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☆「競争原理」の幻想② ~藤岡先生による「生物界の実相」解説~

*2020年1月11日 やりとりの続き

虚空 自然淘汰とか弱肉強食とか成果主義っていうことで、それがいつもテーマになっていたアニメとして「とある科学の超電磁砲(レールガン)」のことを思いうかべてたんだけどさ・・・・ちょうどゆうべアニメ3期の放送もあったこともあって。

あれもレベルとかランクづけでという・・・・でも、分かりやすいのは佐天さんがらみのエピソードだけど、能力者じゃないから発揮できるというのが描かれるだろ。
最強の能力者が単独でもダメ・・・いろんな人達が力を合わせる。
あるいはさ、当麻とアクセラレーターの「最強と最弱」の戦いだって、単なる実験動物扱いだった妹達の力も借りて勝つわけだよね。

そういう意味でやっぱり能力のあるなし・能力のランクを超えたどの存在にもそれぞれに意味があるという「共存共栄」を描いている

さっき中学生に藤岡先生の言葉もちょっと紹介したんだけどさ・・・藤岡先生の師匠の今西錦司先生の提唱した通称「今西進化論」

学会では相手にされていないようだし、根強い反対論者も多いんだけど、「住み分け」がキーワードの進化論なんだよね。

だから単に強い弱いとかではない。
優れたものだけが残って役立たずが淘汰されるのではない。
それぞれに意味があるという進化論。
ネット検索 コトバンク
京都大学名誉教授の故今西氏による生物の進化論で、「棲み分け進化論」と言われる。

これは、生物は棲み分けを可能とする方向に新たな種が発生し、もとの種と対立しながらも補いあうように共存するというもの。これにより多様な種が展開され、棲み分けが密度濃く塗り重ねられることによって生物は進化を遂げるという。 

この、棲み分けをしている集団を「種社会」と呼び、種社会を構成している個体は、変わるべきときがきたら一斉に変わるとされる。

諷虹 ギルガメッシュの事の解説でこんなのがありますね。

ネット検索
かつてのウルクにはどんな人間にも役割があって代わりは居なかった、奴隷さえも必要な存在だった。しかし現代は人が多すぎる、個人の変えなどいくらでもきく、だから余計な人間を間引こうというのがギルガメッシュの目的、貧しさよりも個人の存在価値が高かった。

虚空 それで中学生に「理科で習う弱肉強食はどっちに近い?」って聞いたんだよ。そしたら「共存の方だろう」ってね。
参考
実際に中学3年生の理科の内容には、自然界の大きな循環・生物相互の関係が従来よりも多く記載されています。
それから藤岡先生が児言態に語った記録の一部を紹介した。
(平成3年 4月6日 藤岡善愛先生を囲んで 「上原輝男研究室」にて)

『こういう具合にして、今日我々が本当に描くことの出来る生物の世界のイメージというのは「共存している」ということこそ軸になっておるという問題です。
 

で、そこでマア一つだけひっかかりますのは、何故いまだに競争をしてですね、生存競争を通して進化するという考え方になるのかというときに(中略)ヘビから上手に逃れた蛙がですね、子孫をよおけ残すことによって一層優れた蛙になっていきおるというイメージがあるわけです。

ところがどの蛙がどのヘビに食われるかという個体を特定するのでなければ、そこそこのヘビがそこそこの蛙と食っている、というだけのことでありまして、そういう関係を通してヘビという方と蛙という方が共存共栄できているわけです。

つまりヘビの方はエサがなければ暮らしていけない。蛙の方はある程度食われてくれなければ人口が増えすぎて困るわけですね。で、勿論ヘビは蛙だけ食っているわけではないですけど、まあ、話を簡単にするということです。で、そいういうことでお互いに食われる方はですね、食われる事によって人口調節をしている。で、食う方は食う事によって自分の種の生存を確かにしていく。

ところがこいつはまたそいつを食うものが片一方にいるわけです。それを天敵と呼んでいるわけですけれども、そういうので、お互いに天敵がたくさんあってネットワークを作っている。そういうのが生物の世界なので・・・この頃は生態学の知識がこの頃普及してきたのでこれは先生方も御存知だと思いますけれども・・。

 そういうネットワークができているというのは、ですから、個体の話ではない。一匹ずつの話ではない。一匹ずつの話をすると私というこの一匹はどっかのオオカミに食われるかもしれない。あるいはどっかのヤーさんに殺されるかもしれない。

だけれどそれは特定の個体に注目しすぎるから、そこにいかにも問題が大きいように見えるわけですけど生物の世界のあり方という立場かれ見れば、そういうことをすることによってお互いに人口調節が出来てて、そうして生物の世界全体としてバランスを保っている、という状況がある。

だから個体で食うか食われるかということにあんまりこだわるとですね、生物の世界ちゅうもののイメージは持ちにくくなるんだ、という具合に考えて頂きたいのです。つまり生物の世界というのはお互いにそれぞれの生存がどのスピーシスもお互いにこう・・・食われるという事も含めて持ちつ持たれつをしている

 で、そういう例はいっぱいありまして、時間があればまたそういうお話しはいたしますけれど、マア、最初ですから生物の世界をどうみるか、どんなイメージとして持つかという時に、生存競争の問題ではなくて「共存共栄」の問題なのだと・・・

もちろん共存共栄という時に「ワア嬉しい」ってニコニコしているイメージは別に持つ必要はないのでして、要するにお互いにこう持ちつ持たれつでそれぞれが一緒に生存が継続できるという、そういう問題ですから。』

虚空 ちょっと引用が長いけど、これが藤岡先生の遺言がわりの話の時の一部だから。この話を聞いたのは平成3年の4月6日なんだけど・・・それから30年近くたっても、全く改善されていないどころか、ますます藤岡先生の懸念が悪化していると思うんだよね。
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