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☆ダンデリオンツイッター記事 「自分の存在」「他人にとっての自分」・・・おうち意識もからんで

7月26日にアップされていた 2つのダンデリオンツイッター記事に関しての 諷虹・虚空やりとりです。

「おうち意識」が意識のベースとなる一つの理由にもつながっています。

駿煌会でよく出てくる「添加」という構えとも深く関わっていきます。
そうした構えが全くとれない人間が「身勝手な屁理屈」で自分を正当化し、「京アニ放火事件」などの凶行に及んでしまうんだと思います。

2019年7月27日 諷虹宅
*ダンデリオンツイッター記事 その1

(孝経 礼記)
身體(しんたい)髪膚(はっぷ)之を父母に受く、
敢て毀(き)傷(しょう)せざるは、孝の始なり。(孝経)
玉琢(みが)かざれば器と成らず。
人學ばざれば道を知らず。(禮記)

【大体の意味内容】
 私たちの骨や肉体、髪や皮膚などは、父母の身体を受け継いで生み出された結晶である。(父母はまたその父母たちから、その父母たちもさらに前の父母たちからと、はるかな太古の人々の身体を受け継ぎ続けてきている。
いかなる災害をも乗り越えて生き延び受け継がれてきたこの身体は、存在しているということ自体、奇跡である。)
この身体を、努めて養生し、毀したり傷つけたりしないことが孝行すなわち親、祖先に尽くすということになる。
(目の前の親に孝行することも大事だが、自分の身体を大事にすることが、今現在自分の身体を形作っている祖先の遺伝子を大事にするということになる。
それはそのまま、これから生まれる子孫の身体を大事にすることでもある。
祖先の遺伝子、私たちの身体、それは次の新しい命のもととなる、宝玉なのだ。)
宝玉の原石は、丁寧に、根気よく磨かなければ、宝器とは成らない。
人も、丁寧に、根気良く学ばなければ、我々自身がこの宇宙においてどのような存在であり、いかに生きるのがよいのかという、「道」理を知ることはできない。
(多くの原石を同じように磨いたとしても、すべて異なる輝きや外観、機能を持った器物となる。
まったく同じという器物は一つもない。
人もそれぞれの身体・精神を磨くことで、みなが違った光を放ち、異なる役割を担って、それぞれにとって最高の活力を発揮して生きてゆくことになる。
つまりすべてのひとり一人には、それぞれの身体・精神にふさわしい「道」の原理があるのだ。)

【お話】
日本人の死亡原因として一番高いのは何か?
癌(がん)?交通事故?自殺?
じつは、人工(じんこう)中絶(ちゅうぜつ)なのだそうです。(沖田(おきた)×華(ばっか)著 マンガ『透明なゆりかご』)
いろんな事情があるでしょう。
人工中絶は、その女性にとっても危険(リスク)があるので、重い決断によるものです。
軽率に非難することはできませんが、事実として、生を享(う)けながら、この世に生まれることができずに死んでしまった人(赤ちゃんになる予定だった人)がたくさんいた、ということです。
私たちは「幸運にも」生まれてきて今現在まで生きている。
このことは、まずは両親のお陰です。
学修塾ダンデリオンの入会オリエンテーションで必ず確認していることですが、
まずは両親に感謝しましょう。
自分の誕生日には「産んでくれてありがとう」と感謝しましょう。
自分の誕生日に「おめでとう」とお祝いをしてくれたり、プレゼントしてくれたりする人々への愛情に、心から感謝しましょう。
そのように祝福された自分は、それでどう生きるのか、厳粛に考えましょう。
「君がなんとなく生きた今日は、昨日死んでいった人たちが、 どうしても生きたかった大切な明日だ」
アメリカの先住民族(インディアンとか呼ばれてしまっていた人々)に伝わる箴言(しんげん)だそうです。
「赤ちゃん」になれなかった人々も含めて、生と死の森厳な交錯の上で、かろうじて私たちは生きていますし、私たちの身体に太古からの記憶や遺伝子が息づいていて、それを未来につないでいく。
自分が精一杯生きることもそうですし、あたらしく子どもを産む形であったり、自分の子どもではなくても新しい生命を支えていく形で。
存在していること、生きていること、なんて神秘的なのでしょう。


諷虹 『この身体を、努めて養生し、毀したり傷つけたりしないことが孝行すなわち親、祖先に尽くすということになる。』
この意識は希薄になっているとは思いますね。

自分の体は自分のものという意識・・・自分の意思も・・・どっかにあるのかな、って。
遺伝子情報的に考えると「血は争えない」みたいな考え方をするのも薄くなっているかな・・・親と考え方が合わない。時代が違うというのもあるんでしょうけどね。

今って、昭和とかと比べると生活基盤が全然違うからそういう考え方の齟齬が発生するのかな、って。江戸とかの方が荒れているようで、そういった価値観は変わらない時代だったのかな・・・。今は10年で世代間ギャップというかジェネレーションギャップって出てくるような・・・

やっぱり親が子どもの生き方をみて、「自分もこの年齢でこの年代に生きていたら」って考える必要があるのかな・・・逆(子供が親を)もまた然りですけどね。
自分の親が今の自分の年齢の時に子どもがいたって考えるだけでもゾッとしますからね。


虚空 フルーツバスケットでしばらく先になると出てくるけど、ネズミの由紀(男性キャラ)が幼い頃から母親の圧力をうんと感じて育ってきて、苦手意識を強くもっていたんだけど、高校になってフト「こんなに小さかったんだ」って思う場面があるんだよ。

ずっと見上げていた頃のイメージが意識世界にあり続けていたのが、ひっくり返った瞬間。

同じフルーツバスケットで、この前アニメに出てきたヘビさんとラーメン屋でしゃべっている場面。透がお母さんの言葉を紹介するところ

『でもお母さんは言っていました。”自分が親になって初めて親の気持ちが理解できた”って。
だけど本当に理解しなくてはいけないのは、忘れてはいけないのは子どもの頃の自分だって
初めて逆上がりができた日や初めてたくさん怒られた日のこと。子どもの頃 感じた気持ちをちゃんと忘れずにいれば、大人になっても親になっても理解し合える
100%とは無理でも歩み寄ることはできるって。』

母『だって そう考えた方が楽しいしね』
子どもが親に歩み寄るのは大きくなってから。やっぱり子どもの時は親が子どもに歩み寄っていかないとね。これは教師もだけど。


諷虹 レールガンの木山先生・・・子どもが苦手な理由をいろいろ言っていましたよね。
子供は嫌いだ。デリカシーが無い。失礼だし、悪戯するし、論理的じゃないし、なれなれしいしすぐに懐いてくる。…子供は、嫌いだ」
https://www.nicovideo.jp/watch/sm15142688

虚空 でもやりとりの中で共鳴しあっちゃったわけだよね・・・。
木山先生の奥底にあった母性のようなものが目覚めた。

これもさ・・・「おうち感覚」が「意識のベース」っていう一つの表れ方かもね。


諷虹 誕生日を祝うシーンとか・・・「人間的」イベントっていったらいいですか。
大人になるとあまりやらないようなこと・・・嫌いなものを我慢して食べるとか


虚空 あのあたりのシーンは子どもの方がお母さんじゃない。

その先に、実験の場面での

「怖くないか?」
「全然、だって木山先生の実験なんでしょ?先生のこと信じてるもん」

という邪気も疑いも全くない態度があったから、罪の意識も強烈に芽生えたわけだよね。子どもが親に無条件に頼る・・・全幅の信頼を寄せる・・・それが人間関係の原点として記憶にあるかどうか・・・・
そうなってくると、ダンデリオンツイッターの最後のことばともね・・・・。


諷虹 そういう意味では、今放送中の「とある科学の一方通行」でアクセラレータにとってのラストオーダーですよね。


虚空 悪党の中身がしっかり保護者になっているよね


諷虹 母親であり、唯一の女性キャラのようになっていましたよね。


虚空 同じ岡本信彦がやってる「うちの娘」だって、ある意味でそうだよね。もともとはガチの冒険者だったのが、あんな親ばか丸出しになって・・・それを引き出したのはラティナだもんね。子どもを守るためにはいとわずというのは、どちらにも共通してる。
しかも今回のうちの娘はあの超シリアスな場面。校長に抗議をする場面がアクセラレーターっぽくなっていったじゃない。いつブチ切れてもおかしくないくらい。

(動画チェック)
虚空 親というより奥さんじゃない・・・嫉妬している。

諷虹 ファミレスのシーンも・・・

虚空 ラストオーダーとアクセラレーターの言語観の違いがよく出てるね。
(機材の故障で観られなかった虚空)
*ラストオーダー「おいしいものはみんなで食べた方がおいしいし、家族はこうするんだよ」
エステル=ローゼンタール「素晴らしいご馳走だ。こんなにも素敵なもの、私の周囲にはなかった。じゃあ私も(とラストオーダーにあげる)家族はこうするんだろ」
*エステル=ローゼンタールに女性としてのたしなみを説く

諷虹 ラストオーダーが一番常識人っぽい回は珍しかったな、って。


虚空 これもやっぱり人間関係の基本だよね。しかもそれをミサカネットワークで他のミサカたちも学習しているわけじゃない。まさに「おうち」が意識のベースで、そこから深い人間性への目覚めになっていっているよね。

アクセラレーターなんて、このあとやがて、ラストオーダーを守る一心で結果的には世界の破滅を命がけで防ぐことにもなるわけだしね。

あまりいい例じゃないけど・・・第二次世界大戦の時の軍部だって、この意識を利用したわけじゃない。国を守る=大切な家族を守ることになる 式の発想。世界戦略だって「家族」のイメージだよ。

昭和の頃の企業のイメージだって家の延長・・・。
日本を支えてきた意識のベースが「個人」じゃなくて「家」。
それは天皇制もそうだろうし、もっと遡れば「天照大神」が日本のお母さんのイメージだもんね。

西洋だと「父なる神よ」だけど、日本だとやっぱり「母なる大地」とか「マリア信仰」とかそっちに偏っていくんじゃない?


諷虹 そういう意味では働き方でも独身の割合も増えているから「無理して働こう」という気にはなれない・・・金よりも自分の時間、とか。


虚空 子どもが産まれるのを喜ぶというより、自分の自由を奪う存在・・・邪魔者って。
だからさっきの木山先生やアクセラレーターのように、母性が引き出されることはない・・・そんな悪循環だよね。

だから子どもにとって一番怖い場所・・・安全が保証されない場所が自分の家。恐怖の相手が親。これじゃあ人間社会は根底から崩れるよね。

京アニ事件みたいなのはますます増えるよ・・・っていうかあの事件も始まりじゃなくて、途中経過だしね。
あの事件があったから、尚更この言葉がね・・・

「君がなんとなく生きた今日は、昨日死んでいった人たちが、 どうしても生きたかった大切な明日だ」
アメリカの先住民族(インディアンとか呼ばれてしまっていた人々)に伝わる箴言(しんげん)だそうです。
この言葉がものすごくグッときてしまう・・・・


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次の記事
7月26日 ダンデリオンツイッター ②
(荘子 養生主篇第三―8)
吾が生や涯あり、而して知や涯なし。
涯あるを以て涯なきに随う、殆(あや)うき已(のみ)。
已(のみ)にして知を為す者は殆うきのみ。
善を為さば名に近づくことなからんや、悪を為さば刑に近づくことなからんや。
督に縁(よ)りて以て経(つね)と為さば、以て身を保つべく、以て生を全うすべく、以て親(身)を養うべく、以て年を尽くすべし。
【大体の意味内容】
私たちには生涯、つまり生命の涯(がけ)という限界があるが、ひたすら理知でものごとをコントロールしようとすることは危険極まりない。
善行に勉めれば、名誉に近づくであろう。
悪行を為せば、刑罰に近づくであろう。
(理知的に計算ずくで名誉や刑罰を受けることは、真逆のことの様でいて実は両方とも自然の道理に反した危険を伴う。知性にはそのような涯はない。
限りある身でありながら、無限のことを追い求めるのは、危ういことだ。
子どもを溺愛して自分の思いどおりにすることと、虐待することとは、両方とも子どもを自分の好きにできる所有物とみなしている点で、同じ危険な心理から来ている。)
身体の中枢神経を「督(とく)」というが、表面的な善悪に偏らず、深い中枢の「督」に従うことを常とすべきである。
それによって身体を安全に保つことができるし、人生を全うすることもできる。
さらに心身を養生することにもなり、本来の寿命を尽くすことができる。
【お話】
岩手県の大船渡高校野球部で、最速163キロの速球を持つエースピッチャー佐々木朗希選手が、甲子園出場をかけた県大会決勝に出場せず敗退したニュースが、日本中に衝撃を与えています。
猛暑の中の連投になってしまうことで、監督さんの判断で起用しなかったとか。
非難、憎悪の的になることを覚悟の上での決断だったようです。
私は基本的に大賛成です。
PL学園の桑田投手(巨人入団)や横浜高校の松坂投手(西武ライオンズ)の連投を見ては、プロでの選手生命は長くないだろうと想像はつきましたし、この件についてはアメリカの様な投球制限を設けるべきだとずっと思っていました。

だから、今はまだ、見るからに筋骨(きんこつ)の出来上がっていない、佐々木投手の華奢(きゃしゃ)な体を守ろうとした大船渡高校の国保陽平監督の「英断」には、称賛を惜しみません。
ただ、甲子園大会というハイレベルなステージでの経験は、どの選手たちにとってもその後の人生への貴重な資源となることも否定できません。

将来はおそらく日本のプロ球界、そして大リーグで活躍するであろう佐々木投手にとっても、高度な経験を積むことにはなったはずです。

それだけに、県大会や甲子園大会の過密スケジュールの改善が望まれます。
高野連や、関連企業の利権を守るためにアスリートを護ろうとしない強欲な大人たちには猛省を促したい。
国保監督は米国アリゾナ州のサマ―リーグ(選手として自分を売り込むチャンス)に参加した経験を基に、選手を守る思考法を身に付けたそうです。
いつまでも動かない高野連とは別に、今後は独自のルールを設定し、高校生の身体を護る起用法で大会に臨み、禍根を残さない形で勝ったり負けたりしてほしい。

肉体を壊さないことも大事ですが、ひりひりするほどの熱い勝負に完全燃焼したいという心を潰さないことも肝心。荘子の言う「督」は、肉体的なものだけでなく、魂の中枢として表現されていました。若者たちの魂魄(精神と身体)の「督」を監み、それを最大限に発揮させること。
それこそ「監督」としての率先垂範になるのでしょう。
虚空 このだいたいの意味内容、という中の
『子どもを溺愛して自分の思いどおりにすることと、虐待することとは、両方とも子どもを自分の好きにできる所有物とみなしている点で、同じ危険な心理から来ている。』
これが表裏一体っていうのは大事な指摘だよね。

諷虹 この原文の
『吾が生や涯あり、而して知や涯なし。
涯あるを以て涯なきに随う、殆(あや)うき已(のみ)。 』 
分かる気がする・・・原文のままの方がなんか・・・。
完全に全部がわからないから逆に分かる気がして・・・分かりやすい。

(声に出して読みながら)そうだよな、って。
必要不可欠なものではあるけれども、本質的には違うものだから、注意して扱うべきところもある・・・万能じゃない。

それこそ道徳の教科書にかいてあるような場で、100点に近いとされる答えがあったとしても、その答えを選択することが、必ずしも正解とは限らない。
トロッコ問題とかあるじゃないですか。どっちも正解じゃないけど・・・正解を求めること自体がナンセンスなような。

サイト紹介「トロッコ問題」
トロッコ問題とは、2010年に亡くなった哲学者フィリッパ・ルース・フットが提唱した「人間が道徳心から生まれるジレンマにどう対処するのか」を見るための倫理学の思考実験。線路上を走るトロッコが制御不能になり、そのまま進むと5人の作業員が確実に死ぬ、5人を救うためにポイント(分岐点)を切り替えると1人の作業員が確実に死ぬという状況下で、線路の分岐点に立つ人物(自分)はどう行動すべきかを問うものです。

決して考えることが無駄ではないわけですけどね・・・そこが。


虚空 自分の出した結論がベストと決めつけるかどうかの違いかな。他人の意見を「それもアリだね」って添加できるかどうか。英才児はそれが容易くできてしまう。
その秘密はどこにあるんだろうね?????
そんなところも10月の授業で浮き彫りに、っていうのは個人的な関心なんだけどね。


諷虹 他人の意見を取り入れすぎる、周りに流されすぎるのも問題


虚空 取り入れる=従う じゃないよね。それもアリか、っていう柔軟性。
最終的には自分の心の内に従って、最初に考えた通りにする場合があったっていいんだよ。ただ、一つしかないものだから、それを実行、っていうのと、いくつもあったけど、やっぱりそれを実行、っていうのは全然違うんじゃない。


諷虹 劇場版の知波単と最終章の知波単との違いですね。「吶喊」の場面・・・
スラムダンクの流川もそうですね。パスか攻撃かっていう・・・選択肢の幅が広がったと相手に思わせるだけで違ってくる


虚空 咲にもあったよね・・・宮永をビビらせた・・・


諷虹 加治木さんですね。恐怖を植え付けておくのもいいな、っていうやつですね。
テニスの王子様でよくでてくるのが、「緩急」。パワー一辺倒の選手がちょっとゆるいボールを織り交ぜるだけで、威力がかわらないボールでも非常に効果的になる。
野球のチェンジアップもそうですね。

そういうのも一種の波みたいのがありますね・・・バイオリズムのような。
山と谷の関係・・・


虚空 それがさ、例えば今回の高校野球の「みなさんが期待するドラマ」の基本パターンだよね。すごいピッチャーが苦もなく何度も連投して勝ったっていうんじゃなくて、ボロボロになっても一人で根性みせて投げぬいている姿を観たい・・・っていう。

監督さんにしてみれば、そういうファンへの配慮ではなく、本当にその選手の将来を考えての判断・・・みんなからブーイングがくるのは分かっていてもそちらを選んだわけだよね。

これさ、もし連投して投げぬいて勝った・・・でも肩を故障して甲子園に出られなくなった、なんていう展開になったらどうするんだろうね???
なんかさ、無理をさせた監督に対して非難囂々になるんじゃないの???


諷虹 叩ける要素はみんな叩く。どう立ち回っても叩かれる。
さっきのトロッコ問題と同じですよ。どっちが正解というのがないから、どちらでも叩ける。


虚空 で、叩いている自分達は傍観者であり、ジャッジマンなんだよね。一億総評論家時代、なんていう言葉も昔はやったけど・・・。


諷虹 まだジャッジしてる方がマシなのかもしれないですね。付和雷同というか。多い方につく。

世間に迎合するんじゃなくて、本当に自分の判断でジャッジしていれば、擁護するにしても叩くにしても、まだいいと思います。


虚空 トロッコ問題で今ちょっと思い出したのが、このはな綺譚で比丘尼様が柚に出した問題。柚は「どちらも救う」という発想を最後まで捨てなかったよね。選べない・・・どっちが正解か考えられない・・・という想いを突き抜けて。

コミック版のエピソード

虚空 基本は「自分一人で何とかしよう」じゃないんだよね。こうしたことの基本も「家族同士の助け合い」が出発点じゃないかな・・・柚が比丘尼様と親子関係のような生活を送ったり、此花亭で従業員一同が家族のような生活を送っていたことから湧き上がってきた知恵。


諷虹 個々の能力を最大限高めよう、という考えの元が今の社会の根本にあると思うんですよね。アイデンティティとか自分の専門性とかスキルとか・・・

そういうことがいつのまにか歪んで「自分一人で生きられる」「一人で生きている」という風になってしまっているのかな、って。
それが最初のことばにつながってくるのかな、って。

『この身体を、努めて養生し、毀したり傷つけたりしないことが孝行すなわち親、祖先に尽くすということになる。』
この専門性・・・例えば文系・理系で言えば、「親が理系だったから自分も理系」みたいな選び方って、親が学者とかでもやってない限りないじゃないですか。そもそも親の世代って大学行くこと自体が稀だから。そんな高等教育機関でそういった専門性を身に着ける事が万能感にもなるし、自分は一族の中で異端な存在である・・・っていうような意識も生まれるのかもしれないなって。

そうなるとますます自分は自分、一人っていう感覚が加速していくのかなと


虚空 それって前にNHKでやっていた人体Ⅲの遺伝子の中で紹介されていた両親どちらにもない突然変異の遺伝子が存在する、っていう話とも通じるよね。

あとは、もっと前にやっていた思春期の脳を解説した番組。

思春期特有の感情の乱れとか暴走が、脳を新たに刺激して、既存のものをいい意味で壊していく。それが人類が生き残り進化してきた原動力の一つだ、って。

だから、それ自体が悪いっていうことじゃなくて、親と違うことで子どもを狭い意味で判定して何とか期待通りに捻じ曲げようとすることじゃないの?
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