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☆「量子論」からのやりとり① 「江戸庶民的発想」

2019年 5月24日 諷虹宅
このところ毎回のように諷虹君が紹介してくれた「麻雀漫画(アニメ) 咲 -Saki-」を通してのやりとりが続いています。


そもそものきっかけはこの日、一緒に視聴したNHK番組 コズミックフロント NEXT の「量子論」に関するのを観た事でした。

先ずはこのアニメのことが飛び出す前、「量子論」と上原輝男先生の師匠のお一人である郡司正勝先生の説く「江戸庶民の発想」とのつながりについて語り合った部分の紹介です。
コズミックフロント NEXT「量子論」 視聴・・・細かい言い回しは正確ではない
OP「量子のふるまいと時空には関係がある」「3次元世界は幻?」「量子について知らなければ宇宙の謎も生命の謎もとけない」

「宇宙をつくっているごく小さな構成要素  すべて固体ではなくモヤのようなもの 粒でありながら波  重ね合わせという状態  よくわからないことが大切 あいまいだからこそすごいことができる」

量子コンピューター紹介
「宇宙の話で何故コンピューターか・・・地球物質もすべて量子・・・宇宙の法則とつながっている」

「量子ビット たくさんの組み合わせをいっぺんに計算できる。2048個。2の2048乗の組み合わせの中から最適な答えを見出せる。まだ開発途上。」

「量子ビット・・・通常は0と1.これは両方同時の重ね合わせの状態をつくれる。
電子が右回り0 左廻り1 これが同時。でも2個あるわけではない。一つが両方。
量子はモヤッとしているから重ね合わせができる。」

「あいまいなのが普通だったというのが量子力学の世界の新しい発見 僕らは0なのか1なのかをどうしてもはっきりさせようとするんですけれども、あちらからしたらそれが普通。不思議なところではあるんですけれども、ものごとの認識の仕方をレベルアップするといううか、違う次元のものに引き上げてくれるものなのかなと思います。」



諷虹 昔、トランプを6組くらい使っていろんな遊びをやっていたんですよ、高専のとき。たとえばポーカーで同じカードが6枚ずつあるから、いろんな可能性が探れる。他の人が使っているカードでもまだ山にあるかもしれない、って。そういう不思議な遊びをやっていたんですけど、極めつけはジョーカーも12枚くらい入っていて・・・。ジョーカーが6枚もあったら何でもできる。

量子ビットってそういうのに似ているかな、って。



虚空 夜中にぼんやり観ながらだったんだけど、この東北大のおじさんの発想って、現代っていうか西洋合理主義が入ってからの当たり前の発想なんだよね。

でも、郡司先生や上原先生が盛んに強調しているように、江戸庶民の発想法って、まさにこの量子ビットの発想だよね。

だから量子の世界が解明されてきている中で、やっと江戸庶民の発想法が正当に評価される時代がやってきた・・・なんて思ってしまう。
何度も引用している郡司先生(上原先生の師匠)の言葉
P73  [江戸の発想]
 歌舞伎の作品を補綴(ほてい)したり演出しだしてから、もう十本ほどになる。
 私がどうも腑におちないのは、必ずといっていいほどに、劇評に、筋がよく分からないとか、テーマに明解を欠くとか、わかり難いという評が焦点になっていることである。・・・

 いったい、どうして江戸時代の庶民が創り出した大衆劇である歌舞伎が、今日の最高学府を出たインテリにわからないのであろうかということである。・・・こういうとき、私は、あなたは教養があり教育がありすぎて解らないのでしょうということにした。
 

 歌舞伎狂言の構成は、仕組むといって、いくつもの世界を、時代の違う世界を、同時に組み合わせて綯い交ぜ(ないまぜ)にして作劇する。江戸時代の奇才鶴屋南北などになると、四つも五つも世界を組み込んで「筋からみあって新しい」と評されるほどである。まァいってみればTVのチャンネルを何分かごとに切り替えて見るようなもので、これに有機的関連性をもたせ、最後には一つに纒(まと)まって決着がつくこうしたのを上々とする。

 
 こうした構造を芸術の基準としている、その構造が理解できなければ、おそらく絶対にわからないであろう。近代の学校教育は、西欧的理念と方法によったものだから、はなはだ合理的科学的で、そうした教育がすっかり身についているインテリにとって、こうした江戸の文化の構造や発想様式は、習いもしないし、生活にもないとすると、もう体質的に受け入れられなくなっているのである。日本人も、まったく西欧人なみの頭脳になっていて、すでに江戸人とは異質の人種になっているのではないか。


 江戸人の目は、いくつもの世界を、同時に一緒にみることの能力があった。トンボの眼のように、複眼的構造は、同時に、いくつもの事象をうつしとることができる。あるいは、それは封建時代に生きる者の生活の知恵であった。右か左かを分明しては生きてゆかれなかったこともあろう。なまじい教育のある者にとっては矛盾として受け入れられないものを、おもしろしとして、そこに見るべきものを見た世界構造。それが歌舞伎の構成であった。

 江戸歌舞伎は、テーマを四つも五つも一つの作品に盛り込み、鵜匠の手綱のように、その捌き方の技術を、ほれぼれと舞台で鑑賞するような、そんな生活基盤の美的基準がもうなくなってしまったのかと考えこまざるを得ない。
虚空 このトランプって何がきっかけで始まったの?


諷虹 100円ショップで何組ものセットがあったのを買って・・・誰からともなく全部一緒にしてやっちゃえ、って。最終的に麻雀みたいに・・・。それからトランプで花札みたいなのもやってました。
オールマイティのカード(なくした時用の白紙カード)の感覚って量子力学の感覚。


虚空 昔さ、子供会の行事で大人と子供が一緒に運動を、っていう時に、ボール2個のドッヂボールをやったことがある。それこそ油断も隙もありゃしないから子どもでも大人に当てることができる。ただ、不意打ちを食らう感覚で危険だから頭とかは狙わないっていうルールは徹底したけどね。

あれも、単に2個というよりも、別々の試合を重ね合わせてやったという感じだった。一人一人がそういう気持ちでボールの動きをみていないとあっというまにやられてしまう。


諷虹 定石が定石でなくなる感じですね。外野の動きも定石が通用しなくなる。型が壊れる。羽生マジックのような・・・


虚空 だからさ、江戸庶民にしても、あるいは折口先生がこだわっていた万葉人にしてもね、発想の仕方が根本的に違っていたわけだからさ、現代人の発想で理解しようとしても無理。

しかもさ、このところの日本人って、西洋合理主義なんていうことも言えないくらいに幼いというか幼稚な発想しかできない。あまりに短絡的にとんでもない犯行に及んだり、迷惑動画を投稿したりする・・・

それだけ短絡的になっているのも、もしかしたら教育で無駄をはぶくとか、最短距離だとか、パッとできる・・・なんてことばっかり幼い頃からやってる弊害かもね。

それこそ複数トランプのなんていうハチャメチャな遊び・・・そんな遊びをやっているうちにより複雑なシミュレーション能力が自然に身についたんじゃないかね。


今は本当に単純で、ちょっと前ならこのくらい人間として分かっているだろうというような思いやりも持てない・・・想像力の欠如で。



諷虹 この前羽生マジックが出た時の解説者の反応をまとめた動画があったんですけど・・・。
https://www.youtube.com/watch?v=jNoF6gpk4nA


虚空 これは想定外でビックリっていうパターンだよね。解説者も一生懸命にその意図をくみとって・・・大変だよね。すぐに狙いが見抜けないといけないから。


諷虹 全部最善手でなければならないのかという問題。悪手を打ったあと、それを盛り返す・・・これって最善手を打っていたら起き得ないことかなのかな、って。
例えば、この手の次にこれっていう予想も、それは予想であって・・・それを時間制限の中でやっていく。後で思えばではなくて・・・盤面としては悪手でも、最終的には悪手ではなくなる。



虚空 人生でもひどい挫折がきっかけで好転することもあるし、その挫折がなかったら今の自分はなかった、っていうのは普通によく言われるよね。

逆もある。すごくラッキーだった、っていうのが地獄への一丁目だったとかね。
そういうことともつながってくる。

そこにもし前世とかパラレルなんていう発想まで組み込んだら、それこそ「ひぐらし」のように、過去の全てのとんでもない悲劇的結末の集積があって、はじめて鷹野の陰謀をはねのける事ができた・・・なんていうこと。

これだって無意識の世界ではすべての経験を重ね合わせていくんだよね。

スピリチュアルの世界では、根源ではすべての魂の経験は共有されている、なんていう人もいるけど・・・深い部分の無意識とコンタクトがとれればとれるほど、そうした重ね合わせを今生に活かせる。

「ひぐらし」はそんな発想と近いよね。
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