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☆平成最終日 諷虹・虚空やりとり記録② 「宇宙論 真空からの宇宙創世」を通して

この宇宙はビッグバンの直前、完全な無の状態からの「ゆらぎ」によって生まれた・・・というような宇宙論をもとにして「零」の意味するところを考えています。


「令和」を「零和」としてつかまえると、「零」だからこそ無限の可能性を孕んでいる・・・あるいは古来日本人の感覚である「禊」・・・自分を完全に器化してみる・・・そんなことが求められるのが令和の時代なのだろうかということです。



諷虹君が言い出した「ないから0個」というのか「0個あるよ」というのかの違い・・・この違いの裏側にはものすごく大切なことが隠れているような気がしています。

それから、「偽真空 真真空」という言葉がひっかかってきたのも今回の特筆すべき点です。これまでも「パラレルワールド」(並行世界)についてはたびたび話題にしてきたのですが、それはまさに同等の位置づけ世界が同時進行しているという感覚でした。

でも、今回のこれは、それとはちょっと違って「世界定め」に関する要素・・・個々人にとっての「真の世界」の問題が絡んでのパラレルワールドということです。




諷虹 ラインでエヴァンゲリオンの零号機・・・自然数からではなく・・・って書いていたこと・・・この時期だと中1に自然数の説明をするときに「自然界での数」って。根元的な数字が1、2、3・・・っていう自然数ですよね。結局0の概念・・・「零」・・・。

この前から話題にしている「無からの物理学」でも・・・「零」って何でも生まれる。物質反物質で何でも生まれるように、例えばですけど、2枚の皿で一枚減らすと一枚になりますよね。もう一枚減らすと0になるわけですよね。でも例えばここにケーキが0個あるとかお寿司が0個・・・最初から存在していないもので0個っていえば、本当はここにいるのがあり得ないようなもの・・・例えば「虎がこの部屋に0匹いる」っていう言い方をすると・・・さっきの皿の例が「有から無」で、ないものを0個とするのは「無から有」で、しかもイマジネーションの限りどんなものでも生まれるわけですよね。0個ですけど。


虚空 この話のミソはさ、「虎がいないから虎が0匹」っていうのと「虎がいま0匹います」っていうのとでは似ているけど全然ニュアンスが違うよね。「無から有」だと「いる」っていう前提での後者の言い方だよね。いないから「0」と表記する、っていうんじゃなくて「0」という数の存在を認めて「ホラ、0匹いるじゃん」っていう。


諷虹 さっきの想定外・想定内ですよね。0のものがいくつ存在しているか。


虚空 自分が意識できない事を「無」って思っている人間が平成では爆発的に増えた。だからゲゲゲの鬼太郎6期みたいに「見えない世界もあるんだ」っていう・・・古来からの日本人に言わせれば「見えない世界だからあるんだ」「見えない世界が本当の世界なんだ」っていうことなんだろうけどね。


でも、そういう見えない世界は科学的でない、ってずっと思われてきた。村山さんのこの前の話になぞらえれば「原子からできている世界こそが唯一存在する世界」。それの極致が感情とかもすべて脳内の化学反応でみようとした「唯物論」なんだろけど。

でもダークマターとかダークエネルギーとかでも原子で出来ていない得体のしれないものが大量にあるんだと・・・大半は原子で出来ていないのがこの宇宙なんだ、っていうのが「科学の最先端」っていうのは皮肉なものだよね。


諷虹 0匹いる っていう考えの極致がダークマターの話なんでしょうね。何にもないから何でもありえる。


虚空 「真空」の概念だよね


諷虹 四次元ポケットも同じなんでしょうね。ダークマターというかブラックボックス


虚空 藤子不二雄さんがそこまで考えていたかどうか知らないけどさ、あのポケットって四次元って言っているけど・・・それは未来から道具をとってくるから四次元っていっているんだろうけど、子どもの感覚ではどうなのかね。未来から取り寄せているって頭ではそう思っていても、「何でも内在する空間」っていう実感の方があるんじゃないかな・・・そうすると人知を超えた高次元の世界があのポケット・・・


諷虹 四次元ポケット以外でもドラえもんの設定って引き出しの中にタイムマシンが入っているとか、押入れでドラえもんが寝ていて、開けたらドラえもんがいる、っていうあの感覚・・・。さっきの卵とか真床覆衾もそうだとおもうんですけど・・・とじられた空間で・・・何でもあり得るダークマター空間。しかも結構狭い閉じられた空間で。


虚空 狭いわけじゃないんだけどさ・・・パラレル宇宙論の中にさ、「子宇宙」「孫宇宙」って・・・宇宙が無数の他の宇宙を生みだしている、って学説があるんだけど・・・今それを思い出した。

家の根源も「真床覆衾」なんだろうけど、それってこの宇宙論の発想だよね。宇宙っていうのを「新たな世界」って置き換えれば、無限の選択肢がある中で自分の意識や、それこそ無数の人間関係、事物相互の関係によって無限の無限乗みたいに様々なパラレル世界が並行しているという感覚。

そして物理学では並行世界は互いに干渉もキャッチもできないとされているけど、意識世界の中でのパラレルなら互いにキャッチしあって共存できる・・・シュミレーションの感覚でさ。


諷虹 (科学雑誌ニュートン別冊「インフレーション・パラレル宇宙論」P70の文
「偽真空の中に真真空の泡が生じ、その泡がどんどん大きくなるイメージです」

全部が全部そういうわけじゃないですけど「走馬燈」とか「追憶」のシーンで丸い泡のような中に映像がプワーッて出てくるみたいな演出・・・そういう空間がスーッと頭の中をかけめぐっている・・・そして自分はその泡に囲まれている。客観的にみることができる立ち位置にいる。それって偽真空の部分に存在しているわけすよね。真真空は過去の思い出だったり、パラレルワールドで実際に有った事が丸いものに包まれている・・・さっきの死んだ人が棺に、のイメージに近いのかもしれませんね

この雑誌での説明とはずれるかもしれませんが、自分としては真真空が人間が観測できる宇宙・・・存在している・観測できている世界・・・もう完成した閉じた世界・・・。
それに対して偽真空はまだ観測できてない世界・・・インフレーションが起きている真っ最中の世界・・・想定外の変化が次々と起きている世界
偽真空・真真空についてごく簡単に紹介しているサイト
http://gazoo.com/my/sites/0001456116/Kyrie/Lists/Posts/Post.aspx?ID=460

虚空 だからさ、「真真空」っていうのはさ、その人間にとっての「真」ということだよね。意識世界がその人間にとっては「真の現実」。他の人からすれば全く違う世界に個々人が済んでいる。


でもその人間の想定外だから「偽」であっても、それこそ「偽真空」の方からみれば、変化し続けている世界こそが「生命力そのものの生きた世界」。

変化し続けること、その瞬間瞬間の変化をキャッチすることを大事にしてきた日本人の感覚そのもの・・・だから「元号をかえる」なんていうことでこれだけ大騒ぎもするし、「西暦に統一すればいいのに」という合理論に対しても違和感を抱いてしまう。

「観測できていない世界」の方が山ほどある・・・それこそ物理学の数式からすれば無限に近いような世界・・・それは宇宙論じゃなくたって、日常でもそうじゃない。
あらゆる物事の裏側に分からないこと、知らないことがどれだけ隠れているか。相手の気持ちとかだって、無意識まで踏まえたらわからないことが大半だよ。

それが「自分はもうすべて分かっている」っていう姿勢をとることばかり幼い頃から要求している。

「知らない」「分からない」っていうとダメ人間扱い・・・本当に困った風潮が定着している。傲慢な馬鹿を大量生産。この前コバルトブルー君が授業参観で感じた事なんていうのもね。
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