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☆平成最終日 諷虹・虚空やりとり記録① 「棺担ぎのクロ」を通して

2019年 平成31年 4月30日 諷虹宅
*先週の土曜日にできなかった分の授業。この日になって「今日できませんか?」のメールがきて急遽決定した。
始まって間もなく諷虹注文の「棺かつぎのクロ」の画集が届けられる。
この画集に載っていた作者のコメントが最終的には「上原輝男先生が、初等教育段階で特に言語生態の授業というのを、どの教科の授業の場合でも大切だ」と主張された理由にもつながっていると感じました。

そのポイントは「蒐集」という言葉です。

このこと以外にも、上原先生の発想とつながる話題が出てきたので、そのつど先生の言葉も紹介しています。


冊子の中に「きゆづきさとこ 新連載 企画進行中。」という紙。
諷虹 (ページをめくりながら)きゆづきさとこ展の時のか。もう3年前か・・・コエーな。
虚空心の中の声
 今朝みた夢・・・火葬場で棺もいくつか並んでいた・・・。それでここに到着したらすぐに「棺担ぎのクロ」の画集が届くって!!!!

これって偶然じゃなくて必然???

火葬場とか葬儀の夢って「切り替わり」とかの予兆っていうけど・・・この棺担ぎの画集の中に、サプライズとして新企画のお知らせが入っていた、っていうのも何なんだろう・・・・


諷虹 平成の最後にクロの画集が届くとは・・・(10年越えの連載をふりかえって作者コメントを読み上げる)

虚空 今、心の声を打ったあとに、「平成の最後に」発言っていうのもちょっとドキッとした。ちなみにさ、平成の最後とクロの画集っていうのとに、どんな相関を感じたの?

諷虹 なんやかんや、どこもかしこも平成史を振り返っていますけど・・・平成生まれの自分としましては、平成史=自分の半生という感じなんで

虚空 半生じゃなくて全世だろ。

諷虹 そうですね

虚空 自分は昭和36年生まれだから、本当にだいたい昭和と平成が30年30年でほぼ半生だけど

諷虹 それで結局・・・まあ、その・・・うん・・・なんて言葉にしていいか分からないですが・・・長年追い続けてきた作品であることは間違いない作品なんで・・・

虚空 10年越えなんだから平成期間のおよそ三分の一だよね。

諷虹 私の人生だと半分強ですが・・・25歳なんで・・・
ここ最近追っている「白と黒」とか「混沌」とか・・・その根底にあったのがこのクロだったんだな、って画集をみて再認識。
特にこの最終巻の表紙・・・棺桶に花の冠・・・(形が)「0」ですよね。これ如何に?

虚空 この時点では「令和」なんて発表されていないしね。
棺の中が空になっている・・・入れ物・・・もっともこの主人公はカラのままの棺を背負ってずっと旅をしていたわけだよね。

諷虹 作者のコメントで「希望のある白」「花畑」というようなイメージって書いてありますね。
棺から足がはみ出ている意味とか・・・
(単行本の表紙イラストが載っているサイト)
https://tocage.jp/pages/1550984461.html
虚空 この主人公のように実際の棺をかついで旅をしている人間はいないだろうけど・・・でもこれは全ての人間にあてはまるわけだよね。旅を「人生」に置き換えれば・・・いつポックリ逝くかは誰もしらない・・・いつでも棺の準備をという感覚。自分なんてまさにそれで一生きているからね。
だいたい生まれた直後に死産に近い形で心停止して医師に「ご臨終です」って言われたとか言われなかったとか・・・じいちゃんがミカン箱で小さな棺を作ってた、なんていう伝説が親戚の中に残っているし。
それで平成8年にしたって去年にしたって医師から「長くない」というようなことを言われながら生き続けている・・・そういう点では、やっぱりこの「棺担ぎのクロ」っていうのは自分の中では特別な想いがあるよ。
もっとも複雑すぎるストーリー展開で特に後半は何がなんだかわからなくなっているけど・・・。原作も買っていないから結末に向けての2~3年はほとんど知らないし・・・。

諷虹 ここで足がはみ出ているというのが・・・型破りというか
(最終巻の表紙絵で花まみれで棺に入っている主人公の足が外に出ている)
死んでからその人用に棺を作ったんじゃあり得ないじゃないですか。生前葬じゃないですが・・・。死ぬ前に作っている器を生きている以上ははみ出ていく・・・収まらないように・・・成長していく

虚空 自分が想定していた以上に、っていうことだよね

諷虹 深い意味合いがありそうだな、って。
それともう一つあったのが、画集のサブタイトル、コンセプトが「標本図鑑」ってなってて・・・「蒐集」この字をみたら私は「なのはA’s」・・・「闇の書の蒐集」ってこの字を使っていますから。私の人生の中で特に大きな起点となったのが「なのはA’s」なんで・・・ここで「蒐集」っていうことからこの二つが結びついてきたっていうのがね・・・
まさしく集合ですね・・・そして「添加」のイメージ

虚空 だいたいさ、帯に書いてあるこの蒐集っていう言葉の部分・・・「イラストレーション、スケッチ、コミック、コメント、ラフ etc.  きゆづきさとこの作り方。 蒐集、保存、観察、記録、研究。」ってあるじゃない。
なんだかパッと思い浮かんだのが、上原先生が主張していた初等教育でやるべきこと・・・・言語生態としての授業。これは国語に限らず、すべてがそうあるべきだと。言葉は用具ではなくて「成長の過程」そのものを表しているんだから、ありのままの本音出してもらい、それを丁寧に聞き届けて、整理していく。そこから「人間そのもの」を深く探求していく・・・伝承レベルでね。
その流れそのものが、この帯の言葉そのものだと思った。 


*帯についての作者のコメント 抜粋
・・・画集として纏めて頂ける事になって、過去の創作物をひとつひとつ確かめていくとそこにはやっぱり「10年越え」の思い出と、記録の層がありました。・・・中略・・・

とても帯の一文として誇れるような積み重ねではないのですけれど、クロ同様、わたし自身も、迷いながら歩いてきた道程だと思います。

その長い旅の最中に、その時その場所で採取したいろいろなものひとつひとつを、固定加工や保存処置を施してもらって、こうして標本にすることができました。

そんなクロと筆者の旅の足跡を、一緒に辿って頂けましたら、嬉しいです。
 
諷虹 帯の裏の方も「私達と一緒に来るかい?色の世界へ、それを探しに」って・・・・「色」が出ていますね。

虚空 このさ「それを探しに」の「それ」って?

諷虹 これはおそらく「ニジュク」 と 「サンジュ」を外に連れ出した時の言葉のもじりなんですけど・・・・。
「その時その場所で採取したいろいろなものひとつひとつ」ってまさに「旬」の感覚ですよね。それを蒐集する。

虚空 和歌や俳句で日本人がずっとやってきたことを、四コマ漫画でやってきた、ってことだよね。

諷虹 序盤のクロのストーリーって童話風な小話集っていう感じじゃないですか。俳句とかも何百年も耐えるだけのディテールというか世界が出来ているじゃないですか

虚空 詳しくは知らないんだけど・・・古典をさぼっていたから・・・俳句って、元々は「俳諧連歌」っていうのだったわけじゃない。だからの「古池や」だって単独で詠まれたわけじゃない、って。平安の頃だって前の歌を受けて、っていうのが盛んに行われていたわけだろ。
もしかすると、まんがタイムとかのような単独での四コマじゃなくて、四コマ漫画を積み重ねて大きな流れを、っていう漫画雑誌の構成は「連歌」っていう伝統が背景にあったりしてね。

諷虹 普通の漫画は日本を舞台にしてっていう感じだけど、クロは異世界で日本じゃないような世界で描いていながら、でも季節感があったりして・・・そこが童話的。
作者が「『クロ』の世界でも日本のような国があるんでしょうか」って。
円周率の無限の数列の中には、自分が知っている数字の並びがあるっていうように、異界の中に日本のようなところが存在しているかもしれないし、存在していないかもしれない・・・そんな「不確定性原理」みたいな・・・。
日本と同じように描いていたら、勝手に携帯があるんじゃないかでも王様はいないとか、今の基準で設定を想像してしまいがちだけど・・・こんな風に描いているから、携帯だとかがない世界・・・・だけども、もしかしたらその国のどこかでは存在している可能性もある。
変な話ですけどアニメのGA(同じ原作者)で、クロとセンが一瞬スーッと横切る場面があるんですが、「ああキサラギたしの世界にもありうるんだ。どこでも旅ができるんだ」というような・・・。クロの異界はどこにでもつながっている、無限の可能性をひめている。だからこそ中世的な話も現代的な話も近未来てきな話もできてしまうかもしれない・・・っていう懐の広さがあるのかも


虚空 ディズニーでいうとさ、ミッキーは世界各地でいろんな職業とか立場で登場するけど、クマのプーさんは、あの森から出ないし、キャラ同士の関係も動かない。その両面とのつながりもあるかな・・・


諷虹 さっきの蒐集について調べた時にでてきたブログなんですけど・・・
http://whatimi.blog135.fc2.com/blog-entry-36.html

趣味に関する「蒐集」で特によく使われる、っていうことで・・・興味あることとか自分が関心を持っていることを集めるということから考えると、さっきの収める方の「収集」って、機械的に定義に従ってただ集めるような感じなのかな、って。
駿煌会のやりとりみたいに、興味ある事柄で集まっている集合と、ただ、日々のニュースを寄せ集めて出来ているようなサイトとの違いみたいなものなのかな、と
「蒐」という植物を赤い染料をとるために集めることから「蒐集」っていう意味になったという部分。血が通って、っていう連想が・・・

虚空 だからさ、一人一人の用いる言葉も単に機械的に覚えたのを使う、っていう言語感覚でとらえるべきじゃない・・・人間が言葉・・・特に母国語を習得していくプロセスは、周囲への意識の蒐集そのもの・・・だから個々人の人間生態が反映している、っていうつかまえ方だから。
これは子供に限らず、どの年代の人間だってそうだよね。言葉とか語彙の偏りでその人間がどのような積み重ねをして・・・感覚をもとにして蒐集をして・・・生きてきたのかが反映されているし、見て取れる。


諷虹 この帯であえて蒐集っていうのを使っているというのと同じように、敢えてそういう言い方をする、気どった言い回し・・・中2病とか・・・そういう言葉って、同じような発言でもより深い意味とか意図が込められているような・・・。
赤木しげる(麻雀漫画)のセリフなんですけど
「お前 この世で一番うまいもの何だか知ってるか?
たとえば麻雀だ…世の中には頓狂な奴がいてよ
こんなラチのあかねえ遊戯に
自分の分こえた大金
人生さえ賭けちまう奴もいるのさ……
まあそんな奴だから…
頭は悪いんだけど……
勝ちたい気持ちはスゲェーもんだ…
終盤戦…勝負処での大事な一打にバカは
バカなりに必死さ…
もてる全知全能をかけて考える
決断して そして躊躇して
それでもやっぱりこれしかない……て
そりゃもうほとんど
自分の魂を切るように打つパイがあるんだよ
その魂の乗ったパイ
そういうパイで和了ること…
それはまるで人の心を喰らうようだ…
この世じゃ人の心が一番うまいんだ……」
(天 2巻)

相手の心を読み切っての・・・その上で自分一つその上にたつ


虚空 そのさ、読み切って上に立つ、っていうのがくせ者だよね。

諷虹 二つ上に立ってもダメなんですよね。裏の裏をかかれてしまうから・・・ちょうど一つ上じゃないと。
予告ジャンケンの読みあいのような・・・予告通りにする時としない時の心理とかタイミング

虚空 そこなんだよね。相手の心を読む、っていっても、それはその人間の器の範囲内でしか読めない・・・。だからその想定からはみ出す相手と対峙した時にどういった対応が出来るのか。
それも最初から見越した上でいるのか、自分はすべて分かっているという妙な自身があるのかで、大分違うよね。
最近のアニメだと想定外に対応できずにメロメロになるその代表格が「上野さんは不器用」。
でもさ、平成時代って、「成果主義」「勝ち組 負け組」の行き過ぎから「自分はもう分かっている」っていう態度をみんなとるようになっちゃった。
その反動で「想定外」・・・自分の自信を揺さぶられるような相手に対しての拒絶反応はとんでもなく増大した。
許容量が本当になくなったよね。

諷虹 上野さんの場合は、田中の行動が想定内であっても、自分の気持ちとか感情の高ぶりが想定外でうまくいかないっていうパターンが何回もありますよね

虚空 何回も、ってそればっかだよね。
(虚空 半筆談のようなやりとりに、フト 川柳少女の短冊とスケッチブックのやりとりを思い出す)
*仙狐さん原作の話題
一番冒頭のセリフ
「心の闇が人の世を滅ぼす」

虚空 虚空の心の闇が人の世を滅ぼしたり、っていうことはないだろうけどね。
人知れず朽果てていることになるだろうし・・・自分の骸は行政がひっそりと処分するだろうから。
やっぱりこの「おばあちゃんの味」とかそういうセリフ・・・単なる萌えキャラっていうのではなく、ベースにあるのは「おばあちゃん」っていうのがこれの特徴だよね。まあ実質800歳の神様というような設定だから、並みのお年寄りの何倍も生きているわけだから当然なんだということなんだろうけど。

諷虹 アニメだと尻尾や耳の質感が重視されている感じがしますよね。

虚空 やっぱりそれはさ、バーチャルとか二次元とかに対して、人間の本能は欠乏感を抱いていて・・・それがもう悲鳴をあげている状態なのかもね。
あの尻尾とかの「もふもふ」描写だって、フカフカの枕というか羽毛布団の感覚なんだろうね・・・それこそ温かいものに全身を包まれている「子宮」感覚。
真床覆衾の感覚っていうことからすれば、これは大事な感覚なんだし、だからこそそこに包まれて生命力を得るために家に帰る・・・上原流に言えば「帰る」は雛が孵るの「孵る」と同じだし、「甦り」の「かえる」でもあるということなんだけど、それが現代人にはなかなか起きない。

新たなエネルギーを得てまた「外」に向かうという「内と外」の健全な往復が起きない。
内に籠りっぱなしになるだけか、外で消耗しきってやがて朽果ててしまうか・・・という両極端な場合が多いよね。
一応ここに出てくる主人公はブラック企業で毎日遅くまで働いている状態をキープしているけどね・・・仙狐さんに元気をもらいながら。

諷虹 また棺かつぎに戻りますけれど、さっきの卵の話・・・死んだあとに箱の中に入れる、あるいは土葬なんかで埋めるみたいな・・・子宮じゃないですが、また生まれる前の状態に戻しているみたいな・・・・

虚空 今こうして打っている時に「うめる」の漢字変換で「生める」が表示されたんだけどさ、それで思い出したんだけど、上原先生が「埋める」と「生める」は同じことだったんだと。だから「土にかえる」っていう感覚を日本人は大事にしていたんだと。
農耕民族だからまさにそうだったんだろうね。土は命が芽生えるところだから。

諷虹 昔の映画で大和の・・・殉職した兵士を海にっていうのもそういう感覚なんですかね。海に還す。・・・音としては「生み」ですしね

虚空 上原ゼミの学生の卒論で「我は海の子」の歌詞を話題にしたのがいた、って聞いたことある。「海の子」は「産みの子」だ、っていうことを扱ったらしいけど。
「海」に何故「うみ」という音をあてがったのか、っていう言語感覚だよね。音感。それこそ「言霊の国」として。それを単に言葉の意味を覚えさせるのが教育なんて思っているからおかしくなっている。
だいたいさ、こうした「おと」の共通感覚をつかまえるのって、今の国語教育ではダメ扱いされるじゃない。「同音異義語」「誤用」っていうことになってしまうから。
でもさ、漢字が伝わってくる以前の言語感覚からすれば、同音っていうことはもっと重視しなければならない。
その感覚を育てもしないで、乳幼児から英語の音ばっかり入れているっていうのは、本当にどこの何人を育てたいの、って思うよ。
それはさ、上原先生がそう主張していたから、っていうよりもね、よく紹介している自分自身の目にした、あの「グランマ」とか「ホース」のエピソードからも本当にそう思うもん。
周囲の大人たちは日本人離れしたそのネイティブな英語の発音に感心してご満悦な表情だったし、子どもも得意げだったけどね・・・。
数学ってさ、数式とか図式化とか・・・群論でも・・・同じ構造を持っているものは、どんどん同類にみなしてくじゃない。類化性能の極致だと思っているから数学と国語の接点を大真面目に考えてようとしているんだけど・・・。
「同じ音」を数学的に扱っていけば、みえてくるものはどんどん広がると思うよ。だって、漢字が導入される前はまさにそういう感覚でずっときた・・・それを大事にしてきたから、文字を発明しないでいたともいえるんだから・・・これは上原説だけど。
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