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☆第三項理論に関するやりとり ③ 諷虹・虚空やりとり②「クリエイター精神 と ユーモア」

諷虹 そこにいくと「君の名は。」なんてあんなとっぴょうしもない話なのに、観ている人が妙に納得して観てしまうのは、なんなんでしょうね・・・
虚空 心意伝承のなせることなのかな・・・。あの紐の例え話だけで時空やジンカンの錯綜をすべて言い切っていたからね。あれだけで納得できる日本人の血。

日本人って「時空」っていうのは昔から不可分なものとしてつかまえていたと思うんだよね。西洋的にはアインシュタインがそれまで「時間」と「空間」は別々だと考えられていたことを「時空」という一つの概念にまとめた、っていうけどさ。
しかも時空に人間関係も含めているし。
もっともアインシュタインも相対性理論について質問された時に「好きな人と話している時と・・・」なんて人間という要素によって時間が伸び縮みする例えを出していたようだけど。
諷虹 陰謀論なんかで、いきなりSF的な要素が入ってくると、その瞬間に興味が失せる瞬間ってありますよね。それはいくらなんでも「盛り過ぎ」みたいな。
そこの線引きっていうのも人によって違いますよね。
虚空 それでもさ、日本人ってそういった錯綜が大好きだから、海外の人よりも突拍子もない話をまともにしてしまうんだろうね。ドラえもんとかがスッとうけいれられてしまう土壌なんかだって。
諷虹 日本人にはクリエイター精神っていうのがみんなにあるんですかね
虚空 それはもしかしたら和歌とか俳句の影響があるかもね。あれだって立派な文学作品なわけだからさ。ごく普通の一般民衆がある面で「作家」だった。
以前「擬人化イラスト」で海外の人が日本人の発想が極めて異質というような意見を言っている、って・・・ああいった差異がどこからもたらされるのか、っていうのがね。
そこに単に感性の問題だけでなくて「数学的な抽象化能力」と「類化性能」があると思っているんだよ。数式は使わなくても、立派に数学的な思考を日常生活に溶け込ませている。
その修練の一つが和歌や俳句のような短文学
諷虹 それに加えて「ユーモアセンス」・・・人を楽しませる意識みたいなのがあるのかな、って。前大学で外国人からみた江戸時代の人たちのことを講義でやっていたんですが、外国人が「日本人はどんな真面目な場でも突然笑いをとりにいくことがある」というのを嘆いていた、って。何でそんなことをするんだと。
クリエイター精神・・・二次創作とか、コミケとか・・・
虚空 自分も楽しませる側になりたい、ってこと?
諷虹 俳諧とかもそうだったと思うんですよ。
虚空 江戸時代の算額ブームもそうかもね。単に問題を出し合うだけではなく、第三者がみてハッとするような絵馬をぶらさげたい。それが神様もお喜びになる、っていう感覚かな。

もしかすると英才児っていうのはそういう意識が自然に働いているのかもね。
あの教室の掲示物なんてみてもさ。
職人的に書いているような一見技巧的な作文の中にも、ちゃんとイマジネーションの発動っていうかトランスフォーメーションが混在しているし。

知性や論理によって新たなイメージ運動を次々と発動できる。「添加能力」もすごいしね。異なる意見を排除したりスル―したりするよりも、それを面白がる。

それこそ「ユーモア」・・・他人に対して受けを狙おうと強く意識してなくても、「自分が面白がる」・・・自然に他人も面白いと感じる世界をつくってしまう。
あの参観した数学の授業なんか、3クラスともそうだったじゃない。
諷虹 今「笑う門には福きたる」の語源って何なのかな、と思って調べたんですけど、福笑いがでてきて・・・
虚空 正月に「笑う」っていうのをことさらに持ち込もうというのは現代だって根強く残っているよね。正月番組なんてみんなそうじゃないか。
もっとも今のお笑い番組はつまらないのばっかりだからみないけど・・・笑わせようという意識が前面に出過ぎてて逆にしらけるような・・・
英才児って決して受けを狙おうと強く意識してなくてもね。
諷虹 ワクワクドキドキみたいなものですね。笑わせるっていうのは・・・。想定外の出会いとも。
虚空 「笑いの感染」かな?
諷虹 なごやかな雰囲気だからこそいろいろな意見が出るというのもありますしね。

虚空 本人はいたって大真面目で真剣なんだけど、それが第三者からは面白くてしょうがない、っていうのもあるじゃない。受けを狙った演技だとダメ、とかさ。真剣そのものだから笑う。決してバカにしているとか見下しているわけではなくて、笑っちゃいけないと思いつつも爆笑してしまう笑い。

もちろんさ、どうしようもなく辛い悲しい絶望的な状況だからバカ話をしてみんなで笑ってしまう、っていうのもあるしね。
お通夜の席で年配者が酒を飲みながらゲラゲラ笑うとか。さっきの外国人なんかはそれをみて何て不謹慎なんだろう、って思うんだろうけどね。

でもその裏側には「悲しいから泣く」っていうこと以上の「深い悲しみ」が隠れていることだってある、っていう感覚。
諷虹 笑うしかない・・・究極的に絶望でも笑う。極地的な部分に「笑い」ってあるんでしょうね。憑きものがおちた時なんかも。
虚空 「笑い」一つとっても大変なことがいろいろ隠れている。で、それを完全につかまえることは出来ないんだろうね・・・だいたい笑っている本人でさえ、自分の意識の中にどんなことが混ざり合っているかなんて、わかっていないんだからさ。
見えない本丸に迫ろうとする・・・その繰り返し。
諷虹 笑わせる、っていうのは風を起こす感覚にちかいのかもしれませんね。
虚空 相手だけじゃなくて自分の中にもね。
諷虹 落語とか小話も・・・そういう笑いの中でね。大喜利なんかも。
虚空 「ユーモア」のオブラートに包み込む・・・「たかのすとり」のアッチーの感覚だね。
日本人が本当に逆境に強いかどうかは分からないけど、独特の意識の動かし方をしていることは確かなんだろうね。安政の大地震のときの「鯰絵」なんていい例だよ。あとは「ボケとツッコミ」。
江戸と上方の文化の違いはあるけど、本質はそんなに違わないような気がする。
さっき、あえて肝腎なところを無視する特異点っていう話があったけど、オブラートに包むっていうのはさ、決して無視しているわけでも、スルーしているわけでもない。誤魔化しているというのともちょっと違う。
ユーモアっていうのはさ、それこそ究極のバッドエンドが、究極のハッピーエンドにつながっていく上で邪魔になってしまう変な常識の壁を吹き飛ばす風のような感じなのかもね。
諷虹 今となっては笑い話だ、っていうね。
虚空 それが今の自分にはないな・・・・水戸気質というか・・・。福島気質と半々のハズなんだけどね。(苦笑)
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