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☆孔子のお言葉 (論語陽貨八)③ 本物の人間が育つ雰囲気

2019年4月26日 諷虹・虚空やりとり、その1です。
このところのラインやりとりを受けて語り合いがはじまりました。
「自分も生き方を変えなければ」ということが頭では分かっていても、実際に切り替えることが出来ていないと感じてしまっている時、さらに努力できればいいのですが、なかなかそうもいきません。
世間が「前向きに生きなきゃ」と当たり前のようにいう現代だからこそ、「そんな簡単に出来れば苦労はしない」「パッと切り替えられない自分ってダメなのかな・・・」とより絶望状態になってしまうことがあります。
そんなこともふまえてのやりとりです。


*諷虹コメントに対しての最近のみなさんの意見から
ダンデリオン「凄く面白かったです!「重心」という言葉の意味もハッとさせられました。北斎の幾何学、オイラーやガウスの逸話、ジョッブズの養育論、読み応えありました!」
コバルトブルー「それにしても重心は重心と思ってしまっていて、暫くパッとしてなかったのですが、重心→重ねる心は、真に会心の一撃(ビッグバン)でした。説明の仕方も上手だし。」
ソルティ 「諷虹さんは、私のつたない質問に答えてくださるときに、非常にわかりやすいので 嬉しいし、また尊敬もしています。」


虚空 (諷虹君は)高専時代に友達にテスト前に教えるときもそうだったけど・・・相手に応じて的確にたとえ話を作り替えて、理解させていっていたんでしょ。で、時には自分よりも高得点をとれるようにしてあげていた・・・。
それって数学による抽象化が類化性能をよりアップしているんじゃないかな


諷虹 発想の飛躍っていうのは大きいかもしれませんね。で、飛躍した先から風が吹けばじゃないですけど、順序だててフィードバックしているところはあるかもしれませんね。


虚空 そのパターンって、アインシュタインが友人に書いた「自分の思考パターンは」っていうのと似てるかもね。「考える 跳ぶ」っていきなり飛躍した発想が浮かんで、あとから理論立てていく・・・。
飛躍っていっても、ベースには「抽象化」ということで本質をつかまえているから、みんな説明を聞いて納得できる・・・それだけじゃなくて「目から鱗」っていうか「ハッとする度合い」が強い。
その持ち味はどんどん生かしていってほしいね。
結局「ハッとする」っていうのが「構えの変革」につながっていくわけだから・・・俗に言う「生きた学力」とか「生活の知恵」に直結していくためには、その感覚が伴わないとダメなわけだよ。

コバルトブルー君が我が子の授業参観で・・・相当イライラしながら観ていたと思うんだけど・・・ラインに書き込んでいたこと・・・


コバルトライン文
最近子供の授業参観に行って、相変わらず馬鹿製造工場みたいなことやっていたので、愚痴ります(笑)

今のところずっと大部分の学校でやっていることはただのクイズ王選手権なんですよね。
そのクイズの得点力が学年の順位、全体の偏差値としてレッテルを貼る。
これって一体なんの為にやっているんですかね?(笑)
大人達が一目で子供達を仕分けできるようにしか思えないし、普通に人間性を歪めさせるものにしか思えないです。

ここが子供達に区別ではなくて、歪んだ差別という意識を植え付けてしまっていると感じます。
教育界(親も同じ目線)そのものが人の上下に人を作ってしまっている。
先生も授業というよりは作業をしている感じ。

授業中の質問は基本煙たがれる。ただ生徒が気を利かせた質問にはご満悦で答えるだけ。
ただ教科書を覚えて知っているというだけで、称賛される世界。
逆に知らない、分からないは見下されたり、馬鹿にされたりする訳だし。
そして自分自身より下を見つけては馬鹿にして見下してはホッとする。

クイズなんてほぼ脳内スキャンだけのものなので、感覚が必要ないんですよ。

だからこそ、あの小学校2年間での虚空学級は救いでしたね。
美学でしたから、先生からの指示がなく迷ったとしてもあたたかいと感じた方に行動すればいいだけでしたし、そこをしっかり汲み取ってくれるから何処のクラスより活き活きしていた気がします。

逆にねずみ男みたいな薄汚い言動、行動には厳しかった訳ですけど。

諷虹 辛辣な


虚空 クイズ王選手権じゃないか、とか感じたのもそれだと思うんだよね。「構えの変革」への共鳴が起き得ないような教室。

*ここからいくつかのやりとりを経てエヴァンゲリオンの大きな流れについての話題 
「明るい雰囲気」から「精神汚染」へと大きく変わる
(列車の中で碇シンジの精神内対話描写が入るようになってから大きく変化)
諷虹 割と碇シンジに共感する人は多い印象はありますね。かくいう私も最近の男主人公キャラよりは嫌いじゃないところありますしね。


虚空 最初の企画書では前向きに変化させるような想定だったような気がするけどね・・・。制作しているうちにそんな簡単に前向きになんてなれないだろう、って思ったんじゃないかな。そこが共感っていうか安心できるところなのかもしれない。
特にさ、今のような12話で完結なんていう流れだと、あっという間に主人公の態度が改善される。そうするとさ、なかなか変われないことに日々悩んでいる視聴者からしたら、自分が置いてきぼりにされたというか・・・すぐに変われないことを否定されているかのような感覚になるんじゃないかな、って思う。
そういうアニメとかを観れば観るほど「よし、自分も頑張ろう」じゃなくて「どうせ自分はあんな風になれない」ってますます自己否定しちゃう。
その点、碇シンジは安心して観ていられるんじゃないかな。
カヲル君にしても「そのままでいいんだよ」っぽい受容的な感じがあるじゃない。


諷虹 後半なんか話ができる相手はカヲル君だけになっちゃったじゃないですか。エヴァQもそうですけど。ミサトさんの立ち位置が全然違ってしまった。
あそこに加持さんがいるといないとじゃ全然違うし。スイカのくだりのような。


虚空 それがある意味で凝縮されたのが「仙狐さん」かもね。
ある人ともそんな話が出たんだけど、あれは単に萌えキャラによる癒しアニメじゃなくて、形式的には幼女キャラってなっていても、主成分は「おばあちゃん」。
仙狐さん自身は「妻と母親」って主張していたけど、あれは「おばあちゃん」だよ。第一話で主人公の回想にもおばあちゃんのことは盛んに出てきたけどね。


諷虹 スーパー仙狐さんタイム、なんていうので視聴者が主観視点で入り込める部分もありますし。


虚空 そりゃやっぱりね、幼い時にそんな思い出があれば尚更刺激されるよ。
自分なんて小学生5年の頃から家族の夕飯を作る立場だったから。独立後はずっと独り暮らしだったし、じいちゃんと同居した数年間も作る側。
だから帰宅した時に夕飯が出来てる、とかいう感覚にはかなり疎い。しいていえば、田舎にいった時に、それこそおばあちゃんが作ってくれたのを・・・っていう思い出が強いからね。


諷虹 メイドなんていうのもそういう存在なのかもしれないですね。メイドラゴンでもメイドがウザイでもそうですけど・・・食事シーンにはどっちも気合入っていましたからね。


虚空 アンドロイドメイドの「まほろまてぃっく」だって料理上手。
メイドものではないけど、「藍より青し」も今時こんな人っているのかっていうような和服女性が料理上手。


諷虹 フルーツバスケット、もそういうところがありますね。
女性とは離れますけど「銀の匙」・・・あそこで八軒がどんどん変わっていけたのも「めし」。どれも胃袋をつかんでいる。


虚空 男女の役割云々じゃなくてさ、やっぱり人間の感覚として「匂い」とか「味」の記憶っていうのは、本当に深い部分につながっているよ。
そうすると「なつかしい味」っていうのに直結することが出来るのは人間関係において大事なもの。
だいたいさ、自分が体を壊して退職する、ってなった時に、一番言われたのが「えっ、じゃあもう先生の作った豚の角煮、もう食べられないの!」だったからね(苦笑)
最初の学校では特にそうだったんだけど、弁当の時には多めにおかずを作って持って行った。クラスの連中が交換して、っていってくるからいつも交換してたんだけど、忙しい親が多い地域だったから、「交換して」って言ってくる子のおかずは冷凍食品のおかずがほとんどだった。お母さんがお気に入りのおかずを作ってくれている子は交換しようとはしなかったのかもしれないけどね。
こっちに来てからの学校は手作りがほとんど。だから交換っていうよりは一方的に提供・・・大鍋いっぱいに作っていくのが恒例になった(笑)
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