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☆「生徒」の反対は「死徒」(老子の言葉から)③  「安楽死問題」⇒「柔らかさ」、「先生」の反対は「先死」?

4月14日のダンデリオンツイッター記事に関しての4月19日 諷虹・虚空やりとり記録です。
「安楽死」を扱った劇画の話題から始まりました。「本当に自分として生きるとは?」ということへの考察です。
さらにニュートン力学の「慣性の法則」という視点からも考察。
ゲームなどの話題から「柔らかさ」・・・「真床覆衾(まどこおぶすま)」・・・そして「数学」などと、例のごとくいろいろと飛び交いました。
「生徒」の反対は・・・という事からすれば「先生」の反対は「先死」になるね・・・という事も飛び出します。
先に逝くという立場にある教育者だからこそ、心しなければならない事についてです。
諷虹 このダンデリオンツイッター記事を読んで、フト思い出すのは赤木しげる・・・「天」(麻雀劇画)のラストですかね。
Wiki 要約
東西戦の9年後、麻雀を理解できなくなるほどの重度のアルツハイマー型認知症にかかり、「赤木しげるとしての自分」が消える前に安楽死(尊厳死)を決意。東西戦の仲間やライバル達に必死に翻意を促される。この際、僧我に赤木を生かすためと決着をつけるために最後のギャンブル勝負を挑まれるが、そこでも確率を無視したような直感力をみせている。

「記憶を全部失って廃人となっても、自分が「家族」として面倒を見る。死なないでくれ」と泣きながら懇願する天の真心に触れ、「俺には家族はいなかったが友はいた」と作中で初めて目に涙を浮かべて感謝を伝えた。それでも最期まで決意が揺らぐことはなく、1999年(平成11年)9月26日、仲間たちに看取られながら静かに死去。享年53。
最後のセリフのやりとりが抜粋されているサイト
https://note.mu/koumuin1041/n/nd0f934439b89


諷虹 風が吹いてきて葉っぱのように飛散して終わる・・・なんてありますけど、死後硬直したあとの赤木って描かれていないんですよね。
葬式の場面があっても生前葬だから本人はバリバリ生きた状態で、友人たちと最後のやりとりをしている・・・それで安楽死の薬を入れていって・・・・。
最期は赤木の視点のセリフで・・・・

「手を離そう…生まれ落ち… 気が付いたら… 手にしていた…
 この赤木しげるという幻想…意識… 手を離そう…もうそれから…!
今生の最後の別れは、他人に告げる事でなく…告げられる事でもなく… 俺が…俺自身に伝える…最後の言葉…!
そうだ…!そう…! 完成だ…!
 多分…人間は死んで完成する…! 
俺はもう…俺自身ですらなくていいんだ… 離れる…!
俺は…俺から…! 
風っ…! 何だ…?この風は… 
しかし…なんていい風なんだ…! 
散っていく…俺もあの葉といっしょだ…! 
あ…消える…消えるな…! そうか…これが 死か…! 
よし… 行けっ…!放たれろっ…! 
飛散しろ…!赤木しげる…!」

虚空 アルツハイマーが悪化して自分が「赤木しげる」だっていうことさえも分からなくなってしまったら、本人にしてみれば自分が生きている事にならない、っていう境地・・・。

家族や友人からすれば、意識世界は違ってしまっても肉体は生きているんだから、それはそれで生き続けてほしいというのも素直な想いではあるんだろうけどね。
ここは難しいところ。
意識のないまま生命維持装置でずっと寝たきりと言うのもね・・・・。直接世話をしている人と、周囲の人では大きな温度差が生じることだってあるしね。
うちのじいちゃんが骨折入院で認知症になりかけた時は、人は区別できていたけど、時空が完全に夢の世界になっていた。だから完全な認知症というのとは違っていたけどね。


諷虹 ギブスなんかで固定されるというのも、死とは違うけど・・・。ベッドに拘束状態のようになるのも柔らかい生き方ではないですよね。

真床覆衾(まどこおぶすま)とは違うような・・・・縛り付けられていたのでは
封印状態というか・・・


虚空 いわゆる「拘束」は国の通達でしてはいけないことにはなっているけど、でも実際に病院によっては看護師不足とか安全管理の問題で拘束に同意しなければ入院させないということも現実にはある。そうでないにしても、点滴とかなんとかのチューブだらけになっていたら寝返りどころじゃない・・・拘束状態だよね。


諷虹 作品の中で病院から抜け出そうとする描写が多いのは「それが生きている」っていう感じだからでしょうね。「寝てられない」って。


虚空 そこでトランスフォーメーションが起こせなければ寝たことにはならない


諷虹 仙狐さんにしても「会社に行かなければならない」って・・・


虚空 でもあれだよね・・・ネットでも随分皆さんあの主人公を羨ましがっているけど、あの仙狐さんが来てからの布団って、妙な緊張はあるにしても「真床覆衾(まどこおぶすま)」としての時空っていうことだよね。
だから翌朝はシャキッとした。


諷虹 もふもふ感が柔らかさ・・・柔軟性ですよね。


虚空 あの「モフモフ」っていうことば・・・広く認知されたのはごちうさからか、っていう話はこの間も出ていたけど、やっぱりどうしてあの「モフモフ」という言葉に皆さん反応してしまうのか・・・。

あと、下ネタ風アニメで、やたらと胸の感触がクローズアップするのも多い。それはサービスカットという以上に絶対深いところで刺激しているものがあるよね。


諷虹 今思ったんですけど、食レポで硬い食品のってほとんど見ないですよね。干し肉とかスルメとか・・・でもテレビとかではあんまりみないですよね。
「歯ごたえがいい」っていうのは。プリンとかそういう柔らかい触感。
プッチンプリンなんか、わざわざ皿を汚さなくてもいいはずなのに、皿にも出せるっていうのはヒットの要因ですよね。


虚空 やっぱり根底には「真床覆衾(まどこおぶすま)」感がどうすればえられるか、という意識があるんだろうね。触感もそうだし、舌で感じる食感も・・・。


諷虹 そういう意味でいうと、ゲームなんかで敵がスライムっていうのも質感を感じさせる敵ですよね


虚空 「ぷよぷよ」がヒットしたのもそうなのかな???
だいたいあれだってスライムみたいなもんじゃない。
ヒマワリフクロウさんのお姉ちゃんが詳しくて・・・自分は退職した年の暮れに初めてセガサターンを購入してやってみた。テレビゲームには絶対反対ってそれまでも主張してきたんだけど、自分では一度もやってなかったから、まあこれを機会に体験してみよう・・・って。
そしたらあっという間に4時間5時間たっちゃって・・・。でも目は痛くなるは肩は凝るわで大変だった。
自分はお茶飲み骸骨でも苦戦してる、って言ったらかつての教え子たちに散々馬鹿にされたよ。「連鎖組まなきゃダメだよ」って言われても「連鎖って何?」っていう具合。
ゲームセンターにも行ったことがない人間だったからね・・・インベーダーゲームが大流行した時にもやったことはなかった。高校の時に一度くらいはやってみろって友人に言われてやったけど2点だから3点だった・・・。「どうすりゃそんな低得点で終われるんだよ」って変な感心されたけど。
でもあのインベーダーだってピコピコ動く感じが硬さというのとはちょっとちがう


諷虹 たしか一匹たおせば10点だったんで、20点か30点の間違いじゃないかと思いますけどね。
レトロゲームが高騰しているっていうのも、昔の仲間が集まったらやりたくなるから
昔のような制約がない分・・・・


虚空 ツイッター記事に戻るとね「生徒」の反対は「死徒」っていう、そのノリで「先生」を考えるとさ・・・「先死」・・・先に死ぬ。まあ、先生の語源なんて「先に生まれた」「先に生きている」存在だから「教える人になった」って小学校の頃に教わったけど・・・そんな意味だとしたら、先生の反対が「先死」っていうのも間違いというわけではないよね。


諷虹 「後生」(こうせい・ごしょう)って言葉もありますよね・・・・後生の頼みとかみたいな(ネット検索)
(二人で言葉の関連図を作成)
後生・・・「こうせい」っていう読み方だと後輩とか後進で反意語は「先生」
「ごしょう」だと仏教用語で「死んで後の世に生まれ変わる事」類語 来世
反意語は「今生」(こんじょう)、「前生」(ぜんしょう)
(他に人に哀願するときに用いる語)

虚空 先生が先に逝ってしまうのは当然といえば当然っていうことなんだよね。
だからこそ「自分が先に逝く」という自覚が教育者には必要。
自分がいなくなった後に主体的に生きていける人間に育てようという発想が大事だって自然に思えるよね。
それを「教えた通りにやりなさい」とか言って「指示待ち症候群」の若者ばかりを育ててさ。
一生責任をもって面倒をみてやるつもりなのかね・・・「こうすればいいよ」って指示を出しながら。

あとさ、随分前にニュートンの「運動法則」とかの話で出したことのある「慣性の法則」と「生き方」との関連。
力のベクトル=質量×加速度
静止している状態と、等速直線運動は本質的に同じ事だ、っていうのが、惰性で生きているのは生きる屍のようなものだ、っていう風に考えたことがあったじゃない。


諷虹 「生きていない」のか「死んでいない」だけなのか・・・・


虚空 決してこれは植物状態とかそういうのではなくてね。
たまたまゆうべのコズミックフロントNEXTは「ホーキング博士」の特集だった。全くといっていいほど筋肉が動かせなくなっていたわけだけど、それでも本人は「理論物理学だから体は動けなくても頭の中だけは自由だった」というような言葉を残しているけど・・・。物理的に動けているかどうかではなくて、精神世界がどうなっているか、っていうことだよね。
全く手が動かせなくても頭の中だけで複雑な数式を処理できていたんだけど。


諷虹 オイラーなんかもそういう部分があったんでしょうね。両目が完全に失明してから12年。その時期でも研究成果を上げ続けたわけですからね


虚空 自分にとっては耳が痛い話・・・・。体の自由がどんどん衰えてきたといってもまだまだ動けるし、精神的な自由はキープできてる。物忘れは出てきてるけどね。

オイラーの逸話 https://dic.nicovideo.jp/a/%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%BC

ガウスの紹介
https://dic.nicovideo.jp/a/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%82%A6%E3%82%B9
ガウスの学問的遺産を調査するという決定は後世を待って初めて可能になり、あらゆる予想をはるかに凌駕する宝物が発見された。ガウスの遺稿に精通すればするほど、この大天才に対する我々の驚異はいや増すばかりで、どのような困難、どのような限界もついにはこの人に一歩を譲らなければならなかったと考えざるを得ないのである。
フェリックス・クライン『19世紀の数学』より


今さ、ここを読んで思ったんだけど・・・上原先生の業績なんかもあまりに広大で・・・その全体像をつかむのは非常に厳しい。
凡人が凡人の尺度で下手に解釈しようとすると、歪めてしまうことにしかならなくなるよ。
だから自分も大胆に発想を広げているけれども、同時に後世の人が判断できる資料をありのままの形で伝えることもする必要があると思う。
この駿煌会では前者が主たる目的。だから上原輝男の言葉を紹介しても、先生の考えそのものをトレースしようというスタンスはとっていないからね。敢えて。
上原先生は自分のコピーのような人間になることを望んではいなかった、っていうこともあったし。
さすがに最近は先生の語録整理の作業とかきつくなっているから、誰かに引き継いでもらう必要を考えているけどね。
それこそ急にポックリいったら、家の中のものはすべてゴミとして処理されてしまうだろうから、「誰かに委ねるもの」は箱にまとめて明記しておかなければならないだろうけど。でもその作業にも着手できてない。
そうこうしているうちに終わりが来てしまったら大変だとは思っていてもね・・・・。
病院の人事異動で総合診療科の主治医が代わって、数値重視の言動をいきなり連発されて、これまでの先生とのような信頼関係が築けるか心配になっているんだけど・・・ちょうど1年前に受診した頃のデータをみて呆れられた。即入院を勧められたけど、例の人物の入院の世話とか児言態のことがあったから入院は無理、といってしのいだわけだけど・・・今度の先生には「僕だったら有無を言わさずに即入院させましたね」って言われた。それだけ「死んでも不思議ではない状態」だった、って。
今でもたまにバランスを崩して転倒することがあるけど・・・たまたま散らかって荷物山積みの室内でだから致命傷にはなっていないだけで・・・。
だから本当はすぐにでも「いつ出発ができてもいい準備」はしなくちゃならないんだな、っては改めて思った・・・水曜日に。


諷虹 (数学者等々の話あれこれ)どういうベースがあるからそういう発想ができるのか・・・シミュレーションが成立するのか。同じ材料から全く違う世界を構築する。


虚空 それこそ類化性能が研ぎ澄まされれば凡人が結び付けられないことを平気で結び付けて世界を構築するヒントにできる


諷虹 自分の専門性でカバーできるかどうか・・・共感を得ることができる。同じ材料をもっていなくても、自分の持っている材料で共感ができる。


虚空 共振・共鳴の基礎能力の一つはやっぱり「類化性能」だと思うんだよね。だから小学校の高学年とか中学生・高校生以降に「知識教育」という場合だって、最終目的は「類化性能」に、っていうことを指導者も意識していないとね。
でもテスト対策の知識教育になってしまっているから、類化性能はちっとも伸びない


諷虹 幾何学ってなかなか他の分野とのつながりが見えにくい・・・。


虚空 それはあるよね。自分が解析系が好きなのはそういうところとの違い。しかも自分が受け入れているのはニュートンの頃のガチガチの因果律じゃなくて、量子論的なあいまいさを含めた因果律。確率的な因果律。
そのあたりは日本古来の神話的発想との相性もいいから。


諷虹 チェバの定理とか・・・・すぐ忘れる。でもガウスとかの業績の方が頭に残る。
本当はそういう部分にも血を通わせたい、っていうのはあるんですがね。


虚空 自分の場合は、やっぱり11日のブラックホールとかダークエネルギー、ダークマターとかと上原先生の命日が重なったことから頭に引っ掛かってきたことが、本当にここ数日だけでも、いろいろとつながってきている。

アニメでもみんなそれとの関係があるかのごとくに感じられて。
ラインでも話題にした「盾の勇者の成り上がり」の15話でも、そうした物理の世界と犠牲論や恨み論とか、自分自身の実感が絡み合って頭の中を渦巻いている。


諷虹 私も幾何学に対する偏見みたいなのがなくなればもっと色んなものが見えてくるんだろうなぁって気はしますね
*Wiki「幾何学」の右の方に出ている奇妙な図https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%BE%E4%BD%95%E5%AD%A6
諷虹 まるで前衛芸術ですよね。このまま美術館に置いてあっても通用しそう
数学の分野の人が芸術分野の人をうならせる。
まあ実際に着物とか手ぬぐいの幾何学模様だってあるわけだし


虚空 だからこそ、「数学」なんて言わないで「芸術」っていう切り口でアプローチしたら食いつく人間がいそう


*北斎浮世絵の幾何学的分析のサイト  http://nest-design.net/2012/02/25/hokusai-2/


諷虹 北斎が数学を本気で勉強していたら、もっと絵に体現できたかもしれないですね。
基準線としてこういう線を描いていなくても良く見えるように描いたらこういう風におさまった、っていうことなんでしょうから。黄金比のように。
幾何学・・・やっぱり美術的なセンスに直結するんでしょうね。あのケプラーのこだわりもね・・・。正円であるべき・・・楕円は許されない


虚空 物理学での「神の数式」でも「対称性」っていう幾何学的な美しさを非常にものを言うじゃない。


諷虹 「重心」だってそうですよね。三角形の重心は中線の交わるところ、って暗記しているのではね。


虚空 あれがそれこそ重さを半分にしている複数の線の交点だから集合論での「∩」っていうのと結び付けて発想できているかどうか。


諷虹 それを違う形の図形で本当に重さの中心を探させる活動。
でも理にかなった手順を踏ませているだけではセンスは磨かれないですよね。理詰めではなくても直観でパッとつかめるか。
コンパスでの作図でもそうですよね。ただ手順を覚えさせているだけ。


虚空 幾何学に限らずにさ、小学校の割り算なんかでもそうだよ。
今の教科書ではどうなっているかわからないけど、大きな数の割り算なんかで、だいたい具体例を通して答えがいくつくらいになるか予想をたてさせてから計算させる、ってなっていた。それをやらない子は、平気で位取りを間違えてとんでもない数を答えても変だとは思わない。
あまり具体例ばかり思いうかべる癖をつけさせても抽象思考の妨げになるから問題なんだけど・・・


諷虹 バランスですね。センスだけでも理屈だけでもダメ。興味を抱かせてからサッと理屈を加える。


虚空 そこはやっぱり生きた教師とのやりとりならではだよね。
「先生」はちゃんと「生きていなけりゃダメ」特に幼児教育や初等教育はね。機器による情報処理はあくまでも補助手段だよ。
なるべくだったら触れさせない。スティーブジョブズのようにね。

スティーブ・ジョブズが子供iPhoneやiPadを使わせなかった理由
https://ccore.co.jp/plus/jobs/


諷虹 日本人なんてみんなが携帯を使っているから使うってなってしまうけど、それなら子どもに携帯とかを使わせないなら、かわりに遊ぶ場所を提供して、みんなで遊ぶように・・・そんな活動をすればいいと思うんですがね。ただ「子どもは外で遊ぶべきだ」って言うだけじゃなくてね。


虚空 それをアニメにすると以前NHKでやっていた「メジャー」とか、今の「8月のシンデレラナイン」ってなるのかな。理屈よりも体を動かそうって。
そういう雰囲気を奨励するアニメが出てきている。アニマエールもその系列かな。

まさに「躍動して生きている」っていうことを奨励しているアニメ。
で、そういう風なエネルギーが欠乏しえている男性諸君には「仙狐さん」・・・かな?それから女性諸君には「フルーツバスケット」・・・今季観ているアニメで役割分担するとそんな感じ・・・。 
 
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