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☆「旬の感覚・生命の発露」・・・季語の話から発展して

2019年 4月14日 諷虹・虚空やりとり
虚空が50円玉君に俳句 アニメ「のんのんびより」のことを話題にしながら季語の授業をした話からのやりとりです。

学校で俳句(季語)について習う時には、せいぜい「俳句には季語をいれることになっています」(季語を入れないものもあります)という程度の扱い。

そもそも何故日本人は「季語」とか「旬」とか「季節感」いうことにこれほどこだわってきたのか・・・そうしたことを意識し、みんなが共有していたことが、どんな「構え」となり「生活」に反映していたのか・・・それを考えたいというのが根底にありました。

この記事の最後に上原輝男先生が著書の中で、季節という観点から「となりのトトロ」について言及している部分も抜粋しています。


諷虹 この前の二十四節季だって1年を24等分にして感じてた。今の6倍ですよね。
今はその中のいいとこ春分とか節分とか・・・


虚空 それだけ細やかに感じ分けることができなくなってる。

それにさ、新暦になって、立春とか立夏とかいっても、感覚が伴わなくなってるっていうのは大きいよね。さすがに春分・秋分・夏至・冬至だけは補正されているけど・・・・七草がゆなんていっても、新暦でからどこにも生えてない。
旬の感覚が歪みっぱなし


諷虹 せいぜい休日がからんだ時に意識するくらい・・・・柚湯なんていうのだってなかなか入らない


虚空 夏野菜が一年中スーパーに並んだりしているから、本当に「旬」の感覚はなくなっている。ハウス栽培できないタケノコなんかはこの季節ならではっていうので並んでいるけどね・・・
のんのんびよりは露地栽培の野菜描写だから、本当に旬の野菜っていう感じで出てくるよね。
「旬」だからこそ今真っ盛りのフレッシュな生命力に満ち溢れている。「只今」の生命感。
それを取り込むことで生命のリフレッシュっていう感覚があったんだろうね。
それを言葉で意識したのが「俳句」じゃないか、っていう話をしてきた。


諷虹 「ふらいんぐうぃっち」もそうですよね・・・・雪とかフキノトウとかリンゴ栽培の手伝いとか・・・青森のいろんな四季を描いている。マンドラゴラも旬だったんですかね????


虚空 あれを増やす栽培実験をしていた後が気になる・・・やまほど増えたのかね???


諷虹 歩き回るようになったエピソードはあります。

*原作をもってくる・・・7巻(最新刊)

虚空 あの舞台って下北半島ではなかったよね?


諷虹 弘前駅周辺ですね。


虚空 だいぶ違う方向だよね。
昔から一度は行ってみたいと思っているんだけどね・・・「恐山」に。

*「ふらいんぐういっち」聖地巡りのサイト

諷虹 季節感がこうしてみると出ていますね


虚空 最近は魔法少女モノっていうとドロドロした暗くて重たいのが多いから、ふらいんぐうぃっちなんてホッとするよ。

*昭和アニメ等々の話題

虚空 小学1年生の頃に観ていた鬼太郎がいまだに新作が作られている、っていうのは驚きだよ。


諷虹 今のアニメでそんな風になるのって、ありますかね


虚空 ウルトラマンにしても仮面ライダーにしても自分が幼児だった時とか小学3年生の時に最初のシリーズだからね。
昭和のアニメや特撮がらみって割とそういうのが多い。リメイクとかも。ひどい作品も多いけど・・・・。
親子で語り合える作品が多いっていうのは面白いよ。ウルトラマンとかにいたっては3世代で語り合えるレベルになってきているもんね。


諷虹 ガンダムもそういう風になってきていますよね。ガンダムは小中学生には難しいところもありますが


虚空 一昨日話に出たレインボーマンもそうだけど、難しくて設定や背景が子供の時には分からなくても、意識にはひっかかり続けるっていうのがね・・・それである時になって「ああ、あれはこういうことだったのか!」ってハッとする。
ハッとするための伏線というか・・・種まきを幼い頃にしてもらっていたっていう感覚。
漢文とかの「素読」なんていうのにはそういう意味もあるのかね????


諷虹 いろいろなアニメのリメイクも多いですからね。


虚空 今風の魔法少女って「攻撃」みたいなのが多いじゃない。サリーちゃんとかアッコちゃんとかは「夢をかなえる」魔法のようなイメージ。
さっきのフライングの原作にさ「役に立たない魔法」っていうのが載っていたけど、そういう魔法がでてくるのってホッとする部分がある。
この前の宇宙研究の最前線だって、とんでもない予算と手間をかけてやっているわけでよね・・・でもそれが何か実利的な意味で役にたつのかと言えばそういうことではない。知的好奇心の問題だから。宇宙開闢の謎に迫ることができたからって「だから何なのさ」って言われればそれはそうだよ。
でもそういうことに本気になれる、夢中になれる、っていうのが人間の人間たる部分。
今の学校教育が「カリキュラムの精選」っていば聞こえがいいけど、業界からの利害がらみで様々なことが放り込む時間を捻出するとか、受験対策に絞るとか・・・そんなことの為に、一番人間臭い部分をどんどんカットしてしまった。
だから余計につまらなくなっている。ドラマとかでいえば粗筋だけを紹介されて面白がれと言われているようなもんだよ。
食べ物で言えば、ただの栄養剤とか、初期の頃の宇宙食とか、栄養点滴をっていう感じ。
アニメもね、1クール12話が基本になってしまっているっていうのは、昭和世代でいうと本当に薄っぺらいというか、序盤で最終回にされている感覚がある。
これからだ、って言う時に極めて中途半端な形で最終回になって・・・円盤が売れなければ2期は作られないなんていうのが山ほどあるけど・・・
そういうのがあたり前になってしまっている中で育っている今の若い人達が、逆にきちんと描かれているものにしっかりと向かい合えない・・・「重たい」とか「うざい」とかいって・・・っていうのはちょっと残念。
さっき本屋によった時にもうんと手軽に感動できるという趣旨の本がいっぱい並んでいた。何年か前からそういう風潮があるけど、なんであんな風に感動とか泣ける、っていうのをたった数ページとか1~2分で求めなければいけないんだろうね?


諷虹 共感性みたいなもの・・・仲間意識が・・・。スマホ記事でなんでiPhoneばかりを女子高生がっていうのは「みんなが使っているから」。それで恩恵もあるんですけどね。同様にアニメなんかでも本当に良質のアニメかどうかよりも、みんなが観ていて話題にしているかどうか・・・ネットで話題になっているか。そういうメジャー志向


虚空 「旬の季節感」なんていうのは、まさに日本人共通の感覚だったわけなんだけどね。

でも今は「感覚」が伴っていない。情報だけの共通感。

雑誌とかテレビで紹介されたというだけで行列をつくるっていうのと同じだよね。本当に自分の感覚にきこうとしない。ブランド信仰もそうだと思うよ。本当に自分に合ったものを気に入って使うのかどうか・・・。
単に周囲に合わせたいとか、周囲に評価されたいからとか・・・基準が悪い意味で周囲にある



風虹 話題になっているからというだけで中身はないのに・・・(具体的事例)


虚空 中身がしっかりしていれば話題云々でもいいんだけどね。
さっき話題にしたような昭和のアニメや特撮もね、当時としては斬新。
でもそれだけではなくて深い部分とつながった作りはしていた。ウルトラマンが「まれびと信仰」や「犠牲論」とかの折口学をベースにしていたとか、仮面ライダーが歌舞伎や能での「変化もの」「本性示顕」とかがベースというのもね。これも犠牲論や貴種留意のような折口学の要素もはいってたし。

日本人にとってこの四季折々の風土の中で長年培われてきた「季節感」っていうのは、それこそ「生命の根源」・・・意識のベース。
だから俳句だとか古典文学なんかと同様に、そういったことが丁寧に描かれているアニメなんかも「良質」っていう感じがするんだろうね。
(最近の深夜アニメで、今回のやりとりにあがっていなかったものでは「このはな綺譚」などがある)
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参考 上原先生が著書の中でトトロに言及していた部分
「日本人の心をほどく かぶき十話」上原輝男著(オリジン社発行 主婦の友社 発売)
第一話 虎の雨 -風流心の原像- (P35)
 季節感覚はどんどん失せつつある。しかし、日本全土に、まだ、取り上げて来た五月二十八日や氷の朔日の感覚を野山に見ることはできる。私は湘南地方に住んでいるが、先日も新緑の景色に圧倒され車を走らせていた。

 私はふっと、駅まで運転してくれた倅に、おい、あの孫たちが喜んで、何度も何度も、繰り返し繰り返し見ていた、子供のテレビドラマがあったじやないか、あれ、何ていったっけ、と聞いた。倅は、なかなか思いついてくれなかったが、ほら、ネコバスが出てくるやつさ、と私が言ったら、あ、トトロ? と言うから、そうだ、そうだ、トトロだよ、と言った。

この景色の雰囲気を現代人はトトロというふうにつかまえたのだと。かつての江戸の人間は曽我兄弟だというふうにつかまえたが、倅は、何言っているんだというような顔をしていたが、「となりのトトロ」で、木がポツ、ボツと大きくなる場面があった。この雨を含んだ空催いが我々に何かを感じさせる。それは祓いと襖ぎであった。 

 百人一首の
「風そよぐ奈良の小川の夕暮れは みそぎぞ夏のしるしなりける」
がそれで、奈良の小川というのは、上賀茂の前を流れている川だが、日本人は喫ぎをすることによって夏を迎えるしるしだな、というふうに感じとれた時代があったということてある。
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