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☆釈迦の世界観 と 学習への構え

2019年9月7日 諷虹・虚空のやりとりです。


釈迦の世界観が上原先生による「世界定め」の発想に近いのでは・・・という話から、勉強の際の「学習内容のイメージ化」等々の話へと発展しました。

こうした意識を伴って勉強をするかどうかで、いわゆる「生きた学力」「生きる力としての学力」になっていくかどうかが大きく分かれます。
また世間的に言われているような「得点力」としての学力だって大きく違ってきます。

勉強が嫌い、興味が持てない、という子どもたちや若者達っていうのも、案外「自分の気持ちに嘘がつけない」「純粋な心の持ち主」ということがあります。建前で飾られた現代の学習内容や、大人の言動に嫌気がさしていたり拒絶反応が起きているだけなんです。そういうタイプはど、自分との接点を見いだしたり、興味が湧けば、人が変わったように面白がって学習に取り組むというのは珍しくありません。

苦手な子にはごく易しいところの反復を強いるということをやりがちですが、案外本格的に本質的な事、高度なことに触れてもらった方がいい場合の方が多いと感じています。



参考
☆NHKこころの時代 テキスト 「マンダラと生きる」 正木晃著 2018年4月~9月
第三回 「世界とつながる 胎蔵マンダラの叡知」より抜粋

・(様々な宗教が世界・宇宙をどういった形としてイメージしてきたかの概略を述べたあと)
 ・・・・ブッダ自身は、今述べてきたような「世界」に、全く関心をもちませんでした。

 なぜなら、ブッダにとっての「世界」は自分の感覚器官によって把握できる範囲にかぎられていたからです。つまり、ブッダにとっての「世界」は自分自身の心身とその周辺だけだったのです。その証拠にいわゆる原始仏典には、「世界」をあらわす言葉はほとんど出てきません。

 あえて探せば「五蘊」という言葉が「世界」にあたります。「五蘊」とは「世界」を構成する五つの要素です。色(物質)・受(感覚的な印象)・想(生まれたばかりの認識)・行(先天的な精神傾向)・識(認識)といったぐあいに、物質の領域が一つ、精神の領域が四つあります。

 ただし「蘊」が「集まり」を意味することに、注意しなければなりません。つまり「五蘊」とは、五つの、それも永遠不滅でもなければ常在しているわけでもない要素が、一時的に集まって、なんらかのかたちをなしているにすぎないのです。ですから、短期間で雲散霧消してしまうとみなされていました。となれば、常在普遍の「世界」など、あるはずがありません。(中略)

 言い換えれば、仏教にとっての「世界」は、客観的に「ある」とは言えないのです。わたしたちという観察者がいて、初めて「世界」は「ある」といえるのです。この点は、現代の自然科学が、わたしたちがいようがいまいが、見ていようが見ていまいが、「世界は厳然としてある」という前提に立っているのとは、まったく違います。

 また、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教が、「世界」に先立って神が実在し、その神が創造した「世界」は厳然として実在するとみなすのとも、まるで違います。

虚空 自分の発想って原始仏教に近いんだな、って。「世界定め」そのもの・・・でもまあ、日本古来の現実世界のとらえかたも似ているよね。


諷虹 集合みたいですね。


虚空 「観察者」っていうのも


諷虹 その観察者の視点ってちょくちょく話題に出ていますけど、時代によらない・・・よるのかもしれないけど・・・難しいですね・・・見ている人側は時代によってぶれるかもしれないですけど、見ている点・要素自体は不変・・・でも他の色んな要素と同時に見ることで見え方が違ったりする・・・選択公理や、添加の感覚ですかね
しかも、卑弥呼と信長の話のように、実際にかなり離れていても観測者にはそのギャップがそこまで感じられないっていうのも論理的に処理できるところもあるかもしれませんね


虚空 たまたまなんだけど・・・話の筋は違うんだけど・・・さっき中学生に卑弥呼の話をしていた。それを偶然としないのが、人間。


諷虹 やっぱり、時代間のギャップっていうのは・・・秀吉の時代って武将しかいないようなイメージ。だから寺でも僧兵とか・・・だから千利休なんかが同じ時代っていう感覚がないんですよね・・・江戸か平安かみたいな


虚空 たださ、以前家庭教師の時間に等間隔年表をいろんなメンバーに書いてもらったことがあるじゃない。時代区分とか主だった歴史の出来事や人物も書き込む・・・
自分のように歴史に無関心だったのはともかく、学校のテストでは歴史は得意っていうのが、すごい年表をいっぱい書いていたからね。
信長と秀吉が数百年離れたところに書いてあるとかね。でも、秀吉が信長の部下だったことは知っているんだよね。


諷虹 地理でもそうですよね。有名な国であっても全然違う場所にあると思っている。


虚空 自分もその点では大きなことはいえないけどさ・・・・・


諷虹 そのギャップですよね。
自分のイメージとずれているから受け入れないんですかね。今国の位置を覚えろって言われたら、気候とか流通とか、色んな予備知識を総動員して覚えていくんでしょうけど、そういう下地がないときには本当に手あたり次第覚えていったり、自分の持ってるイメージで覚えていくしかない・・・
国旗をいくつも覚えられている小学生って何と結びつけたりして覚えているんだろう、って


虚空 それを感じたのはポケモンだよね。それぞれのキャラの特性から進化系から全部頭の中に入っている子が珍しくなかったじゃない。でも、中高生のテスト勉強みたいに暗記しようとしたわけじゃない。割合にスッと入って、なかなか忘れない。

歴史の登場人物や流れを暗記しようという意識モードの時には全く頭に入らなかった人間が、ゲームで三国志や戦国武将モノにはまった瞬間、何人も覚えてしまう・・・


諷虹 化学なんかでもそうですよね。金属とか有機物・無機物とかそういうのを意識するだけで随分と違いますよね。


虚空 それを感じたのは有機化学をやった時だったね。あっちの方がよほどゴチャゴチャしているのに、見方の原理原則が理解できると案外面白がってスッと受け入れる子が多かった。
別のいい方をすると「構造をつかまえることができた」ってこと


諷虹 学者が分かりやすいように体系づけをしているわけですから、作った人の気持ちになるとスッとわかる


虚空 それをさ、苦手な人間にほど、体系とかは抜きにして「これだけは丸暗記しろ」なんていうから余計に嫌いになるわけだよね。これは土浦で出たような「素読」の意義とは全く別モノ。


諷虹 最近の自分が覚えにくいものっていうのは、結びつく理由が納得できないもの・・・それはなかなか受け付けないですね。



虚空 何かイマジネーションを刺激するものがあると自然に覚えてしまいやすいんですけどね
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