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☆好きな事を究める生き様 「個性」と「多様性・社会性」 ②

☆ 2019年9月22日  諷虹・虚空やりとり
昨日の続きだったのですが、
SWITCHインタビュー達人達 桑田卓郎(現代アート陶芸家)×ロバート キャンベル(国文学研究資料館館長)
を視聴しながらの語り合いでした。

こうした「個性」に関すること以外にも、駿煌会での語り合いとの接点も非常に多い内容でした。



虚空 昨日は英才児の狭くて深いということからの「個性」を、外側から働きかける力っていう切り口で考えたんだけどさ・・・

たまたま今朝、しばらく前に録画していて観ていなかった対談番組をみていたら、違う角度での参考になりそうなのがあって・・・・昼間要所要所だけは文字起こしをしてみた・・・実は一日中頭痛がひどくてしんどかったけど・・・。

英才児の云々だけでなくて、少女歌劇を考える上でもいろんなヒントがありそう

(ビデオ視聴)SWITCHインタビュー達人達 桑田卓郎(現代アート陶芸家)×ロバート キャンベル(国文学研究資料館館長)

☆清水寺 桑田の作品展示 見た人の反応
・「白昼夢みたいです。今現実だよね?っていう感じ」「確かにね、こういうの現実的にないから」
・未来っぽくもあるし、原始人が作ったみだいでもある。両方あるし・・・
諷虹 現代アートといいつつ未来なのか古代なのかというのはこれ如何に、ですね。

*桑田を高く評価していた陶磁器研究家の林家晴三
 厳しい言葉をかける一方、自分が主催する茶会で桑田の作品を披露。将来に期待していたという。

林家 (茶の器)いい色がでましたよね。ただ、全然茶を飲む人に対する愛情のない茶碗。自己主張だけでね。
それはそれで一つの在り方かもしれないけど
諷虹 昨日の話じゃないけど、自分の思い通りに追求していった結果・・・なんですね。

*作業場の様子
諷虹 外国の体に悪そうなお菓子のようですね。(色合い)

*初めて納得したという作品
桑田 これはろくろですね。そくろで回してそしてそのあと乾いているときにちょっと収縮したりしてどうしても正円じゃなくなってくるんですけど、本当はその時に調整したりするんですけど、そのまま楕円のままになって・・・マッ、いっかな、って。
これもそのときできたものだからって受け入れて楕円のままにして。

諷虹 ああいうのをみるとはがしたくなりますね。値札のシールがはがれかけているような気がして。


(制作の過程)

諷虹 日本の占術のようですね。
行き当たりばったりのような要素もあるんですね。


*桑田 よく僕は「変わったもの作ってるね」って言われることがあるんです。「何焼きなの?」とか「アンチ陶芸なの?」とか・・・僕は別にそういうの考えてなくて、今普通に作っているだけで自然に・・・。


虚空 英才児とかが純粋に自分の興味のあることに没頭している時ってこういう感覚なのかもしれない。変わったことに興味を持っている、と特別視されるのは心外というような。


諷虹 自分の中ではつながりがあるというところなんでしょうけどね。そこで自分が折れてしまうと統合失調症とか精神病のようになるんですかね。
「自分はおかしいんじゃないか」って世間と同じ視線の自分が生まれてしまうとおかしくなってしまう。


虚空 そういう意味では「自分・個性」を作らないというのとの関連がありそうだね。この前から話題になっている「没我」の問題。
下手に一般的な尺度を持っている「自分」を作ったら、自分で自分を壊しにかかってしまうような。
趣味を諦めるか、趣味を逃げ場所にして、他人と断絶してしまうか、というようなどっちかに。
英才児に限らず今の若者たちなんてみんなそうなのかもしれない。


諷虹 個性の問題ですからね。
あと昔からのいいものを残しつつ現代のいいものをという発言があったと思うんですけど、それをきいて、何年か前に国立博物館にいったときの、現代のコーナー。どういうのをチョイスしているかが興味あったんですけど、その時代を生きていた人間としての感覚。
そう考えると古典落語とか歌舞伎とかは何故残ってきたのか・・・普遍的なものがあったからなのか、それ以外のこともあったのか。
その尺度自体も個性みたいなものなのかなって・・・・

*桑田 ・・・・・焼き物にすごく興味があったわけでもなくて・・・写生会で絵を描いていると夢中になってまわりに気が付かないタイプ・・・・勉強が嫌いだったんですね、本当に。父親から新聞を朝読みなさい、って言われて朝置いてあるわけですよ。それが僕は嫌で大嫌いで、僕はそれに反抗するかのように本を全く読まなくなって、たしか国語で10段階で1があった・・・。

ロ でも国語ってナマの言葉ですよね。世界や世の中をどういう風にみるかとか、どういう風に渡り合っていくかとか、すべて言葉だから。教室の中で学ぶものばかりではないんです。今日おはなししていてもすごく言葉を運ぶ、運用する力をすごく僕は感じるんですね。

桑田 え?じゃあ国語、僕は大丈夫ですかね?

ロ 大丈夫。・・・・・・

虚空 IZ小の子たちってイメージ運動のパワーとかが破格だったんだよね。そういう点ではまさに英才児の要素いっぱい。

で、何に力を入れたかっていったら作文。そりゃ最初の学校でもイメージ作文は山ほど書いてもらったけど、それに加えて「心と体の実況中継作文」というような種類のもの。それを山ほどっていうのは、内側からどんどん湧き上がってくるエネルギーというか、情動をセルフコントロールする力を獲得してもらう第一歩が「言葉にする」と思っていたから。

もちろん気持ちや体感のすべてを言語化なんかはできないんだけど、それを少しでもキャッチして作文として書けるように・・・・自分自身の「観察」
そしてポイントはね、観察記録なんだから主観的な評価っていうのかな・・・いいとか悪いとか、そういうのは入れない。
キャンベルさんのこの言葉からそれを思い出した。
桑田さんはまさに生きた国語をバッチリやっていたということだよね。
ここで社会的な評価をするような「自分」を出してしまうと、自己否定に走っていくか、反社会に走っていくかしてしまうんだろうね。


諷虹 このところ型の話が出ていますが・・・俳句とか・・・この桑田さんは型があるのを拒絶しているタイプだったんですかね。連歌というよりは枠組みをとっぱらった正岡子規タイプなのかな。型があるから生き生きする人と、そうでないひと。
それで思い出したんですけど、図工の時間い四つ切の画用紙を渡されて、何を描いて画面を埋めようかということばかり悩んだ。だから自分は八つ切とかの方が好きだったんです。
自分が四コマ漫画の方に惹かれるのはそういうこともあるのかな、って。狭い方が奥行きを感じる・・・狭いから身動きができなくなる人もいても当然なんですけど。


虚空 それはあるかもね。だから自分なんて図工の時間に四つ切画用紙で描いてもらうことと同時に「葉書絵」も随分描いてもらっていた。両極端。あと、四つ切でも物足りない場合は黒板。


諷虹 でっかく描くのが好きではないというのもありましたね。ちっちゃく描いたのを並べたい


虚空 まさに昨日みせてもらったカードのコレクションだね。


諷虹 ああいう収集癖・・クリアファイルやポストカードもそうですけど、コンパクトなのを集めるのにこだわってしまう。葉書サイズのあの中での世界観。
画集も買うけど、ちょっとあのサイズはでかいかなというのが・・・・


虚空 以前から「圧縮と解放」なんていうのにこだわるのも、そういう意識が働いているのかもね。


諷虹 はがきサイズのようなものを何枚か組み合わせて・・・三題噺のような感覚・・・アルバムにとじておくときにもそういうこだわりはあるかも・・・


*桑田さん、ある陶芸家との運命的な出会い・・・基礎の基礎からたたきなおされる。型を受け入れる


諷虹 きちんと作れるからというのですね。

*桑田 先生のところにいると、山のちょっと崩れているところをみると「ああ、あそこの砂が使えるかも」とか「あれはああいう焼き物に合いそうな砂だよ」とか。先生がよくこう茶碗とか持って「もうちょっと焼けるといいね」とか、本当に微妙なところとか・・・
横でそういう先生が言う事をきける機会があって。それはすごく貴重なことで特別だった・・・。

ロ そういうことを言葉にする方だったんですよね。いちいち言うってことはすごいなと思うんですね。

桑田 焼き物の知識が増えていくと、こうなるっていうふうに分かってくるし想像がつく・・・でも「それじゃダメだよ」ってよく言っていました、先生が。じゃなくて「ダメだって思う事を、こうなったらもう失敗するって思っても、とりあえずやってみる」ってことを・・・


*桑田 ・・・・無理にメタリックで派手にしようというんではなくて、出会いとかもその中ではあって・・・技法との出会いもあるし、こうやって岐阜にきたからどういう職人さんがいっぱいいて技術を教えて頂いて、その中で「こんなことも出来るよ」って言われたり・・・・・


*ロ ・・・エッセンスとして残る、そぎ落とされなかった桑田さんのコア(中核)って何ですか?

桑田 やっぱり、一人でできてきたものではない、ということですかね。それは素材との付き合いとか、知識の面でもそうだし、あとは作る以外のことでも、想像できて新しいものができたり、っていうのもあるし・・・やっぱりそこだけは今後のサイクルは崩さずにやっていくことで、僕も元気でずっと続けられるし・・・なんだかちょっと死に際みたいな言葉ですけど。

ロ ちょっと意外な答えでしたね。僕は引き算が出来ないコアというのは、土に向かった時の気持ちであるとか、ろくろでこうやって上げていく時の瞬間の手ごたえとか、そういうことが返ってくるのかなと思っていたんだけど・・・。
周りに人がいて、人と一緒にいる。支えられたり、自分が投げかけたりっていうことだったんですよね。

桑田 基本ずっと一人でいるんですけど、でもそれを教え感動させてくださったりしたことがあって、自分は今それを感じられるようになって・・・自分だけだったらそういうことを感じられなくて・・・そういうのを「美しいよこれは」とか「これっていいよね」とか気づかせてくれたおかげで、自分は今、すごく土を知ることができるんで。
でもその中で自分が絶対に外せないところってありますね。


諷虹 前、画集だけ買っていたと思うんですけど「アトリエシリーズ」の画集。錬金術師の主人公の話。そこで出てきた言葉で
「素材の声をきく」
っていうのがあったのを思い出して・・・・自分はやっていないタイトルですがこんなのもあるみたいですね

フィリスのアトリエ
錬金術士の公認試験を受けるためキルヘン・ベルから旅立ち、プラフタとともにライゼンベルグを目指している。
旅の途中に寄った鉱山の町エルトナでフィリスと出会ったソフィーは、鉱石の声を聴くことができるという彼女に錬金術の才能を見出す。彼女に請われて錬金術を教えることになったソフィーは、彼女から「ソフィー先生」と呼ばれ、慕われることになる。
錬金術の経験を積んだ事で、素材の「声」を聞く事が出来るようになっており、素材の気持ちを理解出来る。


虚空 そこなんだよ。この桑田さんもそうなんだけど、本当にある道をとことん究めたら、それに関わってきた人達とのつながりだけではなくて、物質から語りかけてくるものとも交感できるという境地。

こんな背景には、日本古来の考えで言えば、八百万の神々が宿っているということになるんだろうし、空海だったら宇宙万物のすべてに大日如来が内在しているという言い方。

あるいは学生時代に没頭していた幼稚園の創始者フレーベルの四蔵でいえば「万有内在神論」・・・すべて神が創造されたものには生き物も物質も関係なく、神が内在している。
教育の究極の目的は、そうした万物の中に内在している神性をキャッチする能力の育成。そのためにフレーベルは恩物っていう遊具を乳幼児に与えた。一番最初の基本形はボールなんだけどね。

(ゲームの画面を視聴。錬金術で大釜をかき混ぜている場面をみて、虚空、先日高校生と日本神話の話をした際の天沼矛のことを思い出す。)



虚空 英才児の自由研究でもマニアックというか何と言うか・・・・とことん一点集中型の子が何人もいて・・・。一昨日ずっと話し込んでいた聖徳の先生が、昔に比べてそういう子が減ってきた、もっと狭くて深いことに没頭させたいということを話してくれたんだけど、それってこのこととも深いつながりがあると思うんだよね。
何も子どもはそれを意識していなくていいんだよ。
でもね、子どもが自分の興味を抱いたことに没頭しているときに、特にそれが教科書とかテストとかと関係ないことだと尚更なんだけど、「勉強に関係ないことばかりに興味を持って困る」って大人が思ってしまうわけだよね。
テスト云々ということを気にしない場合でも、もっといろいろなところに関心を持つ、広い視野をもった子に育てたいとか・・・・。

その時にこの問題をどう考えておくか、は大事なポイントだよね。

中途半端なところでやめてしまったら、その奥底にあるもの・・・森羅万象と繋がるものは見えてこないままで終わってしまう。でも究めたら、そこに到達できる。
究極の「特殊性」が「普遍性」に相転移する・・・日本人ってこの感覚だったんだと思うし、これも昨日話した、例えば宮大工の組織論ともつながっていると思う。
専門バカの頑固職人で周囲との調和もとれない困った人・・・でもそういう人をそのまま使えるのが棟梁の大事な資質であり、そういうクセをクセのあるまま使えないと、本当に長持ちする神社仏閣は作れない、って。

個々人と全体との関係の持ち方が、西洋風とはだいぶ違うよね。
まず勝手な部分を改めさせて・・・ってやっちゃう。それによって、本当にその人にしか持ちえないものを潰してしまう。今の世の中が平均化した子どもばかり育てようとする・・・

ちょっとでもみんなと違うと、大人だけではなくて、若者同士でも潰し合う、けん制しあう・・・みんなから浮かないかということにたえず神経をすり減らして心の病になるか、そういうことに気を使えない子は若者の世界からもドロップアウトされてしまう。



諷虹 このはな綺譚 にそれと関係の深いのがありましたね。(6巻 びいどろ横丁)



虚空 失敗っていうことの考え方もだいぶおかしくなっているからね。「失敗は成功のもと」って自分がガキの頃はいろんな大人が口にした言葉だけど、今はほとんどきかないもんね。失敗は即アウト。
でもこの言葉って、単なるなぐさめじゃないんだよね。失敗からはその気にさえなれば本当に生きた知恵を山ほど獲得できる。
だから英才児に限らずだけど、自由研究で本当にこれからの生き様につながっていけそうなのって、失敗とか試行錯誤の記録もきちんと残して考察しているものだと思う。

だいたいさ、ベテランの研究開発者が嘆いていたという話もあったじゃない。予測通りの結果が出なかった時に、最近の若いのはすぐに「失敗だ」っていって記録ものこそうとしない。ひどいのになるとデータを改ざんしてしまう、って。
自分達の時はそういう結果が出た時って、もしかしたら新たな発見につながるのかとワクワクしたものだ、って言っていたけど。で、ほとんどの場合は新発見にはならないんだけど、それはそれで多くのノウハウを学べたって。
さっき桑田さんの師匠が言っていた、ダメをわかっていてもやってみろというのもそうだよね。そういう一見失敗作を山のように作ってきたから、別のを作る時には案外それが使えたりとかいう自由自在がてに入った。
伝統的な「型」と、独自の工夫の失敗の積み重ねから得た知恵という「型」とが統合されて、新しい境地へ・・・っていう感じかな。
英才児で偏るタイプの子が他人に無頓着というか没我状態で、好きなことにとことん集中するというのは、そういうことへの道なのかもね。
それを中途半端にやめせさせるから、無駄な時間を費やしてしまった、なんてなる


諷虹 自由研究の本も失敗は載っていないですからね。


虚空 自分が自由研究を指導した時に大事にしたのはそこだった。うまくいかなかった時こそ、それをとことん考察した自由研究。でもそういうのは、案外学校で高い評価を受けていたからね。時には模範として他のクラスにも紹介された中学生もいた。全くうまくいかないで終わった研究だったんだけどね。
そういう風に受け止めてくれた理科の先生は、本物だんだと思う。


諷虹 研究ですもんね。


虚空 そうそう。研究ってそういうもの・・・まさに構え。予定調和でこの本の通りにやったらこうなりますよ、なんていうのは研究でも何でもない。

ネット検索「研究」
デジタル大辞泉の解説
けん‐きゅう〔‐キウ〕【研究】
[名](スル)物事を詳しく調べたり、深く考えたりして、事実や真理などを明らかにすること。また、その内容。


虚空 この事実や真理っていう言葉が曲者だよね。だからうまくいかなかった実験は役に立たないって思われてしまう。失敗には価値がない、って。


諷虹 でも失敗は「こうしたらこうなる」っていう事実を明らかにしていることなんですよね。で、その中から成功したら「真理」がみえてくる。


虚空 「失敗は成功のもと」っていうのは本当に現代にちゃんと甦らせたい言葉だよね。
だって本当は様々なバリエーションが会得できるということなんだから、うちのオヤジがよく例えていたことでいえば、ご飯の水かげんが、目的に応じて自由自在に調節できる能力を会得することなんだから。


諷虹 一本道だけの地図がどれだけ役に立つかということですよね。お使いの地図じゃないんですから。もしその道が通れなかったらどうすればいいかが分からない。


*対談の舞台が国文学研究資料館へ
桑田 僕はちょっと調子が悪くなってきたら、茶碗を作ります。普段はオブジェとかをいっぱい作りますが、やっぱり自分の原点というか、すごく落ち着くんですね。何を別にやるとかじゃないんですけど、とりあえず土をろくろの上にボンと置いて、お茶碗型のものを作る。何も考えない。それがすごくリセットされる。

諷虹 (キャンベルさんが)英訳するというのも原点ですよね。そっちが母国語なんだから。


*ロ 大学に入ってから(日本独自の)文学とか芸術があることを知って、翻訳で読んでもなんかちょっと隔靴掻痒(かっかそうよう)・・・なんか痒いんですね。何かあるんじゃないかと思って日本語を学び始めたんですね。
そうすると少しずつ扉が、また次の扉を開いて、こすってノックしてこじ開けても、奥の方にまた扉があるという具合に。これを一生やっていても退屈しないということを結構早く分かったんですね。

虚空 これなんて、上原先生が詠みの世界を開くで5年生に話していた「奥座敷の掛け軸に迫る」っていうのを思い出すね。
(児言態雑誌15号 P77 http://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/files/public/4/45178/20180313144742369069/Jidou-no-GengoSeitaiKenkyu_15_71.pdf
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上原 ・・・うたをよむということかそれなんだよ。心の働きをつかまえるということなんだ。人間はみんなこういう生活をしている。校艮先生も、先生も、この周りにいる人たちもみんな心が働いて
いる人なの。そして、そういう生活の仕方をしている。
 これを例にたとえるとね、日本家屋の形と奥まった所に奥座敷がある。奥の座敷には

C神棚。

上原 そう、神棚がある。一番ちゃんとした部屋に行くと床の問を作ってる。床の間に土足であがったりしないだろう。そこは神聖な神様がいらっしゃる場所である。お正月なんか、そこにお飾り物なんかを置くだろう。そうなってるね。そして普通は、床の問に神棚があるって言ったね。床の間には何だか長いものがかかっているじゃないか。

Cかけじく。

上原 かけじくがかかっているだろう。今日の場合、阿部君のかけじくには『夏深し』と書いてあったということなんだよ。わかるかな。玄関があって、奥の間へ入って、又、奥の問へ入っていったらここに床の間があるね。ここにかけ軸がかけてある。そしてその全体をとりしまっている形になっている。だから今日のC君のイメージ、想像力っていうと『夏深し』っていうのがこう、とりしまっている。
 
だから、君達がこれから自分のイメージを引っぱり出すときに、今日のぽくのイメージの一番奥の奥座敷にはどんな掛け軸がかかっていて、そこには何と書いてあるだろうって思っでもいいんだ。それを季語って。言ったりするの。あるいはテーマとか題とか言ったりする。そして奥座敷へ行ったら、よみの世界を開くって書いてある。よむっていうことはどういうことなのかっていうことが書いてある。今みんなは、それに近づこうとしているんだよ。

Cよみって、あの世でしょう。

上原 そうだよ。分かった?
⇒お題「雲の峰」
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虚空 さっきのことでいえば、どんなことでも究極的には森羅万象とつらなっている・・・そこまで扉を開け続ければ、狭くて深い道だって、ちゃんと「時間・空間・ジンカン」の広がりも深まりも獲得できるんじゃないかな。

昨日もいったけど、うちのオヤジの「子どものすることは何でも勉強」という言葉にはそういう側面もあると思う。


*(ある軍記ものの書物の挿絵をみながら)
ロ これは鳥観図ですよね。鳥になってその戦場の場面を・・・・・

諷虹 俯瞰図じゃなくて鳥観図


*ロ ここにたくさんのこういう原資料があり、単に発信をして開放するのではなくて、共にそれを学び、そのそれぞれのジャンル、それぞれの技術を使って、新しい価値を作っていこうという発想が・・・。私たちが研究事業としてやっていることと伴走するような形で、研究者じゃない人たちがそこに入ってきて、いろんなものをそこから同時に作ってもらうことによって・・・それができれば素敵なことかなという風に僕は思ったんですね。発想があったんです。
発信ではなくて「交信」あるいは「共振」

諷虹 共鳴ですね・・・どっかで聞いた言葉ですね・・・・(共振という言葉に感動)
⇒駿煌会の趣旨そのもの


*サンプルアニメ 鳥瞰シーンも出てくる
ロ その絵本をなぞりながら、カバーしていながら全然違う作品を作っているんですね。ただそのためにもともとの描線を捉えないといけない。100回も200回も絵本をみながらその人の筆遣いを模倣しながらのり移ってくるらしいんですね。それは自分のものにしないと納得しない。それを自分のものにして初めて山村浩二さんの作品がそこから生まれる。動き始めるんですね。ものすごく面白い物語が出来るんですね。
そういうものをその素材を扱っている研究者たちが見ると。それまでとは全然違う目線で山村さんが観ていると、ものすごいインスピレーションを受けるんですよ。
双方向性のことがすごく起きている。ちょっとビックリしているんですね。
(鳥瞰のシーンがある)


*小説家とのコラボの実例


諷虹 「君の名は。」もそういうことをやっているわけですよね。
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*ロ この資料館に沢山の伊勢物語の原文だけではなくて、伊勢物語をめぐる注釈書だとか絵画だとか二次作・・・そこから派生してきた・・・ヒレをつけていろいろな在原業平の生まれかわりを・・・・・そういうヴァージョンがいっぱいあるんですね。10世紀から何百年もの間に。1000点以上のいろんな伊勢物語があって、そのことを知った川上さんがすごく盛り上がって。それがまた伊勢物語の第一級の研究者たちに集まってもらってレクチャーをしているんですね、川上さんに。

桑 知るっていうことは重要ですよね。知ると言う事で今どうするっていうのもあるし、自分は今どうしたいというのが出てくるような気がしますし。

ロ 知っているから崩せるし・・・
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諷虹 同人誌の感覚ですね、まさに。ファンによる二次創作。
これも昔からのことと現代の融合ですよね。


*ロ 川上さんが(素朴な疑問を)研究者たちにぶつけるんですね。でも即答はできない。私達は実際に文献に書かれていることした答えられないので、調べて次のときにそれを答えたり・・・それがまたなんか面白い種火になって、研究者たちの間で結構盛り上がっていって、伊勢物語がちょっと違う色に見えたりすることもあって、二方向から一緒にシェアをすることによって、また新しい何かが生まれる。
共に何かを作る世界のちょっと小さな石のレンガのかけらみたいなものが作れたらいいかな、って思うんですね。

諷虹 バガボンドもそうですよね。


*視聴後
虚空 咲の話で出た事とかも含めて、英才児のことをはるかに超越して、人間すべてに響く話になっていくと思うんだよね


諷虹 鳥瞰っていうのもやっぱり・・・

ネット検索
ふ【俯】[漢字項目]
[音]フ(呉)(漢) [訓]うつむく
うつむく。身をかがめて下を向く。「俯角・俯瞰(ふかん)・俯仰・俯伏」
俯瞰 の俯の字 訓読みで俯く(うつむく)

諷虹 やっぱり俯瞰だと人間の視線なんですね。


虚空 人知を超えるなら鳥瞰だね。


諷虹 視点の違い・・・観測者が違うから。俯瞰だとどうしても人間の尺度だから、人間にとって有益なものばかりに偏りがちなのかなって。
でも、鳥瞰だと鳥視点、鳥にとって有益な情報・人間にとって不利益な情報・・・ノイズみたいなものだから、人間にとっての価値観とは違う観点もどんどん含んでいる?
レポートと論文みたいな感じかもしれないですよね・・・淡々と事実が綴られている・視界に入るものが全て描かれているレポート・鳥瞰に対して、その人の考えとか強調した部分がデフォルメされている論文・俯瞰・・・



虚空 葛西先生の英才児の著書は「鳥瞰」って言っているんだよね。英才児の視点を。
(・P177 「鳥瞰の視点」・・・「観察」⇒宇宙空間の転換(上原言))

ずっと話題になっている「英才児の作文の観察という視点」っていうのは、まさに人知を超えた領域への道なんだね。幅広い事実のキャッチだから。



諷虹 前に意識をスターライトブレイカーとファランクスに例えていましたけど、その場から動かさずにキャッチできる英才児(ファランクス)と、自分の方に寄せる、収束させて興味関心のあるものをにフィルタリングしてキャッチするIZ小的な子(スターライトブレイカー)


 
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