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☆諷虹・虚空 5月3日やりとり③ + ラインやりとり  「闇・裏」への意識転換

闇の世界でのギャンブルを扱ったアニメが諷虹君から紹介されました。

こういう点も日本人の発想として面白いところなのですが、反道徳的と思われているような世界から、深いことをつかみとっていく、そういう側面があります。

かつて駿煌会で話題にしたことでいえば「究極のバッドエンドが究極のハッピーエンドにつながる」というようなこと。


何も特別に難しいことではありません。平面的にしか物事をみなければ、数直線や座標軸のほうに、正の数と負の数はどんどんかけ離れて行ってしまいます。

でも地球のような球体世界・・・球体思考・・・であれば、両方向に離れていけばいくほど、やがて結びついてしまう。


上原先生や折口先生の学問の発想の裏にもそうしたことが前提としてあると思っています。

最後に上原先生の「心意伝承の研究」から「闇」という意識に関して述べている部分の抜粋も載せています。

その後に続くラインやりとりは、昭和を代表するアニメの一つである「タイガーマスク」を通して「生きる意味」についての考察です。

諷虹 ギャンブルに強い人って、勝った金をすぐに使うから強いのかな、って。


虚空 さー?自分には未知の領域だからね。麻雀だってしたことないし・・・ルールも知らないし。

*アニメ「勝負師伝説哲也」
純粋に「運」だけで勝とうとする青年とあらゆる手段を使って(イカサマなどの卑怯なことをするのも力のうち)のプロ(玄人:ばいにん)の勝負・・・相手にならない。

「力とは所詮イカサマの能力か」・・・自分もイカサマを身に着けようとするが、「まだ覚えるのは早い。力がなければイカサマを覚えても無駄」と言われる。・・・コロンブスの卵(頭が固い)「玄人は殺されても金を払わない」負けたら払わなければならないと思った時から相手の風下にたってしまう。それでは玄人には潰される。

「怠惰を求めて勤勉に行きつく」
「運がなくなった・・・力がなければダメ・・・どっちも必要」
「もっと教えて欲しい」「教えることなんて何もねえ」
諷虹 伝説の勝負師だったんですけど、一回のミスで引退してしまう


虚空 命をかけての世界だから甘えは命取りっていうことなんだろうけどね・・・。
日本人って「卑怯」っていうことに敏感だったから、どうしても「イカサマ」でも勝つ、っていうことには抵抗があった。

柔道の元金メダリストが地区民運動会で障害物競争でズルして勝って「ズルをしてでも勝つということを教えにきました」とインタビューに答えていたことがあったけど・・・。
今でも自分はそれに対して批判的な立場はとっている。それは本来のオリンピックの精神とか、子ども達に対して示す手本ではないと思うから。

ただね、世界が違って基準そのものが異なっていれば、何が正義とか正しいのかも変わる。法律が違う国にいけば、日本では罪にならないことが罪になったり、またその逆もあるから。
戦後のプロレスブームの時に、日本人レスラーは反則をしない、というのを美徳にしていた時期が長かったよね。外人レスラーがどんなに反則とか卑怯なことをしてきても、正々堂々と戦っている姿が大衆の心をうっていた。

反則とはいえないまでも、相手が怪我をしている部分を集中的に攻めるのもご法度だった。
でも海外では相手の痛めている部分を攻撃するのは当然の戦法だと。勝ちの定石なんだと・・・。それでも長らくはそこに踏み込まなかったのが、もう今は仮にショーとはいっても普通に誰もがやる。そんな意味ではだいぶ変わったよね。

で、今のアニメをみて思い出したのがアニメの初代タイガーマスク。覆面悪役リーグ戦。反則OKの試合だったけど、子ども達にフェアプレーを誓ったタイガーは反則をしないで戦おうとして大苦戦。でもタイガーのファンである健太に「反則OKのルールなんだから、反則は反則ではない」と言われて頭を切り替えて勝った。

そういうことだよね。玄人の勝負の世界は昼の麻雀の世界とは大前提が違う。だから最初にも「ここのルールを知ってるか」なんて相手にすごまれていた。

それでも普通に勝負しようとして負けた。イカサマが勝ち負けの分かれ目・・・でも、そういう世界なんだからそういう現実を踏まえての生き様が求められるっていうことだよね。
それが嫌ならあのおっさんのように玄人の勝負の世界になんて入り込んでくるんじゃない、っていうことだよね。


諷虹 忍者の影の世界っていうのと同じなんでしょうね。日のあたる世界とは違う。麻雀のプロでもイカサマなしでクリーンに勝たなければならない、のと、何が何でも勝たないと命がないという裏麻雀のプロとの違い。
柔道なんていうのは表の世界のことなんだから、やっぱり卑怯なことをしてでも勝つっていう必要はないと思いますけどね。
タイガーも虎の穴で鍛えられていたから、反則OKの試合でも勝てた。これがまっとうな選手だったら反則OKでも勝てない


虚空 まあ反則のレベルが違うからね・・・アニメとはいっても。
だからさ、例えば「赤き死の仮面」とか「ミラクル3」・・・タイガー・ザ・グレート・・・のとんでもない反則に対して、馬場と猪木が「超一流の反則」と評する場面があるけど・・・そこも興味深いといえば興味深い。
タイガー・ザ・グレートだって、反則をしなくても技もスピードも怪力でも超一流っていう設定だったからね。単なる反則魔ではない。超一流のレスラーが世紀の大反則をする。印象深いのは、タイガーとの試合で反則の5カウントはちゃんと守っていた場面があったよ。反則であっても5カウント内だったらルールで認められている。
原作だとさ、馬場がある段階に達したタイガーに「これからは多いに反則もやるべし」という場面がある。アニメにあったかどうかは覚えていないけどね。
5カウントのかけひきも使いこなせてこそ、海外の一流レスラーたちともやりとりできるようになると。

このあたりのことがね、今の時代って「表」の世界にも平気で「裏のしきたり」を持ち込んでいるところがね。
上原先生が「闇」の感覚っていうのを問題にしていたことがあるよ。
公然と昼間からやっていても「闇市」とかね。
そういうことをきちんと意識世界で区別していた。


参考 「心意伝承の研究」上原輝男著 
”殺し” と ”血” の心意伝承 血饗の衰亡
「殺し場」なる異常であり忌避すべき用語も、歌舞伎界では、それが重要な鑑賞対象として、むしろ関心を寄せ、その非道ぶり、より残忍さを見せるもの、また見届けるものという諒解があるのは、どうしてなのだろう。

(中略)たとえば、明治の演劇改良運動で、為政者や知識階級が、日本の芝居から追放しようとしたものは、この血まみれ騒ぎと淫蕩猥褻さであったことは、演劇史として記されなければならなぬ事実にはちがいない。

(中略)もともと、それが表向きには良風美俗に反する悪所の芸術であることを知悉していたことを見落としてはならないと思うからである。


たとえていうなら、状況では全くうらはらだが、敗戦後の”闇”を生きる日本人の生活態度と共通するところがある。”闇米” ”闇市” ”闇の女” と、それは法網をくぐって行われたというよりも、それが白昼に行われても、人目を憚る意味において、見て見ぬふりの出来る許容の生活空間を人々はつくり出していた。

それでも、それを表向きの生活と区別するところに ”闇生活” の語があった。決して、それはほめられたことではなく、それが恥ずべき行為であればあるだけ隠蔽されねばならぬとする日本人の体質の対応であったともいえる。

勿論、隠蔽し切れるほど当時の生活は、余裕もなければ美しくもなかった。だから、この時、日本人はその現実生活を闇に葬り、うそとまことの意識転換を行ったと言えないだろうか。
「うそはまことの骨、まことはうその皮」と喝破できた江戸時代の感性は失われていなかったのかもしれぬ。(中略)


問題は折口学における「賤民の文化」の発想であり、ハレの日の「客人(まれびと)」がケの日には「乞食人(ほかいびと)」となる両義性が日本人の感覚には流れているといわねばならない。簡単にいうと、歓迎され愛される神は、また忌避され追われる鬼である両義性を感覚の基本として具有していることの追求がしてみたいのである。
虚空 「決して、それはほめられたことではなく、それが恥ずべき行為であればあるだけ隠蔽されねばならぬとする日本人の体質の対応であったともいえる。」から考えても、元オリンピックの金メダリストがテレビ取材が入っている地区民運動会で堂々とズルをして「ズルしてでも勝つということを教えに来ました」なんて堂々と語っているのは疑問。

あんなことを言っていたら「じゃあ、お前は審判などの目をごまかして反則やズルをして優勝したのか?」と疑いたくなる。

木枯らし紋次郎なんかの渡世人のドラマでも「カタギ」云々とかね。
そういう住み分け・・・まともな人間なら「お天道様に恥じない生き方」っていうのを躾けた。そうでない生き方をするならそれなりの覚悟をさせた。

今はそれがゴチャゴチャ。だから表の生活も無法者がはびこっておかしくなっているんじゃないの?


諷虹 王道じゃないですが、お天道っていうのも「天の道」なんですね。


虚空 どちらの世界も認めているっていうのが日本人の特殊性だよね。だから折口学なんかでも「任侠道」と「道徳」の関連なんていう発想が飛び出してくる。

任侠にだって「道」があると。市川崑の木枯らし紋次郎が当時の女性たちに大人気が出たって言うのも、単なる渡世人のやくざドラマだったらあそこまで受けなかったと思うよ。「渡世の道」っていう「道」意識・・・相手がどんなに卑怯なことをしても「渡世の道」は外さないっていう「大馬鹿者の姿」・・・本当に馬鹿正直な場面がいっぱいあったから。


「道」っていう枠で考えれば、そこには「表」も「裏」もない、何か普遍的なものがあると感じられたのが日本人。

だからさっきのアニメみたいな世界も、裏世界の麻雀以外の視聴者にだって共感されるんじゃないの?


諷虹 見通しが見えないから「闇の世界」っていうんですかね。自分の足元しか見えないからそれで精一杯。レールの敷かれた人生っていうのも道の感覚なんですかね。

日の下の不便さっていうのもあるでしょうね。道が見えているから道から外れることを躊躇するというような。暗闇とか見えない状態だから柔軟な動きができるのかな、って。


虚空 以前さ、映画版の「火の鳥」で卑弥呼の逆鱗に触れたスサノオが目をつぶされて追放されるシーンがあった。そのスサノオが戻ってきた時に「目が見えなくなったからかえって見えるようになった」っていうようなセリフがあったよ。

目に見える世界と見えない世界・・・どっちも大切なんだけど、どっちの主とするかで完全にひっくりかえる。

それこそさ、この前から言っているあの地域での高校問題。その中で住んでいる人間にとってはそれが本当に人生を左右するんだろうから、仕方ないことなんだけどさ、そのルールとか価値観をよその地域でもひけらかそうとしたり、よその地域の人間をも上から目線で見下す、っていうのがね。

それは水戸黄門がよその国にいって印籠を出したって、誰も恐れ入って土下座なんてしてくれないのと同じ。

見た目の権威とか肩書なんていうのは、所詮そんなもんでしょ。価値観が違う世界にいけば何の役にも立たない。お金だっていくら持っててもただの紙屑になってしまう地域だってあるしね。
そんな時に、さっきの震災の話に戻るけど、自分を支えてくれているものが封印された時に切り抜けられる知恵と力があるのかどうか。

そうなってくるとさっきの勝負師アニメとも通じてくるよね。真っ先に有り金を封印されて命がけの博打麻雀の世界で修行させられた、なんていうのは。
本当に自分の力を伸ばしたかったら、「これが自分の持ち味」とか「これなら自信がある」っていうことを真っ先に手放して新たなことに挑戦する勇気。

「僕は足踏みが嫌いだ」が口癖で、ある程度の目鼻がついたら「もうこれは済んだ」とさっさと次に向かった上原先生の姿勢そのものを一番見習わなけりゃとは思ってる。


2019.05.03 金曜日 ラインやりとり
23:32 虚空
今夜の諷虹君とのやりとりは松下さんの言葉などからの考察からはじまって、後半はアニメ「勝負師伝説哲也」という裏世界の麻雀を描いたものからの考察でした。上原先生の解く日本人の「闇」に関する意識などともからんでいる内容・・・より深い意味での「超現実」意識に通じるかも・・・・



2019.05.04 土曜日
00:12 コバルト
雀聖と呼ばれた男ですね。
このマンガを読んだから麻雀を始めたようなものです(笑)

世界観はまさに汚泥の底ような世界で、薄汚れずに美しい花を咲かせようとするのは、仏教の蓮のようです。

裏社会の世界ほど本物がモノをいうと思います。
強者は嘘やハッタリ脅しが通用しない相手ばかりです。
ということは「素直」こそが裏社会ではモノをいうんですね。
そしてこの素直(ワクワク、ドキドキ)さに本物の「運」がやってくるんですね。


00:15 虚空
このやりとりからアニメのタイガーマスクの話になったりしました。

あとやりとりの中で出てきた上原先生の「闇意識」に関する記述を、今、悪戦苦闘して打ちなおしています。
それらも合わせて近くブログにアップします。


00:40 コバルト
運をもっと細かく言うと
「僥倖(ぎょうこう)…予想もしなかったような幸運。」ですね。
運気(勝機)は流れの中にある。
それを「天啓を得る」と言います。
引用
超越的な存在からひらめきや行動の指針を受けることを言います。
他の言い方では、啓示を受ける、神の声を聞く、お告げを得る、神託を得る、夢枕に立つなどがあります。
タイガーマスクでも、もしかしてあるかも知れませんが、絶体絶命のピンチからの大逆転には、この僥倖と天啓が密接に関係していると感じます。


06:40 虚空
初期のタイガーマスクを観たことがあるかどうかは分かりませんが・・・虎の穴のラスボスが打倒タイガーのための研究をするために次々と刺客を送り込んでいく中で、絶体絶命のピンチになっても想定外の力を発揮して切り抜ける事に注目しているセリフがあります。

そういう時のタイガーの頭の中にあるのは、自分が命がけで守ってきた、自分も過去に同じだった「孤児たち」の姿。
あの子たちのためには死ねない・・・・という想いが想定外のパワーを発揮させます。

そうした自分の事よりも子ども達を・・・という純粋な想いが天を味方にという部分をきちんと描いていたアニメだから名作になったんだと思っています。(数々の社会問題・・・福祉・公害・戦争孤児 等々のこともたびたび描いていましたし。)

ちなみに、「タイガーマスク2世」が放送された時には第一話を観た時点で「宇宙プロレス連盟(?)から日本プロレス界を守るため」というような設定だったので、それっきり観ませんでした。


09:56 コバルト
タイガーマスク観たことないのですが、二世の解説を聞くと、連勝しまくり無双状態の東日本震災前の石川遼を思い出しました。
それまで保っていた圧倒的(精神的)強さが。
インタビューで被災者の為にプレーをする。みたいなことを宣言した後から嘘みたいに勝てなくなったんですね。
ゴルフというメンタルスポーツで抱えきれないほどの名前も顔も知らない被災者を背負ってしまった事は致命的で当時のインタビューを見て、すでにここで崩れ始めてると感じとりました。


10:54 虚空
物事どちらに転ぶか分からないものですが・・・想定外の力が出る場合もあれば、逆に気負いで自分を縛ってしまうこともある。
「自分の力で何とか」と思い過ぎると、どんなに目的が他人の幸せのためでもうまくいかないのかな????
このあたり・・・自分のための稼ぎではあっても、「力だけでは勝てない」と最終的には説いた昨日のアニメの老人の言葉にも通じるかもね・・・


13:16 コバルト
https://youtu.be/yCpIy7YoowM
難しいですが‥力みを生んでしまう事は弱さになってしまいますよね。
背負ってしまったモノを力に変えるには中庸(ニュートラル)が必要です。
要は積み過ぎたというこ とでしょうか。
零に出来ない事をやり過ぎたんですね。
羽生結弦の「明日のことは明日考えます」とイチローのルーティンにしても、リセットが要なんですね。
この動画の役者達の演技力の凄さはさておき、雀鬼にしても「鬼」の生業はリセットなんでしょうから。

鬼ほど一番共存共栄を望んでいる訳なんですね。
人間が一番共存共栄を崩しているんです。


15:19 コバルト
https://youtu.be/Q8VmQXCKMMA
やはり鬼と仏は表裏一体なんでしょうかね。



16:18 虚空
なまはげなんかそうだけど・・・「春来る鬼」・・・・でその鬼は神でもあるんだよね
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