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☆「日本人の感覚」③ 「人間生活主体の 暦・時間」

もうすぐ「平成」も終わりを迎えるということで、私の周囲の若者たちも「元号がかわる」初体験となるわけですが・・・。

江戸時代まで公に使われていた「暦」や「時間」に伴う感覚についての話題です。
所謂「六曜」についても後半なされますが、あれも元々とは違ったニュアンスが「語感」(語呂)から日本的に変化している例と言えるでしょうね。

最後に上原先生の師匠の一人である郡司先生の言葉も紹介しています。現代人の多くが失ってしまっている豊かな発想法についてです。
諷虹 あれ、平成天皇っていう言い方は生きているうちはしないですよね。
虚空 上皇かな。「平成上皇」って呼ぶのかね?
(祝日の話から)
虚空 以前、中国人の子を担任していて、本国に帰ったんだけどね、あとからカレンダーを送ってきてさ・・・みんなビックリしてたよ。祝日が違うって。あれはいい国際教育だった。
だいたいさ「大安」「友引」「仏滅」なんていっても、よその国の人にとっては何の根拠もない・・・もっとも日本人の中でも気にする人はだいぶ減っているけどね。
*ネット検索 wiki 「六曜」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E6%9B%9C
諷虹 友引って元々の意味は違っていたようですね。でも今更元には戻せないですよね。
虚空 そりゃもう感覚がくっついちゃったから。今更切り離せない・・・感覚には嘘がつけなくなっている。
諷虹 みんな元の意味とは違っているんですね。
虚空 だからさ、さっきのような「正しい言葉」っていうのだって時代でどんどん動いている。それは避けられないよ。
諷虹 (六曜の基本法則を見抜き)こういうシステマチックなのって好きなんですよ。
虚空 そりゃそうじゃなかったら数学なんてやらないよね。単に神秘で片付けない
諷虹 六曜の順序が変化したところで旧暦も分かるっていうことですね。
(10年前のをみて)
大安から先勝になっているのが特異点・・・そこから考えるとこれが旧暦の1月1日っていうことになる・・・やっぱり。
1999年の1月18日が仏滅から赤口に変わっている・・・・これは6月か12月。でも6月のわけはないからこの日が旧暦の12月1日・・・
大抵は当たるな。旧暦から六曜を出すんじゃなくて、六曜から旧暦を出す・・・何かに使えそうですね。この仕組みは教えないでおけば
虚空 そりゃ特技ともいえるよ。かくし芸のような。じゃあここはブログには載せないでおくか・・・・。秘密のやりとり・・・企業秘密。
自分だってさ、自作カレンダーを作ってって頼まれてその時に六曜を入れて、時々順番が変わるのがおかしいなと思っていたけどね、それがどうしてかを探求なんてしなかった。ましてやそこが特異点だから旧暦を知る手掛かりになる、なんて見出そうとなんて全く思わなかったもんね。
諷虹 それが発見の喜びですよ。
虚空 そういう方向で喜びを見出せそうだ、っていう鼻の利かせ方を自分なんてしないわけだよ。
諷虹 六曜が切り替わる瞬間が旧暦で月が切り替わる瞬間。
虚空 それをすかさず「特異点」って呼ぶところがね・・・・
自分も旧暦には関心があったから参考図書とかも買ってるけど、それでしらべたのは季節感とかとの関係方面なんだよね。全然数学的じゃない方向。
(諷虹 旧暦の仕組みをネットで調べる)
(暦・二十四節気 や 時の表記 江戸時代の時間ルール等々の話題)
虚空 季節によって「時」の単位を変える生活をしていたわけじゃない。本当の意味で「人間主体」の生活だよね。現代は時の方が絶対基準で、人間がそこに合わせるんじゃない。逆。
暦の方は季節の移ろいに人間の生活がリンクするという形をとった、と言う意味でやっぱり人間中心だったんじゃない。
そういう意味では江戸時代に万年時計なんて作ったなんてすごいよね。
異なるモードの時間感覚の生活を同時進行ですべて表示してしまおう、っていう発想。
まさに郡司先生の江戸庶民の発想法そのものが具現化したようなものだよ。
江戸時代の「万年時計」では何がわかる?
https://www.jcwa.or.jp/kids/hatena-6-3.html
今日はさ、話としてはいつもとはまた違った感じでかなりあっちこっちにとんだけど、とどのつまりは「日本人の感覚」をいろんな形から浮き彫りにした、っていうことだよね。

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補足 上原先生の師匠の一人である歌舞伎研究家の郡司先生の言葉
遺稿集 P73  [江戸の発想]
 歌舞伎の作品を補綴(ほてい)したり演出しだしてから、もう十本ほどになる。
 私がどうも腑におちないのは、必ずといっていいほどに、劇評に、筋がよく分からないとか、テーマに明解を欠くとか、わかり難いという評が焦点になっていることである。・・・
 いったい、どうして江戸時代の庶民が創り出した大衆劇である歌舞伎が、今日の最高学府を出たインテリにわからないのであろうかということである。・・・こういうとき、私は、あなたは教養があり教育がありすぎて解らないのでしょうということにした。
 
 歌舞伎狂言の構成は、仕組むといって、いくつもの世界を、時代の違う世界を、同時に組み合わせて綯い交ぜ(ないまぜ)にして作劇する。江戸時代の奇才鶴屋南北などになると、四つも五つも世界を組み込んで「筋からみあって新しい」と評されるほどである。まァいってみればTVのチャンネルを何分かごとに切り替えて見るようなもので、これに有機的関連性をもたせ、最後には一つに纒(まと)まって決着がつくこうしたのを上々とする。 

 こうした構造を芸術の基準としている、その構造が理解できなければ、おそらく絶対にわからないであろう。近代の学校教育は、西欧的理念と方法によったものだから、はなはだ合理的科学的で、そうした教育がすっかり身についているインテリにとって、こうした江戸の文化の構造や発想様式は、習いもしないし、生活にもないとすると、もう体質的に受け入れられなくなっているのである。日本人も、まったく西欧人なみの頭脳になっていて、すでに江戸人とは異質の人種になっているのではないか。

 江戸人の目は、いくつもの世界を、同時に一緒にみることの能力があった。トンボの眼のように、複眼的構造は、同時に、いくつもの事象をうつしとることができる。あるいは、それは封建時代に生きる者の生活の知恵であった。右か左かを分明しては生きてゆかれなかったこともあろう。なまじい教育のある者にとっては矛盾として受け入れられないものを、おもしろしとして、そこに見るべきものを見た世界構造。それが歌舞伎の構成であった。
 江戸歌舞伎は、テーマを四つも五つも一つの作品に盛り込み、鵜匠の手綱のように、その捌き方の技術を、ほれぼれと舞台で鑑賞するような、そんな生活基盤の美的基準がもうなくなってしまったのかと考えこまざるを得ない。
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ちなみに私(虚空)はこの江戸庶民の発想法を「多次元構造の同時進行」と呼んでいます。
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