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☆老子「三宝」 エヴァQ談義を中心として ⑤「リリカルなのは」との接点から

次の日の夜、再び直接のやりとりです。虚空は8時頃到着。ヒマワリフクロウさんは途中から参加です。
諷虹君がリリカルなのはシリーズの2期を観返してみたというところから話が始まるのですが、「慈しみ」という老子の考え、ユングのいう「布置」、さらには上原輝男先生の観点からの「名前を変える」「伝承」等々に関して幅広くやりとりがなされます。
現代社会が「自由」を主張するあまり、「互いに理解しあい共鳴しあう」構えがとれなくなっている点についても問題にされています。
*2019年2月23日 諷虹宅 ヒマワリフクロウ・虚空のエストラーダ 
諷虹 このタイミングで「なのはA’s」を全部観返して、改めて昨日の「慈しみ」「倹しさ」が関係しているかなと・・・。

主に はやて と 守護騎士 とのところですが。アバンタイトルではやてにしても守護騎士にしても言っているのは、求めているのは大いなる力ではなくて平穏の暮らしのためなんですよね。守護騎士が闇の書の蒐集に走ったのも慈しみですし、はやても「もう死んでもいい」と思っていたのが「守護騎士」が来たことによって守ってあげないといけないという部分から生きる気力が湧いてきた。「他者のために」ということからいえばこれも慈しみなのかな、って。
もうちょっと踏み込むと設定上3人の中でも最強になっているじゃないですか、魔力量とかも。それって なのは と フェイト はそれなりに手段としての力を求めていた部分もあったと思うんですよ。「フェイトを救いたいだとか」「母さんの願いをかなえたい」とか。でも、はやては「力はいらない」ということで逆に力を得たのかな、って。
あと、これは慈しみとは離れるんですけど、なのはシリーズ恒例のというか、日付をきっちりさせている・・・放送時期に合わせた日付設定。あれが変に味があるよな、って。
改めてみると守護騎士たちがはやての事で闇の書を決意するのが10月27日なんですよね。これは単なる偶然というのではないなって・・・
(備考 児言態50周年イベントと同じ日付)
虚空 そういうところに意味付けを感じるというのは、まさに「人間」だからだね。
参考 コンステレーション 布置 共時性(synchoronicity 意味ある偶然の一致)
虚空 まあ、はやて は慈愛の塊のような感じだものね。しっかり守護騎士たちのお母さん・・・イメージでいうと 「おかあちゃん」「おっかさん」「おふくろさん」という言葉が似あうくらいに。
諷虹 母は強し、っていう・・・
虚空 体は生命の危険レベルの病に侵されている・・・車椅子の生活・・・であってもね。
諷虹 アルペジオを観たあとに観たからというのもあるんですが、ハルハルのあの感じ・・・守護騎士が人間の感情をどんどん理解していく過程が。
そういう意味では6話の半分の時間だけで説得力があるな、って。
虚空 ある意味で現代のライフスタイルの中での理想的な家庭の姿のモデルの一つ・・・それぞれが忙しくて、なかなか一緒になれない中での絆。
諷虹 どういう主だったら、みんながついていくか・・・あの中ではシグナムがメンバーの将ではあるけど、父親のような存在でもある。あんまり語らないけど、信頼感はある。昭和の父親像・・・。
あと改めてリインフォースに名付ける場面の意味。一種の定義?
キリスト教に洗礼名ってあるじゃないですか。あれとも・・・
虚空 名前を変えると存在が変わる・・・上原先生が出していた例だと「戒名」。
もっといえば、名称を与えられていないものは、人間の意識にとっては存在していないということというのもあるんだけどね。
「祝福の風」という言葉によって「闇の書」というイメージが転換された・・・トランスフォーメーションを起こしてもらえた。
諷虹 そもそも「夜天の魔導書」が「闇の書」と呼ばれるようになったのもね・・・。
ヴィータが自分達を闇の書と呼んでいて、本来の名前を忘れていた、っていうのがあったじゃないですか。
そういうことでいえば「ハク」や「セン」もそうですよね。(千と千尋の神隠し)
棺担ぎのクロでも本来の自分の名前を名乗らなくなったっていう設定があるんですよね。あまりにも今の自分にそぐわないからクロと名乗るようになった。
虚空 このはな綺譚の猫屋敷の婆さんの話にも名前のことが出ていたじゃない。捨て猫がすぐに死んでしまっても、名前をつけてくれていたから迷わずに逝けた、っていう話。
諷虹 このあいだの定義づけということでいえば「自分の存在を確定させる」・・・「今はどういう存在か」っていう。
虚空 「今は」ね。
諷虹 「遊び人の金さん」から「遠山の金さん」。

虚空 水戸黄門にしても名乗ることで正体を現す。
諷虹 普段は身をやつしている、ってやつですね。
虚空 そこが貴種流離とかになるわけだよ。

最新刊のこのはな綺譚でも、神への転生が約束されていながらループを繰り返している子が出てくるじゃない。それで柚がおしえてあげればいいのに、っていうけど、それは「努力」という観点からダメだということだけど、「名前の持つ重さ」っていう観点もあるんだろうね。「神」という。
コミック内セリフ「成功が約束されていた頑張るのなら、それは努力とは言わないだろ」
諷虹 リインフォースも「Ⅱ」と名乗っていますけど、先代の重み。襲名ですよね。大名跡を受け継ぐ責任の重さ。
虚空 前、歌舞伎座に勤めていた知り合いに聞いたんだけど、その名前を継ぐにふさわしい段階になったから継ぐ、というのもあるけど、その段階にあと一歩というところで襲名して、それによって名前にふさわしい風格とか実力を呼び込むという感覚もあるんだってさ。
諷虹 江戸時代の襲名と現代の襲名では随分違うんでしょうね。庶民の娯楽というよりは格式が高いですものね、歌舞伎って。伝統と格式。
(現代のアニメの特殊性 予備知識が必要 という話から)
RPGものだって予備知識がないと楽しめないという部分はありますものね。
虚空 そこがさ、昭和のアニメだったら家族が居間にある一台のテレビを囲んでの生活だったから、それこそアニメに特に関心のない大人たちの目にもふれていたわけだよね。でも今は視聴者が極端に限定されている。それは単に若者というだけではなくて、原作を知らなければ全く分からないような作りを平気でしている・・・原作ファンじゃなければ観なくてもいいというくらいにね。
もう異なる世界を共有しよう・・・この輪を広げようというスタンスには立っていないでアニメもゲームも作られているし、熱心なファンの中には閉鎖的な雰囲気の強い人がいるじゃない。ネットでも部外者お断りみたいにさ。

本来だったら最も自由で開かれた世界だったハズのネット社会が、最も閉鎖的で言語弾圧が横行している。悪い意味での閉鎖的ムラ社会。権力者が民衆を押さえつけるんじゃなくて、民間人同士が押さえ合う・・・戦時中にも軍部のしめつけだけではなくて、庶民同士でも監視しあい告げ口しあう風潮もあったようなね。
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