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☆「百谷の王」④  諷虹・虚空やりとり(16日夜)-1 「者」 

☆2019年2月16日 諷虹・虚空

到着時、ラインをチェック
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コバルトブルーライン文と、それに対しての虚空文
16:35  者について、また1つ思い出したモノが在って、殺人を犯してしまった彼女を検察官という立場になっってしまった以上、平等に裁判にかけて有罪にしていかなくてはいけないという葛藤を描いた物語を思い出しました。
どうにかしてあげたいという部分と、どうにかしてはいけない部分がきっとあるんですね。
だから者になるっていうことは、例え家族であろうとも、私情に流されず平等に物事を動かす事が必要になってくるんですよね。
身近にいる政治家みたいに、給食センターを作ってその食品、食材を保管する冷蔵庫施設を身内の人間にやらせて財をなすように、
自分達に利益が回ってくる、また還ってくる構造にしていってしまう人間がいるのはちょっと情けない気がします
19:52 虚空
今諷虹宅に到着。朝からいわき遠出でちょっとボーッとしてる。
基準をどこに置くのかというのが本気でどうなのか・・・例えば宮崎アニメのドキュメントでもスタッフに対して厳しく叱っている場面がありますが、「俺の顔をつぶす気か」という意味で厳しいのではなく、もっとも厳しい観客である子ども達に絶対的な基準をおくからゆえの厳しさ。

家族ももちろん大事だけど、それでえこひいきをしていると周囲に思われたら、本当に大事なことを見失う、という葛藤だからドラマになるんでしょうね。
でもドラマではなくて実生活だと、本当に迷う事ばかり・・・・
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このやりとりから、諷虹がネットで「者」という漢字について調べる
https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%80%85
諷虹 「人ならざる者」って言葉は、『者』は『人』ではなくて『者』ってニュアンスなのかなって。人≠者・・・「ならず者」なんかともつながるのかな・・・
虚空 「者」の自覚って上原先生が嘆いていたけど、本当にないよね・・・・自分も怪しいものだけど。
「諸君らは 教育者 になるんだ。教師・教員ではないんだ」というのは何度も講義で学生に話していた。
そして「教育者 は 世捨て人 なんですからね。 世俗から離れなければできないんですよ」って。
諷虹 「人」であり「物」でもある・・・意味的には「人」の「者」じゃないですか。でも「音」的には「物」の「もの」
人のことを「こいつ」「あいつ」ではなくて「これ」「あれ」って呼ぶ感覚に近いのかな、って。
虚空 マア自分は使い捨てカイロ扱い・・・経済動物以下に扱われてきたからね・・・。役立たずの「ごみ」扱い。
でも今の世の中ってそうだよね。高齢者がお荷物扱いされているけどさ、働ける時には大いに日本のためにもがむしゃらに働いて貢献してきた世代。でも高齢者になったとたん税金泥棒扱い。そんな風に年寄りを批判している世代だって、自分たちが高齢者になって「役立たず扱い」された時に「はいその通りです」っていって潔く身をひくのかね・・・。楢山節考にようにさ。
諷虹 この前の「渚」の話もね・・・「者」にサンズイをつけたら渚になるんだな、って思ったんですけど、どっちにしても「境界領域」
*さらに「者」について調べ
諷虹 「者」って「煮る」の元字なんですね。
虚空 音声言語のイメージからいうと「煮る」は「似る」だって上原先生は言っていたよ。ぐつぐつと煮込めば煮込むほど区別がなくなって一体化する、って。
諷虹 生命のスープですね
虚空 人類補完計画。(エヴァ、旧劇場版 他人同士を隔てている皮膚がはじけて生命のスープ状態として究極の一体感を得る、というはなし)
大鍋でぐつぐつというイメージが協和音から不協和音からすべてをとりこんで一体化させる。
でもエヴァでこだわっていたのは、境界がなくなっての一体化ではなくて、境界はあるけど一体化、っていうことだよね。反対の合一
「者」と「物」のことだって、昔から宗教的には「肉体としての人間」と「霊的な人間」両方がそろってこの世で生きる人間だ、って。
玉川の小原國芳先生は「真・善・美・聖 の絶対価値 と 健・富 の手段価値」って分けていたけどね。どちらも必要だ、って。
諷虹 もとは昨日も出てきた「コトブキ」で、性善説のようなものが出てきていたじゃないですか。性善説と性悪説・・・どっちなのか、って。
でもそれを一つに決める必要があるのかな、って。結局どっちの人もいるんじゃないのかな、って。
さっきのエヴァの人類補完計画で、シンジが人間のいいところも悪いところも見た上で、最終的に悪い部分があるから一体化したくないという潔癖な感じと、でも悪いものいいものを混ぜて結果てきにいいものになればいいか・・・「似る」の感覚で・・・隠し味にあえて逆のものを入れることで引き出す部分もあるじゃないですか。潔癖で全部排除排除ってなると「それまで」というような・・・。
たしかに完成された世界ではあるんでしょうけど「添加」されていない集合。
最終的に何がいいたいのかよくまとまらないんですけど・・・悪いものを全部排除すれば良いものなのか・・・箱入り娘がいいのか・・・結果的にいいものになるためには悪いものも必要なのかな、って
虚空 そこでまたそもそも「いい」「悪い」って何なのかということになってしまうんだけど、そこに深入りすると出てこれなくなりそうだから、一応一般的な「いい」「悪い」ということで考えるとさ、しばらく前にラインでソルティさんと日本神話の黄泉の国から逃げてきて大岩をドーンと置いた場所でのやりとりの話になったことがあるじゃない。黄泉の国の住人になってしまったイザナミがあなたの国の者を毎日1000人殺す に対して イザナギがそれなら1500人産む っていうようなあの問答。
物質世界の創造原理ってこういうことだと。現象世界成立にはどちらも必要だけど、単なるプラスマイナスだとゼロになってしまう。プラスが主導権を持つ、あるいは上回ることで創造が行われる。
それを最先端の物理っぽくいえば「自発的対称性の破れ」なのかな????
諷虹 なんかのアニメで正義が存在するには悪が必要的な台詞ありましたよね
⇒Fate/stay night 言峰綺礼「喜べ少年。君の望みはようやく叶う。明確な悪がいなければ君の望みは叶わない。例えそれが君にとって容認しえぬものであろうと、正義の味方には倒すべき悪が必要だ。」
虚空 やなせさんはバイキンマンのアイデアを自画自賛していたけど、それにも通じるよね。だからバイキンマンはやっつけられない。滅びない。毎週ちゃんと元気に出てくる。
ちょうどさっき50年玉君とも話していたんだけど、時代とか状況によって善悪なんて簡単にひっくり返る、って。戦争中だったら敵を山ほど殺せば殺すほど英雄になるわけだしね。
人間を器として考えるとさ、その時の周囲の人間にとっていいもので満たされれば「いい人間」ってなる・・・ただ、それだけ。
だいたいさ、教師や親によって「いい子」「期待する子」の基準はかなり隔たりがあるよ。
それはそれで仕方のない部分なんだけど、問題はその判定基準が心の底から今目の前にいる子を考えた上での判定なのか。自分の指導力を誇ったり、支配欲を満たしたい、なんていう心が隠れている場合だって案外あるからね。
諷虹 (小林さんちのメイドラゴン コミックエピソードから)結局今の自分にとってどっちなのか・・・
虚空 (小林さんはトールの危機にどこまでしてくれるか)「有給」か。さぼるんじゃないんだね。
諷虹 親ではなく親代わりの友達どまり・・・。
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☆「百谷の王」③  諷虹・虚空やりとりー2 「夢の実現」

虚空 だから「夢」の実現。夢を夢で終わらせない。
「あり得ないことだ」って最初から諦めたら夢で終わってしまう。
現代の教育は幼い頃から「夢の実現」じゃなくて、一部のエリートを育てるために大多数に「諦めを勧める」教育だからね、実質。
昔さ、東京オリンピックの記録映画で市川崑監督がラストに出した皮肉たっぷりの字幕。道徳の授業でも何度か使ったけど・・・

「人類は4年ごとに夢を見る。この創られた平和を、夢で終わらせていいのであろうか」

冒頭からして
「オリンピックとは人類の持っている夢のあらわれである」

だったからね。
あるサイトでの解説
http://www.tamakimasayuki.com/sport/bn_123.htm
諷虹 競馬でも「夢の第11レース」ってありましたよね。
https://www.youtube.com/watch?v=kcv3D26GjWA
「夢の第11レース」・・・実況書き起こし 『』内は字幕
1枠1番..悲運の伝説となった馬番に、サイレンススズカが再び入ります
となりにメジロマックイーン、ウオッカはダービーと同じ馬番です
トウカイテイオー、スペシャルウィーク、テイエムオペラオーがいます
アグネスタキオン、芦毛の怪物オグリキャップ、エルコンドルパサー..
時代を超えた名馬たちが続々とゲートに向かいます
無敗の三冠馬シンボリルドルフ、なじみのシャドーロールでナリタブライアン、
キングカメハメハ、鬼の末脚ミスターシービー、
日本競馬の至宝ディープインパクト..
さらに歴代の女王たち..エアグルーヴ、ブエナビスタ、ダイワスカーレット、
大外18番、世紀の暴れん坊オルフェーヴルです
『あの馬を見ていた頃、わたしは恋をしていた
あの馬が勝った日、僕は故郷を離れた
あの馬の引退の日、私は花嫁の父になった』
さあ、時代を超えて集った歴代の名馬たち..ゲートに収まって..
(がしゃーん)スタートしました!
先頭はサイレンススズカ、後続と5馬身、
2番手にダイワスカーレット、それをマークするようにメジロマックイーン、
『忘れられないものを 思い出と呼んで』
シンボリルドルフは中団で動きません!
『それは美しかったり、悲しかったりする。』
スペシャルウィーク、父の後ろにブエナビスタがつけました!
オルフェーヴル早めにジワリと上がっていく!
『積み重ねてきたことを 人生と呼ぶなら』
ミスターシービー、ディープインパクトは未だ後方!
『思い出はすべて どこか愛おしい。』
夢の第11レース、数々の伝説が駆け抜けていく!!
勝負の行方はまだわかりません!
『weekend memories』
さあ第4コーナーから最後の直線!
いくつもの思い出が横一線に並んで! これはわからない!
⇒動画説明文(公式)
あの馬が勝った日、あの馬が負けた日、あの馬が引退した日…。競馬の思い出は、週末ごとに少しずつ積み重ねられていきます。同時にそれは、自分自身の人生の思い出と、どこかでつながっていたりします。
競馬で、昔のことを覚えている。あの頃のことを思い出すと、その時の競馬も思い出す。
積み重ねられる思い出、「競馬」と「自分」の繋がり。
その味わいを、歴代の名馬たちの姿を重ね合わせることで表現したスペシャルCMです。
競馬に触れたことがある人ならだれでも一度は想像してしまう夢のレース。
思い出を積み重ねたことで浮かび上がった、幻のレース。
レースシーンは各競走馬の特徴を考慮した位置取りやレース展開で構成されています。
どれが勝者かはわかりません。なぜなら、それぞれがかけがえのない思い出だからです。
虚空 ここでいう「競馬の思い出」は単に賭け事として儲かった、損をした、なんていう思い出とは違う世界だよね。
「ウマ娘」なんていうのはそこを大真面目に描いていたから途中から競走馬ファンにもあれだけ支持されたんだろうからね。

あり得ないことだって、「意識世界」の中ではいくらでも実現できる。
だから時代の違う馬、不幸にして安楽死処分になった馬も、同じレースができる。
それこそ自分の中にいくつものパラレルワールドを作ることだって自由だし。
で、それを本気で思えば思うほど「パーソナリティ」の感覚になって、それこそ過去の偉人のようにあり得ないことを実現させてしまえる。
今って、昔ほど「伝記」が読まれていないような気がするんだけど、じいちゃんとかばあちゃんとかに寝床で話された昔の人たちの話なんかも、ものすごい教育力があったと思うんだよね。偉人というような大きな実績がなくても、名もなき人たちが素晴らしい生き様をしていたという語りは。
幼い頃からそういった発想になじんでいたら、夢の実現率もかなり違ってくる。
ことわざにしても中国の故事にしても、今は下手すると「テスト対策として暗記」という対象にしかなっていない。でもお年寄りなどからの「語り」で聴かせられていたのは、全く別物として脳は格納していたと思うし、それこそ知識として覚えているというよりは、心意伝承的に無意識にあるものと「共鳴しあう」形で感情にゆさぶりをかけていたんだと思うよ。
この前グリーンチャンネルでゴールドシップの特集をやていたけどさ、それこそ期待を裏切り続けたり期待以上の働きをしたり・・・でもそのすべてをひっくりめてゴールドシップ。さっきの癖の強さからいえば武豊のインタビューでもあったけど自分を大きく育ててくれた馬は、人間に順応しやすい馬ではなくて扱いにくいけどすごい能力を持った馬。
メジロマックイーンとかさ。
諷虹 ガルパンだと素人のくせ者をどうまとめていくかですけど、コトブキではそれぞれがその分野でのくせ者。高度な能力を持っている。そういう意味ではSHIROBAKOに近いかな。
虚空 監督も同じだしね。水島さんはどっちも描いているといえるね。素人集団Verとプロ集団Ver・・・どちらの場合も。
諷虹 「個性」・・・「キャラクター」ですよね。
虚空 どれがいいか悪いかっていうのは超越してるよね。SHIROBAKOでも太郎なんていい加減にしか見えないキャラをちゃんと位置付けて描いているわけだしね。後半見せ場もつくってる。
諷虹 水島さんの作品のセリフってキャラが・・・
虚空 それこそさ、言葉は伝達の道具ではなくて「人そのものを表す」っていう言語観だよね。母国語の本来の発想。本当によくセリフが練られているよね。
この前の「城下町のダンデライオン」の話でいえばさ、コトブキのくせ者メンバーがそれぞれ重ね合わされて「一つの人格」っていう見方もできるじゃない。
諷虹 ガルパンのキャラソンに出てくるお決まりの言葉で「戦車は一人じゃ動かせないから」っていうのがあるんですよね。それぞれがそれぞれの役割を分担して戦車が動いている、っていう。戦車一台の中でも共同体。個性の強い何人かが一つになっての。
虚空 そういった戦車がさらに何台も集まってチーム。
諷虹 まさに混沌。一つの色もいろんな色が集まっての色
虚空 そこに学校ごとの癖というかカラーが反映されてて・・・しかも劇場版ではそれが即興の大洗チームとなった。
最初はみほが普通の隊長として統率しようとしてのが裏目になったけどね。各自の持ち味を自由に発揮してもらうという意味でみほが表向きはリーダーシップを封印した方が想定外の力を発揮した。
諷虹 スラムダンクに藤真っていたじゃないですか。翔陽高校の。監督としての藤真と選手としての藤真は全く別人格。
最後の最後でみほの戦車が残るというのは、他の戦車がいなくなってしまったから隊長としての「みほ」ではなくて「一選手」としての「みほ」に思い切ってなれるということなんでしょうね。
何台あっても一選手であるのが「吶喊」(知波単学園・・・隊長自らも)
うまくはまれば強い・・・まさに背水の陣だとうまくいくこともあるんでしょうけど。
虚空 アンチョビさんなんかはチーム戦の時は一歩ひいた立場からちゃんと指令を出しているけど、劇場版で一台だけの参戦では独自の判断でガンガン動いてチビ戦車にしか出来ない活躍をしていたからね。黒森峰とかプラウダの戦車だったらジェットコースターのコースなんて走れないじゃない。あの巨大砲をやっつけたのもチビ戦車ばかりだったしね。

こういう描写って水島さんは大好きだよね。勝って当たり前のところが勝っても面白くない。たまにそういうチームが勝つことも描いているけど、本心ではそっちじゃないよね・・・

「百谷の王」という言葉は使っていなくても、そうした構えこそが重要だ、っていろんなアニメを通して描き続けていると言えるかな・・・。

☆「百谷の王」②  諷虹・虚空やりとりー1 「異なる意見などを取り込む」

「道」と「自然(じねん)」⑥ http://syunkoukai.edoblog.net/Entry/223/での諷虹・虚空やりとり記録の続きです。一部重複して載せます。
諷虹 振幅っていうことでいうと「波の合成波」っていう部分と「波の打ち消し合い」という要素も同時に持っている。さっきの「不協空間」っていうのも「共鳴」と裏腹。噛み合うか噛み合わないか・・・同じ波が存在していても、全く結果が違ってしまう。
それを日本語では「波長が合う」って言ったわけですよね。
虚空 いいこと言うじゃん。
それを合わせて行けるかどうかが個々人の意識次第・・・構えの問題

諷虹 位相をつくれるかどうか・・・自分から歩み寄っていって合成波の感じにするか、全く歩み寄らないで喧々諤々になって、打ち消し合って何も生まれないのとの違い。互いに自分を譲らない。
ネット上ではまあ譲らない雰囲気ですよね。面と向かっての直接やりとりだと少しは相手の雰囲気を察して譲ろうという気も起きることがあるんでしょうけど。
虚空 この前のダンデリオンさんのツイッターの事なんかも、ここがポイントなんだろうね。
諷虹 コバルトさんが貼りつけている「泣いて馬謖を斬る」っていうのもね
虚空 だいたいさ、コバルト君の「不協和音」の話は「光の混沌」からの流れだったわけだけどさ、さっきの不協和音のやりとりから「共鳴」「歩み寄り」に話が発展して、「百(ひゃっ)谷(こく)の王」に通じる内容にそれこそ自然になってきた。
諷虹 今回のコトブキ(今季アニメ 荒野のコトブキ飛行隊)でも「一心不乱のレオナ」って。隊長の時には本来のスタイルではなくて、教科書通りの攻撃方法に切り替えている、っていう・・・それともつながりますよね。まさに「百谷の王」の振る舞い。
虚空 とかくそういう姿勢を貫く人をみると「ポリシーがないのか!」と頭ごなしに批判する人がいるよね。どんな状況であっても信念を貫くのが自分らしく生きる事だ、って。
確かに場当たり的に優柔不断であればそうとも言えるんだろうけど、考えに考え抜いた末に今はモードを切り替えるのが適切と判断したら、躊躇することなく自分を封印できるのも大事なこと。
こうした生き様っていうのは、凡人にはなかなか理解できないのは仕方ないんだろうね・・・自分も凡人だけどさ。
諷虹 ちょっと話が戻りますけど、廃材アートとか・・・今回のこのはな綺譚の古い着物を羽織にかえるというエピソードも・・・最後の最後にはぼろ切れを雑巾に変える・・・モードをかえる。
フォームチェンジ。
⇒ネット解説)変身した上でさらに他の形態に変身すること。(レインボーマンなどがもと)
プラスのものを転じてさらにプラスのものにする。
さっきのレオナの話だと「一心不乱のレオナ」でも優秀なパイロットだけど、チームで戦う際には隊長としてモードを切り替えることによって、状況に合わせた最適解
虚空 隊長っていうのは個人で戦うというよりはチームそれぞれの力を引き出して、かけ算的に全体の能力を飛躍されるのが大事だ、っていうことだからね
諷虹 劇場版のガルパンでカチューシャを残そうとしたプラウダの面々なんかも、隊長としてのカチューシャを残した方が、この戦いの上では重要だと判断したからでしょうしね。
虚空 スラムダンクでもリアルでも、井上さんの発想というか哲学はそこだよね。
個人技だけではない、しかも足し算としてのチームではなくてかけ算として・・・想定外の化学変化を相互作用で起こしてくれるかどうか。個々人の技量では絶対的な差のある相手でもそれによって打ち勝ってしまう。
ガルパンも同じライン。
諷虹 スラムダンクで1年生対上級生で、三井が桜木を封印してしまうのがあったじゃないですか。運動能力としては桜木の方が上でも、俯瞰視点でバスケ全体のことがよく分かっている三井には封印されてしまう。
なのはA’sまでのクロノもそうですよね。魔力量ではなのは達にかなわないけれど、状況に合わせた使い方などでは一枚上。まっしくフォームチェンジの発想。
虚空 そういうことから言うとさ、今回の「えんどろ~」のローナ姫なんかは自分のペースを押しとおすタイプかもしれないけど、今後あのメンバーとのやりとりを通して「百谷の王」としての振る舞いも会得していくような雰囲気はにじませていたと思うんだよね。
諷虹 「知恵の輪」ってよく出来ていると思いますよね。外すという意味では「力」であっても「力」一辺倒では外せない。頭も使う。
虚空 それによって新展開を引き寄せる。「論理・知識」を新たなイマジネーションの世界へのツールにする。
諷虹 ふれこみでは「スターライトブレイカー」(リリカルなのは)は知恵と戦術の最後の切り札・・・それで特殊な魔法なのかと思えば、一周まわって最高効率の力技のバカ魔法。
あれはたまらないですね。
虚空 それこそ廃材アート・・・使われないでまき散らされた魔法力をかき集めて「ドカン!」だもんね。
諷虹 ドラゴンボールの元気玉・・・原作での悟空の最大攻撃・・・これも、みんなから元気をちょっとずつ分けてもらって、それを放つ。細かい設定になりますが怒りに身をまかせているスーパーサイヤ人の時には撃てない、っていう設定があったと思うんですが・・・・
ネット解説 「善人にしか使えない」という設定。
最終決戦では地球のみんなからギリギリまで元気をもらって最大火力で撃つ。しかもこれを撃ったあと、スーパーサイヤ人モードになって最後の一押しをする。
同時に存在しえないものの夢の競演・・・禁断の・・・それをやったら強すぎるから普段はできなかったのが。それで原作の最後を〆ている。
スラムダンクだって最後の最後に流川にパスをして、流川からパスをもらって、っていう原作でずっとやってこなかったことを最後にやる・・・カタルシスみたいなもんですよね。
虚空 これも構えからすれば「百谷の王」への道だよね。個人的な想いやわだかまりを超越しての行動。
諷虹 ついでに言うとさっきのドラゴンボールで地球のみんなから元気を受け取る時に今まで救ってきた人たちや、戦った敵なんかからも貰う場面が出てきて、最終回特有の全員出演・・・走馬燈のようになるんですよ。
虚空 まさに不協和音を包み込む
諷虹 すべての要素を包み込む。不協和音だけじゃなくて協和音も全部。添加。
さっきの「夢の競演」っていうのも部分集合を持たない集合・・・・完全に独立した複数の集合が重なり合っていく。

☆「道」と「自然(じねん)」⑥ 「不協和音」発言を受けての 諷虹・虚空のやりとり(2019,2,15)

諷虹 コバルトさんのこの前の不協和音の動画でのやりとりなんですけど、廃材アートとかってありますよね。
虚空 ハウルの動く城、なんて廃材アートみたいなもんだね。
諷虹 ガラクタ人形のようなね。
そういえばクラナドの幻想世界に出てくるのも廃材で出来ているような・・・
http://livedoor.blogimg.jp/ahdj1968/imgs/8/a/8accf36d-s.jpg
https://cdn.clipkit.co/tenants/455/item_images/images/000/000/372/medium/593b5a2b-37b6-4f56-8ef0-1c61405f2412.jpg?1527487007
先週出た魔女の大鍋も毒と毒を組み合わせて薬にするような発想じゃないですか。
マイナスとマイナスでプラスをつくる発想
虚空 まあかけ合わせればプラスになるわけだしね
諷虹 スラムダンクの湘北5人なんていうのも、問題児5人組・・・赤木はともかく、他のメンバーはほかのチームにいたらマイナスの働きしかできないようなのが、あの中にいるからとんでもない活躍をする。
今回のコトブキも、あの中にいるから隊長は隊長だけど、もともとは問題児だった・・・・
虚空 「所を得る」ってやつだよね。
諷虹 運用方法っていうものあるでしょうね。毒にも薬にもなる。宇宙空間だったら運用できるけど地球では大気を汚してしまうからダメだとか。
虚空 そういう意味ではかつての日本の教育って、いい意味での「住み分け」による価値観の多様化があったわけだよね。極端な癖だとか偏りを「問題」としてとらえるんじゃなくて「レアスキル」としてつかまえる。飛鳥時代からの宮大工の口伝なんかにはそれが端的にあらわれているわけだよね。
 「最後の宮大工」西岡棟梁の思わず唸る言葉 https://matome.naver.jp/odai/2133460802374863301
棟梁いうものは何かいいましたら、「棟梁は、木のクセを見抜いて、それを適材適所に使う」ことやね。木のクセをうまく組むためには人の心を組まなあきません。
でも今の教育というか社会は、人間をみないで、誰かが抱いた勝手な幻想に揃えるように骨抜きにしてしまう。
社会に一員になるためには違った部分をなくさなければ仲間に入れないよ、って。

そこにいくとさっきの「ハウルの動く城」なんていうのは、くせ者たちがどんどん城に飛び込んできて、別にそれまでの行動を変えたり、反省・改善しなくても受け入れて、自分の居場所としてしまう。安息の地にしてしまう。そんな映画だったからね。
諷虹 (別の不協和音の音楽  平安のエイリアンhttps://www.youtube.com/watch?v=1fwZxZIb2uE)
これは東方のとあるキャラクターにつけられた曲なんですけど、モチーフが「鵺」なんですよね。正体を分からなくする程度の能力・・・
解説サイト 正体を判らなくする程度の能力
他の物体の正体を無くす能力。正体を無くすとは、物体・生物から姿形・音・匂い等を奪い、行動だけを残すことである。例えば空を飛ぶ鳥にこの能力を使用した場合、鳥だとわかる部分だけを奪い、「空を飛ぶ謎の物体」に変えてしまう。
この正体を無くした謎の物体は、見る人によって形を変える。見た人の心の中で、勝手に姿形を補完して自分の中だけで納得の行く形に落ち着くという。先述の例で言えば、見た人が「鳥か何かだろう」と思えば鳥の姿になる(ただし、どこかフワフワした不安定な鳥に見える)。「空飛ぶ謎の物体といえばUFOよね」と思えばUFOの姿になってしまう。それを最初から鳥だと知っている人には鳥にしか見えない。
このキャラに不協和音っぽい音楽をつけた、っていうのがね。
虚空 この解説をよむと「抽象化」からの「類化性能」と「世界定め」っていう気がするね。
諷虹 「再定義」・・・「再翻訳」って言ってもいいかもしれませんね。
虚空 受験数学は大嫌いで拒絶していてもさ、こうやって東方の設定にも数学的な発想はどんどん使われているわけだよね。「とあるシリーズ」に量子論の発想が混ぜてあるようにさ。
諷虹 さっきの「重ね合わせ」じゃないですけど、みる者によって違うものに見えて、それぞれの見方が食い違うというのが、一種の「不協和音」・・・「不協空間」とでもいいますかね。これって多分「共鳴」の対義語になるんじゃないんですかね。
「不信感」によってどんどん温度が下がっていく。盛り上がっていくんじゃなくて。
虚空 その上で大事なポイントが「あいづち」だったんだろうね。「日本語は餅つきだ」って言った学者さんがいたような話を上原先生が紹介していたけど・・・。小田急の中の女子高生のやりとりなんて中身が全然かみ合っていなくても、あいづちだけで成立してるって。
諷虹 振幅っていうことでいうと「波の合成波」っていう部分と「波の打ち消し合い」という要素も同時に持っている。さっきの「不協空間」っていうのも「共鳴」と裏腹。噛み合うか噛み合わないか・・・同じ波が存在していても、全く結果が違ってしまう。
それを日本語では「波長が合う」って言ったわけですよね。
虚空 いいこと言うじゃん。
それを合わせて行けるかどうかが個々人の意識次第・・・構えの問題

諷虹 位相をつくれるかどうか・・・自分から歩み寄っていって合成波の感じにするか、全く歩み寄らないで喧々諤々になって、打ち消し合って何も生まれないのとの違い。互いに自分を譲らない。
ネット上ではまあ譲らない雰囲気ですよね。面と向かっての直接やりとりだと少しは相手の雰囲気を察して譲ろうという気も起きることがあるんでしょうけど。

☆「江戸庶民の発想」から⑤ 諷虹・虚空やりとり-3 「教育の目的 日本流の自分のつかまえかた」仮面と能面 (2019,02,09~)

虚空 そういえば「藍より青し」っていうアニメもあったよね。原作の絵よりアニメの方がずっと洗練されていたけど。・・・あんな古風な和服女性っていうのは今時いないよね。 
教師集団の中でも意見が分かれるところ・・・指導者として教師の言う通りにという場合は「藍より青し」なんて起きないじゃない。極端に言えば教師からはみ出ようとしたら怒られるんだから。
諷虹 「氷は水これをなして、水より寒し」ってのは水が氷になることによってより冷たいって感じですかね・・・そう考えると割り算的というか掛け算的な感じがしますかね。凍ることで水のポテンシャルを超える・・・水の限界を超えたじゃんって感じですかね(とある科学の超電磁砲 #14「特別講習」)

水が新たな形態になるっていう意味では「藍より青し」とはニュアンスが違うような儀がしますね。水から何かを見出すわけではないですし、藍が青に変わるわけでもないような気がします。
虚空 それこそそれを聞いての思い付きなんだけどさ、この前T・K先生から紹介された田中先生の江戸論のこと・・・「アバター」とかさ。

同じ人間が複数の別モノになる。日本人にとってアバターって西洋人よりも積極的な意味合いがあるのかも。単にネットの匿名性とか、実名を隠すから思い切った発言ができるという以上のね。
同時に複数の自分を並行して生きていける感覚。
自分だってネット上で本名以外に4通り使い分けているけど、それぞれ別人格気分だもん。
それはまた意識世界の中ではパラレルワールドが自由に設定・展開できるとか、様々な人生をパーソナルリアリティ感覚でシミュレーションっていうか・・・本当に生きることができる。それこそこのはな綺譚でよく出てくる「その人にとって信じている世界が現実」っていうね。
諷虹 「城下町のダンデライオン」ってあったじゃないですか。あの中の岬が「感情分裂」って特殊能力を持っていましたよね。
ネット解説
特殊能力を発動すると桃色に光り、七つのリングを生み出し分身を召喚する。働き者で、最大で7人の分身を生み出すことが出来る。それぞれ七つの大罪の関連動物または悪魔に対応した名前をしており[注 1]、分身した岬は全員が何らかの技能に突出し、各部活動の助っ人として活躍している。また、分身した岬は全員テレパスで意思疎通ができる。ただし、岬本人は分身とは違う平均的な自分に劣等感を抱いている。平均的な技能ゆえ、岬は自身を必要とされていないと卑下しているが、客観視ができ社交性があるので茜から必要とされている。
 
諷虹 さっきの調和によって平均化される、ありふれた感じになるっていうのと、藍より青しの二つが組み合わさったような設定ですよね。アバターとかHNとかペンネーム・・・みたいに分身を作るときって、自分の中の普段は抑制している部分が特出して出せる、出せてしまう感じがあるのかもしれませんね。昔の貴族が仮面付けて・・・みたいな感覚に近いのかも。
虚空 そこなんだけどさ、日本人の「能面」の感覚ってあったじゃない。あれを「仮面劇」っていうのはよその国の発想でさ・・・能楽師の世界ではあれを「おもて」と呼ぶ・・・つまり、人間の姿の方が現世モードの仮の姿。面をつけて神や精霊を憑依させることによって、本来の姿と言うか能力を発揮する。

全く逆なんだよね。現世というか現実世界の方が、人間的な常識の制約を受けている・・・でも神モードになればなるほど、人間にとっては非常識になりうる。
日本人ってそっち・・・魂の憑依とか入れ替えが前提になっている感覚を持っているから。
だから別名なんていうのを江戸時代だって普通に使い分けて、何通りもの人生を楽しんでいた。決して単に誤魔化す、隠すではなくてね。

その感覚があるから「水戸黄門」にしても「暴れん坊将軍」にしても「遠山の金さん」にしてもね。「世を忍ぶ仮の姿・・・実は・・・」。普段の生活の方が「仮」
昨日の浜崎あゆみのプロモへの中学生の意見にもあったじゃない。
*中3の時のコバルトブルー君の発言
タカピー「これはね、あれだね、鉄条網と檻っていうのは周りにいる人達か自分に期待することのプレッシャーで自分がそれに壁を作っているような感じで・・・」

コバルト「これはもう心の中に閉じた悲しい思い出・・・。もう二度と出したくないようにぐるぐるまきにしている。・・・いや違う、わかった!檻の中にいるのは本当の自分で、この檻の外にいるのはただ人の言う通りに動いている」
 
仮面なり、違う名前の裏にある方が「本当の自分」っていう感覚。もっともきっとどれも自分ではあるんだけどね。
諷虹 仮面とかには「増幅装置」のようなこともあるのかな、って。
「名乗る」というのも、それで暗示をかけるというかモードを切り替える。
虚空 古典芸能でいうと「口上」かな・・・魂を呼び込む
 
ネット解説【民俗芸能】より
…また,からくり人形(からくり)などの人形戯も各地で考案されている。(6)言い立て芸 言霊(ことだま)の威力で幸運を招き,魔や災害を押さえるとの信仰から祝言・口上(こうじよう)を言い立てたり,長々の物語を披露する慣習が昔からあり,職業芸能化することもあった。正月,各戸を訪問して祝言を述べる万歳,春駒,大黒舞などがその一。…
※「口上」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 
虚空 以前、中学生や高校生に「仮面ライダーの正体が本郷猛なのか、本郷猛の正体が仮面ライダーなのか」って聞いたことがあるよ。そうしたら最初は「仮面ライダーの正体が本郷猛の方に決まっているじゃない」って言いつつ「あれ、でも・・・」って迷い始めて、逆にしたのが何人もいた。
もちろん本郷猛という人間がショッカーにとらわれて改造人間にされた、という事実だけみていけば、本郷猛がもとだったんだから、こっちが正体なんだろうけどね。
でも本郷猛にしか出来ない使命を果たせるのは「仮面ライダー」の状態とすれば、そっちが本命の姿というのも成り立つわけだよ。
諷虹 TIGER&BUNNYなんかでは正体を悟られないためにマスクをつけてましたが、影の存在・・・忍者的な発想
虚空 だからさ、愛と誠でも「かげの大番長」とかさ、ドラマや映画で「かげの黒幕」なんていったら、そっちの方が本命なわけじゃないか。本体を見せていないものこそ、っていう。そう考えると、普段の生活でみんなにさらしている姿の方が「ニセ」というよりは「世間向き」のお姿、っていうことにならない?
 
諷虹 コナンの犯人っていつも黒く描かれているですけど、それも正体が分からないように影を身にまとっている。
虚空 きちんと読んでいないんだけど、郡司先生の歌舞伎についての論文の中に「黒子」についてのがあってさ。単にみえないお約束として芝居の補佐をするだけの存在というのではないみたい。
諷虹 さっきの本質的な正体との関連で・・・
「この世に悪があるとすれば、それは人の心だ。
 しかしそれは同時に善でもある。
 そして最も恐れるもの。勝たねばならない敵、それは自分の心だ」
テイルズ オブ ファンタジアより
 
虚空 それってセーラームーンのギャラクシア編の最後のカオスの場面と通じているかな。これまで戦ってきた敵すべてが同じカオスからうまれた兄弟だった。セーラームーンと同じ仲間だった、っていう。人知を超えた世界には人間の常識が通用しない価値観がいくらでもある、って。