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☆「本当の出会い と 別れ」⑥ 「みんな対等な存在」

*2019,03,21 諷虹宅でのやりとり(1)です。
この前紹介したダンデリオンツイッター記事の内容を踏まえながらのやりとりがこの日も続きました。
現代の嫌な風潮として「他人を利用するのが上手な生き方」と私(虚空)は考えています。
だから教師だった頃、相手が低学年の児童であっても「人間存在としては対等」と思っていましたし、だからこそ例えば教育のテクニックとしてよく使われる「子どもをおだてる」というようなこともしなかったつもりです。他人は道具ではないのですから。
そんな関係が互いにできたクラスほど、確かに別れは辛かったですね。


諷虹、あるお笑いのコント動画を紹介してくれる
https://www.youtube.com/watch?v=Qa4gOdBxJik

虚空 他人を奴隷扱い・・・今回のダンデリオンツイッターの記事に対してラインで書いたことだけどさ、周囲の人間を同じ人間としてみているかどうかというのが大前提でなければならないわけだけど、あの親戚たちのように奴隷と言わないまでも他人を道具扱い、っていうのは多いじゃない。そしてそういう風に人を利用できることが、「人を上手に使うこと」って勘違いしている風潮。
江戸の職人気質なんていうのとは完全に相反する構えだよね。
そういう人間ほど、自分のことは尊重しろ、って・・・図々しいったらありゃしない。
それで他人の人生や命を平気で踏みにじっているんだから。

諷虹 出会いと別れっていうのがありますけど・・・出会いって「個を認識するかどうか」なのかな、って。よくあるんですけど、多くのアーティストが参加しているアルバムとか、きららなんかでも毎月買っていても意識にひっかかってこない作家や歌手の人がいろいろいるけど、後にその人の作品が意識に引っ掛かった時に、それまでの生活でも関係することがいろいろあったことに気が付いて・・・一気に出会い直す。ウマ娘なんかもそうだったじゃないですか。

虚空 それこそ「添加」だよね。それによって世界の認識が変わる・・・トランスフォーメーションが起きる。

諷虹 街中でも駅近辺で大勢の人間とすれ違っていても、いたことにならない。でも「あの時に自分もいたんですよ」ということになると、一気に思い出が違った形で甦ってくる。まるで前にも一緒にすごしたことがあるかのように。
それとの逆のことが別れ・・・歯が抜けた時に違和感を感じて、再確認。こんなに影響力があったんだな、って。

虚空 当たり前が実は古語で言う「有難し」っていう感覚だよね。

諷虹 酸素だってなくなったら・・・普段意識していないけど・・・

虚空 精神世界でもあるよね・・・日常を振り返って当たり前のありがたさを丁寧にチェックする。

諷虹 卒業シーズンだから・・・先生のありがたみもね

虚空 学校側でいうと、それまで校内にいた子供らがいなくなる、っていうのはね。
6年を担任していた時、一足早く卒業式でいなくなる。そうすると他の先生らが授業している間に6年担任だけ職員室にいる・・・変な感覚だった。

教師側のこの時期の想いをアニメでっていうので思い出すのは「ひだまりスケッチ」での校長とかの言葉・・・。吉野屋先生は割り切れなくても校長は4月になっての新たな若人たちへ想いをのばしている

諷虹 学生の時によく思っていたんですけど、一日休みよりも、朝一時間とか午前中授業であとは休みっていう方が解放感というかカタルシスがあって・・・そのすがすがしい気分、っていうのが・・・

虚空 その感覚が「再起動」っていうか「死と再生」での甦り感覚なのかな。
過去に囚われているだけでは「停滞」であり「死」と変わらない。
ラインでもちょっと書いたけど、お彼岸やお盆っていうのはご先祖様とか亡くなった人を偲ぶけれども、その悲しみに囚われて前進できないことはよしとしない。
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