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☆上原先生「テレビ作家の教育力」発言 元は「古典芸能の教育力」

2019年3月17日  諷虹・虚空①
*大洗でのイベントの話題から先日紹介した上原先生の言葉「テレビ作家の教育力」に関わるやりとりです。

上原先生の教育の発想は、いわゆる「学校教育」が出発点でないことに大きな特徴があります。
民俗学の「心意伝承」や「古典芸能」「儀礼文化」等々、非常に幅広い分野からの発想を重ね合わせての「人間探求」・・・その中に位置づけられる教育学です。

学校教育制度が整っていなかった時代の庶民教育は旅芸人などによる芸能によって行われていた部分が大だったということなのですが・・・これはまた、現代人が「(神話を含む)古典を学ぶ意義」にも直結する問題です。様々な時代を生き抜いてきた・・・様々な時代の人たちが「これは残そう」と思うだけの普遍的な価値があるから残ってきたのが古典・・・その中に秘められているものは、現代人にこそ「大きな教育力を持つもの」と言えましょう。

そして、案外アニメなどの中には、古典や神話に通じるものが沢山あるんです。

駿煌会がアニメをとっかかりにして様々なやりとりをしているのも、それに沿った発想。
だから「アニメの話」という枠に縛られずに、様々な分野と共鳴しうる内容を語り合い、楽しんでいるわけです。

諷虹 ・・・大洗でのガルパンイベントもかれこれ8年。今日は6万人だって公式発表されていました。あんこう祭の12万人の半分程度ですが・・・

虚空 半分だって6万人っていうのはすごいことだよ。
これもさ、この前T・K先生から紹介された上原先生の言葉を裏づけるよね。

『子どもはいつでも夢を見ている。その中に先生だから入れるということでなければ、(ならない)。
ガンダムの世界、子どもの世界、夢の世界に働きかけている。(これが、)テレビ作家たちの仕事、教育力ということから言えばテレビ作家たちの方が優っている。
教育の世界に(は)、子どもの世界に触れるものがない。
9月例会 1992(平成4年)9.15 』

学校の教材でこんなに世代を超えていろんな人に印象付けて、何年も大勢の人たちを突き動かしていく力を持っているものってある?アイドルだってコミケだってそうだけどさ・・・・

諷虹 ほとんどないですね。

虚空 ガルパンで大洗が盛り上がるのはこの先だって当分続くでしょ。
よくよく振り返ってみればね、上原先生が日本教育史の話として古典芸能のことをよく言っていたよ。江戸時代はかなり寺子屋の制度とかが整ってきたんだろうけど、それよりずっと前の時代。
特に「生き方」というような人間の根源に関する教育。その大きな力になっていたのが、熊野なんかを出身にした修験者とか、平家物語を語って聞かせた琵琶法師・・・旅人。それが地方の村々を渡り歩いて語って聞かせたことが、人間性とか宗教の教育になっていたと。
そういった今でいう古典芸能が持つ教育力。
それが頭にあったから玉川の教育学科で「国文学」の講義というのを自分が開講していたことに自負があったんだろうね。教育学科で国文学の講義が用意されている大学はそうそうないって。でもそれが自分が履修した年が最後。来年からは国文学も児童言語の研究もすべてなくされた。国語教材研究だってほとんどの学生が教育方法学の若い先生の方にながれていってしまって、先生の居場所はなくなっていった。
でも、日本の教育史からみれば、今のような学校教育制度になってからの方がまだまだ歴史が浅いし、戦後教育になってからはそれこそ歴史がないよ。で、本当の意味で成果があがっていればまだいいんだけど、本当の人間が育っているかというとそうは見えない。
上原先生流にいえば、それがまさに「心に届かないことばかりを今の学校はやっている」ということなんだろうけど、もっといえば日本の教育の中核を本当に担っていたのが「旅の芸能集団」だったと。その代表的なものが「説経」であり、説教師とよばれる人々が村々をまわって語り聞かせることで大きな教育を担っていた。
だからそれを国文学の題材として講義していた・・・そういうことだったんだろうね。「説経は説教ではない」という文字の違いについても言っていたよ・「経」だって。縦筋なんだと。普遍的なことを説いているのもだと。
どうしても学校の先生は学校でのカリキュラムこそが教育として絶対のものであって、アニメやゲームなんかは勉強の邪魔としか扱わない。
でも、日本教育史の観点からいえば、芸能・・・今の時代に当てはめればテレビ作家の用意していることの方が、本当の教育に通じる・・・っていうことだよね。
上原先生の退職後の論文も直接教育云々っていうのはほとんどない。やっぱり心意伝承とか「人間そのもの」の幅広い探求。その中に教育を位置付けていたわけだ。
そのスタンスそのものを受け継いでいかないと、っていう想いがあるから余計に駿煌会のやりとりなんかを、きちんと文字に残しておきたい、っていうのはある。
自分もいつまで動けるか分からないっていうのがいよいよ現実味を帯びてきているから。

諷虹 震災があってこそというのもありましたからね。もちろん多くの犠牲はあった上でのことですが。

虚空 そのあたりが上原先生の犠牲論ともつながるわけだけど・・・犠牲論って一つ間違えるとえらい誤解をされるような危険な内容といえば危険な内容だからね。
大洗の若者が中心になってガルパンを盛り上げたんじゃない部分・・・それまでアニメに縁がなかったようなオジサンとか年配者が頑張ってこその草の根的なことがある。そういう動きのでき
る人たちだったから・・・っていうのがね。
それを「特殊能力者」とか「資格者」といっているわけだよ。
単に地元を舞台にアニメ化してくれないかな・・・という姿勢だけでは、聖地としてこんなに盛り上がり続けはしない。それは他の聖地をみてもわかる。

諷虹 老兵・・・SHIROBAKOでいうと杉江さんとか・・・・技術が高くてもだんだん熱量がさがってしまう。でもそれが何かのきっかけに燃え上がれば・・・。
ベテランたちがっていう意味で言うと、アンデスチャキーなんかも。
最後の輝き・・・普段冷静な老兵であっても死ぬ瞬間は冷静でなくなるよなって・・・燃え上がって最後の輝き、今までの中で最高潮の状態に達する。

虚空 自分ももうひと踏ん張りしたいところだけどね・・・・。心は崩壊しかかっているまま。例の親戚がらみのことで怒りだけはしょっちゅう爆発させているけどね。
今日も胸糞悪い電話がかかってきて大爆発して電話を切っちゃったんだけど・・・。でもそれでますます現実を追いつめられてしまう部分もあって・・・だからガルパンの6月のだって、ちゃんと観られる状態になっているか本当に分からない。
正常な状態で気持ちが盛り上がって、ラストに向かっていくならいいんだけど、それも出来ないままで終わりを迎えるというのが今日の一件でまた現実に近づいた。

諷虹 (ネット検索)これは西洋の考え方ですかね・・・

ダグラス・マッカーサー「老兵 は死なず、ただ消え去るのみ(Old soldiers never die; they just fade away)」
⇒その意味は「自分はこれで表舞台を降りる」といったことを表します。

虚空 日本でも姥捨て伝説のように「年老いた=役立たず」っていう発想・・・現代なんかはまさにそうだろうけどね・・・でも本来は年配者は神にもっとも近い存在・・・
もっともうちの親戚みたいに年老いて人生を達観する境地でなくて、他人を他人とも思わないまんまというのが多いから、年配者を尊敬しようという気になれないのも仕方ないけどね。
もうすぐうちの母親の推定命日だから余計にそう思っちゃうんだけどね。体調が悪化したおに誰にも連絡することなくそれこそひっそりと朽果てて一か月後に発見されたわけだから。
それだけに今日は我慢ができなくなって爆発。

諷虹 (ネット検索 アニメキャラ等々のカッコイイ死に方)
弁慶なんかもそうなんですね・・・

虚空 本人がそれをかっこいいと意識していたかどうかは別にして、日本人がどういった死にざまを賞賛したのかというのは、さっきの犠牲論がらみもあって重要な問題だよ。

諷虹 活路を開く・・・いい意味の吶喊をするキャラ。自分が自爆することで・・・。
弁慶は盾になる。槍か盾になる・・・・

虚空 ちょうど今日、以前録画していた坂東玉三郎の古典芸能の解説をみていて、仮名手本忠臣蔵のおかるのことをやっていて・・・自分を投げ捨てて行ったことがすべて無駄だったということを本人に伝えるか伝えないかの場面についてやっていたけどね。
槍にも盾にもなれないで無駄死にするようなことがアニメやドラマだけじゃなくて現実にもある。うちの母親なんかまさにそうだったし、そんな母親が命にかえて守ってくれた自分も、今理不尽なことで葬られようとしている。一体なんのために自分も母も人生を滅茶苦茶にされたのか・・・・(愚痴まくる)
杉江さんの復活と同じようなことが大洗でも起きたわけだよね。その秘密
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