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☆「観察」という構え ⇒異文化を認め包み込める力

英才児の観察力という上原輝男先生の指摘からのやりとりもずっと続いています。


コバルトブルー君が小3の時(H7,3,21)に書いた作文の話題や、名実況中継と言われた人たちのことなどから始まって、先日も話題にしたサバイバル状況を描いたアニメ「ソウナンですか?」から最終的には「異なる考え」「異文化」を認め、尊重し、取り込む姿勢についてまで発展しています。


サバイバルに限らずですが、異なる食文化への構えは最も身近な「食」という感覚だけに、広い視野へ突き抜ける大きなカギをにぎっています。
まさに「おうち意識」が「意識のベース」であり、根源であるということ。


このように自分と異なる考えに対しての許容力・包容力は現代社会において格段に低下しています。

それが「邪魔者は排除」として凶行に簡単に及んでしまうことにもなっているわけですが・・・「成果主義」「競争原理」もその背景にはあるのではないかと考えています。



2019年8月2日 諷虹宅
虚空、熱中症による頭痛、諷虹バイト疲れ(90分×5コマ)
*塾バイトの思い出等々・・・(虚空、学生時代の塾のバイトで、今でいうヤンキー達の集まる中3クラスを担当した時のエピソード、等々)

*コバルト「おかあさんのおなかのなか」作文
諷虹 なんつーか、メガネをかけた医院長とか、ステレオタイプ・・・実際の記憶なのかイメージなのかという部分で・・・テレビの影響とかでかいのかなとか思いますけどね。
舞台設定とかね。

そういうことからすると昨今のアニメって、女の子とか男の子しか出ないじゃないですか。
こういうステレオタイプみたいなイメージの形成に齟齬が発生するんじゃないのかな。


虚空 恋愛観なんてそうだよね。昔だったら互いに好きということが分かっていたり、三角関係のもつれとか意地悪とかが定番だったけど、今はサラッとしているのが多いもんね。
超鈍感だったりね。
「月がきれい」とかでは三角関係がでてきたけど、こじれなかったしね。


諷虹 シロバコのアルピンが何が好きじゃないですが、高木さんの西方も少女漫画が趣味じゃないですか。そこも妙に納得できてしまう・・・あれをバイブルにしているようなことがね。ヒロイン属性みたいなのがあるような


虚空 ナマの人間関係から形成される「人間観」とか「人生観」じゃなくて、アニメやゲームやネットの書き込みをそのまま受け入れての見方・考え方だね。
昔だったら「これはお話のこと」と区別できていたのができなくなってきている。
兆候はだいぶ前からあったけどね。

いい例がさ、知り合いの子役経験者が「憎まれ役」を演じていたら本当に性格の悪い人間だと思われて批判がたくさん寄せられたって悩んでいた。
あれは役の上でのことなんだ、って思えないんだよね。今の人達は。

あとはストーカーまがいの人達がよく都合よく使っているのが「いやよいやよもいいのうち」という漫画やアニメ。本当に嫌がられていても、都合のいい世界を作ってしまう。
今回の京アニ放火もそういった傾向が極端だと思うよ・・・予想だけどさ。

この作文ね、もう一つ思ったのは、この前から出ている「観察」視点。

だいたいコバルトブルー君の作文ってイメージや感覚が書かれていることが多いんだけど、この作文の中にはそれがないんだよね。知識とか何かでみたものの影響であるかどうかは別にして、それを赤ん坊という目で周囲を観察している。目に映った様子を淡々と記述している感じだよ。


諷虹 それ聞いて思ったんですけど、古舘伊知郎の実況・・・あの人のフィルターを通しての状況。その場のノリできいていると共感性を生むようなことばなんだけど、自分ではそんな実況できないな、っていうような。
実況が面白い人ってそれがあるよな、って。

競馬の実況でも「すげーな」って思える人がたまにいますけど、スズカをみて「沈黙の日曜日」なんていう言葉がスッと出てくる、っていうような。
ネット検索「古舘伊知郎」実況名言
①(ボブ・サップに対して発言した名言)この肉体はワシントン条約違反だ!!
②(アンドレ・ザ・ジャイアントに対して発言した名言)一人民族大移動!
③(スタンハンセンに対して発言した名言)ブレーキの壊れたダンプカー
④(ハルクホーガンに対して発言した名言)現在によみがえったネプチューン
⑤(若松マネージャーに対して発言した名言)悪の正太郎君! 悪の羊飼い!

虚空 こういう共感を得るようなキャッチフレーズがポンポン飛び出してくるというのだって、基本は「観察」だよね。そこに語彙力がからむ・・・言語操作性


諷虹 これも深く考えていうわけじゃないですよね。その場のライブ感、臨場感をそのまま残している。2~3日考えて思いついた言葉じゃなくて。
写真みたいな感じですよね。

虚空 その写真っていう例えがすごく的確だと思うんだよね。「観察」っていうことからも。
最初から決めてかかっていると、自分のフィルターを通したものだけがキャッチされて非常に偏った実況になっちゃう。多くの人の共感は得られないよね。
むしろ、幅広く事実をつかまえる。そこに印象深い言葉をくっつけている。

だからこそ実況を聞きながら「新発見」とかね・・・それほど気にしていなかったことが「なるほど!」って思える。

それが英才児の根底にある姿勢だと思う。
*動画 野球の名実況
https://www.nicovideo.jp/watch/sm19842025
虚空 今のさ、「何故あそこでインコースのストレートを使わないのか・・・使えないのか・・・使いたくないのか・・・使う度胸がないのか・・・・」っていうところもね、何かに決めつけるだけの実況じゃなくて、いろんなことが想定できるというのを、ある意味で論理的に場合わけをして話しているよね。

論理性を自然に使っている・・・この前のことり君もそうだったけどね。

自分の意識世界を自ら拡張できる・・・・他人の異なる考えでもスッと無理なく取り入れて・・・添加していける。
こうした能力の育成って、今の教育に最も欠けている部分だと思うよ。
折角の論理性も、きちんと自分の思いを伝えるため・・・というコミュニケーション能力でというのが全面に出過ぎているような気もするしね。
今の風潮からすると、持論を相手にきちんと伝えて、冷静に話し合う・・・っていうんじゃなくて、持論を押し付けるための方便にばかり使うようになっちゃう。

うちのあの親戚がそうだから。他人に対しては法律とか世間の常識みたいな正論をぶつけてくる。でも自分は平気でそれとは違うことをする。それを他人に指摘されると「そういうもんじゃないんだ」なんて言い出すからね。

それは結局は「他人を自分の思い通りにコントロールしたい」っていうことだから、自分に都合いい場合だけ正論を相手にぶつける。でも自分が不利になると「世の中は理屈じゃないんだ」なんてね。

本当にただの我が侭。ガキの屁理屈。
でも今の学校教育の論理性は、そんなことばかりを発達させてしまうような気がする。身勝手な論理で自分の世界を正当化して、放火をするようなね。


*競馬の実況動画


虚空 いつも思うんだけど、あんなにいろいろな馬の名前を出しながら複雑なレース展開を実況するって、どれだけレース前に準備しているのかな、って。どんな展開になるかっていうシナリオなんてないわけじゃない。その時にね、想定外の馬が差してきた時に「あれ、あの馬は何ていう名前だっけ」なんて紙をみていたらあっというまにレースは終わっちゃうもんね。


諷虹 競馬だとゴール前などでは状況を実況していますが、ゴールの瞬間にこういうアナウンサーのナマの言葉が出てくる


虚空 そう考えるとさ、前に「オマワリサン」っていう馬の出てくる実況をみたじゃない。単に客観的に馬の名前を実況する以上の工夫を入れていたのよ。
https://www.youtube.com/watch?v=10-3MRH6DhM

https://matome.naver.jp/odai/2139242494422940701/2139242595923284503

補足 
競馬中継 モグモグパクパク
https://www.youtube.com/watch?v=UEbAuv5K2N0

面白い名前の馬と変な競馬実況まとめ
https://matome.naver.jp/odai/2139242494422940701



自分はさ、放送委員会を担当することが多かったから、運動会の実況の練習も係りの子にしてもらったことがあるよ。過去の運動会のビデオとかみせながらぶっつけ本番でやってみ、って。
考えてしまうタイプの子は、どうしてもうまくいかない。考えているうちに状況がどんどん変わっていってしまって、それに追いつかない。

でもスッとできる子もいる。それはやっぱり「観察」なんだよね。網膜に写った通りに口が動く。

そこに気の利いた言葉を使うかどうかは語彙の問題とかもあるんだけど、まず実況って「実況」だから、観察した事実をなるべくそのままつかまえるのが大前提だよね。

それが英才児は特異。

今回のコバルトブルー君の作文も想像なのか、何かの映像でみたことなのかは分からないけどさ、でも分娩室にいる赤ん坊である自分の網膜に写ったことを淡々と実況して文にしているわけだよね。それに伴うイメージや感情を切り離して「事実」を書いている。



諷虹 このあいだ、プロレスのことが好きなお笑い芸人のコーナーで、パウンド(ポンド)とキロとでどっちが好きか、っていうのを聞かれてパウンドだ、って。
キロだと自分と比べて考えてしまうけど、パウンドだとすぐにはピンとこない。プロレスラーが「得体のしれない人間」「プロレスラーって非日常」・・・想像力を掻き立てられるからポンドだと。


虚空 そういう意味では本場のアメリカ人よりも、得体のしれない感を日本人は楽しめているかもね。向こうの人はポンドで重さの実感が伴って聞いているだろうからさ。
そうすると、意味がきちんと伝わるように敢えてしないことも、大事な言語操作性っていうことだよね。

上原先生なんてさ、研究授業で普段使わないような言葉をガンガン子どもたちにぶつけていた。「どういう意味ですか?」って聞き返されても教えなかったもんね。「考える」と言い渡す。これなんかも今の教育関係者がじっくりと考え直してみる価値のあることだよ思うよ。

成果主義だと、どうしたって「分かったか、分からなかったか」の二者択一になるから、「きちんと意味を理解させる」のが教師の役目、ってなっちゃうけどさ。


諷虹 得体の知れなさなんて「量子論」的ですよね。日本人のあいまいな返事ってあるじゃないですか。余白的な部分とか。


虚空 だから量子論っていうのは古代日本人の発想と通じるっていうかね・・・相性がいいんだと思うよ。
だいたいさ、量子論の結果をどう解釈するか、なんていうことはいまだに決着がついていないことだらけなわけだよね。でも事実として認めないと素粒子の世界も半導体の設計もなりたたない。


諷虹 「おまえはアメリカ人かよ」っていう言い方をよくするんですが・・・0か100か、っていう両極端しかとれないたとえで・・・アメリカ人がすべてそういうわけじゃないと思いますけど・・・


虚空 それはね、ゆうべ高校3年生の かうと君 とも話していたんだけど「小さな恋のメロディ」のこと。
制作された本国イギリスや、公開されたアメリカでは全くといっていいほど話題にならなかったのが、自分が中学生の頃の日本の若者には幅広く受け入れられて大ヒットしたわけだよね。でもその映画が昭和の終わりごろになってくると教え子たちに観せても面白がらない。もう認識法は「イギリスやアメリカ」風になってしまっている、っていうことだよね。
それはこの映画に限らず、あらゆる部分で感じる事だけどね。


諷虹 カリフォルニアロールが日本の心だと思われてるみたいなもんですかね。寿司が大好き、っていいながら実質はこれをさしている。これが寿司だと思っている。
日本人からすれば「それは寿司じゃない」って。


虚空 一部回転ずしでは「サラダロール」なんていって出すところもでてきているけどね。
やっぱり言葉の二面性。「言葉をとっかかりにしてさらに広がる」のか「言葉が縛りになるのか」
外国人観光客向けのパフォーマンスで本来の形とは違う演出をする寿司屋や天ぷら屋がふえてきている、なんていうのもテレビでやっていたけどさ・・・海外の店ならともかく、わざわざ日本にやってくる外国人は「本場ではどうなのか」を確かめたいっていうのもあると思うんだよね。だから「外国人向けにこういうのもつくれますけど、伝統的なものはこれです」ってきちんと示した方が喜ばれるんじゃないの?

そりゃ口に合わない場合だってあるだろうけど、だからこそ「異文化を尊重する」姿勢にもなっていくと思うしね。

日本人の「ふところの広さ」を実感してもらうためにも大事なんじゃないの。
来年のオリンピックに向けてますます外国人向けというか「外国人受け」というのが増えそうだから尚更ね・・・・。

そういう意味では今放送中の「ソウナンですか?」っていうのはさ、サバイバルっていう枠を超えて大事な内容を含んでいると思うんだよね。

サバイバル状態じゃなくても、昆虫を食べたりヒトデを食べたりっていう国や地域はあるわけだからさ。それを自分達が普段食べないものを食べているというだけで人間じゃないみたいな差別感覚を持つ人っているじゃない。「よくそんなもん食べるね」なんてさ。

だいたい、日本人が普通に食べている「タコ」や「イカ」だって、食べない国の方が多いって言うじゃない。あのイボイボが気持ち悪いって・・・「悪魔の魚」だとかね。

だからたこ焼きなんかをかじってタコの足が入っていた、なんていうのは、コロッケとかの中に巨大なミミズとか昆虫が入っていた、っていうのと同じような生理的嫌悪感を抱く、なんて解説されているのをみたことがあるよ。
ハリウッド映画で「パイレーツ・オブ・カリビアン」にタコ船長が出てきたけど、あれって日本人が観ている以上におぞましくて気色悪いキャラなんだと思うよ。あんなタコの足がヒゲになってニョロニョロ動いているのが巨大スクリーンに写し出されるっていうのは。

来週はいよいよ罠にかかったウサギを食べるエピソードらしいけど・・・それだって狩猟生活を送っていた頃だけじゃなくて


*「もやしもん」コミック10巻 
「隣の席の女の子は あの誕生日のお祝いを "こんなの日本式じゃない"って言われたいかしら?」
 「マリーもここに来る人達も"この日本"を楽しんでるじゃない」


虚空 でもさ、これって逆に日本人だって相当ステレオタイプで各国のイメージを持ってしまってるよね。本国の実体とはずれているような。

教え子にアフリカの都会の映像とかみせた時にも心底驚いていたからね。歩いている人たち以外の近代的な建物や道路の様子は、都心の銀座とかとたいして変わらなかったから。
でも「アフリカって草原とかばかりじゃなかったの?」って。それから服装もね。普通にみんなが洋服をきていたのを驚いていたよ。

だからお互い様といえばお互い様。
もちろんこれだけネットも普及しているんだから、実情に近いイメージをお互いに持つというのも大事なことになっていくと思うけどさ。

でも今の日本はさ、同じ日本人同士でも自分の基準からちょっとでもずれていたら受け付けないで排除にかかる。自分の意識世界は修正しないで、他人には自分の常識を押し付けるからね。
アニメ感想なんてみてそうじゃない。

ソウナンですか?でウニやヒトデを食べるエピソードだって、ウニは高級食材で、ヒトデは限られた地域の人した食べないとか何とか言ったって、どっちも食べる習慣がない国の人からすれば「どっちもどっち」・・・あんなトゲトゲの奇妙な形の生き物の中のオレンジ色のトロッとしたのなんて、よく口に言えられるね・・・ってなるよ。

もっと身近な例だったら、水戸名物の納豆。あんな腐ってヌルヌルベタベタのものをおいしそうに食べるのなんてどうかしてる、って、日本国内だってそう思う人がそうとういるじゃない。

食文化って、それこそ「衣食住のおうち意識」と直結するような「意識のベース」。
それを認め合えるかどうか・・・別に好きにならなくてもいいけどだ・・・が、異なる立場を認め合って共存共栄していくそれこそベースなんだろうね。

だから昔・・・平成3年に・・・最初の学校で国際教育をベースにした全校集会を企画したことがあったけど、国際教育だからって外国の文化云々というのを全面に出そうとはしなかった。
「食」とか「身近なところにいる昆虫」とか・・・そういうのを出発点にしたよ。

もうあの当時から「虫なんて嫌い」っていう雰囲気が「清潔志向」と相まってどんどん広がってきていたから。そうすると「地球は人間だけのものじゃない」って環境全体のことが叫ばれていたけど、虫嫌いの子ども達にしてみれば「虫なんていなくなった方がいい」って思っているんだから、本音では「人間の住みやすい地球にして何が悪い」って思っているよ。それじゃ心に響く国際教育になんてならないと思っていたからさ・・・。

トトロなんて、サツキもメイも身近な昆虫とか生き物とお友達、っていう位置づけじゃない。ナウシカにいたっては、腐海の森に住むあんな奇妙で恐ろし気な巨大生物とも交流しようというような女の子だもんね。
気に入らないものの存在は許さない・・・っていうのが傲慢さで留まっていない・・・実力行使で排除という行動に出る・・・それは今後ますます加速するんじゃないの?
(君の名は 鑑賞回数)
虚空 この前ある番組で新海誠作品が大好きだっていう若者が、ドヤ顔で「君の名は も3回も観ましたから」と語っていたけど・・・今はさ、一度観て知っていれば内容の細かい部分とかテーマとかそういったことまですべて分かった、っていう風潮が強いと思う。
これもやっぱり「成果主義」「競争原理」の悪影響もあると思うんだよね。「すぐに分かった」「繰り返す必要なんて自分にはなかった」というのが評価基準になっちゃっているから、パッと分かることが大事にされてしまう。実際には表面的なことしか分かっていなくてもね。

過去に担任したクラスで同じ学年であっても、例えばトトロをみせるなんていうときに「もうそれ観たことあるよ」と冷めた反応のクラスもあったし、「あっ、それ面白いんだよね!」ってワクワクしながら観るっていう雰囲気のクラスもあった。

知っている=分かっている じゃないし、知っていたらもうツマラナイというのもね・・・。
実際にまどマギの劇場版にしてもガルパンの劇場版にしても映画館で10回~20回観たというファンは沢山いたし、観るたびに新たな発見がある、っていうのだってね・・・。

でもパッと分からないと自分が「ダメな人間」という事実を突き付けられるような気になる人間は、難しそうなのは最初から拒絶するからね。理解しようとしないで頭から「こんなの分からない」って避難するだけじゃなくて、それを「面白い」っていう人達を頭ごなしに否定したり、よってたかって潰しにかかる。

気に入らないものっていうか「自分のマイナス面をさらけだす要因になるものはすべてこの世から消してしまえ」っていう構え。

本当にコワイ風潮だよ。
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