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☆「量子論」からのやりとり② 「麻雀漫画(アニメ) 咲 -Saki-」初話題

2019年 5月24日 諷虹宅

ちなみに私、虚空は麻雀についてはほとんど知りません。4人が卓を囲んでジャラジャラやっている場面はいろんなアニメにも出てくるので知っているという程度。

どんなルールなのかも知らないですから、用語についてもさっぱりです。
そんな私ですが、諷虹君の紹介の仕方・解説の仕方がとっても良かったので、「量子論」とのからみで人生や教育についての様々な示唆がどんどん来てくれているという感覚になっています。


諷虹 最近、一日一回麻雀をうつっていうのをやっていまして・・・最善手が最善手になるかどうかは「流れ」・・・単純に確率が高い方ってやっても勝つとは限らない・・・勝率はあがるんでしょうけど。

本当についていない時は、敢えて確率が低い方を残してみるかって・・・でもそういう時は、ついてないから結局裏目。自分が選択していない方が来てしまう・・・


虚空 でもさ、何をやってもダメっていう時にこそ構えが問われるよね。どう対処して、その経験をどうしまい込んで、今後に生かすか。

家にあったイチロー語録を見つけて、少しずつ読み返しているんだけど、そういったことに通じる言葉がいっぱいあった。



諷虹 そこの精神論・・・場を荒らさないのが麻雀への礼儀っていう考えもあれば・・紳士的に負けを認めて大人しくしている・・・でも負けを認めたら神に見放される感覚もあるし。最後まで諦めない


虚空 それこそスラムダンクの安西先生だね。
安西先生が麻雀やったらとことん粘るのかな????花道は単に意地でとことんやるだろうけど。


諷虹 特に2位とか3位の時ですね。本人の性格が出ますね。1位をあくまでも狙うとか、最下位じゃなければいいか、とか。


麻雀漫画 「咲 -Saki-」の話題がここで諷虹君から飛び出す。

・・・女子高生の大会 団体戦(甲子園球児を意識している?)原作者は並行的に考えて描いている。女性同士で子作りができるという設定も。IPS細胞(百合要素)登場キャラの半数は 女性×女性 半分以上は同性愛者 法的にも同性婚が可能な世界  麻雀の青春と同性愛

諷虹 ガルパンの姉妹の描き方は咲のパクリだったんではと思うくらいでした。


虚空 声優さんは植田佳奈さんなんだね(笑)気合の入り方が違うんだろうね。、演技を超越しそう。


諷虹 麻雀の「山」・・・捨てたところを「河」っていうんですよ。山と河って・・・それだけでいろいろな考察ができそうなんですけど、例えば山から牌を持ってくるわけですけど、一番最後の牌を海底(はいてい)って言うようになる、とかね。山が突然海の底になったり、捨てるのが河・・・そう名付けた人は一種の箱庭のような感覚で作っていたのかなって。


咲の主人公なんかも、嶺上開花(りんしゃんかいほー)っていうのが山の上に花が”咲く”っていう所が自分の名前と同じって言うことでその役が好きになる・・・というかその役でしか上がらないレベルにまでなるんですよ。実際にはありえない確率ですが。


原作 1巻より
咲 リンシャンカイホー?

照(姉) 麻雀の役の名前だよ
 「山の上で花が咲く」って意味なんだ

咲 咲く?おんなじだ!私の名前と!!

照 そうだね 咲

 森林限界を超えた高い山の上 そこに花が咲くこともある
 お前もその花のように――強く――

虚空 「箱庭」って要するに世界をつくること・・・世界定めだからさ。

麻雀をやったことがないかわ分からんけど、あれって自分の思い通りにとか、意図通りに世界を創りたくても作れないわけだろ?やっている4人がそれぞれの思惑で寄ってたかって作り上げていく一つの世界。それぞれの思惑と運とを重ね合わせて出来上がっていく世界。

量子論っぽいね。

原作 1巻より
この空間を支配する超人的な豪運が・・・人はそれを奇跡と呼ぶ・・・奇跡を可能にするのは・・・・神か悪魔ッ!!


虚空 それこそ江戸人の発想というかね、上原先生が日本人の両義性を問題にしていたことからいえば「神か悪魔か」じゃなくて「神も悪魔も」っていう・・・重ね合わせた存在。

しかもジキルとハイドのようなビシッと分かれている二重人格のようなのではなくてさ、量子論のいうようなフワフワしたというかあいまいな境界の存在が重なっているというか混じっているというか・・・・。そんな両義性。

作者が百合にしたっていうのは、個人的な趣味というか嗜好の問題もあるんだろうけど、もしかしたら無意識の深いところでは、「萌えキャラ風の女の子同士」「母性っぽい雰囲気の女性キャラ同士」が関わり合って一つの世界を作っている・・・っていうのを描きたかったのかもね。
ガルパンみたいに完全に敵・味方っていう描き方じゃない内容なの?


諷虹 試合が終わればね・・・ノーサイドというか・・・。


虚空 悪魔か神かっていうのの見方はどう?


諷虹 相手からすれば悪魔みたいな感じで、味方からすれば神

アニメ第一話
主人公 いつもプラマイ0という打ち方になっていた 圧倒的強いけど本人は麻雀が好きではない
 
虚空 これだとさ、敵とか味方とかいうのとは全く別次元でこの主人公は打っているわけでしょ?勝ちとか負けとかではなくてプラマイ0狙いの奇跡と強運。

量子論でいうと 0 か 1 かではない・・・。両極の間っていうかね・・・第三極以上の発想。プラマイ0以外にだってこだわる観点があるとすれば「無限極」っていうかな・・・。そんな感じ。


だからここでいうプラマイ0も、単に絶対値の等しい両極を合わせたから0になります・・・っていうのとは違うわけだろ?あらゆる状況の中で、そうしたプラマイ0を狙う・・・そこにはあらゆる可能性っていうか・・・自分の意図と相手の意図とのかけひきに、運を加えての重ね合わせ・・・量子ビットのような人知を超えたレベルの重ね合わせをやってのけている。
これって直感?


諷虹 さすがに計算しながらというのも入ってきますが・・・・

姉の試合シーン  相手のすべてを映し出す鏡のような能力 潜在能力をも見抜く力


虚空 この能力ってさ、あのDNAスイッチのように、遺伝子レベルでは既に持っているものがスイッチオンになって目覚めるのか、それとも生まれつきの才能よりも訓練によっての獲得という雰囲気で、って作者は想定しているのか?どっちなんだろうね?


諷虹 タマゴが先かニワトリが先かっていう・・・この能力があってこのキャラっていう風だとは思いますが・・・


虚空 DNAスイッチが入るきっかけとしては食べ物とか薬とか・・・興味・関心とかっていうのがあげられていたけど・・・その中に「量子論的な発想がとれるかどうか」っていうのも大きいんだろうな、って気がしてる。

さっきの将棋の羽生マジックでも、この咲の中でのセリフでも、「これがあたり前」っていう常識とか定石とか、ほぼ100%不可能っていうような想いがあったら、スイッチは入るどころかオフになっちゃう。


それが「あれかこれか」ではなくて「あれもこれも」の重ね合わせ・・・それも単に両極を重ねてもプラマイ0ではない、無限極の重ね合わせの発想がとれれば、どんどん人知を超えたスイッチは入るだろうし、勝手に素晴らしいスイッチをオフにすることもなくなるんだろうね。


諷虹 ビギナーズラックなんかも、勝ち負けも分からず右も左もわからなくて勝っちゃうっていう感じなんでしょうね。

量子論でも99.99%くらいの常識的なことがあって、0.01%の在り得ないこと・・・壁をすり抜けるみたいな・・・でもこれって99%って現実があるからこその1%。

新しい競技が生まれて第一回大会が行われてでは、何が起きても「そういうのもあるか」って思える。でも試行回数が増えることでこれは普通に起こり得る、これは滅多に起きないっていうのが視えてくる。そういう意味で膨大な普遍があるから超常的なことが起きるっていう考え方・・・この前のイチローのでいえば「後から考えると無駄じゃなかった」っていう発想。


虚空 だからさ、問題はそういった試行の積み重ねを妙に法則化してしまうかどうか。良くも悪くもね。良くいく定石から外れようとする子がいたらストップをかけるし、ダメと分かっているようなことに立ち向かおうとしても、ストップをかける。

どっちも法則に反する子としてダメなレッテルをはる。

今季アニメだと「僕たちは勉強ができない」なんていうのがあるけどね・・・

「構え」を問題にして、結果よりもプロセスに目を向ければ、もっといろいろな人生の枝分かれを楽しめるかもね。勝負事で勝ち負けも大事だけれど、それとも違う境地だって認められていいと思うんだよ。

この前から自分をネット上で攻撃してくる男みたいに、苦手だと分かっていても「やってみたい」っていう気持ちをもってやってみようとするなんていうのは、真剣に取り組んでいる人間に対して失礼だし、邪魔なだけ。どうせ周囲にも本人にとっても無駄なんだからやるべきではない、って。もううんざりするくらい持論をぶつけてくるから、もう今はスルーしてるけど・・・


*麻雀の動機として「麻雀の全国大会で勝ち進めばまたみんなで遊べる」という「遊ぶ」がキーワードのメンバーもいる。(強いけれど)

虚空 さっきの人間なんかからすれば「遊べる」なんていう言い方をするのは「とんでもない」っていうことになるんだろうけどね。でも真剣勝負というのを本気でやって、そこにある種の意味を見出している状態・・・それを「楽しい」とか「また一緒に遊べる」って言うと、チャラチャラしていると決めつけるのもね・・・・。
勉強でも、本当に数学が好きだったら、受験数学でも「楽しい」っていうやつはいるよ。それを「不謹慎」っていうのはね・・・もしかしたらそういった境地になれない人間にとっては劣等感を刺激されるのかね。

上ちゃん説になるけど、本来の遊びってさ
 上原語録 「遊び」
・『遊び』は本来、神とたわむれる事。神の世界にどっぷりとつからせる。(平成元年六月例会)
・子ども達を迷わせてはいけない。本来の姿にもどしてやる。そうして自分のイメージを確認すれば十分一人で遊べる。・・・自分の世界を作り囲いに入れるから。(平成六年新年会)
・「能力で何かしよう。」ではなく『持っている能力で遊ぼう。』とさせる。
 好き勝手な事をしないと本当の能力は出てこない。   (平成二年十月例会)

*小学校時代の麻雀教室シーン
虚空 この雰囲気ってさ、本来の感覚でいう「遊び」の雰囲気だよね。
それがなかったら伸び切らないよね。聖徳の英才児なんていうのは、まさにこの感覚で勉強をしているんだろうし、困難と戯れて遊んでいる感覚があるんだろうね。


諷虹 こうやってみると同年代の子とうつっていうのが根底にあるんですね。
それが極まって幼馴染と決勝の舞台で「遊ぶ」ってなっていく


虚空 だからさ、単に「真剣に打ち込んでいる」って言う境地のさらに上をいっているわけだよね。さっきの数学でもそうだけど。

「遊び」ってさ、車のハンドルとかの「あそび」っていう言い方にも使うけど、ガチガチだけの状態ではやっぱり突き抜けられない。それがあるかないかが、頂点になればなるほど影響を与えるんじゃないの?

ロボットコンテストでも、ホンダの役に立たない社内発明コンテストでも・・・ホンモノの学者・・・このところ話題にしている理論宇宙物理学者なんていうのも遊び心とかロマンがないとね。理工系の学者でウルトラセブンとかサンダーバードとかガンダムとかが大好きだった・・・その頃の気持ちをどこかに温存している、っていう人が案外いるようだけど、それもね・・・・

中途半端な優等生って羽目の外し方も知らない。一生懸命に勉強しても、あれこれと試行錯誤もしないで正解だけ覚えようとする。それが最短距離の勉強法だと思っている。

実際に事前のプリントとかワークとほとんど同じ問題しか出さないテストばっかり小さい頃から受けていたらそうなってしまうのも仕方ないんだけどね。

それが中3になって毎月実力テストがあったり、入試になると化けの皮がはがれてしまう。だから大抵伸び悩むよ、上の学校にいけばいくほど。羽目をはずすっていうのは単に気晴らしっていうんじゃないんだよね。

何とか大学に入っても、そこで挫折。丸暗記式での勉強で受験数学が得意だったのが大学の数学科なんかに入ったら悲劇だよね。定理証明定理証明の連続で。

伸びしろを自分でつくり出す力・・・興味とか憧れとか、そんなエネルギーが次々湧いてくる。
そのいい見本が聖徳の英才児じゃないの。



諷虹 スラムダンクもそうですが、主人公の学校は強豪校じゃない・・・甘さとかゆるさもある中での・・・


虚空 そういう人間がいざ本気になると一気に伸びるんだよ。
小さい頃から真面目すぎるやり方できた子は伸びしろがない。

桜木花道だってさ、素行はともかく、とにかくエネルギーの塊みたいなものだろ。あと同じ井上作品でいえばバガボンドの武蔵。野生児のエネルギー。規格外。


諷虹 咲の外伝の主人公(高鴨穏乃)もそうなんですよね。桜の木の上で・・・野生児っていう感じ。地図を持たずに山登り。それで迷わない能力を持っていて・・・。


⇒麻雀の「山」でも、深みになればなるほどこの子についていけなくなる。決まったスタイルは持っていない。相手が強いほど無効化できる。
解説サイト 
決まったスタイルは持っていないものの、牌山の深いところを支配し、その箇所で発動する他家の能力を妨害・無効化するという能力を持つ。発動条件こそあるが、牌山の位置が深ければ深いほどに、対戦者という山が高ければ高いほどに、穏乃の支配は揺るぎないものになる。 
 

天江衣の「海底撈月」を5回中2回も回避した
大星淡の「ダブルリーチ」を回避し逆にロン、カンドラも封じている
白水哩&鶴田姫子の「リザベーション」を一時封じる(和了を遅らせている)

と普通なら確実に和了することが出来るはずの能力を阻止している。そしてこれはサイの目が何であろうと常に牌山の最奥に位置する海底牌・嶺上牌に対しては最大の効果を発揮するため、衣はこの能力によって終盤ほとんど海底牌をさらうことを許してもらえなかったと述懐しており、宮永咲に「しずのを前に峰の上で花は咲くだろうか?」と嶺上開花が出来なくなる可能性を示唆した。 

支配された相手は巨大な存在(船Q曰く「深い山の主」・衣曰く「深山幽谷の化身」)に見られながら霧の濃い山奥を彷徨うような気分になり、支配中の穏乃の様相は蔵王権現のように表現されていた。 
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