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☆ウルトラマンの生みの親を交えての上原先生達対談 を読みながら 記事に先立って

実はこの記事、昼頃にはアップする予定でした。

その作業に入ろうとした時に飛び込んできたのが、「京都アニメーション火災(放火)」事件です。
京アニについては、やはり諷虹君ともよく話題に出ていたのですが・・・ショックなどというレベルではありません。

今回のやりとりのキーワードは「序破急」で、特に「破」の意義がしばしば登場します。

しかし、それは今日起きたような社会の秩序を「破壊する」のを肯定するような意味では決してありません。
従来の枠にとらわれている自分や社会に新しい風を吹かせる・・・これまでの枠から脱皮していくための「破」です。

それは自分にも周囲にも社会にも、より大きな深い「幸せ」をもたらすための「破」です。
①での内容からして、人によっての意識世界のズレが想像以上に違ってきているという現代社会の病理に関係してくると思います。
なので予定を変更して、駿煌会ラインでの、今回の事件についてのやりとりを、先に一部紹介しておきます。
(#京都アニメーション #京アニ )
19:31 虚空
京都アニメーションの続報があるたびに、どんどん心が沈んでいっています。
あの会社の作品にも随分と初期の頃から影響をうけているんで。
さっきも続報のニュースをみて涙がこぼれました



19:32ヒマワリ
さっきちらっとニュース見たけど、なに放火なの?



19:33 虚空
放火のようです。「パクりやがって」という捨てゼリフをはいていたという目撃者もいるんで、なんかの逆恨み?

 印象深い京都アニメはいろいろありますが、諷虹君とよく話題にしたのだと、中二病でも恋がしたい 小林さんちのメイドラゴン 響けユーフォニアム とかですかね。 Kanon などは、車椅子の知り合いの方に勧められて観ました。



19:37ヒマワリ
放火なのか…
それは悲しいし、なにもそこまでしなくてもね。
知ってるアニメあるだけに余計ね。



19:45 虚空
Wikiなどで調べると分かりますが、あの会社って、非常に古きよき日本の老舗の業者という感覚を残しています。
外注などはしないで、気心しれたスタッフ同士が連絡を密にして「いい作品を生みだそう」という姿勢。
だから社員はみんな部品としてではなく、家族の一員という感覚の会社です。
それだけに、一度に大勢の社員を失ったというのはね・・・・・・・・・・・・



20:50 虚空
今回のことに関してネットでこういう記事がありました。
京アニ社長「残念で断腸の思い」=惨劇に悔しさあらわ
2019/07/18 19:48時事通信
 死傷者多数を出したアニメ制作会社「京都アニメーション」の火災で、八田英明社長は18日午後、京都府宇治市の本社前で取材に応じ、「こんなことになり残念で断腸の思いだ」と悔しさをあらわにした。

 放火されたスタジオについて、同社長は「会社の核となる場所」と説明。事件当時は監督をはじめ、原画やキャラクターデザインの担当者らも現場にいたことを明らかにした。

 会社には、数年前から作品への批判や、スタッフの殺害予告が相次いでいたという。同社長は「弁護士に相談したり、警察に被害届を出したりするなどして、その都度対応してきたつもりだった。ここまでする人がいるとは想像もできなかった」と言葉を詰まらせた。

 その上で、「暴力行為に訴えてどうするのか。作品に批判があるならちゃんと主張すべきだ」と怒りを隠さなかった。



20:53 虚空
話し合いという「人間としての基本姿勢」が急速に失われている世界ですね。
不満があったら問答無用でこの世から消し去れというような・・・・もしかしたら、幼い時からテレビゲームなどで邪魔者は消す、嫌ならリセットする・・・そんな繰り返しをしてた世代がこういうようになってきているのかもしれません。



21:23 コバルト

https://news.yahoo.co.jp/byline/usuimafumi/20130608-00025545/
ある犯罪心理学者は語っています。
「殺意を待っている人に殺人を実行させる方法は、誰も彼に話しかけないことだ。」
みんな人付き合いを無くしてしまえば、感情を抑えつける堤防がなくなってしまい、暴走にいたってしまうんですよね。



21:34 虚空
この前のサイゼリアでの言葉を使えば、自分だけの「起承転結」の世界を邪魔するような人間も社会も消えてなくなれと極端な「破」に及ぶ。

人との関りが希薄でゲームやネット三昧で暮らし続けると、(サイゼリア対談で語り合ったように)ものごとの認識の仕方そのものが歪む・・・そこが多分想像以上に・・・。

あたりまえのことですが、人間と生の交流をしながら人間として成長していくわけだよね。

乳幼児のときからスマホやビデオやゲーム機や各種教材でのやりとりばかりで大きくなっていく子が社会の多くをますます占めていきます。

今回のことは決して他人事ではありません。
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☆ 「現実」との真のおりあいとは? ~個々人の「世界定め」と「認め合い」~

先にアップした ことりのおやつ君参加時の前後でのラインやりとり記録です。

「夢」の世界をベースに生きていた幼少期から、4年生前後に「現実」をベースにした生き方に一度転換する・・・ということは発達心理学でも指摘されていたことですが、上原輝男先生はそれを積極的に「転換させる」方向にと主張されていました。

それの一つが中学年での「論理思考」の訓練であり、あるいは「ボケとツッコミ」の授業だったわけです。
そうしたことが、人間としての成長にどういった意義があるのか・・・そこがこの数日のやりとりの核心部分です。

「量子論」の・・・特に「量子もつれ」のこともからんできますが、我々も特に専門的にきちんと理解しているわけではなく直感でやりとりしているので、難しく考えずにお読みください。

昨今の「迷惑動画」等々のことに関しても言及しています。現実と夢の世界(歪んだ遊びの世界)との区別をつける能力が未発達な事例だと思うので。


2019.06.29 土曜日
13:21 コバルト
風が起きるということは分母と分子がひっくり返えるから起きるという事じゃなくて、分母と分子が回転するから風が起きるんだと今思いました。


13:25 虚空
この「回転」を自由自在に起こせるようになるというのが、おそらくひっくり返ったあとの段階。
5~6年生や中学生・高校生・・・

この回転を通してどんどん「超現実」だとか「俯瞰・鳥瞰」だとか「大自然・大宇宙」や「極微の世界」「見えない世界」・・・「並行世界」等々と共鳴し合っていく・・・そんな感じになるのではと思っています。

そこに量子論・・・特に今気にしている「量子もつれ」のことがどう絡んでくるか?????


15:01 コバルト
https://youtu.be/pS6P0FyW7mE
 量子のもつれこそ、意識の発生に繋がるということですかね‥
デジタル(方法など)でどこまで高性能にすれば意識は発生するのかでなくて‥
量子もつれこそ意識そのもの?



15:54 虚空
紹介してくれた動画は「モーガンフフリーマン」のシリーズの一つですね。
いろいろと興味深いトピックに満ちた番組で、大量に録画していますが、丁寧に全部みてはいないで、ただ円盤に焼いただけというのもあります。

この番組でも量子論や宇宙論はいろんな形で登場しています
例えば「ダークマターの正体は未知なる素粒子ではないか」とか、「超ひもの振動によって素粒子が誕生・・・振動が違えば違う素粒子・・・この世界とは違う素粒子で出来た世界も理論的にはともでもなく存在しうる」等々の考えに、「量子もつれ」を添加すると、従来「非科学的」「迷信」と言われていたことが、案外科学的に説明できるかも・・・ということで、この所量子論に新たな視点を得ています。

(以前は「重ね合わせ」「相補性」という側面が中心だったんですが)


その考察のとっかかりの、一つが現在公開中の「青春ブタ野郎」も含めての、あのブタ野郎シリーズ。
2019.06.30 日曜日

13:30 虚空
ゆうべの ことりのおやつ君 の、精神の病のいろいろな話を踏まえて読み返すと、さらに大切なことがみえてくるような気がしました。
17:22 コバルト
ことり君の(妄想の世界が自分にとって現実なんだ)というのが印象的でしたね。


19:07 虚空
児言態の雑誌18号の原稿に書いた「意識世界」(世界定め)の内容そのままという感じでしたね。

それと昨日も言ったけど「青ブタ」の量子論的なことからくる「真の存在」の意味とか。
諷虹君とよく話題にする「このはな綺譚」・・・もし機会があったら彼に観てもらってもいいかもしれません。ああいった感覚が普通に展開されているアニメや漫画などもあるんだと、知ってもらう事は。
単に私の持論というのではなくて、そういった見方も広がりつつあるんだと知ってもらうためにも。
19:33 ヒマワリ
読んだ。このはな綺譚読んでから、昨日のやりとり読み返した。
なんだかなぁ…ほんと、その人の目に映るのもが本当(現実)なんだから、それでいいじゃないかって。
今なら言ってあげられるのにね。

 私も昔よく、植物見ると、顔に見えてくることよくあったよ。
葉っぱとか、木目とか。

友達にあれが目で、これが鼻に見えない?って聞いたりしても、う?ん?みたいなリアクションだったし、自分的にもさほど気にしてなかったけど、そういうもんじゃんね。
私にはそう見える、友達にはそう見えない、ただそれだけなのに。
病名つけたり、オカシイとか、なんなんだろうかこの世の中はと思ってきた。



19:39 虚空
そうなんだよね。
そもそもどんな人間でも、自分のフィルターを通して知覚して、世界をつくりあげる。
(18号の記事も読み返してみらえると分かりやすいかな???)
あとはそれを互いに尊重しあうことだと思います。
みんな違っていいんだけど、それが好き勝手にバラバラで自分勝手でいいだろうじゃなくて、それらをきちんと受け止めて、認め合い、そして重ね合わせて「独りではなしえない新たで豊かな世界を一緒に作っていく」・・・
自分独自の世界でいい・・・というのは決して孤立への道ではなくて、互いに刺激し合ってどんどん世界を広げ深めていく・・・「響き合い共鳴しあっている実感 からの喜び」とでもいうようなね。
このはな綺譚のビデオを前にみてもらったけど、そうしたことを認め合えたから、花嫁御寮では、娘も年老いた母も幸せ気分で成仏できたわけだし、嘘つき少女だって、元の世界で息を吹き返した時に、本当に分かってくれる友達と出会えたわけだし・・・


 病名をつけるのが必要なことだってあるんだけどさ・・・でも近年は、本当に当事者のためではなくて、昨日も話したように「大人の責任逃れ」の口実のために、っていうのがみえみえの場合がある。これが困ったもの。



2019.07.01 月曜日
22:58 虚空
駿煌会ブログアップです。ツイッター記事転載
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☆小学生以降にも小学校教材 「ごんぎつね」 + そこからのあれこれ
Nanba先生のツイッターにあった記事をきっかけにしてのラインやりとりです。私も中学生以降の段階で「ごんぎつね」はよく使いました。
話は「みんな同じになるのが協調性なのか?」にも言及です
  http://syunkoukai.edoblog.net/Entry/355/ 
☆ 妻が願った「最後の七日間」 からのラインやりとりをブログアップです  http://syunkoukai.edoblog.net/Entry/356/ 
たまたま朝の情報番組で知ったこの歌のことから「アニメのラストシーン」で海外に受け入れられないもの等々から「日本人の悲劇性に対する独特な見方」ということへ話が発展していきます。

最後の方で簡単に触れているのですが、悲劇をさける風潮が一部で広まっていて、例えば「ごんぎつね」のラストでごんが死んで可哀そうと感想を書いた子が厳しく叱られるとか、「かちかち山」でハッピーエンドとか、いろいろあるようです。でも果たしてそれが本当にいいのかは検証が必要だと思います

悲劇性をあるいみで好む・・・美化する風潮・・・は一つ間違えると、軍国主義者等々に歪んだ利用をされてしまう発想です。
でも本当に大事なのは、古来から日本人が目に見えない世界を本体とし、そこからどんな人生観を得て、現実的には大変な日々の暮らしを生き抜いてきたのか、という点だと思います
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23:35 ヒマワリ
ブログアップお疲れさまです!
 文字を打つのってほんと大変ですな。
ただ打つのももちろん、人の言葉を聞きながら指も動かすっつーのは大変。


23:47 虚空
大変だけど、残すだけの価値があると思うし、その価値はあとになればなるほど、大事になってくるかな、っていう予感があるのでね・・。

本当に駿煌会のやりとりでみなさんの意識にひっかかってきて、話題にしていることや発言している内容って、あちらからの信号とか、宇宙等々との共鳴などがいい意味で錯綜していると大真面目に思っています。
2019.07.02 火曜日
00:08 虚空
ことりのおやつ君から次々と質問がでて、無我夢中で答えたあたりはほとんど同時記録はとれていないけど、一応録音はあるんだよね。でもそれを聞きながら起こしていくのも、大事なんだけど、今優先は番組アップの方かなとも思っています。
「青ブタ」の量子論関連の記述も、やっぱり関係が深そうなので、こちらも早くやりたいところ。


08:05 虚空
今朝、別のサイトに載せた記事です。
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連日のように、朝の情報番組では問題動画の投稿に関して世間が批判をしているということがとりあげられています。どんなに批判されても本人たちは「受け狙いの遊び感覚」なのでしょうから、ネットで閲覧者が多数とか拡散したというだけではなく「テレビでも騒がれたぞ」というのは勲章なのかもしれません。
それであとからあとから迷惑動画が投稿され、内容もエスカレート。
ビルの上から爆竹を道路に投げ落とすとか、サッカーボールで破壊活動をするとか・・・もう遊びや冗談では済まされない犯罪行為です。
昨日は「警察官をおちょくる動画」、今朝は「電車のドアにわざと挟まれてみる女子高生」・・・・警官の場合は怒り出すまで踊ってみようという呼びかけもあって、それに応じての行為がエスカレートしているようです。
このようなノリでしばらく前にもありましたが、気に入らない教師をしつこく挑発して怒らせ、それを仲間に隠し撮りさせて、ネットにアップというようなことがますます横行するでしょうね。例の子供虐待禁止の法律の流れなどもありますから、わざと大人を怒らせる(挑発する)そして、厳しくしかられると「パワハラとして訴える」。
もちろん間違ったパワハラや虐待は論外ですが、無法者の行為に対して毅然とした態度でビシッと叱るという行為が日常から完全に消える・・・迷惑行為をしたって叱る方が悪者という意識に国家がお墨付きを与えてくれたような間違った優越感・・・一体どんな世の中になってしまうのでしょうね。
こうした迷惑行為が後をたたずにエスカレートすれば、当然のことながら「規制」とか「厳罰化」というながれがきます。今度は国家が国民を縛り付ける風潮にお墨付きを与え、ハッと気が付いた時にはものすごく不自由な日々が待っているとも言えるでしょう。
法などで規制される前に、本当に自分の存在を日々模索することを大事にしてほしいものです。そしてそれには時間だってかかります。面倒だからパッと目立てるように、ということで今のようなことをしていたら、結局寂しい想いをして生きて人生を終えるのは誰でもないご自身ですから。
(別の話題に移って)
このところ諷虹君たちと量子論から発展していろいろな考察をしているのですが、その中に高い山の上で人知れず咲いている花の存在 というようなことも出てきます。それを思い起こしました。

混沌としていて、絶望的というか嫌な事ばかりの日々ですが、その見えない部分にある、真実の美しさ等々を見出したい・・・そのためのとっかかりというか、道しるべを切望している・・・そんな今の気持ちを代弁してくれているような歌だと感じました。



19:26 ヒマワリ
最近はそんな動画がアップされてたんだねー。
なんなんだろうね?こういうことする高校生。
いいね欲しさなのかな?
こういうバカなのはほんと世の中の一部の一部の一部であって、普通の人がほとんどな世の中であってほしい。


23:37 虚空
先ほどの高3の授業・・・完全に物理や化学の観点からのエネルギーの話がずっと続いて・・・そこから「感情」に切り込みました。

やっぱりどこぞの宇宙生物ではないですが、感情は「喜怒哀楽」ではなくて「一種のエネルギー」と考えた方が、上原先生の発想との相性がいいです。
「イメージ運動」なんて言っているくらいだし・・・最近の量子論のことをふまえても、ますますね・・・・
(枠を超越してしまうエネルギー)



2019.07.03 水曜日
10:20 虚空
やっと28日のやりとり記録をブログアップです。

ツイッター記事転載
::::::::::::::::::::::::::::::
* 6月28日の諷虹 虚空のやりとりをブログアップです。
タイトルからして「量子論」という言葉が冒頭にあり、内容も例の如くほとんど一般に知られていないアニメを通してですから閲覧は敬遠されそうですね。
でも、そういう部分は読み飛ばして結構ですので是非目を通してみてください!

*量子論からみる「心の考察」①  ダンデリオンツイッター「高山植物」からアニメ「ブタ野郎シリーズ」:  http://syunkoukai.edoblog.net/Entry/357/ 
もしかすると現代社会の心の問題を考える鍵になるのではと大真面目に考えています。「雲海」「高山植物」というのは美しいと共に、とっても量子論的な気がします

*量子論からみる「心の考察」②  「異形の存在」と「運命の先導者」:  http://syunkoukai.edoblog.net/Entry/358/ 
天狗とか七福神などの異形な部分を持つ顔の存在が、先導者の立ち位置・・・といおうことが、量子論での「観測者による確定」の方向性と関わるのではないかという内容です。

*量子論からみる「心の考察」③ 「名前」の先導作用 から 老荘思想の「道」へ:  http://syunkoukai.edoblog.net/Entry/359/ 
先の「先導者」ということと「名前の持つ力」ということから、ダンデリオンツイッター記事の老荘思想からみる「道の考察」へつながっていきました。「通り名」と「道」の関連も含めてです

*量子論からみる「心の考察」④ 量子論と上原輝男流「遊び意識」⇒真床覆衾としての「おうち意識」:  http://syunkoukai.edoblog.net/Entry/360/ 
量子論での相反することが混在している「場」と、上原輝男先生が説く「遊び」が成立している「場」の問題、それを「おうち・真床覆衾」につなげています
*量子論からみる「心の考察」⑤ 先験的イメージとの関連を経て、再び「名前と存在」の考察へ:  http://syunkoukai.edoblog.net/Entry/361/ 
やりとりは自然な流れとして「先験的イメージ研究」での「四つの仮説」と関わっていきました。(特に「邂逅性」)
それを経ると前半の「名前」に関する考察がより深まりました

*量子論からみる「心の考察」⑥ 相反するものの重ね合わせ・共存:  http://syunkoukai.edoblog.net/Entry/362/ 
最近NHKプロフェッショナルで紹介された「腰痛専門のすご腕ドクター」の「問診がすべて」という基本姿勢からの発展です。
医療に限らず、教育現場でも日常生活でも、こうした「ナマのやりとり」は大切!

*実はこうしたやりとりの次の日、長く精神科を受診しているという若者(ことりのおやつ君)が駿煌会の会合に参加、赤裸々にいろいろ語ってくれました。その内容が、非常にこれらのやりとりと関係の深いものでした。
御本人の了解を得て、近くそれもブログアップの予定です。
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2019.07.04 木曜日
05:29 虚空
今朝みつけた記事

2歳児の1割超がもう「スマホ依存」 母親2000人の調査で判明 専門家「リスクは未解明、ほどほどに」 
https://news.goo.ne.jp/article/sukusuku/life/sukusuku-17630.html
身体への影響もさることながら、きっともっと深刻な影響が後々出てくるのは次の記述のあたりでしょうね。
ナマのふれあいからしかうまれない「共振・共鳴」の力が未発達になってしまいそう。

もちろんお母さんが追いつめられている状況も、単に「母親としての自覚を」などという精神的な一般論だけでは全く解決しないだろうし、それを単に批判だけしていたら、親子共倒れになってしまうという可能性も高まってしまいます。

⇒母親の育児ストレスが影響
 調査からは、母親と子どものスマホ依存傾向には相関関係があり、さらに、母親の育児ストレスが高いほど、子どもと過ごしていてもスマホをいじってしまう傾向が高くなることも明らかになりました。

 橋元教授は「母親自身がスマホ以外のストレス発散法を見つけてほしい。また、知育面では読書、脳の発達には外遊びは重要。母親が一人で抱え込まないよう、父親がサポートを」とアドバイスします。そして、「子どもと目を合わせること(アイコンタクト)が、子どもの共感性や安心感の醸成には欠かせない」と力を込めます。

 調査全体を通して、橋元教授は「幼い子どもがスマホを使うことの影響は現時点でははっきり分かっていない。親の使用も、子どもに使わせるのもほどほどに」と呼び掛けています。



2019.07.05 金曜日
20:36 コバルト
TwitterのNanba先生のどうすればゴンキツネは殺されずにすんだかという考察は面白いですね。

ちょっと路線は違いますけど、キツネや蚊みたいな害獣や害虫(害人もある)とされていますが(ましてキツネは現代でも駆除の対象になっていて、罠だったり鉄砲で撃たれたりとしている)

害があるものに対して人間が攻撃的になり殺さないですむ方法って一体どんな方法なんだろうと‥
それは感情があっての事なのか、それとも無感情であるからなのか‥?
現代人は果たしてナウシカみたいに害虫達にも心を通わせられるようになれるのだろうか?
これからの季節、蚊が大量発生しますが、きっと私は血を吸いにやってきた蚊が領域内に入ってきたら反射的に殺虫剤などで殺してしまうと思います。
益虫と害虫とかありますが、ゴンの場合は害獣が実は益獣だった事もあるわけで、これにも両義性があるんですよね。
もっと広げると蚊だって植物の媒介者であって、世界で一番人間を殺している人口の調節者でもあるわけで、自然視点で見れば益虫であるんですよね。
少なくともまったく違う角度からの恩恵は受けているはずなんです。
視点を増やすと見え方というか受け止め方が変わってきますね。
今度丁寧にゴン狐にやってみたいですね。



21:24 虚空
ちょうど今、諷虹君宅で「純粋経験」と「仏教の相反することを一つに」(先日こころの時代という番組でロボット工学の学者が語っていた内容。これもできれば文字起こしをしたいと思っているけど、いつになることやら)

そして、それに諷虹君が数学の「重み付グラフ」の話が加わって・・・という真っ最中です。

実際にNanba先生がどういうようにされたのかは企業秘密だとしても、虚空がやったことを元にしてさらにあれこれ考えるのは大いにやってほしいところです。



21:35 Nanba先生
yes!



22:17 虚空
ちなみに、今諷虹君と語り合ったばかりのやりとりです。
今季アニメの略称「うちの娘。」という(元のタイトルは30文字以上)ことをきっかけの内容です。

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虚空 あれなんてみるとね、今の社会が忘れているような・・・かつての・・・幼い魂を愛しむとか、守ってやりたいっていう本能のようなものを描いている・・・今の社会に対して、それに目覚めようよ、といっているようなね。決して幼女趣味なんていう歪んだ観点じゃなくて、かなり大真面目に描いていた。

諷虹 今は守ってやりたいじゃなくて、守られたいですからね。大人になっても。
(バブみ)
⇒年下の女性へ求める母性、あるいは年下の女性から感じる母性。(ピクシブ百科)
注)ネット上などではどんどん意味が変化してしまっている
虚空 そう考えるとね、自分達とかいわゆる普通の家庭で育っている子たちとは、全く違う意識世界が出来上がっていると思うんだよね。そういう虐待とか受けている子たちは。
そうした結果、「みんな」と称せられる社会の型からはみ出ていると、精神に異常があるというレッテルをはられてしまう。

学校でもいろんな精神の歪みに対して名称がつけられているけど、それの功罪っていうのもあると思うよ。

自分が教師をしていた頃だって、今だったらそういう病名がつくようなケースはあったのかもしれないけど、知らぬが仏というか、そんなことを全く気にしないで対等に接していたから、周囲が驚くような変化が起きることだって珍しくなかったからね。


2019.07.06 土曜日

07:14  ソルティ
Nanba先生のツイッターがどこにあるのかがわからないんですけど、どうすれば殺されずにすんだのか?という発想がまず私にはなかったな。そんな方法があるんだったら是非ともきいてみたいな~と思う。

私はまるまるがきんちょの部分があって、物語や映画は いつでもハッピーエンドが好き!なんですよ。自分がくら~~くなってしまうような映画などは積極的にはみないようにしている。だって気分が悪くなる。

虫。。。大の苦手。実はマイルームのベランダにうじ虫がやってきた。おとなりさん(スポーツをやっている人)のシューズが発生の場所だったんだけど、必死で歩いているその姿にはお気の毒とは思ったけれど、あの手この手で殺してしまった。いのちを奪うという行為が どうにも気まずかったので、「 南無阿弥陀仏 」と唱えながら送った。

蚊も ぱちんとやる。これは痒みという私にとっては実害をうけるので、まあそれはいいかな~と思う。刺されるひととさされない人がいるのはなぜか?とか右足だけさされるのはなぜか?
( 学童にて) スピリチュアル的な意味もあるみたいなのでそのあたりも考えてみるとおもいsろいかな?と思う。

またTVで、妹が蚊にさされて可愛そうだというので、なぜか?ということをずっと研究していた男の子( 中学生だったか高校生だったか?)が 足の裏をしっかり石鹸で洗うことによって刺されることが減った。というような発表をしていたように記憶している。(ちょっと怪しい記憶)はえにしても、蚊にしても 清潔にしておくことはいいんだろうな~と思う。


2019.07.07 日曜日
07:23 虚空
今朝の別サイトに載せた記事です。
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今日は新暦の七夕ですが、夜中から強まった風がそのまま吹き荒れています。とても星などみることができるよな天候ではありません。
ゆうべは中学生と天の川がみえるような星空について話しました。まだ天の川はみたことがないというのですが、実はわたしが天の川ってあれか、とちゃんとみることができたのは、教師をやめて以降です。

近年「夕日」もみたことがない・・・日の出などは早起きしないので尚更・・・という若い世代とか子ども達がますます増加中ということですが、もしかするとネットとかで観ているからもう観た気になってしまっているというのもあるかもしれませんね。絶対にナマでしか感じられないこと、ってあるんですけどね。

だから小学校の段階で電子機器を導入することにはもっと慎重になるべきです。電子黒板も含めて。

宇宙論研究などで世界最先端の科学者が登場する番組をよく観ていますが、そうした方々がインタビューを受けている大学の研究室などではほとんど例外なく、大きな黒板にビッシリとチョークで数式が書かれています。
これってとっても大事なことを示してくれていると思うんですよね。

「その時その時の旬の最前線は、アナログでなければ記録できない」とか、「全体構造をとらえつつ、部分もみていく・・・木も森も同時にみていく」ということ・・・・等々。

だから大学生までは、やっぱり紙の辞書や百科事典を使わせるべきだとも思っています。特に英語なんていうのはそうですね。電子辞書ではもっとも大切な部分が伝わりません。確かに音声再生機能付きという紙の辞書にはできない芸当もありますけど、全体を貫いているものを会得する、様々な情報の根底に流れているみえない部分をキャッチする、そういう能力は低下するばかりです。

人生を有意義に感じ取っているということに結び付ければ、天の川がバッチリとみえるような満天の星空のもとで、寝そべって一人ぼんやりと眺める、なんていう経験があるのとないのとでは随分違いますね。私がそれを体験したのはかなり年齢が過ぎた時ですが、それでもその後は変わった部分がありました。子どもの頃から是非体験してほしいものです。
22:12 ?たぬき先生 ジャガー横田さんと小児科医の対談、

高橋 ちょっとしたことで来ていただきたいんですよ。多くの場合はそんなに心配しなくていいことばかりなんですね。それをお母さんに来ていただいて、お子さんの前で安心してください、と。「風邪です。早くおうちに帰って寝ましょう」と。
そうするとお母さんが安心するでしょう。それを観ているお子さんが安心するでしょう。そうすると病気は半分治ったも同じですね。
で、以前あるお母さんがこぼしていた愚痴を思い出しました。


心配だから夜間に時間帯に子どもをつれていくと「こんなことくらいでつれてくるんじゃない。もっと緊急の子ども達がたくさんいるんだから」と叱られた。
しばらくして、今度は違うことで様子がおかしいと思ったが、またこんなことでと叱られそうなので、朝になって連れいったら「なんですぐに擦れてこなかったんだ!もう少しで手遅れになるところだったぞ!!!」と厳しく叱られた挙句に、母親失格であるかのように言われ方までしたと。同じ医師に。
たいしたことないのか、重大なのか、その判断が素人にはできないからプロの医師にみてもらうのに、その重要な判断を親にさせようとしているこの医師は、プロとはいえないなと感じました。


この前の私の主治医交替の際のこと(公立病院としての定期人事異動)や、腰痛専門医の「問診」のこと・・・そしてこの前のことりさんからの精神科のあきれた実態・・・そういうことをふまえて、この小児科医の話をきくとね・・・・・。
これも小児科医に限らず、親や教師や、あるいは職場の上司・・・あらゆることの基本だと思います。

さらにいえば今の政治なんかもね・・・・支持者かどうかとは関係なく、国民全体、世界各国、地球問題・・・すべてに責任があり、すべてに信頼されようと努力するのが本当の政治家という立場だと思うんですがね・・・目先の権力・自分の利害にばかりで。
幕末の若者たちの爪のあかを煎じて飲ませたいくらいです


22:55コバルト
医者でも政治家でもベースになければいけない心(じん?仁? ジン・ニ ニン・ひと

1.《名・造》おもいやり。いつくしみ。特に、儒教の根本理念として、自他のへだてをおかず、一切のものに対して、親しみ、いつくしみ、なさけぶかくある、思いやりの心。)が身についていなければいけないんでしょうね。
仁が「徳」生んでいくんですね。

https://konosuke-matsushita.com/column/cat71/post-109.php



23:02 虚空
違った分野の方の言葉でも、自分とか他の分野に積極的につなげて考えようとするかしないか・・・添加の意識・構え・・・が問われますね。

まさにこの記事の〆の「学び」にあった言葉 
「徳を高めるには、自分で悟るしかない。」
悟ろうとするためには何でもヒントにしようという気持ちをどれだけエネルギーとして持てるか・・・かな

2019.07.08 月曜日
00:04 コバルト
おこがましいですけどもしかしたら松下政経塾でもなんだか駿煌会みたいな事をやっていたかもしれないですね。
徳がある所に人は寄ってくるようになっているんでしょうね。
それが病院でもなんでも。
困ったときは千利休に聞けみたいですね。
まさに徳があった証ですね。
最高権力者さえも畏れる存在であった事が裏付けられます。
そして秀吉に切腹を命じられて亡くなった後でも茶道という形で400年以上現代まで残っているというのもすごいですね。
これも徳が起こしたものかもしれません。
逆をいうと「徳」がなければ滅んでしまうんです。
これらを踏まえ考えると、ごん狐にしても「徳」というものが一つの鍵になってくるんじゃないかと感じます。
まさにこうやって今自分がやっていることもリアルタイムで悟りを起こしているんだと感じています。


05:53 虚空
昨日紹介した小児科医の「代弁者」っていうスタンスは、上原先生が「子どもの言葉の交通整理が教育者の役目」と言っていたこととほとんど同じだと受け止めています。
ユング流のカウンセリングも基本姿勢もおそらくこれだと。

身近にそういうスタンスで話を聞いてくれたり、やりとりをしてくれる人がいるかいないかは大きい
(自分の場合、幼い時はそれが父方の祖母がそういった存在でいてくれたということになると思います)


07:41 ソルティ
< ワタシの場合 > どんなだったかな?を考えてみた!
子供のころ(から)の、独りぼっち感( っていうか。。。一人でいるほうがみんなと一緒にいるより好き )はなぜだったのか?は、のちのち占い(算)を学んでから理解可能となった。

小学生のころの私にとっての救いは隣のおうちだった。この”よそさまのおうち”が私にとっての大事なシェルターで、自分が、もう一人の本当に近い自分でいられるありがたい空間だった。そこでは自分がとても自由になれて、自己解放することができたと思う。そこに住んでいるおばあさんは、何を聞くでも、何を話すでもなかったように記憶しているが、そこでいただいた、カルピスのようなドリンクやしゃこのゆでたものなどが記憶に残っている。
また、そこで飼われていたねこちゃんたちがとても可愛かったのを覚えている。

他方、自宅では、拾ってきた犬を 「 早く捨ててこい!」と父に怒られたことがあって、多分そこから 犬が嫌いになったと思う。→ 恥ずかしながら いい大人になって、突然吠え付かれた犬に向かって、どなり返したことがある。その頃私は イライラしながら暮らしていた。( いわゆる 八つ当たりですね。防衛機制 消化か? )

また、そこのおうちでやっていた 内職( 果物をいれる 紙袋はり )をするのがとても楽しかったのを思いだす。今考えると そういう居場所があったことは本当にありがたいことだったなぁ~と思う。

 上ちゃんの 「 君は一人でやっていなさい。」のお言葉は 的を得ていたと思う。すごい先生だ。



09:19 虚空
よく「お前は〇〇が苦手なんだから、得意な・・・で頑張ればいい」という言い方を世間ではよくしますが・・・でも、その最も苦手なことこそが自分の認識を大きくかえたり、支えたりしてくれるパワーの源になるのかもしれない・・・って思い始めたのが、あんなに苦手だった運動系の卓球部に高校で入学したり、いじめ等々で最も嫌だった場である子ども同士の関係(学童保育や地域の子供会等々)に関わった事あたりから・・・。

で、教師になるなら「一番嫌いな教科・苦手な教科でなればいい。得意な教科で教師になってもろくなことはない」と父に言われて、実際になってから、教え子たちにそれを逆に教えられて・・・

世間的に認められるような結果が出せなくても、失敗だらけでも・・・・究極の自己満足レベルで「少し変わった」と思えることがあったら、それが大きな影響を広げていく・・・まさにバタフライエフェクト。

やっぱり得意なことができるのはある意味であたりまえのことだからわが身への感動が薄いんでしょうね。嬉しいには違いないですが。
嬉しいというのと、感動ってちょっと違う気がします。

犬嫌いで怒鳴り返した・・・なんていう過去があれば、最初から犬が大好きという人が犬を飼って可愛がる以上の大きなことがありますよね・・・その後犬と交流できるようになった時に・・・


2019.07.09 火曜日
16:07 ソルティ
ワンちゃん。。。もう目の中に入れても痛くないほど、めちゃくちゃ可愛い。小学生の時に泣く泣く捨てに行ったわんちゃんは種類は違えど、実はこんな感じ(色と大きさ)だったよな~と思える。あの世から 父が「申し訳なかった。」と言って 私にプレゼントしてくれたんだというように今は思えるよ。サンキュー??



16:10 虚空
前紹介した番組でも扱っていましたけど、多くのペットの中で犬は特別に人間との共感(共振)能力を獲得しているんだとか・・・
私は犬も猫も飼ったことがないから分かりませんが、犬を飼っている教え子は多いので、なるほどとは思います。


16:19 ソルティ
 犬を飼って間もないころだったか?、わんちゃん散歩の奥さんたちに尋ねたことがありましたっけ。「子供さんとわんちゃんとどちらが可愛いですか?」って言ったら 5人が5人とも 「わんちゃん。」と答えました。当時はびっくりしたけど、今は (全くそうですよね~)と思える。



16:29 虚空
子よりも孫が可愛いという年配者の心境ともどこか通じるかな???
独り身ゆえにそれも分からないままきてしまっていますが(苦笑)


2019.07.10 水曜日
08:10 虚空
改めて学生時代にフト抱いた疑問・・・それがずっと今でも課題としてあるわけですが・・・・あれだけ心意伝承の観点から「先験的イメージ」と始めとする「純粋なイメージ世界」や「感情教育」ということを 教育の根本 として大切に考えていた上原先生が、その一方で「中学年では絶対論理思考の訓練」「感情とはきりはなされた言葉の世界があることに気づかせる」「感情と切り離した言葉のやりとりも修練させる」という、一見相反することも強調されていたのか・・・。


そのうえで「夢」と「現実」を自由自在にと・・・ではその「夢の世界」は、幼少期の時の「夢の世界」が単にそのまま復活するだけなのか、それとも次元なり無意識世界の中の出所に変化があっての「夢の世界」なのか・・・
そんなことへの示唆がここ数週間のやりとりに隠されているようにと感じています。
(虚空 補足)
最後の方のやりとりでの「自分の好きな事」「得意なこと」とは真逆のことほど、正面から向かい合って、ほんの少しでも自分が変容できたという自覚があると、膨大な影響へと響いていくのではないか・・・というのが、「現実との真のおりあい」の要の一つなのではないかと考えています。

低学年の自然に湧き上がってくるイマジネーションの世界が大切なのは、全くその通りであるわけですが、それとは違った無意識世界が自分の中の「深層」にはいくらでもあるし、ユングの説であれば、それが人類共通の元型・・・はては宇宙意識とも連なっていく・・・

そういう深い所の先験的イマジネーションの世界を掘り起こすためには、どうしても中学年での「論理」「感情やイメージと切り離した言葉の世界」という段階を経て、「現実の世界」と「夢の世界」をグルグルと回転させ、重ね合わせていくことが大事になっていくのではないか・・・そんな仮説をたてているわけです。

☆ 妻が願った「最後の七日間」 からのラインやりとり

たまたま朝の情報番組で知ったこの歌のことからのやりとりです。
そこから「アニメのラストシーン」で海外に受け入れられないもの等々から「日本人の悲劇性に対する独特な見方」ということへ話が発展していきます。
ターミネーターⅡの話なども飛び出します。

最後には「悲劇を避けようとする一部の風潮」についてのやりとりをしています。
ごんぎつねの初発の感想で、ごんが死んだと受け取った子が全員の前で担任から厳しく叱られるとか、ハッピーエンドのかちかち山が本当にいいのかどうなのか、等々。(そんなに深まってはいませんが)


2019.06.28 金曜日
11:21 虚空
さきほどホームページの方に載せた記事の転載です。

::::::::::::::::::::::::
今朝の情報番組で 妻が願った「最後の七日間」 という歌が披露されていました。
動画サイト https://www.youtube.com/watch?v=DkUDDaq8bkQ
ずっと話題になっていたようですが、私は初めて知りました。
癌で亡くなった妻の言葉を詩にして・・・ということなのですが、歌詞のもとになった詩がこちらにあります。
https://withnews.jp/article/f0180411001qq000000000000000G00110401qq000017141A
*自分も過去に何度か余命を意識するような診断を受けたことから、このありふれた内容にはグッとくるものがありました。

ちょうど、この特集のすぐ前に報道されていたのが、サッカーボールを使って駐車場施設を破壊する行為を動画投稿していた若者4人の話題。

あれだけの健康な体を持っていながら、そういった迷惑行為でした自分の存在を示せないというのは、とってももったいない生き方だと思いました。
::::::::::::::::::::::::::::::


11:51 虚空
先ほどの歌の歌詞 みつけたので載せておきます

妻が願った最期の「七日間」
作詞:覚和歌子

一日目には 台所に立つの
好きな料理を残らず並べてあげたい

二日目には ミシンを踏もう
心残りはおいていかない

三日目には 片付けをする
愛した古布(こふ)と紅絹(もみ)
貰い手を決めなくちや

四日目には ドライブしたいわ
なつかしい景色が きっと新しい

五日目には パーティをひらく
家族の誕生日 一年分まとめて

六日目には 女子会をするの
薹(とう)の立ったカールストーク お酒も飲むんだ

七日間の自由を 私にください 
神さま 最期に七日間だけ
普通の幸せしか望まないのに 
それがいちばん難しいのね

七日目には あなたとふたりきり
こころ満ち足りて 私は旅に出る
また会えるその いつかのため
あなたの指に指を そっとつないで

七日間でいいから 私にください 
神さま 最期に七日間だけ
普通の幸せしか望まないのに 
それがいちばん難しいのね





14:44 コバルト
瞬間瞬間を切実に生きた。
どの瞬間に死んだとしても、その瞬間に満ち足りた心でいられたんなら、それはいい死に方なんじゃないかと思う。
これから先を捨てた者達に未来という概念は一切ない望んでしまうと絶望しかないことを身をもって知っているから。
そして一瞬とか瞬間に身を置くことにこそに充実感や幸福感があると知っているから、それは決して不幸な事ではない。
不幸にしてしまっているのは本人ではなく周りの人間なんですね。



14:49 虚空
現在、夜に都合が悪いというので諷虹君宅でやりとり中。
量子論とかの観点からの「名前」ということから「道」・・・そして「咲」のことからの考察へと進んできたところでこのコメントを受診しました。

「瞬間瞬間」という微分的なことを積み重ねて、積分的にしていくと「人生という道」っていうこと。

「今の積み重ねが人生を紡いでいく」というのはいろいろな人が言っている言葉ではありますが、そこに実感を伴わせていくと、かけがえのない「持論」になっていきますよね



15:02 コバルト
ごんぎつねにしても、一瞬とか瞬間的に見たら、一つのいい死に日和でもあったのかと思う。
与えること(犠牲)(母性性)が愛の本質であると思うから、ゴンは奪うだけの立場から人に物を与える立場になった者になり、自分が死ぬときに哀しんでくれる人間が一人でも出来た事は物凄く幸せなことだと思う。

だからごんぎつねには後味の悪さは全く感じない。

逆に何にも繋がらない皆に恨まれながらの一人ぼっちの死にこそ、後味の悪さと言うか空っぽに感じてしまいます、なんの物語にもならないから。



15:05 虚空
そこがせめてもの救い・・・って感じられるのは、やっぱり日本人だからかな。
この世的な幸せに縛られていない・・・この世での悲劇的なことであっても、あの世での幸せへの切符と考える部分があるから(犠牲論)

西洋人だったら、アトムやフランダースのアニメのラストを受け入れられなかったように、「いい死に日和」という発想は全く理解できないでしょうね。



15:14 コバルト・・・ターミネーターⅡクライマックス
https://youtu.be/7sUhcue_4fo



15:16 虚空
このシーンは、日本人的っていえば日本人的な結末かな・・・だからターミネーターシリーズでも最も日本人に印象深いのかもね



15:24 コバルト・・・アトム
https://youtu.be/n6AmD9JgEcc



15:27 虚空
このノリでフランダースの犬のもあるかな・・・できれば「海外用バージョン」のなんてあるといいんだけど。(海外用のは観た事がありまえん)



15:28 コバルト
T800だったらグッとサインを出しながら溶けて消えていったり、アトムなら綺麗だなぁ~って心穏やかに太陽に消えていったり‥



15:29 コバルト・・・フランダースの犬
https://youtu.be/TKsuamxZG40



15:34 虚空
これは日本版だよね。感動の最終回として迎えられた・・・
それが西洋人にはどうしても理解できないというのが、人間観とか世界観とかの違いなんだよね


15:45 コバルト
海外版の動画が見つかりませんでした。
ネット解説の引用です。
ヨーロッパでは、「負け犬の死」というタイトルで、アメリカに至っては、アメリカに至っては主人公ネロやパトラッシュが生き返ったり、父親が現れたり、出世して美女と結婚して幸せに暮らしたというハッピーエンドに変えられているようです。ただし、原作は日本と同じく悲劇で終わります。



15:51 虚空
日本のアニメ版は原作に沿ったということですね。

まあ、今では日本でも西洋的な発想で、昔話を無理やりハッピーエンドにかえる風潮があるからね。カチカチ山なんかおばあさんをとりこあえし、タヌキも反省してみんなで仲良くなった、なんていうのもあったし。



以前にも話題にしたけど、「ごんぎつね」でも悲劇を避ける傾向に賛同する教師が、初発の感想に「ごんは死んでしまって可哀そう」と書いた子が担任からクラス全員の前で滅茶苦茶叱られたっていう話。「ごんが死んだなんてどこに書いてあるの!勝手に死んだなんてしちゃだめ」って。



15:56 コバルト
全く毒にも薬にもならない物語になってしまいますね。


16:34 虚空
目先のことだけで日々のことを判断してしまう風潮。
そこに染まってどうする、って。



17:50 コバルト
そういった瞬間ばかりを積み重ねても‥ね。



17:56 虚空
その流れを本来のものに戻すためのきっかけになればいいんだけどね。
どんなにささやかでも、バタフライエフェクトを信じて。



小学生以降にも小学校教材 「ごんぎつね」 + そこからのあれこれ

Nanba先生のツイッターにあった記事をきっかけにしてのラインやりとりです。
ヒマワリフクロウさんのお姉ちゃんを家庭教師で教えていた時、ヒマワリフクロウさんもよく一緒に部屋にいました。
 
家庭教師の際に中学生や高校生へのピンポイント教材として「ごんぎつね」は割と使いました。
小学校の教材といっても、中高生以降だからこそ・・・大人になっても・・・深く物事を考えたり、感じたりするものばかりです。

記事の後半は「みんな一緒に」という意識に関することなどに、話が広がりました。


*何だか記事編集のコーナーがものすごく不安定で意味不明の誤作動ばかり。投稿後にちゃんと表示されそうにありません。
いつも以上に非常に見にくくなっているかもしれませんがご容赦ください。
 


2019.06.26 水曜日~
10:31 虚空
 Nanba先生がツイッターでごんぎつねを用いての社会人教育の事、等々の記事を載せられていました。
なんだか社会人クラスのことが思い出されます。
 

6月24日ツイート
最近、大人向けの文学の授業を始めています。ごんぎつねとか使って、企業研修でやるのよ。これがなかなか面白い。
 

6月25日ツイート
どうしたらごんぎつねは死なずに済んだか。もしあなたがごんぎつねの友人だとして彼にどうすれば彼は思いとどまったかって考える。実はごんぎつねの心の奥底を変える事はとても難しい。なぜなら彼の感情や行動は彼の人生と関わっているから。だからこそ企業の管理職はこの問いに夢中になる。
 
 
6月26日 駿煌会(虚空)リツイート
小学校の教材・・・あなどることなかれ、ですね。
私も中学生や高校生以上、社会人にも時々使いますがシンプルで深い部分に迫れるんでとっても有効だと感じています。
ごんぎつねは「絵コンテ」化しての「世界定め」「命運」なんかでよくやりました。
 
 
 
17:04 コバルト
久し振りに読んでみました。
 
 
細かい文章は覚えていませんでしたが、憶えていた感覚は当時そのままでした。
(備考 4年生では彼を担任していないので、授業者は別です)
 

そこで罪と咎?って思いました。
罪と咎の違いは、その行為によってどのような報いを受けるかによる。法や戒律を犯し処罰の対象となるものが「罪」、処罰がなくとも他人から非難を浴びる対象になるものが「咎」
 

ピッタリ合う言葉がみつからないけど、もう一つある気がする、それは自分自身の戒律を律する心そのもの、それを裏切ると常に自身に疑われてしまう気持ち。何をしても引っ掛かりが消えず、素直に喜べず楽しくなくなってしまう。
 
それをごん狐にあるんだと思いました。
 

19:41 虚空
小学校の時の授業だとどうしても、教師としての狙いがあって、その線に沿って授業展開という風になりがちですよね。
私だって教材として「ごんぎつね」を使う場合は4年生なら4年生、中学生や高校生ならその段階・・・等々に合わせてねらいの為の読みということになります。(家庭教師だと生態研究としての授業はなかなかできないしね)
 

小学校の時に習った教材文を、社会人になってから読み返して、自由な切り口であれこれ考える・・・それを紹介し合う・・・それだけでもまた人生違った厚みが加わりそうですね・・・「添加」として
 

「罪」「咎」は、玉川在学時代の礼拝の時間によく歌った讃美歌にもあります。
(日本で最も有名な讃美歌のひとつ かな?)
 
1、慈しみ深(ふか)き 友なるイエスは
罪 咎(とが) 憂(うれ)いを 取り去り給(たも)う
心の嘆きを包まず述べて
などかは降(おろ)さぬ 負(お)える重荷を
 

2、 慈しみ深き 友なるイエスは
    われらの弱きを 知りて憐(あわれ)む
    悩み悲しみに 沈める時も
    祈りに応(こた)えて 慰め給わん
    

3、慈しみ深き 友なるイエスは
    変わらぬ愛もて 導き給う
    世の友われらを 棄(す)て去る時も
    祈りに応えて 労(いたわ)り給わん

20:53 ヒマワリ
ごんぎつね、今読んだらなんとも後味が悪いよ…
 


21:00 虚空
あそこまでの悲劇になってしまうかどうかは別にして・・・ボタンの掛け違いというか・・・すれ違いは、案外日常の中にいっぱいありそうです。
 
*家庭教師の時「ごんぎつね」の授業を絵コンテでやったよね??? 最後の場面
 


22:24 ヒマワリ家庭教師のときもなんかやった記憶ある。
ただお姉ちゃんが泣いてた記憶だけが鮮明にあるだけで、私はあまり覚えていないのだ、なぜだ。
 
絵コンテってどんなだっか、思い出せぬ。



2019.06.27 木曜日

02:19 虚空
絵コンテではなくて「ラストシーンをごんの立場で書き換える」Verの方だったのかな・・・お姉ちゃんの時に。

(ごんな話がどういったことなのかが初めて分かったような気がする・・・ということで、その瞬間に突然涙があふれてきた っていう感じでしたね。あの時のお姉ちゃん)
 
20:06 ヒマワリ
うんうん、そんな記憶。
突然ふっと見たら泣いててびっくりした記憶が鮮明に残っておる。
あとは斎藤茂吉のときの姉ちゃんも泣いてたから覚えとる。
わしの記憶は姉の涙と共にあるのか(笑)


 ガルパン劇場版で、会長が「ただいま」って言って、ももちゃんがワーッて泣きながら駆け寄るシーンは、気づくとツー…と泣いてること思い出した。
 
心のベースに関しては本当によく分かります。
 
となりのトトロを見ていて、私と姉ちゃん必ず同じところで泣きます。
 
めいが行方不明になって見つかって、おばあちゃんと抱き合うシーン。
あのほっかぶりしてる姿が昔のばあちゃんそのもので、ブワァーって涙が溢れます。
 
私らが泣く姿見て、ママがなんか涙目になって「ばあちゃん天国で喜んでるわ」って言うから、余計泣ける。笑



23:02 虚空
そんな風に泣いてくれる人がいたら・・・実の孫じゃなくてもね・・・。
 
あのスイカおじさんだってきっと・・・・。
 
そういう人たちとの共鳴も大事と言うか・・・心のよりどころにできるなんていいよね!

 心に届く国語の授業・・・なかなか難しいものです。
 
特に「受験」「テスト対策」という縛りがきつい中学校や高校の先生方はますます大変になってるだろうな・・・・
 

お姉ちゃんも意識が転換した瞬間にパッと涙があふれてくるだけの素養はあるわけですが・・・

あなたの場合の涙で印象に強く残っているのは、あの裁判記録の時の涙かな。自分でもビックリしてたよね?



23:20 ヒマワリ
あーたしかに!
私もよう泣いてたわ(笑)
 
今思い出して1番グワァァって涙溢れてきたのはセーラームーンのみんな誰かに愛されて聞いたときと、おおきな木と、あと汽車ぽっぽの絵本…なんだっけ。
 
裁判記録もたしかに泣いてた、感情ってありがたいよねって言ったときだよね。
 
 
 
2019.06.28 金曜日
05:23 虚空
汽車の絵本は「きかんしゃやえもん」ですね。電気機関車に連結されてスクラップ処分に連れていかれる場面。
 

「感情ってありがたいよね」
 

っていうのも、単に喜怒哀楽っていう世間の常識とはちがう観点でキャッチしていた名言でしたね。
 
先方の都合で高校3年生の授業が今週はゆうべだったんですが、話の中心は「構え」と「言語操作性」でした。
 
で、最後に次回予告として「感情」をやると。単なる喜怒哀楽っていうとらえかたではないよ、と。
 
「一種のエネルギー・・・・まあ、言ってみれば キュゥべえ のつかまえ方だよ」
 
と言ったら、結構納得できるものがあるようでした。
 
 

05:29 ソルティ
早朝おじゃまします。

ヒマワリちゃんの御一家ってお幸せな一家だな~と思う。何と言うか。。。暖かい感じがする家庭。
(中略)
 
だから、スピのリーダーさんが言っていたんだけど、幸せな結婚( そんなのあるんかい? )をしたかったら、まずは自分自身が自分の理想の相手になることだ、と。( 類友 )つまりは この人生私はこうやって生きて行きます!!みたいなことが決まらないうちは結婚はまったほうがいいのかな~?と今思うけど。

価値観が一致しているとか、目指す方向が同じだとかとても大事だな~と 今頃思うよ。
 

「 映画 」私はどうやら変人らしく、笑うツボ、泣くツボ、怒るツボが 人とずれているみたい。だから映画館にはいかない。みんながわらっているところがなんでおかしいん?になるし、自分がおかしい所では、みんなが笑っていないので思いっきり笑えない、とまあこんな感じになるんだ。
 

泣くこともそうだけど、どこで怒るか?ということも、その人を理解するうえで大きなポイントになるね。
 

話はとぶけど、例のマンションの管理人さん(主にお掃除をするおじさん)に指導が入ったけど、全然かわらないわ。人が見ていないからと言って与えられたお仕事を思いっきりサボる、そしてアルバイト代をいただく。
それって どろぼうと同じだろ?って思う。 
 

でまあ、それは人の好き嫌いとかかわってくるけど、まあこういう人とはお近づきになりたくないな~と思う。

ヒマワリ、以前はね、ずっと丁寧に 「ご苦労様です。ありがとうございます。」とか言っていたんだよ~。でもこのところ流石に言いたくなくなったわ。
 

裁判記録 で 思いだしたんだけど、さだまさしの「償い」 っていう歌があるんだけど、この曲はいつ聞いても 泣けるわ~。
 
また話がずれてすみません。



05:42 虚空
いえいえ、話がずれているなんて全く感じないで読ませて頂きました。
 
実際に諷虹君との毎週のやりとりなどは、「ちょっと関係ないかもしれないけど」と互いに前置きをしながら話があちこちに飛びます。
 
だからこそ、多様に・・・時には思いがけない方向・・・に目が向いて、ハッとさせられるというその繰り返し。
 
「想定外の自分との出会い」なんていう発想もそういったあたりから生まれてきています。


 この前からずっと諷虹君とやりとりしている「咲」だって、あいかわらず私は麻雀のルールを全く知ろうともしないでいますが、「全く知らない」自分だからこそという視点・観点も大事かなとひらきなおって、率直に感じたことを口にしています。
 
それこそが「風」かな、って(笑)



05:47 ソルティ
風ですね。 涼やかな 軽やかな 風に
 なりたいな~。



05:55 虚空
さだまさしさんの償い・・・初めて聴きました。
 
いつになく気の込めた歌い方のような気がしました。
 
ちなみに茨城県は全国で運転マナーがワースト1~2を争うという不名誉な土地柄です。
運転者も自転車も歩行者も含めて。
 
よその県から来た人は「うちの県にもひどい運転者はいるけど、ここまでひどくはない。茨城で運転するのは怖い」と言います。
 
よく事故にならないなという瞬間が週に何度もあります。
 
どんなに気をつけて運転していても「加害者」になりうる可能定の高い土地。
もちろん「被害者になる可能性」も高い土地。
 

教員時代に、学校長が「保険にはいっているからと言って安心しないでください」と前置きして知り合いの話をしていたことがあります。
 
被害者の遺族の方が「保険金での賠償は受け取らない。そんな楽して償えるなんて思ってもらったらとんでもない」ということで、毎月自分の働いたお金で莫大な損害賠償を払って一生苦しみ続ろ、ということだったようです。
 
そんな話も思い出しました。
 

あと「ありがたい」という日本古来の意味・・・「有難い」=「めったにない」ということも。
 

他人は自分の思い通りになるのが「当たり前」という姿勢が根本にある人間がますます増殖中というのも悲しい風潮ですね。
 

その管理人の方も「手抜き」「ズル」が「生き方上手」という自分勝手な思い込みが背景にあるのかもしれませんね。
 

とりあえずは「自分がそういった人間にいつのまにかなってしまわないように」ということしかできないかな・・・・・
 
 
 映画等々の感じ方のズレ・・・個人個人の経験・・・特にトラウマとか、良くも悪くも激しい感情が伴った思い出・・・とリンクしてしまうような作品やシーンに対して、というのは誰にでもあると思います。
 

ただ、「映画」などは「作り物」「自分の思い出とは関係ない」と割り切れるタイプの人間かどうかという違い。
 
(もちろん割り切れるタイプの人間でも、いわゆるドツボにはまると、大きな反応がおきるということはありますが)
 
自分なんかはかなりそれが激しい方だと思っています。
 

だから、どんなに世間的には「面白い」「すばらしい内容」と言われるものでも、嫌な思い出(当時の感情)を呼び起こすスイッチのようなものには激しい拒絶反応がおきますね・・・・。
 
 
 
 映画館についてですが・・・誰でもズレって感じながらみていると思います。

私だって本当は普通に笑いたいのに周囲がシーンとしているからグッとこらえている、なんていうこと時々あります。
 

逆に自分はおかしくなくても、笑っている人たちをみると「ああ、この人たちにとってはここがツボなんだな」というくらいですね。言語生態の授業のような感覚。それぞれの違い、自分の特徴が把握できるいい機会としてとらえています。
 

それよりも困るのは、映画とは関係ないおしゃべりをしているカップルとか、平気で携帯でおしゃべりしている高校生とか。
 

映画に関する反応の違いは気にならなくても、映画に関係ないことで世界を壊されることには腹があたちます。EDの余韻に浸っている時に平気で帰り始める、目の間を通過されるというのも。
 
やっぱり劇場用の映画は映画館でみて最高の雰囲気が楽しめるように作られているので、周囲の反応を気にして映画館にいかないというのはもったいないと思います。
 

 去年、駿煌会の若者たちと「若おかみは小学生」を観に行った時も、それぞれ映画館の座席の好みの場所が違っていたんで、別々の場所を予約した、なんていうこともありました。まるで個々人が別々に観に行ったかのように(笑)
 

06:50 ソルティ
「 このみの席」か~ そういう発想はなかったな~。家族でいけば 横並び4席だったり


06:54 虚空
映画館ですが、 勿論「横並び一列」を最初は考えていたんですけど、あまりにずれていたんで互いを尊重しあおうということになりました。
映画を観ている最中は一人の世界に入るわけだから、一番入りやすい座席にしようと。
 

それをすぐに「協調性に欠ける」とかケチをつける人がいますが、そういう人ほど、そういうもっともらしいことを言って、本音では「自分の思い通りに他人をコントロールしたい」というだけなんですよね・・・だからみんなで揃えようという時も、決して譲歩はしない。

「協調性がないぞ」と他人を非難しながらも、自分に合わせることを要求する・・・すぐに正義を振りかざす人間ってとかくそんなのが多いから困ったものです。(自分だけが正しいと自負しているから余計にやっかい)
 


07:29 ソルティ
占(算)協調性を重んじる、という人は まあ こういう星を持っている人なんだろうな~とか考えるようになってきた。自分の思い通りに他人をコントロールしたいと本音で思っているというより、持っている星(宿命)や、どんな家庭環境で育ったのか?がその後の人生に大きく作用してくると思う。それこそ無意識にやっていたり、潜在意識の中にあるものが機会をえて出てくるということもあるのかな?と思う。
 
 
 
怨憎会苦・愛別離苦 そのどちらの状況からも ( どうすっかな~)と考えるのは自分で、そこに自分磨きのきっかけがあると思うし、または自分自身を考えるヒントがあるように思う。
 
 
 

☆ダンデリオンツイッター記事 から 「ふるさと」意識へ

「宇宙との一体感」という壮大なテーマの記事を受けてのやりとりです。

最近のやりとりでよく出てくる観点が「身近な体感を伴うイメージだからこそ、宇宙との一体感等々と共鳴しあっていく」ということ。
今回は「ふるさと」意識を中心にそれがどう広がっていくのかについてやりとりされています。

また、最近テレビやネットで話題になっているという別居している両親と、人生の間にどのくらい同じ時を過ごせるのか、ということに関してもやりとりしています。

また、かつてヒマワリフクロウさんとの家庭教師時に二人がしばしば体験した心霊現象(?)についても振り返っています。
2019.06.11 火曜日
07:25 虚空
ちょっと前に諷虹君との間で「暦」や「イチロー」の話になったのですが、昨日ダンデリオンツイッターにアップされていた記事は、そうしたことや、このところの駿煌会やりとりをふまえて書いてくださっているように思えます。(というか、毎回そんな感じですね)
原文⇒意味内容⇒お話の順に紹介します。

☆2019年6月10日 ダンデリオンツイッター
(荘子 逍遥遊篇第一―3)
列子は風に御(ぎょ)して行き、冷然として善し。
旬(じゅん)有(ゆう)五(ご)にして然る後に反(かえ)る。
彼福を致す者に於いて未だ数数(さくさく)然(ぜん)たらず、
此れ行に免ると雖(いえど)も、猶(なお)待つ所の者あるなり。
若(も)し夫れ天地の正に乗じて六気の弁に御し、以て無窮に遊ぶ者は、
彼れ且(は)た悪(なに)をか待たんや。
故に曰く、至人は己なく、神人は功なく、聖人は名無しと。

【大体の意味内容】
列子という人は、風に吹かれて自由気ままに逍遥(しょうよう)し、その生き様はクールでかっこいい。
風が変わる十五日ごとに帰ってくる。彼は幸福をもたらすものをがつがつとむさぼり求めるようなことはしない。
このことは、無理な行動を取ろうとする我執からは解放されているといえるが、まだ頼みとするものを残している、
つまり吹く風に頼っているのである。そもそも天地の真正な働きに乗じて、「陰陽(いんよう)風雨(ふうう)晦(かい)明(めい)」六気の天候変化と融合する。
そうして限界のない、無限無窮の世界に遊ぶ者は、何かに頼るということがあろうか、
いや何も頼まず自由でいるのだ。
よって、「最高の境地に至る者には利己的な私心がなく、
神人(しんじん)は俗世間で褒(ほ)められるような功績とは無縁で、
聖人には俗人が求めるような名誉がない」
といわれている。

【お話】
「風が変わる十五日」とは、中国の戦国時代(紀元前403年~紀元前221年)に生じた「二十四(にじゅうし)節気(せっき)」の考え方に基づいています。
一年を春夏秋冬の四季に分け、さらに一つの季節を六つに分けて、6×4=24の「季節」に分けました。
これを「二十四節気」といいます。

そうすると「一気」とは365÷24=15,2083(・)で、ほぼ十五日ということになります。これはちょうど月の満ち欠けにも対応しており、新月から満月に十五日、満月から新月に十五日、というサイクルともリンクしていますね。
月の運航と気候の変化とがこんな風に一致しているわけです。

二十四という数字は、一日の二十四時間とも一致しますが、こちらは月の満ち欠け三〇日を一つの周期として、それが十二回で一年になるという事実から、
一日の昼を十二時間、夜を十二時間で表現し、合計二十四時間になったとのこと。

私たちの生活のリズムを示す様々な数字は、決して人間が勝手に決め付けた数字ではなく自然が示してくれたものであるわけです。こうした自然のリズムに即した生き方が、「天地の正に乗じて六気(自然界の六つの元気)の弁(変遷)に御し(融合し)」たものであり、「無窮(の宇宙)に遊ぶ」ことになるのだと、古人は直感していたのです。

これは風の運びの様な何かを「待つ」ことでもなく、ことさら主体的に「行(ぎょう)」を行使することでもない、

つまり受動的消極的他力本願でもなく、能動的積極的自力本願でもない、こうした二項対立以前の未分化な宇宙の摂理そのもの、「道」そのものだということなのでしょう。柳(やぎ)生新(ゅうしん)陰流(かげりゅう)兵法(へいほう)の「懸待(けんたい)一如(いちにょ)」という言葉を思いだしました。

「懸(けん)」とは「懸(か)かる」つまり攻撃することで、「待(たい)」とは静かに待つことです。身体は「懸」、心は「待」で、敵に「先」つまり先制攻撃させることでかえってこちらが勝つ極意だとか。

これは元メジャーリーガーのイチローのバッティングの極意「手を出すのは最後」ということとも通じるのでしょう。

『荘子』のここの文章のテーマが「懸待一如」だとしたら、それは「敵に勝つ」とか「ヒットを打つ」とかの目的を持たない、宇宙との一体を言うものなのだろうと思います。
「至人は己なく、神人は功なく、聖人は名無し」にそれがあらわれているようです。

そのような境地に到達できたとして、「それが一体何になるのか」といってしまえばそれまでですが、人間存在のありようがどこまで拡大拡張し得(う)るものか、
試してみたり努力してみたり、そのこと自体を楽しんでみれば、何か新しい知恵や可能性も生じるのではないでしょうか。

役に立つかどうかは別としても、退屈な人生ではなくなるでしょう。
08:30 ソルティ
身体は「懸」( 攻撃すること )心は「待」 ( 静かに待つ ) 何だかいい感じ。 攻撃とあるけど、何か行動を起こしてみるというように解釈して、 その時に、こころはいつも冷静に状況を判断する。というようにとらえてみました。そして 次は逆に、うちに入って、体を 待 にして 心を 懸 動かして っていうか、動く(いた)心をみつめてみる。というようにしたらいいのかな?と思いました。



12:42 虚空
最も大切なのは、「荘子様の教え」をこのようにあれこれと違った角度から解釈してみて、いろいろと試すことかもしれないですね。そして「どれにすべきだ」というのではなくて、臨機応変に対応できる知恵を蓄積しておく・・・。

「母国語教育」を重視する立場でいながらも、家庭教師としては中高生に英語を教えることもずっとやってきましたが、それが「母国語教育」をより深く扱うために役立っていると思い当たることもありますから。

 普段考えていること、信じている事、当たり前と思っている事・・・それとは違うことや真逆のことを時折ちょっと試してみるとかも、たまーにやってきました。

それで全く想定外の世界が取り込まれた・・・なんていうことの大きな一つが今風のアニメを観るようになったことですね。数年前までは拒絶すらしていたのに(笑)

23:45 ヒマワリ
ダンデリオンのこうゆう話、好きだな。

まえ数字の本コンビニでパラパラ読みしたことあったときの話したじゃん。
0は永遠に0なのだ、0が1になったり、2になったりしないって。
その本の中に、12ってゆう数字のことも書いてあった。
時計の針が指す時間も12、1年も12ヶ月、干支も12、あと昔の時代の十二単とか。
我々は12とゆう数字に守られてるだかなんだか守られてるじゃなかったかな?なんかまあそうゆう人生に関わってるてきなこと書いてあって「ほぉたしかに!」と思った記憶があるのだ。

誰が決めたんだか言い伝えだか知らんが、そういうものってここ最近の駿煌会やり取りの中でほんと宇宙やら自然やらから来たもんだと思う。

むかーし何かで「畳のヘリを踏むな、神様がいるから」って小さい頃おばあちゃんに言われた。それは畳が痛むからっていう理由なだけだったけど、自分の中に積もっていくものなんだよね。
ってゆうセリフがなんか思い出された。

誰が見てるとかじゃないけど、自分の中に積もるもの。
お天道様は見てるんやでってゆうのだよねって思った。




2019.06.12 水曜日
08:13 虚空
読んでいていろんなことが思い出されました。

これまで印象的に心に残っている日の出や夕日の思い出をはじめとして、数字にゲンをかついだような時のこと、それからばあちゃんに幼い頃に聞かされたいろいろな話。
そういった蓄積が今の自分の全てになっているわけだよね。


最初に勤めていた小学校時代に「国際教育研究協力指定校」になって国際教育に携わった時、上原先生に相談したら「おうち」「ふるさと」「世界」という題名での作文と共に、それぞれの言葉で思いつく漫画や物語やアニメなどを書きだしてもらうような調査をするといいのでは、という助言を頂いたことがあります。

どちらの調査も全校児童でやったのですが、アニメなどの調査の集計は時間がなくてできませんでした。

ただ、こういう調査を何故上原先生が提案したのか、というのもこの数年アニメでのやりとりをしている中ですごい視点だったんだなと思います。
あの時の調査・・・我が家の書庫の腐海の森の中に今でもうもれているハズなんですが・・・・
 昨日たまたまテレビをつけたら「別居している場合、自分の両親とあとどのくらい直接会う時間が過ごせるのか」という特集の途中でした。それに関してホームページの方に書いた文を、転載しておきます。(最近いろんな番組でとりあげられて話題になっているそうですね)

自分の場合は両親ともいなくなっているので、知り合いと会える時間、という意識になります。
参考サイトの一つ
https://j-town.net/tokyo/column/allprefcolumn/289907.html?p=all

私などは特に退職した平成8年以降、こうしたことを意識するようになりましたね。担任後の教え子などのことを通して。ほとんどの場合は先ず顔を合わせることはありません。クラス会だのというのも私の場合はなかったし。(小学校時代のクラス会というのは一般的にもほとんどないですからね)家庭教師をするようになっても、縁あってその後も年に数回会う事ができることがあっても、それは例外中の例外。

また会える場合といっても回数にしたら「あと数回?」・・・ましてや今回話題になっているように、回数ではなくて日数に換算したら、ほとんどの場合は私の残された生涯の中で一日にもならないと思います。

そうしたことを非常に強く意識していたから「おもてなし」の精神を磨き上げた「茶の湯」の世界では「一期一会」ということを大切にしていたんでしょうね。

私のように何度も「命の危険がある」なんていわれたことがある場合もですが、年齢を重ねるごとに「あとどのくらいこの人とやりとりできるのかな」とか、家庭教師の仕事で進学や卒業に伴って教えるのが終わりになったときには「もう会う事はないんだろうな」ということはかなりの現実感を伴って考えてしまいます。

ましてや年配者の方々などはシビアな問題ですね。

そうなってくると「回数」や「トータルの時間」ということだけでなく「時間の濃さ」が重要なポイントになってくるのかもしれません。たとえ時間的には短くても、そのときに共にすごした時間が「意識世界に残り続ける」ような感覚になれること。

今の自分は、時間的には家庭教師の時間もほとんどなくなっていますが、単に点数指導というだけではない、「いい時間」を過ごせています。また昨年結成したグループ同士でも「濃い時間」を時折持つことができています。それが残りどのくらいの時間になるかといえば、それほどにはならないんだと思いますが、でもそれが物理的な時間以上の意味をもってくれていることは確かです。

09:20 ソルティ
*「 ふるさと 」で思いだした。次の詩
確か?高校生の時に御習いしたと思うのだけれど。。。
*ふるさとは遠きにありて---室生犀星*
 ふるさとは遠きにありて思ふもの
 そして悲しくうたふもの
 よしや
 うらぶれて異土の乞食となるとても
 帰るところにあるまじや
              
 ひとり都のゆふぐれに
 ふるさとおもひ涙ぐむ
 そのこころもて
 遠きみやこにかへらばや
 遠きみやこにかへらばや
         [小景異情ーその二] より
実は最後の二行の解釈がいまだにわからないんですよ。これって どのように訳すのですか?


・・・・・(改めて実家にかえって)父の魂を弔いたいと思う。まあ姿はなくなっているけれど、魂はお盆に戻ってくると思っているのでね。そういう意味では、いつでも会えるのだろうけれど。しかし、一言でもいいから感謝の気持ちをのべておけばよかったな~とは思う。
・・・・・


16:20 ヒマワリ
私のママの実家は秋田県で遠いので、やはり数年に一度しか帰れません。
秋田に行きたがる孫の私と姉ちゃんとは違って、娘であるママはそんなに実家に帰りたがらないとゆうか…。
ママがまえにポロッと「秋田に帰るとさ、あぁこれが最後かな…って思っちゃうのよ」って言ったことがありました。
そんな気持ちがあったのかと…。
あまり秋田には帰れませんが、姉ちゃんの子ども達の写真はよく送るので、そのときに私も手紙を書いてます。
ママも一言メッセージを添えたりして。
秋田のばぁに「ヒマワリちゃんだけよ、孫で手紙をくれるのは。」って言われたのが嬉しかったなー。
ひ孫が生まれて、私の孫としての存在薄くなってる気がしてましたが(笑)うひひ。
これからも手紙を書くのだ。


16:22虚空
(ソルティさんの質問に対して)
フト思い出したのが、宮崎駿監督が「脚本」を担当したアニメ「耳をすませば」の挿入歌「カントリーロード」の歌詞です。
このサイトに原曲とアニメでの歌詞の根本的な違いについて考察されています。
特にポイントとなるのがこの部分
どんな挫けそうな時だって
決して 涙は見せないで
心なしか 歩調が速くなっていく
思い出 消すため 

カントリー・ロード
この道 故郷へつづいても
僕は 行かないさ
行けない カントリー・ロード
カントリー・ロード
明日は いつもの僕さ
帰りたい 帰れない
さよなら カントリー・ロード 

「現実・非現実」 ⇒ 「超現実」、とか、本来エネルギーを蓄えて飛躍するのが「お籠り」だったのが、「引き籠り」では真逆のことになってしまっている、等々のことと「ふるさと」意識のあれこれがつながって感じれました。

⇒wiki
日本語訳詞を手掛けたのは鈴木敏夫の娘の鈴木麻実子で、宮崎駿がそれに補訳している。鈴木が「ひとりで生きると 何も持たずに まちを飛びだした」と訳したのを宮崎が「ひとりぼっち おそれずに 生きようと 夢見ていた」と変更案を出し、鈴木の訳を支持した監督近藤喜文と宮崎は対立したという[2]。



16:29 虚空
「引き籠り」とかとの関連でもう一つ。
ゆうべ放送されたNHKプロフェッショナル 「笑顔に、笑顔は集まる~メイド・hitomi」 を先ほど視聴したのですが、先日のカリスマ美容師とは違った意味で、非常に含蓄ある内容・・・その仕事に限らず、多くの現代人にとって示唆されるような内容がいっぱいでした。

この番組もカリスマ美容師の時のように文字起こししようと思っていますが・・・・



16:30 コバルト
率直に感じたことは現実的(肉体)には故郷に行けなくても、せめて心(精神、魂、多分生き霊に近い種類)だけでも故郷に帰ろうって感じがしました。
またよく昔は虫の知らせとか聞きましたけど、臨終間際の方々にはそういったメッセージを送る事もきっと出来るのだと思います。
スピリチュアルメッセージですね。



16:39 虚空
秋田のことへのお母さまの心情も、手紙をかいているあなたの気持ちも・・・どちらもグッと胸に響いてきます。
私の父などは、退職後すぐに出家してしまって、ほとんどこちらには居場所を知られない生活。数年に一度、向こうから一方的に手紙はきましたが・・・・。基本的には、目に見える存在としての自分には頼るな・・・内なる自分と対話していけ・・・という考えに徹していたということです。
だから母が他界したあと、本当に久しぶりに父から電話がかかってきた時にはビックリです。もう生きているうちに話ができるとは思っていませんでしたから。あといよいよ危ないという時に、お世話をしてくれていた方の一存で知らせを受けて、病院にお見舞いにいったときも、もう二度と会えないと思っていたので・・・・

ただ、気管切開されていたし、ほとんど体が動かせない状態だったので会話も筆談もできませんでしたが・・・・でもこちらの顔をみて私の思いがけない出現にビックリした表情をみせたあと、涙をこぼしてくれていました。
それが生きていた時にみた父の姿の最後。
16:58 コバルト
https://youtu.be/dFO3auZeP5g


17:02 虚空
こういうこともあるんですね・・・

観ながらフト思い出したのが通称「聖良さん」のことです。
ヒマワリフクロウさんの家庭教師の時間に、ある期間・・・ずっと参加していたとしか思えないことが多々ありましたから・・・



17:51 ヒマワリ
じぃとばぁを、こっちに連れてきて一緒に暮らせばええやんと言ったときもありました。
それこそ元気でいられなくなるってママに言われました。
(ずっと暮らしていた土地の)海が家の目の前にあって、じぃは88歳になった今も船に乗って海へ漁に出ているし、ばぁも網にかかったサザエ取ったり、仕事してます。
それでこそ元気でいてくれるんだなって。
同じ空の下、元気で生きていてくれることを願うばかりですね。
このラインを打ちながら、より一層じぃとばぁを想いました。
先生がお父さんと最後に会ったとき、手を握りながら話したって言ってましたよね。
先生の言葉への反応が感触であったり…とゆう。
小さい頃は、なんの恥ずかしげもなく手を繋いで抱きつけた父親に、あと何回触れることができるだろうと、ふと思うときあります。

1ヶ月くらいまえに、パパの耳掃除してあげました。
パパ耳かきしてあげるよって言ったら「ぇえ??」って感じでしたが、終わったあと、「人に耳かきしてもらったのなんか何年振りかなぁ…」って言ってたので、またチャンスを伺ってやってあげたくなりました。



17:52 ヒマワリ
聖良さん、今ごろ何してますかね。



17:54 虚空
きっと次の段階にのぼっていると思います・・・そういう意味では、あの時、何度もあの授業に参加していた中で、この世に残していた未練を断ち切れたのかもしれないですね。



17:56ヒマワリ
それは嬉しい限りですね。
目に見えないもの、私たちの想像でしかないもの、それでもこの世にきちんと在るものですし。
令和ですな。



17:56 虚空
よく諷虹君との間で話題になる漫画で「自分として生きる」とはどういうことなのかを問われる内容のがあります。
そういう点から考えても、基本的には地元で生きることを尊重できるうちは尊重したいもの、ということなのでしょうね。
 教え子とかで他界してしまった子が何人もいるわけですが・・・聖良さんは未練が一番強かったのかもしれません。
でもその未練を断ち切る場として、例えばあの当時は多くの家庭教師の時間をもっていたけど、ヒマワリフクロウさんとの授業の場を選んでくれていたというのがね・・・・。


18:02 ヒマワリ
(生前の)聖良さんのことはまったく知りませんでした。
記憶ないですね、うん。
先生から聞いた話でしか記憶ないですし。
選んでいただけて光栄ですね。
別に全然怖いとかなかったですし、むしろ面白いくらいタイミングよくラップ現象するんで楽しい記憶しかないです。



18:08 虚空
本当にあのラップのあいづちはすごかった・・・二人で「鳴るよね」って顔を合わせた瞬間「パチッ」いうことも何度もあったしね。

あと、どこも開いていないのに違う温度の風が吹いてきたり、私のすぐわきに違う温度の塊のエリアがでてきたこともありましたよね。
それであなたが温度の境目のところを手で確認していったら・・・・なんて。

本当に「怖い」思い出ではなくて「一所にすごせていた楽しい思い出」

「怖がらせたら申し訳ない」という想いはあったでしょうから・・・この二人なら怖がらずに、目に見えていた存在の頃と全く変わらずに普通に受け入れてくれると思ってくれたんでしょうね!


2019.06.13 木曜日
07:33 ソルティ
ヒマワリちゃん、コメントありがとうございます。ヒマワリちゃんのお母さん、おやさしいですね。だからヒマワリちゃんがやさしいんだな~と思いました。
おじいちゃんやおばあちゃんも生きがい(お仕事)があっていいな~と思いました。天職を得るっていいね。

コバルト君、コメントありがとうございました。
率直に感じたことは現実的(肉体)には故郷に行けなくても、せめて心(精神、魂、多分生き霊に近い種類)だけでも故郷に帰ろうって感じがしました。
・・・なるほど、心は自由ですからね。色々な解釈ができるのだな~と思いました。
 解釈って 色々できるんですね。再びあちこち(犀星さんを語る)サイトを覗いてみて 昔の自分のひっかかり(この詩に関する)とふるさとへの想いなんぞを確かめてみたいな~と思いました。

話は カントリーロードの解釈にも関わりますが、「 うつろな愛 」という外国の曲があって、それを日本語で歌った人がいて、懐かしいな~と思って英訳をみたらげろげろと驚くような内容だったことがあって、和訳したひとはすごい!それから、外人さんはよくこんな歌うたうな~と思ったことがありました。


08:20 虚空
言語と日本語の訳の違いって歌なんかでは相当あるようですね。
西城秀樹のヤングマンもけっこう違うというのを聞いたことがあります。
08:21 ソルティ
和訳をしたひとは、すごいな~と思ったよ(NHKで歌われていた)
 ご参考までに
https://ladysatin.exblog.jp/30425488/


 これって 前も書いたっけ?「うつろ」「虚」というという言葉の意味から。。。


 何回もくりかえしていたらごめんしてください。ただ今 昔の自分を掘り起こして N(ニュートラル) → ZERO にする作業をしています。



08:41 虚空
現在、体調の関係でちっちゃい字を読むのがかなり困難なので、丁寧に読むことはできませんでしたが、最近諷虹君と話題になっているアニメとの関連があって「片目で」という部分に意識が向きました。

例えとしてとらえた時にも「片目」と「両目」での違い

「夢かうつつかまぼろしか・・・」なんていう観点も「うつろ」「虚」というのと関係は深いだろうし・・・

ZEROにするというのも、先日のNanba先生をまじえてのやりとりで諷虹君も再度強調していました。



08:47ソルティ
ZEROはね、HOの目指している所で、記憶を消してZEROになった時に、神聖なる存在から光がおりてくるらしいので。。。ならば やってみようじゃないの~とは思いますが。。。
現実はなかなかね。ニュートラルにすることさえ難しいわ。



08:50 虚空
自分を「うつろ」「虚ろ」「虚」にする・・・が神話的な言い方だと「黄泉の国」(世見の国)を通過することで、現実的なことをふんだんに経験をし、その上で「禊」をしてすべて捨て去って、体を洗い清め「目」を洗った際に天照大神たちが生まれた・・・

「器化」だと思っています。

ポイントは「黄泉の国の段階を通過」っていうところなんでしょうね。現実的な(目に見える世界のもろもろ)で、一旦は自分を一杯にした上で、空にする。

最初の国産みでも「うまくいかないかもしれない」とチラッと思っても、まずはやってみる。で、失敗の体験をして、そこから原点に立ち返る・・・というように描かれている。

純粋を大事にするというのは、「純粋培養」のように汚れた経験を一切しないで、綺麗なものだけを自分に取り込もうというのとは根本的に違う。

父の言葉の受け売りですが、それは日々私達が食べ物をとっているのと同じことだと。栄養素だけをとっているんじゃなくて、栄養素以外のものをたくさん含んだものを食べ、それを消化(元形を消し去って)、自分の中で必要なものとそうでないものを分離して、吸収・排泄をする

よくコバルトブルー君が使う「蓮の花が泥の中から咲く」もそうでしょうね。「泥」と呼ばれているものから吸収して「美しい花を咲かせる」

駿煌会で、ジブリなどの高尚なアニメ以外のを積極的に話題にするのも、上原先生が歌舞伎を素材にするのも同じ構えだと思っています。



09:16 ソルティ
泥の中から 蓮。 どろどろの、混とんとした世界で右往左往することこそ大事なんですね。 だんだん やさしさ っていうものに近づけたらいいな~と個人的には思う。
歌舞伎は 今は 高尚な世界のように思えるけどね。一度は観に行ってみたいとかいいながら出かけていないな。



2019.06.14 金曜日
23:54 虚空
今日の諷虹君とのやりとりで後半に「ふるさと」「おうち意識」の話になりました。
やりとりのごく一部です。
諷虹 ラインでソルティさんが「ふるさと」のことを話題にしていたじゃないですか。で、あの「ふるさと」の歌の出だしも
「うさぎ追いしかの山 小鮒つりしかの川」
虚空 「山」と「川」だね。咲の麻雀の話が最初に出た時から話題になっていたことだよね。
「ふるさと」歌詞
兎(うさぎ)追いし かの山
小鮒(こぶな)釣りし かの川
夢は今も めぐりて、
忘れがたき 故郷(ふるさと)
如何(いか)に在(い)ます 父母
恙(つつが)なしや 友がき
雨に風に つけても
思い出(い)ずる 故郷
志(こころざし)を はたして
いつの日にか 帰らん
山は青き 故郷
水は清き 故郷