忍者ブログ

☆「まちカドまぞく」からの心意伝承的考察② 上原語録「母胎回帰と闇」「観察力と世界の拡張」

前半は、諷虹・虚空同士の個人ライン 及び、その中で紹介したT・K先生へのメールの抜粋が中心です。

後半は7月14日 の諷虹・虚空やりとり記録です。

アニメに関する部分は軽く読み飛ばしてくださっても結構です。やはり実際のアニメをみていないとこれだけでは読んでも分かりにくいですから。


とどのつまり・・・やりとりの根底にあることを後半にこう発言しています。

このあたりのことなんだよ。「母体回帰」が「また闇の世界に帰っていく」って上原先生が言い切っているところ。
そこでさ、最初の話にもどると「おうち」が意識のベースだというのは、どういうことなのか。単に「落ち着くための居場所なのか」と。
それと「量子論としての様々なものが同時に同居しているカオス状態」と「真床覆衾」の関係。このあたりが「闇」とどうつながっていくのかが「色のたとえ」なんだけどね。
それでもって、上原先生のいう「英才児の観察」の能力と構え。・・・それと俯瞰・鳥瞰との関係や論理性、知性との関係。(後述)
これが結び付けられていけば、「意識のベース」についてのまとめになっていくんじゃないか、って。

その部分から発展して「共感のもととなっているのが観察」ではないかという仮説をたてています。
06:03 諷虹 今さっきまちカドまぞくの原作を最新話まで読み終えました。
まちカドまぞくの主人公・シャミ子が夢魔の系譜なのもあって夢の世界での台詞や用語に無意識・先天性知識・(心の弱さに)つけこむ≒共感、共鳴・・・等々去年10月からここ数日までのやり取りと繋がることがかなり大量にあったことを観測しました。

そして母胎と闇の世界の話題・・・
偶然だとしても本当に出来過ぎてる話だと思っています。
06:05 虚空
 あのですね、今、T・K先生に出すメールを打っている最中なんですが、ここを打っている最中にこれを受信しました。書きかけのをそのまま送信します。
:::::::::::::::::::::::::::::::
ゆうべの諷虹君とのやりとりでは十分にふれられなかったことで、次の2点についても、近々深めようというのがあるのでお伝えしておきます。
「観察」に関して
少なくとも先日送って頂いた3年生6年生の作文では、おうちのことを無自覚について書いているというよりは、本当に「観察者」という視点で書いていますよね。だから以前石巻で分析したような要件を観察結果として列挙して書いている(そういった構え)の作文が圧倒的。
これを「イマジネーションを素直に書いていない説明作文」と片付けては大変な誤解になる、英才児の実像に迫れない、ということから葛西先生が上原先生の言葉をひろいあげたと思うのですが、諷虹君とこのところずっと語り合っている「量子論の発想からの 観測者 問題」なんかとの視点も合わせて考えてみるとどういったことが考えられるか?
「シュレーディンガーの猫」という思考実験などで有名な観測者問題・・・あらゆる可能性が同居した状態でいるものが、観測された瞬間に確定する・・・・「観ること」(認識すること)=観測者にとってその世界が一つに確定すること・・・ということが、個々人の「意識世界」を設定(確定)していく。
それが通常は非常に狭い範囲の観測から確定させてしまうから
06:10 諷虹
 まちカドまぞくはなんとなーくあらすじは頭に入っていて、何となく好きだなーって感覚はありましたが改めて読み返して、がっつりと心が奪われてキャラやストーリーや世界観が頭に入る・・・今日ようやく”観測”したという表現がぴったりだと思いました
”悟り”の境地にちかいかなと
06:54 虚空
さきほどのT・K先生へのメール、 続きの部分です
:::::::::::::::::::::::::::::::
それが通常は非常に狭い範囲の観測から確定させてしまうから・・・観察というよりは表面的なぱっと見の決めつけで終わってしまう・・・だから単なる縛縛りの意識にしかならない。やっぱりそれはいわゆる第一印象によって「感情」「イメージ」を「確定」させてしまって、もうそれ以上のことは観ようとしないから。
 
ちょうどここ数日、バカの壁の作者である養老孟子さんの対談の番組も文字起こし中なのですが、こんなやりとりがあります。
 
::::::::::::::::::::::::::::::::
山下 ・・・バカの壁というね、あれを思いつかれたのは?
 
養老 それは若い時に教師になってしばらく学生さんに一生懸命に教えるじゃないですか。通じないんですね。
それがバカの壁ですね。
同時に相手がバカというよりも、自分がそう(笑)あることが全然通じないわけでしょ。お互い様ですよ。壁でね。なんだこれ、って。
そりゃあ子供でもそうだと思います。誰でも体験するから、ひょっとしたら売れたんだと思う。
自分が興味ないことって、およそ理解しようとしない。僕はものすごく分かってるというか、慣れてるんです。
・・・・・・完全に壁を作っちゃう。それはその人がバカでわからないからじゃなくて、分かりたくないからブロックしてしまうんですね。そういう好き嫌いがちゃんと出来てくるのが、僕は中学生ぐらいからだと思ってる。社会的には。
:::::::::::::::::::::::::::::::
 
そこが英才児は上原先生の指摘のように切り離せる。だから様々な事実をそのままキャッチし、矛盾していようが何だろうが、それをそのまま「同居した形」で同時に「確定」し、意識世界(イメージタンク)に確定できる。
 

それは、しばしば私が引用する郡司先生の「多次元構造の同時進行」という認識・発想がとれる・・・その秘密なのではないかな、と。
 


 
「闇」に関して
「母体」というのがどうして「闇」となるのか・・・それも量子論の確定前のあらゆる可能性が共存している状態というのと通じるのかな・・・と。

生まれ出てどのような人生が確定していくのか分からない混沌とした状態で子宮内に存在している子ども。そこは心意伝承的にはあらゆる階層の先験的イメージも眠っている(埋蔵されている)世界と一体。

深ければ深いほど「闇」・・・見えていないからこそ確定もできない・・・逆に言えばあらゆる可能性の宝庫。
 

家に帰って休むということがどうして真床覆衾襖となりうるのか・・・やっぱり暗くした部屋で休む=母体回帰の世界に毎晩浸る・・・外の生活でついつい確定してしまった現実意識をオフにして、可能性を開いてまた翌日でかける。
 

神社のお参りが構造的に子宮にかえること・生まれなおすことだと先生が話されてたことがよみがえってきます。
 

でも、本当の暗闇が生活の中から消えた現代っ子、夜でも常にラインなどの動向を気にしながら生活している若者達・・・それは児言態だって無視できない問題。小学生にだってスマホは浸透しているし、今や幼児にもスマホを与えて育児の手間をはぶいている母親が増えているそうですから。
 

諷虹君とは色の重ね合わせの話もこれまで何度もでてきました。
・現実世界が「絵の具の三原色」・・・混色によって「黒」に近づいていく・・・黒はあらゆる可能性の混沌同居状態
・あちらの世界は「光の三原色」・・・混色によって「白」(透明)に近づいていく・・・白(透明)があらゆる可能性の混沌同居状態
 
 
 
先生が英才児との出会いで感じ取ったことの追体験をぜひ今回の授業でしたいものです。
************************************
2019年 7月14日  諷虹宅 15時スタート
虚空 ゆうべからまちカドまぞくの分析を通して、2号座談会でのことだとかを深めようとしているわけだけどさ、それだって「まちカドまぞく」の研究とか、2号座談会のポイントをおさえよう、なんていう目的でやっているわけじゃないんだよね。
そこからさらに一般化したら何が出てくるか。
「おうち」意識にしても、おうちが意識のベースっていうことは、単に「家」がどうのこうのではなくて、イマジネーションの世界を展開していく、日常生活を送る・・・今後の人生を生きていく・・・それらすべての根底に「おうち意識」があるということ。

「おうち意識の構造」は石巻でやったわけだよ。そして少なくともこの前送られてきた3年生と6年生の作文には、子ども達自身の分析的な記述がかなりあった。
だから「おうち意識の中身」を問う段階は済んでいる・・・じゃあ何にポイントをおくかなんだよね。
「まちカドまぞく」の3巻と5巻に特に心意伝承と関りの深いことが出ているって、調べてくれたわけだけど、それも「何がどう出ているか」を突き抜けた先を考えたいわけだよ、最終的には。
そのヒントになるのがこの前からT・K先生がメールで知らせてくれた上原先生の言葉であり、2号座談会の、特に後半のやりとりだと思うんだよね。

諷虹 紹介の前に、読み終わった直後(夜中に最新刊まで一気読みをした)だからなんでしけど・・・「おうち意識」って結局ホーム・ハウス的な意味でとらえていたふしはあるんですけど、それをもう少し広げると「落ち着く場所」・・・自分の部屋とかいう風な解釈だったんです。

でも今、昨日チラッと出した「ミクロコスモ」的な自分の中の無意識世界とか心の中、内側ということで「おうち」という捉え方もできるのかな、って。

で、3巻の前にシャミ子の魔力の調子が非常にいいときに、桃の夢の中に侵入する回があるんですけど・・・。
・シャミ子は夢の中に入れる
・魔法少女の血の一滴のエネルギーで呪いの一部が解除
・桃の目的は行方不明の姉探し
・魔法少女は弱るとコアの状態になる。・・・動物形態だったり水晶形態だったり(姉のコアは猫・・・たまさくらのモチーフ)
3巻の自分の無意識世界に入って記憶を探そうとする シャミ子の場面を読む

虚空 夢の中同士で交流・・・なんていうのでパッと思い出すのは「風立ちぬ」のエピソード。遠く離れた日本とドイツでの夢が交錯して交流しあう。
「君の名は。」はそれこそ時間をとびこえて離れた者同士の交流。
それが空間をとびこえる「量子もつれ」だけではなく「時間も含めて飛び越える量子もつれ」・・・そんなのが本当にあるのかどうかは分からないけど、そういう感じだよね。
そもそも「時間」とは何ぞやというのでは、広く認められていない学説も含めると、物理学の常識をはるかに超越したものもあるから・・・そう考えると時空を超えた量子もつれだって、もしかしたらあり得るのかもよ。
ちょっとさ、大変だけど、この3巻の夢とか無意識とかに関するところのセリフ、打ってもらえる?
:::::::::::::::::::::::::::
ごせんぞ
余たちの能力を正確に表現すると・・・人 動物 無生物――『あらゆる有情非情の無意識に侵入する能力』だ
 
無意識っていうのは人間でいうと個々の心のすごく深い所で 記憶とか先天性知識とかが蓄積されている場所だ

余たち一族はそこに入り込んで勝手に覗き見したり改ざんしたりできるわけだ

夢っていうのは無意識領域の入口みたいなもんだから余たちのことを夢魔って呼ぶ奴もいるぞ
つまり・・・シャミ子の力をシャミ子自身に使えば10年前の記憶を見ることができるかもしれない」
::::::::::::::::::::::::::::
虚空 魔族云々の力というのを一旦オフにしてみるとさ、このご先祖の解説は、潜在世界が人間にどういう影響をあたえるのかの解説をやっているようなものじゃない。

「世界定めの軸の変更がトランスフォーメーションを起こす」っていうのが「改ざんしたりできる」っていうようにも対応すると考えられるだろうしね。
自分で自分の意識世界を改ざんするから、日常の受け止め方が変わったり、運命が変わる。包み込み方が変わるんだから「過去」さえも改変できる。
これがユング派なんかのカウンセリングの基本なんだとも思うんだけどね。

諷虹  シャミ子が桃の夢の中を掃除するのが1巻に出てきたじゃないですか・・・あれも一種のカウンセリングと同じ効果なのかな、って。リセットする。
ドロドロの状態だと何が入ってきても汚れてしまうところを・・・

虚空 神話風にいえば「禊・祓い」だよね。それで新たな神々が誕生する。
:::::::::::::::::::::::::
ごせんぞ
「しゃーみこや-そこはおぬしの10年前の記憶の層だ!「幼いころの記憶は入り組んでいることが多いのだ。探索してコアと会った時の光景を探すぞ
初心者が深部から帰るのは大変だからな余が見失わないようなるべくゆっくり行動してくれ」(中略)
「あれは・・・違うな
おぬしの嫌な思い出が変質したものだ・・・嫌な思い出なんて記憶を掘れば誰にでもある
むしろああいうのをちゃんと埋め立てて笑顔で過ごせているのはおぬしと周辺の心が健やかな証だ。

一番ダメなのは・・・いやな記憶を何度も心の中で反芻しちゃう奴だ
そういうやつの夢はな・・・ドロドロで動きづらい」
::::::::::::::::::::::::::: 
虚空 自分の心の闇なんかは、無意識世界とかでどんな風になっているかなんて、分かったもんじゃない。
ちょうと今朝のゲゲゲの鬼太郎は心の闇が実体化する「妖怪 水虎」だったんだけどね・・・
無意識世界ほど心の深淵・・・闇になるわけだけど、「心の闇」っていうと悪い方ばかり考えるじゃない。
でもさ、T・K先生から送られてきたメールの上原先生の次の言葉・・・・
えぇ、だから今まで、かっこいい言葉を使っているのは母体回帰というような言い方をされますね。人間のイメージの一番の基本になっているのは母体回帰、母の胎内に帰ろうとする、母の胎内から出てきてまた胎内に帰ろうとする、そういう原則を持っているのかもしれないという気もするのですね。

それからもう少し思い切った言い方をすると、母胎に帰るということはまた闇の世界に帰っていく、だからその作品読んでみると不思議に明るいこと書いてないんですね。
虚空 ここで先生が「母の胎内に帰ろうとする」ことを「また闇の世界に帰っていく」って言っているじゃない。そうすると一般的に言われている「闇の世界」とはかなり違うんだと思ったんだよ。

だからT・K先生への返事のメールにこんなことを書いた。
::::::::::::::::::::::::::
「闇」に関して
「母体」というのがどうして「闇」となるのか・・・それも量子論の確定前のあらゆる可能性が共存している状態というのと通じるのかな・・・と。

生まれ出てどのような人生が確定していくのか分からない混沌とした状態で子宮内に存在している子ども。そこは心意伝承的にはあらゆる階層の先験的イメージも眠っている(埋蔵されている)世界と一体。
深ければ深いほど「闇」・・・見えていないからこそ確定もできない・・・逆に言えばあらゆる可能性の宝庫。
 

家に帰って休むということがどうして真床覆衾襖となりうるのか・・・やっぱり暗くした部屋で休む=母体回帰の世界に毎晩浸る・・・外の生活でついつい確定してしまった現実意識をオフにして、可能性を開いてまた翌日でかける。
 

神社のお参りが構造的に子宮にかえること・生まれなおすことだと先生が話されてたことがよみがえってきます。
 

でも、本当の暗闇が生活の中から消えた現代っ子、夜でも常にラインなどの動向を気にしながら生活している若者達・・・それは児言態だって無視できない問題。小学生にだってスマホは浸透しているし、今や幼児にもスマホを与えて育児の手間をはぶいている母親が増えているそうですから。
 
諷虹君とは色の重ね合わせの話もこれまで何度もでてきました。
・現実世界が「絵の具の三原色」・・・混色によって「黒」に近づいていく・・・黒はあらゆる可能性の混沌同居状態
・あちらの世界は「光の三原色」・・・混色によって「白」(透明)に近づいていく・・・白(透明)があらゆる可能性の混沌同居状態
 
 
虚空 このあたりのことなんだよ。「母体回帰」が「また闇の世界に帰っていく」って上原先生が言い切っているところ。
そこでさ、最初の話にもどると「おうち」が意識のベースだというのは、どういうことなのか。単に「落ち着くための居場所なのか」と。
それと「量子論としての様々なものが同時に同居しているカオス状態」と「真床覆衾」の関係。このあたりが「闇」とどうつながっていくのかが「色のたとえ」なんだけどね。
それでもって、上原先生のいう「英才児の観察」の能力と構え。・・・それと俯瞰・鳥瞰との関係や論理性、知性との関係。(後述)
これが結び付けられていけば、「意識のベース」についてのまとめになっていくんじゃないか、って。
その足掛かりに、「2号の座談会」や、「まちカドまぞく」なんかのことが浮かび上がってきているんだよね。
諷虹 というところで、新たな材料を提供しますね。5巻なんですけど、「闇」についての考察に関わりそうな部分・・・ちょっと込み入っているので分かりにくいと思うんですが。
「優しい闇の力で心の中のドロドロを浄化する」っていう感覚。
⇒(原作の言葉だと)夢魔らしく優しい闇で包み込むようにこの人の気持ちを掬い取ろう
虚空 そうするとさ、常識的な「闇」とか「魔」というのとは違うよね。
諷虹 きゆずきさとこ的なものもあるかな「棺担ぎのクロ」とか「GA」でのキョージュの黒に関するイメージ・・・ただ忌み嫌われる物というだけでなく別の一面もある
虚空 あのさ、古いタイプのタロットだと死神が不吉なカードではないとか、悪魔だって神の世界の入り口にいて、その中に入る資格を得るための大事な存在、ってなっているじゃない。
キリストの前にも釈迦の前にも悪魔とか魔女みたいなのが出現して、惑わそうとする場面があるけど、別の味方をすれば神界とか仏の世界に入れるかどうかの「資格試験」をしたともいえる。
諷虹 探してるのとは違いますが「悪魔」で検索したらこんなのが出てました。(Wiki)
「悪魔」が最も強調している象徴は「訳がわからない」である。頭部の角は牡鹿の形であるが、手には猛禽類を思わせる爪を備えている上、背中の羽は哺乳類であるコウモリの形である。また、股間の膨らみは男性を象徴するが、女性の胸部を意図した図形を胸に模している[4]。

これは「悪魔」が(エデンの園など)人間に接触する際のカモフラージュとして、女性の純粋さや無邪気さを装い、悪魔の持つ「残忍さ」や「姑息な心」を覆い隠そうとしているためと考えられている。このように“ちぐはぐ”な象徴を一体の像に集約することは「混乱」や「葛藤」といった心理的錯乱状態を示し、「悪魔」を滅亡や破壊へと誘う恐ろしい存在として扱っていると解釈される。
(中略)
一方で、「悪魔」を「救世主」と見ることもできる。悪魔は創世記においてイヴをそそのかし知恵の実を食させたが、見方を変えれば(逆位置)、悪魔の意思がどうであれ、人間にとっては科学を発展させ地球上に種を広げる良い結果[6]をもたらしたといえる。これは「意図の有る無しに関わらず、当人の望む望まぬに関わらず、結果的に起こる奇跡」、即ちトリックスターを意味する。
諷虹 ここにも雌雄同体がでてきましたね。

虚空 ちょうど自分が「別の見方をすれば」っていっていた時に、この記事がとびだしてきたというのもね・・・

虚空 今思い出したんだけど、「盂蘭盆経」・・・来月は旧暦のお盆だけどさ・・・
お釈迦様が祇園精舎におられたときに目連が初めて六神通を得て亡き父母に何かできないかと思った。
その霊視力をもって 世間を探した所亡き母を餓鬼たちの中にみつけた。飲食も取れず骨と皮で立っていた。目連は悲しみ、すぐ鉢に御飯を盛って母のもとへ持っていった。
母は御飯を得て、左手で鉢を支え右手で御飯を食べようとしたが口に入れる前に
炭に変ってしまい食べることはできない。
目連は大いに泣き叫び、お釈迦様の所に帰って、このことを報告した。
お釈迦様は言うことには、あなたはお母さんの罪は重かったようだ
(後略)
虚空 目連にしてみれば、なんであんなにもいい母親が「罪深い」のかということになるわけだけど、そこが母親の「業」だというわけだよ。
我が子の幸せを最優先させてしまう・・・それが逆に言えば他人の不幸に知らず知らずつながってしまう・・・「自分の子」という煩悩にとらわれるというかね。
そういったわが身があの世で餓鬼道や地獄におちても構わない、というような無償の愛に包まれて、子どもは育つという・・・ちょっと理不尽な部分もあるんだけど、実際の世の中をみるとそういうことは多いよね。特に最近はさ。
我が子のためなら他人はどうなってもいいというような。
これも「優しい闇」の一つかもね。
諷虹  シャミ子は他のキャラの夢の中にも入ってうまく話をまとめていくんですよね。で、解決した後のやりとりで・・・
::::::::::::::::::::::::::
シャミ子「・・・不安なんですあの解決の仕方で良かったのか
紅さんの悔しい思いとリコさんの恋心につけこんで・・・
偽物の平穏を作ってしまったんじゃないかって・・・
この力に頼ってたらいつかとんでもないことになrそうで怖くなったんです
うまく・・・行き過ぎて・・・
人の気持ちを軽率に書き換えてしまって・・・」
桃「シャミ子さ 私の夢の中勝手にいじった事あるでしょ」
(中略)
桃「仮にシャミ子がそんな力を使わなくても いずれ私は絶対にシャミ子のことを好きになってた!
がんばりやだし 見てて面白いし ・・・かわいいし
それにシャミ子の行動が・・・幸せを増やしたことが私は間違いだと思わない
誰に間違いだとも言わせない」
シャミ子「そ・・・な・・・あの・・・」
桃「・・・はい洗脳完了」
シャミ子「・・・え?
せ・・・洗脳!?」
桃「『つけこむ』・・・寄り添って共感する力なんて誰でも持ってるんだよ
シャミ子は弱ってる人に共鳴する力がちょっと強いだけ
さいきんシャミ子を怒らせまくった反省を踏まえて子が言ってほしそうな言葉をかけてみた・・・・
どうだった?洗脳された?」
シャミ子「な」
桃「・・・これは私の想像なんだけどシャミ子が助けたいって思った子たちはみんな泣いてたんじゃない?
シャミ子が心の隙間に差し出したものは間違ってなかったと思う」
(中略)
桃「・・・確かにその力は使い方間違ったらヤバいけど でも使い方間違ったらヤバいのは刃物も炎も筋肉も言葉も・・・この世のすべての力がそうだから
・・・それにねもしシャミ子が道を間違えてもシャミ子 にはもう宿敵がいるでしょ
シャミ子が世界の宿敵になる前に 私が殴り倒すよ
・・・安心した?」
シャミ子「・・・怖いです きさまそれでも魔法少女か」
::::::::::::::::::::::::::::::::::
虚空 ちょっと確認なんだけどさ、ここでいう「洗脳」ってどういうことなの?それから、相手を洗脳っていうのは誰でもその気になれば出来るっていうことなんだよね?

諷虹 多分ですけど、 シャミ子が洗脳という言葉の重みを感じちゃっているから桃があえて洗脳という言葉を使ったんだと思います。

虚空 だからその洗脳の意味


諷虹 シャミ子が夢の中でこっそりと働きかけたことが実際に無意識のうちに行動に出る
虚空 そうすると、誰でもできる、っていうのはどういう原理?
諷虹 夢魔ほどではないにしても、相手が欲しい言葉をかければ気持ちや行動をコントロールできる、っていうことですかね
虚空 言語操作性の一種?
うちのあの親戚なんかは、それが上手だと自負してるんだよね。若い頃から。こうすれば相手は自分に都合よく動いてくれる、っていうテクニックを上手に使いこなせていると。本当は逆らうと面倒くさいから周囲が善意で合わせてくれているだけなんだけどね。でも結局は自分の思い通りになるんだから、相手が本心であるかどうかは全く問題にしないんだよ。

ところがね、自分なんかは「誰がそんな安い手にのるか」っていう気があるから、思惑通りの行動をしない。そうすると激怒するんだよね。「あんたには人の心が分からないのか!」「だからあんたは要領が悪いっていうのよ!」とか。

通用しないだけなんだけどね。
でも、ここでの洗脳・・・特に今書き出してくれたところでの「洗脳」っていうのは、そういう相手を都合よく動かすっていう意味での洗脳っていうのとはちょっと違うように感じるんだけど・・・

諷虹 それこそ「共感・共鳴」なんでしょうね。それが「相手との共感」があっての「動こう」との違いなんでしょうね。
ここですよね。
桃「『つけこむ』・・・寄り添って共感する力なんて誰でも持ってるんだよ
シャミ子は弱ってる人に共鳴する力がちょっと強いだけ
さいきんシャミ子を怒らせまくった反省を踏まえて子が言ってほしそうな言葉をかけてみた・・・・
どうだった?洗脳された?」
虚空 つけ込むと言っている割にはさ「共感」って言っているのが常識からすれば変じゃない。それこそ今朝のゲゲゲの鬼太郎の水虎なんかはさ、人間の心の隙間を狙い撃ちしてつけ込んでくる・・・まさにつけ込むだけど、この言葉って違うニュアンスに感じる

諷虹 夢魔だと「共感・共鳴」関係なく、操れてしまう・・・だから桃が「その能力のヤバさに気づかないなんて戦闘センスが無いっ 私なら悪用する方法の100や200簡単に思いつくよ」なんていう場面もあります。でも シャミ子は魔族のくせに悪用の仕方が全く思いつかない。
 シャミ子の魔力発動の言葉が結局は「みんなが仲良くなれますように」なんですよね。(1巻)・・・心優しすぎる・・・これが根元的な願い。魔族らしからぬ。

虚空 そうするとね、ここでの洗脳っていうのはさ、自分の都合で相手を自由自在に操るという意味での洗脳じゃないよね????

諷虹 人間の持つ共感能力が人一倍この シャミ子は強い。だから仮に夢の中に入り込んで操ろうとしても、悪意がそもそもないから、相手のためを思っての力の使い方になっている、っていうことなんですよね。
その象徴がこのセリフ
桃「・・・これは私の想像なんだけどシャミ子が助けたいって思った子たちはみんな泣いてたんじゃない?
シャミ子が心の隙間に差し出したものは間違ってなかったと思う」
虚空 それでね、さっきから書き写しているやりとりなんてみんなそうなんだけどさ・・・そしてそのことと「共感」っていうのとがつながるんじゃないか、って思っているんだけど、それが、やっぱり今回T・K先生から紹介された上原先生の言葉「英才児の観察力」なんだよね。
::::::::::::::::::::::::::
これは結論を急ぎすぎてるかもわからないけど、個人性すらないんですよ現象を見てるんです。
一般的な言い方をしてしまえば観察してしまうんです。観察するから長いんです。(中略)もう1年生以前からこういう習性がついているからものを見るときには、こんな姿勢が出てくるんじゃないかなと思うんです。
 そうそう、きょろきょろなんてする必要がなくなってくる。物自体が変化する。変化にこちらの目がついていくだけですから。そういう意味でこちらの意識ではなく物自体についていく。個性個性というけれども、実は個性が捨てられているからっていうことになるのではないか。
 
・・・・彼らは決して人間関係を取り結ばないから、絶えず自分の世界にいる。
::::::::::::::::::::::
T・K先生に対する虚空返信メールの一部
先ほど、木曜日に送信をし忘れていたメールを送ったわけですが、あの時点では「観察」ということが意識の中にはありませんでした。
 
送信後に自分の書いた内容をふりかえって違和感を感じ・・・「観察」という点を踏まえて考え直しました。
 

英才児にとって、通常の「作文」は科学者のような視点での「観察結果の報告文」というのが主眼なのだと・・・そこに個々人によって、をれらを踏まえての想いや感想やイメージを付け加える度合いの違いが加わるんだ・・・そんな風にきちんと位置付けて考えるとスッキリと整理できるのではないかと思いました。
 

イマジネーションの世界が大事、基本、人間のベース・・・それは私も全く異論はないことは再三申し上げているわけですが・・・どうしても「イマジネーションがすべて」という想いが強いと、「思考」とか「知識」が作文に入り込んでくると、イマジネーションの世界にブレーキをかけてしまうものという対立構造でとらえてしまう・・・それがここ数年の溝となっているわけですが、上原先生の視点をきちんと踏まえて考えてみれば、やはり両者は全く対立などしないものだということがはっきりすると思うんです。
 

「夢か現実か」ではなくて「夢も現実も自由自在に入れ替える」そういった境地に高学年以降は・・・という先生の言葉も、「直線的」「平面的」に二つの世界を行ったり来たり自由に切り替えられるように、とつかまえてしまうと、やはり根本的には両者を対立概念としてとらえていることになってしまう。
 

でもそれを・・・・例えばこのところよくコバルトブルー君が卍マークの回転に例えているのですが・・・両者が同時に回転することで もつれあって (これも量子論の「量子もつれ」から取り入れている言葉です。「君の名は。」の紐がもつれあって時空が・・・というのとも関係ありそうです)ととらえると、どちらも表裏一体で発展していくもの、という構造がみえてきます。
 

昨年の作文でいえば、あのように「生命」や「宇宙の振幅」について自分がとらえている知識も含めて、自分が意識できていることを「観察」し「主観を交えないような構えで報告(記述)」できている。だからこそ、あの授業のような場では宇宙とも共振していけるようなイメージ運動が発動できる。
 

「どちらも自由にできた」ととらえるのか、「あの説明的な作文があのように書けたからこそ、イマジネーションも深まった」ととらえるのかは、英才児に限らず、教育全体のカリキュラムを考えていく上であいまいにしてはならないことだと感じています。

(それがやはり通常の教育現場では中学校や高校以降にこそものを言うのではないかと。難波先生が学会で発表されたことの裏付けにもなるではないかと)
 

この前も書きましたが、こうしたことは特に変わった視点でも何でもないと思うんです。
 
そこれそ自分の感性・自分の世界こそが生命である 芸術家の方々が、デッサンなどの訓練をカチッと行う・・・だからこそ独自の世界を生みだせる・・・それと全く変わらない。
でも国語だと何だか急に両者は相いれないもの同士とみてしまうのは奇妙なことです。
 

そんな視点で、あの中2のツボ作文なども読み返すと、また違った中学生の実像がみえてくるかもしれません。
:::::::::::::::::::::::::::::::::
虚空 ちょっと引用が長いけど、これをふまえて今の「まちカドまぞく」の転載部分を読み返すとさ・・・

つまりね、「共感」のもとになっているものが「観察」・・・ シャミ子も桃も二人のやりとりって「観察に基づいた事実確認」が沢山出てきてると思うんだよね。

しかも夢の世界の深いところに踏み込もうとしている。無意識世界が知らず知らず汚染されていれば、掃除する。

日本神話でいうところの「黄泉の国(世見の国)という現実にどっぷりと漬かった上での禊・祓いっていうのが、まず日常などの現実的なことをとことん観察して、事実だけをキャッチしていく。その段階があってこその次のステップ。

だからさ、無意識の中がドロドロに汚れるのだって、現実生活を逃げずに送っているからこそだよね。別のアニメでいえば「世話焼き狐の仙狐さん」だよ。あれだって、ブラック企業で命をけずって働いているキャラだからこそ、「おうち気分」を仙狐さんが保証してあげる話じゃない。
汚れがあるから掃除も禊もできる。そしてきっとこの「落差」が神々を産むエネルギーなんじゃないかね。だからどっぷりと黄泉の国を通過する必要がある。

さっきの例だと「悪魔」や「魔女」が神仏の世界の境界領域に存在している。
この二人のようにね、夢の中の深い部分を・・・しかも「闇のお姉さん」とか「優しい闇」なんていう意識でね・・・そこをいろいろと知っていくことが「共感」になっていく、というプロセスがね、上原先生が英才児に見いだした構えと通じていると思うんだよね。
メールの中にも書いたけど、現代社会って「競争原理」とか「成果主義」が蔓延しているから、「すぐに分かった」「もう分かった」っていうポーズをどうしてもとりたがる。
そうするとね、あらゆることを「観察」するんじゃなくて、パッと見でキャッチできることだけで「すべて分かった」って・・・中身は空っぽ・・・だから論理性や知識が「縛り」にしからなないんだと思う。何の「共振・共鳴」も起こせない。

本当に世間の常識や自分の勝手な思い込みを超えていくためには、この英才児の構えっていうのは、誰でも獲得する必要があるものだと思うんだよ。
そうすれば、高学年とか中学生、高校生以降の全教科領域に関する「思考」も「知識」も意識のベースを整えるための大きな武器になるっていうことが分かってくるんじゃないのかな。
現実世界のいろいろな観察結果を重ね合わせれば重ね合わせるほど「黒」になる・・・こじつけじゃなくてね・・・だから「闇の世界」はあらゆる可能性を孕んでいる、内在している世界。
そして心の世界というか「神の世界」は光の世界というふうに例えると、重ね合わせが「白というか透明」・・・闇と光が出合えば「光」が闇を包み込む・・・
仏でいえば、罪深い存在だった「母性」が「慈母」に相転移する感覚。
仙狐さんだよね。浄化。
それを「内なる世界」でやって「帰る=孵る=甦る」を毎日やっている。
家ではなくても、「おうち気分の本質」を感じ取れる世界を自分でいろいろと拡張できる人間は、外の世界でも頻繁にリフレッシュできるかもしれないし、現代のように「家が最も危険な場所」とか、まあそこまでいかなくても「勉強したの!」と追い立てられるようにおうち気分になれない子ども達が、どう「家」の代わりの場を保証されるのかというのにも関わる。
これだって本人が心からそう思えなかったら、ダメなんだからさ。
そうなってくるとね・・・あの雑誌2号の座談会後半の「型」の問題が重要なキーワードになってくると思うんだよ。
*メール内容をみながら
諷虹 「没我」・・・「没 我」・・・こことつながりそうですかね

ごせんぞ「・・・嫌な思い出なんて記憶を掘れば誰にでもある
むしろああいうのをちゃんと埋め立てて笑顔で過ごせているのはおぬしと周辺の心が健やかな証だ」
ごせんぞ「余も基本負けた記憶は即座に埋めておるぞ!!おかげでいつも尻尾ピンピンだ!」
虚空 これだって、自分と言う意識とか感情とかイメージを捨てることじゃない。
科学者の観察モードなんだよね。

没我状態でのイマジネーションっていうのも、イメージ運動をコントロールしようとか、いう意識がない。こんな想像なんておかしいかな、とかいうブレーキもかけない。
これは自分のイメージ運動そのものを観察していると、いってもいい。観察しているという意識もなく・・・没我状態で作文を書いている時は上手に作文を書こうとかの言語操作性なんて働かないよ。心霊世界でいう「自動書記」の感覚だよ。

だから書き終わってハッと我に返って、読み返したら「えッ、こんなこと書いちゃったの」なんて赤面する子がいっぱいいたからね、特に石崎小では。

おうち作文を書いた時にも観察報告じゃなくて没我だった。だから匂いを含めて体感とかも満載の作文。生々しいんだよね。
諷虹メモ書きより
*そうそう、きょろきょろなんてする必要がなくなってくる。物自体が変化する。変化にこちらの目がついていくだけですから。
⇒物が変化することで流れになる。そしてそれをただ見ているだけで自分も動き出す(共振)
*広島から私の郷里、兵庫県なんですが、広島から帰ってくるその中に放り込んでいるんですね。
⇒まちカドまぞくの夢の中のやり取り(人生のターニングポイントに通りすがりの闇のお姉さんが優しい闇で包み込む)
⇒八神はやてと闇の書・Snow Rainの歌詞http://www.kasi-time.com/item-14429.html
*横川君の言葉でいえば自分の中に「橋」がない
⇒心の壁・ATフィールド・無意識領域(ドロドロの夢)
⇒シャミ子はそこに自由に入り込める(その人の記憶を観察できる→共感・共鳴)
PR