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☆ウルトラマンの生みの親を交えての上原先生達対談 を読みながら④

④はお店を出たあと、まずは駐車場での立ち話。
そこからさらに別の場所に移動して、そこでの立ち話記録です。

店内でやりとりしたことをもとにして「量子もつれ」との関連や「英才児の特性」や「教育に関するあれこれ」と話題がめまぐるしく錯綜しますが、ここ数か月のやりとりを凝縮したような部分もあるので、是非読んで頂けてたらと思います。
(2019年7月13日 サイゼリア駐車場にて  諷虹・コバルトブルー・虚空)
*店を出ての駐車場にての一部 
(ある歌手の話題から発展して)
コバルト 歌で嘘をついていても何も響いてこないし。確かに上手だけど、それだけだよね、って。
諷虹 きれいごとしか書いていない。思ってもない耳障りのいい事だけを並べても共感は得られないですもんね。まさに歯の浮くような・・・
虚空 業界用語で「評価基準」っていうのがあるんだけど、人間のための評価基準じゃないんだよね。

今の学校教育を変えようっていってもなかなか無理なところはあるんだけどさ、そうじゃない基準の世界だっていくらでもある、っていうことは広めたいね。そういう場もなかなか作れないからせめてネットでそういうサイトを、って思っているわけだけどさ。

教師を目指すような若者とか、若い先生なんかも本当は駿煌会のブログなんかをみてくれるといいんだけどね。

こんな切り口で人間や教育について語っている連中もいるのか、って知ってもらうだけでもだいぶちがうから。
別に受け入れてくれんくたっていいんだよ。でも今の教師の研修とかとは全く違う切り口。
*さらに別の場所での立ち話 一部
・上原先生を伝えるということ
虚空 上原先生のことをより深く理解するためにも、ちょっと違う角度のことも参考にしてみる

コバルト こういうやりとりを通して目を通していくと、ちょっと違和感があって「?」ってなるようなものも・・・

諷虹 アンテナが増えていくというかね。今までキャッチできていないでスルーしてたことに引っかかれるようになる

虚空 この前のNanba先生とのやりとりでも「観ているところが違う」っていうことが出ていたけど、やっぱり上原先生の話を理解するためにはね、いろんなアンテナを自分で持って感度をあげていかないとね。

自分の器だけで上原先生をみちゃうとさっぱり分からないし、分かったつもりでとんでもない誤解をしちゃうわけだよ。

発想の次元そのものが違うんだから。非常に高次元で発想しているんだから。

だからさっきの座談会の記録にしたって、アニメや教育とかに全く興味がない人が読んだら、子どもに受けるための番組作りの話なのか、程度にしか受け止めないじゃない。

でも違う観点をもっている人が読んだら「これはもっと深い意味が隠されている。人間や教育の根源に迫るやりとりだ」って思える。
実際に二人だってそういう観点でさっきサイゼリアで「世の中のつかまえかた」とか「発想のパターン」とか「人生」とかそういう観点からいろいろと意見をいっていたわけだしね。
(略)
*聖徳の「おうち作文」3年2クラス分 6年1クラス分をよんだ虚空の感想


虚空「3年生でもおうち意識のポイントについてしっかりとつかまえているよ。客観的に分析して書いているんだよ。一通り網羅するように。
で、それをきちんと列挙して説明している感じのが多いかな。

そうするとね、ずっと前にいろんな学校の子に書いてもらって、それぞれに出てきたポイントを拾い上げて重ね合わせていったわけだけどさ、そんな作業をした段階は、子どもら自身で通過しようとしているよ。構造化されていないだけで。

じゃあ、授業で何がポイントになるかっていったときに、自分の今の考えは、さっきサイゼリアで読みかけたあの2号の座談会のようなことになると思ってるんだよ。


コバルト テンポと場面?


虚空 もっと後半。さっきはそこまで読まないでやりとりしていたんだけど、後半教育の常識をひっくりかえすような提言をしているんだよ。なんて50年くらい前の座談会なんだけどね、あれは。

諷虹 このタイミングでその記事に注目するきっかけがあったっていうのは・・・
虚空 そうなんだよね。
諷虹 学生の時に読んだ以来、って言ってましたよね。
虚空 そう。

諷虹 50年分のタイムカプセルをあけたみたいですね。
(略)
コバルト でも、そんな風に文字として残っていたものがこうして50年たって生きてくる、っていうのはね。すごい。

虚空 駿煌会のやりとり記録も後世に何か生かせるといいよね。ずっと先になっても。
改めて上原先生のすごさが分かるよ。だってあの座談会の時点で先生は41歳くらい。今の自分より20歳近く若い頃だよね。

話している内容もすごいけど、やっぱりその切り口とか、発想そのもののすごさ・・・立ち位置の次元が違う。
だから話している中身を分かろうとする以前に、少しでも自分自身の次元をあげる努力をしないと、「分かったつもり」で結局は自分の器でしかわからないんだから、分かったことにならないよね。

だから先生のことを後世に伝える、っていうときにも気をつけなければいけないのは、下手に自分の解釈で「これは大事、これはまあいいか」なんて決めつけないことだよね。それほど大事じゃないと思っていたことが実はすごく大事だったっていうことだって普通にあるわけだから。こちらがすごさが分からないだけで。

だから「事実」としての先生の言葉をきちんと残す必要があるわけだよね。
でもさ、教育分野に限らず心意伝承とか、とにかく先生の業績ってとんでもなく広範囲なんだよね。

そしてさ、ここも重要なんだけど、先生の頭の中では全部つながっている。それを重ね合わせて考えようとしないと迫れない。
それは一人じゃできないよ、とてもじゃないけど。
だからいろいろな分野の人たちが上原先生の業績を残すためにそれぞれの関心で行って、それを全部まとめて、っていう形にしないとね。

おんなじように、さっきの座談会記録だってね、自分一人で読んだら反応するところは当然偏るわけだよ。

諷虹 (虚空と)二人で語り合ってたとしてら、「序破急」は浮上してこなかったでしょうね。起承転結にしか目いってませんでしたから。


虚空 直接「序破急」という言葉は出ていなかったしね。だからこれはコバルト君がいればこその観点だったよね。


諷虹 序破急から一気に広がった感がありましたよね。


虚空 だからさ、そういうところから聖徳のおうち作文だって読んでいかないとならないと思うんだよ。
単に内容がどうのこうのじゃなくて、いろんなつかまえ方をする人たちの感じ方を重ね合わせて。
一人だけでは、どうしてもそれぞれの関心事によって受け止め方が180度変わるから。
それは聖徳に限らずそうじゃない。同じ作文とか、同じ発言とか・・・もっと言えばうちのクラスで褒められる子は、教師主導の考え方の先生には問題児扱いされてしまうとかね。


コバルト 普通のそういった授業って「シナリオ通り」ですよね。


諷虹 4コマ漫画タイプ


虚空 だからさ、自分はさっきの言い方をすれはいい意味での「序破急」を期待していたんだよ。予定調和の発言ばかりじゃなくて、あわよくばこちらの意識も打ち破ってくれるようなね。


コバルト 4コマ漫画って先が読めるじゃないですか。
諷虹 オチがみえる。

コバルト パターンができてるわけで、それに当てはめているだけ。結局「起承」の「承」って「承認」だから「そうだよね、そうだよね」でみんな同じになっちゃうんですよね。
「序破」だと「破」の部分が「量子もつれ」なんですよね。


*「鳥瞰」の話題
虚空 この前の6月1日のNanba先生とのやりとりも早く文字起こしを進めたいんだけどね・・・

諷虹 鳥瞰の話も出ましたしね。(聖徳・地理教育)

コバルト 鳥瞰っていうのも結局は意識じゃないですか。場面がたくさんうかんでくる広い意味での場面じゃないですか。

虚空 実際に自分が鳥になって眺めているわけじゃないからね。その視点だったら、って想像していることだよね。
しかもさ、あの時に話題にした鳥瞰は、ただ見下ろしての鳥瞰だけじゃなくて、「現実には見えないようなものまで時空を超えて見えた」っていう鳥瞰だからね。

参考1
::::::::::::::::::::::::::::::::::
*ここでいう「鳥瞰」は シノハユ (9巻) 麻雀漫画「咲」の外伝作品 に登場。
(対戦相手が気合を入れなおす)
「風が凪いだような・・・この感じ・・おかあさんと打ったときにもよくあったな。
(回想)
慕「ああいうときどうするの?」
母「どうするの、って、そうねぇ・・・麻雀に限らずすべてにおいてだけど、まよったら一歩ひいて周りをみてみるの。」
慕「麻雀だと一歩引いても見えるものはかわらないよ」
母「おっしゃるとおりですけど、なんというか、卓上より広く見て、他の打ち手のまとう空気、それぞれのバックボーン、自分のバックボーン、世界全体をみるのよ。
たとえば~・・・なんかこまったときにね、おじいちゃんの外国の友達にバイオ研究者がいたなぁとか、北欧人のお金持ち女性がいたなぁとか・・・冷蔵庫にアイスクリームのケーキがあったなぁとか・・・」
慕「あるの!?」
母「ああ・・・口がすべった」
慕「やった」
(回想おわり)


⇒11巻についての諷虹・虚空やりとり(5月26日)
諷虹 この時は一瞬だけ垣間見る・・・能力に目覚めかけるんですけど、それが丁度昨日発売された最新刊(11巻)で、滅茶滅茶絶望的な状況にたたされたときに水底にいるような描写が描かれて、羽根の描写がこのあとでて、空中高く浮かんで、今の試合だけじゃなくて他の会場の様子だとか、今まで戦ってきた人たちが今何をしているのかが、同時に見えるんですよね。まだ登場してきてないキャラもいたりして。・・・それで今の局面がみえてきた、って。

虚空 さっきのお母さんの説明でも感じたんだけど、一歩ひいてみるものの実例が、常識的にかんがえれば全く関係ないようなものもいっぱい含まれているよね。
今の対戦中のだって、局面に直接関係ないものも同時にいっぱいみている。
その中で「局面に関係ありそうなのはどれかな?」って考えているわけじゃないんだよね?関係なさそうなものも含めていっぱい観て、それが重なりあったところから局面を直観しているような感じに受け止めたんだけど

諷虹 まさにそうだと思うんですけど。どっちかっていうと対戦相手のことはあまり観ていないですからね。麻雀中でない人のことの方が多いくらいですからね。
「見えた!」っていってみているのは会場の外の風景ですからね。

虚空 だからさ、最近教え始めた高校生にもよく言うんだけど「理系文系」なんていうつまらない仕切りなんて取っ払って・・・できれば自分が今まで関心のなかったような分野とか、絶対関係なさそうなものからヒントを得よう、っていう姿勢こそが本当の意味での実力・・・生きる力になるんだ、って。まだ「類化性能」っていう言葉は紹介していないんだけど・・・。

さっき「垣間見る」っていう言葉も使ってくれていたけど、チラッと垣間見たことの意味が「なんのこっちゃ?」っていう事の方があちらの世界からの深い意味が内在していることが多い、って。
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
参考2 「英才児 その神性と野生」 葛西琢也 著
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
P177 三、トランスフォーメーションの適応 -見立てー
想像的上昇は私たちに鳥瞰の視点をもたらす。大地から離れることなくして、上空から地上を見下ろす視点、のぞきこむ視点を獲得することになる。そのとき既に時空の転換、トランスフォーメーションが発動しており「世界定め」が成立している。(後略)
:::::::::::::::::::::::::::::
*国語以外の教科との関連
コバルト 違う教科をみるっていうことは、自分の「起承転結」におさまらないっていうことだから、壊すための「破」が必要になってきちゃう。

虚空 普通の公立小学校の学級担任はそれをあたりまえにやっているわけだよ。でさ、例えば国語の授業ではこの子はあまり意欲的でない、っていうのが、理科とか体育とは違う授業の時には全く違う顔をみせるとかね・・・「この子はこう」っていうのをぶっ壊すようなもんだよ。
もっともそういう見方をしない先生も現実には多いけどね・・・残念ながら。

でもそれをきちんとしなければならないのが小学校の先生の役目なんだよね、上原先生がよく言っていたけど、小学校の教科内容を上手に教えられるかどうかが小学校の先生の専門性ではないと。

いろんな教科とか活動の場面の顔をみることができるんだよね。それらを重ね合わせて一人一人の子供をつかまえることができるのが学級担任にしかできないことだよ。

聖徳とか中学校・高校だって、本当だったら学年の担当の先生たち全体が、一人の学級担任であるかのように横の連絡を密にする必要があるんだけどね・・・これは学校によって極端に違うと思うよ。


諷虹 重ね合わせですよね・・・量子論的な。


虚空 実際には自分が担当している教科だけでアップアップになっちゃうんだけどね。

コバルト それが起承転結の並びになっちゃっているっていうわけだから・・・。それは(量子)もつれが起きないっていうことだから・・・。自分が今まで目にしていたものでしか、目がいかない。どうしてもそうなっちゃう。もつれる、って大事。
補足)・・・NHKの番組 コズミックフロント NEXT「にゃんこ博士が説く? 量子が教えてくれる宇宙の謎」 より
量子論で初期に言われていた「量子もつれ」よりも拡張した概念の「量子もつれ」の方でコバルトブルー君は使っている。
初期の「量子もつれ」
もつれている二つの量子はどんなに離れていても片方の性質が決まれば、もう片方も自ずと決まるというものです。
最も進んだ「量子もつれ」
アメリカ 量子コンピュータ―の物理学と、宇宙のなりたちを考える物理学が合体をして面白い研究が進んでいるといいます。
「量子コンピューターの科学者たちが編み出したテクニックは私達が時空について考えるときに、大きなヒントになります。
たとえば重力と量子力学の関係を考えるときに、量子コンピューターの理論が役立つのです。⇒ブラックホールと量子力学 
そのキーワードが量子もつれ。
「最近の研究で量子ビットが十分に強く相互作用した場合に、重力が働く宇宙が生まれることが分かりました。
相互作用がなければ 重力も宇宙も出てこないのです。」
コンピュータ―の中で使われている量子ビットがもつれると宇宙が生まれるという
「量子ビットを1本の糸だとすると、それが量子もつれによって複雑に織り合わさり、時空という布が出来上がるといういうイメージです」
⇒ここから諷虹・虚空の二人はほぼ同時に「君の名は。」を思い起こす・・・紐に関しての祖母の解説セリフ
さらなる補足)同番組ですぐあとに出てくる次の言葉・・・古来日本人の「この世(現象世界)はうつしよ・・・目に見えない世界の方に実体はあり、それが投影されているようなもの」という見方と通じるような内容。
「宇宙で起こることはすべて、この外側のスクリーンに描かれているようなものです。
現実の究極の記述はこのスクリーン上にあります、量子ビットの一種だと考えてください。
それが動画のプロジェクターのように3次元世界の幻想をつくり出し、私達が経験しているのです。」
つまり、3次元のぼくらは本当は量子ビットに記録された2次元情報でしかない、ということ。それが量子もつれのおかげで3次元のこととして写し出されているということ」
⇒別冊 Newton 「次元のすべて」2019年1月5日発行
P154~「空間は幻なのか」(ホログラフィー原理)
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
諷虹 観測するって焦点が合うっていうかな・・・合わない状態で見るのが俯瞰とか鳥瞰的な感じですもんね。

コバルト 桜井章一も本当に強いなと思った相手は「視点が定まっていない人」。こいつは何を考えているんだろうっていうような


虚空 古武術のポイントもそうだっていうように言っているよね、甲野さんが。あとはあの忍者の大先生・・・空手の達人が全く手だしできなかったというのも、これだよね。


コバルト つかみどころがないんですよね。つかみどころがあれはつかめて、起承転結のシナリオ通りにもっていけるんだけど・・・・「ああ、こいつはこうやっていくんだな」って読めたりするわけです。予想できるんですよね、ある意味。

諷虹 到達地点がみえるから妨害ができるというか
コバルト そうです

諷虹 それがどこを目指しているのが見えないと何処で邪魔していいのかもわからないで、下手すると自分だけが転んじゃう。


虚空 そういう意味では(麻雀漫画 咲 の主人公)宮永咲が「何でこんな打ち方を?」って周囲に思われてしまう場面って、よく出てくるじゃない。時には「こいつ、全くの素人か?」とか「まるで空気が読めていない」とか。

諷虹 プラマイゼロを狙っているなんて普通思わないですからね。

虚空 勝ちにいくようになってからだって、そうだよね。それで周囲が勝手に錯乱していくようなところがあるよね。で、最後になって「それが真の狙いだったのか!!!」って。でもその狙いへの筋道の立て方が、普通の全国レベルの打ち手でも見抜けない。
全く違うところを見ている・・・・さっき出てきたことだよね。
だから「化け物」なんてまで評される。
逆に和(のどか)なんかは、ネット麻雀で鍛え上げて全国レベルになった口だから、強いのは強いけど、人知を超えた化け物みたいな脅威を周囲に抱かせる場面はあまりないよね。

*序破急 の 破 の発想から

虚空 風を吹かせるというか、暴風を吹かせるくらいの存在っていうのも時には必要になるわけだよね。大きな転換期には。
そういうのと 上原先生の犠牲論 がつながっていると思うんだけど・・・


コバルト そういうのがないと(結果として)虹は立たないから。結局「虹」の部分って何なんだって・・・


諷虹 諷虹ってどっちの部分も含んだ名前を駿煌会では名乗っていながらその要素が・・・

コバルト こんど公開される(新海誠監督新作)「天気の子」、あれだって 虹 っていうのが大切な・・・

結局「不幸」か「幸」かっていう・・・その反転がね・・・「回転」が起きている、ってね・・・
(注 別の場面で 卍マークが相反することの回転の象徴という発言をしている)
虚空 そういうのって「相転移」っていうのとからむのかね・・・自分は数学でも「位相学」っていうのは入門程度にもあんまりかじったことがないからよく分からないんだけど、「相転移」っていうのも語彙として使えるようにはなりたいな、って思っているんだよね。
ちょうど上原先生が「構えの変革」とか「時空の転換」とか「世界定めの軸の設定変更」なんかを「トランスフォーメーション」なんて呼んだような感覚で。

諷虹 まあ、 Sin だって90度ずれれば真逆になったりするわけですからね。


虚空 やっぱり「位相学」だとか「線型代数」とかもう少し真面目に向かい合わないととは思う。人間の考察のためにこそね。

上原先生の考え方っていうのもさ、漢語を使ってっていうと、どうしても世間的には難解でわけわからないとか、誤解されやすかったりするわけだよ。「言葉」からの印象で、それこそさっきの言葉で言えば「上原輝男がどこをみているか全くわからない」って。
つまり先生の使う「言葉」が、通常の使い方と違うっていうか・・・「どうしてこのことをこの言葉で言い表すの?」って思われてしまう。
そういったこれまでの世間の常識が、大きな壁を作ってしまう。

だから逆に理系用語・・・トランスフォーメーション・・・とかっていう言い方の方が、普通の言葉の意味にほとんど引きずられないから、カチッと言い当てられるのかもしれない。
よく先生がさ、授業の狙いを「漢語」で言い当てろ、って言っていた。それはあいまいさがなくなるから、って。授業の焦点とか狙いがビシッと定まる・・・自覚できるから、って。
理系の論文なんて特に英語で書く慣習が専門家の間ではある、っていうのもそういった面があるわけだろ?

中学生や高校生に 人間の心とか意識の問題 を考えてもらうときに、ずっと以前から数学とか理科の例えを使うようになったわけだけど・・・最初の頃は国語の依頼のない・・・数学や理科や英語という依頼ばかりの家庭教師という立場で、上原流のことをどうやって扱うかっていう苦肉の策として、理系から人間の心や意識の問題を結び付けることを模索してきたんだけど、今はもっと積極的に考えるようになっているよ。

むしろ、上原先生の発想や、日本人古来の神話的思考なんかを扱う時に、そのままよりも理数用語を使った方が、スッと入っていける。

見かけ上の言葉にひきずられないから。神話的思考だからといって直接神話をとりあげると、ギャップが大きすぎるんだよね。相手によっては「軍国主義」のイメージをひきずって受け止められてしまうし。

「感情」だってね、どうしたって「喜怒哀楽」のことなのに、なんだかわけの分からないことを言っているな・・・って、どうしても常識的な言葉の意味が、大きな壁になってしまうから。
それがそのまんまで、テスト対策用の国語なんて授業でやられるから、言葉の感覚が豊かっていうか・・・言葉にこだわりが強いほど、理解不能・・・自分とは全く関係ないのが国語の授業・・・大嫌い・・・ってなっちゃう。

国語の素養が豊かなほど、国語は大嫌いです、っていう子は沢山いたもんね。

でも理系用語で自分の意識が整理されると「納得できない理由ってここにあったんだ」「これが壁の正体だったのか」って自分で気が付けるんだよね。そうすると一気に、いわゆる世間的な「テスト対策国語」にも対応していける。特に問題演習をバカみたいにやらなくてもね。
壁の正体がみえないままだとね、そんなに難解な文章でなくたって、言葉が脳にまで届かないよ。どんなに丁寧に解説をきいたって頭を素通りしちゃう。だって人間ってそうできているんだもん。

だからね、上原先生が「構え」を国語教育に導入した、っていうのはすごいことだったんだと思う。

コバルト 結局、自分をずらせるか、ずられないかですよね。


諷虹 線形代数って・・・(基底ベクトルの解説)・・・普通はそれをX軸 Y軸 という直交座標で習っているわけですけど、別にそれにこだわらないで、違う向きのベクトルのいくつ分、って違う基準のとりかただって別にいいんだよ、って。
自分基準で、この感覚でも許せるか、許せないか・・・って国語的に置き換えることができるんじゃないか、っていうことですよね。


虚空 同じ事実であっても、軸が変れば、その世界の中では新たな位置づけになるわけだよね。位置を表す数字がかわるから。
そういったそれぞれの座標系を「意識世界」ってよんでいると思ってくれればいいんだよ。
そして、国語の授業っていうのは、その座標のとりかたの違いによって同じことが違った意味付けになる、っていうことからはじまって、自分の中の軸をかえたらどうなるか・・・それがトランスフォーメーションだよね。そして個々人がどういった座標系で生きているのかを察し合う・・・認め合う・・・いろんな座標系のとりかたを想定できる、許容しあえる・・・そういうことだよね。

そういうことを最終的には目的としているんだ、って意識して授業が行われれば、たとえ世間的な「テスト対策授業」だって、生き様っていうか・・・構えの柔軟さにつながっていけると思うんだよね。

だって、物語文でも説明文でも、違う座標系の理解っていうことなんだもん。相手の座標系が分からなければ、テスト的な正解だったできない。
テストでさ「あてはまるものに〇をつけなさい」式の選択問題で間違える子、って大半はそれだからね。筆者とか登場人物のモードじゃなくて、「自分が納得できるのはどれかな?」で選んでいるよ。

そうするとね、たまたま自分と傾向の似ている場合は、それで〇になる。でもその土台の部分からして違う場合は、?になる。しかもね、どんなに表面的な解法のコツを解説されても、そのずれに関しての軌道修正がなされていないから「わけわかんない」ってこうなっちゃう。


随分前にNanba先生が「憑依能力」って言っていたことがあるんだけど、結局それっていうのは「それぞれの座標系に立つ」っていうことなんだと思うよ。


コバルト 頭ごなしに相手を否定する人っていうのは、自分の基準は変えないっていうのが前提だから・・・

虚空 そう。自分だけは絶対正しいって。今のネットの世界なんてそればっかりだからね。アニメの感想にしても何にしても。
だからうっかりちょっとでも違う意見を書き込むと総攻撃を受ける。

上原先生の発想っていうのはそれこそ桁外れだからさ、簡単に「先生の考えはこうです」なんてとてもいえないよ。
うっかり分かったつもりになったら大変。だから常に「こういうことだったのかな???」とか吟味を繰り返しているからね。

コバルト そこに本当に上原輝男はいるのか、
諷虹 (分かっていると思ってしまったら)影だけ追っていることになりますね。

コバルト 結局神社だってそうじゃないですか。分社っていって・・・一か所にとどまらない。お守りだってそうだし。

諷虹 量子論的にいうと、観測した地点で(たまたま自分にとって確定した瞬間のものを)ずっと追っかけてしまうようなものですよね。
「ここもあり得る」っていういろんな可能性が本当はあるのに、一回たまたま目にした場所だけを重点的に調べているとかね。「ここも出そう」なんていうことには目も向けないで。自分の前にでた事実だけを頼りにして。


虚空 そりゃね「ああ、こういうことを先生はいいたかったのか!」って自分なりにストンと落ちた・・・納得できた・・・っていう感覚になることはあるよね。それは自分だってあるよ。ただ、問題はそれを絶対基準にしてしまうのかどうかだよね。

それは今の自分・・・今の「器」に盛り込むことができた上原輝男。でも自分の器がもっと大きくなれば、違う上原輝男がどんどんと流れ込んでくる。
もちろんこれは上原輝男に限ったことじゃなくて、世の中のことを認識するときの全てだよね。

だから成果主義とか競争原理がはびこっている今の世の中とか教育界はコワイんだよ。
どれだけ「すぐに分かった」という意志表示ができるかで競わせるから。そして実はまだ本当のところは分かっていない、っていう指摘も極度に恐れる。「自分はもうわかっている」という虚像を壊されるのが、自分の存在を根底から脅かすと思ってしまうから。

中途半端な優等生って、そういうところが強いから、なかなか自分(虚空)とは合わないことが多かったよね。どうしても「さらに奥深くへ」っていう自らの探求を求めるから。そうすると「もう自分は分かっているのに・・・」っていう不満ばかりを鬱積させちゃう。

コバルト 結果論になっちゃうんですよね。例えば血液型だって、それに当てはまらない部分だって実際にはたくさんあっても「ああ、これはA型だ」とか「B型だ」とか・・・後付けなんですよね。過ぎたことに対して、それにあてはまることだけを拾い上げて・・・。
でもそれって人間が本当に実生活でいきていくのには何の役にもたたない。

虚空 それで「そうだそうだ」「当たった当たった」っていうのあるよね。
あとづけじゃない場合でもそうだよ。いい例がさ、テレビでよくやる「朝の星占い」。「今日一番の運勢は 〇〇座のあなた」とか「今日一番運勢の悪いのは△△座のあなたです」って・・・でもさ、テレビ局の番組によって全然違うじゃない。極端なことをいえばさ、ある番組で一番だったのが、別の局の占いではワースト1だったりね。
でもそれを素直に信じると、一日をすごすことで、それにあてはまる事実ばかりを意識の中で拾い上げてしまう。たとえそうでない出来事があってもね。そして、そのたびに「ああ、これも当たった、あれも当たった」って。


だからといって自分は占いを全く信じていないかっていうと、実際のところはかなり受け入れてしまうところがある。それは若いときから自覚しているんだよ。だからいろんな占いの結果を聞かないようにしてるんだよね。それは信じてしまっているからこそ、よりそっちの意識ばかりを強化してしまって・・・自分をその壁の中に閉じ込めてしまうから。自己暗示によって、占いの結果以上に「当たった」っていう状態を自ら作り上げてしまうから。
(これなら確実ということにしか手を出さない人が多い現代社会の傾向について)
コバルト 位置づけをガッチリさせたい

虚空 そんなに高尚なもんじゃないと思うよ。ただ失敗したところをみられたくない、っていう守りだけ。だから絶対確実にできるという自信のもてる過去の引き出しだけで何とかしようとしているだけなんじゃないの。

諷虹 自分が知った土地で旅行するみたいですね。


虚空 気に入ったいきつけの店にばかり食べに行くっていうのもそうだよね。新たな開拓をしない。
「この店は失敗だった」って思いたくないから絶対に間違いのない店にしか行かない。
勉強もそうだよ、安全圏ばかり。虚像をつくりあげたいし、それを守るのに必死だから。

でもさ、よく教え子に例えて話すのは「金」でも「ダイヤモンド」でも掘り出そうと思ったら、無用とされるような大量の土砂と一緒に掘り出そうとしないと絶対にダメじゃない。そうしたのは抜きにして、「金やダイヤだけを掘り出すんだ!」なんて思ったら、全く新たなものは手に入らないよね。

それが神話だったらあの千曳の岩のところの問答に表れている・・・「毎日1000人殺す」「じゃあ毎日1500人産みましょう」っていうあれ。

イザナギとイザナミの国産みプロポーズだってそうだよね。あれがさ、その場でやったっていいのに、大きな柱をみたてて、それを逆方向に回ってわざわざ裏側でプロポーズする。しかも最初イザナミが先に言葉を発したら国産みに失敗する。別にそれは男尊女卑なんていうことじゃなくてね、この目にみえる世界の大原則っていうか原理だよ。

大いなる進歩をしたかったら、大いなる失敗や無駄もいとわない。そういう意味からいうと、本当の失敗とか無駄はないんだ、っていうのが古代人が直観したことなんだろうと・・・これはうちのオヤジの受け売りだけどさ。


(授業の基本姿勢について)
コバルト 破を起せるか・・・もつれを起せるか。
虚空 そうなんだよ。それがなかったら子どもにとっては授業で新しい視点が獲得されたとか、そういう実感が得られない。
どんなにその発言を周囲の大人たちが褒めてくれたって、褒められたことは嬉しいかもしれないけど、それだけだよ。
自分の今までの引き出して対応しただけだから。

コバルト そういう起承転結の授業だけで人間の意識が済むんだったら「植物」でいいんだと思いますよね。結局自分の世界だけで終われるんですから。
こうやって人間が意識を持てるっていうことは・・・意識そのものって何故あるかといえば、やっぱりいろいろなものをキャッチできて、そこに向かっていけるっていうのがあったからこそ・・・

諷虹 だからね・・・せっかくキャッチできていても、それを自分で包み込めないと思ってしまうと悩んでしまうこともある。

虚空 自分なんかもうまくまとめられないなんていったらいつもそうだから。だから駿煌会の中ではそれをありのまま言っちゃうわけだよ。それでみんなに整理してもらっている・・・結構丸投げしてるもんね。「あとはよろしく」っていうように。

コバルト 自分なんかもフッと思ったことがあっても語彙力がないからうまく言い表せない。でも何とかそれっぽい言葉で言おうとしてる。
そもそも完璧に伝えようなんて思ってないから。あとは分かってくれ、って(笑)

虚空 諷虹君なんてわかるでしょ、いつもやりとりで丸投げしてるの
諷虹 何か含みを残しているなかな、って・・・
虚空 よく言えばそうかもしれないけど、実は何も分かっていない(笑)
コバルト 起承転結の最初は序破急の序・・・「起こす」ですよね。
諷虹 0を1に・・・起こす才能が優れている人って面白い着眼点をしますよね。

虚空 そういうのだって、何があるかな・・・なんて考えて絞り出しているというよりは、論理的というか機械的にパターンで「こういう場合があありうる」って先に器とうかな・・・部屋割りをしちゃえるんだよね。機械的だから無理に考えていない。

上原先生が「英才児は頭が疲れない」っていうような言い方をしていたけど、「考える」「論理思考をする」っていうのも、自然にできちゃうくらいに身についているからなんだと思う。
だからいわゆる普通の子だって、修練をつんで日常でも自然につかえるようになれば、英才児のようにごくあたりまえに自分の器を広げたり、異なる物事や考え方を、どんどん受け入れる・・・添加できる・・・そういう構えが獲得できるんだと思うよ。


諷虹 我々も「こうなるだろうな」って結果が分かっているものとか自明・分かり切っているものは知らず知らずのうちに発想を捨てているのかもな、って思いますね。当たり前すぎて捨てているものって多いのに、言葉を大切にしている人って、それも捨てないでこだわり続ける。


虚空 そういう人はものすごく言葉に対しても他人に対しても誠実なんだよね。
(以上)
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