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「咲 -Saki-」やりとり から「ダンデリオンツイッター記事 大宇宙をかけめぐる意識」へ 

2019年5月31日 諷虹宅でのやりとり、続きです。
麻雀漫画(アニメ)「咲 -Saki-」からのやりとりの中で、先日ダンデリオンツイッターにあげられていた内容と深く関わることが飛び出してきました。

これも昨年10月の児言態公開授業のテーマ「宇宙との振幅・共鳴」の事例になると思います。
諷虹 ・・・阿知賀編の主人公が初めて麻雀をやった時の感想が
「山?これ山っていうんですか?
ふおおぉおお
つまりこれから駆け巡る山が!毎回違う山が立ち上がるわけですね!?」


虚空 あのさ、この前ダンデリオンツイッター記事で更新されていた3つのはなしのうちの一つ、次に紹介しようと思っていたことなんだけどさ、今のことと関係ありそうだから今、紹介するけど・・・

2019年 5月25日 
(道元2 正法眼蔵第一 現成公案)人の悟りを得る、水に月の宿るがごとし。月ぬれず、水やぶれず。ひろくおほきなるひかりにてあれど、尺寸の水に宿り、全月も弥天(みてん)も、くさの露にも宿り、一滴の水にも宿る。悟りの人をやぶらざる事、月の水を穿たざるがごとし。
人のさとりを?礙(けいげ)せざること、滴露の天月を?礙せざるがごとし。深きことは高き分量なるべし。時節の長短は、大水小水を?点(けんてん)し、天月の広狭を辧取(はんしゅ)すべし。

【大体の意味内容】人が「悟り」を得るということは、水面に月が映るようなものである。月は濡れないし、水面も割れたりはしない。広く大きな光やその七光りも、一尺とか一寸とかの小さな水面にすっぽり収まるように全体が映る。

満天の星やその背後の宇宙空間すべてが、草の露にも映り、一滴の水にもやどるのである。大いなる「悟り」が、その偉大さがあっても、小さな一人の人間を押しつぶしてしまわないことは、月が水を突き破ったりしないのと同じである。

どんなに弱小な人間であっても「悟り」を啓(ひら)くことの障碍(しょうがい)になったりはしない。それは一滴の露が、天月の光を世界中に映すことの妨げには決してならないのと同様である。「深い」ことは「高尚さ」に比例するが、それはサイズが大きいとか小さいとかの影響は受けない。時間が長いとか短いとかいうのは、月影を映すのに十分な大きさの水面であるとか小さすぎるとか、月光の照らされる範囲が広いとか狭いとか、無益な議論をするようなものである。


【お話】高校時代に、徳川家康の子孫にあたる女子生徒がいて、友達と一緒によく話していましたが、こんなことを話してくれたことがありました。「この地球が太陽の周りを公転してるっていうことは、『今・ここ』は明日になったら、宇宙空間になってるってことよね。そう考えると、何か、すごいよね」足元がぐらっと揺れて、とてつもない深みにさらされたような感覚に襲われました。

たしかにそうだ、「徳川さん」の言う通り、我々が他愛もないおしゃべりに興じている学校の図書室のこの机やいすがあるあたりも、明日になったら宇宙空間になっているのだ。それに『今・ここ』自体が、昨日までは宇宙空間だったわけだ。それどころか、ついさっきまでも宇宙空間だった。地球は太陽を中心に公転しているから1年後には同じ場所に戻ってくる?

 いや、太陽系は、銀河系の中を回っていると聞いたぞ。銀河系のような島宇宙たちも、それぞれ大宇宙の中を回っているって。じゃあ、宇宙の中の本当の中心は?本当の中心は、見つかってないはずだし、あるのかないのかもわからない。ということはつまり、我々は永久に同じ場所には戻ってこないで、宇宙空間の中を放浪し続けているということだ。たしかに、すごいや…

なんだかやたらと感動して、今でも鮮明に覚えています。女子高生「徳川さん」の思い付きも、きっと立派な「悟り」なのだろうと思います。


地球という小さな星の一角に浮かぶ小さな島国に貼りついた一人の少女の心でも、大宇宙を翔け巡ってしまう、実感をもって…私にとってもこの時に連想したイメージ世界が、その後の自分の人生、生き方に何か方向性を持たせてくれたような気がします。極小なものでも極大の世界と一致できるし、一瞬の事でも永遠を体感できるし、定まったコースでも常に未知への彷徨(ほうこう)(さまよい)になっている。


そう悟ったからといって急に肚(はら)が据(す)わったり、迷わなくなったりしたということではありません。迷いや失敗の連続の人生ですが、少しずつ、自分の中の中心ができてきた気もし始めたものでした。失敗してぶっ壊れても、また自分の中のどこにどんな柱が立ちそうか予感できるような、中心座標が。草の露一滴にも月影は宿る、全天の星は映る、ただし、濁ってなければ、です。素直に受け入れる透明さを。


コバルト 分母と分子が逆転するという部分もあるし・・・それとこの字にしても彷徨(ほうこう)(さまよい)・・・さまよいを楽しんでいる。さまよう事を恐れない。孤独を恐れないっていうことと同じ。


諷虹 今この瞬間が過去になるっていう感覚ってあるじゃないですか。この考え方は時間軸でしかとらえていないというのが、この公転の話だと場所、自分の立ち位置もかわるっていう部分も実感できる。時間軸と(空間)の座標軸が一緒になっている、っていう感覚。


虚空 そこがさ、麻雀のシーンにそって考えると、人間同士のかけひきや、友達の想いの影響を受けて見え方も変わってくるという点では「人間性」の部分もからんでる。まさに「世界定めの3つの軸が錯綜しての世界定め」があのテーブルの上で展開している、っていうことになるよね。

そしてさっきの「山?これ山っていうんですか?ふおおぉおおつまりこれから駆け巡る山が!毎回違う山が立ち上がるわけですね!?」発言がね・・・


諷虹 さっきみた池田が吠えた時に「誰か牌いじった?」っていうのも・・・場所も牌も何も変わっていないのに


コバルト 世界が変わった


虚空 宮永の場面のは・・・個人戦の決勝戦でそんなのがあったと思う。
ダンデリオンさんも書いていることで言えば身近なところとの宇宙とのつながり。まさに去年の宇宙との共振・共鳴の実例だよね。

そしてそれが、ライフインデキス(生命の指標)になっている・・・それがちゃんと内側から湧き上がってくる。

⇒地球という小さな星の一角に浮かぶ小さな島国に貼りついた一人の少女の心でも、大宇宙を翔け巡ってしまう、実感をもって…私にとってもこの時に連想したイメージ世界が、その後の自分の人生、生き方に何か方向性を持たせてくれたような気がします。


虚空 これが誰かに示されるっていうことじゃない

コバルト 誰かに支配されるわけじゃない
⇒穏乃「そこはもうあなたのテリトリーじゃない」



諷虹 カン裏を確認しないで点数申告しようとする相手・・・自分のテリトリー、支配下だと思っていた領域が、実はもう主人公のテリトリー、山の深いところに変わってしまっていたっていうラストシーンで・・・


コバルト 分母と分子が入れ替わっている・・・公転で言うと自分が地球で相手が月・・・自分が重力の中心だったのが、入れ替わることで逆に相手が地球・あるいは太陽で、自分が衛星になってしまっている。

*この次の日が、広島大学のNanba先生をお迎えしての駿煌会やりとりだったのですが、ここ数日の「量子論」や、「鳥瞰」や、この最後の「衛星」の事なども飛び出しました。
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☆「咲 -Saki-」やりとり から 「授業の際の教師の構え」について 等々 

2019年5月31日 諷虹宅でのやりとりです。
途中でコバルトブルー君も参加。

麻雀漫画(アニメ)「咲」からのやりとりの中から、学校教育に関してつながるようなことが飛び出しました。
教室全体の雰囲気をどう教え子たちと一緒に作っていくのか、
多様な発言の受け止め方 、「思考・感情・用具言語」 と 「構え」・・・・・・・・・・・・

この前の「鳥瞰」とか「量子論」とか「素人の持つ強み」に関することもでました。

ただ、今回はあまりに早口でいろいろな発言が活発に飛び交ったために、きちんと文字に直しきれませんでした。
なので箇条書きで済ませてしまっている部分がかなりあります。
本当はそういう部分こそのやりとりをそのまま記録しておかなかればならないんですが・・・・私(虚空)の体調のこともあって・・・。
6月1日の文字起こしを優先させる必要があるというのもあるので、今回はそうした形でご勘弁を。
「咲」についてのはなしをいろいろとしていた中で 20:36 コバルトブルー君、到着。
咲の話がさらに続いたあとで
コバルト 空気が変ったっていうのは麻雀やってれば分かるからね


虚空 それは授業でも同じ。空気とか風とかそれぞれの発言で揺れ動く。それをつかまえて交通整理をしてやれるか


諷虹 (鳥瞰のところに登場した)このお母さんっていうのは伝説の博徒みたいなものだと思ってください


コバルト 本当に強い人って・・・まわしながら打つ。引きながら押す・・・・


諷虹 体を残して引く


虚空 (「まわしながら打つ」というのが具体的にはどういうことなのか全く分からないまま)
誘導型の授業だと「いいか悪いか」って二者択一になるだろ。ある意味では教師にとって分かりやすい発言だよ。でも時々「えっ?」って思うような発言


コバルト まわすってすごく難しい。降りながら攻めるって・・・降りると運がどんどん逃げていくし・・・・


虚空 子供ら同士が自由に発言しあった時に、その盛り上がりをどう教師が受け止めるか。誘導型だったら、やっぱり嫌がるよ、子ども同士のやりとりが盛り上がるのは。

どうしても一問一答式になって、誘導しようとしたりする。どう発問すれば期待通りの発言になるか、だから。

教師の枠を超えた子ども達のやりとりほど、理解不能・・・。
でも咲の中でもしょっちゅうでてきたよね。解説者も首をひねるような手が思いがけない結果を呼び込む。
全ての人たちが自分の枠の内側だなんて思うのは傲慢。


コバルト 麻雀の一番の敵って「感情」。ニュートラルで打つのが強い。喜怒哀楽が感じられない。イチローもそうだよね、クール。いい場合でも悪い場合でも。


諷虹 このまえ話題になっていた鳥瞰では、一見関係ないことばかりがうかんでいる。


虚空 それが今の発言でいえば、関係ないことばかりをながめていると、麻雀の現状の局面に対しての感情とは違ってくる、っていうことでしょ?感情をみせたとしても、実は全く違う意識世界での感情・・・でも周囲には今の局面での感情って映るから大変なんだろうね


諷虹 「あいつ今笑っているよ」っていうような場面ですね。
あとバガボンドで清十郎との決闘での武蔵。よだれをたらしていても気が付かない集中力。


虚空 そりゃ見ている方は動揺するよね。こんなところで何をこいつはよだれなんてたらしてるんだ、って。

バガボンドでいえば、あの石舟斎の孫の手の場面もそうだよね。寝ているから感情を出しているのとは違うけど、命をねらっている相手が孫の手で何をしとるんじゃというのをみて武蔵が激しく動揺する。

鳥瞰している時って、周囲からは全く理解不能になる。
子ども達が夢中になって盛り上がっている時は、それに近い。
誘導しようとしていた教師にとっては全く面食らうばかりで、下手すると「何を勝手な事ばかり言ってるの」なんていうご注意になってしまう。指導案で予想される児童の反応、なんていうことを書くことがあるけど、想定を大幅に超えることだって普通にあるよ。
去年の授業でいえばAIの話なんてそうだったよね。でもちゃんと子ども達のやりとりを見守っていたからね。自由にやりとりさせていた。


諷虹 鳥瞰でいえば「鳥が実際に何をみているか」なんて分かんないですよね。人間とは視野もちがうし。鳥目・・・夜になると見えなくなる・・・見えているところ、見ているところが違うとも言えるのかもしれませんね

あと、鳥頭とか言いますよね。3歩歩くと忘れる・・・現状が見えていない?我が道を行くような感じ
あと、この話の流れに関係あるかなっていう点として、シノハユの主人公は古役(現在は役として認められていない役。)を上がることが多いんですね(シノハユ9巻)
これも、現状では点にならない無意味な役を上がっている


*ステルスのことと教師の存在感がない授業が理想と言われた時期(支援に徹する)
*納棺師の番組に関して(NHKプロフェッショナル)
*量子ビットの話・・・江戸庶民の発想と同じ 相反するものの重ね合わせ
*確率を超えたキャラ・・・人知を超えた常識はずれの手
*咲のキャラには孤独だった者が少なくない・・・強さの根源に人とのつながり
*意識が変わると同じ配列が違ってみえる・・・(例 咲一期 18話 池田)



コバルト シュレーディンガーの猫と山の牌って同じ発想。


諷虹 めくるまで自分の有効牌なのか相手の有効牌なのか分からない・・・観測して初めて分かる 


虚空 自分は麻雀を知らない分、不自然な超能力っぽい部分とか不可能をひっくりかえす部分は全く気にならない。


諷虹 これって高校球児のようなもんなんですよね


虚空 青春ドラマっていう要素でいうと、ガルパンとかリリカルなのはと同じだけどさ、このアニメの違いは「量子論」の要素が極めて濃いっていうところ。

それは先週も話していたんだけど、観測された瞬間に固定されるけど、その前は同じテーブルを囲んでいても、自分のはみえていて、他の3人のはみえてなくて・・・自分のだって構えによって見え方が違っていて・・・そんな4人のゴチャゴチャの意識世界が重なり合って一つのテーブルに世界が出来ているわけだろ。

麻雀のルールが分からなくても気にならないで観られるドラマ部分がね。
さっきのことでいえば、麻雀の一般的な常識を知らないからそのまま受け入れる・・・それはさ、いせスマ(異世界はスマートフォンとともに)をRPGを知らない自分だったから、気にしないで素直にみることができた。

☆「量子論」からのやりとり④ 「咲」の外伝作品にみる「鳥瞰視点」「ぼんやり時間」

2019年 5月26日、諷虹君宅でのやりとり続きです。量子論と結び付けて「咲」について多様な語り合いがあったのですが、最も大きなものは、「咲」の外伝作品「シノハユ」に出てきた「鳥瞰」能力。

「俯瞰」ということに関しては、児言態の元英才小学校の先生だったKS先生もポイントとされてきた視点なのですが、それをもっとスケールアップした視点です。

それが、このコミックの中では、単なる岡目八目のような「客観視」というのとは違って描かれていることがミソ。

(これに関しては、6月1日のNanba先生と駿煌会メンバーの語り合いや、6月7日の諷虹・虚空やりとりでも再登場します。
ブログアップはまだ先になると思いますが・・・)


また「ぼんやりと過ごす」ことが現代人には圧倒的に不足しているのではないかということも、咲の山好き娘のエピソードからやりとりしています。

この感覚は教育のカリキュラムを考える際にも重要だと思っています。

諷虹 今気づいたんですけど、敵側のキャラ(大星淡)っていうのが能力を発揮する時って、背景に宇宙空間が描かれているんですね。ビッグバンみたいに


虚空 髪の毛も極端に逆立っているじゃない。この前から髪の毛の話題もラインで飛び出しているけど、やっぱり「髪の毛」には特殊な意識が集中するんだね。
アニメ画像より http://tama-yura.jp/animetory/img/entries/138196172353906c8881d343.70111004/53bcee6da6e05/pc/8.jpg
動画 https://www.nicovideo.jp/watch/sm20594125


諷虹 普段はわけのわからない、人畜無害そうなキャラが勝負になるととんでもないことをやりだす。

⇒この点に関しては今後掲載予定の6月7日のやりとりでも再び詳しく語り合う


虚空 そういう両義性も日本人って好きだよね。井上さんってバガボンドでそういうアレンジしてるじゃない。吉岡清十郎のキャラ設定をだいぶかえている。


諷虹 (動画をみながら)こういう髪型になるっていうのは・・・歌舞伎みたいな・・


虚空 それをさ、その髪型状態をみて視聴者の多くは共通の何かを感じるわけでしょ。それも心意伝承的なことかもね。


*外伝主人公(穏乃)が修験道の山の中で自分の能力に目覚める場面
・「修験者が修行のために歩いた深山路、そこを修行ではなく庭のようにかけまわっていたという。」

「女の子が山を?」

「その幽邃(ゆうすい=景色などが奥深く静かなこと。また、?そのさま。)の地でひとり、しずのは何を感じ取ったのか」


・穏乃(あの頃――山の中で一人でいる事が多かった――
  だからこそ自分自身と言うものをハッキリと感じることが出来たし色々考える時間が出来た気がする
  いつか意識は自然の中に溶け込んで――深い山のすべてと一体化しているような。そんな気分になったんだ。
  今、牌の山も対戦相手も、あの頃の山のように感じる!!) 

虚空 この言葉っていうのはさ、この所話題にしている「最も身近な感覚だからこそ、宇宙とか究極のことと響きあえる」っていう・・・。

修験道でも修行僧でも「山に籠る」って・・・なんで人間は悟りを開こうとするときに山に籠ろうとするのか。

トランスフォーメーションを起こせる大舞台だ、っていうことを直感しているんだろうね。
今風の「引き籠り」じゃなくて、本来の「籠る」っていうのを現代人も甦らせないと・・・。


諷虹 (穏乃(外伝主人公)と大星淡の対決場面)「山」、「地球」対「宇宙」の勝負。


虚空 昨日、電車に乗っていて改めて感じたんだけど、いろんな人たちのほとんどがスマホとにらめっこしているよね。自分なんてスマホもないし、老眼の進行もあるから、最近は電車の中で読書もしない。そうするとさ、基本的には窓の外をながめながら想像の世界に入っている。

よく言われることだけどさ、現代人って一人でいる時間が一人でいることになってない。自分の空想の赴くままにとか、イメージ運動のなすままにとか・・・内なる自分との対話とか・・・そういうことをする時間が極端に減っている。

この主人公の言っているような
「だからこそ自分自身と言うものをハッキリと感じることが出来たし色々考える時間が出 来た気がする
  いつか意識は自然の中に溶け込んで――深い山のすべてと一体化しているような。そんな気分になったんだ。」
っていうチャンスを自ら潰している。

内から湧き上がる自分との対話をしないで、そのくせ他から次々と寄せられてくる自分を縛り付けてしまうような「膨大な情報」でオーバーフロー状態・・・いつのまにか押しつぶされている。でもそれにすらなかなか気づけない。

未知なる世界に誘ってくれるハズの「新たな知識」がそういった世界へのスイッチにならない。だから知ればしるほど、人間の幅が狭くなってる。

自分は登山とかはほとんどしなかったけど、ひと頃天体写真にはまっていた時には平日の夜に何度も花立山とか里美牧場とかで一晩中徹夜した。平日だから誰もいない。
天体写真だから一枚撮る間数十分は何もすることがないから、夏なんかは駐車場のど真ん中に寝そべって満天の星をぼんやり眺めてた。そうした「ただぼんやり」っていうことから、いつの間にか得ていた事ってすごく貴重な蓄積だったと思うよ。

同時にあの頃は顕微鏡写真も撮っていたからね・・・望遠鏡を覗くのと、顕微鏡を覗くのと・・・接眼レンズを覗いたら丸い枠の中に大宇宙なり小宇宙なりが視えるという点では共通でさ・・・・自然に類化性能というかね・・・こっちは宇宙、こっちは微生物とかミクロの世界っていう区別がなくなっていた。

山が好きで過ごしていたそんなキャラ(外伝主人公)だから「山」のことから麻雀につながることをどんどんキャッチできたんだろうし、心のエネルギーにもなったんじゃないの?

本編主人公の崖の上の花がどうのこうの、っていう子は山が特別好きだっていうんじゃないんだろ?

諷虹 ええ


虚空 名前からの連想・・・それだって類化性能っていえば類化性能。
和歌でいえば「掛詞」とか「縁語」とかに通じる言葉の感覚だよね。
一昨日の麻雀の話の出だしで言っていたことに通じる・・・・

(参考)一昨日の発言
諷虹 麻雀の「山」・・・捨てたところを「河」っていうんですよ。山と河って・・・それだけでいろいろな考察ができそうなんですけど、例えば山から牌を持ってくるわけですけど、一番最後の牌を海底(はいてい)って言うようになる、とかね。山が突然海の底になったり、捨てるのが河・・・そう名付けた人は一種の箱庭のような感覚で作っていたのかなって。

咲の主人公なんかも、嶺上開花(りんしゃんかいほー)っていうのが山の上に花が”咲く”っていう所が自分の名前と同じって言うことでその役が好きになる・・・というかその役でしか上がらないレベルにまでなるんですよ。実際にはありえない確率ですが。

諷虹 今の山の好きなキャラの名前が「高鴨穏乃(たかかもしずの)」なんですけど・・・どういう意味がこめられているのかな、って。

虚空 単純にいえば、高いところを飛んでいる鴨。漢和辞典では「穏」は「作物を隠して外に出さないこと。中におさめて外にあらわさないの意を含む」

山に登る=高いところ=鳥が飛ぶ・・・っていうのに加えて、この穏やかの本来から考えると、手の内を隠しながらやりとりする部分は普通の麻雀的であるし、それから相手の能力を封じるという能力っていう見方もできるし・・・その両義性?

作者がそう考えたかどうかは分からないけど・・・・


諷虹 ちなみになんですけど、作画をした五十嵐あぐりさん(バンブーブレードの作画も担当)ですけど、この外伝作品(阿知賀編)を描いたあと、現在進行形で描いている外伝の外伝・・・のような作品(シノハユ)の主人公「白築慕(しらつきしの)」が幽体離脱のように羽根がはえて・・・鳥瞰・・・俯瞰じゃなくて・・・している描写があって・・・。


虚空 随分前にマッチ棒パズルで6本使って正三角形を4つ作る、ってやったじゃない。それと通じるんだろうね。

物理的というよりは数学的に抽象化された軸を増やしてどんどん発想の次元を上げていく感覚。
それこそ、一昨日郡司先生の言葉を引用したような江戸庶民の発想とか、古代人・万葉人が自然の中での生活の中でそれこそ自然に獲得していた感情生活であり、思考様式であり、イメージ世界だったんだろうね。



*シノハユ (9)
(対戦相手が気合を入れなおす)
「風が凪いだような・・・この感じ・・おかあさんと打ったときにもよくあったな。
(回想)

慕「ああいうときどうするの?」

母「どうするの、って、そうねぇ・・・麻雀に限らずすべてにおいてだけど、まよったら一歩ひいて周りをみてみるの。」
慕「麻雀だと一歩引いても見えるものはかわらないよ」
母「おっしゃるとおりですけど、なんというか、卓上より広く見て、他の打ち手のまとう空気、それぞれのバックボーン、自分のバックボーン、世界全体をみるのよ。
たとえば~・・・なんかこまったときにね、おじいちゃんの外国の友達にバイオ研究者がいたなぁとか、北欧人のお金持ち女性がいたなぁとか・・・冷蔵庫にアイスクリームのケーキがあったなぁとか・・・」
慕「あるの!?」
母「ああ・・・口がすべった」
慕「やった」
(回想おわり)
慕(今、ちょっとわかる。)鳥瞰描写


諷虹 この時は一瞬だけ垣間見る・・・能力に目覚めかけるんですけど、それが丁度昨日発売された最新刊(11巻)で、滅茶滅茶絶望的な状況にたたされたときに水底にいるような描写が描かれて、羽根の描写がこのあとでて、空中高く浮かんで、今の試合だけじゃなくて他の会場の様子だとか、今まで戦ってきた人たちが今何をしているのかが、同時に見えるんですよね。まだ登場してきてないキャラもいたりして。・・・それで今の局面がみえてきた、って。


虚空 さっきのお母さんの説明でも感じたんだけど、一歩ひいてみるものの実例が、常識的にかんがえれば全く関係ないようなものもいっぱい含まれているよね。

今の対戦中のだって、局面に直接関係ないものも同時にいっぱいみている。

その中で「局面に関係ありそうなのはどれかな?」って考えているわけじゃないんだよね?関係なさそうなものも含めていっぱい観て、それが重なりあったところから局面を直観しているような感じに受け止めたんだけど


諷虹 まさにそうだと思うんですけど。どっちかっていうと対戦相手のことはあまり観ていないですからね。麻雀中でない人のことの方が多いくらいですからね。
「見えた!」っていってみているのは会場の外の風景ですからね。


虚空 だからさ、最近教え始めた高校生にもよく言うんだけど「理系文系」なんていうつまらない仕切りなんて取っ払って・・・できれば自分が今まで関心のなかったような分野とか、絶対関係なさそうなものからヒントを得よう、っていう姿勢こそが本当の意味での実力・・・生きる力になるんだ、って。まだ「類化性能」っていう言葉は紹介していないんだけど・・・。

さっき「垣間見る」っていう言葉も使ってくれていたけど、チラッと垣間見たことの意味が「なんのこっちゃ?」っていう事の方があちらの世界からの深い意味が内在していることが多い、って。スピリチュアルに詳しい人の言葉を借りれば「高級霊」とか「上位神」からのメッセージほど謎めいている。

逆にいかにもすぐに分りやすいヒントっていう場合は、「低級霊」とかが「からかい半分」で送ってくるもので、うっかりそれにのって現実志向の御利益を得ることに夢中になってしまうと、ある時にドーンと突き落とされる、とかね。

まあその真偽は分からないけど、やっぱり人類の進歩の歴史をみたって、全く関係なさそうなところからインスピレーションを得てのものの方がすごい場合が多いよ。

ネット検索も便利は便利だけど、やっぱり本当は充実した図書館で資料を自分で書庫から探す、っていうのは大事。思いがけない表題の本に偶然目がいって、新たな世界に出合う、っていうことが起こるから。ネット検索ではキーワードにひっかからないものは画面に出てこないもんね。
だからさ、どっかの大学の最新式図書館が紹介されていたけど・・・書名とかを選ぶと、自動的に書庫からその本を取り出してきてくれる装置。
アホかと思った。新たな出会いなんていう余地を全くなくしてしまうよね。
目的の資料だけでない・・・「あれ、何だろう」っていう出会いが想定外の幅を広げてくれるのに。


やっぱりどんなにネット検索や通販が普及しても、やっぱり本棚にいろいろなのが並んでいる本屋さんとか図書館は大事。掘り出し物の発見の喜びのある本格来な古本屋さんもね。

「関係あるか・ないか」なんて簡単に判定できるほど、自分らって物事を分かっているわけないじゃない。

さっき出てきた母ちゃん・・・結構幼い娘(小学校低学年?)にするような説明じゃないけど・・・でもホンモノの教育者の素養バッチリだよね。麻雀に限った事ではない、って一般化もしてるしさ。


諷虹 これが幼い時の買い物の場面なんですが・・・



虚空 お母さんがそれを意識していたわけじゃなくてもね、この子は人間力がこうした一見出鱈目な親に育てられているから耕されている、っていうのが分かるエピソードだよね。

普通の子だったら、冷蔵庫の中がコンビニ状態になっていたら、「わーい」って喜ぶだけで終わりだろ。でも家の経済状態とか、賞味期限順に整理するとか・・・冷静に今何をすることが大切なのか、って一度感情などから切り離して考えている。


この積み重ねが「鳥瞰」の下地なんじゃないの?


それもね、単に客観的にとらえるんじゃなくて、「実感」を伴って・・・理性で「関係ある・なし」のフィルターで勝手に視えてくるものを取捨選択しようとしないで・・・ありのまますべてを受け止めて重ね合わせて構造化できるような感覚への下地。

それは「生活」っていう極めて身近な経験の中での積み重ねだから、単に「理性」の力というのではない境地に行けたんじゃないの?


(虚空の料理経験 学生時代など仲間内での宴会準備のエピソード
料理準備は虚空の役目 材料の準備や調理手順が、理性で考えるというよりは、自然に全体像がフワッと浮かんでくる感覚。)
さっきの鳥瞰の場面とかをみながらその時のことを思い出したよ。理性とか思考じゃない感覚。理屈抜きで浮かんでくる感覚。


虚空 別に宴会用にいろんな料理を一度に準備した経験なんてないんだよ。家族のおかずは小5の時から作っていたけど、おかずの品数なんてほとんどなかったから。単品料理。
オヤジも大変だったと思うよ・・・最初の頃は特に失敗ばかりだったし、レパートリーも少なかったからね。

でも失敗した時にもオヤジは「こうすればいいんだ」っていうのはほとんど言わなかったんだよね。もちろん叱るなんていうことはなかった。


ご飯が固めになっちゃった時は「酢飯にするときは今日の水かげんを思い出せばちょうどいい」とか、柔らかすぎた時は「誰かが風邪をひいたらこんな感じ」とかね。そういう助言はされた。
それで失敗も知恵をつけるための材料っていうかな・・・いろんな加減が実感として分かったから、違う料理の時にも「こうすれば良さそう」っていう見当がつけられた。

もちろんそれでも失敗することが多かったけど、同じ失敗はしないとか、次に逆に生かせるようにっていうのはいつも考える癖がついた、っていうのはオヤジのおかげ。

そんなことを何年もやっていたから、仲間内ながらも品数も量も多い宴会準備もなんだか自然にできちゃった。

(その他ちょっと雑談が入ったあと)


今の子ってさ、することないと「何していいのか分からない」ってすぐ言うよ。大人もそうだろうけどね。

でも幸か不幸か、自分はスマホなんていうのも持ってないから電車の中はぼんやりする時間。あいまいな「量子」の感覚。さっきの子の鳥瞰も量子だよね。


諷虹 神社のベンチに座ってだとぼんやりして景色を眺めていることが多いですかね、「何もしないをする」っていう感じ、公園とかのベンチだとスマホとかいじっちゃいますけど。


虚空 このところ本当に目もイカレテいるし、体を起こしているのも辛いから、パソコンに向かう時間も、本を読んでいる時間もめっきりと減っている。その分ぼんやりと「量子的」な時空をただよっている感じかな・・・。

そんな時って「自分」っていう感覚も薄れていく・・・意識そのものが薄れているから・・・それこそ「粒」じゃない存在。霊的な存在って「波」に近いっていうか・・・まさに量子。

空想とかイメージとか意識世界とか・・・それは全部「想念」の世界・・・波だよね。


それを「話し言葉」や「文字言葉」にして自分でも意識化するし、他人にも伝えられるんだけど、それは量子で言えば「粒」として固定化したものだから、波の時の実体のない豊かさはほとんど欠落している。それは複素平面で虚数世界が実数の数直線に投影された時には滅茶苦茶狭いことになってしまうような。

それを日本人は「言葉は事のハ」ってつかまえていたわけだよね。
実体は目にみえない想念の波・・・だからこそ、マクロの宇宙ともミクロの宇宙とも共鳴しあえる。


そんな感覚を段階に応じて育つような環境かな・・・。


幼い時には自然な流れに身をまかせて・・・でも現実思考に目覚めたあとは、「思考力」や「知性」の力も借りて、人知を超えた領域に想いを伸ばす。

「古典」なんかだって、本当はそれのものすごいスイッチになりうる宝。でもそうした扱いは学校教育ではほとんど感じられないどころか、興味を失って嫌いにさせる古典教育が主流。
なんとかしないとね・・・・

☆「量子論」からのやりとり③ 二極構造以上を狙う

ここからは2019年 5月26日、 コズミックフロントNEXT 量子論 の続きを観ながら途中で止めてのやりとりです。

量子論によく出てくる二律背反「波でもあり粒子でもある」ということは単なる「あれかこれか」という二極構造ではないということを問題にしています。

二極の間のあらゆる可能性を重ね合わせての発想です。


番組内容
「驚くことにこのモヤやもっと面白い性質を持っている」
光・・・波としてのふるまい・粒としてのふるまいを視覚化する装置(二重スリット)
光の点(粒)を集めていくと、波としての性質の縦じま模様があらわれる(干渉縞)

⇒量子がもやっとしたものだから起きる 「だるまさんが転んだ」 の例え
カメラに捉えられるまではモヤッとして両方のスリットを通る 波の干渉⇒縦じま模様

宇宙をつくっているミクロの世界ではとっても不思議なことが起こっている。
ミクロの不思議な振る舞いは宇宙の一員である生き物たちにも欠かせない。
そんなことが最近わかってきた。



諷虹 改めてみたら、宇宙の振幅とか共鳴的な部分ばかり考えていますけど、逆に波長が真逆のものがきたら打ち消されることもあるっていうこともあるんですかね。

母親に勉強しなさいと言われたとたんに一気にやる気が失せて無関心になる・・・「今よろうと思ったのに」って・・・打ち消し合う波の干渉。


虚空 それも、もしかするとあの千曳の岩の 「1000人殺す・1500人産む」とか、真空のゆらぎの中での「自発的対称性の破れ」とも関わるかもね。
単にプラマイ0では終わらない・・・。


諷虹 BGM消す時の波長を反転させていくあの感じはあるかもしれませんね。
心理学でイエスと言わせる質問の仕方とかノーと言わせる質問の仕方とか。


虚空 誘導型の授業を好む先生は、それをとことん追求しているんだよ。そして狙い通りの反応が出るようになったって・・・単に誘導されて発言しているだけなのにね。

もう一つ思ったのは、音の打ち消しの原理の説明でよく使われる、お寺の鐘の中のど真ん中に立ってゴーンってやったらどうなるか・・・打ち消し合ってそんなすごい音はしないらしいけどさ、でも立ち位置をかえれば大きな音は出ている。波の干渉でも強弱のポイントが繰り返し現れるっていうのもさ・・・絶対的にプラマイ0になっているんじゃなくて、それこそ「相対的」に観測者とかの立ち位置で異なることが同時に起きている・・・

それもあらゆる場所とか場面での違う様子を重ね合わせて考えていかないと全体像とか全体構造はみえてこない。


でも、今の世の中ってすぐに分らないといけない、とか、すぐに結果を出したり、判断しようとするから、ごく一部だけで全体を決めてつけてしまうことも多い。

もちろん、自分だって、何かの体験とか何かのアニメで感じたことを一般化して考えようとはしているけど、それで「絶対こうだ」って言っているつもりはない。「こんなことがいえるかもね」っていう仮説をたくさんたてているつもり。で、それを他のアニメとか日常のいろいろな場面でも考えてみる。それで当てはまるか、さらに考察が必要になるかは別問題。

だからこそ、駿煌会のラインで、それぞれの関心に応じていろんな実例が紹介されあっているっていうのは大事なことなんだと思う。

*ここで「咲」の話題が入る 

諷虹 特殊な能力を持っているキャラの中で、麻雀の技術だけで打っているのがいるとカッコイイな、って。特殊能力のキャラは受け身的に自分から合わせている・・・やってくる波に合わせているサーファーみたいなもんで・・・・


虚空 このサーファーっていうのが出てきたのも面白いよね。どんなに実力があっても波に依存する部分って大きいわけだよね。だいたい波が来なかったらどんなにやる気を出していてもダメだしさ。まじめにサーフィンをみたことはないけど、以前テレビでハワイの大波に乗る競技会の番組を一度みたことがある。絶好の波に巡り合えたかどうかでも大きく結果が違ってくる・・・運も味方につけるかどうかっていう要素が入ってくる。

前みせてもらった麻雀漫画でも、どっちも必要って言ってたよね。

再び量子論番組
*ドイツの学者 渡り鳥の研究 量子の世界が関わっていることが分かってきた。
体内にコンパスのようなものがあると仮定していたが、それとは違う結果。
眼の中で量子的なことが起きているらしい。光による化学反応。それによって非常に弱い磁場である地磁気にも反応できる。(ラジカル対 正体は電子 粒だったら弱い磁場には反応できない モヤッとしている存在だから弱い磁場で反応し、センサーとなりうる)

学者 量子の世界で物事がどのように進むかを計算するのが量子力学なのです。具体的に何が起こっているかを説明することは簡単ではありません。

生き物の中で働くモヤのようにあいまいで摩訶不思議な量子・・・ぼくたちをはじめ、宇宙にあるものはみーんなこの不思議なモヤのようなもので出来ている。

最新研究では宇宙の空間そのものを作り出すのにも欠かせない・・・

量子論の歴史・・・科学者がなかなか納得しなかった歴史
「量子もつれ」・・・まるで手品のような出来事。もつれている二つの量子はどんなに離れていても片方の性質が決まれば、もう片方も自ずと決まるというものです。
たとえ宇宙の端と端で全く通信もできないのに、瞬間的に決まってしまう。これはアインシュタインの相対性理論の大前提である「因果律」に反する。何か原因があって結果が起こるという因果律が大前提であると考えていました。・・・それには時間もかかります。
だからこそアインシュタインはこれを「不気味な遠隔作用」と呼んで生涯受けれなかった。

そもそも物理学とは自然や宇宙のルールを数学を使って表す学問です。この学問を大きく発展させたのがニュートンでした・・・・・。この理論のベースにあったのはこの宇宙はあいまいなものではなく、絶対空間。

でもこの概念をひっくりかえす人・・・アインシュタイン。相対性理論では時間は伸び縮み、空間は歪む・・・実際に確認されている。
これと前後して量子論がでてきた。(溶鉱炉の光と温度の研究)粒のようにとびとびのエネルギー。「光量子」

「量子もつれ」波であり粒、それが観察されるまではモヤのようなもの。
そんな奇怪なことが起きるわけではない、との反論したシュレーディンガー。でも彼が量子のふるまいを知るためのシュレーディンガー方程式を導き出した。

諷虹 お化け屋敷でも、出てくるまでが怖い、っていうのがあるじゃないですか。


虚空 内面の動きを構造としてつかまえれば、修学旅行なんかも行く前がワクワクドキドキ、なんていうのもあるね。

出てきた後も、っていう場合は、それがスイッチとなって新たなイメージ運動の引き金になった場合。

たまたま今日、わたてんの「寝るまで起きていて」を見返してたんだけど、あの花ちゃんの状態だよね。


諷虹 さっきのニュートンの絶対とアインシュタインの相対・・・また「咲」の話なんですけど・・・阿知賀編なんですが、山が深ければ深いほど相手の能力を無効化する・・・相手の絶対支配を無効化するんですよね。(6巻)

「そこはもうあなたのテリトリーじゃない」・・・絶対空間が崩れたから。

虚空 麻雀については本当に何もしらないっていってもいいくらいなんだけどさ、アニメとかみてて、特殊能力は別として、互いに腹を探り合っている時、って量子論のだるまさんがころんだ、のように、鬼が視えていないときにモヤッとしてあらゆる可能性の動きが存在しているわけだよね。そして「だるまさんが」って言っている間に、みんながあれこれ動いているだろうなと想像している・・・意識世界ということでいえば、鬼の意識世界の中ではその可能性の中の在り得そうな数パターンのことが起きている。

「転んだ」っていってみた瞬間にピタッと固定されるわけだけど、そのが麻雀アニメをみていて、牌を見せる時が固定化の瞬間に似ているように思える

自分の牌の手の内は自分では分かっているけど、相手のはわかっていない。で、あれこれ考えれば考えるほど、モヤッとした状態だよね。その4人分の確定とモヤッとが重なり合って、一つの世界を構成している。


諷虹 「ブラフ」・・・引っかける演技


虚空 フェイクみたいなもの?


諷虹 自分がみえてて相手がみえていないことを逆手にとる。印象操作。
今でている情報から何を想像してしまうか・・・可能性が低いことでも恐怖を一旦与えてしまえば、安い手であっても勝手に混乱してくれる・・・させる。

実際にはリスクしかないんであまりやりませんけど・・・それが好きで得意な人もいますね。
ポーカーフェイスではなくて、逆にいろんな表情をみせて相手をだます。混乱させる。


虚空 麻雀ではないけど、スラムダンクの山王戦での流川のパスなんかもそれかもね。「~だ」「~ではない」という二者択一だったら守られてしまいりやすいけど、第三の選択肢があると思わせるだけで、とたんに相手の迷いが格段に増加する。

かつての日本人が強かったのは、こうした二極構造をさらに超えた三極以上の構えを当たり前のようにとれていたこと。

それが西洋合理主義のようなことで「あれか これか」という「二極思考」・・・二者択一になったからダメになった。

確かに二者択一は分かりやすいし、教えやすいんだよね。いわゆる〇?式問題だから。
記述問題とか小論文とかが極端に弱くなっているのは、第三極以上が発想できなくなっているから。


そういう意味では、聖徳の低学年が五目並べとかから始まって、オセロや将棋なんかのゲームの時間が正式に時間割の中に組まれているというのは大事なことなんだね、やっぱり。

ましてやさ「咲」の場合は、そこに「こいつ、どんな超能力を持ってるの?」っていう人知を超えた想定外の要素をからめての探り合いになるわけだよね。

やっている本人たちだけでなくて、モニター観戦しているそれぞれの学校の控室でのやりとりなんかも錯綜しているよね。

☆「量子論」からのやりとり② 「麻雀漫画(アニメ) 咲 -Saki-」初話題

2019年 5月24日 諷虹宅

ちなみに私、虚空は麻雀についてはほとんど知りません。4人が卓を囲んでジャラジャラやっている場面はいろんなアニメにも出てくるので知っているという程度。

どんなルールなのかも知らないですから、用語についてもさっぱりです。
そんな私ですが、諷虹君の紹介の仕方・解説の仕方がとっても良かったので、「量子論」とのからみで人生や教育についての様々な示唆がどんどん来てくれているという感覚になっています。


諷虹 最近、一日一回麻雀をうつっていうのをやっていまして・・・最善手が最善手になるかどうかは「流れ」・・・単純に確率が高い方ってやっても勝つとは限らない・・・勝率はあがるんでしょうけど。

本当についていない時は、敢えて確率が低い方を残してみるかって・・・でもそういう時は、ついてないから結局裏目。自分が選択していない方が来てしまう・・・


虚空 でもさ、何をやってもダメっていう時にこそ構えが問われるよね。どう対処して、その経験をどうしまい込んで、今後に生かすか。

家にあったイチロー語録を見つけて、少しずつ読み返しているんだけど、そういったことに通じる言葉がいっぱいあった。



諷虹 そこの精神論・・・場を荒らさないのが麻雀への礼儀っていう考えもあれば・・紳士的に負けを認めて大人しくしている・・・でも負けを認めたら神に見放される感覚もあるし。最後まで諦めない


虚空 それこそスラムダンクの安西先生だね。
安西先生が麻雀やったらとことん粘るのかな????花道は単に意地でとことんやるだろうけど。


諷虹 特に2位とか3位の時ですね。本人の性格が出ますね。1位をあくまでも狙うとか、最下位じゃなければいいか、とか。


麻雀漫画 「咲 -Saki-」の話題がここで諷虹君から飛び出す。

・・・女子高生の大会 団体戦(甲子園球児を意識している?)原作者は並行的に考えて描いている。女性同士で子作りができるという設定も。IPS細胞(百合要素)登場キャラの半数は 女性×女性 半分以上は同性愛者 法的にも同性婚が可能な世界  麻雀の青春と同性愛

諷虹 ガルパンの姉妹の描き方は咲のパクリだったんではと思うくらいでした。


虚空 声優さんは植田佳奈さんなんだね(笑)気合の入り方が違うんだろうね。、演技を超越しそう。


諷虹 麻雀の「山」・・・捨てたところを「河」っていうんですよ。山と河って・・・それだけでいろいろな考察ができそうなんですけど、例えば山から牌を持ってくるわけですけど、一番最後の牌を海底(はいてい)って言うようになる、とかね。山が突然海の底になったり、捨てるのが河・・・そう名付けた人は一種の箱庭のような感覚で作っていたのかなって。


咲の主人公なんかも、嶺上開花(りんしゃんかいほー)っていうのが山の上に花が”咲く”っていう所が自分の名前と同じって言うことでその役が好きになる・・・というかその役でしか上がらないレベルにまでなるんですよ。実際にはありえない確率ですが。


原作 1巻より
咲 リンシャンカイホー?

照(姉) 麻雀の役の名前だよ
 「山の上で花が咲く」って意味なんだ

咲 咲く?おんなじだ!私の名前と!!

照 そうだね 咲

 森林限界を超えた高い山の上 そこに花が咲くこともある
 お前もその花のように――強く――

虚空 「箱庭」って要するに世界をつくること・・・世界定めだからさ。

麻雀をやったことがないかわ分からんけど、あれって自分の思い通りにとか、意図通りに世界を創りたくても作れないわけだろ?やっている4人がそれぞれの思惑で寄ってたかって作り上げていく一つの世界。それぞれの思惑と運とを重ね合わせて出来上がっていく世界。

量子論っぽいね。

原作 1巻より
この空間を支配する超人的な豪運が・・・人はそれを奇跡と呼ぶ・・・奇跡を可能にするのは・・・・神か悪魔ッ!!


虚空 それこそ江戸人の発想というかね、上原先生が日本人の両義性を問題にしていたことからいえば「神か悪魔か」じゃなくて「神も悪魔も」っていう・・・重ね合わせた存在。

しかもジキルとハイドのようなビシッと分かれている二重人格のようなのではなくてさ、量子論のいうようなフワフワしたというかあいまいな境界の存在が重なっているというか混じっているというか・・・・。そんな両義性。

作者が百合にしたっていうのは、個人的な趣味というか嗜好の問題もあるんだろうけど、もしかしたら無意識の深いところでは、「萌えキャラ風の女の子同士」「母性っぽい雰囲気の女性キャラ同士」が関わり合って一つの世界を作っている・・・っていうのを描きたかったのかもね。
ガルパンみたいに完全に敵・味方っていう描き方じゃない内容なの?


諷虹 試合が終わればね・・・ノーサイドというか・・・。


虚空 悪魔か神かっていうのの見方はどう?


諷虹 相手からすれば悪魔みたいな感じで、味方からすれば神

アニメ第一話
主人公 いつもプラマイ0という打ち方になっていた 圧倒的強いけど本人は麻雀が好きではない
 
虚空 これだとさ、敵とか味方とかいうのとは全く別次元でこの主人公は打っているわけでしょ?勝ちとか負けとかではなくてプラマイ0狙いの奇跡と強運。

量子論でいうと 0 か 1 かではない・・・。両極の間っていうかね・・・第三極以上の発想。プラマイ0以外にだってこだわる観点があるとすれば「無限極」っていうかな・・・。そんな感じ。


だからここでいうプラマイ0も、単に絶対値の等しい両極を合わせたから0になります・・・っていうのとは違うわけだろ?あらゆる状況の中で、そうしたプラマイ0を狙う・・・そこにはあらゆる可能性っていうか・・・自分の意図と相手の意図とのかけひきに、運を加えての重ね合わせ・・・量子ビットのような人知を超えたレベルの重ね合わせをやってのけている。
これって直感?


諷虹 さすがに計算しながらというのも入ってきますが・・・・

姉の試合シーン  相手のすべてを映し出す鏡のような能力 潜在能力をも見抜く力


虚空 この能力ってさ、あのDNAスイッチのように、遺伝子レベルでは既に持っているものがスイッチオンになって目覚めるのか、それとも生まれつきの才能よりも訓練によっての獲得という雰囲気で、って作者は想定しているのか?どっちなんだろうね?


諷虹 タマゴが先かニワトリが先かっていう・・・この能力があってこのキャラっていう風だとは思いますが・・・


虚空 DNAスイッチが入るきっかけとしては食べ物とか薬とか・・・興味・関心とかっていうのがあげられていたけど・・・その中に「量子論的な発想がとれるかどうか」っていうのも大きいんだろうな、って気がしてる。

さっきの将棋の羽生マジックでも、この咲の中でのセリフでも、「これがあたり前」っていう常識とか定石とか、ほぼ100%不可能っていうような想いがあったら、スイッチは入るどころかオフになっちゃう。


それが「あれかこれか」ではなくて「あれもこれも」の重ね合わせ・・・それも単に両極を重ねてもプラマイ0ではない、無限極の重ね合わせの発想がとれれば、どんどん人知を超えたスイッチは入るだろうし、勝手に素晴らしいスイッチをオフにすることもなくなるんだろうね。


諷虹 ビギナーズラックなんかも、勝ち負けも分からず右も左もわからなくて勝っちゃうっていう感じなんでしょうね。

量子論でも99.99%くらいの常識的なことがあって、0.01%の在り得ないこと・・・壁をすり抜けるみたいな・・・でもこれって99%って現実があるからこその1%。

新しい競技が生まれて第一回大会が行われてでは、何が起きても「そういうのもあるか」って思える。でも試行回数が増えることでこれは普通に起こり得る、これは滅多に起きないっていうのが視えてくる。そういう意味で膨大な普遍があるから超常的なことが起きるっていう考え方・・・この前のイチローのでいえば「後から考えると無駄じゃなかった」っていう発想。


虚空 だからさ、問題はそういった試行の積み重ねを妙に法則化してしまうかどうか。良くも悪くもね。良くいく定石から外れようとする子がいたらストップをかけるし、ダメと分かっているようなことに立ち向かおうとしても、ストップをかける。

どっちも法則に反する子としてダメなレッテルをはる。

今季アニメだと「僕たちは勉強ができない」なんていうのがあるけどね・・・

「構え」を問題にして、結果よりもプロセスに目を向ければ、もっといろいろな人生の枝分かれを楽しめるかもね。勝負事で勝ち負けも大事だけれど、それとも違う境地だって認められていいと思うんだよ。

この前から自分をネット上で攻撃してくる男みたいに、苦手だと分かっていても「やってみたい」っていう気持ちをもってやってみようとするなんていうのは、真剣に取り組んでいる人間に対して失礼だし、邪魔なだけ。どうせ周囲にも本人にとっても無駄なんだからやるべきではない、って。もううんざりするくらい持論をぶつけてくるから、もう今はスルーしてるけど・・・


*麻雀の動機として「麻雀の全国大会で勝ち進めばまたみんなで遊べる」という「遊ぶ」がキーワードのメンバーもいる。(強いけれど)

虚空 さっきの人間なんかからすれば「遊べる」なんていう言い方をするのは「とんでもない」っていうことになるんだろうけどね。でも真剣勝負というのを本気でやって、そこにある種の意味を見出している状態・・・それを「楽しい」とか「また一緒に遊べる」って言うと、チャラチャラしていると決めつけるのもね・・・・。
勉強でも、本当に数学が好きだったら、受験数学でも「楽しい」っていうやつはいるよ。それを「不謹慎」っていうのはね・・・もしかしたらそういった境地になれない人間にとっては劣等感を刺激されるのかね。

上ちゃん説になるけど、本来の遊びってさ
 上原語録 「遊び」
・『遊び』は本来、神とたわむれる事。神の世界にどっぷりとつからせる。(平成元年六月例会)
・子ども達を迷わせてはいけない。本来の姿にもどしてやる。そうして自分のイメージを確認すれば十分一人で遊べる。・・・自分の世界を作り囲いに入れるから。(平成六年新年会)
・「能力で何かしよう。」ではなく『持っている能力で遊ぼう。』とさせる。
 好き勝手な事をしないと本当の能力は出てこない。   (平成二年十月例会)

*小学校時代の麻雀教室シーン
虚空 この雰囲気ってさ、本来の感覚でいう「遊び」の雰囲気だよね。
それがなかったら伸び切らないよね。聖徳の英才児なんていうのは、まさにこの感覚で勉強をしているんだろうし、困難と戯れて遊んでいる感覚があるんだろうね。


諷虹 こうやってみると同年代の子とうつっていうのが根底にあるんですね。
それが極まって幼馴染と決勝の舞台で「遊ぶ」ってなっていく


虚空 だからさ、単に「真剣に打ち込んでいる」って言う境地のさらに上をいっているわけだよね。さっきの数学でもそうだけど。

「遊び」ってさ、車のハンドルとかの「あそび」っていう言い方にも使うけど、ガチガチだけの状態ではやっぱり突き抜けられない。それがあるかないかが、頂点になればなるほど影響を与えるんじゃないの?

ロボットコンテストでも、ホンダの役に立たない社内発明コンテストでも・・・ホンモノの学者・・・このところ話題にしている理論宇宙物理学者なんていうのも遊び心とかロマンがないとね。理工系の学者でウルトラセブンとかサンダーバードとかガンダムとかが大好きだった・・・その頃の気持ちをどこかに温存している、っていう人が案外いるようだけど、それもね・・・・

中途半端な優等生って羽目の外し方も知らない。一生懸命に勉強しても、あれこれと試行錯誤もしないで正解だけ覚えようとする。それが最短距離の勉強法だと思っている。

実際に事前のプリントとかワークとほとんど同じ問題しか出さないテストばっかり小さい頃から受けていたらそうなってしまうのも仕方ないんだけどね。

それが中3になって毎月実力テストがあったり、入試になると化けの皮がはがれてしまう。だから大抵伸び悩むよ、上の学校にいけばいくほど。羽目をはずすっていうのは単に気晴らしっていうんじゃないんだよね。

何とか大学に入っても、そこで挫折。丸暗記式での勉強で受験数学が得意だったのが大学の数学科なんかに入ったら悲劇だよね。定理証明定理証明の連続で。

伸びしろを自分でつくり出す力・・・興味とか憧れとか、そんなエネルギーが次々湧いてくる。
そのいい見本が聖徳の英才児じゃないの。



諷虹 スラムダンクもそうですが、主人公の学校は強豪校じゃない・・・甘さとかゆるさもある中での・・・


虚空 そういう人間がいざ本気になると一気に伸びるんだよ。
小さい頃から真面目すぎるやり方できた子は伸びしろがない。

桜木花道だってさ、素行はともかく、とにかくエネルギーの塊みたいなものだろ。あと同じ井上作品でいえばバガボンドの武蔵。野生児のエネルギー。規格外。


諷虹 咲の外伝の主人公(高鴨穏乃)もそうなんですよね。桜の木の上で・・・野生児っていう感じ。地図を持たずに山登り。それで迷わない能力を持っていて・・・。


⇒麻雀の「山」でも、深みになればなるほどこの子についていけなくなる。決まったスタイルは持っていない。相手が強いほど無効化できる。
解説サイト 
決まったスタイルは持っていないものの、牌山の深いところを支配し、その箇所で発動する他家の能力を妨害・無効化するという能力を持つ。発動条件こそあるが、牌山の位置が深ければ深いほどに、対戦者という山が高ければ高いほどに、穏乃の支配は揺るぎないものになる。 
 

天江衣の「海底撈月」を5回中2回も回避した
大星淡の「ダブルリーチ」を回避し逆にロン、カンドラも封じている
白水哩&鶴田姫子の「リザベーション」を一時封じる(和了を遅らせている)

と普通なら確実に和了することが出来るはずの能力を阻止している。そしてこれはサイの目が何であろうと常に牌山の最奥に位置する海底牌・嶺上牌に対しては最大の効果を発揮するため、衣はこの能力によって終盤ほとんど海底牌をさらうことを許してもらえなかったと述懐しており、宮永咲に「しずのを前に峰の上で花は咲くだろうか?」と嶺上開花が出来なくなる可能性を示唆した。 

支配された相手は巨大な存在(船Q曰く「深い山の主」・衣曰く「深山幽谷の化身」)に見られながら霧の濃い山奥を彷徨うような気分になり、支配中の穏乃の様相は蔵王権現のように表現されていた。