土曜日
22:28 コバルト
ここ最近、天使ワードが重なってきている気がします。
エヴァンゲリオン(天使)、八つ墓村、そしてあの殺戮も天使の所業とも言えるのかな?
少なくとも悪魔は人の心に棲みつくものだから、無闇に殺したりはしないだろうし。

22:30虚空
八墓村について、もう少し詳しく見解を聞きたいな・・・松竹版で主人公を演じた萩原健一も亡くなったことだし・・・


23:13 コバルト
http://www.kasi-time.com/item-4110.html

23:15 虚空
CMで起用されたというやつですね。
諷虹君からさっき説明されたんだけど・・・「殺戮の天使」っていうゲームとかもあるんだってね。
この両者の関係について現在あれこれと語り合っています。


2019.03.31 日曜日
00:23 コバルト
混沌は色んな物が入り混じっている状態ですから、余計な物をそぎ落としていって行って純度を高めていけば、クリアな領域に辿り着けるということなのかな。
製鉄技術(たたら)のような感じ?

00:27虚空
最初から純粋なものを狙っては本物にはたどりつけないかな。
製鉄の砂鉄集めも砂鉄だけを集めようと思ったらダメだしね。
金山でも宝石でも何でもそうだけど、金や宝石だけを掘り起こすというのは不可能。
夕方の中学生に「無駄なことに本気になれるのが人間」っていう話をしたんだけどね。
栄養素だけをとれば生きられるというなら栄養点滴とか昔の宇宙食でいいことになってしまう

00:44 コバルト
そうですね。
ただ始めから核心部分だけを求めてしまうと抽出技術は身につきませんから、それはサプリメントだけの栄養補給と同じになってしまうわけですからね。
クリアな領域にするって、うまく言えないですが、物事を数式化して図式化にして構造を捉えるような感じですかね。
数式化、図式化がなくても、実感(経験)で構造を捉えることも可能だと思います。

07:52虚空
構造をつかまえるということが、実際には無意識に「数学的なセンス」を働かせているんだと思っています。抽象化によってこその類化性能を「実感を伴って行う」というのが日本人は得意ですからね。家紋とかもそうですが・・・


☆ここから「靴」「足」に関わることが混じってきます。
07:55 虚空
ゆうべたまたま諷虹君宅から帰宅するときに、エンジンをかけた瞬間カーステレオから流れてきたのが、のんのんびよりのOP 「なないろびより」でした。
先日来「名前」ということから「空海」の話などもやりとりの中で出てきていたので、これまで何度も聴いていた歌ではありましたが、初めて聴いたかのようにハッとしました。そのまま聴いていたらこの数か月のやりとりを暗示するような言葉の連発で・・・・
歌詞
https://animesongz.com/lyric/1776/6229

08:11 コバルト
オノマトペ、(コーヒーコーヒー)も正にそうですよね。
象徴なんですよね。
天皇も象徴の位置づけになっているわけですけど、象徴とは一体なにを示しているかなんです。
それは感じられているわけだから理解が出来るものなんです。

凄い歌詞ですね。
片っぽだけの靴をなにかの象徴(暗示)と捉えて行くのもハッとしました。

08:18 虚空
あの歌詞の中には現実的に考えると不思議な描写が満載・・・それらが統合されてあの世界観になっているわけですが・・・
「蛍」がらみのこともあるし・・・・


09:18 ソルティ
1,八つ墓村 ⇒ 実際に起きた事件をモチーフにしたものでしたっけ?岡山県の? 怖いからみたことないけど。 ずっと以前 占で習ったな。

2、染まる 染まらない。は占いでもいう。 純星と濁星というのがあって、純星 特に 牽牛星(純)は染まるとまさにそれ!という感じになる。

3、色々なコメントを読んでいると、”正義”ということを 重んじている感じがするのだけれど、なんとなく思うに。。。神々の世界って そういうものも超越している感じがするな。
4、片っぽだけの靴。。。困るな~。よく子供がお友達の靴の片方をとりあげて や~い!みたいにやるでしょ?あれって どうなの? 歩けなくするってこと? 

Q,そういう場合、みなさんは、取った子供に何ていいます?もしくは 取られた子供に 何と言います? みんなに聞いてみたいな~。


09:38 ソルティ <近況>
1、TSUTAYAで なのはを探した。あるわけないんだ(古いものですよね)と気づいた。
2、サマーウォーズを借りてみた。快感。
3、そういえば、プーさんの大人になったクリストファーロビンが森に戻る映画もみた。できることなら ず~~~~っとあの森に棲んでみたいものだ。
4、色々な方々(メンバー)の人生を支えてきた 映画であったりアニメであったりするのだから、そのほんの一部を垣間見ることでさえ 時間がかかるものなのだな~と思う。

11:51 コバルト
歌詞の中の片っぽだけになってしまった靴の意識ですが、自分的に裸足になって夢中で遊んでいるうちに気づいたら片方の靴をなくしてしまっていた、というイメージをもちました。

11:57 虚空
自分はいじめられていた当時、やっぱりよく靴は隠されていましたね。
個人的なことはさておいて、いじめの手段として靴を隠すというのは昔からの定番ですが、何故靴に意識が集中するのか?
西洋文化では玄関でくつを履き替えない・・・日本人は何故履き替えるのか
諷虹君と何度か話題にしたものでは、飛び降り自殺などで靴を揃えてというイメージが何故「そうだろうな」と思えてしまうのか・・・
靴にまつわる心象っていうのは興味深いところです。
トトロでメイの靴!という場面もありましたが、靴と人間は運命共同体というのはあるんでしょうね。
新しい靴を買う、ということに伴う心象もね。
ちっちゃい時の靴をとっておいてもらった、という心象も


13:24 諷虹
靴は靴下の上に履く等、直接肌身に身に着けるものではありませんがなぜか靴下なんかよりも足と密接にリンクしている気がします。
道端に靴下が落ちていてもそんなに気に留まりませんが、靴があると「えっ?」ってなるのは不思議だと思います。
此花亭奇譚(下巻)の花火の帰り道を裸足で歩くシーンや、天和通りの快男児で赤木の葬儀編での原田が靴下で中庭に出るシーンを思い出しました

13:28 虚空
やっぱり靴は世界転換の引き金ですね。
あのOPの中での靴はどういう世界定めと関係あるのかな?????

13:47 諷虹
https://www.nicovideo.jp/watch/sm26982437
 改めてみると、opラストの監督名が出るところでれんちょんの足元(靴)のドアップっていうのが
監督の名前が「川面」なのに対して、「地面」に着地した瞬間にテロップを出すっていうのは面白いと思います
 あと、サビに入る直前の花のカットから川に飛び込むシーンっていうのもここ数日の話題との関連性がありそうですね


14:21 コバルト
http://nihonjintoseisho.com/blog001/2017/10/23/japanese-and-jews-68/

聖なる領域に土足では入れないという意識があるのかもしれないです。

18:13 虚空
OPの冒頭、缶蹴りのアップというのもね・・・子どもの元気の象徴としてかな?・・・稚児のパワーの暗示?
本当に日本の習慣がイスラエルかた伝わったかどうかはわかりませんが、人類共通の無意識ということを考えると、伝わってきたのではなくても共通のものを持っているというのはありえるでしょうね。呼び方は違うにしても「神」「宗教」というような発想を持つとか・・・。
このはな綺譚でも足を洗うおもてなしがあった。
それから火曜日までの限定公開として紹介した「私に天使が舞い降りた」のミュージカルシーンの中にも足湯の場面。
単に冷えた体を温める、汚れた足を洗ってあげる・・・という以上の関係のあかしかもね。
逆に言えば「靴を隠す」という行為の奥底にあるのは、この世界に入ってくるなと絶縁状。
だからこそ精神的なダメージは深刻。


18:43 コバルト
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%8F%A1%E5%B1%B1%E7%89%A9
尾上は岩藤に草履でもって殴られるという恥辱を受け、それにより尾上は自害する。草履で叩かれた女性が自害する。
という場面も「履き物」に関しての意識がどういうものなのか考えてさせられます。

18:53 虚空
史実とは違う方向に偏向していく・・・この偏りが興味深いところですね。
そしてまた大衆もそのイメージ世界を受け止め、やがて芝居であっても、現実であったかのように入れ替えてしまう。
それだけ草履で殴られるのは屈辱であろうと了解しあえる土壌が心の中にあるということ。
草履がなくなっている今でも、屈辱的な象徴シーンでよくあるのは「土足で踏みつける」ですよね。
本人を踏みつける、あるいは大事にしていたものを土足で踏みつけて壊す・・・・
土足が汚いからという以上の何か・・・・
また逆に土足というかボロボロになった草鞋や靴が苦労を積み重ねた象徴としてとらえられることもありますね。
比叡山の千日回峰行での行者さんははきつぶした草鞋を全部とっておいているというしね。
(ちなみに私はボロボロになって底に穴があくまで靴は履き続けることが多いです。そして履けなくなった靴は・・・うちの縁側の下に放り込まれています)

19:04 虚空
天使と血のイメージに戻るけど、市川崑監督が撮った八墓村の32人殺しの冒頭は民家で行われていた結婚式の最中に殺人鬼がやってきて、白無垢の花嫁が血まみれになる描写があります。天使ではないですが「無垢な存在」であるイメージは共通。
そんな心象も共通して持っている何かなのでしょう。
*ちなみに以前話したと思いますが、「日の丸の旗」なんかもね・・・・学生時代に私は受講していなかった日本史の講義で大学教授が「あれは初夜の血からきているんだ」と解説していたということなのですが・・・あまり一般的には認められていない説のようです。
でもネットで調べたら、それも含めていろいろな説を紹介しているサイトがありました。
http://minatoya-aoki.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-2642.html
こういうのって、どの説が正しいかというのはあまり問題ではないと思っています。体感というか・・理屈も何もない何かそうさせる感情がわきあがってきてしまう、というのが先。理由付けはあとから、ということが多いからです。
やっぱり最後は「実感実証」という姿勢が大事かな・・・。「主観はダメ」と叱られそうですがね。

でも人間って本当の意味で客観などにはなれない
19:52 コバルト
それをもっと言うと「俯瞰的主観」って言うんですかね。
完全な主観になってしまうと、関係性を結びつける事がどうしても困難になってしまいますから。


19:54 虚空
面白いね・・・こういう造語感覚。
何年かたって駿煌会発信の用語が定着して、Wikiのような検索をすると載るようになっていたりして・・・

☆「出会い・別れ」「本当に分かるということ」①・・・ダンデリオンツイッターより

まずは駿煌会ラインに載せた紹介文です。
2019.03.29 金曜日
18:11 虚空
ダンデリオンツイッターの記事、2連発です。
まずは22日のものから
虚空補足⇒ちなみに、この文中の恩師とは上原輝男先生のことです。
私にとっても、この4月は悲しみの深い年でした。
そしてそれは平成8年のこと。・・・本当はこの年の春休みに体調があまりにも悪化していて、校長先生に退職を相談していました。
「じいちゃんに心配かけるだろ」と言われ一度は思いとどまったのですが、8月1日にじいちゃんも他界したので8月いったいで退職したわけです。
そういう意味では平成8年というのは大きな別離が3つ続いた年でした。(3月での平成7年度のクラスとの別れも大きかったので、正確にいえば4つ続いたといえます)



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―『別れ』は最高の『出会い』―
「『ダンデリオン』て『エヴァンゲリオン』のパクリだろ」と陰口叩かれていたようですが、実は『ダンデリオン』は40年ほど前、私が中高生のころ遊びで書いていた冒険物語の題名です(実物も教室内にあります。『エヴァ』の原作マンガが1994年開始ですから25年前)。
主人公がタイムスリップで様々な時代の波に翻弄(ほんろう)されながらも、その時その時の精一杯の花を咲かせていく、そんな筋でした。「旅する花」→「蒲公英(たんぽぽ)」→「dandelion(ダンデライオン)」→「ダンデリオン」という流れで付けた題名。
未完のままですが、いつか何かで使いたいなあと思っていたのでした。
たんぽぽの花言葉には「愛の神託」「誠実」「幸福」そして「別れ」があります。
「別れ」は、実は尊(とうと)いことでもあります。
これを「悲しいこと」として普段は忘れて過ごそうとしますが、今目の前にいる人、大好きな人、あるいは嫌な人、みんなといずれは「別れ」ますし、最終的には「死別」します。それを意識して、相手とできるだけ深く「出会う」ことを思い続けるのも「あり」ではないでしょうか。
四月は私にとって生涯の恩師と死別した月でもあります。ちょうど桜も散り終えるころの朝報(しら)せを受けて、自分の人生が終わったような衝撃を受けました。ですがこのことが、またその恩師との新たな出会いの始まりでもありました。
遺稿(いこう)論文集を出版するのに10年かかりましたが、解説を執筆するために深読みしたり、資料写真を撮るために全国を駆け回ったりして、先生の学的生涯を追体験する中で、ますます師の到達した高み深み、そしてその境地を誰にも知られなかった孤独とを知るようになりました。
そうした形で改めて、恩師と出会えましたし、また新たな縁も生じて様々な方々との出会いも一挙に増えた時期でもありました。
「別れ」は、そのつらさや悲しさを、我が存在すべてを賭(と)すようにして味わえば、この上なく深い、霊的な出会いにも昇華(しょうか)します。
こんな思いから、「ダンデリオン」を塾名にしました。
実は、つい最近まで照れくさくて自分ではこの塾名をなかなか口にできなかったのですが、今しだいに言えるようになってきました。
慣れもあるかと思いますが、FlyingSeeds(フライングシーズ飛び立つ種たち)を2度送り出し、ようやくかれらから「出会い」を承認された、そう錯覚できてきたので…



18:15 虚空
こちらは26日の記事です。今回は記事通りに
漢文の紹介 ⇒ 意味内容 ⇒ お話 の順にしました。
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(老子道徳経 下編徳経71)
知りて知らずとするは上なり。知らずして知るとするは病(へい)なり。夫(そ)れ唯(た)だ病(へい)を病(へい)とす、是(ここ)を以て病(へい)あらず。聖人は病(びょう)あらず、其の病(びょう)を病(びょう)とするを以て、是を以て病(びょう)あらず。
【大体の意味内容】
物ごとについてよく知ることができたとしても、「まだまだなにも知ってはいない」と自覚することが最上である。十分知ってもいないのに、知っていると考えることが、気の病(やまい)であり、本人よりも周りが迷惑するものだ。
そもそもそうした半知半解の病(やまい)は誰にでもあるものだから、自分の気の病(やまい)を素直に病(やまい)として認め、慎(つつし)むならば、他人にまで害を及ぼすような深刻な病(やまい)ではなくなる。更に進めていうなら、聖人にはいわゆる病気もない。
身体に病気があっても、それを自分の生命活動における一つの燃焼の仕方として受け入れるから、生きざまに支障あるような病気ではなくなるのだ。

【お話】
よく似た発言がいくつかあります。
老子とほぼ同時代とされる孔子(こうし)の言動を記録した『論語』には「之(これ)を知るをば之を知ると為(な)し、知らざるをば知らずと為す。是(こ)れ知るなり」(為政第二、十七)とあります。似ていますが、根本が違います。孔子は「きちんと知っていることと、まだ知らないことを区別せよ」なのですが、老子は「いかなる場合でも、まだ知っていないと自覚せよ」ですから、「知った」という思い込みを全否定しているわけです。
老子孔子から百年ほど後、古代ギリシャの哲学者ソクラテスは「無知の知」を唱えます。これは老子に近いでしょう。
ソクラテスは「アポロンの託宣(たくせん)」によって「もっとも知恵のある者」とされましたが、ソクラテス自身はこれを、「自分は何も知らない」ということを自覚しており、その自覚のために他の無自覚な人々に比(くら)べて優(すぐ)れているらしい、と受けとめたようです。
それからまた長い時を経(へ)て、ある科学者(ニュートンだったかと思いますがうろ覚え)のつぶやきも印象深く想起(そうき)されます。
自分は砂浜で戯(たわむ)れているようなもので、研究を重ねて何か発見すればするほど、その向こうに未知の大海がますます大きく広がっていくのも見えてしまう。おおむねこのような趣旨(しゅし)だったかと思います。
これなどは自分の経験を通じて、はからずも老子の考え方をわかりやすく翻訳(ほんやく)してくれているような気がします。いずれにしても、相当の知的修錬(しゅうれん)・研鑚(けんさん)を積んでいる人ほど、「未知の大海」がよく見えてくるわけです。
マスコミに登場する知識人、コメンテーターたちが、懸命に自分の知識の量をひけらかそうとしているのとは全く対照的です。
「無知の知」を、単なる言葉の知識としてでなく、自分の全人生が一粒の砂に過ぎずその存在が未知の大海の波に洗われようとしているどうしようもない実感に慄(おのの)いていることが、「超一流」の証(あかし)でもあるのでしょう。

☆「本当の出会い と 別れ」④  別れの時の垣間見「ホタルへの心象」

ホタルに寄せる心象も根強いものがありますね。
現代ではなかなか実際に光ながらの蛍を見たことがないという人が多数派だと思いますが、それでも「蛍の光」などが流れると何かが発動してくるような感覚はあると思います。単に「お別れ」以上の何かを垣間見ているのだと思います。

2019.03.25 月曜日
09:35虚空(続き)
セーラーサターンを宿している小学生の名前は 土萠ほたる。
のんのんびりよりで都会から越してきて、地元の子ども達の生活に新しい風を吹かせる役割となった小学生の名前は 一条蛍
なんていうのもどういうイメージが働いているのか興味がありますが・・・・
例えば乱舞の名所ではないにしても、諷虹君だって地元で蛍が飛んでいるのもみた経験を持っていますよね。コバルトブルー君やヒマワリフクロウさんの地元でも飛んでいるのをみたことがあります。
ホタル に日本人が寄せてきた感情というのだって、異界に共鳴していく「神秘の光」だよね・・・
蛍の光 が何故お別れの際のテーマソングとして定着しているのか
卒業式だけでなくてスーパーなどの閉店のお時間なんかに流しているというのもね。
完全なお別れ、オシマイ というイメージだったら、スーパーなんかが流すハズはない。
「明日の御来店を心よりお待ちしています」なんていうアナウンスもあるけど・・・
こういったことの根底には神話でいうと「黄泉の国」⇒「みそぎ」⇒「新たな神の誕生」という図式。
リリカルなのは に限らず多くのアニメや漫画などの定番のスタイルとなっているというのも、人間の心のカギをとく鍵ですね

12:19コバルト
先日に引退したイチローも引退後はキッパリと「草野球を極めます」(ワクワクドキドキ)と言っていたように、それは自身の原点の復活なんでしょうね。
そうやってやりたい方向に常に向かっていく姿勢は、ウニヒピリ(潜在意識)との関係性を理解しているからだと感じます。
草野球がメジャーより更なる世界定めの飛躍なのかな?

14:34 虚空
うしてもメジャーリーガーだと大人や社会の利害がからむ場面が出てくるからね・・・純粋に野球が楽しめたということだけではいかない部分はたくさんあったでしょうね。
教育でも、例えば私がもっと普通の塾や家庭教師のように一般の親が期待するようなテスト対策に徹した・・・形式的だろうが詰め込みだろうが・・・一時的にテストの点数があがっても後にその反動で子どものダメになろうが知ったこっちゃない・・・という風に割り切ってやっていれば、今でももう少し仕事の依頼があって、それなりの収入はあったと思いますが、やっぱり自分の収入のために子どもを犠牲にできないというのは譲れない部分。
まあ生活はしていかなければならないから、このような方針の自分であっても雇ってくれるような方との出会いは望んでいますがね・・・

14:43 コバルト
始まりの予感はなにをもって決めているか!
終わらせら、また次の世界があるということ。
引退、蛍の光、アニメや映画のエンディングを見ている感覚に通じることだと思うんですが。
夕日が沈んでいく感覚ですかね。
ただそれを美しく感じるのか、もう終わりなんだと感じてしまうのかは、心の構えそのものになっていくんでしょうか。

14:52 虚空
 表裏一体というのが本当のところなんでしょうね。
終わった瞬間に次の可能性が始まる・・・「裁断と継続」「死と再生」・・・・
次に向かう構えがとれるようになるかどうかは別として、そういった構え(生き方)等々様々なものがあるんだ、ということを知るという点でも物語にふれるというのは意義あること。
ただ、どんなに主人公などの生き方が素晴らしくても「こんな風に生きなければダメだよ」式に扱うと逆効果になってしまうことがあるのもまた事実。
自然にそれぞれの人間がどういったことに「憧れを抱き、そこに向かい始めるのか」は誰も邪魔してはいけない領域・・・神様であっても・・・というのが古代日本人の発想。
ただ、判断材料が偏らないように幅広く用意して提示する・・・それは学校教育だけでは無理・・・そこにテレビ作家やゲーム作家もふくめての幅広い教育力を認める必要があるということなんだと思います。
負の影響も含めて。
そこから生まれる語り合い・・・そして共鳴・・・。「教育が感染力」ということの元々とは少しずれるかもしれないけど、そういった側面もあるということがはっきりしてくるような予感はあります。