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☆「自然(じねん)」についてのやりとり ライン版

☆2019年 2月1日 金
13:35 コバルト
自然ってちゃんと(じねん)で変換されるんですね。
自然(じねん)という呼び方にはちょっと衝撃を受けました。
人間同士でさえも人種、身分、職業でもかなり分けてしまっていますから。
実際すべての人間社会としては繋がりがあって恩恵を受けているのに、差別している部分はある。
まして自然との関係性なんて余計戸惑うものだとおもいますね。

また桜井章一の話になってしまいますが、オススメはしていませんでしたが、桜井章一は太陽を肉眼で見ることができるようです。
それは自身と太陽をわけすぎているからであって、太陽と同化してしまえば、眩しいとは感じないようです。
(肉眼で太陽を見ていると緑色に輝きだすというのも気になりますけど)
心頭滅却すれば火もまた涼しみたいなことわざがありましたけど、それと似ていますかね。
あと裏と表で分かりやすいのが、綺麗なお金と汚いお金ですかね。
それをお金はお金だと言ってしまえばそれまでの話でしょうけど。
17:24 虚空
よく「自然にやさしい(地球にやさしい)」という言葉は人間の傲慢だ、という意見もありますね。
聖書における「万物の霊長」・・・神によって託された存在・・・という意味も人間の都合のいいように解釈されているといういう意見も。
*素人が太陽に挑んだら危険ですね!
21:22コバルト
陽射しでさえも十分眩しいのに直視で太陽は流石に見てみようとは思いません(笑)
自分達だけの住みやすさ、や意心地のよさなど生活範囲内での都合だけですからね。
自然が破壊されて、わー大変だ、と他人事みたいに受けとる感覚では、まだ自然を別ものとして置いている節がありますからね。
自分もそうですが、実際報道とか見てもまったく身近に感じられない部分が大半です。
21:24虚空
それが「自然」というのが人間と離れた感覚でとらえることのできる、ある種便利な言葉ということなのかもしれないですね。
論評みたいに言える。自分も責任の一端を担っていると感じなくてすむような
21:25虚空
現在 諷虹宅で 難波先生の第三項の話からかなり飛躍してアニメ談義になっています
⇒別記
21:58コバルト
感覚(自然)を広げると感じたくない事まで感じる事になりますからね。
大人になるにつれて、だんだんと感覚を閉ざしていった気がします。
感じない(シャットダウン)というのも、一種の自己防衛本能なんでしょうけど、鈍感になっていってしまいますからね。
22:03虚空
さきほどのやりとりで出てきた諷虹発言の一部です。
:::::::::::::::::
諷虹 特異点的なことだと、意図的に無視というか気にしようとしないことがあるんですよね。「黒歴史」にしてしまう。設定の積み重ねをないことにしてしまう・・・そういうファン心理が働くこともあるんですよね。
公式が追加した要素であっても受け入れない・・・スルーしちゃう。
それでいつのまにか公式でもないことになってしまう。
2019.02.02 土曜日
15:20 ソルティ
こんにちは~。コバルトブルー君の「桜井章一は太陽を肉眼で見ることができるようで」 
実は以前やったことがある。ガンガンの太陽じゃあなかったような記憶があるけど、直視してみたことがある。(サングラスごしだったかな?ちょっと忘れた?(バカとしかいいようがない行為だが。。。)太陽自体は銀色に変化していき、周りの空の色は濃紺から~ピンクになるんだよね。ディズ二―のシンデレラのお洋服がピンク・ブルー・ピンク・ブルーって変化させられるのって、ここからきてるのかな?と思ったりした。
そして、地上に 目を戻すと、きれいな黄緑色の〇が目の前に現れるけど そのうち消える。私は目に奇形があるので、きれいな丸がみえるんじゃあなくて、三つくらいにわかれた小さな〇みたいな形なんだけど、その形の黄緑のまる。だから 桜井さんの話は嘘じゃないと思う。やっぱりおすすめはしませんけど。 そういえばそれが原因で視力が落ちた可能性がなくはないかな?
外国の人で、じっと太陽をみて、そこからエネルギーをもらっているとかいう お兄さんをTVでみたことがある。栄養ははちみつだけらしい。 へ~~~~っ って感じだけど。真実かどうかはわからない。
森 ほにゃららさんという人は、青汁だけを飲んでもう何年も生きているらしい。1リットルの涙?でしたっけという映画になった 難病にかかっていたことがあって、甲田式?だっけかな?その先生のもとで指導をうけて蘇ったらしい。 まあそういった不思議な世界はあるのだろうな~と思うが。。。?
上原先生が蘇ったことだって 不思議だもの、まあそういうこともあるんだろうと思う。
https://ja.wikipedia.org/wiki/森美千代
15:58 コバルト ノルウェーについてのサイト紹介
https://www.visitfinland.com/ja/kiji/finrandowo-sukininaru-riyuu/
ライバルがいないほどクリエイティブな人々が沢山暮らす国で、幸福度が世界一みたいです。
国の7割が大自然と白夜、オーロラなど超自然の中で暮らす人々が創り出す世界は別格のようです。
北極圏(死の世界)にあるノルウェー、現実空間が閉ざされて、そこから生まれるものには興味があります。
2019.02.03 日曜日
00:07 虚空
気候風土が国民性などに与える影響って大きいでしょうね。だからある国のあたりまえは他の国でもあたりまえとは限らない
あのイギリス留学の男もそれを痛感したのが最大の意義だったのかも・・・
⇒留学体験に関する体験談ブログ http://syunkoukai.edoblog.net/Entry/144/
「自然(じねん)」がどういったことを具体的に意味するのかという問題も当然いろいろとあるでしょうね。
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☆第三項理論に関するやりとり① ラインより

2019.01.28 月曜日
09:21 虚空
難波先生のツイッターにこのようなやりとりがありました。
回答の冒頭に「文学に限らない考え方そのものだと思います。」とあるように、このところのやりとりとの関連と響き合える内容だと思ったので転載します。
『第三項理論が拓く文学研究/文学教育』へのご質問あり。
Q:(第三項理論における)、〈主体〉・〈主体が捉えた客体〉・〈客体そのもの〉について、わかりやすく教えて!
〈主体〉とは「作者」?それとも〈私〉?
〈客体〉とは?〈客体そのもの〉とは?
A:〈主体〉・〈主体が捉えた客体〉・〈客体そのもの〉は、文学に限らない考え方そのものだと思います。
小説の場合は、たとえば、ある登場人物Aを〈主体〉とした場合、〈主体が捉えた客体〉は他の人物Bをその人物が捉えた像になり、〈客体そのもの〉は、人物Bそのものとなります。
登場人物Aは永遠に、人物Bそのものは捉えられないということです。
語り手を〈主体〉とした場合、〈主体が捉えた客体〉は語り手が捉えた登場人物たちの像になり、〈客体そのもの〉は、登場人物そのものとなります。
語り手は、登場人物たちを語りながらも、実は登場人物そのものは捉えられていない(それは視点人物であっても同じ)ということです。
一人称の場合も、語り手「私」を〈主体〉とした場合、〈主体が捉えた客体〉は語り手「私」が捉えた登場人物「私」の像になり、〈客体そのもの〉は、登場人物「私」そのものとなりますが、語り手「私」は実は登場人物である自分自身を捉えられていないということです。(終わり)
あ、それでー、以上のことをわかった上で、つまり、例えば語り手は登場人物が捉え切れないと言うことがわかった上で、語り手がとらえた登場人物像と語り手が捉えきれていない登場人物そのものの姿の両方を描き出したのが小説というジャンルということ。読んでいる人は、いーーっとなりそれを狙ってる(笑)
09:48 ソルティ
難波先生のツイッター。 実はこのような文章を読むのが超苦手。上原先生のご著書も殆ど読んでいない。(ごめんしてください) しかし、ちょっと挑戦してみます。(近日中に)
14:35 コバルト
俯瞰(ふかん)、主観、客観、を同時進行でこなして行く感じですかね。
CTスキャンみたいにあらゆる角度からみることで、平面から立体的に見ることができるように、物事も見る角度を増やすことで奥行きが生まれ的確に捉えやすくなるんですよね。
14:55 コバルト サイト紹介
「レクサス"神営業マン"の武器は沈黙だった」
 http://news.livedoor.com/lite/article_detail/15936460/
15:48 ヒマワリ
意識世界と無意識世界って感じかー?
琴浦さん系な感じするー

ブログやりとり記録 http://syunkoukai.edoblog.net/Entry/197/
          http://syunkoukai.edoblog.net/Entry/198/  など
16:22 虚空
 お二人の意見・・・何を「重ね合わせるか」という視点は違っていても、「異なる視点を同時に受け入れて、共鳴させながら全体像や本質に迫っていく」ということから、この世の中で生きていく中での大切な視点だと思います。
そこが「文学教育」とか「物語を読む」という枠に限定しない「考え方そのもの」・・・「知覚と認識」とか「意味の本質に迫る際の問題」(この前から何度も登場している「コーヒーコーヒー」のたとえ)とかにつながっていきそうですね!
20:25 ヒマワリ
主体の登場人物Aが、客体Bをそう捉えてしまったら、Bそのものは捉えられないっつーのはさ、
AがBを自分で決めつけちまったから、Bそのものを受け入れられないっつーこと?
Bに対する構えを頑なにしてしまったAとゆう解釈でどうだ?
器を空っぽに、Bに対して鏡とゆう存在にならないAってゆう?
結局なんだ?
見えない世界が本物か?夢か現か。
意識世界でそう捉えても、無意識世界はどう捉えとるか分からんし、AだってBだって「そのもの」とゆう存在なんて存在してます?
これ養老孟司以来の混乱招く気がする(笑)
自我とはなんぞやの世界。壺!
ちょっとコーヒーコーヒーに近づいてんだから彷徨ってんだか分かんないwww
いやそりゃわかり合おうなんてしてないし、正解ないよね考え方なんだからww
いやでもモヤるわ!
20:31 コバルト
 今が混沌(カオス)だね!
そこで柔らかくなれるか堅くなるかで違いが出てくると思います。
柔らかさは変わっていける可能性を秘めていますから。
結局難しく考えてしまうのは点と線の感覚として考えてしまうからなのかな?
物事は円としての感覚で捉えられれば全ては繋がって素直に受け止められるんじゃないかな?
21:24 ヒマワリ
いや、点と線とかではなくてどっちかっつーと円の中を彷徨ってコーヒーコーヒーに近づいてるイメージ
この感じ (画像)
22:19 ソルティ
コバルト君の言うところの俯瞰(ふかん)、主観、客観、を同時進行でこなして行く感じですかね。CTスキャンみたいにあらゆる角度からみることで、平面から立体的に見ることができるように、物事も見る角度を増やすことで奥行きが生まれ的確に捉えやすくなるんですよね。” 
 コーヒーコーヒー。カオス ヒマワリさんの絵、などなど なぞなぞ状態&カオスに存在してます。少しづつ理解に努めたいと思います。
あとコバルト君が紹介してくれたレクサスの営業の方のお話しも興味深かった。
1、人の反応ばかり気にしていた。
2、少しだけ自分本位。
3、世間話はしない。
4、誠心誠意答える。という意見に賛同。
この1、をず~~~~っとやってきた人生だったので病気しまくりだったんだな~と思う。
2019.01.29 火曜日
00:06 コバルト 画像3枚




00:31 虚空
3つの関係について運転中にも考えたりしていたのですが・・・例えば古池やの俳句だったら、
A詠み手 
B対象である静けさ 
で俳句を詠んだとして、それを鑑賞者Cが味わった時に、その味わい方は、そのAのつかまえ方そのものをつかまえるっことは不可能・・・っておいうことと同様なのですかね????
前に紹介した「理解は誤解」という野口三千三さんの言葉に象徴されるような。
「ああ、それ分かる分かる」といっても、響き合いの感覚はあっても100%一致してわかることは感覚器や脳の構造上も無理・・・その自覚をもった上で文学の鑑賞をはじめとして、人間の「認識」や「分かり合う」ということを進めていく・・・とか???
05:42 ソルティ
1、レベル10の不運をイメージ&レベル7の幸運をイメージ。の図は、占いの先生が前者のような手法を提案していました。そうなんだ~と思っていましたが、ちょっと違うような気もしてきました。
2、ヒーリングをお習いした時は、どちらかというと良いイメージをわかせるように言われました。ところが、イメージばかり先行しても現実生活で実践してなにがしかの好転がみられなければ意味がないと思います。そこで言われたことはグラウンデイングを強くするということです。地に足をつけた生き方ということです。
で、まあどちらでも、自分に合った方を選択したらいいのかな?と今は考えています。結局のところ無理しても続きませんからね。
ちょっと高い所を目指して、少しづつ進む。自分が積み上げたものは自信につながる。そんな感じでとらえています。何よりワクワク感は大事だと思います。
つきは円で表すの図。占いでいくと、
12支は 水性( 亥・子・丑 )丑は土だけど変化する。木性 ( 寅・卯・辰 )辰も土性
火性(巳・午・未 )未も土性。金性 (申・酉・戌)戌も土性 これらの性質が 自分にとって 守護神となるか?忌神となるかで 幸運・不運への家協があるように思う。まあこれに 十干( 甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸 )と組み合わせて運勢を占っていくので、簡単には言えないと思うけれど。。。
守護神が回ってきたとしても、忌神を消化してなければ、好転しないので、とりあえずは苦労を越えるすべを得る。ことなんだろうか?と思う。その時に、大事なことがレクサスの人が言っていた、少しだけ自分本位だろうと思う。
3の図は よくわからない。

虚空の古池の例えの話は面白いな~と思った。「それ わかる~~!」とか言っても (わかるわけないだろが!)とか思う自分がいて、なんというか、合いの手的な、場を盛り上げる的な そんな風に喋る自分もいるね。
学童で働いていて思うことは、昔 教室に 「思いやりのある子」とか貼っていたでしょ?自分が貼ったかは?忘れたけど、それって、この年齢でわかるわけないだろう~?って思うんだよね。

しらけすぎかも知れないけど。相手の身になって というのも、相手と同じ状況におかれて初めて身にしみて理解できるんじゃないの?って思うんだよね。

☆学修塾ダンデリオン 1月22日ツイッターに関してラインやりとり

学修塾ダンデリオン    https://twitter.com/hp45z6dx0wlrka6
(老子道徳経 下編徳経63)
無為を為し、無事(むじ)を事とし、無味(むみ)を味わう。 
小を大とし少を多とし、怨(うら)みに報(むく)ゆるに徳を以てす。 
難きを其の易(やす)きに図り、大を其の細(さい)に為す。
...天下の難事は必ず易(やす)きより作(お)こり、天下の大事は必ず細(さい)より作(お)こる  
是(ここ)を以て聖人は、終(つい)に大を為さず、故に能く其の大を成す。 
夫れ軽諾(けいだく)は必ず信寡(すく)なく、多易(たい)は必ず難多し。 
是(ここ)を以て聖人すら猶(なお)これを難しとす、 
故(ゆえ)に終(つい)に難きこと無し。
【大体の意味内容】
ことさらな仕業(しわざ)を一切為さずに自然体であり、仕事したような顔もせず、何の面白みも無いようなことの味わいに感動して生(い)きる。とるに足らない小さなことを大事にし、ささやかな幸(さち)を、身に余る多量のものと受け止め、怨(うら)みごとへの報復としては、仁徳を以てできるだけ相手に施し、感謝する。
 難しいことは、易(やさ)しいこととして対処し、大掛(おおが)かりなことは、細かなこととして取り扱う。 (どんなに大きな難問でも、それは必ずシンプルな基本から成り立っているものだからである。)
同様に、天下の難題も、必ず容易な問題から始まっており、 天下の一大事も、細かな事件のつながりや取り合わせ(コンステレーション)にすぎない。
それゆえに聖人は、ことさら大それたことを為そうとはせず、本質を突くのみであるから、結果的に偉大な仕事を成し遂げるのである。 
自らを大物と装って、軽々しく人の期待にこたえるかのように見せかけてばかりの者は、必ずや信用信頼を失うこととなる。 
安易な対応ばかりで自分の評判を上げようなどともくろんでも、必ず難儀なことが噴出して対応しきれないことになる。
だから聖人ですら、どのような些細(ささい)な問題にも、必ず難点が潜んでいることを予感して慎重に対処するから、 結果的に、解決しきれない難題に直面してしまうということがなくなるのである。
【お話】  途中で使ったコンステレーション(constellation)という言葉は、心理学では「布置(ふち)・配置」と訳されることもありますが、本来は「星座」のことです。オリオン座とか北斗七星とかの星座は、その図を作っている星たち自身は実際に横に並んでいるわけではありません。
地球からの距離が比較的近いものもあれば大変遠いものもあり、 私たちから見えている星座の星たち同士は、互いに全く無関係、 仲間でも家族でも親戚でも何でもありません。たまたま地球から見ると「ひしゃく」の形に並んで見えたりしているだけです。
関係ないけれど、そうした取り合わせが私たちに物語を作らせています。 同じように、私たち自身、生きていくうえで様々な人や出来事との組み合わせ・取り合わせを通じて、自分でも予想もしなかった精神状態になったりすることがあります。
たとえば、本当はAさんが好きなのだけれど、たまたまBさんと話したり手伝ったりする場面が連続したり、偶然拾った財布を警察に届けたらそれがまたBさんの家族のものだったり、そんな「たまたま」とか「偶然」とかの取り合わせで何かが始まってしまう、などということがあったりします。
原因が特定できない、偶然の取り合わせに私たちが「布置(配置)」されてしまい、その状況にふさわしい心理状態を生きるという事。これをコンステレーションといいます。 「物事は必ずしも原因と結果で成り立つとは限らない」、ということですが、実際問題、単純な因果論では説明のつかないことが生身(なまみ)の私たちには多いですよね。それを、特別に複雑な因果関係の絡み合いというふうに思い込んで、何が何でも原因理由を究明しようとするから、かえって混乱するのでしょう。
『老子』が言うように、物事は本来「易(やす)きこと」や「細(こま)かい」ことの組み合わせにすぎないのだと思います。なるべく物事おおらかにとらえた方が、世界は豊かに見えるものかもしれません。
09:24 コバルト
あっちこっち多大な努力で事を成すのではなく、本質だけを一突きで事を成すみたいな。
商業的な格闘技はとにかく手数を多くして観客を喜ばせますが、張り詰め合った本物の真剣勝負はほんの一瞬で勝負がついてしまう。
またお城をたった一本の柱を破壊するだけで、全て崩れてしまうような。
前にピカソの話題にしていた道化なんですが、人に笑われる存在である一方、実は状況を簡単にひっくり返えてしまえるほどの畏れられた存在でもあるみたいに。
本質を突くというのは大した力もいれないのに実に簡単に事を成してしまえるんですよね。
09:47 虚空
「道化」を古来の日本人的に考えると、折口先生のいう「もどき」になるような・・・。このあたりは深く読んだことがないので予感です。
「構えの変革」(トランスフォーメーション)という意味で、しっかりと考えてみる必要がありそうです。
☆1月26日 土
20:26 ヒマワリ
ダンデリオンさん記事読みました!
(最近この「ダンデリオン」とゆう単語を言いたいだけでわざわざ打つところありますw
耳心地が良いとゆうか口が言いたくなる言葉なのかw)
たしかにバタフライエフェクトの根底にあるものですね。
ときどき自分の人生や生き方…選んできた道がこれでよかったのかと、考えてもどうしようもないことを考えてしまうときがありますが、「それでいいんだよ」と言われている気がします。
そんなもんで、人生ってある程度ゆる?く…出会うときに、するべきときに、選んでいけばいいんじゃないかなーと思えました。
20:34 虚空
 今、諷虹君宅で昨日の話(バタフライ)の続きとして諷虹君から提示された漫画「このはな綺譚」の中のある話の内容がこの書き込みとリンクしています。ここの波がそちらに伝わっていたりして・・・
何度生まれ変わっても ああ、私は結局何ものにもなれない そう思ったら今までやってきたこと全部無駄だったって気づいた 何度生まれ変わったって一緒だよ だからもう人間は嫌といって人間への転生を拒む女の子の話です。
この子は覚えていませんが、実はこれで18回目・・・いつも15歳で人生を終えている子。
でも此花亭での仲居ぎつねたちとのやりとりを通して今度こそ大人にまで成長して人生の意味を見出そうとするお話です。
(よくわなんないでしょうが、これだけでは)
*諷虹・虚空のやりとり記録は次のブログ記事で紹介します。
21:00 ヒマワリ
やっぱ駿煌会メンバーとして、波動が似ちゃうんですかね(笑)
100万回生きた猫っぽい感じ?
21:04 虚空
100万回生きた猫 は表紙はみたことありますが、中身はしりません。
この書き込みがくる前に 別のアニメを紹介されていました。そのセリフを起こしたサイトがこれなんですけど、このセリフもけっこう関係ありそう。

21:12 虚空
100万回生きた猫 の粗筋はwikiで確認しました

☆ 学修塾ダンデリオン 1月12日・15日ツイッターに関して

*かなり長い引用が続きます。下の方にやりとりがあります。

学修塾ダンデリオン    https://twitter.com/hp45z6dx0wlrka6
(老子道徳経 下編徳経59)
人を治め天に事(つか)うるは、嗇(しょく)に若(し)くは莫(な)し。夫(そ)れ唯(た)だ嗇、是を以て早く服す。早く服するは、これを重ねて徳を積むと謂(い)う。重ねて徳を積めば、則ち克(か)たざる無し。克たざる無ければ、則(すなわ)ち其の極を知る莫し。
其の極を知る莫ければ、以て国を有(たも)つべし。国を有つの母は、以て長久なるべし。是を、根を深くし柢を固くし、長生久視するの道なり、と謂う。【大体の
意味内容】人を治め天に仕(つか)えるには、過剰な利益を削り過剰な支出を抑えるように、得るも払うも節制することが第一である。
いずれにおいても過剰さを慎むのが「嗇(しょく)」である。そうすることで、早く宇宙の道理に従える自由を得られる。本来の「理」に従い、「理」の中に在ることが、自分自身の心身が最ものびやかに活動できる合理性という「徳」を「積む」ということになる。
今日、自分本来の「合理」をひとつ見出し、明日また別の合理を見出してゆけば、その「徳」は足し算ではなく掛け算の「積」として大きく確かなものとなってゆくであろう。こうして「徳」を「累積」してゆけば、いかなる障害があろうとも、克服できないものはない。
そもそも「理」の中に在れば、障碍(しょうがい)を困難とは思わないのだから、自分の究極の限界などというものを知ることがないのである。何事も限界とは思わぬ志が、国を生かしめる。国を生かすための母(もと)が「嗇(しょく)」であり、それによって国も人も長久の命脈を保てる。
これを、「物事の根柢を深く固め、長(とこ)しえに久しく生きるの道」という。
 【お話】私は小学3年生から5年生までの間、剣道を習っていました。左(ひだり)利(き)きの私は、右手を上、左手を下にする竹刀の持ち方に違和感を覚えましたが、「左手で竹刀の重みを支えなければならないから、左利きのほうが有利なくらいだ」と師範に言われ、そうかと思って取り組んでいました。が、どうしても、すぐに疲れてしまいました。ほかにもいろんなスポーツに取り組んでいたので体力にも腕力にもある程度自信はあったのに、剣道だけは、いくら竹刀を軽くしても、友だちより先に腕が上がらなくなってしまうのです。結局、段を取ることもなくやめてしまい、ずっと謎のままでいたのですが、後年、ある剣道家(剣道研究者でもある方)と話す機会があって、この謎について質問しました。氷解しました。
右(みぎ)利(き)きの人は、力が弱い左手で下を持つから、竹刀全体の重みを支えるだけであとは右手に任せる。力の強い右手が負担の軽い上のほうを持って、太刀筋(たちすじ)をコントロールする。両手とも、無駄な力を入れないからバランスが取れてしなやかな太刀振(たちふ)りができるのだ、と。
目から鱗(うろこ)でした。剣道の決まりごとになっている、右上・左下の竹刀の持ち方は、右利きにとってこそ合理的であって、左利きにとってはアンバランスもいいところだったわけです。非合理的で、「身体道徳」に反するものでしかない。くだんの剣道家の方も「(剣道界は)硬直してる」と独(ひと)り言(ご)ちてらっしゃいました。私は「型」は大事だと思っています。でも、生きた「理」を考えない硬直した形式論は、「型(かた)」ではなく「枷(かせ)」に過ぎません。「手枷(てかせ)」「足枷(あしかせ)」「首(くび)枷(かせ)」の「枷(かせ)」です。
初めから「自由を奪う」目的のもの。どんな分野でも、最初はお手本のまねをして、基本の「型にはまる」練習を積みますが、まずは多くの人に共通の「合理」を体得する。それから工夫を重ねてて「型破り」していきます。「型にはまる」ことは不自由になることではなく、自分の心身にとってなるべく自由を得られる流れを獲得することなのです。段階が進んでくると、いよいよ、他人とは違った自分独自の「理」を追求して、「型破り」するわけです。 「型」がなければそれを「破る」ということもできません。初めから「型」も何もないのは「単なる「型なし」です。
それではいくらカッコつけても「様(サマ)にならない」。それを「無様(ぶざま)」といいます。自分の身の周(まわ)りにある様々な「お手本」は、ぜひ大事にしましょう。
(老子道徳経 下編徳経60)
大国を治むるは、小鮮を烹(に)るが若し。道を以て天下に莅(のぞ)めば、其の鬼(き)も神(しん)ならず。其の鬼の神ならざるに非ず、其の神も人を傷(そこな)わず。其の神の人を傷わざるに非ず、聖人も亦(ま)た人を傷わず。夫(そ)れ両(ふた)つながら相い傷わず。故に徳は交(こも)ゝ(ごも)焉(こ)れに帰す。
【大体の意味内容】大国を統治するというのは、小鮮(こざかな)を烹(に)るようなものだ。かき回すと形が崩れてしまうので、余計な手を加えずコトコト静かに煮る方がよい味わいが出る。「道」の理に従って、天下における自分本来の位置を見極め、そこに立って生きよ。そうすれば、大地の精霊たる「鬼」が人々に霊威をもたらすように、「道」理の徳が、「処」を得た人の内側から湧き出るように、その人を徳(はたら)かせる。神鳴(かみなり)が天地を突(つ)ん裂(ざ)きこの世に祟(たた)るような暴発はしない。いや、大地の「鬼」霊が祟り神にならないというだけではない。「道」理の徳を体現すれば、雷や祟り神であっても、その人を傷(やぶ)ることはできないのだ。さらに言うと、祟り神が人を傷(そこな)わないというだけではない
【お話】これまで「聖人」を理想的な存在として語りだしてきていたのに、ここでは神よりもマイナスな存在として扱われ、神はまた神鳴(かみなり)(雷)が原義であるように、本来祟(たた)りを為すマイナスな力として語られています。ただし「聖人」よりはましなものとして。さらにその「神」よりも良いものとして「鬼」を真っ先に挙げているのが面白いですね。「鬼」は大地の草木や生き物、岩や土や水などあらゆるものの精霊として、認識されていたようです。後々(のちのち)の時代には、悪いものの代表のように扱われる鬼も、老子の時代にはこうした、生命全般を育(はぐく)む者、人々の、死んだ祖先を指す言葉として、尊重されていたようです。お正月に、「お年玉」をもらいますね。これはもともと「お年(とし)魂(だま)」で新しい年の魂がやってきて、それが体につくから、すべての日本人が一斉に「年を取る」つまり年齢が一つ上がったそうです。明治時代以前は「数え」という方法で年齢を加えていました。最初は、生まれた瞬間で1歳となり、その後は誕生日に年を取るのではなく、正月元旦に「年魂」を獲得してみんな年を取ったらしい。その「年魂」が宿るモノとして、おもちが考えられていたわけです。確かに柔らかい丸餅(まるもち)は、魂が形を持ったものとしてぴったりですね。餅は、もちろん「もち米」という穀物から作られます。秋に稔(みの)る稲穂の、その穀物が一度稔る期間のことを「稔(とし)」と呼んでいたので、「年魂」はさらに本来は「稔(とし)魂(だま)」だったのでしょう。古代中国ではこうした精霊たちを「鬼(き)」と呼びならわしていたようです。私達が食べる様々な穀物や草、野菜、果物、肉、魚などなどには、その者の生命だけでなく、宇宙の「鬼」が宿っている。
宇宙空間に様々な星が生まれ其の星の中であらゆるものが成り立ってきたわけですから、日常の食べ物すべての背後に宇宙の力があるわけです。「僕らは『鬼蹟(きせき)』でできている」。そのことに感謝して、何でもおいしく味わい、元気になりましょう!
(老子道徳経 下編徳経61)
道なる者は万物の奥なり。善人の宝なり。不善人の安んずる所なり。
美言は以て尊を市(か)うべく、美行は以て人に加うべし。
人の不善なるも、何の棄(す)つることかこれ有らん。
古(いにしえ)の此の道を貴(とうと)ぶ所以(ゆえん)の者は、何ぞ。
求むれば以て得られ、罪有るも以て免(まぬがる)ると曰(い)わずや。故に天下の貴きものと為る。
【大体の意味内容】
「道」は宇宙生成の最奥(さいおう)の原理である。善い人にとっての宝である。善くない人にとっても安心して生きながらえる居場所のようなものだ。
美しく飾り立てた言葉を操って、人々からの尊敬を買い集めたり、美しい行いでさらに自分への利益を加えてゆくこともできる。(そんな「おためごかし」は見苦しいものだが、それでも良い報(むく)いを得られるのも事実だ。)
だから善くない人であろうとも、どうして見捨てられることがあろうか。
(「道」理とは、そのような取捨選択をせず、万物万人に働きかけるものである。)昔から「道」が貴ばれてきた理由は何であろうか。
それは、「求めれば、そのことが原因となって、得ることができ、罪があっても、「道」の働きにおいては免(ゆる)されているから」と、言えまいか。
(罪を犯せばすぐに死んでしまうということはないからである)ゆえに、「道」はこの世で最も貴いものと為(な)る。
【お話】
鎌倉時代の高僧「親鸞(しんらん)聖人(しょうにん)」の有名な「悪人(あくにん)正機説(しょうきせつ)」とはこれが源流だったのだとわかりました。
「善人なおもて往生をとぐ、いはんや悪人をや…」で始まる『歎異抄(たんにしょう)』の冒頭の大意は以下の通り。
「自力で善行(ぜんこう)を積み上げ、他力(たりき)を恃(たの)むことの欠如(けつじょ)した人であっても極楽往生を遂げられるのだから、ましてや煩悩(ぼんのう)具足(ぐそく)にして他力(たりき)を恃(たの)む悪人である我々が、極楽往生しないわけがない。
慈悲(じひ)深(ぶか)い阿弥陀仏(あみだぶつ)は、むしろこのような救いがたい悪人こそ救ってくださるのだから。」
このかなり理屈っぽい一節も、老子のシンプルな文章を読めばすっきりと腑(ふ)に落ちます。
特に、「道」とは「不善人の安んずる所」とか「求むれば以て得られ、罪有るも以て免る」といった簡潔な文が、かえって力強く響きます。
よく言われるように、「お天道(てんと)さまはすべてのものを等しく照らす」のであって、こちらの箴言(しんげん)のほうが老子の意をよく継いでいるといえましょう。
「善(よ)い行い」をすれば褒(ほ)められ、「犯罪」を働けば処罰されるというのは、小さな人間たちが行う小さな行いであって、宇宙の大道(たいどう)から見ればどちらも小さな者たちのうごめきにすぎず、大した違いはない、ということなのでしょう。
こうした大きな視点に立てば、宇宙の根本原理に反しない限りはつつがなく生きられるし、「道」に反すれば、自ら滅びの道をたどることになると。
「合理」というか、「道理」に沿うか沿わないかが最重要のポイントになるわけです。
といっても、例えばテロのような非道なふるまいが許されるわけでも正当化できるわけでもありません。
それは当然のこととして、視点を地上的なところから宇宙論的な広がりに転換してみるべきと、老子は訴えているのだと思います。
武術研究家甲野(こうの)善(よし)紀(のり)の言葉を参考にしてみます。
「逆縁(ぎゃくえん)も、出会いの最高形態である。」
愛しあったり尊敬しあったりするのを「順縁(じゅんえん)」とすれば、武人同士が命懸けで戦うのは「逆縁」となりますが、それもまた、互いの全存在をかけた、最高に熱いコミュニケーションである、ということです。
『バガボンド』というマンガの中で、聾唖(ろうあ)の剣士佐々木(ささき)小次郎(こじろう)と、凄腕(すごうで)の武士猪(い)谷(がや)巨(こ)雲(うん)とが、
斬りあいのさなかに互いを認め合い、惹(ひ)かれあってゆくシーンが印象的でした。
「小次郎、俺たちは、抱きしめるかわりに斬るんだな」と決着がつく。
ぶつかり合う命が宙空に昇華した瞬間。
何ともすごい絵でした。
「最強の敵は、最高の友」
2019.01.16 水曜日
00:12 コバルト
駿煌会との感覚が妙に近い気がします。
ぜひダンデリオンさんと駿煌会の直接のやりとりをやってみたいと思いますね。
06:27 虚空
そういう交流が少しずつでも広がるといいんですね!
08:59 コバルト
自分がどの道を歩いているか知ったときに、筋道というのを立てられるんじゃないかと思います。
要はそれは自分そのものの道理であって、例え世間的に外れていたとしても、自分自分達の道理に律することが出来れば、それで十分保たれるんですよね。
特に新選組なんかは厳しい規律の中で居場所を確立したもので有名ですよね。
あれも道筋を建てたもので、それに外れたら切腹という厳しいものだったみたいですし。
でもその厳しさが自分達そのものを見立て、律することが出来たものじゃないかと感じました。
09:02 虚空
「歩いているのか知ったときに」というのが先ず興味深い部分ですよね。今この瞬間には分からないけど、あとで分かるというような。以前諷虹君とT・K先生から送られてきた雪道の資料でやりとりしていた時にも出てきたのですが、今自分がどういう道を歩いているのか分かると、逆にその道以外の選択肢が見えなくなる、というのもありますから(縛りになってしまう)
難波先生が最近のツイッターで幅広い視野ということを発言されたことに対しての異議(?)のようなツイートがあったのですが、いわゆる「専門バカ」にならないような心がけは自ら必要だと思います。(諷虹君とよく話題になるのは、同じ数式を扱う同士でも、案外「数学者」と「物理学者」の交流がないらしいということ。)
10:30 コバルト
たしかに先細りになっていく道や破滅の道などあります、覇道(死んだとしてもそれは本望)という道にありつけるか、たとえば美空ひばりなんかは、歌道に突き進んだ人なんだろうと思います。
舞台の上で死にたいと言えるのはすごいです。
ちなみに道と波(波長)は同義であると言ってもいいかもしれません
波動と覇道!
☆1月18日 金
23:46 ヒマワリ
読みました!
漢文は飛ばしましたが、何故かダンデリオンさんのお話の部分は音読しましたw
誰も聞いちゃいないのにw
全部いいお話だな?と思いました。
型 枷 型破り …ほぉほぉと。
学ぶは真似ぶでござりますね。
数え年の意味を初めて理解しました。
よく耳にしてました数え年とゆう言葉を。
でもふーんぐらいにしか聞いてなかったから、そうゆうことなんだ!って理解。
お年玉の意味も、そうなんだーって感心。
鬼はなまはげだね!
2019.01.19 土曜日
00:04 ヒマワリ
こりゃスケールのデカい話だよ。
お天道様は見てんだかんねって、いいことしてるとこ見ててくれて、悪いことしてる奴にバチが当たるってことかと思ってたら、等しく照らしちゃう系なのね
嫌いな奴は嫌いだ!
因果応報!地獄へ堕ちろ!とか思わない系?笑
神様の領域じゃん。
シシガミ様系ですか、森の道理に沿うか沿わぬか…
命を与えもし、奪いもする。
生と死、死と再生。
はーーーん?
10:47 ヒマワリ
もっと頭の中に釣り糸を垂らしたら、もっと他に何か出てくるかもしれない。
数学的だし、福祉的だし。
↑あの老子道徳経 下編徳経59の部分。
18:50 ソルティ
難解でしたが、ダンデリオンさんの剣道のお話しが面白かった。
悪人しょうきせつは いまだに やっぱり書き直してほしいと思う。あと、カトリックの聖歌で「幸いなるかな~」というのがあって、幸いなるかな~義にうえ乾く人~天国は彼らのものである~。まあこれは良しとして、「幸いなるかな~ 心の貧しき人~」 これがどうしても、(なんでやねん?)だった。だけど、宇宙って 何でもあり! あなたの存在、それ自体が素晴らしいのですよ~。と言われているんだと理解することにした。
19:28 ソルティ 
悪人正機説は書き直してほしい、と書きましたが、親鸞さんに凡人にわかるように書き直してほしいという意味です。

☆2019,01,09ラインやりとり③ 「美について」ダイエット・呼吸法等々 

10:46 コバルト
それと痩せたヴィーナスはもっと美しくなるのか?という実験画像を載せました。
画像投稿
https://rocketnews24.com/2013/01/02/281656/
これを見て感じた事は突き詰めて行くと美と生命力はイコールかもしれない。
二人分以上の生命力を持っているか、自分1人だけ生きる分の生命力を持っているか
11:06 虚空
モデル体型のサイト、面白いですね。載せられてた感想も興味深い。
商業主義に踊らされ洗脳されている風潮に対して何とかしないとならないですね。
個人的には今のアニメやゲームでの極端に特定の部分を誇張した(巨大化させた)描写も人間観に歪みを生じさせていると思っています。はっきりいって嫌悪感を感じますから。
名画の裏側にああいったエピソードがあって、「えっ」って思ってしまうのも当然だと思います。私もそう思いましたし。
この前からのやりとりで「見えない部分を」ということに意識が以前よりむ向いたのか・・・フト先ほど思ったのは、作者も鑑賞者もあのギリシャ神話を詳しく知っていたわけだよな・・・ということ。そこからあの一瞬のイメージをつかみとり、絵画として永遠の生命を与え、定着させたという心象はすごいな、とも思いました。
11:13 虚空
昨日の 諷虹・虚空のやりとりをブログにアップしました。理数がらみ、アニメがらみの話題が大半をしめているので、分かりにくいとは思いますが、ところどころ、ずっとラインでもやりとりされている発想と関連の深いところがあります。
それらと特に関連の深い上原先生の言葉が児言態のツイッター https://twitter.com/jigentai &ブログにあります。
11:34 コバルト
さっきの絵の対照的にしてみたことで、物事をあえて変えてみることで見え方が変わるかもしれないですね。
今思えばピカソも同じ事をやっていたのかも、U字理論ですね。
要はぶっ壊す事で形を無くしてしまえば、後は感じとることしか出来なくなるということですね。
12:12 虚空
出た! U字理論!!
12:14 H・N (仮称です)
あのう、U字理論ではなく、U理論です!
12:27 ヒマワリ
ここでH・Nさん初登場は笑った
痩せたヴィーナスは有りっちゃ有り。
常識は時代とともに変わっていってしまうものですね
変わらないものももちろんありますが。
12:42 虚空
ようこそ、H・Nさん!
お忙しいとは思いますが、どんどん風を吹かせてください!!
(このラインのやりとりをブログなどにアップする際にはニックネームということになっています。ご連絡ください。
また、もしこれはネット上で公開しないでほしいという内容の場合は、その都度明記してください)
よろしくお願いいたします。
12:43 虚空
ヒマワリフクロウさん的には、有りっていうのとは別にして、どっちが自然に受け入れられますか?それともそれぞれ甲乙つけがたいですか?
12:45 ヒマワリ
自然に受け入れられるのは痩せてない方だよ!
見慣れてるからこそね。
もし痩せてるヴィーナスが世に出回ってたら、そっちを自然に受け入れてたと思うよ。
そうなると逆に今の現代では太ってる方が美しいってなってたかもねw
12:50 虚空
ヒマワリフクロウさんのように内面との対話が小さい時からできていると「時代の流行にただ流されている」というのではなくて、「流れを自然に受け止めて自由自在なとらわれのない境地」で生きる事ができると言えますね。
この両立を目指すというのも、この前から出ている 0と1 とか 見えない部分を埋めようとする構え と通じますね!!
12:59 ヒマワリ
理想と現実とゆうか。
実際むちむちヴィーナス綺麗な肉のつき方してるからね、たーだ太っただけじゃあんな綺麗さは出ないよ。
むちむちヴィーナスが美の象徴だとしたら、なんで現代はカリカリヴィーナスを目指したくなったんだろうね。
やっぱ人間はじめっからさ、「これが美しいんだ!!」って押っつけられたら逆らいたくなるんじゃない?
万年中二病反抗期な私だけかな?笑
コバルト君の言う知ると死ぬが同じだとしたら、やっぱ知りたいくなっちゃうんじゃないかね。
痩せていたら本当に美しくないのかとゆうことを。
今の時代ガリガリ良いって人はかなりいなくなったと思うよ、今はどちらかと言うと出るとこ出てて、しなやかな筋肉がある女子が好まれてる。
気づいて、戻ってきたんじゃないかね。
13:05 虚空
実際にひと頃は(失礼な言い方ですが)骨格標本になる気? と聞きたくなるような女性が誇らしげに「スリムになりました!」っていうのをたくさんみかけましたよね。実体としての体のイメージがどこか飛んで行ってしまって、「数字」だけが一人歩きしていたかのような。数字が増えるのは悪 減るのは善 というような二極状態。
出るとこ出てて というのはまさに両立! 「しなやかな筋肉」というのも「体感」が伴っての言葉が復活している証拠なのかもね。
13:10 虚空
 「万年中二病反抗期」って言われれば自分もそうかな????
でもそこで逆らったまま本質を見失って流れ去ってしまう人と、そうした逆らう気持ちなどによる心のゆらぎを、真実を再確認しようとする方向にできる人との違いが「構え」としてあると思います。
13:26 コバルト
これはH・Nさん、失礼しました
ご指摘ありがとうございますm(_ _)m
14:09 ヒマワリ
ふむふむ、良き構えを持っている自分に自信を持とう
14:28 ヒマワリ
ずっと前にたぶん姉ちゃんから聞いたのかな?
家庭教師の時に、1週間食べた量の重さと、体重の増減は同じなのかってゆう実験レポートの話。
(うんち)で出した分を引いたって、食べた量そのまんま体重増えないよねって。
じゃあ食べたものどこで消費してんのって言ったら、その正体「呼吸」だよって話。
そうゆうの実感を伴って分かってたらさ、カロリーどうのこうのとか体重とか、そこまで数字に囚われる人間にならないと思うんだよねー。
それよかいっぱい呼吸して、内側との対話っつーか、内臓意識っつーか。
立ち居振る舞いとかさ、そっちに意識が行くハズ
14:39 虚空
不自然なダイエットとか不規則な生活をして内臓をはじめとしての各細胞の働きが低下すれば基礎代謝量が減ってしまう・・・それを太りやすい体質だと勘違いしている人も多いかもね。
現代人は呼吸が浅くなっているということで多くの問題が指摘されているけど、それも当然関わっていると思います。
(食べたものの質量・・・有機物の重さ・・・炭素の重さ・・・として外に放出される最大の形は、吐く息の中の二酸化炭素としてだそうですから)
☆2019,01,11金曜日
08:20 虚空
『コバルト 少なくとも思考は感覚の妨げになります。』
に関してですが、思考や知識は「縛り」にもなるし「解放」にもなる・・・なんだかんだ言っているけど、コバルトブルー君は、いつも思考や知識を解放のツールに使えているといつも思っています。
09:47 コバルト
 やはり自然体をメインにしている部分があるので、知識や思考は言の葉と一緒にしている感じがします。
21:48 ソルティ
ナイト!ビーナスの絵。。。細い方の絵なんだけど、体全体からみて、一つ一つのパーツの(腕とか)を細くしていく方法がアンバランスなのでしっくりこないようにも思えるな。
21:51 虚空
 全体のバランスって大事ですよね。(だからこそ極端に誇張したゲームやアニメの作画には拒否反応が起きてしまいます)
21:51 ソルティ
うんちの話。。。昔栄養の勉強をした時に、体を36~7度に燃やすのにエネルギーを使うということも習ったような?だから脂肪を燃やしていくのには、しっかりたんぱく質を取る。そして野菜ミネラルを取れば、勝手に体についた脂肪を燃やしていってくれる。みたいな話をききました。
呼吸に関しては、ヒーリングをするときには、深呼吸(呼吸)はすごく大事で、それこそ体の中の空気をぜ~~んぶ吐き出す。胸にもお腹にも目いっぱい入れるという呼吸を練習しました。体の中の気を全部入れ替えるイメージなんだと思います。
真面目に。呼吸(法)やっていた時は、体幹もきちんと立っていて、姿勢も少しよくなっていたと思うけど、今はだるだるだな。生きる姿勢とリンクしているようにも思える。
22:43 虚空
「息」=「生き」というのはよく父にも言われていました。
昔からの呼吸法をしっかりとするだけでかなりの病気が退散していくとか・・・
☆2019.01.12 土曜日
00:44 コバルト
ちなみに格闘技などで重要なのは呼吸の技術です。
空手などでは徹底的に呼吸法を仕込まれました。
鼻で一気に空気を吸って、口から10秒ぐらいかけて息を吐く事をしていました。
そしてに相手からの打撃に合わせて息を吐く事を反射的に出来るようにするんですね。
逆に息を吸った状態でボディーブローを喰らうと大ダメージになってしまいます。
00:49 虚空
自分の呼吸を相手に悟られたら致命的なんだね
00:52 コバルト
その通りです?
だからまず肩で息はしてはいけないんですね。
00:56 虚空
だいたい昔の日本人は腹式呼吸こそが呼吸だったしね。
あとは神社なんかの狛犬や寺の山門にある仁王像が「阿吽」となっている・・・「生と死」だもんね「阿吽」って。