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☆クイーンの歌 からのあれこれ② 「中2病」「世界定め」2018,12,15 諷虹宅

かつて「気取り」「なまいき」と言われたような子が激減しているわかりに、中2病ということばが飛び出してきたと考えています。そしてそれは上原先生の説く「世界定め」や、あるアニメでの「個人内現実」の問題と深く関わり・・・子どもをみていく上での大事な観点です。



諷虹 究極のハッピーエンドと究極のハッピーエンドをよく円形で表現しますが、これをレム二スケートにすると、円形的な性質を保ったまま(ループ性)砂時計の形も描いている・・・というようにもとらえられるかもしれませんね

「8」「八」の話題


諷虹 幼少のころ「8」を書くときに、雪だるまを作るみたいに丸を二つ書いて8の陣していたんですが一筆書きで8が書けたときは感動した覚えがあります。そこから8の字を書くのが好きになって・・・

日本で生まれた末広がりのイメージを持つ「八」と、ループ性・永遠性のイメージを持つ「8」
この2つのイメージを掛け合わせると、らせん階段上のループの発想が生まれてきそうですね

そういえばステラのまほうの作者が「コペルニクス的転回」っていう言葉が好きなようで・・・

(ネットで調べる)
「発想がひっくり返る」たとえではありますが・・・もともとは違うみたいですね・・・。https://kotobank.jp/word/%E3%82%B3%E3%83%9A%E3%83%AB%E3%83%8B%E3%82%AF%E3%82%B9%E7%9A%84%E8%BB%A2%E5%9B%9E-65998
カント哲学の立場を示す語。従来、認識は対象に依拠すると考えられていたのに対し、対象の認識は主観の先天的形式によって構成されると論じたカントがこの主客関係の転換をコペルニクスによる天文学説上の転換にたとえて呼んだもの。


虚空 多分、このことを上原先生流に言うと「世界定め」ということになるんだろうね。目に見える世界が先にあるんではなくて、我々一人一人の意識や感覚の違いによって、まったく違う意識世界に住んでいて・・・それが錯覚とか思い込みではなくて、「個々人にとってそれが実感の伴う現実世界なんだ」ということ。


諷虹 人工知能と27日の授業(児言態50周年公開授業のこと)ではっきりした人間との違いで・・・

用語を教えて(覚えて)知識が深まる・・・というのが人工知能的な学習の考え方で、
でも実際人間は、一つ一つの用語を全て覚え(教えられ)なくても心意伝承的に1つの用語や情景を見ただけで自分の中から発想が生まれてきて知識が深まっていく・・・といったコペルニクス的転回が起こってきているのかなと


虚空 このところさんざんでてきている「型」とか「様式」とか「儀礼」なんていうのも、自分の中からの発想を呼び込む力を持っている・・・ライフインデキスとしての力を持っているということなんじゃないかな???


諷虹 卒業式でみんなが泣くのもそういうところがあるかも・・・雰囲気にのまれて泣くというような


虚空 つい最近誰かとしゃべったけど・・・火葬場の燃やす前は泣くけど、焼けたあとは不思議に泣かないというのもね・・・


諷虹 それはゾンビの話の時ですね。

☆そこにヒマワリフクロウさんからのライン
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やっぱり意味不明。
歌の主人公あなたどういう立ち位置ですのん
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(ラインでこの部分を書き込む)
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諷虹 難しいですね。俯瞰になったり主観になったり、神と対話したり

虚空 その立ち位置の変化が曲調の変化なんだろうしね。
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中学生との中2病の話を紹介

虚空 ちょうどさっきの中学生が中2だからさ、お前、中2病か?ってきいたら 違う、って。
じゃあ中2病ってどういうものだと思っているから違うと思ったのか聞いたら、まっさきに言ったのが「自分に変なのが宿る」だったんだよ。


諷虹 憑依ですね。自分を違うものにしたいという変身願望もあるんでしょうけど。


ネット検索
https://kotobank.jp/word/%E4%B8%AD%E4%BA%8C%E7%97%85-689483
日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
中二病
ちゅうにびょう
中学校2年生ぐらいの子供にありがちな言動や態度を表す俗語。自分をよくみせるための背伸びや、自己顕示欲と劣等感を交錯させたひねくれた物言いなどが典型で、思春期特有の不安定な精神状態による言動と考えられる。医学的な治療を必要とするような病気や精神障害ではない。

 このことばが初めて使われたのはラジオ番組のコーナーにおいてであったが、そのコーナーの終了後、2000年代なかばになってから、インターネット上の掲示板などで広まったとされる。インターネット上では、自己中心的な発言や幼稚な言動を揶揄(やゆ)する表現として使われている。


虚空 さっきフト思ったのは、憑依にしても変身にしてもね、自分意識を消さなければならない・・・昨日コバルトブルー君の家でもそういう話が出た。麻薬をシャーマンが使って神降ろしなどをした。人間意識を消さなければ下ろせないとかね。


そうすると中2ぐらいが、「自分って何だろう」ってボツボツ悩み始める・・・進路がチラついてくるし。その時にもしかするとね、「これが自分」っていう思いで凝り固まっている意識をぶち壊す作用もあるんじゃないかと・・・。


昔、中2病っていう言葉がなかった頃だって「気取り」「生意気」とか、難しそうな書物を持ち歩いて背伸びした形を演じるとか、盛んにやっていた。


それが変質したのが中2病ということだと思っている。
さっきの点数をあげるための努力もそうだけど「背伸び」「やせ我慢」を演じる修練・・・演じているうちに本当に想定外の自分にもなってくる感覚。演じていたつもりがなくなっちゃう


諷虹 で、それがしばらくして黒歴史・・・ちょっとたってから観返すとものすごく恥ずかしくなる、っていうのが・・・・高尚過ぎて恥ずかしいのか、あまりに幼稚だからなのか・・・両方なのかもしれないですけど。


虚空 まずやっている最中は夢中になっているから・・・現実意識になっていないから。
で、ハッと夢から覚めるわけだ。それで自分に自分がビックリする。


諷虹 毎晩みる夢だってよく忘れてしまうように・・・中2病の夢も。
現実と乖離しているから消したくなる。

Fate stay/nightの「トレース・(現実への)投影」のことなんか関係ありそう。
投影
TYPE-MOONのFateシリーズにおける魔術の一つ。
グラデーション・エア。 
自己のイメージからそれに沿ったオリジナルの鏡像を魔力によって複製する魔術。
イメージが自分の中で完璧でなければ投影はできない。 
ゆえに投影で生み出したものは自己のイメージどおりの強度をもち(幻想としてはこの時点で完璧)、 
術者の知識が本物に近いほど現実においても完璧になる。 
だがイメージに綻びができると存在強度を失い、霧散する。

虚空 現実意識的な常識から離れているから、そんなことを本気で考えていた自分が幼い子どもみたいだったという恥じらいが起きるんだろうけど、それを恥じらいと思わずに本気で思い続けた人間が偉大な結果を出すというのも歴史が証明してるからね。
上原先生が「ホラをふけ」って言っていたのも関係あると思うけど。

今、この記事を読んで思い出したんだけど、あの「とある科学の」の「パーソナルリアリィティ」これだって、上原先生の「世界定め」の究極版・・・古代日本人の「言霊信仰」をアニメ的にしている用語になると思うんだよね。

とある魔術の禁書目録 Index
 自分だけの現実(パーソナルリアリティ)
能力者が持つ独自の感覚で、超能力を発動するための土台。 
いわば超能力の源であり、『手から炎を出す可能性』『他人の心を読む可能性』など、現実の常識とはズレた世界。
また、その「ズレた世界」を観測し、ミクロな世界を操る能力の事。 
より強い個性を保ち、強靭な精神力や確固たる主義を持つことが「自分だけの現実」の強さに繋がるともされ、能力者の精神制御方法の一つとしても考えられる。
※別の解説
https://dic.pixiv.net/a/%E8%87%AA%E5%88%86%E3%81%A0%E3%81%91%E3%81%AE%E7%8F%BE%E5%AE%9F

量子論(例:シュレディンガーの猫)や確率論と深く結びつくものであり、「あの壁をすりぬけて瞬間移動が出来る」「手から炎を発する」などといった現実と乖離した事象をあたかもあるかのように強く思い込む事が「自分だけの現実」を形成する。 

そして、そのような強い思い込みや信念などが妄想を越えて具現化したのが超能力である。 
もっともその開発を分野としている学園都市内ですら超能力に目覚めたのは4割と半分にも満たない。 



虚空 これを単にアニメの中の架空の話として片付けていいのかどうか。少なくとも「意識世界が本当に変われば周囲の世界が変わる」「言葉の波動が現実を変動させる、呼び込む」という感覚を本気にして日本人はずっと生きていた民俗なんだから。


諷虹 ほらを吹く・・・


虚空 きのうさんざん風の話をしていたこともあるんだけど、ほらの場合「ふく」でしょ。嘘だと「つく」


諷虹 合戦なんかの時に「ほら貝をふく」って何か関係あるんですかね。


虚空 やっぱり「音」だよね。義経千本桜の知盛が碇をまいて海に沈んだ場面でも弁慶がほら貝をふきならして幕引きになる。生の舞台も何度か観たことあるけれど、あれはすごい場面。歌舞伎座の中が水をうったように静まり返っている中に鳴り響く。



※Wikipedia ほら貝の備考の欄
新渡戸稲造が聞いた話として、「戦争で用いられる法螺笛は、なるべき傷があるものが選ばれたとされ、その理由として、海底で波とうに打たれ、たたかれ、かしこの岩や石にぶつかり、かん難を重ねた貝が一番良い音を発するゆえ、漁師が取っていた」としている(新渡戸稲造 『修養』明治44年刊、第十章「逆境にある時の心得」内の「逆境の人は心に疵を受けやすい」の項より)


諷虹 法螺貝の音が味方全体に響いて、共鳴を起こすことで、士気が上がるって感じなのかもしれないですね。法螺が共鳴して、皆が勝てる意識になる


虚空 さっきの中2の話に戻るけど、前の壺作文にもあらわれたように他人との間に生きることでの意識がずいぶんと出てきていたじゃない。自分は自分と割り切れない。これが自分の立ち位置と確定できないで右往左往する。

でも、そんな年頃だからこそ、共鳴に反応しやすい精神状態と言えるかもしれない。

だからこの時期の「構え」の指導っていうのはものすごく大事なんだろうね。そのまま大衆に流されたり、絶対的に権威を認める相手に無条件で従ってしまうというようにもなりえるし、いい意味でいろんなものが憑依する感覚から、より多様な意識世界・感情世界・イメージ世界を築いていく方向になるか・・・。

もし思春期の時期になっても、小学校の低中学年のような感じで全く周囲に対して我関せずで、純粋なイメージ世界に浸ってそのまま大人になっていったら、随分と想定される範囲内の世界にしか生きられなくなってしまうと思うし、多様性にも欠ける人間になってしまうんじゃないかな?

幼い子がキャラになりきっていたって、黒歴史だ、なんていう想いをあとから抱くなんてないじゃないか。昔はこうだったな・・・ということは思っても、封印したい自分の過去、なんては思わない。

でも中2病の黒歴史は、それだけ普段の自分、人間の常識の範囲からは逸脱していた、と後にならないと思えないくらいに、「成ってしまった」という感覚。

自分はさっぱり読めていないけど、上原先生の「芸談の研究」の出だし「移りと成る」っていうのだけはずっとひっかかっているんだけど・・・


諷虹 中2が大人であり子どもでもあるという過渡期。幼少は子供。中2はその境界線だから、子供でもあるけど大人の自分でもあり、その大人の自分(今の自分)がこんな恥ずかしいことをしていたってかんじてしまう・・・

だからこそあとになって中2病のあとに大人のボーダーラインを引きなおしたいという感覚があるのかな、って。それがモヤモヤの原因にもなるのかも。
だからこそ14って昔の元服の頃だったんですね。

「移りと成る」もそういう感覚とつながりがありそう。


虚空 エヴァの企画書でも、中2に設定したことに意義を持たせていたけども、やっぱりあの時期は、児童期の分母分子がひっくりかえる4年生と同じくらい重要な時期かもね。

塾なんかでも最も授業がやりにくいのが中2で、その主たる原因は「なかだるみの中2だから」なんて言われることが多いけど、単にそれだけではないと思う。

でも決して「お気楽極楽」な時期ではない。実はものすごく現実意識と内なる世界とのせめぎ合いの中で「自分」っていう謎の対象がグチャグチャになっているんだろうね。


諷虹 そうするとさっきの歌なんかも、そういう感じですよね。大人に近い青年期であるようで、「ママ」なんて言ったり・・・。
(終了)
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