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☆「出会い・別れ」「本当に分かるということ」②・・・「分かった」意識は停滞

僕は足踏みが嫌いだ」は上原輝男先生の口癖でした。

学問研究(探求)でもある程度の目鼻がついたら、「さあ、次」と。
「いつまでも一つの事にしがみついている」というのが、壮大なテーマに向かってぶれなく探求し続けているというのであればいいのですが、人間はとかく「過去の栄光」にしがみついて、実績をあげたものから離れられなくなったり、「これなら間違いなく進められる」という安全圏の中でいつまでもグルグルと堂々巡りをしてしまいがちです。

それを日本神話では「黄泉の国」⇒「禊」⇒「三神の出現」という形で示唆しています。禊では「自分をこれまで支えてきた杖」、「自分を地位や名誉というように包み込んできた衣服」を先ず捨てることから始まります。そうした目に見えるような価値は汚れとして洗い清める。その時に天照大神等々が出現されるわけです。

そんなことに関して「お笑い」の話題から始まって、「深層心理」や「数学の世界」などに話が発展します。




2019年3月29日 諷虹宅②
諷虹 最近の短編アニメもいろいろあって面白いですよね。

虚空 やっぱりいろいろと実験できる。そういう場がないと新しい人が伸びないよ。

諷虹 放送時間が長くなって逆に面白くなくなったのもありますよね。
こういうのは日本人向けなのかもしれませんね。

虚空 やっぱり俳句や短歌の文化だよね。四コマ漫画とか・・・
もちろん長編には長編の良さもあるけど・・・
そのあたりは、もしかすると「垣間見」の感覚もあるのかもね。短編だから垣間見になれる。

諷虹 芸人さんのコントでも開始数秒で分かるのと、ジワジワもりあげていくのと二通りあると思うんですけど、テレビ放送用と、ライブ用と・・・

虚空 ドラマの脚本だと「なで型」と「張り手型」・・・朝の連続ドラマと2時間ドラマの違い。

諷虹 最初のインパクトで最後までもっていけるかどうか。最後まで息切れしないでいけるか。笑いどころも長すぎると冷めちゃう。異常性に慣れちゃう。

虚空 ずっと前に紹介した「いとし・こいし」なんていう「しゃべくり漫才」のベテランはさ、ステージに出てきていきなり本題に入るというスタイルだったけど、それこそ「ボケとツッコミの話術だけでもっていく」・・・漫才ブームの頃の若手たちのように妙な動きでバタバタしない。あれはやっぱり至芸だね。

諷虹 トリオでやっている人もさっきの真打のように、二人でのやりとりで煮詰まったところにからんできて起爆剤になる。

虚空 古い人達しか知らないけど・・・「かしまし娘」とか「ちゃっきり娘」とか・・・・。やっぱり役割分担はあったよね。

諷虹 同時に並行してというのだとフレッシュさがなくなっていく感じがありますね。

虚空 本当の基礎ができている人たちかどうかというのもあると思うけどね。
基礎ができていないと、どうしても見かけの斬新さとかだけでウケを狙う。
でも最初は枢要しても飽きられるのは早い。「一発芸」なんかもそうだろ。毎日うんざりするほど出てきたのに、あっという間に話題にもならなくなる。残酷なほどね。
「人間が消耗品」というようになっているのが今のバラエティー番組とかの世界なのかもね。
それこそ、一発ネタはすぐに飽きられる、忘れ去られるという事実をしっかりと受け止めて「ホンモノ志向」になれば「別れ」が「最高の出会い」っていうことになるんだろうけどね。
上原先生とかうちのオヤジが「次の課題もその答えも目の前の子ども達が教えてくれる」って同じようなことを繰り返し言っていたんだけど・・・それも根は同じだと思う。
「僕は足踏みが嫌いだ」といって、一つ目星がついたら「さあ。次!」という生き様だった上原先生の姿勢(構え)を本当に受け継いでいるかどうか。
うちのオヤジの言い方だと、よく引用していたけど、あの「一切成就の祓い」
極めて 汚きも 溜りなければ 穢きとはあらじ
逆に言えばさ、どんなに素晴らしいことでも「停滞していたら汚れていく」っていうことだもんね。
「保存と継承は違う」っていうのも上原先生が講義で話していたよ。

あとね、これもさっきラインで紹介したダンデリオンツイッターの記事の「分かっているつもり」問題。
「自分はもう分かっている」と自負していればいるほど、逆に物事の偉大さ、壮大さを自分の想定内に押し込めようとしてしまう。
教師だってそうだよね。自分の想定から外れる子をとことん拒絶する人っているんだけど。発言にしても作文にしても「わけわかんないことばっかり」と断罪してしまう。
そもそも自分がその向こう側をキャッチしようとしているか・・・「見えない世界をキャッチしよう」としているか。
さらにはね、河合 隼雄さんが言っていたけど、深層心理学の専門家だからこそ、人間の心理が自由自在に分るのではないかという世間の思い込みは全く逆。専門家だからこそ「簡単に分る訳がない」ということを自覚しているんだと。
そういうことからすれば「今、この子の発言は分からない」とか「今、自分はこれには意味がないことだと思っている」っていうのが、どこまで絶対って言えるのか。
単に自分が未熟であるから、っていう方が圧倒的。
それを棚において、自分が絶対基準のようにしていては、取り返しのつかないことをしてしまう。「私はちゃんと分かっています」なんて下手に宣言するよりも「これからも分かろうと努力し続けます」という方がまっとうだと思う。


諷虹 知れば知るほど、っていうのは確かにあると思うんですけど、同じ「分からない」でも「相性」とか・・・波長が合う合わないっていうのはあると思うんです。
例えば将棋なんかは難しいから近寄らないんですけど、はまっているものだと難しいから近寄る。人によって違いますよね。

虚空 それこそ今回のわたてんでも『お姉さんって普段人見知りでおどおどしてるのに好きな事になると一生懸命というか後先考えないですよね』ってセリフがあったよね

諷虹 未知のものが出てきた時に「ワクワクする」か「まだあるのか」ってうんざりするのかが相性なんですよね。

虚空 バガボンドでも強敵が出てきたときの姿勢。

諷虹 「博士の愛した数式」のような世界もワクワクですよね。

虚空 ちょうど50円玉君とそんな話をしたんだよ。整数論にはまる人間はとことんはまる。人生をかける。でも自分なんかは整数論とか幾何学よりは「解析」の方。
やっぱりね、基本的に「時間・空間・ジンカン」の錯綜に関心があるんだね。もちろんだからといって物理オンリーではない。物理を超越するため・・・人知の想定を超えるための純粋数学にも興味はある。
でも整数論にはそれほど燃えない。自分のイメージでは神秘の扉の向こう側をのぞく感覚が強いように思うんだよね。そういう意味では「垣間見」に近いのかもしれない。
でも自分は扉の向こうというよりは、扉を境にした両側でのせめぎ合いに関心が強いんだろうね。
だから今回のわたてんミュージカルにも、そういった部分で反応してしまう。
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