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☆「競争原理」の幻想④ ~現代人の目先の価値観は通用しない~

先のやりとりから少し間をおいてのやりとり記録からの虚空発言抜粋です。

アニメ「群れなせ!シートン学園」に登場する生き物の中で、ひときわ異質な存在として登場するのが「ナマケモノ」のミユビ。

いわゆる現代人が考えるような意味での「弱肉強食」「競争原理」からいったら、真っ先に自然淘汰されてしまっていてもおかしくないような存在。

でも、自然界の中ではしっかりと生きている種なんですよね。

上原輝男先生は「世界定めの3つの軸」・・・「時間・空間・人間(ジンカン)」を「意識転換のカギ」としましたが、今期アニメでいえば「恋する小惑星」が主として「時間・空間」について、「群れなせ!シートン学園」が「人間(ジンカン)」(種同士の相互間系)に対しての拡張につながっている内容だと思っています。

補足)このアニメ内ではオスは本来の動物の姿で制服を着用している、メスは少女キャラとして擬人化して描かれている・・・という描き分けがなされています。

☆2020,01,24 諷虹宅④
虚空 「恋する小惑星」で「時間・空間」のスケールが今の人間社会のものとはまるで違う、っていう今日の冒頭の話ともつながっているんだけどさ、「ナマケモノ」の時間スケールとかね・・・それぞれの動物によって違うじゃない。食べ物とか習性を超えてのね。

そうした全く異なる基準の時空の軸でそれぞれの生き物たちが共存している、っていうのが自然界だ、っていういことをきちんと描いているよね。
注)「恋する小惑星」を通しての考察ブログ記事
http://syunkoukai.edoblog.net/Entry/452/ からの4つです

最初は「弱肉強食の精神」っていうフレーズだったから、そういった争いを通してのストーリーになるのかな、って思っていたけど、今のところは異種カップルの話だよね。肉食獣の王者ライオンがインパラの娘に惚れるとか・・・。

異なる座標軸をどう統合させて共存共栄をしていくか・・・っていうのが毎回予想のはるか斜め上をいく展開だから・・・・。
今回の生徒会長の設定にしてもね・・・・。

現代人が考える「弱肉強食」「自然淘汰」ではなくて、藤岡先生の師匠である今西先生の進化論の世界だよ。

今風の考え方でいったら、それこそこのナマケモノのミユビなんて真っ先に滅んでしまうような存在だし、現代社会の発想からしたら「何も生みださない、価値のない存在」ということになってしまう。ほとんど動かないでずっと木の枝にぶらさがって生きているわけだからね。
でもちゃんと自分の生きる領域を持っている。別にナマケモノにどういった存在理由とか価値があるのか、なんて人間が判定しようとするのなんてナンセンスだと思うんだよね。
なんだかさ、今の世の中って、すぐに「何のために?」とか「何かの役にたつの?」とか言い出すよね。で「意味がないような無駄なことならやらない」って。

でもさ、それこそ人類が人類たるゆえんって、生き抜くためだけからいえば必要のないことばかりだろ。アニメだとかネット社会なんてまさにそうじゃない。だって人類の歴史の中でそういったものが登場したのなんて本当につい最近のこと・・・そんなものがない時間の方がとんでもなく長かったわけだよね。

無駄なことが精神も発達させた・・・だからそんなにめくじらたてて、何の役に立つのか なんて考えない方がいいのかもしれないよ。純粋経験の観点からいっても。

それとさ、この前も話したけど東日本大震災で東北のあちこちでライフラインがとまってしまっていても、年配者なんかが特に動じなかったって・・・・「昔の生活に戻っただけ」って言いきっていた。
それに近い感覚は自分の中にもあるよ。特に昭和後期からものすごく世の中が変化したけど、そうした変化する前にもそれなりに生活していた経験はあるから。
だから「そんな生活なんて考えられない」っていうようには思わないよね。だってちゃんと生活していたんだから。

そういう意味では「絶対に必要」なんて信じて疑わないものだって、怪しいものなんだからさ。
補足)このやりとりの後で放送された運動会のエピソード
まともに動けるわけでもないナマケモノが、少しでもみんなの役に立ちたいと考えて、群れ対抗の運動会で頑張る内容。ミユビが所属しているのは人間を含めて異種の集まっている「料理部」。
ナマケモノはそれなりに泳げるということを生かしたエピソードを、映画「ロッキー」風に描いています。
5 運動会
http://anicobin.ldblog.jp/archives/56400989.html
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☆「競争原理」の幻想③ ~「共存共栄」は建前でしかないのか?~

*2020年1月11日 やりとり続き

諷虹 最初の「弱肉強食」の時に「神聖な檻」っていう言葉を使っているところが気になっていて・・・。
今の学校教育でという話でいうと・・・ちょうど中3生が自習をしていて(塾)「ディベートって何ですか?」っていうから解説をしたんですよ。論点をはっきりさせて順序だててはっきりとさせていくみたいな・・・それが国会とか民主主義の基本のようになっているじゃないですか。
結局「武力」よりも「弁論」みたいな。それが学校の中とか、表社会の中とか・・・。
でも実際問題、論がたっても、拳銃やナイフには負けてしまう。そういうところが「神聖なる檻」という絶対のものではない。
学校で習ったルールが社会では通用しない部分があるよな、って。
その点ではシートン学園ではティラノサウルスという絶対力を持った担任がいるから、狂暴なクマがいてもちゃんと力で押さえられて、秩序が守られている。
それがあったからギルガメッシュの話とも自分の中ではつながった。

虚空 建前で言うとさ、公民とかで習う国会とか選挙で選ばれた議員の役割、っていうのと現実とはかなりズレているよね。

国会が「これが日本で一番の重要な会議なんだよ」なんていって、小学生に国会中継をみせられるかっていうと、とんでもないじゃない。

「建前とかきれいごとなんてナンセンス」っていうことが正当なこととして堂々と語られているのが今の日本。

江戸とか明治の頃は、もう少し理想論を本気でという気運が残っていたと思うんだけどね・・・いい意味での「大馬鹿者」が若者にも年配者にも多かった。
諷虹 「神聖なる檻」ってある意味で理想郷ですよね。

虚空 その中で教えられる「弱肉強食」だってあくまでも自然界の大きな秩序としてのだよね。だから弱い立場が滅んでいいというのではない・・・そこを普通の感覚での弱肉強食ととらえたら、あのアニメの見方を間違えちゃうのかもしれない。

諷虹 ヤンキー漫画の学校みたいですよね。番長クラスしか残らない。
ヤンキー漫画のクラスって、強者しか残らないみたいな感じで描いていますよね

虚空 でもさ、そうなると残った中でもちゃんとまたランク付けの争いが始まるわけだよね。

諷虹 藤岡先生の言葉にも「ヤ―さんに刺されるかもしれない」っていう言葉がありますけど、「かたぎには手を出さない」とかありますよね

虚空 はなまる幼稚園の組長の娘幼児の言い方だと「素人には手を出すな」だよね。
でも今は、素人とかだからこそ餌食にされる。クラスのボスとかが、弱い者いじめを平気でやる・・・多人数で寄ってたかって。

でもかつてはそんなみっともないことをしたら恥だという感覚がしっかりとあったんだよね。「恥の文化」っていう形でさ。
だから「卑怯なこともしない」って。

諷虹 一般に手を出すキャラってチンピラじゃないですか。組長が一般人に手を出さないのは、部下に上納金とかを要求しているから一般人には手をだす必要がないからなのかもしれませんね。カースト制・・・

虚空 レールガンの学園都市なんてまさにカースト制だよね。だから最も科学が発展している最先端の町、というわりにはかなり治安の悪い区域もあって、危なそうなのがウヨウヨしているように描かれているもんね。

今日のこういう「共存共栄」とか「進化論」の話・・・これは年末の「日本の組織論」とか「発達障害とギフテッド教育」の事とかに全部つながってくると思うんだよね。

参考)実際にアニメ「群れなせ!シートン学園」は異種同士の交流が主たる内容になっている・・・
もちろんギャグ要素たっぷりなので、実際の自然界ではありえないエピソードも多々あるが・・・(ライオンがインパラに恋をする 等々)


そういったテーマの話が盛りだくさんのアニメが今、放送されているということに時代の流れ・・・制作している方々の願い・・・が反映されているように感じています。
第2話 ,ナマケモノ 猫
http://anicobin.ldblog.jp/archives/56319142.html
第3話  インパラ
http://anicobin.ldblog.jp/archives/56350274.html

☆「競争原理」の幻想② ~藤岡先生による「生物界の実相」解説~

*2020年1月11日 やりとりの続き

虚空 自然淘汰とか弱肉強食とか成果主義っていうことで、それがいつもテーマになっていたアニメとして「とある科学の超電磁砲(レールガン)」のことを思いうかべてたんだけどさ・・・・ちょうどゆうべアニメ3期の放送もあったこともあって。

あれもレベルとかランクづけでという・・・・でも、分かりやすいのは佐天さんがらみのエピソードだけど、能力者じゃないから発揮できるというのが描かれるだろ。
最強の能力者が単独でもダメ・・・いろんな人達が力を合わせる。
あるいはさ、当麻とアクセラレーターの「最強と最弱」の戦いだって、単なる実験動物扱いだった妹達の力も借りて勝つわけだよね。

そういう意味でやっぱり能力のあるなし・能力のランクを超えたどの存在にもそれぞれに意味があるという「共存共栄」を描いている

さっき中学生に藤岡先生の言葉もちょっと紹介したんだけどさ・・・藤岡先生の師匠の今西錦司先生の提唱した通称「今西進化論」

学会では相手にされていないようだし、根強い反対論者も多いんだけど、「住み分け」がキーワードの進化論なんだよね。

だから単に強い弱いとかではない。
優れたものだけが残って役立たずが淘汰されるのではない。
それぞれに意味があるという進化論。
ネット検索 コトバンク
京都大学名誉教授の故今西氏による生物の進化論で、「棲み分け進化論」と言われる。

これは、生物は棲み分けを可能とする方向に新たな種が発生し、もとの種と対立しながらも補いあうように共存するというもの。これにより多様な種が展開され、棲み分けが密度濃く塗り重ねられることによって生物は進化を遂げるという。 

この、棲み分けをしている集団を「種社会」と呼び、種社会を構成している個体は、変わるべきときがきたら一斉に変わるとされる。

諷虹 ギルガメッシュの事の解説でこんなのがありますね。

ネット検索
かつてのウルクにはどんな人間にも役割があって代わりは居なかった、奴隷さえも必要な存在だった。しかし現代は人が多すぎる、個人の変えなどいくらでもきく、だから余計な人間を間引こうというのがギルガメッシュの目的、貧しさよりも個人の存在価値が高かった。

虚空 それで中学生に「理科で習う弱肉強食はどっちに近い?」って聞いたんだよ。そしたら「共存の方だろう」ってね。
参考
実際に中学3年生の理科の内容には、自然界の大きな循環・生物相互の関係が従来よりも多く記載されています。
それから藤岡先生が児言態に語った記録の一部を紹介した。
(平成3年 4月6日 藤岡善愛先生を囲んで 「上原輝男研究室」にて)

『こういう具合にして、今日我々が本当に描くことの出来る生物の世界のイメージというのは「共存している」ということこそ軸になっておるという問題です。
 

で、そこでマア一つだけひっかかりますのは、何故いまだに競争をしてですね、生存競争を通して進化するという考え方になるのかというときに(中略)ヘビから上手に逃れた蛙がですね、子孫をよおけ残すことによって一層優れた蛙になっていきおるというイメージがあるわけです。

ところがどの蛙がどのヘビに食われるかという個体を特定するのでなければ、そこそこのヘビがそこそこの蛙と食っている、というだけのことでありまして、そういう関係を通してヘビという方と蛙という方が共存共栄できているわけです。

つまりヘビの方はエサがなければ暮らしていけない。蛙の方はある程度食われてくれなければ人口が増えすぎて困るわけですね。で、勿論ヘビは蛙だけ食っているわけではないですけど、まあ、話を簡単にするということです。で、そいういうことでお互いに食われる方はですね、食われる事によって人口調節をしている。で、食う方は食う事によって自分の種の生存を確かにしていく。

ところがこいつはまたそいつを食うものが片一方にいるわけです。それを天敵と呼んでいるわけですけれども、そういうので、お互いに天敵がたくさんあってネットワークを作っている。そういうのが生物の世界なので・・・この頃は生態学の知識がこの頃普及してきたのでこれは先生方も御存知だと思いますけれども・・。

 そういうネットワークができているというのは、ですから、個体の話ではない。一匹ずつの話ではない。一匹ずつの話をすると私というこの一匹はどっかのオオカミに食われるかもしれない。あるいはどっかのヤーさんに殺されるかもしれない。

だけれどそれは特定の個体に注目しすぎるから、そこにいかにも問題が大きいように見えるわけですけど生物の世界のあり方という立場かれ見れば、そういうことをすることによってお互いに人口調節が出来てて、そうして生物の世界全体としてバランスを保っている、という状況がある。

だから個体で食うか食われるかということにあんまりこだわるとですね、生物の世界ちゅうもののイメージは持ちにくくなるんだ、という具合に考えて頂きたいのです。つまり生物の世界というのはお互いにそれぞれの生存がどのスピーシスもお互いにこう・・・食われるという事も含めて持ちつ持たれつをしている

 で、そういう例はいっぱいありまして、時間があればまたそういうお話しはいたしますけれど、マア、最初ですから生物の世界をどうみるか、どんなイメージとして持つかという時に、生存競争の問題ではなくて「共存共栄」の問題なのだと・・・

もちろん共存共栄という時に「ワア嬉しい」ってニコニコしているイメージは別に持つ必要はないのでして、要するにお互いにこう持ちつ持たれつでそれぞれが一緒に生存が継続できるという、そういう問題ですから。』

虚空 ちょっと引用が長いけど、これが藤岡先生の遺言がわりの話の時の一部だから。この話を聞いたのは平成3年の4月6日なんだけど・・・それから30年近くたっても、全く改善されていないどころか、ますます藤岡先生の懸念が悪化していると思うんだよね。

☆「競争原理」の幻想① ~「弱肉強食」の実相は?~

「競争原理」「成果主義」が理想的な社会を実現するためのカギという発想の根拠として、しばしばあげられるのが「弱肉強食」「自然淘汰」等々の進化論的な発想です。

優れたものだけが勝ち残っていくわけだから、後のものほど優れている・・・という理屈。

よくあげられる例が、いい加減な業者はつぶれていくから、優れた業者ばかりが残って、消費者にも有益、という類のこと。
同様に、人間においても、優れた人たちが世の中を動かしていくのだからいい世の中になるという・・・


しかし果たしてそれが本当なのか?

世間が期待するような現実的・物質的な結果を出せない存在は「価値がない」「世の中にとって邪魔」なのか?

平成3年 4月6日 に児言態が大変にお世話になったイメージ研究の第一人者であられた藤岡善愛先生が 「上原輝男研究室」にて語られた内容は、まさにその部分への問いかけでした。

今期アニメの中に「群れなせ!シートン学園」というのがあるのですが、そこで描かれているテーマがまさに藤岡先生の問いかけに直結するような内容・・・ということからの語り合い記録です。

*2020年1月11日 諷虹宅
虚空 さっきの中学生・・・たまたま理科の過去問のことから生態系がらみの話になって・・・で、教材に使ったのがたまたまカバンの中に入っていた「群れなせ!シートン学園」。
あの冒頭のセリフから「弱肉強食」っていうことの本来の意味を考えた。

参考)「あにこ便」より第一話のセリフ&あらすじ
http://anicobin.ldblog.jp/archives/56285781.html
《ここは様々な動物が共に生活する動物たちの学園。絶えず異なる種族間の争いが起こる中、生徒たちが弱肉強食の精神を育むための神聖なる檻》
虚空 このセリフを3つに分けてこのアニメの世界定めをつかむことからやったんだけど・・・・
①様々な動物が共に生活
⇒じゃあ、どう生活しているのか?

②絶えず異なる種族間の争いが起こる
⇒この種族というのが、何を表しているか?
そんな実態の中で、この学校はどのような教育目標を掲げているのか?

③弱肉強食の精神を育むため
って、こういうステップをふんでいるわけだよね。

で、「今の学校教育はどういう目標だと思う?」って聞いたら「みんな仲良く」って答えてた。

ただね、「実質はどうだろうか?」って。もちろん教育基本法でも学習指導要領でも学校の掲げている教育目標でもそういった理想が掲げられているけど、世の中の本音はどうか?
それこそ「競争原理」「成果主義」で「結果が出せないものは滅びろ」「ダメなやつが淘汰されて、優れたものだけが残るから素晴らしい世の中になる」ってそういう幻想ばかりが宣伝されているわけだよ。

つまりね、実質「人間の学校」も「私立シートン学園」と変わりない、っていう痛烈な皮肉をこの冒頭のセリフには込めているんじゃないかって。

ただ、そうは言っていてもね、このアニメでよく出てくるキーワードが「群れ」だけど・・・特に異なる種族間で仲良くなれるかどうかというのが大きなポイントになっているよね。
その「種族」を「グループ」に置き換えて、人間の学校の人間関係に置き換えてみると、これも相当皮肉って描かれているように思うんだよね。

食堂での同じ種族ばかりで小さくまとまっている・・・群れをなしている・・・というところとか、欲しいメンバーの奪い合いとか。
あとは馬の群れに入れてもらおうとした狼娘が、奴隷のような扱いを受けている場面。そして仲間に入れてもらうためにはそれを受け入れるしかないと、本人も思っている・・・これなんて、まさにパシリとか、いじられキャラとして一応群れの中にいていい、っていうのと同じだろ。
でも、その一方で狼の群れに入ってやろうという人間とか、シマウマがロバの仲間でも気にしませんわ、っていうとりまきのウマ娘たちも描かれているというのがね。
だいたいそんな感じでさっきは終わった。

それで「弱肉強食」のことになったんだけど、電子辞書で調べると、いくつかの国語辞典によって微妙に違いがあるんだよね。

同じ「犠牲」っていう言葉をつかっていてもかなり印象が変わる。
電子辞書より
・広辞苑
(弱いものが強いもののえじきとなる意)
弱者の犠牲の上に強者が栄えること。「ーの世の中」

・明鏡国語辞典
弱い者が強い者のえじきとなること。また、弱い者の犠牲によって強い者が繁栄すること。

・故事ことわざ辞典
力の弱いものが強いものの犠牲となって餌食となること。また、弱いものが強いものによって滅ぼされること。

・四字熟語辞典
弱い者は強い者のために滅ぼされること。また、強い者の繁栄は弱い者の犠牲によって築かれること。

・言葉の作法辞典
弱者の肉が強者の餌食になること。弱者が犠牲になり、あるいは搾取され、強者がますます栄えること。「弱」と「強」とが対になっている四字熟語なので、「強」を「共」とはできない。「弱肉共食」では意味が通じない。

虚空 中学生にこれらの意味の大きな違いを聞いたら「滅ぶ」という言葉に注目していた。
「犠牲」が、犠牲の上に繁栄があるというように、弱い方にも大切な意義があるというニュアンスのと、弱い者は滅ぼされてもしかたがない、あるいは滅ぼしてしまえというようなニュアンス。
進化論の「自然淘汰説」なんかからいえば、弱者は滅びるべきという考えだから、今の世の中でいえば、老人とか障害をもったひとは税金の無駄遣い、邪魔者っていうような本音を抱く人がそれなりに出てきちゃうわけだよ。
学校でも結果を出せない学校には予算を回さないとか、潰れてもいいなんて為政者が平気で言う。

でも、踏み台という意味ではないにせよ、「必用な存在」という意味合いが残るかどうかは決定的に違う。

諷虹 この言葉が言われた時はどういう状況だったのかは分からないけど、現代だったら食物連鎖のことをふまえるかどうかにもかかわる。
イリオモテヤマネコとうさぎなんかでもそうですが、ウサギが完全にいなくなったらヤマネコも死に絶える・・・そうすると、ウサギを弱者と言い切れない部分。
そうすると犠牲的なニュアンスになるのかな、って。

「Fate/Zero」でのギルガメッシュのセリフにありましたよね。
私利私欲のために人を殺したいけど、自分が王だった時には人そのものが少なかった・・・今は雑種にあふれている・・・というようなセリフ。正確には覚えていないですけど・・・

虚空 自意識過剰だよ、こいつは

諷虹 でも一番「王様視点」とも言えますよね。
あと進化論としての弱者は「アリとキリギリス」のような意味での弱者かな、って。

☆「恋する小惑星」地質班との共鳴④ ~「今この瞬間」の向こう側

2月1日のやりとり後半は、ゆうべの語り合いの「時空意識」や「垣間見」の関連で、たまたま中学生の授業の際に「盆栽」についての話になったことからはじまってのやりとりです。

「ウルトラセブンなどの秘密基地と母胎」と「チョコレート菓子の きのこ タケノコ 論争  と  旬」 「折口信夫 死者の書 ⇒ 地獄先生 ぬーべー」など、一見「恋する小惑星」とは直接関係のない話ばかりになりますが、根底に流れている発想はすべて共通しています。
*****************************:
虚空 樹齢がたった木だから巨木になる、っていう常識をひっくり返しているのが盆栽じゃい。たかだた数十センチの大きさにしかしない。
でも、そこに「時間の流れ」とか「風格」さらに「神格」まで感じさせるのが盆栽だろ?
☆皇居の盆栽
https://bonsai.shikoku-np.co.jp/imperial/ja/

盆栽の樹齢 wiki
樹齢
名品と評される盆栽においては樹齢100年〜300年以上の銘品が知られる。例えば「青龍」と命名された五葉松は樹齢350年と推定されている[1]。近時は盆栽の促成栽培の技術が向上し、短期間でも(例えば10年未満)相応のものに仕上げられることがある。樹齢が明記されることも少なくないが、実際には樹齢の正確な把握は容易でないことに注意を要する。 

諷虹 昔ドラえもんでのび太君が地球をつくるというのがあったけど・・・ジオラマだってそうじゃないですか。俯瞰できるサイズにして・・・。
大江戸博物館のジオラマも・・・。
あと世界中の観光名所を25分の1にしたような・・・(http://www.tobuws.co.jp/exhibit/
身近な例でいうと、「アリの巣観察キット」ライブ感があるじゃないですか。
手のひらサイズで・・・。
巨大なものを手近なところで観察できる・・・俯瞰視点。
「神視点」にもなる

虚空 それこそ赤座あかりは机の中でアリを飼っていたわけだもんね(笑)
机の中が別世界になるっていう感覚だよね。教科書とかじゃなくて。

あとさ、実物は芝居の中でしかみたことないんだけど、上原先生がよく問題にしていた「州浜」(島台)。これを日本人が大切にしてきた根源。
結婚式のウエディングケーキなんかはその名残だってよく言っていたんだけどね。

世界大百科事典内の州浜台の言及
【州浜】より
…祝儀の飾物,および和菓子の名。飾物の州浜は州浜台の略で,島台とも呼ぶ。出入りのある浜辺をかたどった台で,これに松竹梅,鶴亀,尉(じよう)と姥(うば)などの作り物を配して,婚礼,正月その他祝儀の席に飾った。…

島台(読み)しまだい
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
島台
しまだい
客の接待や婚礼の儀などに用いる飾りの台の物。古くは島形といい,蓬莱をかたどった島形や洲浜形 (→洲浜 ) などがある。台上に肴を盛り,祝儀には松竹梅,鶴亀,尉 (じょう) ,姥 (うば) を配して飾りとする。さらに古くは,宮中などで草合 (くさあわせ) ,花合,根合など歌合の遊戯の際,その合せ物を載せたという。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
デジタル大辞泉の解説
しま‐だい【島台】
婚礼その他のめでたい儀式のときの飾り物。州浜の台の上に松竹梅を作り、これに尉(じょう)・姥(うば)を立たせ、鶴・亀などを配したもの。蓬莱山(ほうらいさん)をかたどったものといわれる。

虚空 だからさ、「島」「台」でしょ・・・「盆栽」だって似たようなイメージじゃない。

諷虹 蓬莱山って・・・
*実際の地名よりも『蓬莱とは元来中国の伝説で仙人が住む東海にある霊山であり、比良山地も修験者の霊山であったことに由来するとされる』というイメージ


虚空 盆栽だってさ、名品と呼ばれるようなものは、それこそ「霊山」を感じさせるじゃない

諷虹 マンダラ・・・・魔法のじゅうたんってマンダラ模様・・・あれが無地だったら飛びそうにないですよね。

虚空 そういう怪しげな台の上にあるから、超越した世界の存在を感じさせる

諷虹 魔法陣もそうですよね。純粋に定規だけでは魔法陣が描けるかっていう問題なんですよね。直線だけだと魔法陣にならない。曲線が必用。

虚空 昔さ、実写版の「悪魔くん」の魔法陣をみてさ、いじめられてばっかりの日々だったから、あんなメフィストのような味方ができたらな・・・なんて考えたけど、あの魔法陣が作れなかった(笑)
今みたいにビデオもなかったし、インターネットで調べるなんていうこともできなかった。
悪魔に味方になってもらおうなんてとんでもない考えだったと思うけど、当時はそれくらい追い詰められていた・・・

諷虹 (スマホ充電器で魔法陣のものを検索)この発想がいいですね。
https://www.google.com/search?biw=896&bih=472&tbm=isch&sxsrf=ACYBGNT8KVUzsnH8iYLGEsDVP_0eokESHQ%3A1580561344704&sa=1&ei=wHM1XrXSKoHXhwOKmpCoBg&q=%E9%AD%94%E6%B3%95%E9%99%A3&oq=%E9%AD%94%E6%B3%95%E9%99%A3&gs_l=img.3..0l10.68326.70855..71387...0.0..1.226.1430.1j9j1......0....1..gws-wiz-img.......35i39j0i4j0i131.JZlttwKx7aI&ved=0ahUKEwi1svzrsbDnAhWB62EKHQoNBGUQ4dUDCAc&uact=5#imgrc=HIZ_HDQBeEEu2M:


虚空 こんな模様になんで惹かれるかだよね

諷虹 この中心にターミネーターみたいにしゃがみこんで、召喚された、みたいな・・・
あと「キノコ」「タケノコ」戦争の画像でも・・・・
https://www.google.com/search?q=%E3%81%9F%E3%81%91%E3%81%AE%E3%81%93%E3%81%AE%E9%87%8C+%E8%99%90%E6%AE%BA&sxsrf=ACYBGNTHkvl551zLFHPFt7NcF7B96R8QXA:1580561780087&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=2ahUKEwiJi8q7s7DnAhUBM94KHZFEA_4Q_AUoAXoECAwQAw&biw=896&bih=472&dpr=1.88#imgrc=S7CBXKnMVJI2sM:


諷虹 だいたいはタケノコがキノコをやっつけているのが多いですね。頭がとれてしまうからやられている感じがキノコの方が分かりやすいんだと思いますけど。

虚空 それでキノコはやり返さないの?黙ってやられているだけ?

諷虹 キノコはタケノコたちみたいな野蛮なことはしない、という論調で返すこともありますね。
⇒ニコニコ大百科での解説
https://dic.nicovideo.jp/a/%E3%81%8D%E3%81%AE%E3%81%93%E3%81%9F%E3%81%91%E3%81%AE%E3%81%93%E6%88%A6%E4%BA%89


虚空 結局、決着させたら面白くないから解決させようとしないわけだよね(笑)
まあ自分はそもそもお菓子を買ったりしないから・・・家庭教師のおやつとかで出して下さった方を美味しく頂く。どっちがよりおいしいとか、どっち派っていうのは考えたこともないけどね。

もう一つ、イメージの視点でいうと、何故この菓子のモチーフが「きのこ」と「タケノコ」なのか、っていう・・・そっちに関心があるよ。

諷虹 「こ」ですからね、どっちも。


虚空 生命力のイメージとも重なるかもね。あとは「季節感」も日本人にとっては大事かな。「旬」の感覚ともね・・・
まあ、旬となると「生命力」=「生命の発露」っていうことになってくる。
上原先生が「曽我兄弟」のことを「季節感」と結び付けて考察していたけど、生命の新たな息吹ということからすれば「タケノコ」、生命の一つの区切りとしての実りとすれば「キノコ」という見方もできるよね。

諷虹 育ちすぎるとキノコってあんまりおいしくないですよね。
タケノコもそうですよね。
「旬なタイミング」がどっちも大事ですよね。おいしく食べるには


漢和字典「旬」
あまねし。ぐるりと行き渡る。また、そのさま。
やさいやさかななどの最もうまい季節。
「筍」
https://ameblo.jp/tabe-tarou/entry-10887294934.html


虚空 こんなある意味で馬鹿々々しいことに盛り上がってというのは、何かあるんだろうね。

諷虹 二分されているというのもね。

虚空 そういうのも好きだからね・・・源平の「紅白」とか、関ケ原の「東西」とかもね。運動会や紅白歌合戦での紅組白組なんていいう風にいまだにやっているわけだからね。

(日本人の時間意識 旬・垣間見 と永遠 の両立)


*ウルトラセブンの主題歌 
はるかな星がふるさとだ
⇒これが幼少期から意識に残った はるか遠く と ふるさと)

諷虹 初代ガンダムのEDもそんな感じで・・・(視聴)
永遠にアムロ
作詞:井荻麟 作曲:渡辺岳夫 編曲:松山祐士 歌:池田鴻
アムロ ふりむかないで
宇宙のかなたに 輝く星は
アムロ お前の生まれた
故郷(ふるさと)だ
おぼえているかい 少年の日のことを
あたたかい ぬくもりの中で めざめた朝を
アムロ ふりむくな アムロ
男は涙を 見せぬもの 見せぬもの
ただ あしたへと あしたへと 永遠に……

虚空 あとさ、忘れないうちに・・・さっき車の中でぼんやり考えていた事なんだけど・・・
「秘密基地」のイメージって「母胎」っていうのがあると思うんだけどさ・・・人知れず閉ざされた空間。
そしてさ、そこと外界とを出入りするところが問題なんだけどさ・・・。
もっと具体的にいうと、ウルトラマンの時の科学特捜隊の基地は建物だったんだよね。そしてビートルもその屋上から発進していた。
それがウルトラセブンになったら、基地が地下にあるまさに秘密基地。ウルトラホーク1号の発進シーンを初めて観た時にはビックリしたし、グッと惹きつけられたもん。地下で移動していくのを丁寧にみせた上で、山が二つに割れて飛び立つ。
今考えると、あれって出産のイメージだよ。

⇒ もしかしたら、折口先生「死者の書」の山のイメージも????
それと似たのが、サンダーバードの秘密基地。あの発進シーンも見所だったわけだよ。バットマンもそう。
他にも秘密基地が出てくる番組はたくさんあったけど、やっぱり印象に残っているのは、出撃シーンの魅力だよね。
閉ざされた空間からどうやって外界に出てくるか。


諷虹 それこそなんかのアニメで巨大ロボが地下から出てくるのがロマンだ、っていうセリフがあったのがあったんですけど
虚空 エヴァンゲリオンもそうだったね

諷虹 大仏のようにふだんから姿がみえているんじゃなくて、みえないところから出てくる。
海底から出てくるなんていうと、それこそ沈没船のイメージともつながる。地下からなら化石とか

ボクシングとかでリングと控室の間の廊下って、この発進とつながるかな、って。試合が終わって・・・これで一人の男に帰れるとか・・・

虚空 ウマ娘でもあの通路の場面はいつも丹念に描かれていたよね。

諷虹 パドックとか本馬場入場とか・・・

虚空 走り終わってもどるときもね。サイレンススズカ復帰レースの前後もそうだし、あとグラスワンダーが負けた時の場面も印象的だった

虚空 「甦りの場」という感覚もあるかもね。結局あの世とこの世の境界領域。
諷虹 運動会で入場門と退場門があるのもそうですね
虚空 あの伝統の根源だよね。
素に戻るきっかけをちゃんと作っている。
さっきの話に戻るとさ、基地に「戻る=帰る=孵る」。復活・・・「死と再生」
だから「母胎回帰と闇」・・・・「墓場」のイメージ。
土葬とか・・・あるいは折口先生の「死者の書」。
冒頭が死者の甦りの場面なんだよね。

死者の書 冒頭
彼(か)の人の眠りは、徐(しず)かに覚めて行った。まっ黒い夜の中に、更に冷え圧するものの澱(よど)んでいるなかに、目のあいて来るのを、覚えたのである。
した した した。耳に伝うように来るのは、水の垂れる音か。ただ凍りつくような暗闇の中で、おのずと睫(まつげ)と睫とが離れて来る。膝が、肱(ひじ)が、徐(おもむ)ろに埋れていた感覚をとり戻して来るらしく、彼の人の頭に響いて居るもの――。全身にこわばった筋が、僅かな響きを立てて、掌・足の裏に到るまで、ひきつれを起しかけているのだ。
そうして、なお深い闇。ぽっちりと目をあいて見廻す瞳に、まず圧(あっ)しかかる黒い巌(いわお)の天井を意識した。次いで、氷になった岩牀(いわどこ)。両脇に垂れさがる荒石の壁。したしたと、岩伝う雫(しずく)の音。
時がたった――。眠りの深さが、はじめて頭に浮んで来る。長い眠りであった。けれども亦、浅い夢ばかりを見続けて居た気がする。うつらうつら思っていた考えが、現実に繋(つなが)って、ありありと、目に沁(し)みついているようである。
ああ耳面刀自(みみものとじ)。
甦(よみがえ)った語が、彼の人の記憶を、更に弾力あるものに、響き返した。
耳面刀自。おれはまだお前を……思うている。おれはきのう、ここに来たのではない。それも、おとといや、其さきの日に、ここに眠りこけたのでは、決してないのだ。おれは、もっともっと長く寝て居た。でも、おれはまだ、お前を思い続けて居たぞ。耳面刀自。ここに来る前から……ここに寝ても、……其から覚めた今まで、一続きに、一つ事を考えつめて居るのだ。

虚空 ここからウルトラマンのドドンゴの話になったんだけどね、コバルトブルー君の家で。
目をつぶされて血を流しながらウルトラマンにやっつけられる・・・あれはトラウマものだった

諷虹 「地獄先生ぬ~べ~」で「反魂の術」っていうのが・・・
狭い空間に閉じ込められたときに孤独に耐えかねて死者を甦らせるという回があるんですけど(原作91話)
https://blog.goo.ne.jp/masuji622/e/9ca80979b5c211305e43c233add8c72d
外の世界に出た瞬間に骨に戻る・・・

虚空 ゲゲゲの鬼太郎にもあったね・・・異界から子ども達を救出したら骨になってしまう、っていう後味の悪い話。
これも「橋」が出てくる・・・以前の鬼太郎でも扱われていたエピソードだけど、何とも言えない感情におそわれるという点ではこれはダントツ。
第66話「死神と境港の隠れ里」
http://anicobin.ldblog.jp/archives/55638922.html

(ぬーべーの原作を読ませてもらう)


虚空 このラストだけど、みんなが迎えにくるところで「生きる気力」という風になっているじゃない。「お迎えがくる」んだよね。
三途の川の向こう岸って言ったって、あの世とこの世、どちらでも言えると思うんだよね。
ど根性ガエルの歌にもあったけど「死んだその日が誕生日」って感覚。(ど根性ガエル音頭)
あの世とこの世の区別さえしなければ、世界を住み替えるときに「みんな」という「共感しあえる存在」っていうのが、引っ張ってくれる・・・それこそ「ライフインデキス(生命の指標)。
「子ども」とか「馬」とか・・・日本人はそういう導き手をたくさん用意していたんだよね。それも全部捨てちゃった。
もともと日本人は「この現実の世界は幻想」というようにとらえていたわけじゃない。主体というか本体はあちらの世界。この世は仮の世なんだという。


*ネット検索
「此岸の魔女」・・・「まどマギ」ゲーム版にしか出てこない
劇場版より前でほむらがなっていたという魔女。
劇場版でほむらがなったのはくるみ割りの魔女。頭に「彼岸花」
「此岸」と「彼岸」https://www.miyagawa.com/user_data/osie/c.html
此岸(しがん)とは
 
此岸は私たちの住んでいる世界の事で、欲や煩悩にまみれた世界です。さまざまな苦悩に堪(たえ)え忍ばねばならないこの世界を、サンスクリット語では「サハー」といい、「忍土」という意味です。
これを中国語では「娑婆」と書き、世間の事を俗に「しゃば」というのは、ここから来ています
彼岸(ひがん)とは
 
釈迦が「彼岸に渡れ」と説いたように、彼岸は人々が欲や煩悩から解放された世界です。彼岸はサンスクリット語で「パーラム」、渡る事は「イター」といい、これをつなぐと「パーラミター」となります。どこか聞き覚えにある言葉です。これは有名な「般若心経(はんにゃしんぎょう)」の一節「波羅蜜多(はらみつた」の事です。大乗仏教の基本経典で、まさしく「彼岸へ渡る」事を説いたものです。

*此岸の魔女の説明を調べる
閉鎖回路」という言葉

諷虹 さっきの大団円じゃないですけど、ある種の袋小路ですね。

虚空 そこからの脱出って、やっぱり「捨てること」じゃない。こだわりを強く持てば持つほど、その循環からは逃れられない。
輪廻の縛りとか、業(カルマ)からの解脱。
まどかの「円環の理」っていうのもまだまだ考察の余地があるわけだけど・・・
「禊」「祓い」なんていうのもそうだよね。
さっきの「ぬ~べ~」だったら、あの少女が自分の過去を捨て去ることが出来たらどうなったのか、っていうのがあるじゃない。捨てることができたら、甦って新たな人生を送ることができたのかどうか。
そうなったかどうかは別として、この話は過去に囚われて再出発できない人達へのメッセージなのかもね。自分のように・・・


諷虹 (「業因」を調べる)
⇒無理にプラス思考をしなければならない、負の言葉を出してはいけないと考えすぎて、無意識にはためこみ過ぎてしまうと本当に魔女になる。
 こまめに出した方がいいのでは? という発想
「ドッペル」の解説(まどまぎ外伝関連)
https://dic.pixiv.net/a/%E3%83%89%E3%83%83%E3%83%9A%E3%83%AB%28%E3%83%9E%E3%82%AE%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%89%29
(アニメの演出、昭和の時との大きな違い・・・レンタルビデオやDVDがなかった時代は、放送時が勝負。初めての人も巻き込もうという意識も希薄)