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☆西田幾多郎「善の研究」と「駿煌会」 諷虹君、大いに盛り上がる

10月4日の諷虹・虚空やりとり記録の終盤です。


ここまではアニメがらみの話をいろいろとしていて、そろそろ今日はオシマイという感じで片付け始めた時に、何気なく虚空が言葉にしたことから、さらに続きました。


難解なことで有名な、日本の本格的な哲学者の礎を築いた西田幾多郎博士の「善の研究」の話題です。あちことの断片的な拾い読みですが、これを諷虹君が非常に楽し気に声に出して読みながら盛り上がっていました。


学生時代に原典を購入していたもののさっぱり分からずに生きてきた虚空も、その彼の雰囲気に影響を受けて、なんだか違った読み物のように感じてきました。


「善の研究」の解説書は原典からの抜粋が沢山ありますが、そこは読み飛ばしてくださっても結構ですので、そんな文章に諷虹君がどんな反応をしているのだけでも目を通してみてください。





(帰り支度をしながら)
虚空 あのさ、近いうちに話題にしようと思っているんだけど、高校生の頃から妙にひっかかっていた西田幾多郎っていう哲学者の「善の研究」。難解なことで有名なだけあって昔買った岩波文庫のを何度読もうと思っても数行で挫折してきた。

でもこの前でてきた上原先生の「英才児は観察」っていうことと何かつながりそうだと思ったからもう一度引っ張り出したら、今度は半ページは読めた。
そしたらね、先週いわきへ行った時に、特急を待つ間にたまたま入った本屋でNHKのテキストをみつけて・・・

買って読んでみたら、去年から駿煌会でずっと話し合ってきたことや、この前土浦で難波先生と語り合ったこととすごく通じていることがあるらしいと・・・・。
10月に4回シリーズでの番組なんだけど、それをみたら、また原典に再挑戦しようと思ってる。


*諷虹に解説書を手渡すと、私が特にどの部分ということを示す前にパラパラとめくりながら関りの深そうな部分を次々とみつけていく。

諷虹君がみつけて声に出して読んだ部分をいくつかあげると・・・
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解説書の抜粋
P20
ここで西田が強調しているのは、人が、同じことを認知しながら、個々別々の世界を認識し、生きているということです。・・・・・・・・ここで注意しなくてはならないのは、西田が個々別々の世界を生きていることを強調しているだけではないことです。現象的には無数の世界がありながら、実在的には一なる世界であることも西田は注意を促します。

P34
西田のいう「宇宙」とは森羅万象の異名です。さらに「宇宙」は、外的空間だけではなく、内なる世界をも包含する言葉です。・・・・宇宙を感じようとするとき、現代人は空を見上げます。しかし、西田は、目を閉じて座禅をしたかもしれません。そうすることで内外両方の宇宙を感じることができると思っていたのではないでしょうか。

P36
「知と愛」
西田は「愛する」とは「物」と一致することであるとも述べていました。ただ、西田の「一致」というのは、寸分たがわず重なり合うということではありません。むしろ、今の引用に「共に笑い共に泣く」とあったように、異なる二つのものが、異なるままで「共鳴」し「共振」しているようなイメージでとらえた方がよいと思います。
西田にとって共感と共振は哲学的経験の始まりにほかなりません。・・・・・

親が子となり、子が親となるというのは、ともに「私」が主語ではなくなる状態ともいえます。「私」が主語になると、世界はとても狭くなる。「私」がいなければ世界は存在しないかもしれない。しかし「私」が深くなっていくと、表層世界の「私」ではない本当の自己である「わたし」が世界の底にふれていこうとする。この状態が、西田のいう「善」の世界なのです。

P47
「神」は人間を超えながら、同時に私たちの心に内在する。それが西田の「神」の理解です。

P52
西田にとって「哲学」とは、「小さなる自己」を通して「大なる自己」へと至る道であり、「大なる自己」の世界の叡知を「小なる自己」の世界へと運ぶはたらきともいえます。「大なる自己」とは、自我から自由になった「自己」、無私なる自己だと考えてよいと思います。

P64
「行為」はつねに「意識」を伴わなくてはならない、と西田はいいます。西田のいう「意識」とは、表層意識のことではありません。表層意識と深層意識の両方を含んだもののことです。その両方が一つになり「行為」されるとき、「善」への道が開かれるということです。

P66
ここでの「個人主義」は、現代のそれとまったく意味が違います。西田にとって「個人」とは、つねに「他者」と共にある存在だったのです。だからこそ、その開花が至高の「善」になる。むしろ他者と共にいなければ真の「善」にはなり得ないということです。
等々
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そして原典をみせると手に取ってこれもパラパラとめくりながら、目についた文(響いてきた文)をあちこち声を出して拾い読み。
例 原文
P52 
直接経験より見れば、空想も真の直覚も同一の性質を持っている。・・・厳密なる純粋経験の立場より見れば、経験は時間・空間・個人等の形式に拘束せられるのではなく、これらの差別はかえってこれらを超越せる直覚に由りて成立するものである。
P216 (神に関する論述)
等々、他にもあちこち
諷虹 駿煌会の言葉の使い方って一般とずれているからすごく分かりずらい、って言っているのと同じじゃないですかね、この本が難しいっていうのは。


虚空 そういう点でいうとさ・・・やっぱり、駿煌会ホームページの用語辞典コーナーを早く充実させないとね。


*さらに原典の拾い読みを次々と声に出して読み上げていく
P190 善行為の動機 内を読んで
・・・・富貴、権力、健康、技能、学識もそれ自身において善なるものではない。もし人格的欲求に反した時にはかえって悪となる。そこで絶対的善行とは人格の実現其者を目的とした即ち意識統一者の為に働いた行為でなければならぬ。


諷虹 これはQべえとまどかですね。(アニメ「魔法少女 まどか☆マギカ」のキャラ)


虚空 これまで善の研究でいろいろなコメントがあったと思うけど、まさか「まど☆マギ」なんていうアニメと結び付けた意見がスッと出てきたなんていうのは先ずないよね。

原典 P199 男女の違い
「社会的意識に種々の階級がある。そのうち最小であって、直接なるものは家族である、家族とは我々の人格が社会に発展する最初の階級と言わねばならぬ。男女相合して一家族を成すの目的は単に子孫を遺すというよりも、一層深遠なる精神的(道徳的)目的を持っている・・・」


諷虹 この前土浦で話題になった、「郷土」から「世界」、果ては「地球」「宇宙」って人格が広がっていくみたいな話の、最小単位は家族なんですかね。
(さらにあちこち音読)

諷虹 面白いですね。これしか読んでいないのに何ですが、鉱脈がありそうな


虚空 はっきり言うけどさ、原典に直接目を通した分量は、高校時代に購入した自分より今の諷虹君の方が多いからね。


原典 P242  ・・・知は主客合一・・・愛は主客合一  を諷虹君が読み上げるのを聞いて


虚空 それがフレーベルでいう「共通感情」とか、上原流にいえば「意識のベース」「心意伝承」


諷虹 「学ぶことも共鳴」できるようにするというなんですね。


虚空 論理や知性が、感情やイマジネーションを豊かにするツールっていうことだよね。
西田さんって、もともとは哲学者じゃなくて、学校でドイツ語とか教えてたんだって。あとはね、数学に対しての素養があって、恩師の先生から「数学者になったらどうか」と勧められていたんだって。
そういうところもさ・・・駿煌会と相性が良さそうだよね。 

原典
「数学者は自己を棄てて数理を愛し数理其物と一致するが故に、能く数理を明らかにすることができるのである。」

諷虹 これってこの前話していたことそのものですね・・・(と大笑い)
数理と一体化しているんですね。大いなる存在として。


虚空 さっきもそうだけどさ、善の研究をこんなに楽しそうに笑いながら音読する人間ってどのくらいいただろうね。


諷虹 『知ることが愛であり、愛がゆえに知りたくなる』っていうのも、オタク気質の性質ですよね。すごくよく分かる。

流し読みしただけですけど・・・学問として面白いってよりかは「あるあるネタ」で笑っている感覚ですよね。


虚空 それなんだよね、この解説者が主張しているのも。善の研究は哲学書として読んではますますわからなるって。生活と一致させて読む。
深夜アニメとかの俗っぽいことと結び付けている駿煌会と相性はいいんだろうね。



・・・・と、話している時に、諷虹、もう一度原典を手にとり拾い読みを始める。

虚空 書き手と波長をあわせるっていうのが如何に大事かだね。
だって、若い頃から何度か開いてもあんなに難解で読めなかったのがさっきから諷虹君が音読しているところは、よく分からないくても心に響いてくるもん。


諷虹 小説でだってこんなに文章を読んで楽しんで共感できたのは初めてですよ。
まあこれは小説じゃなくて哲学書ですけど。今度買ってみようかな・・・まあちゃんとは読まないと思いますけど。


虚空 この解説番組をみたらまたキャッチできることが増えるかもね


諷虹 でも、さっきからは解説を読んでないところばっかりがひっかかってきてるんですよね。解説書よりも原典の方が読んだ分量が多いですからね。


虚空 そこがすごいよね。だから解説番組をみたって、その解説者の意見に従わなければいけないということもないしね。


諷虹 今日、こんな風に読んだのを西田幾多郎はどう思っているのか分かりませんが・・・


虚空 喜んでいると思うよ。生活感情を通して読むことは「余の望むところ」って。
 
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