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☆西田幾多郎「善の研究」と漫画「ステラの魔法」、そして連歌

☆2019年 10月25日 諷虹宅での諷虹・虚空のやりとりです。
特に諷虹君は善の研究にはまっていて、たまたま話題になった漫画に出てくる特異なキャラを通して考察をすすめていきました。


後半は、西洋演劇と歌舞伎との違いから連歌の話題へ。
10月19日の聖徳での連歌の授業をふまえて、20日の集まりの時から駿煌会でも連歌部を立ち上げ、みんなで連歌をしています。
それもふまえてのやりとりです。


漫画雑誌きららの最新号を諷虹が虚空にみせる。「ステラの魔法」が連載されているのをみて

虚空 まだ連載していたんだね、って一瞬思っちゃった


諷虹 でもですね、今週のなんか「善の研究」を読んでからだと、もう一度最初から読み直してみようかな、って思って


虚空 哲学者に聞かせたい。西田幾多郎の善の研究を読んで「ステラのまほう」を読み返そうっていう言葉が出るって・・
(善の研究 テレビテキスト)
諷虹 (原文 第4編 宗教 第1章)「宗教的要求は自己に対する要求である、自己の生命についての要求である。我々の自己がその相対的にして有限なることを覚知するとともに、絶対無限の力に合一してこれに由りて永遠の真生命を得んと欲するの要求である」
諷虹 この先輩っていうのはSNS部を作った張本人なんですけど、最初は明るい万能キャラとして知られていたのが実はヤバイやつだと分かっていったんですけど・・・死ぬための暇つぶしとして生きているという・・・
(きららMAX 12月号 P91)
『私が生きる理由はただ死ぬためなんだ
私は生きながらえて社会生活の一員エンジョイ貢献しよ~って気持ちが全然なくってね
ただ後悔しながら自殺したくないから やる前にこのライフを飽きるまで楽しんどこ~って』

https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/40161.html

虚空 諷虹君的にはどうなの?この発言は


諷虹 無神論者の究極系なのかな、って。神とか死後の世界を一切信じていないんですよね。自分がちっちゃな存在で、死んだらそれで何も残らないし、他人と関わらないことで何も残さない。そんなキャラですね。

この先輩が作品中で感情を初めて露わにしたのが、受験失敗のところで・・・受験ギリギリまでゲーム制作をしていたわけですね。結局その理由も自分が発起人だからということで。自分だけ受験勉強をして後輩に押し付けるというのは、他人に関りすぎてしまうというか、他人に迷惑をかけすぎてしまうというか
それでゲーム作りに没頭して受験に失敗するんですよね。

で、その時に後輩に「なんで私達をもっと頼ってくれなかったんですか?」って、それで感情が爆発するっていうシーンがあるんですけど。


(後輩のセリフより
「先輩のできない事 また一つ見つけましたよ、私。
他人を信じること 
先輩は何でもやるって意気込んでいろいろ手出しちゃうから 手を引っ込めたら崩れるんじゃないかって不安なんじゃないですか」

虚空 どう爆発したの?


諷虹 いくつかに分散して描かれているんですけど・・・まずは
『うるさいなー! 理想とか綺麗事じゃ叶わないことだってあるよ!
ふよんちゃんはそういう理想をずっとずっと抱えてさ
大した結果も出せないまま死んでも良いの!?』(6巻)

『生きることは 全てエゴだと私は思っている。
何かを消費し 過ちを犯し 誰かを傷つける
誰かの為に行動し 誰かと一緒に 人生を歩もうとする 
ああいう在り方が私には恐ろしくて妬ましいんだ

(後輩のセリフがよぎる
先輩のできない事 また一つ見つけましたよ、私。他人を信じること)
明日死んでも良いという決意は あさって悲しむ顔を考えないということ 
あさっての誰かのそばに居てあげる

その選択ができる彼女達は最高につまらなくて 最高に羨ましいな…』(7巻)


『全て思いつきで行動する私にとって目標とか努力とかがんばろうって言葉はそれなりに残酷だ
それでもSNS部にいた時間は確かにとても楽しくて 星みたいに輝いていた。
その輝きを今もみんなが灯していることは とても幸福で とても残酷だ』(7巻)

(流れ→後輩が再生数を稼ぐために友達を利用して炎上商法まがいの事をしてしまい、身バレなどの危険性があったことをたまき(主人公)が怒った。そのことを気に病んでこの唯我独尊の先輩の家に泊りに来て、その後輩の気持ちを知るために配信ごっこをする回→きららMAX2019年7月号)

(ナレーション)『ごっこ遊びとはいえたまちゃんは事情を良く知らないはずの他人に容姿などを褒めちぎられながら適当に肩を持ってくれることは案外キモチが良いことを知りーーーそれが故にこれがジャンクフードの如く簡単に承認欲求をおなかいっぱいにできてしまう危険な遊びであることをおぼろげに理解してしまった!!!』

(みんな部活を楽しんでいるかと問いかけ 楽しそうにやっていると聞いて)
『みんなが本当に楽しんでいるか?なんて聞いてもただの気休めだ
他人の本心なんてわかるはずもない

ーーーあの他人の笑顔を信じられる力が
自分の笑顔を信じさせる力がーーー

たまたまちゃんは
もしかしたら本当の正しいまほうつかいなのかもね』


諷虹 照先輩のセリフだけをこうして抜き書きしていくと、随分哲学的ですよね。


虚空 深層心理からいえば「他人の本心」どころか「自分の本心」だった分からないんだけどね。これが自分の本心、って思っていることだって、意識できている部分の表層だし。
無意識には全く別の気持ちが様々に同居して、層をなしているわけだから。

ただ、その無意識がポッと飛び出ちゃう瞬間が上原先生が最終講義のテーマにしていた「垣間見」なのかもね。

西田流にいえば「純粋経験」?


第7巻ラスト
『ふよんちゃんはどんな時に生きているって実感する?』

『哲学ッスか、突然』

『私は生きることが好きになれないままこうなっちゃってさ ただそれでも もし明日死ぬとしたら まだ遊び足りない 今日が残っている 
ならせいぜい遊び尽くしてやろうって 昔思ったんだ』

『 色んな部活を食べ歩きして?』

『そう
SNS部は今のとこ私の暇つぶしの中では一番他人に迷惑をかけたけど 一番楽しかった 本当だよ』

『他人か ずっと他人だったんだな』

『今更だけど去年怒っちゃったのはごめんね
誰かがその人自身に全然関係ないことで悔しがったり本気になったりしてるのをみるとさ
正しい人間だなぁ
私とは違うんだ
ってすごく窮屈な気持ちになっちゃうっぽい』(中略)

『去年一緒に楽しそうにゲーム作ってたのに、その時間は明後日も生きたいとは思わなかったんですか、ってたまちゃんなら怒るのかな

SNS部を作ってたまに様子見にきていろいろ手助けもしてくれる
それら全て照先輩の思い付きで通過点でしかない
私は暇つぶしに巻き込まれただけの他人だ
けど少なくとも私は巻き込まれて良かったと思っているんですよ』


諷虹 これ読んでいると、今やってる「放課後さいころ倶楽部」を思い起こすんですよね。

虚空 昨日の生徒会エピソードとか?

諷虹 それもそうなんですけど、主人公の立ち位置とか。
ステラの主人公も友達はいても自作のボードゲームで心を通わせていた・・・それが同人ゲーム作りにいった

虚空 みんなを笑顔にする、っていう・・・みどり だっけ
フト思ったんだけどさ、この照先輩って、一応健康上とか歴史的境遇で命が保証されていない、っていうわけじゃないよね。

諷虹 一般家庭に生まれて一般的な・・・


虚空 これが戦時中だったら、将来がないのが当たり前。あるいは自分もそうだったけど「病気によって寿命を意識する」っていうのとは違うんだよね。

本当に明日の命がどうなるか分からない、っていう状況だったらこの照先輩ってどういう想いを巡らせるんだろうね?
「暇つぶし」として何かするとか・・・他人との関りをどうとらえるのか???


諷虹 明日の命がどうなるか分からなくても大丈夫なような立ち回りをしているわけなんですよね

虚空 たださ、それだとこの「暇つぶし」っていう感覚がね。
本当にシビアに自分の意思とはどうにもならない「死」が迫る日々。これはいつでも「自殺できる」っていう意味で明日終わるかも、っていうのとは違うじゃない。


諷虹 全部が暇つぶしなんじゃないですか?やらなきゃいけないことが一つもないようなことも意味して暇つぶしと表現しているんじゃないですか。
やらなきゃいけないことがあったら死ねないじゃないですか。だからこそやらなきゃいけないことも全部暇つぶしというひとくくりにしてしまっている


虚空 そういう風にひとくくりにしてしまう構えの奥底はどうなのか、っていうことなんだけどね。

今いきなりタイムワープして戦時中に飛び込んだ、っていうのと、本当に戦時中に生きていてこうした構えを持つかとかね。

マアそんなことを考えること自体ナンセンスと言えばナンセンスなんだけどね。
現代に生きているからこういった構えのキャラになっているわけだから。


諷虹 さっきの配信ごっこ回をみてもわかりますが、この作者は時代の流れに非常に敏感なところがありますね
だから同人雑誌だってここ数十年の文化じゃないですか。それを題材にしてこういう一癖も二癖もあるキャラを
逆に50年後とか100年後にこれを見たらどう思われるんでしょうね。


虚空 さっきね、7巻のさいごのやりとりを転載しようと思ったのもさ、このところの「連歌」のこととちょっとつながってて・・・。

自分の想定とは違って「一人歩き」とか「思いがけない方向」とか・・・それを楽しんだ日本人の構えを助長していたような。
それと、照先輩が自分が部を作った思惑視点からずっと後輩たちをみて、あれこれお考えているじゃない。そこにズレが生じているわけだよね、まさに後輩たちが思いがけない方向に受け継いで流れを作っている。


諷虹 それをみて部を本気で潰そうと思っているのかどうなのか
自分の方がずれた人間なのかと再確認している・・・再確認出来ている部分もあるのかな????

あと連歌の話で、善の研究の第三回・・・純粋経験の定義・・・言葉にするとそぎ落としてしまうということを解説者がいっていたじゃないですか。
言葉にした時点で物事をちっちゃくしちゃってる


虚空 だから言葉は「事のハ」だったわけだよね。本質は表せないのが言葉という自覚はあった。だから和歌だって短い方向に突き進んだ。


諷虹 「圧縮と解放」の話を思い出したんですけど、駿煌会ラインの連歌部をやってて。
いろいろな思惑を詰め込んで最終的に五七五で発表するじゃないですか。それでいうとちっちゃくしたのをさらに詰め込んでいるという感覚なのかな、って。
で、それを解放するのが「別の人」っていうのが面白いところ


虚空 ここがまさにさっきの「他人を信用する」あたりのこととつながっていると思うんだよね。他人に次を委ねるわけだから。
で、思いがけない方向にいっても「遊び心」で包み込んでしまうという気持ちのゆとり。というよりむしろ「飛ぶ」ことが期待されているわけだよね。

意図を察し過ぎてしまうと逆にダメということがある、って難波先生も7日の会議で言っていたんだけど。(ラインでも紹介した)


諷虹 直線がいっぱいあったら平面が決定されてしまうじゃないですか。平面が決定されることで、次もその平面に合わせてしまおうかな、っていう気持ちが出てしまうのかな、って


虚空 違う例えだと、直線のベクトルによる媒介変数表示みたいな?


諷虹 独立じゃなくて従属になっちゃっている感じですね。
ちょっと違うかもしれないですが、麻雀で危険牌の切り方の感覚の変化にも似てる。ノーヒントだから勘で当てずっぽなのが、ヒントがあると気になって自由な発想がなくなる。ヒントがたくさんあればあるほどそれにとらわれる


虚空 それって「ヒント」より「情報」っていった方がいいかもしれない。ヒントだとヒントなんだから正解をつながるよね。ただの情報なんだけど「ヒント」だと勝手に思い込んでしまうと、余計な縛りになる。


諷虹 咲でもありましたよね。咲がネット麻雀で、和がリアル麻雀でそれぞれ特訓する。情報に頼りすぎる問題と気にしなさすぎる問題の一長一短。


虚空 気にするということの大前提に、「純粋経験」があるかどうか・・・かな?
子どもなんて本来は純粋経験の世界に近いハズだったんだけどさ、今は本当に幼い頃から大人の常識を詰め込まれすぎているよね。
典型的なのが「虫嫌い」だよ。


諷虹 伊集院さんが番組の中で言っていましたけど、この事柄の純粋経験は何だろう、って考えることが大事なのかなって。

感情の働く前の刹那に思った事や感じた事をキャッチするのって不可能ですよね。
だから純粋経験なんて無理だと思ったんですよ。でも「こういうことなんじゃないか、ああいうことなんじゃないか」って考えることが大事かな、って。

子どもがあれこれを考えずに行動しているのをみて、「これが純粋経験なのかな」って思うのが。
それが親が厳しかったり口出ししすぎると「怒らるかな」とかが真っ先に浮かんでしまう。


虚空 前に話したけど、最初に勤務した小学校と次の小学校との成績表を渡した瞬間の意識なんてそれに近いかもね。瞬間芸で終わるのと、そこから帰宅後の親とのやりとりがどんどん広がるのとの違い。

「心と体の実況中継作文」なんてさ・・・略して「体感作文」なんていっていたけど、あれは今にして思えば「純粋経験に近づく練習」だったのかもね。
解釈は入れない。


諷虹 「知識」と「情意」のとこですよね。(NHKテキスト19ページ)


虚空 そう。だから「現在形」にこだわった。
理科でモンシロチョウの幼虫を育てていた時にさ、キャベツを取り替えるのをさぼってキャベツの葉が腐ってきたことがあってさ、その匂いを嗅いでもらって、その瞬間にどう感じているか口で言ってもらったことがある。

でも嗅いだ瞬間にみんなが言ったのは
「エサをかえないですみませんでした」とかばっかり。「これからはちゃんと新しキャベツにかえます」とか。


嗅いだ瞬間に「本当にそう思ったの!」って言ったら、ある男子が「臭かったです」って。もう一度嗅がせたよ。そして「今、臭かったです か?」って。
そしたら「臭い!」って顔をしかめて・・・。


今だったら、腐ったキャベツの匂いを嗅がせたというだけで問題教師として訴えられそうだけど、でもこの時はかなり真剣だったから。



諷虹 「動揺的」っていうことも書いてあるんですけど・・・あとは「知と愛」に書かれている内容。解説者がいっている「知と愛」ので「「愛する」とは「物」と一致することである」とも述べていました。ただ、西田の「一致」というのは寸分たがわず重なり合うことではありません。むしろ今の引用に「共に笑い共に泣く」とあったように、異なる二つのものが異なるままで「共鳴」し、「共振」しているようなイメージでとらえた方がいいと思います。


虚空 どうしても学校で書く作文って「思い出作文」とか「報告作文」なんだよね。だから過去形になっちゃう。違うといえば「将来の夢」とかで今度は願望の記述になっちゃうんだよね。
まさに今この瞬間を書くっていう作文ってほとんどないよ。

まあ、この現在形の作文っていうのは、児言態の先輩のある先生が上原先生に助言されたことの受け売りで実行していたんだけどさ。


諷虹 主観ですもんね、現在って。過去のことを思う時って客観になっているんじゃないですかね


虚空 そうかな?


諷虹 今になって振り返ると過去のあれは、って


虚空 そういう方向に行けばね。ただ今自分は一瞬例の親戚が頭に浮かんじゃったから・・・時間がたてばたつほど事実を捻じ曲げて自分に都合よく作り変えてしまうから。完全に作り話が実話となっちゃう。

子どもなんかもそういう傾向があるからさ。大人に知識をつけられて、解釈を伴わせてしまう。
今諷虹君がいったのは、哲学者とかが自問自答する時の姿勢で過去を振り返る場合だから、主観から客観に向かえるというパターンかな?


諷虹 他人のことに涙するのは主観ですよね。他人になってとの出来事を追体験している感覚。だから主観かな、って。


虚空 自分の感覚だとさ、主観と客観の区別がなくなっているような感じかな。主観と客観が超越された感じ。


諷虹 主客合一ですね。
解説書にもありますね。・・・・(P33)


虚空 だってさ、アニメとかでも本当に感受移入しちゃっている時って、今自分はこのキャラになりきっているな、っていう感覚すら失せているからね。ただただ没入というかさ・・・


諷虹 そう考えるとレビュースタァライト でのキリンの視聴者に向けたメッセージ・・・「舞台を見守る存在」っていう客観的なところに再配置したのかなって


虚空 このアニメは西洋演劇だから余計にそうなのかもね。

よく西洋演劇って額縁にたとえられるじゃない。舞台の上のドラマを観客が覗き込んでいるような立ち位置

でも歌舞伎なんかはさ、花道がドーンと客席にあってさ・・・縁側の感覚っていうか・・・客席も舞台の一部。で、この間も話にでたけど、通の人が叫ぶじゃない。決まりどころで。それがあって歌舞伎の舞台はよりビシッと決まる。

それこそ飛躍だけどさ、この前連歌を初めてやった時にさ、待っている間もドキドキっていう話が出たじゃない。個々人が独立して詠む歌会だったら、そういう意味でのドキドキは起きないと思うんだよね。「あいつはどんな歌を詠むのかな」っていうのはあっても、それは自分の出来と他人の出来を比較するような感覚。

でも連歌はさ、他人の歌の完成は自分の始まりという感じがあったじゃない。それが回ってくる時だってどんな段階で回ってくるか予測できない。それでも受け継いで次に渡す自分の存在。それは「受け手」と「送りて」の間のまさに「今この瞬間の存在」っていう自覚に無意識につながっているのかもしれない。
 
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