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☆ウルトラマンの生みの親を交えての上原先生達対談 を読みながら②

②は主に「作品ジャンルのイメージの変化」についてです。

そこから、今回のやりとりでの最大のキーワードとなる「序破急」が、「起承転結」との対比と共に浮上してきました。

アニメに限らず、「教育での授業の発想」「人生観」・・・それらについて「序破急」で最後まで考察されています。

⇒ これらのやりとりは 京都アニメーション事件 の前に行われたものなのですが、関りとしてはかなりのものがあると思います。

(2019年7月13日 サイゼリアにて  諷虹・コバルトブルー・虚空-2)
諷虹 宮崎アニメとかは世間的な知名度もそうですし、センスとかも特出はしているけど今のアニメっていう感じではないですよね。普遍(不変)的なものとか根源的なものを描いているから時代・世代を超えて愛されている。そこを深く掘って考察したとしても世相のようなものは出てきにくいのかなって

そういう意味では最近は異世界転生モノとか魔法少女モノとかが考察対象なのかもしれません


虚空 あるいみでテンプレみたいなのがあるよね。そのテンプレが分からないで初めて深夜アニメをみたころはさ、そもそも意味不明の世界で「これってどういう趣旨のアニメなの?」なんて聞いたこともあるけどさ・・・。

それを了解した今はさ、ああなるほどなるほどって受け入れられるわけよ。

内容を知っているかどうかよりも、世界観っていうのかな・・・。そこの基本形が自分の中にないと、作品の入り口から中に入ることもできない。

でもね、今の子供のことを本当に知ろうと思ったら、やっぱり新しい型も受け入れないとならないと思うんだよね、ある程度は。


だからうちのオヤジなんかも滅茶苦茶忙しい毎日だったけど、仕事しながらも教え子たちが好きでみている番組はわきでテレビをつけっぱなしにしていたもんね。

もっとも自分は子供に人気のあるアニメでも教師をしていた頃はほとんど観ていなかったけど・・・セーラームーンなんて本当にスルーして、いつも子供らに叱られてたから。

「魔法少女もの」だってそうだよね。昭和のイメージの魔法少女っていうか「魔女」「魔法使い」とかは「サリーちゃん」とかそんなもんだよ。でも今、魔法少女モノっていったらとんでもない展開になるんやないか?って警戒しちゃう。

ジブリで魔女といえば「魔女の宅急便」だけど魔法を使う少女が出てきてもあれを「魔法少女モノ」っていう人はいないじゃない。

もう少し新しいアニメだったら「ふらいんぐういっち」とかだよね。ストパンだってウイッチが出てくるけど「魔法少女モノ」っていうと違和感がある。
そのあたりの感覚って世代によって極端に受け止め方が違うよね。

そうするとさ、金城さんたちとの座談会ででているような「場面認識」なんて本当に違っていると思うよ。

そしてそれは「世界の認識の仕方が違っている」つまりは「意識世界の構築の仕方そのもの」が違っているんだから、本当に丁寧に調べる必要があるんじゃないの?
自分達の当たり前とはかなり違っていると思わないと・・・それをこちらから理解しようとしていないで、自分達の感覚と比較して「今の子はわからない」とか「今の子は歪んでいる、異常だ」なんていうレッテルばっかりはってどうすんだ、って言いたいよ。

諷虹 (最近の)アニメを観ていない人にそのアニメを使ったたとえ話をするとして、「このアニメにはこういう表現があって、(それが〇〇と繋がるかも)」って頭でっかちな情報を与えてしまうと逆に捉えられなくなるんじゃないか、って。


虚空 素朴に感じるのはさ・・・どうしても内容を知りたがるんだよ。でもね、この座談会記録をよんで自分を振り返った時に「ああ、自分がこだわっていたのは内容じゃなかったんだな。型だったんだな」って。だから「思考」とか「型」とか「構え」っていうのをずーっと言い続けているし、それらとのせめぎ合いで感情やイメージ運動がどう関わっているのか・・・それがいつも関心事だったから。


コバルト やっぱり「序破急」なんですね、盛り上がるところが破の部分、韓国ドラマでは露骨に破(ありえない)(どんでんがえし)を使いまくっている・・・


虚空 以前自分の教え子で3コマ漫画がすごく面白く描ける子がいたよ。で、職員室でも話題になったんだけど、「この子は3コマなんだね。もし4コマで描いたら、っていってもダメなんだろうね」って。「この子の頭の中は3コマなんだね」って子どもの世界に目をむけることができる先生方はそんな風に話していたよ。

そもそもさ、4コマの方が中国の漢詩から入ってきた型じゃない。「起承転結」って。

「序破急」は室町時代の能楽だとかではっきりと位置付けられた日本人の型だよ。



コバルト 起承転結でやってしまうと、そこからの広がりってなかなか難しいですよね。序破急だと破の段階でいろいろな流れが考えられる。いろいろなストーリーの展開が。


諷虹 起承転結の「転」じゃ、ここは次にこうなっておさまる、っていう方向性がかなり決まってしまいますけど、「破」だからどこにも行ける。


コバルト 序破急だと破の部分が破壊だから


虚空 起承転結の方が論理的っていうのか、筋道がはっきりしてしまうから「予定調和」の展開になるやすいということかな。

だって、あまりに矛盾していたら「何これ?つじつま合わないじゃない」とか・・・ちぐはぐでデタラメな話だと思われちゃうよ。


諷虹 4コマ漫画だとだと「起」・「承」・「転」の間で伏線をはれているんですよね。その伏線を回収して落とすみたいな。

そのテンポが序破急だと伏線をはる暇がないっていうのか、まず状況を説明して今の状況をぶっ壊して、急展開みたいな


コバルト ある意味で投げっぱなし。


諷虹 このあとはご自由に、みたいな。
起承転結はあくまでも型を作って、それを中身まで綺麗に仕上げる。
序破急は型を破って、様々な可能性に飛躍していく・・・やはり守破離と通ずるところがありそう


コバルト 「承」だと「承認を得る」なのが、「破」だと「破壊する」・・・


諷虹 決まりきった最後を拒否するみたいなね。「破」されたからこそどんな展開でも生まれうる・・・タロットの「塔」と同じですね


コバルト (図示したものと漢字の意味をもとに解説しながら)全然構造が違う。


虚空 かつては映画監督になりたい、っていって映像を編集していた・・・カットの積み重ねで世界をつくっていったんだよ。

でもさ、今は1枚イラストだろ。一枚の中で世界をつくりあげなければならないわけだよ。できればキャラ達が動いていた、そしてこのあとも動き続けるって感じさせるような世界をつくるのが理想。これって全く違う感覚だよね。

諷虹 一コマ漫画ですね。


虚空 風刺画なんていうのもそれだよね。とにかく一枚で広がりをもつ世界をつくる。
一枚のイラストではあっても、過去や未来、背景なんかを想像させる・・・そういうスイッチをいれるような設定。


諷虹 結局「起承転結」っていうのは結んじゃっているんですよね。でも「序破急」は結んでないんですよね。

コバルト 序破急っていうのはストーリーが広がっていく、あらゆる可能性の爆発が起きる。(絵画のたとえを話しているようだが聞き取れない)


虚空 そこがさ、4コマでのストーリー漫画だとさ「結」のところが完全に「結」じゃないじゃない。次の「起」につながらなけりゃいけないじゃない。
だから全然違うよ、昔の4コマ漫画とは


諷虹 新しいフレームアームズガールが起動して終わり・・・新たな展開をにおわせて終わり。
そういう意味ではバンブーブレードは序破急だったと思うんですよね。たまちゃんが榊心と闘いはじめたところで(連載が)終わる。あれはかなりネットでたたかれていましたけど。あれは受け手側の受け取り方


虚空 そうだと思うのよ。スラムダンクの連載終了だって同じようなもんじゃない。


コバルト (対談記事よみあげ)
『 司会  これまでのお話は、一つ一つ強烈な場面というものを子どもがたいへんに要求しているということ、すなわち、寸断きれた楊面の要求ということでした。』

どこなんだ、ワクワクさせてくれるところ。一つ一つが強烈・・・
やっぱり序破急で「こうなるんじゃないか」「ああなるんじゃないか」それで子どもを楽しませる。

麻雀牌とおんなじで完成形じゃないから、いろいろなのがグルグルグルグル産まれてくるわけですよね。


諷虹 「結」だと結局「完結」しちゃっているけど、「急」だとまだ。


虚空 昔と今のすごい大きな違いの一つは、全部拾わない。エヴァンゲリオンもそうだしまどマギ(魔法少女まどか☆マギカ)もそうでしょ。

だから普通のおじさんたちも飲み屋で議論して社会現象にもなったって。
昔だったら途中ではられていた伏線がすべて回収されたわけだよ。最終回ですべての謎も明らかにされてオシマイ。
でもある時期から全くそれを気にしない風潮が広がった。


宮崎駿だってそうだよ。特にハウルあたりからはっきりと公言してた。だからいろんなことがあいまいなまま映画が終わっていることに対しての批判に「人生すべて謎が解きあかされて生きているわけじゃないのに、何故映画は全部分かるように説明しなければならないん」っていうような反論をしていたよ。

でも今は謎が謎のまま終わっているのばっかりだよ。

それが逆に想像する余地を与えている。劇場版まどマギだって、分かりやすく作っていたらあんなに観客動員にならなかっただろ。

「面白い」でも謎だらけ・・・だから知り合いといろいろ議論して、それを確かめたくてまた劇場に足を運ぶ・・・そうやって何度も何度も観た人が多かったわけだよね。

ただ、面白くないのに訳の分からない作りをしていたら、もう一回きりしか観てもらえないし、そういった感想があっという間にネットで拡散して、閑古鳥。
面白くて、でも一度や2度じゃ分からない・・・分からないから面白い・・・そういう作り方が求められているのが現代だよね。

いい意味で荒いシナリオ。昔だったらそんな荒いシナリオを書いたらすぐにダメ出しだったと思うけど、今は十分に練られた荒いシナリオ。


もっともね、作者の御都合だけで進んでいくシナリオはどんなにベテランが書こうが、感動的なテンプレを使おうが、ダメなものはダメだけどね。


諷虹 その方が2期3期が作りやすいっていうのもありますよね。


コバルト でも宮崎駿は2は出さないですよね。


虚空 今の世の中でひどいのは、2期3期が作られない場合が結構あるのに、もしも作られたら、っていう前提ですごい中途半端な最終回になることも多いじゃない。

シナリオとして計算された上で謎がすべて明らかにされないで終了、っていうんじゃなくてさ。絶対これは普通に来週だって続くでしょ、なんていうところでオシマイっていうのがザラだよね。

仮に次が作られても、何年もたってからとかね。もうそれを熱心にみていた世代はアニメを卒業してたりするし、新たな世代は昔の作品を知らないのに、あたかも先週の続きをみせられるかのように作られている。
「とある魔術の禁書目録」なんてそうじゃない。


諷虹 7~8年ぶりですね。


虚空 昭和の頃にね、新たにリメイクで何年もたってからというのはあったけど、普通に前の続きとしてそんなに開けられてみ。大変だよ。

それとさ、劇場版が作られる時だって、初めての人にはほとんど配慮されていないというのも主流だよね。そりゃさ、東映まんが祭りのような感じで作られたのは、テレビ放送の話との連続の中でつくられたっていうノリだから、それをよく知っているという前提でつくられていたけどさ、最近はアニメでやったすぐあとじゃなくて、随分たってからもそんな作り。

テレビシリーズをみていた人だってそんないない、いても忘れている頃に、いきなり続きとして映画が始まる。


コバルト 場面っていうのは、そこに「旬」が存在するかだね。


虚空 今は1クールで最終回があたりまえになっちゃっているから・・・12話完結。
そうすると今の若い人達にとっては12話完結が普通なんだよね。2クールなんで随分長く感じる。

それはさ、幼い頃はアニメをみていたけど、その後数十年アニメの空白期間があって、数年前から今風のアニメで再デビューした自分だってそういう感覚になっちゃってるもんね。

昭和の頃はストーリーアニメでも半年どころか1年2年があたり前だった。そのくらいじっくりと描かれていた。タイガーマスクにしたって、非常に丁寧なヒューマンドラマとしてのシリーズになっていたよ。全105話だもんね。今で換算すれば約9クール。丸2年の放送だよ。
そんな頃だったら、12話なんていうのは、まだまだ序盤も序盤。

だけどさ、今は・・・自分もそういうところがあるけど・・・第一話とか、第一話の前半だけでもうその番組が面白そうか、これからも観ようかを判定しちゃうもんね。
例の第三話のことがあるから気の長い人だったら、とりあえず3話までは我慢して観てそこで決めようとかね。
でも3話まで観るっていうのは多くの場合はもうそのシリーズの4分の1はみたということになっちゃうわけだよ。

そうするとね、いろんなキャラのことをじっくりと掘り下げることもできないし、ストーリーにふくらみを持たせることだってできない。
この前、セーラームーンシリーズがリメイクされたけどさ、新作はなんだかただのダイジェスト版っていうか「あらすじ紹介」くらいにしか感じなかったから途中でみるのをやめたもん。
(補足 ダークキングダム編 旧作全46話  新作のクリスタル 全14話)

諷虹 昭和のって「2」として作られると急につまらなくなったということがありますよね。全然話がちがっちゃってて。


虚空 それは随分あった。だいたいね、人気のあったものの「2」の時は人気だけをあてこんでいるから滅茶苦茶予算が削れれていて雑な作りになっちゃうのが多かったしね。
もちろん2も良かったっていうのはあるけど、がっかりする方が多かったよ。

タイガーマスク2も一話でみるのをやめた。これは作画がひどいというよりは設定がひどかったから。あれだけのヒューマンドラマがさ・・・孤児とか底辺の暮らしを懸命にしている人たちの為に命をかけて闘う・・・っていうのがさ、「宇宙プロレス連盟から日本プロレスを守るために闘う」なんて。


諷虹 今はそういう意味ではちゃんと 2期だな っていう作品も多いのかなって。


虚空 好評だった雰囲気をそのまま持続してくれているとかね。「からかい上手の高木さん 2」はそのタイプだよね。

同じような雰囲気で同じようなスタッフがやったのに趣旨をかえてちょっと自分では納得いなかかったのが「ゆるゆり」とか「イカ娘」かな。

2ということを意識して変えすぎちゃダメだよね。特にコアの部分は。そこを面白がってみんな観ていたんだから。

劇場版の「モーレツ宇宙海賊」だってそうじゃない。
コアの部分まで変えたかったら、いい意味で裏切られた・・・これもアリで面白かった って思わせるくらいの絶対的な自信がないとね。
そこが中途半端だと肩透かしをくらった感じになっちゃう。

そういう意味では本当に世代によって「あたりまえ」の基準がちがうよね・・・でもその違いを意識したり認め合ったりしないから、互いに「わけわかんない」とか「あいつは宇宙人だ」っていうように壁を作ってしまう。

昔も今も変わらない「人間の認識のしかたの通性」も一方ではあったんだけどね。

昭和の時代だってそりゃ世代によって全然認識法は違ったんだから、子どもの時に戦争中だった世代、テレビという娯楽はなかった時代、テレビで育った時代・・・そういう3世代が同じような人口構成で同居していたのが昭和だから。

だから結構「通性」と「違い」とを認識しあえていたかな。
テレビも一家に一台で、嫌でも何でも居間にいれば他の世代がみている番組が目に入っていたから。
でも今は家族の中でも誰がどれを熱心にみているのか分からないことだって珍しくないじゃない。ましてテレビじゃなくてスマホの動画サイトでみてる、なんていったらね。
尚更世代だけじゃかくて、同じ年代でもバラバラ・・・通性が失われていると思うよ。

まあ、そのあたりのことが、座談会記事の後半
「教育的であるということは、内容ではなく形式である!!」
の内容と深く関わってくるとおもうんだけど。


*コバルト君、上原先生のある発言に注目
コバルト 今見つけた!上原輝男の発言で
上原『私は浸画家の才能と言うのはテーマなり、内容的なものをどう配分するかというのではなく、新しい形式を見つけることだと思う。さっき言った起承転結とはちがった、転々承々か何か知らないけれど、何か他のパターンを見つけることであり、そうしたときにこそ内容が盛り込めたというのだと思う。』


承々転々これが「序破急」っていうことになるんじゃないかな。そういう言葉にはなっていなくても。


虚空 こうした型を持っていると、起承転結型よりも、周囲からみると突拍子もない人間にみえてしまうんだろうね。
でも本人の中には、壊すことも含めて何らかの必然性がある。
その基準が一般常識とかけはなれていればいるほど、「変なやつ」で片付けられてしまうわけだよね。
それこそ人知を超えた神の領域に踏み込める人間ほど、はみ出したり浮いてしまう。

上原先生が、この座談会でこういう発言もしているじゃない。

上原 『 ……ところが僕なんかはね、実は意外ではないんだという考え方をしている。

つまり、作られるべくして作られていった作品であって、川上から桃が流れて来るのも、驚かしてやれなんていうでまかせじゃなく、日本人にとって完全な意外性でなく、予期されるところの意外性なんだな。

日本人の感覚にぴったりした意外性であるから、あの話は今日まで伝承されて来た。子どもにとって、完全な無縁性ならぱ、その作品は当たらない。わからないということになってしまう。期待される意外性でなくては、やっぱりダメなんだと思う。 』


虚空 日本人の感覚をキープしている・・・心意伝承とか集合的無意識とか神の領域とか・・・そういう世界と無意識に交感できている人間にとっては「完全な意外性」ではない。だから難波先生の言っていた「別のものをみている」というような・・・そういう世界が見えていれば、一見突拍子もない意見や行動にでる人間に共感・共鳴できるんだろうね。

「ああ、君はこういうところが見えていたから、こうしたんだね、こう考えたんだね」って。

だからさ、ネット上のアニメの感想なんかでも、ちょっとでも自分の感想と違うと、問答無用でバッサリと批判するのだって、そういう受け止め方をした人は、どういう世界を見ているのかを、推察しようなんてまるで思っていないわけだから。

それこそ自分の観ているこどだけが全て・・・周囲の人も同じものをみているハズ・・・なのにずれたことを言うのは訳のわからんやつだからだ・・・って、そういう理屈で他人を完全否定してしまうんだろうね。
誰かの本にも書いてあったけど「しょせん人間は 自分の器 というもの以上のものは見えない、分からない」って。
器がちっちゃければちっちゃいほど、他人を否定してしまう。

英才児なんていうのは、先にどんどん器を広げていくことができるんだろうよね。論理性とか知的好奇心とかもあって。

だから受験指導の目先の知恵から生まれた「理系文系」なんていうあんなくだらない分類なんてはおかまいなしに、自分の中に勝手に壁もつくらないでいられる。いわゆる「理系か文系か」じゃなくて「どっちもおかまいなし」って。

それが教室の掲示物にもあらわれていたわけだよね。同じ子が恐竜のいる空想いっぱいの絵と、ものすごく緻密な飛行機のメカを描いているような・・・どっちもできる。

(補足)
このあたりのことが、今回の「京都アニメーション事件」の背景にもなっているのではないかと考えています。
*コバルト その直後のラインでの書き込み
「重力エネルギー」
引用
天体の重力圏内で、物体が持っているエネルギー。物理で習う「位置エネルギー」と同じです。
天体に向かって物体が「落ちていく」エネルギーといえます。
その天体から物体が離れているほど、物体が重いほど、 そして天体の重力が大きいほど、重力エネルギーは大きくなります。
分子と分母がひっくり返ると言っていた原理の裏付けで、やはりこれも序破急(スパイラル構造)。
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